2002年12月30日(月) |
橋田寿賀子ドラマみたいな |
なんだか、橋田寿賀子ドラマのような展開になってきましたよ。
と、言うのも、母の実家のほうの跡取り問題、嫁姑問題。 家は江戸時代からのちょっとした旧家で、昔からの田畑、山があります。 今は祖父母がまだ守っているけど、でも、もう80を目前にして、いろいろ考えることもあるらしい。 というのも、後継者の長男は、今、46歳。 中部電力に勤めていて、愛知県に住んでいる。 そして、子どもがいないのです。 その上、お嫁さんとは今、別居状態。 お嫁さんは、実家に帰ってしまっています。 おじいちゃんは、いよいよ叔父夫婦に最後通告をしたそうです。 「この家を絶やすなんてことは絶対にできない。 もう、おまえたちも若くない。子どもは無理だろうから、 養子をもらうことを考えなくてはならない。」 えらいこっちゃ、です。 まったくえらいこっちゃ。
そしてこのことをきっかけに、嫁姑問題も表面化してきました。 もともと同居したことなどなく、晩婚だったので結婚してからまだ10年あまり、不仲も何もないのですが、お嫁さんはいわゆるキャリアウーマン。結婚を機に仕事は辞めましたが、進んだ人で、何でもはっきり主張します。 これまでも、なんだかんだで家に寄りつきませんでした。
お正月を前に、今日、おじいちゃんがお嫁さんに電話をしていました。 「今年の正月は、久しぶりに親族がみんな集まるから、お前にも、ぜひ来てもらいたい。この前話した件についてもちょうどいい機会だから、ちゃんと話しをしたいし。」 「でも、今年は主人が仕事でお正月に帰れませんから、また今度、二人で行きますから」 「でも、まあ、こんな機会もめったにないから、まあ、もしよかったら来てもらいたい」 結局、お嫁さんは現れませんでした。 お嫁さんと、祖父母の家は車で1時間かからないのに…。
稲刈りのときも、手伝いに来てくれなかったんですって。 おじいちゃん、かわいそう。たまに呼ばれるときぐらい、なんとか都合をつけてあげられないのかな…。
2002年12月28日(土) |
それすらも日々の果て |
冬休みになって、少しゆとりができて、あたりを見回してみると、さすがに年の瀬押し迫り、慌ただしいものですね。 往来を行き交う人も車も、いつもより多いような、そして、活気に満ちた感じがします。 私もボーッとしている場合じゃないぞ。 ぜんぜん新年を迎える準備なんてしていないではないですか。
年賀状は、書いているときに訃報が届いて、どうしたらいいものか、宙に浮いてしまいました。 でも、大掃除ぐらいはちゃんとして新年を迎えたいものです。
一年も残すところあと数えるばかり、というこの時期が私は一番好きな季節かもしれません。 一年を振り返り、身の回りをきちんとととのえて、新しく始まる一年を迎える準備をするのです。 それは、とても前向きで希望に満ちたことだと思うのです。
私の思う理想的な新年の迎え方があります。 冬休みが取れて、親族がだんだん集まってきます。 大掃除も少しずつ進めて、大晦日の午後にはすっきりとしています。 お正月のためのお買い物はすごく大量になるから、みんなで行くんです。 そして、いつもより少し早めに夕食が始まります。 大人はもちろんお酒が入るから、ずっと紅白など見ながら飲んでます。 子どもたちは順番にお風呂に入っていき、大人も入り終えた頃、ちょうど大トリの歌う頃合いになってきます。 みんなこたつに足を突っ込んで、年越しそばを食べながら行く年来る年の除夜の鐘を聞くのです。 「3.2.1、明けましておめでとうございます!」 そして、寒くないようにたくさん着込んで、何台もの車を連ねて初詣に行きます。
今年のお年越しは、そんな理想的なお年越しになりそうです。 母も、妹も、おじいちゃんのところでお正月を迎えます。 おじさん、おばさん一家もやってくるみたいです。 こんなにぎやかなお年越しは数年ぶりだから、おじいちゃんたちも、きっと喜んでいるだろうなあ。 楽しみです。 私は明日の夕方行きます。 今年の日記の更新は今日で最後になります。 来年もたくさんの楽しい、すばらしい出来事をこの日記に書いていくことができますように。
