感想メモ

2005年06月30日(木) あいくるしい


 ようやく見終わった。野島伸司脚本のこのドラマ。結構今まで見たのも嫌いじゃなかったので見てみようかと思った。

 野島伸司らしくなのか? 障害を持った人とか様々な過去を持った人々が交錯するドラマだった。真柴家を中心として、田舎町の人々のそれぞれの生き方みたいなのも描かれていた。

 最初は真柴家の母が入院中で、死んでしまうまでで終わるのかと思ったのだが、物語の中盤で母が死んでしまう。その後少しだれたような気もした。

 悪いドラマではないんだけれど、そこまですごく引き込まれるものもないような気もした。いいシーンも色々あったんだけれど、でも、やっぱりちょっと現実離れしていたのかなあ・・・。

 主題歌の『ベン』がいい味を出していた。この曲が流れるとなんかいい雰囲気が漂っているような気になってしまう。

 子供たちがいっぱい出ていたけれど、どの子も個性的だった。幌役の神木隆之介くんは相変わらずかわいかったし、すごく芸達者だった。特に朗読する感じが優しく柔らかな感じがよく出ていて、将来まっすぐ育ってくれよーという感じだった。



2005年06月29日(水) すべては必然!  佳川奈未


佳川奈未 ごまブックス 2005

 最近はやりの(?)スピリチュアル関係の本なのかな。ジャンルとしてはそんな感じ。今までに色々聞いたことのあるような内容のオンパレード。とても短い文章なので、すぐに読める。とりあえず悪くはないけれど、もっと色々説明が入った本もあるので、そういうのの方が読む分にはいいかも。



2005年06月28日(火) Lady Love 全8巻  小野弥夢


小野弥夢 講談社 1982〜1985
(ちなみにこの写真は私が読んだものではないバージョンです)

STORY:
貧しい家に育ったレージデージはバレエを無償で習わせてもらえることになり、クインバレエのバレエ学校へ。そこでマーシーと出会い・・・。

感想:
 最初の巻を見たときに、多分読んだことがあると思った。忘れていたけれど、最後までは読んでいないにしろ、最初の巻は絶対に見たことがあった。もしかしたら小学生くらいの頃、友達が持っていて読ませてもらったのかもしれない。絵に見覚えがありすぎた。しかし、内容はすっかり忘れていた。

 一言で言うと、遠距離恋愛だな・・・という感じ。マーシーと踊りたいという夢を持ち続けるレージデージ。けれど、その夢はいつもすれ違いになってしまう。

 それから、これはちょっとネタバレになるけれど、どうしてこうバレエの漫画ってダンサーを死なせるのが好きなのかなあ・・・。他の漫画でもガンで余命いくばくもないダンサーというのが数多く出てくるような。そして、大体の場合、治療より踊りを選ぶんだよね・・・。どうしてみんなこういう展開なのかなー。あとは体が弱かったり何かの事情で踊れない人が出てきたりとか・・・。

 この漫画、時代がとても古いので、ソ連だとか亡命だとかというような内容が出てくる。久しぶりに「ソ連」という名前を聞いた。何となく「ロシア」で定着しているので、違和感を感じてしまった。あの頃はそれが当たり前だったのにねー。

 でも、絵がすごくきれいだし、バレエのシーンもいいし、解釈の仕方とかも面白いし。結局最後まで楽しく読んでしまった・・・。



2005年06月23日(木) 瑠璃の島


 久しぶりにいいドラマを見たなーという感じだった。今季はもう一本『あいくるしい』も見ているのだが、こちらの方が面白かった。

 瑠璃役の成海璃子の演技がとてもよかった。最初大人びていてとても小学生には見えなかったが・・・。親に愛されていない子供のつらさとか悲しみみたいなものがよく表現できていたし、考え込む表情がすごくよかったな。夫は最初の方の瑠璃が反抗しているときに「この女、むかつく」と言って見るのをやめてしまったが、どうして瑠璃がそういう態度を取っているのかとか、もう少し深く見ることができていたら変わったんじゃないかな。瑠璃が島の人たちによってどんどん変わっていくのもすごく自然でよかったと思う。

