2004年12月29日(水) |
ハウルの動く城(ネタバレあり) |
原作を読んだあとで映画を見に行くことになった。はじめどちらを先にするかで迷ったのだが、今となってみると先に原作を読んでいたのはかなり正解だったような気がする。映画は原作の世界観が見事に宮崎駿風にアレンジされていた。
誤解のないように書いておくと、原作と映画では世界観や登場人物の設定などはほとんど同じなのであるが、ストーリーは全く別物である。映画では原作にない戦争というテーマを持ってきている。私はこの戦争というテーマは入れなくてもよかったし、もっと原作のままでもよかったような気がした。
今までに宮崎駿のアニメを見たことがある人なら、どこかで見たことのあるような絵やシーンなどを見ることができたと思う。今回の映画は原作があったので、宮崎駿のオリジナルな世界というよりは、原作を宮崎駿風にアレンジしたような感じだった。だから、独創性の面では前作の『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などに比べると弱いように思う。もっともあの動く城については、原作で描かれているのとはちょっとイメージが違い、まさに宮崎駿オリジナルだという感じは受けた。また原作を読んでいた私にとっては、あの原作の世界が宮崎駿にかかるとこういう世界に生まれ変わるのか!という新鮮さはすごく感じたので、それだけでも見に行ってよかったと思った。
原作を読んでいた私が一番に思ったのは、荒地の魔女が弱すぎる!ということだ。もちろんあやしい魅力を映画でも醸し出していたのだが、ソフィーに魔法をかけたりしている割には弱すぎると思う。というより、階段を登るシーンなどまさにギャグというような感じで、全く強さが感じられなかった。この点では原作とはかなり異なるし、どちらかというと戦争というテーマを持ってくるよりも、荒地の魔女と戦うというような原作と同じ設定にしたほうが面白かったような気がした。
相変わらずジブリアニメにはありがちな愛すべきキャラも出てきた。そのうち私が気に入ったのは原作を読んでも気に入っていた火の悪魔カルシファー。最初は声を聞いて違和感があったものの、そのうちに段々慣れてきた。ちょっと原作でのイメージとは違ったのだが、やはりよい味を出しているキャラだと思った。続いて犬のヒン。これは一体何のためにいたのかよくわからなかったので、本当に受け狙いだったのかもしれないが・・・。そして、夫が気に入ったのはかかしのカブ。こちらは原作ではほとんど出てこない、というか、活躍しないのだが、映画の中では大活躍だった。
声と言えば、キムタクの声にはかなり批判が殺到しているらしかった。私はそんなにすごい違和感は感じなかったが、ハウルのキャラが原作よりもかっこよすぎるような気がした。もっとダメダメな感じが原作には溢れていて、またそんなダメダメなハウルにソフィーがひかれていくのもよくわかったのだが・・・。ソフィー役の賠償千恵子のほうが最初の娘時代の声を聞いたときに、ちょっと受け付けないかもと思った。しかし、老婆になり、その後段々若返っていく声は普通に聞ける感じになったが。あとはマルクル役の子が年寄りになったり若くなったり・・・という変わり身がうまかった。
さて、ソフィーは段々若返っていくのだが、再び年寄りに戻ったり、若くなったりを繰り返す。この辺、わけがわからないと思っている人も多いようだったが、私はそんなに違和感はなかった。ソフィーは元々は若いわけだが、毎日を消極的に根暗に過ごしていた。だから、考え方も結構後ろ向きだったのである。ところが荒地の魔女に魔法をかけられ老婆になると、ソフィーは若いときにはできなかったことや言えなかったことが自然とできるようになる。そして、眠っているときなどの無意識の時や、自分の感情が表にはっきりと出ている時には、荒地の魔女の魔法が切れかかっているのもあるのだとは思うが、自分の本来の姿が戻ってくる。しかし、ソフィー自身はそのことに気づいていないし、自分が老婆だという概念にとらわれているので、またもとの姿に都合よく戻ってしまうのである。でも、これは結局心の持ちようで年齢が変わるということで、ソフィーはソフィー次第で何にでもなれるのだということだ。これは私たちにも言えることで、自分で自分をできないとか、無理だという風な感情でがんじがらめにしてしまうのではなく、心を開放的にし、できると信じてやればできるのだということ、つまり自分で決め付けるのはよくないということでもあるのかもしれない。
