2006年10月25日(水) |
ミーナの行進 小川洋子 |
小川洋子 中央公論新社 2006
STORY: 事情により1年だけ芦屋のいとこの家に預けられることになった朋子。豪邸やその家の習慣などに驚きつつ、いとこのミーナとともに貴重な時間を過ごす。
感想(ネタバレあり): 読売新聞に2005年に連載されていた小説。すでに新聞で読んでいたのだが、本になったものもまとめて読みたいと思い、読んでみた。どうやら加筆修正などはない模様。
この話は1972年が主な舞台となっている。この頃のことを覚えている人が読んだらきっと懐かしさを感じるであろう。当時の時代の状況などがよくわかってくる。
ちなみに私はこの当時1歳くらいだったから、覚えているわけもない。
この年は、山陽新幹線が開通、ドイツミュンヘンオリンピックで日本バレーボール男子が金メダル獲得、ジャコビニ流星雨・・・などがあった年。ミュンヘンオリンピックでは、映画『ミュンヘン』で見たようなイスラエル選手団が人質にとられ殺害されるという事件も起きている。
いとこのミーナは体が弱く、いつもコビトカバのポチ子に乗って学校に通う。喘息の発作が起き、入院することもしばしば。マッチ箱を集め、お話を作るのが好きな少女である。この子には何か不思議な魅力がある。
ミーナのお兄さんはスイスに留学中。おばあさんはドイツ人で、お母さんが朋子のお母さんと兄弟なのである。お父さんは滅多に家にいず、別に帰る家がもうひとつある。
よく考えてみると、ミーナがなぜ病気がちなのか・・・というのは、このお父さんのせいもあるのかもしれない。不在がちのお父さんは発作のときにも家にいないことが多い。それから、ポチ子に乗って学校に行き、自分の足で歩くことをしていない。これが体を鍛えることにつながらなかったのかもしれない。
その証拠かわからないが、朋子がおじさん(=ミーナのお父さん)に対して行動を起こしてから、お父さんはもうひとつの家に行くことがなくなり、またポチ子が死に、ミーナが自分で歩くようになってから、ミーナはものすごく変わってしまう。
その変わった部分は、現在の手紙だけでわかるのであるが、多分、ミーナが自分の足で行進し始めたときから、変わったんだろうなぁと思った。
この話は朋子とミーナの成長の記録でもあるのだけれど、朋子の目から見た、大金持ちの芦屋の豪邸での素晴らしく魅力的な体験に、最初はとてもワクワクし、お金持ちってこんななのかな・・・なんていう想像が掻き立てられてしまう。そういう不思議な上流階級(?)の暮らしぶりにひきつけられると、段々この本の世界に入り込んでいる・・・というわけ。
2人の少女の淡い恋や、家に住んでいる人々の様子などもとてもよく描かれていて、多分子供から大人まで、楽しめる本ではないかなーと思う。
2006年10月18日(水) |
トニー流幸せを栽培する方法 トニー・ラズロ著 |
トニー・ラズロ著 小栗左多里絵 ソフトバンククリエイティブ 2005
あのトニーが書いたちょっと人生訓めいたもの。
絵は小栗左多里さん。文章が主流ではあるが、短いのであっという間に読める。
トニー度チェックがところどころにあってちょっと面白い。けれど、私のトニー度は超低目。トニーとは生き方が違うようである・・・。
2006年10月15日(日) |
ドリームバスター3 宮部みゆき |
宮部みゆき 徳間書店 2006
STORY: 赤いドレスの女:地球で村野理恵子は特殊な能力に目覚め・・・。 モズミの決算:地球で幼児虐待を受けているタカシの中に住み着いたモズミはタカシを助けるために・・・。 時間鉱山:シェンは時間鉱山に残った友人マッキーを探しに出かけるが・・・。
感想: 『ドリームバスター』『ドリームバスター2』の続編。
前に読んだのはなんと2003年。待望の第3巻だけれど、「時間鉱山」はPart1 で、実はまだ続いている。続きが気になるけれど、次はいつ出るんだろう。
今回は、以前地球で助けた村野理恵子についての続編があった。最後にネットで同じ体験をした竹内道子と知り合う。このくだりなど、なかなか面白かった。
テーラのシェンのもとには、新しい登場人物カーリンが現れる。田舎者のカーリンをシェンはあまり快く思わないが、段々ペースに飲まれていくような。
ただ間があけばあくほど、前の話を思い出せなくて、村野理恵子の話についても、そういえばそんな話があったかな・・・というくらいになってしまっていて・・・。「時間鉱山」の続編も早く読みたい・・・。
『ゲド戦記』 ネタバレあり
宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』を見に行った。
前評判が悪いというか、色々聞いていたので、ひどいものを想像していったからか、そこまで悪くはないな・・・というのが第一の感想。でも、小さな子供向けではないことは明らかで、見に来ていた子供は途中で飽きたのか、怖くなったのか、泣き声も聞こえたし、どうも帰りたがっているようだった。子供に見せようと思っている人は要注意かも。少なくとも小学校高学年までは見せない方がいいかも・・・。