 小西真奈美の先生役も最初はやはり見るのが嫌になるようなところもあったが、そのうちやはり先生も変わった。その変化が唐突だったような気もするけれど、何となく納得させられてしまうものはあった。

 緒方拳のお父さん役、それを影から支える倍賞美津子のお母さん役もすごくよかった。特に最初の方ではこの二人がいたから瑠璃が変わったなーというのがよく描かれていた。

 瑠璃の実のお母さん役の西田尚美もうまかった。いい加減な様子がすごく出ていた。でも、子供を心底から憎んだり愛していないわけではなくて、かわいがりたいときにいてほしいという、何かちょっと子供っぽいまま大人になってしまった人だった。でも、自分でもそういうところをよくわかっているのがちょっと哀れな気もする。

 竹野内豊は渋くてよかったな。でも、この人の役・・・サスペンス調(?)にしなくてもよかったんじゃ・・・。小日向文世の役柄も悪くはなかったけど、あまり好きじゃなかった。死んでしまってお葬式のシーンはよかった。お葬式というか、遺骨が島に返ってくるシーンだ。これを入れたいがために、殺したんじゃないかと思った・・・。

 小日向文世の娘役の女の子、どっかで絶対に見た・・・と思ったら、『ニコニコ日記』のニコ役をやった子(永井杏)! 大きくなったなーと思った。あの時も親の愛に恵まれていないような役だったけれど・・・。このままいい役者さんになってほしいな・・・。

 色々なエピソードが出てきたが、やはり元になった本『子乞い―沖縄孤島の歳月』を読んでおくと、その現状がよりよく理解できるような気がする。その意味で、本もオススメだ。

★関連のもの
『子乞い―沖縄孤島の歳月』
その感想ページ
『ニコニコ日記』
その感想ページ



2005年06月22日(水) 夜ふけのなわとび  林真理子


林真理子 2005 文藝春秋

 林真理子のエッセイ集。そのほとんどが多分週刊文春に連載されていたものだと思う。読んだことのあるものもあったし。

 実は林真理子のエッセイ集を読んだのは初めて。こういう人だったのかとちょっとびっくり。でも、ダイエットと食べるの大好きなのと、出たがりなのと、なんか華やかな人なんだなーと思った。

 ダイエットについては、自分も主婦になって何だか太っていくような気がしていたので、特に断食道場に行くくだりなんかは面白かった。でも、あんまり効果がないみたい?

 とりあえず時事的なネタにも触れているし、軽く色々な情報を得たいなら面白いかも・・・。

★林真理子のほかの作品
本を読む女
その感想ページ



2005年06月19日(日) いのちのハードル  木藤潮香


「1リットルの涙」母の手記 木藤潮香 幻冬舎文庫 (1989)2005

 『1リットルの涙』の木藤亜也さんのお母さんが後にまとめた本。

 不治の病であると宣告されたときから、どのように接していくか、亜也さんが少しでも気分よく過ごせるようにという配慮をどのようにしていったのかがよくわかった。

 病院の医師についてや、家政婦さんについて、またもっと時代をさかのぼれば学校の対応について・・・色々と悔しいこともあったのだろうなと思った。でも、結局今の実情はそういうことで、なかなか難しいのだろうとも思った。

 今もこの病気は治療法が確立されていない。どうして世の中にこのような病気があるのだろうと思う。とても残酷だ。

 自分が親の立場でも子の立場でも、どちらでもつらいなと思った。家族は介護や病院通いをしなくてはならない。一日中ついていてあげたくても、経済的事情なども許さず、結局家政婦さんを頼むことになるが、中にはひどい人がいたりする。子としても、自分がどんどん弱っていくのを感じ、意志を伝えるのもままならないまま、どうして生きているのだろうと思い日々を過ごす。そんな子の様子を見なくてはならない親もすごくつらいだろうと思った。

