2003年04月30日(水) |
ぶどうの木 坂本洋子 |
2003 幻冬舎
里親として10人の子供とともに過ごした(ている)方の手記。
この夫婦はキリスト教の教会で出会っており、お互いに子供ができなかったら里親となろうということを、新婚旅行のときに話していたのだという。そして、本当にお互いに子供ができない体であることを知り、東京都の里親になることに決めたわけである。だんなさんの方は養護学校の教師をしており、その縁もあって、預かる子の大半は何らかの知的障害を持っていたりする。
一番最初に預かった子、純平のことについての描写が最も多いと思う。これは純平がすでに死亡してしまっているということもあるのかと思う。一応人権の問題に配慮されているらしいので。ただどうやら某遊戯施設に近い場所で東京となると・・・と考えてしまった。かなり地域が限定されないだろうか?
一番ショックだったのは、同じ地域の人たちのあまりの理解のなさ。もちろん純平が暴力的だったことがいけなかったのだとは思うのだけれど、その対応の仕方にものすごく驚いてしまった。苦情の電話がかかってきたり、悪口を言われたりは毎日のようにあって、里親の方も参ってしまったらしい。まだ小学校2年生の子供に一体どうしてここまでのことをしなくてはならなかったのだろうか? 苗字が違ったことも一因だったろうし、やはり最初に預かった子供ということでわからないことも多かったのかなあとも思ったが。現実にこのような差別が行われているということがかなりショックであった。
この本ではやはり乳幼児期の育ち方でその後が決まってくるというようなことがしきりに出てくるが、本当にそうなのであろうか? 私は教育の現場に携わったこともないのでわからないのだけれど、後天的に大きく変わっていくことはできないのかなあ・・・とちょっと思った。
私も昔からもし子供ができなかったら養子を育てるというのはどうなのかな?と考えたことがあって、親にもそういうことを聞いてみたことがあったのだが、そんなのはバカだというような返事が返ってきたような覚えがある。確かに実際にそういう子供を育てるとなったら苦労も伴うし、一筋縄ではいかないのかもしれないと思う。里親と養子ではまた違うのだろうけれど。
この本の内容によって、行政の方ももう少し柔軟な対応ができるように変化するといいなあ、などとちょっと思った。そして、子供たちが暮らしやすい環境がもう少しあるといいのに・・・とも思った。そして、今現在里親をしている方々はすごいなーと感心し、今後もがんばってほしいなと思った。
2003年04月28日(月) |
もどってきたアミ 小さな宇宙人 エンリケ・バリオス |
石原彰二訳 さくらももこ絵 徳間書店 (1990)2000
STORY: 宇宙人アミと会った時のことをいとこのビクトルに本にしてもらったペドゥリート。しかし、時が経つにつれアミと出会ったことが夢だったのか現実だったのかがわからなくなってくる。その証拠を求めてアミと出会った海辺にいとこと出かけたペドゥリートは、再びアミと再会する。そして、一緒にいたビンカという少女とともに再び宇宙を巡ることに・・・。
感想: アミのシリーズ2作目。この巻ではビンカというペドゥリートの双子の片割れが登場する。二人は出会ったときはお互いに相手をよくは思わない。さらに途中でけんかをしたりもするのだが、二人がお互いの片割れなのだということに気づいていく。
1作目と同じように宇宙の基本法は愛であることが説かれている。それだけでなく、ペドゥリートとビンカがなぜ選ばれたのかについても触れられている。二人はその愛を広めて啓蒙活動をし、救済活動をするために選ばれているのだ。そして、二人は地球と同じような状況にある惑星が滅亡していく様子、逆に愛の法を実践し統一政府を作って永遠の幸せを手に入れた惑星の様子を見せられる。
私は独身なので、双子の片割れの部分に非常に興味があった。どうもそれによると、まず最初からこの人だとピンと来るわけでもないということ。でも、一緒にいるうちにお互いにこの人だと思うようになること、その気持ちはお互い同じであり疑いようがないこと、二人はいつも一緒にいる必要はなく、離れていても大丈夫なこと・・・などがわかった。またこの二人のように別の惑星に生まれる場合というのは、つまりはもし相手が別の惑星にいたら、この地球上の生では結婚にはいたらないということなのだろうか・・・とも思った。それから、この2人は出会い、死に別れ、生まれ変わり、また出会い・・・というのを繰り返し、最後には一つになるのだという。しかし、この最後というのは何度も何度も生まれ変わったりした後のことである。お互いに高度な次元に到達するように生まれ変わるたびに精神の勉強をしていくということだと思う。ま、ということで、最近独身で結婚したくてもできない人も多い世の中だけど、これって他の惑星に相手がいるってことなのかしら?とか思ってみた。そこまで深いことは書いてないんだけどさあ・・・。その片割れとどうやって出会うのかはよくわからない。愛を得るには愛を与えること・・・なんだそうだけれど。
