2003年02月28日(金) |
汚辱のゲーム(上)(下) ディーン・クーンツ |
田中一江訳 講談社文庫 (1999)2002
STORY: ペンキ屋のダスティとその妻でゲーム製作者のマーティ。ある日、マーティは突然自分が残虐な殺戮を好み相手を傷つけるのではないかという恐怖に襲われてパニックに陥る。ダスティの義弟スキートの自殺未遂、そして、広場恐怖症に苦しめられていたマーティの親友スーザンの自殺。見たこと読んだことなどを詳細に覚えておけるという特異な能力のあるダスティは、この3つの事件につながりがあることに気づいて・・・。
感想: 久しぶりに面白いクーンツの作品だった。私は危ない思考を持つ残虐な人間が人を殺しまわるというような内容よりは、この作品のように心理的に操っていくというようなほうが受け付けるようだ。
それにしても、この作品を読むと、精神科医や心理学を専攻している人があやしい人に思えてくる。洗脳されてしまいそうで怖いというか。実際のところ、精神科医って胡散臭いところはあるなーと思うし。そもそも何かのトラウマがあってそのせいで精神を病むみたいなそういう風潮が好きじゃないからかも。そして、そのトラウマを見つければ精神の病は克服できるというものなのか? 疑問だ。それから、薬漬けにすることの恐怖も。
私がクーンツの作品を読んでいつもよいなーと思うのは、夫婦や恋人同士の愛の絆の深さ。これがあるから読んでいても安心できるんだと思う。こういう感じが理想なんだけどなーといつも思う。
それとクーンツの作品にはよく日本のことやバレエのことが引用されたりする。今回は日本の俳句に焦点が当てられていた。原作はもちろん英語だから翻訳者の人が上手く訳しているんだろうけど、アーリマンが詠んだ俳句は一体英語だとどういう感じだったんだろう?ってちょっと思った。
2003年02月23日(日) |
世界でいちばん優しい音楽 小沢真理 |
全16巻 講談社 1993〜2000
STORY: 駆け落ち同然のように暮らし始めた皓(あきら)と菫子(スウ)。二人は子供が生まれたら入籍しようと誓い合っていたが、皓は子供が生まれる前に他界。スウは生まれた子供のんのんと二人での生活を始める。ママとのんのんのやさしくほのぼのとしたやり取り、そして、周りの人々のことが綴られる。最初は3歳だったのんのんも最後には4年生へと毎年成長していく。
感想: 面白い小説とか漫画とかを読むと、いつもすごく続きが読みたい、先に進みたいと思うんだけれど、その反面、終わってしまうのがとても寂しく残念な気持ちにも襲われる。この作品も例外ではなくて、続きがとても気になるけど、あと〜冊で終わりかーと思うと、段々寂しさが募ってきた。久しぶりに漫画の長編を読んだけれど、やはり読んで正解だった。
この漫画を読もうと思ったのは、友達のお見舞いの品を探している時だった。上原君子の作品が文庫化されたものがあって、こういうのもいいかなと思ったのだけど、その作品はバレエとは関係がなかったし、入院中って気分も悪いだろうから、あまり文字が詰まったようなのとかは読めないかなと思って、結局買うのはやめたんだけど、そのときにふと目に止まったのだ。なぜ目にとまったかといえば、タイトルに「音楽」とついていたから。バイオリンをやっているから音楽が取り上げられている作品も読みたいなーと思ったりしていたし。そして、確かその表紙にはお母さんがチェロをやっている姿が描かれていた。それを見て、文庫化されているのだし、多分人気があったのだろうとも思ったこともあるし、読んでみようと思った。幸いなことに図書館にセットがあったんで早速予約。
実はこの漫画、一番最初はのんのんが高校生という設定。この1話目を読んで、あれ??って思った。あまり面白くないじゃーんという感じ。私は表紙のあらすじから子供とお母さんのほのぼのストーリーだと思っていたのに・・・とちょっと拍子抜けだった。でも、この話は実は読みきりだったみたいで、本当の話は3話目あたりから始まる。そして、ここから先は本当にこの世界に飛び込んでよかったーというくらい面白い。なぜ最初にこの話を入れてしまったんだろう??って本当に思う。漫画の1話目を読んで、面白くなかったら長いものは買わない人だっているだろうし・・・。入れるにしても別のところに入れたほうがよかったと思うのだが。
ところで、この1話目はのんのんが高校生になったときの話だと前にも書いたが、実際のストーリーが進むに連れ、この1話目の設定が邪魔になってきたみたいで、結局この話は最後の結末には結びつかない。一応その後のエピソードの中で、成長したのんのんの夢ということでつじつまあわせをしてるんだけど。
まあ、何はともあれ、面白い。子供ってこんなだよなーと思うし、何より漫画の中でのんのんが成長していき、それにつれ行動が変わっていくのが面白い。作者の娘さんがのんのんと同じような年だったようで、書きながらともに成長していったんだろう。「子育てはこんなに簡単じゃない」という批判などもあると聞いたのだが、子供を持つ人には是非是非読んでもらいたい作品の一つ。
ちなみに私はモーリと西園寺さんが結構好き。2人のその後は子供が生まれたりしたんだろうか・・・とちょっと想像してみる。
講談社文庫 1988