 本当に世の中にはどうしてこういう病気があるのだろう。早くこのような病気の治療法がわかるといいのに・・・と心から思う。

『1リットルの涙』
その感想ページ



2005年06月16日(木) 子乞い  森口豁


沖縄 孤島の歳月 森口豁 凱風社 2005

 現在放映中のドラマ『瑠璃の島』の原作本。とはいえ、原作と言うのとはちょっと違うかな。題材にもらったというような感じか。

 ドラマの方が面白いのでこちらの本も読んでみた。内容は過疎にあえぐ離島の現状を訴えるというものである。

 歴史順に描かれていないのでわかりにくいというのが正直な感想。もう少しわかりやすくつながっていた方がよかったような・・・。

 でも、ここに出てくる色々なエピソードが、ドラマでこうアレンジされているんだというようなものは感じることができた。

 現在、郵政民営化が叫ばれている。この本の中でも沖縄が日本に復帰したときに、鳩間島から医者や郵便局が消えた・・・というようなことが書かれていて、やはり民営化みたいなことになると、ますますこうした地域に公共施設がなくなるのかもしれないと思った。

 今も山村留学生を受け入れているこの島は、人口が増えているわけでもないようで、もしかしたらそのうち廃村ということにもなりかねないようだ。テレビの効果で何か変わるだろうか、それともやはり離島の問題がさらに膨らんで、今行っている策が将来的には付け焼刃であったことが証明されるのであろうか・・・。



2005年06月15日(水) 運転士  藤原智美


藤原智美 講談社文庫 (1992)1995

STORY:
規則正しいリズムで生活を送る地下鉄運転士。ある日、車庫に巨大なコピー機が捨てられていて・・・。

感想:
 本来この文庫には2本収録されている。1本は表題作で、もう1本は『王を撃て』。普段なら2本読むと思うが、結局表題作のみしか読まなかった。

 第107回芥川賞受賞のこの作品。何となくこの間の電車の事故があったのでふと昔読みたいと思ってそのままになっていたことを思い出し、読んではみたのだが、一言で言うと「さすが芥川賞!」という感じ。これは私にとってはほめ言葉ではなく、難解で意味がわからなく面白くない・・・という意味である。

 ということもあって、多分2本目の作品も性に合わないだろうと思ってやめてしまった。

 運転士のちょっと変わった日常生活と思考が描かれている作品。駅名を連呼して安心する儀式としているが、この駅名が地下鉄千代田線のもので、この運転士は千代田線の運転士なんだ?と思ったら、「実在する地下鉄とは関係ありません」と書かれていたので、なんだ・・・と思った。

 ただ乗客に「運転手」と呼ばれたときに「運転士である」ということを強調したり、とにかく運転士に対してすごくプライドを持っているというのは感じられた。また多分電車の運転ってすごく大変なんだろうなということも。オーバーランしてしまう描写があるが、やはりそういうことは運転士の恥になるのだろう。内容はともかく運転って大変そうだなというようなものは感じられた作品だった。



2005年06月13日(月) ミリオンダラー・ベイビー (ネタバレあり)

 何となくこういう内容になるのでは?と予測しつつ見に行ってみた。ハッピーエンドじゃないとか、色々と聞いていたので、覚悟をして見た。

 一言で感想を言うと、いい映画、考えさせられる映画だったということ。無駄がないし、一度は見て損はない映画だと思う。

 ヒラリー・スワンクが演じるマギーが徐々にボクシングがうまくなる様子がよく描かれている。そして、水を得た魚のようにボクシングで相手を次々に倒していき、自信に満ちていく様子と最後に頚椎損傷により寝たきり状態になってしまう姿との対比がはっきりしていて、より物語の悲しさを演出しているような気がした。

 クリント・イーストウッドが演じるフランキーは、実の娘からは手紙をつき返され、色々な苦しみを持ちながら、信仰に生きる意味を問いかけ生きている。

 フランキーはマギーを自分の実の娘のように思い、マギーもフランキーを死んだ父の穴を埋める存在として考えるようになる。マギーの家族(母、妹、妹の夫)は冷酷非情で、家族とは全く呼べないもので、彼女を唯一支えているのは、亡き父との思い出だけなのだ。

 そんな二人の様子を見守るのは、フランキーと苦楽をともにしてきたスクラップ(モーガン・フリーマン)。スクラップはフランキーの苦しみの一つでもある。フランキーはスクラップのことに対して自分を責め続けているため、ついついスクラップに哀れみのような感情を感じさせてしまう。スクラップはそういうのが嫌でついフランキーに反発したくなるような面を持っているが、二人は言いたいことは言い合える仲なのだ。

