2003年01月31日(金) |
しっかりしているってほめ言葉? |
最近、「しっかりしている」とよく言われます。 「しっかりしているよね」 「きよこさんはしっかりしてるから大丈夫だよ」
こう言われて、私はちょっとフクザツ。 だって、自分では自分のこと決してしっかりしている、なんて思わないんだもん。 それどころか、 「いいかげんで、だらしなくて、いくじなしで、うじうじしてて、気が利かなくって…あー!もう!」 って、しっかり者とはかけ離れているって思っている。
ただ、しっかりしなきゃな、とは気をつけている。 それは、私がしっかりしていないために誰かが迷惑被ったり、損したりしたら、すごく申し訳ないって思うから。
でも、しっかりしている、って誉め言葉なのかなあ? たとえば、100歩ゆずって、私がしっかり者だとして、「しっかりしている」といわれても嬉しくないと思う。 それは「しっかりしている」っていう評価には、その人から私に対して距離を感じるから。 敬遠されてるっていうか、「一人でがんばれるでしょ」ぐらいの突き放された感じを受ける。なんていうのは、私の考え過ぎなのかな?
依存心の強い私としては、「一人でがんばって」なんて言われるのは結構つらいことです。 セーターにくっついた毛玉みたいに、好きな人にくっついて、依存して生きてみたいなあ。 なんてさ、思ったりもするんだ。
2003年01月30日(木) |
まきこんで、まきこまれて |
卓球をする喜びには、プレイそのものだけではなく、台をはさんでピンポン球を打ち合うことで、いろんな人と知り合うことにもあるように思います。 その思いは年々強くなってきています。 いろんな世代の人、いろんな強さの人、いろんな性格の人と知り合うことができて、ほんとうに楽しいことだと思うのです。
最近、私は新しい出会いを求めて、いままでと違う練習場にも行くようになりました。 そこはこの辺りのかなり強い人たちが集まる練習場で、とても練習になります。 そして、すごく雰囲気がよくて、おしゃべりしても楽しいので、お気に入りなんです。
その卓球場がとても楽しいので、ユカコちゃんもひきずりこみたいなあ、とおもって、今日は、ユカコちゃんも一緒に練習に行くことにしました。 ユカコちゃんと待ち合わせて、晩御飯を食べていたら、あの人から電話がかかってきた。 「ユカコちゃんと卓球に行くんだ。うらやましい?」 「いいや!ぜんぜん!」 「うらやましいんでしょー。一緒に行ってもいいよ。 この前、職場の先輩を紹介してくれたよね。 お互いのお知り合いを紹介し合うって、楽しいよね。今度は私の知り合いを紹介するよ。」 と、いうわけで、あの人も一緒に行くことになりました。 ふふふ。 まきこんで、まきこまれて、そういう風にして広がっていくつながりがとても楽しい今日このごろです。
私の卓球好きは今の学校でも広く知れ渡ってきて、いろんな先生が挑戦してきました。 なかでも、小学校で体育を教えている荒川先生は、なんとしても私に勝とうと盛んに挑戦してくるので、放課後は卓球対決です。
小学校のオープンスペースに1代卓球台があります。 そこで勝負です。 中学校から13年の卓球歴のある私に対して、荒川先生はまったくの初心者。 卓球というスポーツは、基礎が大切で、フォームが固まらないと試合にならないというところがあります。 だから、初心者と経験者ではその力は雲泥の差、と、なるのがふつうなのですが、荒川先生は違った。
飲み込みがめちゃくちゃ早い! 目をみはるほどです。 一度やったミスは繰り返さない。 相手のサーブを見るとか、ボールをしっかり見ることができる。 そして、運動神経がめちゃくちゃいい! 信じられないフットワークをしている。 そのフットワークですら、身につけるのに何年もかかるはずのものなのに、教えられなくてもちゃんとできてしまう。 私は舌を巻くばかりです。
運動神経がいい人っているもんだなあ。 こんな運動神経がいい人が、本気で卓球をやったら、私なんかすぐに抜かされてしまうんだろうなあ。
人には生まれながらの能力に、差がある、と、いうのは否めない事実でしょう。 幼稚園の園児ですら、よーいどん、で走ったときに歴然と差がある。 誰に教えられなくても漢字を読める子もいれば、何度も繰り返して覚える子もいる。
でも、生まれながらの能力がその人の人生を決定するとはまったく思いません。 その人が生きていく過程で、どのようにその能力が伸ばされていくか、ということが、とても重要な要素になってきます。
私個人のことを言うと、私の運動能力って、ほんとうにお粗末なものです。 だけど、とにかく、卓球が好きだったから、よく練習をした。 そして、卓球をやめなかった。
こんな言葉を思い出します。 「一つの世界で一番になりたかったら、とにかく10年続けたらいい。 10年続けたら、まわりにいた競争相手の8割はやめているから」
牛の歩みを続けること、これが私の一番の才能です。
私って、運動苦手なんです。 体育はいつも5段階で2でした。 上り棒もできないし、逆上がりだってできない。 ほんとうに卓球以外のスポーツって苦手。 だけど、運動の重要性って最近ひしひしと感じます。 体を日常的に鍛えていることが、健康にもいいし、太らないし、太らないし…。
よーし、いっちょ、苦手意識を克服して、ストイックに走ったりするぞー!