朝一番に温泉に入る幸せってば…。 は〜極楽です。 青空の下で雪景色を見ながら、ゆっくり露天風呂に入りました。
しかし、今日は出勤日。 温泉から学校に直行です。
もう冬休みに入っているから、年休を取った先生も多くて、学校はがらんとしています。 いつもより静かだから仕事が進みそうなものですが、かえって気が緩んでなかなかはかどらないものですね。
と、思っていたら、4年生が2人やってきました。 おべんと持参で、学校にピクニックです。 担任の先生が日直だから、宿題を見てもらったり、遊んだり。 私もどうせはかどらないから、ってちょこちょこ覗いては、見ていたら、お昼に誘ってもらっちゃった。 みんなでおべんと広げて、楽しいねー。
そして、夕方、勉強に飽きたころ、先生がスノーモービルに乗せてくれました。 「私もー!!」って叫んで、大人げなく入れてもらちゃった。
校庭をぐわーって走ると、けっこうスピードがでて、冷たい風が頬に突き刺さってきました。 私と子供で「きゃー!きゃー!うわー!ひえー!」っておおさわぎ。 ジャンプしたとき私と前にのっている子の頭がゴチン! 「あいた!」 「面白いねー」
今日は終業式。 事務室でいつものように仕事をしていても、なんだか少し慌ただしい一日でした。 それにつられて、なんだかそわそわ。仕事が手につかないや。
給食を食べて、子どもたちは帰って、さあ、大人の時間です。 今日の忘年会に向けて、小学校の先生たちは出しものの小道具を作ったり、細かい打ち合わせをしたり、なんだかわくわくしてきました。 私、こういうのってとても好きです。みんなで協力して、ばかばかしいことをやって、人を喜ばせるの。
帰りの心配があると、飲めなかったりして楽しくないんだけど、幸い、今回は温泉旅館での忘年会。 飲んでも後は寝るだけだから、こころおきなく飲むぞー!って。 さしつさされつ、お酒が入ると口も滑らかに、いつも言えないざっくばらんな話ができて、とっても楽しかったです。 そして、裏職員室事情も見え隠れ。 「妻や子供がいるからって、そういう気持ちってしょうがないじゃん。いいじゃん。電話してきてよ。いや、授業の話とかじゃなくってさ」 って、言う先生。 そんなこと言うなら、今度、提出物が遅いときには、はっきり「すごく困るんですけど」って言ってやるぞ。 そして、その隣では、関心をひこうと一生懸命媚びを売る先生。 そんな暴走を見て見ぬふりの先生たち。 ふーむ。先生も人の子、というか、サラリーマン先生、というか。 でも、愛すべき人間味、という感じの先生はいいんです。 一人、ちょっと、堪忍袋の緒が切れそうになった先生がいました。 小学校の女の先生で、3人部屋で一緒だったのですが、もうこりごりです。 自分の自慢話は盛大だけど、人の話しはすぐ打ち切る。 自分に甘く、人にはあれこれ指図する。 男に媚びを売る。 時間を守らず、その上文句は一人前。
そりゃあ私は下っ端ですが、こんな人におべっか言ってつき合うほど、人間できてませんの。
山口県育ちの私にとって、「ホワイトクリスマス」なんて、映画とかドラマの中だけのものだって思っていたけど、今年は当たり前に雪のクリスマス。
今朝はまいった。 学校に近づくにつれ、どんどん雪が深くなっていくんですもん。 車でスキーしているような感じ、しかもアイスバーン、みたいな。
学校についたら職員、児童、生徒、総出で雪かいてました。
夜、家庭教師をしていた女の子の家がクリスマスの夕食に私を誘ってくれました。 仕事で一家で4年ほどオランダに行っていたおうちで、若いけどすごく明るくてしっかりもののお母さんが、西洋風のクリスマスを演出してくれました。
ありがたや。 恵まれない私のもとにもクリスマスのぬくもりが…。
昨日がお通夜で今日は12時から葬儀。 今日は遠くから親戚が続々と駆けつけてきた。 おじいちゃんと、このたび亡くなったおばあちゃんの兄弟は全部で5人兄弟。 夏祭や、お花見にはみんな集まって、それはそれはにぎやかに笑って、しゃべって、本当に仲の良い兄弟です。