 ボクシング中の事故で寝たきりとなるマギー。そんな状態でも冗談を言ったり、毎日来なくてもいいとフランキーに告げる様子は、涙を誘う。あれほどボクシングで激しく動けていたはずなのに、今はこんな状態であるということが、本当につらくのしかかってくる。

 それにしても反則で相手を寝たきりにさせた相手はどうなったのだろうか? 謝罪などあったのかも気になるところだ。なかったような気もする。こうなってしまったのは、相手がまず反則をしてきたことも悪かったが、やはりマギーも反則で返したということにも原因があるようにも思った。そして、そうしろと言ったのはフランキーである。だから、フランキーはまた一つ自分が間違ったことをして自分の大切な相手を傷つける羽目になったと、自分を責めたかもしれないと思った。反則に反則で返すというのは、やはりよくないことなのだと思う。

 マギーは死を考えるようになり、フランキーに死なせてくれるように頼む。フランキーは断るが、結局最後に手を下すことになる。直前に神父に相談に行くが、結局何の解決にもならない。神も仏もないと感じさせられる出来事、そして、神は犯罪を犯すことはもちろん許さない。

 尊厳死というものは認められるべきなのだろうか? 意見は色々であると思う。でも、私自身がフランキーと同じ立場だったとしたら、私はきっと決断できなかっただろう。それがマギーを生き地獄のような世界にとどめているとしても。それはもしかしたら生きている者のエゴなのかもしれないけれど、やっぱり愛する人だからこそ、生きていてほしいという気持ちもあるからだ。

 フランキーがマギーに手を下すとき、マギーが「ありがとう」というように一筋の涙を流すシーンがすごく印象的だった。

 家族とは何かということにも考えさせられた。血のつながりというのは決して重要なものではなく、そんなものがなくとも心が通い合い、お互いに通じ合えば家族なのだと思うのだ。

 一つ疑問だったのは、人工呼吸器につながれていて話ができるのか?ということだ。何となく呼吸器につながれると話せなくなるという気がしていたので。もちろん映画だからそういうところはリアルにしていないのかもしれないが。

 ところで、最後に部屋の床に落ちていた手紙。あれは娘から返事が来たのか、それとも返事ではなくて、書いたものがまたつき返されてきたのかどっちだったのだろう? 私はつき返されて戻ってきて、フランキーが実の娘と連絡を取るのはもうやめようという風に割り切ったのでは…とそのシーンで思ったのだが、夫はあれは娘から返事が来たのだと解釈したようだった。あまりはっきり映らなくてわからなかったので、もしもう一度見る機会があったら確認してみたい。ただ、スクラップのナレーションがフランキーの娘に宛てた手紙というような形式をとっていたということが最後にわかるが、そうなるとその手紙は、フランキーがいなくなってから出したものだと思う。だから、やっぱりあの手紙は娘からつき返されてきたものなのではないかと思うのであるが…。

 最後に、マギーの人生は不幸だったかというと、そうではないと思う。多分ものすごく幸せな人生だった。きっと悔いが残らなかったと思う。愛する父に最後を看取られながら死を迎えられたことを、とても感謝していたと思うのである。ただ生き残っているフランキーの方は、これからもずっと生きている限り苦しみを背負い続けるのだろうなと思った。



2005年06月10日(金) これからはあるくのだ  角田光代


角田光代 文春文庫 2003

 先日読んで面白かった『対岸の彼女』を書いた角田光代さんのエッセイ集。

 読んでみて思ったけれど、変わった人なのかもしれない。だから、すべてにおいて共感できるというわけでもないし、そこまで面白くも思わないものも多かったのだけれど、共感できたものについてまとめてみる。

「人を喜ばせるプロフェッショナル」
 こんな風に人を喜ばせられたらすごいなと思っった。

「記憶の食卓」
 私も最近過去の記憶が曖昧になってきていて、先日も高校時代の友達と話したときに友達が言ったことに「そんなこと言ったっけ? したっけ? そうだったっけ?」と思ってしまったばかり。記憶違いってよくあることなのか・・・。