と、決心したのはいつだったかな? とにかく、その気持ちは確かにあったんですよ。 ただ、実行力が…。
あの人は、今度駅伝大会に出るんですって。職場の上司の皆さんと一緒に。 本当に、精力的に生きていらっしゃること。 私もおいていかれないように、精一杯ついていきます。
今日の夜、ご飯でも一緒に食べたいなって思ったんだけど、今夜のメインはランニングらしくって、「そこはどうしても譲れない」と言うので、いいきっかけだと思って、私もランニングにご一緒させてもらうことにしました。 真っ暗な夜の川辺の道ぞいに車を止めました。 私は「寒いか」とダウンを着て走ろうとしたのですが、 「そんなの着て走ったら絶対暑いから」って言われました。 「じゃあ、もし、ダウンを脱いで走って寒かったら、あたためてよ」 「いいよ。抱きしめてあげる。」
なーんて軽い二人なんでしょうね。
おしゃべりしながらゆっくり走ったから、結局あったかくはならなくて、寒さで頭痛くなっちゃいました。 さて、ほんとに抱きしめてもらったか? そんな雰囲気にはなりっこない二人です。 そんなことはありえないのがわかっている二人だから、こんなこと言うんです。
2003年01月26日(日) |
HOW TO 合コン |
サークルのOB杯前夜はいつも飲み会です。 仕事場でのおつきあいの飲み会が多いから、こういうサークルの体育会系の飲み会ってすごく懐かしくっておもしろい。
いつもより少したくさんお酒が入って、おしゃべりも盛り上がります。 一つ上の男の先輩とおしゃべりしていて印象的だったこと。 その人は在学中はまったく硬派で、全然女の人に興味がなかった人なのに、合コンマスターになっていたこと。 「合コンはねー、きっかけだからねー。とりあえず全員に電話番号は聞くよ。 気に入った子には電話するし、またその子に合コンのメンバー集めてもらうんだよー。」 はあ〜。そういうものですかあ。 合コンから恋愛に発展したことなんてないですよ~。 「え〜。簡単だよ。 付き合うのは簡単。すぐ別れるけどね。」 どうして別れちゃうんですか? 「んー、体が合わないからじゃない?」 そうかあ。 私の知らないところで世の中はそんな風になっているのかあ。 勉強になりました( ´_ゝ`)ぺこり 「きよこは大丈夫だよ。平均は確実にあるのから。 きよこから言っていったら上手くいくんじゃないの?」 そうかなあ。 私からかなり行っているんですけどねえ。 上手く行かないのはなんでかな?
2003年01月25日(土) |
ドラ!ドラ!ドライブ大作戦! |
明日は長野市で大学の卓球部のOB杯です。 懐かしい顔ぶれが集まるかと思うと胸が高鳴ります。
長野市まではユカコちゃんとラブラブドライブです。 私の運転でそんなドライブなんて初めてのことなので緊張しちゃうな。 なーんちゃって。 集合時間の関係で、高速道路を使っていくことにしました。 雪の具合とかも心配されたんだけど、今日は幸い青空が広がって、道路にもまったく雪が残っていなくて、絶好のコンディションでした。 松本インターで高速に乗ったら、車もほとんど走ってなくて、すーいすいです。 軽快な音楽を流しながら、おしゃべりがはずみます。 お互いの仕事のこと、恋愛のこと。 やっぱりおしゃべりってなんて素敵なんでしょう。 時の経つのも忘れてしまうほどでした。 きがつくと、そこは中野…。 おーい。私たち、いつ長野を過ぎちゃったのかしらん
2003年01月24日(金) |
私をスキーにつれてって |
なんせ、スキー場に近い学校で、スキーに力入れているから、冬には2回のスキー教室があって、その日は学校が空っぽになります。 私を除いて。 くすん。 私は悲しいお留守番。
じつはスキー教室の話を聞いたときから 「私も行けるのかな。どうなのかな。」 って、気になって気になって。 でも、 「スキー教室私も行ってもいいですか?」 って言ったら、いかにもスキーに行きたいみたいで、すごく気が引けたので、気になりながらも聞けなかったの。 そのことを掃除に来る女子に言ったら、教頭先生に聞いてくれたんだ。 「先生、きよこ先生はスキー教室に行けるんですか?」 って。 そしたら「うーん。きよこ先生には電話番しててもらわなきゃいけないからなあ」 そ、そっすよね。 あきらめつきました。
でもねでもね。校長先生が一回目のスキー教室が終わって、 「きよこ先生、せっかくこの学校に来たんだから、2回目はスキーに行っていいから」 って、言ってくれたんです!わーお。 と、言うわけで、今日はスキーです。 小学校1,2年生のクラスに入れてもらって。 一緒にボーゲンボーゲン。 3年ぶりのスキーに大満足の一日でした。