この前の春、 「突然死んで葬式なんていったら、葬式をするほうも、葬式に行くほうも大変だから、これから一年に一人ずつ生前葬をしていこう」 なんて冗談が出て、大いに笑ったところだったのに、おばあちゃん、亡くなってしまった。 私なんかよりも、ずっと長く深いつきあいの、おじいちゃんたちは、いったいどれほど悲しい思いをしているだろうか。
悲しいという気持ちは、とても疲れる。 死に直面して、思い出があふれて悲しみが押し寄せると心の中が空っぽになってしまう。 そして、思い出したように涙があふれてきたり…。 たまらない。
そして、セレモニーは無情に遂行されていきました。 どれだけ美しく、ていねいな言葉を並べ立てられても、そこにあるのは無味乾燥な、体裁だけで、空虚です。 誰しも、そんなセレモニーをするよりも、一人でおばあちゃんとの思い出に浸りたい、と思っているはずなのに。
いつもだったら、久しぶりの再会を喜び、楽しく近況を伝え合うメンバーだけど、今回はにぎやかにする気持ちにはとてもなれない。 残された4人の兄弟も、同じように年を取ってきているから、もしかしたら、おばあちゃんの死に、自分の行く末を思っているのかもしれない。
今度集まるときは、ひたすらに楽しい話題で盛り上がれる、おめでたい席であって欲しい。 たとえば誰かの結婚式。 私は結婚する姿をおじいちゃんやおばあちゃんに見せることができるのかなあ? ひ孫がを抱かせてあげることができるかなあ?
せめて夢でも会いに来てくれないかな…。 会って、最後のお別れをしたいよ。 おばあちゃん。
でも、昨夜も夢に来てくれなかった。
お父さんが死んじゃった時は、夢で会いに来てくれたって、私は信じてる。
大学4年の6月4日は教育実習の真っ只中だった。 日曜日の夜、翌日の自分の授業の指導案を作っていた。 作り終えて、時計を見たら午前4時だった。 目覚し時計をいつもより少し遅く6時40分にかけて、すぐにベッドに入った。 そして、はっと気づいたら、翌朝の8時ちょうどだった。 目覚し時計にもまったく気づかず、寝過ごしてしまった。 いくら疲れていたとはいえ、私は貧乏性で目覚ましに気づかないことなどこれまでなかったのに。 始業は8時10分。 遅刻してしまった。 そして、10時30分。父が亡くなったと兄からの電話。 教育実習は直ちに中断、冷たくなってしまった父のもとへ飛んで行ったのでした。
父の死亡時刻は午前4時20分。 私がちょうど眠りに就いた頃です。 だから、私は思うのです。 きっと、父は私のところへさよならを言いに来てくれたんだ、って。 私は夢の中でお父さんに会っていたんだ、って。 まったくその夜見た夢は覚えていないけれど、それは私が忘れてしまっただけなのです。
11:00pm おばあちゃんからの電話。 昨日電話で冬休みにいくことを話したばかりなのに、一体どうしたのかな? 「今日、松本に行ったんだよ。 松本のおばあちゃんが死んだんだよ」 何の事を言っているのかわからなかった。 松本のおばあちゃん…。 私のおじいちゃんのお姉さん。 あの元気が良くって、たくさん話をしてくれて、私のことをとても可愛がってくれた、松本のおばあちゃん。 死んじゃった…。
まただ。 またこの後悔だ。 私のおろかさ。 またこの後悔を繰り返してしまった。 お父さんが死んでしまった時、二度と繰り返すまいと決めた、この後悔。 「なんでもっと会いに行かなかったんだろう。 なんでもっと話をしなかったんだろう。 なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう。」
夏を過ぎて、一度だけ、会いに行った。 もともとリウマチで足が不自由だったけど、それ以外はまったく元気そのものだったのに、最近ものが食べられなくなった。って言っていた。 唯一の楽しみの温泉通いも、行けないって言っていた。
ある静かな夜更け、救急車のサイレが遠くから近くへ這うように鳴り響くのを聞いた時、おばあちゃんに何かあったのかも、といういやな胸騒ぎがして眠れなかった。