「透けていた」
 こういう事態になったらかなり悲惨だ。

「才能なんて」
 私も結構何かを始めるたびに、自分にはこういう隠された才能があったりして・・・と思ったものだったが、開花したものはないような気がする。

「歯医者通いで恐怖の日々」
 私も歯医者が嫌いなので共感を覚えた。

「喧嘩上等」
 私はあまりそういう場面に出くわすことがないので、びっくりした。

 以上。

★角田光代のその他の本
『キッドナップ・ツアー』
その感想ページ
『対岸の彼女』
その感想ページ



2005年06月06日(月) 1リットルの涙  木藤亜也


難病と闘い続ける少女亜也の日記 木藤亜也 幻冬舎文庫 (1986)2005

 14歳の頃、脊髄小脳変性症という難病にかかった少女亜也さんが、段々衰えていく手で書いた記録をお母さんがまとめたもの。

 この病気は段々歩いたりすることが難しくなり、手も硬直したりして文字なども書けなくなり、飲み込んだりすることも難しくなり、言葉もなかなか判読しにくくなっていき、最後には寝たきりになり死亡するという難病。今でもやはり治療法がないのかはわからないけれど、多分ないと思われる。段々悪くなっていくことはあってもよくなることはないという残酷な病気だ。

 私がこの本を読もうと思ったのは、またしても「徹子の部屋」をたまたま見たときにこの話をしていたからだ。映画にもなったという。

 本は最後の方は涙が出そうになった。この本では亜也さんの面からの言葉しかわからない。でも、お母さんの気持ちはいかばかりだったかと思うと、つらいなーと思った。もちろん本人もつらいと思うけれど、段々衰えていく娘を見ている母もつらかっただろう。

 それにしても、やはり健康で動けるということはいかにすばらしいかを思う。やはり健康な人は何かをしなくては・・・。亜也さんが不自由になりつつなる中で、社会の役に立てたらと思っていたことを、最近のニートなどと呼ばれる人々が知ったら、どのように思うだろうか・・・。



2005年06月02日(木) Shall we Dance?

 日本版が大好きだったのもあり、映画館へ見に行った。番組や色々なところで、日本版と同じシーンばかりだというのを聞かされていたので、そういうものなのだろうと思っていたら、全然違うテイストの映画になっていた。ストーリーは同じでも、味付けが全然違うように思った。

 リチャード・ギアはあまりにもかっこよすぎて、彼が踊りが下手というのが予測がつかないというか・・・。この点は日本の役所広司の方がへたっぴさ、ひたむきさがよく出ていたように思った。

 ジェニファー・ロペスより草刈民代の方が美しいというか、ダンスっぽいような気もした。

 まあ、そういう点はさておき、内容はやっぱりアメリカンにアレンジされていて、とてもコンパクトにまとまっていた。上映時間も日本版に比べるとすごく短い。またアメリカンなオープンさに満ち溢れていて、日本版に比べると悲哀や毎日がつまらない新鮮味のなさみたいなものがあまり感じられなかったように思う。

 奥さんも日本版の方はもっと中に秘めた鬱屈したものを感じるが、アメリカの場合は奥さんの興信所への相談の仕方なんかも、日本とはやっぱり違う。

 いちいちそういう文化の違いを考えながら見ると面白いなと思った。最後の終わり方はアメリカ版の方が好きだった。やはりアメリカは夫婦愛、家族愛というものを大切にするお国柄だ。でも、奥さんの同僚のように離婚するカップルも多いので、そういう点では日本よりさらに進んでいそう・・・。

 とにかく味付けがあまりにも違いすぎて、日本版と比較するのは難しいのだけれど、日本人であるからか、周防監督の世界観が好きだからか、やっぱりどっちか一つを選べと言われれば、私は日本版の方を選ぶ。アメリカ版はもっと軽いノリで見るのにはちょうどいいけれど、色々なことを考えさせられるのは、日本版の方だ。

 ちなみに一番日本版に近いなーと思ったのは、社交ダンス教室の先生役のアニタ・ジレット。初心者コースの生徒たちに教えるために、酒を煽り、鏡で笑顔を確かめてからレッスンするところは全く違うけど・・・。

 それから、竹中直人のやった役を演じたスタンリー・トゥッチ。この役が面白いキャラなのもあるけれど、オリジナルよりも踊り的にはうまかったような・・・。

 もう少しで公開が終了だそうだけれど、もうちょっと長くやってくれてもやかったんじゃないかなーと思う映画だった。


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