2003年01月23日(木) |
あなたと私の共有部分 |
「あなたの世界」という、楕円状の領域があって、「私の世界」というものも同様に存在する。 そして、この二つの領域の重なりが大きいほど、お互いをよく知り合っているってことだと思う。 だから、好きな人のことはたくさん知りたい。 そして、できれば自分のことをもっと知って欲しいし、興味を持ってくれたら嬉しいんだ。 逆に、私が知らないあなたの世界で、すごくあなたを楽しませることや夢中にさせることがあると、私はとても不安になる。 少し寂しい気持ちになる。
夜、ふとあの人に電話をした。 「今、月庵にいる」 月庵とは、私が大学時代にバイトをしていたお店。 でも、卒業以来まったく行っていない。 「久しぶりにママに会いたいなあ。 でも、今他の人といるんだよねえ?」 「いいんじゃない?来れば?」 来れば?って行ってくれるのに、行かないでいられるほど私は控えめではないのです。 もちろん、飛んでいきましたさ。
あの人は、職場の先輩2人と飲んでました。 初めて見る、あの人の職場での人間関係。 とっても楽しそう。 一緒にいたずらしたり、スノボに行ったり、こうしてお酒を飲んだり。 彼女もそっちのけになってしまうくらい、今の仕事場が楽しいことは、あの人の言葉の端々から感じられて知っていた。 だから、今晩は、その輪の中に私が入れてもらえたっていうことが、すごく嬉しかった。 あの人との共有部分がまた少し広がって、私はそれだけで幸せな気持ちなのです。
朝からこんこんの雪降りです。 今年の冬は、すっかり雪も見慣れてしまって、いつも、降っていて当たり前ぐらい慣れたものなのですが、松本で、朝から雪が降る、というのはちょっと覚悟が要ります。 夕方、帰ってみると、 「まじかー!!!」 というぐらい、雪が積もっていました。 多分、30センチぐらい。 道の雪はなんとか除雪車が出て、走るのに支障はないのですが、松本ドライバーはそんな雪道にはなれていないと見え、道のあちこちでトラブっていました。
しっかし、一番参ったのは、アパートに帰って、駐車場に車を入れようとしたとき。 駐車場は、ただの雪野原になってしまっていました。 その駐車場を使っているのは私ともう一人いるのですが、その人はまだ帰ってきていなかったんですよね。 30センチの積雪ですから、雪を無視して無理やり停めるということもできなくって、しかたなく、私は雪かきをすることを決心しました。
なにせ山口育ちですから、初めての雪かきです。 いままでも、いくらか積もったのですが、いつも、見て見ぬふり。 雪が積もったことに気づかないふりをして、雪を踏みつけているうちに雪も解けていっていたのです。 やっぱり、しかるべき道具がないと始まらないわけで、車をデパートに走らせました。 そして、戻ってきて、手始めに道路脇から、ざくっとやってみました。 そしたら、意外と、いい!! 「私って、なんか、頼もしいんじゃない?」 みたいな。 「雪かき初心者とは思えませんな」 なんて、いい感じで、ざくざく雪かきできちゃったのです。 あんまり、初めての雪かきが面白くなっちゃったもんだから、自分のところがかき終わっても、まだ、止めたくなくって、お隣さんのぶんもかいてあげることにしました。 無心になって、ひたすらに雪をかくこと1時間半。 しゃきーん、と整備されちゃったもんね。
そして私が感じたこと。 「雪かきに残る美徳」 雪がたくさん降る長野県の人々は、当たり前のことのように思っているのだろうけど、雪が降った朝、早起きして、雪をかく、ということはすごいことだと思う。 それも必ず、自分の敷地内だけでなく、公道まで雪かきする。 誰もがそうする。 これはすごいことだよ。 もちろん、「自分だけ雪かきしないと、ご近所さんの目があるから」ってことがあるんでしょうけど、それでも、こういう、地域のお互い様の協力態勢って、すばらしい美徳だと私は思うの。 お隣近所の人と自分がつながりあって、お互いを気にかけていないとできないことだもの。 地域社会っていう、つながりが雪かきには表れているように私は思いました。 そして、ちょこっと私も雪かきをして、そんな地域のお互い様に入れてもらったような気がしたんです。
私はケチだ。 クッキーとかの型を抜くと、自分がいかにケチかということが、ありありと目に見える。 型で抜いた部分と、となりの型抜き部分のあいだの幅が、限りなく0に近づくように、細心の注意を払ってクッキーの型を抜いていく。 これ、自分では当たり前のことだと思っていたけど、人によっては、型と型のあいだが10cmくらい空いていたりして、ショックを受けたことがある。 (自分のケチ度を知りたかったら、何人かで型抜きクッキーを作るよろし)