私の中に予感はあったのに、毎日の自分のことに夢中になって、おばあちゃんのことを「そのうちに…」って後回しにしていた。 愚かな私。
死という何よりも絶対的な別れに直面するまで私は自分の愚かさに気づかない。
今年はクリスマスがとてもとても気になる。 イルミネーションが目につき、クリスマスディナーの広告が目につき、私をかりたててやまない。
クリスマスなんて私、どうでもよかったのにな…。
理由は自分がよーく知っている。 あの人が彼女と楽しくクリスマスを過ごしていることを想像するのがつらいんです。 私も何か楽しく過ごして、そのつらい想像をどこかに吹き飛ばしたいんです。 だから、24日のイブはどうでもいい。 あの人も彼女も仕事の関係上、きっと、この連休にクリスマスをするはずだから、この3連休をなんとかしたいのです。
先月ぐらいから、いろいろ企てみたのですが、どうも私の友達はみんな彼氏がいて、一緒にクリスマスしてくれない。 かといって、男の人を誘うのは、意味ありげで気が引ける。 どこか小旅行…一人旅はなお寂しいだろうなあ。 いっそ仕事をするとか…。 休むよりも仕事をしていたほうがいい、なんて気持ちはじめてだよ。
とにかく、ね、考えないことだよ。 深刻に考えたり想像したり、そういうの、マイナスでこそあれ、プラスには絶対ならないから、ね。
2002年12月20日(金) |
てっぺんから見える光景 |
一芸に秀でる、ということはすばらしいことだと思う。 その姿勢には必ず常人とは違う、尊敬に値する何かがあるから。
とくに、スポーツの世界は、優劣がはっきりしていて、秀でることが難しい、シビアな世界だ。 私は卓球をしているが、そのシビアさを思うとため息が出てしまう。 大体どんな大会も、トーナメント方式。 負けたら、ハイそれまでよ。 勝てば官軍負ければ賊軍。 しかし、おごれるものも久しからず。 その試合で、最後まで負けないのは、たった一人。それ以外の人は必ず負けるのです。 そして、上には上がいるのです。 地区レベルの大会で優勝しても、次には県レベルの大会が。さらには全国が。世界が。 そして、世代間の戦いが。
私なんかは地区レベルであっぷあっぷ。 見上げるはるかかなたに君臨している選手を、ただ羨望のまなざしで見つめるばかりです。 卓球という峰の頂上から眺める景色は一体どんなものなのでしょう?
知り合いの息子さんで、県の中学生一位の男の子がいます。 ただいま3年生。 推薦で仙台育英高校を受験することになり、その論文を添削して欲しい、とたのまれました。 仙台育英といえば、高校卓球界でも全国クラスの学校です。
全国のレベルで、勝ち抜いていくことは、これまでに勝ち上がってきたよりも、ずっと大きな困難を伴うことだろうと思います。 そこで戦う相手も、同じように中学生ナンバー1でやってきた選手でしょうから。 これらにすべて勝ち抜いていくことができるのは天賦の才があることはもちろん、人並みはずれた精神力、そして、哲学とでもいうものが必要でしょう。 今は幼さと素朴さの残るそのまなざしに、これからどんな戦いを映して、どんな成長をとげていくことでしょう。
県レベルにあき足らず、全国レベルに挑んでいくその子を見て、うらやましいような、まぶしいような気持ちがしました。
2002年12月18日(水) |
かわいげコーティング |
忘年会の出し物で、小学校の先生が「白雪姫」のパロディーをするんですって。 男の先生が白雪姫。 魔女が毒りんごを食べさせて眠らせてしまうところまでは原作どおり。 王子様がやってきて、白雪姫を目覚めさせようとキスをしようとしたところに私がお姫様に扮して登場。 7人の小人は「こっちのお姫様のほうがいいや!」 ちゃんちゃん。
ひええ〜。 なんだか、おいしいとこどりの役をもらってしまった。 そんなおんなの子らしい、華やかな役なんてとんと縁がないから、恥ずかしいよう。
こんな役が回ってきたのも、事務という仕事柄なのかしら? 事務の仕事をやるうえで、「かわいげ」ということがとても重要視されているような気がします。