もともと原作の方は好きで外伝を除き全部読んでいるし、ル・グウィンのその他の作品も数冊読んだことがある。ただ人から色々聞いて、これは原作とは別物と思って見た方がいいな、と思い、そのように見たら、そこまで違和感はなかった。けれど、そうなるとタイトルに偽りありということになってしまう。
『ゲド戦記』というタイトルをつけたからには、今までの多くのファンにも見に来てほしいというか、そのファン層を動員しようというのがあったのだと思う。『ゲド〜』はファンも多いし、『指輪物語』とかと並んで世界のファンタジーの代表作のようなものだ。その『ゲド戦記』をタイトルにするからには、『ロード・オブ・ザ・リング』のように原作に忠実にするのが一番ファンを納得させることができるやり方だと思うのだが・・・。
今回の場合は、インスパイアされたとか、世界観だけをもらったという風にして、タイトルを『ゲド戦記』ではなく、別のもっと関係のないものにすればよかったのにと思う。ただし、そうなったらここまで観客が入ったかどうかはわからない。
また原作ファンとしては、やはりどうせ映画化するなら第1巻の『影との戦い』から順繰りにやってほしいと思うと思うのだが、この話は第3巻『さいはての島へ』を原作にしているようだ。3巻ではすでにゲド(ハイタカ)は大賢人になっている。アレンがゲドの旅についていき、ゲドが自分の力を使い果たすという話。
原作では、アレンが父の国王を刺すようなシーンはないし、アレンが影におびえているというのもない。影とのエピソードは1巻の『影との戦い』のモチーフを借りてきただけなのだと思うが、これも原作ファンにとってはブーイングなんだろうと思う。
ということで、この作品は『ゲド戦記』の世界観や設定のおいしいところ、使えそうなところだけをいただいてしまい、つぎはぎのような感じになっていたとも言える。さらに映画のシーンも、どこかで見たことがあるようなシーンが多く、これは父・宮崎駿の作品で見たような気もするし、その他で見たことがあるような気もするし・・・とにかく、色々なものを継ぎ合わせてひとつの話にしたような、そんな印象が付きまとっていた。
たとえば、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』に出てきたどろどろした液体のようなもの、『千と千尋〜』を思い起こさせる竜と一緒に飛ぶシーンなど。キャラクターも今までの駿監督の作り出した悪役キャラに似せたような感じの人物が出てくる。けれど、それはやはり駿監督とは違って、悪役ながら憎めないとか、敵ながら凛々しいという感じはあまりない。絵が似ているのもあるかもしれないが、そのほかにもどこかで見たことがあるような・・・という感じにさせるところがいっぱいあった。
ただ、それが悪いというわけではないのかもしれない。ストーリーとしては、まあ言いたいことはわかるし、話の流れも確かにある。ただ、『ゲド戦記』としているのに、ゲドの活躍はあまりない。それがどうも面白くないし、原作とも違っている。(原作ではこの段階ではゲドはまだ力があり、ゲドが世界を救う)
一番この映画で嫌だと思ったのは、絵が気持ち悪いこと。アレンの顔が変わったりする場面やテナーに薬をもらいにくるのに悪口を言っている人の顔とか・・・。駿監督の作品にも気持ち悪い描写もあるけれど、なぜかあまりそれを感じさせない爽やかさがある。しかし、こちらはただ気持ち悪いだけ。陰鬱な気分にさせるシーンが多すぎて、何だか映画の3分の2くらいは、アレンと一緒に沈んだ気持ちになっていたかも。シリアスな話だと言ってしまえばそれまでだけれど、息が抜けるところがあまりない。最後のクモが変化するのもリアルなのかもしれないけれど、気持ち悪すぎて、子供にはあまり見せたくない。大人でも見たくない感じ。
駿監督とは違って、かわいいキャラクターもほとんどなし。映画のほとんどが暗く重いムードに包まれていて、アレンの心の闇が中心に描かれているから、見ている方も気分がどよーんとしてくる。
処女作として考えれば、そこまで悪くはないのかもしれないけれど、やはり駿監督の真似としても中途半端だし、自分独自の世界としても中途半端な感じかもしれない。
原作者のル・グウィンからも反論が出てしまったり、何かとお騒がせになってしまっているみたいだけれど、このような大きな原作を使うなら、原作に忠実にしないと、なかなかファンは納得しない。どうしてこの作品を選んでしまったのか、またどうせだったらやはり宮崎駿に作ってもらいたかった・・・とどうしても思ってしまうのである。
NHKの朝ドラ。今回のは久しぶりに視聴率がよかったらしい。私も楽しみに毎日見ていた。
でも、最後の週はどうも・・・。結核に侵されて寝たきりの桜子(宮崎あおい)ばかりで、すっごく辛気臭い感じが漂っていた・・・。
そして、主人公が死ぬというラストは、今まで私が朝ドラを見てきた中で初めてのパターンだったような・・・。せっかく見てきたのに爽やかさが消えたような気がした。ちょっとがっかりだった。
終わってみて振り返ってみると、桜子の人生ってひどいことの連続だった。そんな中、明るさを失わない生き方が胸を打つということなのだろうか?