特に、私は時間にすごくケチ。
ゆっくり時間をかけて、こつこつと、ってことができない。 ぱっぱかぱー。 だから、私の作ったテストって、ひどい。 誤植だらけ! 「きっと間違ってないだろう」 って、見直さないか、見直してもざっと見るだけで誤植に気づかないんだよねえ。
それから、待ち時間が大嫌い。 バスとか電車に乗る時、発車1分前に滑り込みたい。 10分も前からバス停に立っていると、すごく時間を損した気分になってしまう。 そんなんだから、バスや電車に乗り遅れたこと数しれず。 でも、こんなんじゃあ立派な大人になれないよね、って、自覚はあるんです。 直したいな、って、思ってはいるんだけど…。
特にまずいのは、やっぱり、仕事に関すること。 友達との約束だったら、携帯に電話して、 「ごめんねー!!!」 って、謝り倒せばいいけど、仕事では自分の信用問題になってきます。
ここのところ、私の信用、かなりあやういんです。 今年に入って、(新学期になって)もう、2回も遅刻しちゃった…。 しかも、どちらも30分も。 だって、朝、目が覚めたら、もう学校に出発するべき時間をかなりすぎてたりするんだもん。 いや、一度はしかるべき時間に目が覚めているんだけど、 「まだ眠れる。」 「今起きたら10分いつもより早いから、時間が余ってしまう」 なんて、ケチってぐずぐずしてしまうんですよね。 布団の中でぐずぐずなんてしていたら、二度寝してしまうのは、アルキメデスの時代から決まっていることです。 寝坊してしまった時、もう、覚悟は瞬間に決まるもので、すぐに携帯で学校に電話をします。 「す、すいません。寝坊してしまいました。 30分ぐらい遅れてしまいますが、、本当にすいません。」 こういう時、仮病を使うなんて知恵は私にはまったくないので、ずばっと、正直に言ってしまいます。 でも、「寝坊で遅刻」なんて、こっぱずかしいなあ。もう。 よーし。 これから一ヶ月は「時間にゆとり月間」と名づけて、この時間ケチケチ体質をなんとか改善していこう! もう、遅刻なんて絶対しないぞ!
最近、結婚ラッシュです。 大学を出て、仕事にもなれて、相手がいれば、次なる節目は結婚、となるのも無理からぬことです。 なーんて、まるで他人事の話です。だって、相手がいなきゃどうにもなんないことなんだもん。 花嫁修業の自主練はばっちりなのにな〜。 女友達にはよく「私が男だったら、きよこをお嫁さんに絶対する!」 と言われるけれど、言われるほどになんだか切のうございますことよ。 どれだけ好条件を整えても、まったくなびかないあの人。 そんなに彼女がいいの?
今日はクラブの練習のあと、あの人と一緒にご飯を食べに行きました。 ええ。 私の片想いの君です。 こじゃれたスローフードのお店で、ワインとおいしいものにほくほくです。 その時に、共通の友達の結婚の話が出ました。 男の友達だから、私は結婚式に呼ばれない、と残念がっていたら、 「きよこの結婚式には呼んでくれる?」 って、おもむろに聞いてきた。 ???? 何いってんだろ? って思っちゃった。 だって、結婚式に呼ばれるもなにも、あなたはその時私の隣に座ってるんだから。 でも、そんな私の勝手な妄想を口にするわけにもいかないから 「そうだなあ。友達をたくさん呼べる結婚式にすることができたら、呼ぶよ」 って、お茶を濁した。 「でも、私の結婚式に出たいの?呼んだら来てくれる?」 やられっぱなしでは悔しいので逆襲してやった。 それに対するあの人の答え 「きよこの友達が可愛かったら行く」 おーーーーーーい!!! そういう問題か? まったく。 暖簾に腕押し、糠にくぎ。 天衣無縫とはあの人のためにあるような言葉だと思います。
私のちょっとした自慢。 かなりいいコートを着ている。
寒い松本の冬では、上着がおしゃれの主役になります。 下に何を着ようとも、とりあえず上着がしっかりしていれば、どこを歩いてもおかしくない。 なので、かなりこだわりのコートです。
一枚は、おばあちゃんの家に行ったときに 「こんな物が出てきたよ」 と、もらったコート。 オフホワイトのウールで、クラッシックな襟のついた赤い裏地のコート。 お母さんが若かりし頃着ていたコートです。
お正月にお母さんに会ったときに、 「これ見覚えない?お母さんが着ていたコートだよ」 っていったら、 「ええ!?そういえばどこかで見たことがあるって思ったのよ」って。 お母さん、昔はまあまあきゃしゃだったから、あまり厚着をして着ると、ぴちぴちになっちゃうけど、腕を思いっきり伸ばすとびりっとか、言うけど、でも、とっても評判がいいコート。 「すごく可愛いコートだね」 って、なんどもほめられて鼻高々です。