事務の仕事の多くは先生方の給料や、人事などの手続きの代行業なのですが、書類に印鑑をもらったり、いろんなお願い事をするときに「かわいげ」が要求されている感じがするのです。
「すいませ〜ん。おねがいしますね!」 っていう「かわいげ」でコーティングすることでやっかいなお願いも円滑にすることができます。 今の校長先生からは特に「かわいげ」を求められているように思います。 校長先生よりよく知っていたり、校長先生に意見したり、そういうことがあると、ちょっとご機嫌斜め。 ちょとした失敗や不器用さがあると喜ばれる。
教師だと、「かわいげ」なんてたいして重要じゃなかったんだけどなあ。 事務室は学校の表玄関っていうこともあるし、しょうがないのかな。と思いつつ、「かわいげ」のデコレーションつきで仕事をする今日このごろです。
じゃあ、「かわいげ」の出すのが難しい、おじさんの事務職員はどうするのか? 「ニヒリスト」になるのです。 職員室、教員を世間知らずと馬鹿にし、ビジネスライクに事務処理に徹するみたいです。
だから、各校の事務職員が集まっての飲み会はとても変な感じ。 ひたすらに「かわいげ」を振りまく女の事務の先生。 ひたすらに女の事務の先生をホステス扱いして学校の悪口を言う男の事務の先生。
社会勉強になるなあ。
2002年12月17日(火) |
Teacher Runs |
「師走は先生が走る、という意味です。 いつもはドン!とかまえて悠々とした先生ですら、慌ただしく走り出す月だから、こういう異名がついたんですよ」 なんて、オーソドックスな話が頭に浮かんできます。
確かに、先生は走る時期です。 通知票に、保護者懇談などなど、大忙し。 別に先生じゃなくても走っているのかもしれないけれど、確かに去年までの、教師の12月は忙しかった。 それに比べると、今年の事務の12月はあっけないほどいつもどおりの毎日で師走であることも気づかないほどでした。 もう師走も半ばを過ぎました。 もう一年が終わっていきます。 早いなあ。
今年もいろいろなことがありました。 いろいろ加減では、いまだかつてないほど充実していました。 おかげですごく勉強になったし、以前より少し大人になった気がします。 穏やかに暮れていくこの一年を振り返り、来年がまたすばらしいものであるように願わずにはいられません。 誰の上にも幸せがふりそそぐような一年になりますように…。
「私の居場所って感じがする」 ミッキーが言った。 私もまったく同感です。
この週末は本当に楽しく過ごしました。 土曜の夜は大学の卓球部の追い出しコンパ。 大学を卒業してもう3年もたつのに、図々しくも当たり前のように参加しちゃうのです。 追い出しコンパでは新入生が出し物をすることになっていて、女装をしたり、化粧をしたり、と、いつもはまじめな人も、新しい自分を発見しちゃったりするコンパです。 今年追い出されるのは、私が4年のときの新入生です。 追い出されるときに女装をして馬鹿やっていた人たちが、もう卒業するなんて、感慨深いなあ。 たくさんお酒を酌み交わしました。
3次会のカラオケまでいきまして、部屋に戻ったのはもう3時。 ミッキー、ユカコちゃん、アヤっぺ(OG連合)の3人が我が家でご宿泊で、みんなで川の字プラス1で寝ました。 日曜日は市の卓球大会。 大学卓球部の後輩、地元のチームでの知り合い、指導したことのある中学生、みーんな大集合で、和気あいあい。 その試合会場での、冒頭のミッキーの言葉です。
「私の居場所って感じがする。 明日から仕事かあ。戻りたくないなあ」
自分が一番のびのびと“らしく”いられる、私にとってもそれは大学のサークル仲間と一緒にいる時です。 だからミッキーの気持ちすごくわかります。 久しぶりに仲間と会って、卓球して、おしゃべりして、こんな楽しい時間が永遠に続けばいいなあ、って思うけれど、みんなそれぞれの生活があって、そこに戻っていかなければならないのです。 でも、たまにだから、すごく楽しいっていうこともあるよね。 つぎに集まるのはいつになるかな? それまでお互いにがんばろうね!