この作品は家族の大切さを問うものである・・・というようなことも書かれている。確かに守るべき人ができたときに変わるというのはわかる。しかし、ハウルをロッドバルトもどきのようにしたりする必要があったのだろうか。なんとなく戦争というシーンを描くよりも、原作と同じように荒地の魔女におびえるハウルという風にした方が私はよかったと思うのだが。ジブリは『千と千尋の神隠し』でも思ったが、なんとなくこうした教訓めいたことを映画に織り込むのが好きで、それはそれでいいのだとは思うが、あまりやりすぎるとちょっと食傷気味になってくるのだ。今回の戦争も、戦争は悪だと言いたいのか、それとも戦争は上のほうに立っている人たちが遊び感覚で起こしているものだと言いたいのか・・・ちょっとよくわからなかったが、どうも私にはあまりいいイメージがなかった。
この映画に対してはかなり賛否両論があるようで、面白かったと言う人と面白くなかったと言う人がいるようだ。私としては、このところ見ていたあまり面白くなかった映画などと比べれば面白かったと思う。少なくとも最後まで飽きるようなことはなかったし、見終わったあとも、面白かったという心境でいることができた。ただし、今まで作られた宮崎駿の傑作と比べてしまえば、それはレベル的に下がると言えなくはないと思う。つまり、そのような特別なものを求めて見に行けば、期待はずれに終わるかもしれないということだ。ただ、普通の邦画と比べれば、完成度も高かったと思うし、お金を無駄にしたというようなことは、まずないのではないかと思う。
もし原作をまだ読んでいない人がいれば、是非原作も読んでみると面白いかと思う。私は先に原作を読んでいてよかったと思った。
★この映画の原作は魔法使いハウルと火の悪魔 →その感想ページ
2004年12月20日(月) |
アイ’ムホーム 遥かなる家路 |
アイ’ムホーム 遥かなる家路 NHKの夜ドラ。
またしても夫と一緒に見る。夫も結構面白かったよう。
この作品、最初の1週間が何が何だかわからない感じで、状況を把握するのに時間がかかった。それは主人公が記憶を失っているからなのであるが、ここで挫折しなければ一体どういうことなのかと見続けてしまうだろう。
仮面をつけた親子だとか、非常に突飛な面も効果的だったと思う。また時任三郎の演技が非常によかった。元々はモーレツ銀行員だったが、記憶を失ったあとは弱気ないい人になっていたり、覚えていないがために色々なところに首を突っ込んで、昔自分がやったことを思い出してみろと責められたり。
でも、結局はどうなってもやり直せるということなのだ。色々あっても、自分をリセットしてやり直せるっていうことが一番言いたかったんじゃないかなと思った作品だった。
スバル役の女の子がかわいかった。それから二人の奥さん役、紺野美紗子と戸田菜穂はどちらも好演。タイプが違うけれど美しくて、同じ女としては憧れてしまう。夫はヨシコの子供を演じていた男の子が何だか魅力的だと言っていた。
ちなみに原作は石坂啓さんの『アイ’ムホーム』。石坂啓さんと言えば、昔朝日新聞で連載していた『赤ちゃんが来た』や『コドモ界の人』が面白かったことを思い出す。私は昔から出産とか育児とかの体験記を読むのは結構好きなのだ。そういった内容を書く人というイメージがあったので、今回のような作品の原作だというのを知って実は結構驚いた。
2004年12月16日(木) |
オニババ化する女たち 三砂ちづる |
女性の身体性を取り戻す 三砂ちづる 光文社新書 2004
ちまたで非常に話題になっている(?)本。私も新聞の広告で知ってはいたのだが、その煽るようなうたい文句が一人歩きしているような気がする。
どんな内容なのかと思って実際に読んでみれば、あのセンセーショナルな言葉通りの内容ではないと思う。それどころか実に真面目に女性の問題について述べた本なのである。中身はすごくうなずけるところが多い。その意味でも多くの女性に読んでもらいたい本であることは確かで、あの煽り文句も悪くはないのではないか、一つの戦略なのではないかとすら思った。
内容は大きく二つに分かれていて、まず最初に女性が持つ身体の知恵や月経血コントロール、妊娠出産の誤解などについて。こちらは煽り文句に期待して読んだ人にはあれれ?というような内容である。
でも、実は私はこれを読んでよかったかと思った。というのは、私自身も出産に対してネガティブなイメージが先行している一人だから。これを読むと生んでみようかという気持ちになるし、また助産婦さんを探して生みたいかも…とも思った。
もう一つが、煽り文句にあったような内容で、早婚・早期出産と育児をして40代くらいから仕事をバリバリこなすのがいいのではないかというような内容。これも実際そう思う。早く生んで早く子育てから自由になり、あとは好きにやるっていうのはかなりいいと思う。自分はすでにそれができない状態で、これから生んでこれから育てて…。確かにそれまでは自由に好き勝手やってたと言われたらそうなのだが、この年齢からだと子供が成人する頃には何歳…と考えざるを得ない。また、実際問題高齢出産の年齢はあがっているし、35歳以上で初産の人も多いみたいだけれど、どんどんリスクも大きくなっていくのも事実だし、ほしいと思ったときにできない確率もあがっていくし、障害をもって生まれる確率なども高くなる。さらに、出産後は、はしゃぎまわる子供に接していくだけの気力と体力がないかもしれない…。