もう一枚はダッフルコート。 うちの衣装ケースに眠っていたものです。 濃紺で細身で、すごくしっかりした作りのものです。 お父さんが、若い頃、着ていたものだから、もう、25年以上前のものだけど、ポケットの布が破けているくらいで、ぜんぜんくたびれていません。 お父さんが私に残してくれた、たった一つの宝物。 冬になって、このコートを着るたびに、お父さんを思い出します。 そして、お父さんと一緒にいるような気持ちになれるんです。
ずっとずっと見たかった映画『シックスセンス』 そんなに見たければビデオを借りるなりすればいいわけだけど、 「見たい!でも怖い!」 一人で見てしまったら、後悔しそうな気がして、ずーっと見ることができずにいました。
そして、今日は金曜ロードショーでやるという絶好のチャンス。 逃すわけにはいかないなあ、と思っていたら、卓球の友達で映画好きがいて、鍋パーティーをやりつつ、一緒に見よう、なんて、楽し気な催しが持ち上がりました。
どんちゃんやりながら見たら、怖いなんて思うすきないわい。 というわけさ。
そんなこんなで、やっとの思いで見た『シックスセンス』、時には心臓とまるほどびびったり、怖かったりしたけど、一番の感想は、 「少年、かしこいなあ…」 演技がうまいうまいとは聞いてはいたが、こんなにうまいとはしらなんだ。 演技が上手いってことは、それだけ利発で、情緒が豊だってことだよね。 あの風貌で、あの聡明そうなしゃべりっぷり。 すえおそろしゅうございます。
それと、もう一つ。 「ずーっとささやき詰めなのね」 時間が時間だったので、恐怖よりも睡魔が勝ってしまいそうな瞬間が…。
わらしべ長者、という昔話を知っていますか? わら一本しかもっていない男が旅に出ます。 しばらくすると虻を捕まえて、わらに虻を結び付けて歩いていくと、そのわらと、交換をしたい、という人が現れます。 そんなふうに、持っているものと、それより少しいいものの交換を繰り返して、男はやがて長者になりましたとさ。
というお話です。 「私は、わらしべ長者だなあ」って、よく思います。 わらしべ長者、どころか、「もらいもの長者」かもしれない。 なんだか、私って人に物をもらう。 今の学校では、周りのいろんな人が、私に食べ物をくれます。
今日は、朝一番に、給食のおばさんが、わかめごはんのおにぎりをくれました。 「わーい!いただきまーす!」
職員室へ行ったら、おじさんの先生が 「昨日のパチンコの戦利品」 といって、ココアプリッツを一箱くれました。 「わーい!いただきまーす!」
今日の給食はおいしいメロンパンでした。 菓子パンが苦手な先生がメロンパンを残していて、私にくれました。 「わーい!いただきまーす!」
帰りに、教頭先生が 「これ、もらったんだけど、俺は前、食べたことあるから」 って、そば粉で作ったおやきをくれました。 「わーい!いただきまーす!」
私って、そんなにもの欲しそうな顔しているのかなあ…? って、ちょっと悩んでいたら、栄養士の先生が 「たくさん食べてもらえるから、あげがいがあるんだよ。 あげてて楽しくなっちゃうんだよ」 って、言ってくださった。
そうかあ、ありがたいなあ。 私、「ものもらい長者」になってしまわないように、ちゃーんと、お返しをしよう。 食べ物に限らず、どんなことでも、私は周りの人にたくさんのものを与えられて、とっても恵まれているように思います。 私からも与えられた分、いや、それ以上のものをお返しできるように、いつも気をつけていきたいな。
すっかりはまってしまった。 完全にやられている。 すでに自制心なんてこっぱみじんに砕かれて、私は君の意のままに操られている。
君こそわが理想。 私が思い描く、理想の姿そのものだ。 一日に何度だっていい。 何度も欲しくなる。
君はホワイトチョコのキットカット。 その白い容姿、整然と並んだ3つの谷。 さくっとした歯ざわりに濃厚なホワイトチョコの味わい。
もはや虜です。
通勤の行き帰りで、私はふらふらとコンビニに吸い込まれ、気がつくと君をレジに差し出してしまう。 そして、君を口に入れる瞬間の喜び。 一日分の疲れなんて吹き飛んでしまいます。
心の空虚を食欲で充たすのは私の悪い癖だと知りながら、しばらくは君に慰めてもらう日々は続きそうです。
目が覚めた瞬間、健康だった。 「いける!風邪は、はや去りぬ!」 って、感じ。 るんるーん。 久々の健康体は爽快です。 体が軽い。上機嫌です。