2002年12月14日(土) |
セールスマン撃退必勝法 |
一人でうちにいるときに、ピンポーンって、ろくなことがない。 だいたい、すぐに出られることのほうが珍しい。 たいてい、ジャージ崩れのどうしようもない格好しているとか、眠っていてパジャマだとか、もしくはお風呂に入っているとか。 どうせーっちゅうねん。
宅配便のときとか、「ちょっと待っててくださーい」とか言ってマッハで着替えて出たりもするけど、会いたくない人が押しかけてくることも結構ある。
某国栄放送局の人とか、なんだかわかんない水質調査の人とか…。 某国営放送のほうはもう、うちにこられるの嫌だから、口座振り替えの手続きをしたというのに、さらに何度も訪ねてきて、超おかんむり。 隣の人が「無理です」とか、わけのわかんない断り方したら、「そうですか」ってすぐに引き下がったのに、私には執拗に粘ってくる。 「もう口座振り替えの手続きしたんですけど」 「え、そうですか、おかしいな。今調べるので待ってください…あ、もしかしたら、はんこがいるかもしれないな」 絶対、ぬれぎぬだと私は確信しています。 いちゃもんだ!えこひいきだ!
今日、ヨウちゃんから聞いた話。 ヨウちゃん、ミシンが欲しくって、チラシで見て注文の電話をしたんだって。 そしたら、なんだか、家にまで押しかけてきて、もっと高いほうを売りつけられそうになったんだって。 そこでヨウちゃんこう言いました。
「パパからね、一万円しかもらってないの。 お金たくさんつかったら、ぶたれるの」
頭の弱そうな専業主婦を演じたら、セールスマン、とっとと退散していったって。 痛快哉! 私も今度機会があったらぜひやってみたいなあ。
ごく寒だった私の部屋に、ついに、ついに、文明の光が…。
暖房器の導入です。
2ヶ月間悩みに悩んだ結論は、オイルヒーターでした。 石油ファンヒーターは最初からアウトオブサイト。 だって、目が乾いてつらいんだもん。
好きなのは、石油ストーブ。 あの匂いって、いかにも冬!って感じで、たまらなくノスタルジック。 でも、灯油をガソリンスタンドまで買いにいかなきゃいけないんだよなあ。 (ガソリンスタンドまで、歩いて10mだけどさ) それに、以前つかっていた時、結露しまくって大変だったり…。
最近はやりの、ハロゲンヒーター、点灯2秒で暖かい、なんて、せっかちな私にぴったり! ただ、あの形はいただけない。 扇風機みたいなの。 ただでさえ、扇風機が押し入れのスペースをとっておかんむりだというのに、それが増えるかと思うと。ムムム。
縦長サイズを検討してみるも、うたい文句が 「脱衣所やトイレもこれであたたか!」 そんな狭いところようなの?
もう、悩んじゃって、悩んじゃって、きまらないっつーの。 私の決断力の無さがうかがわれる。
最後に私がオイルヒーターで決断した理由…見た目です。 ええーーー! 今までのはなんだったの? ぐらいのあっけなさで。 だって冬の間の部屋の主役なんだもん。 オシャレなほうがいいじゃーん。
トーマス社というドイツの会社のもので、ふつうのオイルヒーターの高さが半分ぐらいで、オイルヒーターの上に天板が乗っていて、上にものを置くこともできるタイプです。 雑誌でちらっと見かけていて、いいなと思っていたのが、オークションで出ていたんです。 6,7年前のものだというけど、7500円で落札できちゃった。 そして、今日、初運転ですが、想像以上に、よい!