幼い頃に母を亡くし、唯一の理解者の父(三浦友和)も土砂崩れで呆気なく死亡。音楽への道を志す中、出会った婚約者(劇団ひとり)の突然の婚約破棄、音楽学校への受験の失敗、せっかく入試に合格したのに家の事情から入学を断念せざるを得ない。後に結婚する味噌屋の跡取り息子・達彦(福士誠治)との恋愛には、母・かね(戸田恵子)の妨害が付きまとう。(この達彦もまた父(村田雄浩)の突然の死により、音楽への道を断念するという苦難がある)
やっと結ばれるかと思ったら、達彦は徴兵され、結婚することもないまま桜子は待たされ、味噌屋の手伝いをする。達彦からの連絡はなくなり、かねも病気で死亡。味噌屋も戦争の影響を受け、原料の大豆が手に入らなかったりで、ぎりぎりの生活を続ける。
戦争が終わり、死んだと思っていた達彦が戻ってくるが、達彦はショックから桜子とのことはなかったことにしようと思ったり・・・。そしてようやく結婚。作曲したものを発表する演奏会にこぎつけようとしたら、妊娠。結核に侵されていることがわかり、演奏会を断念。そのまま寝たきりになり、帰らぬ人に・・・。
うーん、やっぱりひどい感じ。結局やりたいことを貫く人生だったのかもしれないとはいえ、時代に翻弄されて、邪魔されることばかり。桜子は目の前にある今やれることを精一杯やるだけ・・・という生き方を迫られることになる。
周りの家族の描き方も丁寧でよかったのだが、達彦が戻ってこない間、義兄(西島秀俊)とのプラトニック・ラブも描かれていて、ここに来て何か方向性が違ったかな・・・なんて思ったりもした。(このエピソードは必要だったのだろうか? まあ、達彦を失ったと思い込んだ桜子に生きる希望を与えたということなのかもしれないが)
姉・杏子(井川遥)も苦労したけれど、最後には再婚し、看護師としても有能な存在になってよかった。子供が生まれないのがちょっと不思議だった。
もう一人の姉・笛子(寺島しのぶ)は、いつもいつもうるさい存在だった。しっかり者かと思うと、ヒステリックだったり、ひがみ屋だったりして・・・。
弟の勇太郎(松澤傑)は結構いい味を出していて好きだったのだが、あまり登場場面がなくて残念だった。
何となく桜子がジャズ演奏家になる・・・なんていうラストを想像していたから、こんな終わり方になってちょっとびっくりなのだけれど、これが当時の等身大の女性の生き方だったのだろうか?
結核にしても、あと数年遅くかかっていたら、よい薬が発見されていて治っていた可能性も高いはずで、つくづく運が悪かったのかなーと思ってしまう。
この物語の中に一貫していたのは、女性は好きな人と結婚し、その子供を産むことが幸せである・・・という、昔ながらの思想である。おばの磯(室井滋)も愛人との間の子供を取り上げられるが、それでも産んでよかったと言うし、「女は子供ができたら絶対に産みたいものだ」と最後には達彦を説得する。
桜子はジャズの世界へ入ることも可能だったのに、結局達彦と結婚し、味噌屋を手伝うという選択をし、最後には自分が死んでも子供を産むということを選ぶ。ここにこの物語の根底にあるものがよく現れているような気がした。
このドラマの視聴率がよかったのは、多分年配の人が多く見ていたからだと思う。自分たちの生き方に重ね合わせて見たのもあったのかもしれないけれど、もしこの思想に共感していたのだとしたら、やっぱり時代なのかもなぁと思った。
今どきの人たちには、女は結婚して好きな人の子供を産むのが一番幸せ・・・という昔ながらの思想が欠けていると思う。人生には色々な選択肢があるというような思想が根底にあるから、桜子の人生に対して、これでよかったのだ・・・と思えるかどうか・・・。少なくとも私は、何だか最後の終わり方がちょっと釈然としなかったし、もう少し別の終わり方(たとえ主人公が死ぬにしても・・・)をしてほしかったな・・・と思ったのだけれど・・・。
|