どうやら年に一度大きな風邪をひくのが恒例行事になってしまった。 昨シーズンも突然ぱったり風邪でダウンして学校を数日休ませてもらったことがあった。 「学校を休ませてもらうからには、全力で治さねば」、と思って、即座に病院に行った。 38.6度熱が出て、ふらふらだったけど、自分で車を運転して。 ほうほうの態で診察室に辿り着いて、いよいよ診察。 「熱がありますね。 咳は出ますか? たんは絡みますか? 吐き気はありますか?」 「風邪ですね。 薬出しときますから。じゃあ」
ええ〜〜〜〜!!! せいぜい3分ってところだった! そんな診察で、私の病気の何がわかるっていうの!? インフルエンザかもしれないじゃないの〜〜〜!!! 体がまいりまくっていたから、すっごくすっごく腹が立っちゃって、もう全然信用できなくなって、薬も受け取らずに帰った。
どうも、それ以来、医者というものがいまいち信じられなかった。
なので、今回風邪をひいたとき、できれば医者には行きたくなかったんだけど、養護の先生に学校から家に送ってもらった時、途中で病院に連れて行かれてしまった。 その病院はできたばかりの個人病院で、こじんまりとしているんだけど、清潔感があって、明るい感じ。 「熱が高いですね。 どんな症状がありますか? いま、少しずつインフルエンザガはやり出しているんですけど、症状が似ているので、インフルエンザかどうか検査をしたいんですけど、いいですか? 結果がでるのに10分ぐらいかかるので、待っていただくことになりますけど。」
なんかすーごくよかったの。 ちゃーんと説明してもらえたから、安心して任せることがで来たし、すっかり満足しちゃった。 医者に期待すること、少なくとも私にとって、一番大切なことは、私の病気に対する不安を取り除いてくれることなんだよね。
結局、この三連休は風邪に明け暮れてしまった。 今日の試合は棄権してしまったから、今日一日、ずーっとずーっとひたすらに寝てました。 そしたら、夜にはだいぶよくなって、明日には自信を持って、元気復活を宣言して学校に行けそうな気がしてきました。
昔は、風邪をひいても寝込むなんてこと、全然なかったのになあ。 だって、あんまりにも自分が頑丈すぎて、病弱にあこがれてたもん。 風邪ひいても、熱なんて出たことなくって、37℃ぎりぎり出たりしても、一晩寝たらすぐにけろりん。 風邪薬なんてのんだら瞬間で治っちゃって、せっかくの風邪がどこかに行くのが惜しくって薬も飲まなかったし。 どうしちゃったんだろうなあ。
やっぱり、親のもとにいる時は、ちゃんと三食栄養のあるもの食べさせてもらっていたからかなあ。 その貯金がなくなって、免疫力とか弱っている気がするよ。 今回の風邪を治すのに、ほんとわたし必死だったもん。 元気になるために、超がんばってしまった。
今日は難しい決断を迫られました。 この風邪でうすらぼんやりした頭で。
と、いうのも明日は卓球の試合に参加することになっていて、ちょっと遠いので前日(今日)は会場近くの友達の家に泊めてもらうことになっていたのです。 試合に参加するべきか否か。 う〜〜〜。 できることなら参加したいよう。 だけど、今日も相変わらずふとん星人の私。 気力をふりしぼったらなんとか友達の家に辿り着けそうだけど…、だけど、ふつう、ごく常識のある人だったら、きっと、こういう時は「またの機会に」って、あきらめるんだろうなあ。 いつもだったら、多少の無理はしちゃう私だけど、今回は友達の実家にお世話になるから、その迷惑も考えて、珍しく常識的な判断をしました。 「ごめんね。風邪が治らなくって、今回は止めておくよ」 選手歴13年目にして初めてのキケンです。 私、第二シードだったんですって。 第一シードの人は命拾いしたな。ふっ。
昨日はいち日働けたけど、今日はまた、だめです。 やっぱりからだが重くって、鼻水が止まらなくって、頭がボーッとしちゃいます。 ふとんの国に逆戻りです。 幸いなことに、私は体温計というものを持っていないので、熱のほどはさだかではありません。 高熱が出てよくないことは、「38℃だ!」とか、高い体温を目の当たりにしてしまうと、まったくがんばれない気がしてきちゃうことです。 熱が出ても、気づかないようにして、ひたすら風邪の猛威が去るのを待つのでした。
薬も効いて、今朝はすっかり元気な感じ。 車を学校において帰っていたので、近くに住んでいる先生に車に乗せてもらっていきました。 今日は小学校も中学校も学校あげてのスキー教室の日なので、学校には私一人お留守番。 ゆっくりのんびり仕事しました。
だめです。 とてもとてもおきられないです。 まるっきり、ふとんの国の住人になってしまいました。 一日24時間を布団の中で過ごして、そのほとんどを眠って過ごすなんて、頑丈な私には超レアなことです。 体はふとんにずっと横たわっていたけど、ふしぶしがずきずきいたんで、体中で風邪の菌と戦ってるなあ、って感じです。