暖まるにはちょっと時間がかかるんだけど、タイマーがあるから、朝、起きる時間に暖かくなっているように設定しておいたら、すごくさわやかに布団からでられました。 「今日は、いい天気だなあ」 っていう、すごく自然なあたたかさなんです。 ほくほく。
今日の帰り道、久しぶりにカーステレオにミスチルを流してみた。 大好きなミスチルだけど、しばらくの間ひそかに自分の中でミスチルを避けていた。 それは、ミスチルの曲はあの人との思い出とともにあるから。
大学に入学した年の夏、私とあの人は寮の一部屋にたむろして遊んでいた。 そして、そこにはいつもアルバム『深海』が流れていた。
大学2年になり、寮の新入生歓迎コンパでは、『everything(it’s you)』を熱唱した。
卒業間際、久しぶりに私があの人の部屋に訪ねていったとき、あの人が口ずさんだのは『口笛』だった。
友達が『LOVE』をカラオケで歌うのを聞いて、「私とあの人の関係そのまんまだ!」って思ったら、あの人も同じことを感じていた。
ホワイトデーのお返しに、ミスチルのカップリング曲を集めたテープをくれた。
ミスチルを聞くとどうしても、そういうこと思い出しちゃうし、自分を重ね合わさずに聞くことができなくっって、しかも、それでどんどん悪い想像を働かせちゃうから、始末が悪かった。
でも、今日は、ふつうに聞くことができた。 私、少しずつ、元気を取り戻してきているぞ。
4月から6月まで、私は療養のため休職していたY先生に代わって山の小さな学校で国語を教えていた。 そして、約束どおり、Y先生はもどっていらしたので、晴れて私はお役御免になったのでした。
Y先生と私は意外と縁がある。 まあ、国語科ということはさて置いて、Y先生も卓球選手で、卓球部の顧問だったんです。 前任校では、団体で県大会優勝するほどのチームをそだてました。 その、前任校時代、私は大学生だったのですが、どうやらY先生に会っていたみたいです。 中学生の県選抜強化合宿があって、コーチというか、練習相手として私とか大学生が呼ばれていったときに、Y先生は顧問としていたそうです。 今、私が属しているチームに来ているほかの中学校の先生が実はY先生と大学が一緒で、卓球部で一緒にやっていた、なんてことが明らかになったり…。 「縁がありますよねえ」 しみじみ。
今日、学校が終わって、携帯を見たら、山の小さな学校の校長先生から着信が残っていた。 「おひさしぶりです。お元気ですか?」 「おー元気さ。そっちはうまくやってるの? …ところで…」 Y先生の病気が再発した、という電話だった。 11月の終わりごろからどうも調子が悪いようで…。 Y先生の病気は心身症とか、うつとかいわれるような、心の病気です。
Y先生、復帰されて、すごく前向きに学校生活に取り組んでらっしゃったのに…。 心配です。 なによりも、Y先生が学校へ戻る勇気をなくしてしまうのではないかということが気がかりです。
教師という仕事は臨床的な要素の強い職業です。 人間対人間のぶつかりあいが限りなくおこるところが学校です。 だから、ある面ではすこし鈍感で、しぶといところがないとやっていけないのかもしれません。 (もちろん子供の抱える問題に対しては繊細でなければならないですが)
もう部外者となってしまった私は、ただ、遠くから、Y先生の回復を願うばかりです。
2002年12月03日(火) |
「寒いね」といえば「寒いね」と答える人のいる温かさ |
寒がりで根性無しな私は、冬が苦手だ。 冬の気配にびびってしまって、すぐに家にこもって冬眠したくなってしまう。
でも、冬はやっぱり寒いほうがいいなあ。と思う。 冬は冬らしく。 寒く厳しくあって欲しい。 だって、寒ければ寒いほど、冬は厳しいほどに、小さな幸せが心に染みて嬉しくなるから。 今日のタイトルにした短歌は、俵万智の作品で、私の思う冬の良さがとてもよく出ているのでお気に入りなんです。 (うろ覚えなので、もしかしたら、違っているかも…)