もう一つうなずけたのは、例の「負け犬」についてである。「負け犬は強者だ」というのはまさにその通りで、あの本を読んだときに一番に不快になったところがそれだった。結局あれは自分でバリバリ働けて、恋愛経験も豊富で、でも結婚できなかったりしない選択をしている人のことを書いていた。私は自分はそうではなかったし、結婚したいと思ってもなかなかできない人の方が多いのではないかと思う。昔のようにおせっかいな人も減ったし、結婚情報サービスみたいなのは世間体が悪くて頼る気になれないし、かといって周りにはいい人が全くいなくて…というような弱者の方が多い。
もちろん結婚せず一人で生きていくのもよいことだと思うけれど、やはり二人で、もしくは二人プラス子供たちと生きていくのはまた別の意味で世界が広がると思う。
そういえば最初このタイトルを見たときには、まさかこの間ふと図書館で手に取った本を書いた人と同じ人が書いたものだとは思わなかった。こちらは月経血コントロールなどについて書かれていた。その後、やってみようと思っていたはずがすっかり忘れていた。また試してみよう…。
★他に読んだ三砂ちづるさんの本 昔の女性はできていた
★その感想ページ
2004年12月14日(火) |
妊娠カレンダー 小川洋子 |
妊娠カレンダー 小川洋子 文春文庫 1994
STORY: 精神を病む姉、義兄と3人で暮らす私。姉が妊娠し、その姉に意地悪な気持ちを抱くが…。
感想: このところ、小川洋子の作品がすごくよかったので、他の作品もないかと探し、なんとなくタイトルが面白そうなので借りてみた。短編が3つ入っていたのだが、時間がなかったので表題作のみを読んだ。
姉が妊娠し、子供を生むまでの日々を日記の形式で書いているのだが、もっとほのぼのした話を想像していたら全く違う話でびっくりした。表紙には「毒を盛る」みたいなことが書かれていたが、そこまで過激には取らなかった。ただ子供が生まれてから後のことはないので、どうなったのかはわからない。
小川洋子の本は『ブラフマンの埋葬』もそうだったが、もしかして日記のような形で綴っていく形式が多いのだろうか。どちらかというと淡々と事実を述べるような文章なので、この形式は客観的に物事を伝えるのによいということなのかもしれない。
ただこの作品はかなり昔の作品ということになるのだろうが、最近の作品に見られるようなちょっと暖かな気持ちになるような部分があまりなく、かなり冷たい印象を抱くかもしれない。やはり最近の作品の方が私としては好みのような気がする。
2004年12月12日(日) |
魔法使いハウルと火の悪魔 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ |
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 西村醇子訳 徳間書店 (1986)1997
STORY: 帽子屋の長女ソフィーはある日荒地の魔女によって90歳の老婆にされてしまう。ソフィーは店を飛び出し、悪名高い魔法使いハウルの空中の城に住み着く。ハウルの元に拘束されている火の悪魔カルシファーと契約を結んだソフィーはハウルの秘密を探ろうとするが…。
感想: 今上映中のジブリ作品『ハウルの動く城』の原作。私はジブリ映画はほとんどすべて見ている。またこの原作のダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品は『九年目の魔法』を昔読んだことがあり、大変面白かった記憶がある。とはいえ、その後、『私が幽霊だった時』を読んだときにはあまり面白くなかったのだけれど。
私としてはどちらにしても好きな作品であろうと思ったので図書館で予約をした。映画が先になるか、本が先になるかどちらだろうと思っていたら、本のほうが先になった。しかし、実際どちらを先にするかは非常に迷った。今のところ、ネットなどでの評判を見る限り、原作と映画とはやはり違うようだし、原作の方が面白いという人もかなりいるようだ。原作を読んでしまえば映画が面白くなくなるかもしれないと思いつつも、先に本のほうが来てしまったし、予約もたくさん入っている本なので、これを逃すのももったいないので結局本を先に読むことにした。
この本は一応児童文学ということなのだろうとは思うけれど、かなり複雑で難しいと思う。展開が唐突なのもあるのだが、誰と誰がどういう関係なのかとか、本当は何度も読み返したほうがわかる本だと思った。今回は時間がなく、結局一度しか読めなくて内容を吟味できなかったのが残念だった。
この世界観は非常に面白い。ただジブリの作品の解説みたいなものを読んだり、CMなんかを見ていたので、どうしても登場人物についてもこれが多分あれで…というように、ちょっと思ってしまうところが純粋に原作を読んだのとはちょっと違うような気もした。