今日から新学期。 なのに、朝からなんだかボーッとしてました。 でも、今日は校長先生がどうしても今日中に提出したい書類があるって、朝から大忙し。 午後になってようやく書類がそろって、机についたら、二度と立ち上がれなくなってしまった。 うーん。これはやばい感じです。 体中がみしみしして、すっごく悪寒がします。 頭がボーッとして、言葉が出てきません。 「おい、ずいぶん具合悪葬じゃあないの。今日はもう帰りな」 「ありがとうございます…」 とは、いったものの、車を一時間運転して帰るなんてとても無理そう。 困ったなあ。 と思っていたら、養護の先生がちょうど同じ方向だったから、家まで送ってくれるって。 ご厚意に甘えて車に乗りこんだとたん、どっときて、いよいよ動けなくなって、話をするのもつらくなってきてしまって。 途中で病院によって診察してもらって薬をもらい、コンビニで食糧を買いこみ家に辿り着きました。 ばたんきゅー。インフルエンザじゃないとは言っても、熱が38.7℃。日ごろ頑丈そのものの私にとっては、重病です。 年に一度こういう風邪を引いてしまいます。 昔は寝込むようなことなかったのになあ。 弱くなってる。
2003年01月06日(月) |
デビット・ゾペティ『いちげんさん』 |
話題の本!というものに、とびつくのはなんとなくミーハーな気がしてあまのじゃくな私は気が引けるのですが、ほとぼりが冷めた頃、こっそり読んでみることがあります。 『ノルウェイの森』で、国家一種にうかった、あの先輩の言っていたことば 「時代の洗礼を受けた作家しか信用しない」 みたいな。 まあ、そんなかっこいいポリシーではないけれど、少し時間が経って、それでも私の心に手に取りたいという気持ちがまだある本だけ読んでみます。
デビット・ゾペティ『いちげんさん』は1997年の出版。 留学生が京都でであった全盲の京子とのはかない恋。
作品としての興味というより、日本語を外国語として用いて小説を書いた、ということ、そとから見た日本というものに対する興味から気になっていた作品です。 だから、読む側としても「外国人らしさ」みたいな、ものをある種期待して読んでいたんだと思います。 そして、私の思い浮かべる「外国人らしさ」(たとえば、日本の寺社仏閣、歴史的なもの、日本人のなかに根づく謙遜やていねいさ、繊細さみたいなものに対する賞賛)が感じられる箇所は 「いかにもだなあ」 なんて、思いながらもまんざらでもなかったりして。
日本文学を専攻する主人公は何よりも読書が好き。 作中では谷崎潤一郎や田山花袋、樋口一葉なんて、嬉しくなっちゃうようなジャパネスクな作家の作品をさらっと登場させます。 京子は生まれながらの全盲ながらも「目が見えないから」という理由を嫌悪し、はつらつと前向きにものごとにチャレンジしていく。 本を読むことが好きだが点訳されたもので、文学作品はあまりにも少ないため、朗読者を探していて主人公に出会います。 そして、ごく自然にふたりは恋人になります。
と、まあ、なんとも「らしい」感じに、少々がっかりだったんですが、中盤から終盤にかけて、この物語の奥にひそやかに隠された本当のメッセージに気づき、この作品が書かれた本当の理由を知ったように思いました。
「見られる」ということ。 日本に外国人が暮らすということは多くの目に晒されることです。 「日本人は親切だ」とよく言われますが、それも「外国人だから」という特別視がなきにしもあらず。 そうでなくても、あからさまさ差別や偏見が根強く残っている。 それはすべて外国人というフィルターを通して見ているから起こるもの。 主人公は始めいかにも日本的なもの、控えめなものに心とらわれて京都に暮らし出しましたが、最終的には京都が特に強く持つ日本的だからこその「外に対する特別視」に耐えられなくなります。 そして、京子は「見られない」という点で彼にとって救いだったのです。
私も見てしまいます。 内と外を区別してしまいます。 日本的な感覚や感情をすごく大切にしていきたい、と思う一方で、その根底の部分でつながっている差別にもつながるような、外に対する特別視を排除する必要を強く感じます。
年末からの旅を終えて、早朝のマイルームへたどり着いた。 「ずっと慌ただしかったから、新学期までもうしばらく、一人でのんびりするぞ!」 と、思って、鍵を開けてがっかり。 そのちらかりっぷりに。
そうだった…。 結局大掃除が間に合わなくって、ほとんど片づけないままでかけていったんだった。 がっかり…。
と、いうわけで、マイルームでの新年は、大掃除で始まったのでした。 ちゃんちゃん。