「お寒いですねー」 「本当に。今年は冬が来るのが1ヶ月早いですね。」 なんていう、通りすがりのちょっとした会話、10分後にはそんな言葉を交わしたことも忘れてしまうような、本当に何気ないあいさつみたいな会話だけど、このちょっとした言葉を交わすことで、そこにはほんわかした空気が生まれるんですよね。
北風に吹かれて、手足の先の感覚がなくなるほど冷え切って家に帰ってあたるこたつのぬくもり。 そして、「さむかったでしょう」という言葉と一緒にさしだされる熱いお茶。 幸せというものが自分の周りにたくさん存在しているのに普段気づかずにいることに気づかされます。
厳しい冬があるからこそ、春を迎えた喜びを強く感じることができるのです。 これは人生においてもおんなじですよね。 楽しいばかり、いいことばかりの人生なんて、実は本当の幸せではないと思います。 挫折、苦悩、葛藤、苦労。 わざわざ苦しむ必要はないけれど、さまざまな苦しみを乗り越えてこそ、他人の痛みや悲しみを自分のことのように感じることができるようになるように思います。
2002年12月02日(月) |
『スプートニクの恋人』〜意外とハッピーエンド〜 |
読了しました。村上春樹の『スプートニクの恋人』。前に引用したような状態だったから、もう、だめかと思ったんだけど、最後の最後であっけなく、帳尻あわせみたいなハッピーエンドでした。
でも、いいの。なんだって。 恋愛小説はハッピーエンドのほうがいいもん。 純文学ほどシリアスエンディングを好む傾向があるみたいだけど、そんなのくそくらえだわ。
それに、村上春樹の作品って、ストーリーってどうでもいい。 あらすじも、結末も、たいして重要じゃない。 私は読んでいて、物語が転がり出すと、「つまんないな」って思った。 それよりも、人物の心理描写とか、その人との関係を物語るエピソードとかがさいこーにいかしている。
作品を読みながら、村上春樹自身の思想なりなんなりを垣間見ることが、村上作品を読む上で一番楽しいことであるような気がする。
今日はお買い物。 ユカコちゃんが先輩の結婚式の二次会にいく服を買いにいくと言うのでついていきました。
お買い物って、楽しいわよねえ。 物欲・食欲を充たすことって、だ−い好き。
だけど、私は衝動買いというものができない人です。 見た瞬間に即決! なんて、夢のまた夢。 私の買い物って、とにかく時間がかかる。 その日、靴を買おう、とか思っても、一件じゃ絶対決められない。 4件も5件もありったけのお店を巡って、価格、デザイン、品質など、徹底的に吟味。 気に入ったものがあっても、それと同じ物が他の店ではもっと安く売っていないかが気になってしまう。 そして、それでも買えないことのほうが多かったりする…。 一日目は下見なのです。 一応候補を挙げておいて、一週間ぐらい猶予期間を置く。 その間私の「欲しい気持ち」が熟成するのをじっくり待つのです。 一週間たっても、欲しい気持ちが変わらないならば、それでようやく買いにいきます。 一週間後、忘れてしまうようならば、それはもう買わなくてもいいもの、というわけなの。
最近、そんなことを繰り返しているのが、暖房器具。 ストーブタイプにするか、オイルヒーターにするか…どこで買うか…。 秋からずっと悩んでいるうちに、雪が降る頃になっちゃったじゃないか〜。 いまだに、暖房一つない部屋で凍えています。
話をもとにもどしましょう。 ユカコちゃんの買い物のおつきあい、ということなのですが、他の人の買い物に付き合うのって楽しい。 とくに、ぽんぽん買っていくのを見るのは、楽しい。 自分ではなかなかできないことなんだもん。
今日買ったのは、ベルベット地のこげ茶のワンピースアンサンブルなのですが、やはり、パーティーにいくからには、小物もそれらしく決めなくては…。 と、いうことで、フォーマルに合うようなコートとか、アクセサリーとかを私の持っているものから貸してあげました。 いつもカジュアルなユカコちゃんなので、出来上がってみると「おおー!ゴージャス」って感じでした。 お化粧とか、おしゃれとかって楽しいねえ。 なんちゅーか、おんなの喜び、よね。
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