それから、滅亡した惑星での出来事。ここで救済される人とそのまま見殺しにされる人の二つに分かれる。これはある意味の淘汰なのだという。そして、救済されない人はどういう人かというと、愛を広め惑星の救済に携わろうとしなかった人、言ってみれば傍観者、あきらめて何もしようとせず、自分だけが助かろうとした人ということだろうか・・・。しかし、自分自身を振り返れば、私ってこれかもとか思ったりもして・・・。そして、この本を読んだ人に、「読んだあとでその人が地球を救うために何かをするかどうかによって地球の未来がどうなるかが決まるのです・・・」と最後に締めている。
私は昔から不思議な本が大好きで、予言とかそういったものも抵抗なく受け入れられるし、トンデモ本と呼ばれる類のものも大好きで、弟などからはおかしなやつと思われている節もあったのだが、ここに書いてある内容というのは、これまでにもそういう類の本で目にしたことのある内容だったので、特に驚かない部分もあったし、逆に精神的な部分についての描写などはなるほどと思うところもあった。でも、相変わらず難しすぎるところもあるし、とてもじゃないけど、この本は子供向けだとは思えないのだが・・・。
それにしても地球を救うために何ができるのだろうか? あまりにも大それたテーマではないだろうか? 一体何から始めたらいいのだろうか。そして何をしていけばいいのだろうか。戦争を止めて武器をすべて捨てる。そして軍事費をすべて回せば飢えのある国はなくなり、世界中の人が豊かに暮らせるのだという。私もそういうのはすごく理想だと思うが・・・。
ネット上に日記はたくさんあって、時事問題とかを扱うものも多い。そういうところを読んでいると、本当に様々な考えの人がいることに気づかされる。普段私はあまりそういう政治的なこととかに興味がない。イラクの戦争が起こったときも戦争に反対の姿勢を貫く人もいたけれど、逆にアメリカに守ってもらうために(北朝鮮の脅威など、日本には色々あるらしい)イラクの戦争を援助するのは当然という考えの人がいてとてもびっくりした。でも、それを読んで、そこまで事態が切迫しているのだとしたら確かに私のような甘い考えではいけないのだろうか?とも思った。
日本は戦争を放棄したと明文化している国である。こういう国は少ないと思う。不戦の国であることになぜ誇りをもてないのだろうかと思う。でも、日本はそういいながら自衛のために自衛隊を置いている。私は自衛隊は災害時などの救出などに役立つし、なくせばいいとは思わないけれど、武器を使う必要はないかもしれないとも思う。アメリカにも「日本はあなたがたアメリカに負けたときから、あなたがたの言われるまま戦争放棄ということにしたのですから、いかなる戦争にも援助はできません」と強く言えないものなのだろうか。
私は政治的なことはわからないけど、そういうことを単純に口に出して実現できるような世界になったらいいのにとちょっと思ってはいる。身近なことで自分にできることって何だろう? ちょっと考えてみようかな。
2003年04月25日(金) |
むかし僕が死んだ家 東野圭吾 |
講談社文庫 1997
STORY: 昔別れた恋人の幼少の頃の記憶を取り戻すため、私は山奥の別荘地の家へ向かう。そこにある様々なものから過去を推測していく2人だったが・・・。
感想: 久々に面白い小説で、冒頭からかなりひきつけられてあっという間に読んでしまった。登場人物は私と沙也加のほとんど二人のみで、不思議な家の中を捜索し、そこで見つけたあらゆるものから沙也加の過去を探っていくというだけの話なのだが、その秘密がどういうものなのかを想像していく作業は、主人公二人がそうであるように読者にとってもスリリングで続きが気になるのである。
何が次に起こるのだろう?とちょっとホラーめいたことも考えつつ読んでしまったのだが、もちろんホラーでもなく、普通の一般の家庭の話なのだけれど、他人の家がどんなだったのかを探るのって、探偵みたいで面白いのかもしれない。ただこの場合のように過去を探るのが果たしてよいことなのかどうなのか、疑問に思うことも多いかもしれないけれど。