3年ぶりに会うりえちゃん。 もともとしっかりした感じだったけど、ますます大人の女性って感じになっていて「おお」って思ってしまった。
卒業してからまったく会っていなかったから、当然なんだけど、お互いにやっぱり変わったんだろうなあ。 会ってすぐは、この距離感を埋めることに気を遣います。 自分の近況を話しながらも、自分のことばかり話し過ぎないように。 相手の話を聞き出しながら、私のことにもからめて。
でも、やっぱり、女同士で心の距離感がぐっと近づくのって、やっぱりなんといっても「恋ばな」なのよねえ。
一番盛り上がったのが、「ちょっと気になり出した人と親しくなるにはどうしたらいいのか?」 りえちゃんはどんどん食事や飲みに誘うんだってー。 そして、つきあいたいかもって思う人にはどんどんはっきり自分から言うんだってー。 ふむふむ。 そうかあ、そうなのかあ。 りえちゃんに言われると、すごく簡単なことに思えてきたぞ。
そして、今までは話さなかったけど、かなり白熱したのが「結婚観」 私とりえちゃんはまったく正反対。 私は、仕事は人生で副次的な位置づけで、メインは「家庭」。これ絶対。 幸せな家庭なくして、幸福な人生なんてありえませんわ。 だから、子どもができたら喜んで仕事は辞めて家事や育児に専念したいの。 でも、りえちゃんは子どもはとりあえずほしいけど、でも、結婚しても子どもができても、自分の一生の仕事として、何かやり遂げたい。 自分の足で立っていたい、っていう気持ちがあるんだって。
あんまりにも逆の価値観だったから、面白いなあ、って思った。
お好み焼きを食べて、ちょっとお酒を飲んで、私は夜を走る急行「ちくま」で、松本への帰路についたのでした。
この冬もう一つの旅へ。 大学時代にゼミで一緒だった友人と会おうということになり、大阪に住んでいる妹と一緒に帰ることになった。 そして、豊橋のいとこに途中まで車に便乗させてもらうことになった。 なんて具合のいい話でしょう。
まさに旅は道連れ。 退屈で単調な道のりも、日ごろあまりあえない同士で、なんだかんだおしゃべりしていたらあっという間だ。
豊橋駅からは青春18切符でひたすらに鈍行列車で大坂を目指します。 とはいえども、交通の便のいい近畿地方。 豊橋で新快速にのったら一気に米原まで。 お正月三が日でも結構混んでいて、私と妹は、とりあえず座ろう、ということで、4人がけボックス席でなんとか2人分あいているところを見つけて滑り込みました。 ほっとして、両手の荷物を荷棚に、えっさほっさとあげておりました。 豊橋駅の待ち時間なんかで、買い物して荷物が増えちゃったから、まごまごしちゃいままして、がさがさやっているうちに、荷物の中から、ぽろ、って買ったばかりのスニーカーが箱ごと、ごろんって飛び出して、 「あっ。やばい?おちる?」 なんて、思う間もなく、 「ごちん!」 荷棚の下に座っていた男性の頭に直撃!
ひええええ〜〜〜。 「すいません。だいじょうぶですか? ほんとうにすいません」 あやまってもあやまっても、恐縮です。 かなり痛そうでした。 それからもう、ずーっと私は小さくなって座ってました。 早く降りてくれないかな…と密かに祈っていたんですが、その人も結局終点まで一緒で、なんともきまずい2時間でした。
夏休みや冬休みに、祖父母のもとへ集まって、親戚やいとこと過ごすこと、私はそれが大好きだった。 何よりも家族であるということを感じられる瞬間だった。
小学生、中学生だった頃は毎年のように会っていたいとこたちも、大きくなって、それぞれの生活ができてあまり集まれなくなっていたけど、今年のお正月は久しぶりの集合となった。
食卓がにぎやかです。 いつものこたつではみんな座りきれないから、テーブルをもう一台追加して、台所では、おばあちゃん、お母さん、おばさんがにぎやかに準備をしています。 いつもならば、私も台所班なのですが、 「あんまりたくさん台所に女が集まるとろくなことがないから」 なんて言い訳して、今回はいとこたちと、ご飯の用意ができるまでごろごろ待っているのです。 お鍋やすき焼き、大人数だからこそ楽しめる料理が並びます。 昔のことを懐かしんで、みんなから思い出話が出てきます。 もう忘れてしまっていたような小さな小さな出来事。 興がのって、昔のビデオの上映会になりました。 今は亡きひいおじいちゃんや、ひいおばあちゃん。 ビデオの中で 「これをとっておけば記念になるから」 っておじいちゃんが言っていた。 本当に、記念になったね…。
そして、ビデオにはお父さんも映っていました。 ビデオの中のお父さんは、優しく微笑んでいました。 控えめにたたずんでいました。 ちょっと泣いちゃいそうでした。
|