今後、映画を見に行くつもりでいるのだが、どのような感じなのかちょっと楽しみである。あまり評判がよくない部分もあるようだけれど。それからこの本には続きがあって、そちらの方も図書館に予約を入れてみたので、そのうちに読むことになると思う。
2004年12月06日(月) |
スパイダーマン (テレビ) |
前に見た『スパイダーマン』がテレビでやっていたので見た。夫が横にいて色々話しかけてくるのもあり集中して見ることはできなかったが、ストーリーをかなり思い出した。夫は2の方も見ていて、2の方がますますダークでいいんだよ…と言っていた。私も2を早く見たいな。
今回のテレビの放映はちょうど『スパイダーマン 2』のDVDを発売するのとタイミングを同じにしたみたい。最近こういうような商法がすごく多いような気がする。
2004年12月03日(金) |
海峡を渡るバイオリン (ネタバレあり) |
原作本は『海峡を渡るバイオリン』。
自分がバイオリンをやっていたこともあるので、見たいと思い、DVDに録画したものをようやく見ることができた。久しぶりにテレビのドラマで感動的な重々しい作品を見たような気がした。
時代の描写も、この間見たNHKの『シェヘラザード』のようにちゃちなものではなく、ところどころで白黒の写真や映像を入れながら、違和感なく見せてくれた。また、韓国の風景の美しさや日本の昔の街の感じなどもよい感じに描かれていて、さすが『北の国から』に関係していた人だなーと思ったりした。
バイオリンの演奏シーンに関しては、きちんと弾いている人とそうでない人との差が結構あって、特に最初の方のシーンではこの弾き方ではこの音は絶対に出ないだろうと思われて、ちょっとがっかりする場面もあった。やはりそういうところはきちんとやったほうがいいのではないかなーと。そのほうが説得力があるように思った。とはいえ、私がバイオリンを習っていたからそのように思うだけで、実際に全く楽器に触れたことのない人にとってはそんなことはわからないのかもしれない。
最も素晴らしかったのは子供が死の境目にあるときに嵐の中、二人で言い争い、その後二人で協力して倒れてきた木を引っ張るシーン。雨降って地固まるというが、まさにそういう感じ。でも、このシーンの鬼気迫る演技はすごくよかったし、親としての心や子としての心、自分が打ち込み続ける物事への戸惑いなど、様々な感情が入り乱れていたと思う。また、韓国人であるがゆえに普通の日本人とは同じようにできなかったことのもどかしさなどもすごく伝わってきた。ただし、この嵐が激しい中、「家が壊れそう」という台詞なのに、その割には電気が揺れているだけで家がすごく揺れている感じが出ていなかったのはちょっと残念かも。まあ、そこまでやるのは本当に大変なことなのだろうから仕方ないのかな。
それと一番気になったのは妻の父が全然登場しなくなったこと。やっぱり韓国人と結婚した娘など勘当だったのだろうか。そういう描写がなかったので詳しくはわからないのだけど。
時代に翻弄されながらも、バイオリン作りというひとつのことに没頭した主人公。この生き方がよしというわけではないと思った。やはり子供や妻を食べさせることもできないようでは男としては中途半端としか言いようがない。嵐のときに娘が死の瀬戸際に立たされて初めて自分の境遇に気づき、悔い改めた主人公。気づくのが遅すぎることがなくてよかったなと思った。
バイオリンはよいものはものすごい値段で売れる。今はきっとあの苦労も報われてよい暮らしを送っているのであろうと思う。
2004年12月02日(木) |
夢にも思わない 宮部みゆき |
宮部みゆき 角川文庫 2004
STORY: 白河庭園で行われる虫聞きの会。クドウさんが好きな僕は彼女に偶然出会うつもりで庭園に向かうが、クドウさんのいとこが殺されてしまい・・・。
感想: 『今夜は眠れない』のシリーズの続編。実はこの前作は読んだことがあり、面白かった覚えがあったのでこちらも読んでみようと思った。しかし、読んだのがものすごい前だったので、内容的に全く覚えていなかった。もちろん続編とはいえ、前のものを読んでいなくても読めるのだが・・・。
あまり面白くなかった・・・かな。
宮部みゆきの作品ではよく少年が主人公になる。この話の主人公も中学生なのだが、どうもこの人の書く少年というのは、微妙に時代がずれているような気もするのだ。(その割には現代的なモチーフの作品も多いのだが・・・) だから、この「僕」に対しても、「いまどきこんな中学生いないよな・・・」というのが先にたってしまうというか・・・。
もちろん内容的には人間の本質のちょっと重たい部分をついているような作品なのではあるが、なんとなく中学生を主人公にして一人称で作品を書くにはやっぱりちょっと無理があるのでは・・・と思ってしまったりした・・・。
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