ところで、以前、黒川博行さんという人が書いた東野圭吾の本の別の解説を読んだ。その本が何だったのか忘れたのだけれど、その感想をネットで探して読んでいたら、この人の解説について面白いことが書かれていたのだ。それは同じ出来事を2冊の本の解説に書いているのだが、違うことが書いてあってどっちが正しいのか?という突っ込みの内容だった。すっかり忘れていたんだけど、この本の解説がそれに当たっていた。それは二人で料理番組に出てお互いに料理を作った時の話。東野圭吾は豆腐のとろろあんかけを作ったらしい。前に読んだ本だと、この料理は見た目はまずそうでも大変美味しかったというような感じだったと思うが、こちらの本ではお互いの料理はどちらもまずかったと書いてある。本当にどっちが本当だったのだろう? 実際にこの番組、見ていた人いないのかな・・・。
2003年04月22日(火) |
アミ 小さな宇宙人 エンリケ・バリオス |
石原彰二訳 さくらももこ絵 徳間書店 (1991)2000
STORY: 10歳の少年ペドロが、宇宙人アミと出会い、そのままUFOに乗って宇宙へと連れられていき、宇宙の法である愛について学んでいく様子を描く作品。
感想: 子供向けに書かれている本だけれど、やっぱりとても難しい内容だと思う。言いたいことはとてもよくわかるし、伝わるものもあるけれど、一体こういう生き方が今の地球の人にできるのだろうか?と思うと、きっとできないだろうと否定的に思ってしまうのだ。
色々なものを共有し、高度なレベルに達しているから、争いも起こらず、人生の一日一日、今を楽しむことに費やせる生活が送れる。こういうのってどっちかというと共産主義に近いのかなー。でも、それともちょっと違う。この本の中では民主主義の競争みたいなものが全く無意味なものとして描かれている。確かに競争がなくなれば戦争も起きにくいのかもしれない。オリンピックとかみたいなことについてもそんなものはなくてもいいみたいな感じのことが書いてあったような気が。人は自分自身の中のことを比べていけばよいのだという。確かに自分に勝つか負けるかなのかもしれないけれど・・・。
私としてはすべての考えに納得がいくわけではないが、戦争のない争いのない平和な世の中は、武器を捨てればできるんじゃないかとも思うことがある。確かに様々な国の脅威があるから武器を捨てられないのだろうけれど、いっせいに全員が捨てれば持つ必要はなくなったりしないのだろうか。誰かにやられることをびくびくしながら、自衛のために武器を持って・・・っていうのは悪循環だよね。
あと興味深かったのは、愛に反する行動をしているといつかしっぺ返しが来るという部分。これは自分にとって大切な人とかが事故にあったり殺されたりという面に現れたりもして、本人に愛を気づかせようとするらしい・・・。こういう考えって今までも色々読んでいるけれど、どうなのだろう? 例えば事件の被害者になったとき、そのことで犯人を恨んだりすると思う。でも、そこで恨んだら連鎖が断ち切れないんだろうけれど。ただ殺された方はどうなるのだろう? またたとえば家族が殺されて苦しんでいる人の前で、「あなたが悪いから殺されたのだ」などとは言えないと思うんだよね。でも、ある意味、きっと真実をついているような気もしてるけど。自分に悪いことが起こったら、自分が何かしてないか反省した方がいいかもしれないっていうメッセージなのかもしれない。
なんて、話がずれてしまった。ともかく子供向けというわりに話の内容は難しくてすべてを理解するのには何度も読まないとダメかも。この先、第二段の本も借りてきたけれど、同じような本ばかり読むと頭がこんがらがるので、別の本を読んだ後で読むことにする。
2003年04月21日(月) |
変な人が書いた成功法則 斎藤一人 |
講談社α文庫 2003
この本は新聞の広告で知った。それで本屋をぶらついていたら発見して、ちょうど読む本が切れていたのでつい買ってしまった。
この本を書いた斎藤一人氏は、高額納税者日本ナンバー1になったこともある人。スリムドカンという名前の漢方薬(やせ薬だろう)を発売している人。以前、ニュース番組かなんかで彼の特集を見たことがあったような。かなり昔のような気がするけど。
この本はある意味ちょっと精神世界っぽいところもあった。特定の宗教ではなく宇宙の法則、神の法則に従って生きるみたいなことが書いてある。一番感銘を受けたのは「困らない」ということ。「あなたは本当に困っているのか?」という問いかけ。確かに私が悩んでいることなんて、本当の話、困ったことになんかなっていることはほとんど一つもなくて、将来的に不安だとかそういう漠然としたもので、将来起こるかどうかもわからないことを心配しても仕方がないことなんだと思う。まあ、みんなそうは思っても心配してしまうのが人なんだろうけど。
私は今までも色々なこういうことを書いている本を読んで、自分でも実践しようと思ったりするんだけど、なかなか難しい。でも、こういう風に色々な本に書き方とか言い方は違っても似たようなことが書いてあるのは、ある意味真理ではないかなーと思うことも多く、自分の人生にもよいと思ったことは取り入れていくのもよいのかなーと思う。ただし、すべての考えに共感できるわけはない。自分が共感できるところだけ取り入れていけばよいのではないかと思う。
この本はどっちかというとビジネスで成功したい人向けだったような気もする。私はそっちの方面にはあまり興味がなかったりするのだが、成功ということについて、HPのことを考えてみた。ある意味、多くの人が訪れ、成功しているページの一つにはなっていることだろう。まあ、バレエをやっている人の中ではということであって、一般市民にとってはどうでもいいようなページだとは思うけれど。で、有名になってくると叩かれたりする。実際自分もされているらしい。そういうのを思うと嫌な気分になって、こんな思いをするならやめたろうか・・・と思うこともあったが、この本を読むとそんなの当然のことだし、そういう否のマイナスのパワーも利用して飛翔するのだとあった。
ここを読んでちょっと思った。今の私は確かにHPにかける時間みたいなものも少なくなり、内容的にも飽和状態に近いような気はしている。(まだまだ実はやりたいと思っているコンテンツもいくつかあるけど、気力が起きてない) 人から色々言われるのが面倒だというのもあって、縮小していこうかと思ったり、色々な気持ちに日々変わっていくけれど、消極的になる必要がどこにあったんだろうかと思ってきた。私は悪いことをしているわけでもなく、ただ自分が思ったことを書いているだけだし、人に迷惑がかかることはなるべくしないようにしているつもりだし・・・。考えてみりゃ、自分がやりたいようにこれからもやればいいんだとは思った。サイトが大きくなるとその影響力は計り知れないものがあって、ある意味慎重にならざるを得ない部分もある。けれど、そういうことばかりやっていると自分がなくなってくるし、やっていてもつまらなくなる。自分が面白いと思うこと、自分が知りたいこと、人がやっていないこと、人の役に立つこと・・・自分がHPを始めたときやりたいと思ったこと・・・すべて人まねじゃなかったと思うし、だからきっとここまで大きくなったんだろうなあ。(実際、他の人がすでにやっていることだと作る気が起きない) 自分が書くのが好きなのは誰にも止められないと思うし、それは決してバレエという面だけではない。今後ももし万が一バレエのサイトをやめたとしても、どこかで細々と書いているような気はしている。(実際他のことで書きたいことはあり、考えていることがあったりする。このサイトと直結させるつもりはないが・・・。まあ誰にも言わないでやるだろうけどね、そのときは。どこにもリンクもしないだろうし、HNだって別のにする)
なんかまとまりがなくなったけれど、色々と思ったわけだ。ビジネスで成功したい人は読んでみるのも面白いかも。ただ男と女の視点はちょっと違うから、この人の書いていることすべてに共感できるわけもない。でも、この本では、それは当然だし、あなたが成功する法則はあなたにしか書けませんと言っている。押し付けがましいところがない。この人、本当はどういう人なのだろう? ちょっと見てみたいような気もした・・・。
2003年04月16日(水) |
淋しい狩人 宮部みゆき |
新潮文庫 1997
STORY: 親友が遺した古本屋を営むイワさんと週末になるとその手伝いに訪れる孫の稔、親友の息子で刑事のカバさんを軸に、本にまつわる様々な事件を描いた作品。
感想: 私はあまり短編集は好きではない。1話読むとそこで余韻があって、次の作品をすぐに読み出すのがつらい感じ。さらに、読み出してもその作品の世界に入れない。入ったと思うと、話が終わりになってしまう・・・ということで、短編集を読むことはマレである。
この作品はどっちかというと短編集に近いのだけれど、登場人物の軸となる人が同じなので、それで読もうと思った。宮部みゆきの話によくある高校生の男の子とおじいさんや刑事とのやり取りが続く話である。
自分としては可もなく不可もなく・・・って感じかな。一番印象に残ったのは「うそつき喇叭(らっぱ)」というお話。児童虐待をめぐる話だけれど、意外な結末にびっくり。こんなことが本当にあったとしたら子供は安心して学校に行けないわ。
2003年04月04日(金) |
まほう色の瞳 エンリケ・バリオス |
さいとうひろみ訳 うんのさしみ絵 徳間書店 (2001)2002
STORY: 科学者であるルーカスはパホ族の住むサンズ島で休暇を過ごすのが常だった。ある日、礁湖の姫エリナと出会ったルーカスは彼女こそが自分の真の妻であることを知る。エリナはルーカスに地球の真実などについて語る。
感想: 図書館でこの本を見つけたとき、子供向けの本なのかと思った。絵が子供向けだし、文中にも簡単な漢字にもルビがふられている。でも、内容は簡単でもなくて、私の頭の中ではかなり難しい感じだった。
このような理想の世界が本当にあればなーと思うのだが、今の地球は戦争が起こり、まったくもって破滅への道を進んでいるようにしか思えず、今後どうなっていくのだろう?と思ってしまう。
この本はいわゆる精神世界の類の本である。今までもそういう本は嫌いではないのでいくつか読んできたが、どのような本も同じようなことを言っている。だから、多分それは真実なのでは?とも思うのだが、かといって自分に応用できるかというとそうではなく、なかなか難しいものだと思う。
この作者、「アミ 小さな宇宙人」という本を書いている人だとあとから知った。そして、なんとこの本、絵はさくらももこなんだって。そういえば、なんか前に見たことあったかも。また変わったことしてるなーと思いつつ、買ったりはしなかったのであった。最近さくらももこづいていたけど、不思議な縁を感じた。ということで、早速この本も予約してみてしまったので、そのうち読むことになるだろう。
NHK朝の連続ドラマ「まんてん」が終わった。
最初の頃、ものすごいつまらなくて、生理的に受け付けないような感じがして、もう見るのをやめようかと思ったほどだったのだが、大阪編に入ったあたりから段々面白くなっていって、最後まで結構楽しめてしまった。何といっても脚本が緻密だったと思う。話に無理がなかった方だと思う。この枠のドラマはやっぱりいつでもどうしてそうなるの?というようなわけのわからない展開とかになることが多いのだが(多分そうしないと半年とか長期間持たないんだろう)、このドラマはそれが少なかったように思う。
また、たとえばどうして?と疑問に思うようなことも、そのあとで(数日後とか数ヵ月後であるが)その時の心情などをきちんと描いていて、なるほど、そういうことだったのか・・・というのがよくわかるようにできていた。また、回想シーンの使い方がとてもうまく、いつもなら回想が入るたびに時間つぶしか?なんて思ってしまうのだけど、このドラマの場合はそれが効果的にうまく生かされていて、余計に感動が深まっていたと思う。
最初の屋久島時代、ここで挫折して見るのをやめた人も多分多いんだろうと思う。私も見るのをやめようかと思ったくらいだ。(今まで大学時代あたりよりずっと見てきているのに) 何といっても主人公の満天が突拍子がなさすぎるし、母親の美帆子(浅野温子)がものすごい怖いの。一体どうして自分の娘に対してこんなにきついんだろうと思ってしまう。
しかし、大阪編に入ってからは大阪の個性的な人物に引きずられるように、段々話に入り込んでいけた。どの人も個性的で面白かったし、話に無理がない方だったと思う。
大学に行かず宇宙飛行士になれるのか?という問題も、今は無理だけどこの話では・・・という設定でかなえられた。ドラマだから、そういう断りをいれてくれれば特に問題はないかなと思ったし。
で、実際に最後には満天は宇宙へ行ってしまう。最初、このドラマが始まる前に主人公が宇宙飛行士を目指すなんて、また大それたドラマできっと失敗するぞと思っていたけれど、これがなかなかそうでもなかった。やっぱり宇宙に行って、宇宙から見た地球の姿なんかを見せられると本当にきれいだなーと思うし、思わず画面に目がくぎ付け。私たち人間ってこんな地球の中では本当にちっぽけな存在だよね。なのに、今は戦争がおこっているけれど。
このドラマの途中でコロンビアが帰還中に爆発事故を起こしたこともあって、宇宙へ行くということがどんなに危険を伴うものなのかがよくわかった気がした。私はあんな事故(チャレンジャーのような)はもう二度と起こらないと思っていたけれど、やはり人間が作るものに絶対はありえないんだなと思ってしまった。それもあってドラマが決して大げさではなく宇宙に行くとは危険であり、戻って来れるかわからないのだということを伝えていたのだということがわかった。さらに、宇宙を目指す人というのは、自分が死ぬのを覚悟で、それでもいいから宇宙へ行きたいのだということも。どうしてそうするのかわからないけど、地球に人間がいる限り、絶対に宇宙への渇望のようなものは消えることがない。確かに危険でお金も膨大にかかって一体何の役に立つのか?と思われる面もなくはないが、やはり人間って冒険心、未知のものへの欲求みたいなものがあるものなんだなーと思った。
最後、宇宙からの帰還のシーンがなかったのはちょっと残念だったが、うまい具合にまとまっていてよかったように思う。最初のイメージで見るのをやめてしまった人はちょっともったいなかったかも・・・。
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