STORY: 私立の女子校に勤める数学教師であり、アーチェリー部の顧問である主人公は、命を狙われているとしか思えないような出来事に何度か遭遇して、犯人を探そうとしていた。そんな矢先、男性用更衣室の密室で同僚の生徒指導担当の数学教師が毒殺されるという事件が起こり・・・。
感想: この作品は東野圭吾の確かデビュー作ということだった。一時期東野圭吾にはまったことがあって、そのときに解説で読んだ。そして、この本は一度図書館で借りたのだが、読む暇がなくて返却してしまい、その後もなぜか縁がなかった。ということで、今回はリベンジのようなもの。
主人公の数学教師はマシンとあだ名されるちょっと気弱で生徒には無関心な先生。でも、力で押し付ける先生よりはこういうタイプは害がないと思われている節もなくはないのかも。ただやっぱり積極的に話したいと思うような先生ではないのは確か。彼の視点で描かれているので、文体も数学っぽいというか、結構重々しく理路整然としている。そういう文体に重いなー、だるいなーと思ってしまうのだが、数学教師という人種ならこういう感じかもと思ってしまう。
作品は88年だからもう今から10年以上前の作品だけれど、女子校の感じはこんな感じかなとは思う。ただし、今時の女子高生はどうなんだろう? ちょっとやっぱり違うかもしれない。私はリアルタイムの女子高生だったから自分の頃を思い出すとこんな感じだったと思うんだけどね。
なんか久しぶりに学校の雰囲気とかを思い出した。部活動とか、学校の行事とか。この話は先生の視点から描かれているので、生徒の時には感じなかったことがよくわかるというか、今、自分が大人であるから、もし自分が先生になるとしたら同じように思うかもしれないなーとは感じた。たとえば生徒なら同じ教室で先生が来るのを待っているわけだけれど、先生の場合はいろんな教室に授業に行くんだよね。なんかそういうのって生徒の時には感じなかったんだけど。
あ、あと結構伏線がわかりやすいというか。最後まで出てこないのかな?って思っていたら、最後に出てきたんで、そういうことだったか・・・と思った。色々と絡み合っていて殺人事件の謎解きだけで終わっていないのは結構プラスかもしれない。
2003年02月08日(土) |
黄泉がえり(ネタバレあり) |
映画「黄泉がえり」を見に行く。結構人気があったらしく、ロングラン(?)になっているようで。
しかし・・・冒頭のシーンあたりから、なんだかよくわからない。というか、登場人物が多すぎたりして、なんだかいまいちわかりにくいのだ。そして、何というか退屈な感じがするシーンが途中何箇所もあって、う〜〜ん、正直、面白くない、つまらないと思ってしまったのだった。(私的には、もっとエピソードをカットしてすばやい展開にしたほうが観客の心をぐっと捉えられるような気がした)
もちろん感動シーンはいくつかあるのだ。田中邦衛の家族の会話とかも感動だとは思うが、なんかどうも「北の国から」を思い出してしまって違和感が・・・。その他、いじめで自殺した子がよみがえって淡い初恋を楽しむとかはまあまあさわやか。
草薙くんと死んでしまった男を思い続けている竹内結子との展開。これが多分メインなんだろうけど、気づくの遅すぎだろーとか思ったり。またエピソードがわかりにくくて、わからない人もいたかもしれないぞ、あれじゃ・・・。最後抱きしめられなかったのはかわいそうだったけどねー。草薙くんって最近ますます頬がこけてしまったような気がする・・・。
でも、結論から言うと、一滴の涙も出なかった。「スパイダーマン」ではあんなに泣けたのに、泣けるはずのこの映画で一滴の涙も出ないとは。(見に来ている人の中には泣いている人もいたとは思う。もちろん、涙がにじむ場面はあるけど、泣けるとまでは言えない)
というわけで、なんだかいまいち。欲求不満な感じが残ったな。
ところで、私にはよみがえらせたい人がいるか?と聞かれても、いないと答える。周りで死んでしまった人はまだ多くないし、葬式に出た経験も少なすぎる。もし自分の最愛の人がすでに他界していたらもう少し感情移入できたのかもしれない。
あと本当に残念だったのは、どうして死んだ人たちがよみがえったのか、そしてなぜまた土に戻ったのかの説明がほとんどされていないこと。意味がわからないよ、これじゃあ、って思ってしまったわけだ。家に帰って、たまたま新聞を見たら、原作本の広告が載っていて、どうもこれを読むと映画でわからなかったそういうシーンの解明がされているようなのだ・・・。うーん。なんかちょっと興味がある。もしかしたら本も読んでしまうかもしれない・・・。でも、本来、映画の中にそういう場面を入れてよねって思った。悪いけど、歌手が歌い続ける場面とか、私にはあまり必要ないと思ったもの。そういうシーンで謎を解き明かしてくれた方が100倍しっくり来たと思う。
2003年02月04日(火) |
プラムガール トレイシー・ポーター |
岡本浜江訳 ポプラ社 (2002)2002
STORY: ディリアは母を幼くして亡くし、姉のパールと父と3人で暮らしている。姉のパールは反抗期で魔術に凝り、父と衝突を繰り返している。ディリアは新しいバレエスクールに入学し、元ロシア人のマダムに教えを乞う。どんどん頭角をあらわしていくディリアだったが、上のクラスに入り舞台での役の競争という現実に直面したとき、自分が変わってしまっていくのを感じるのだった・・・。
感想(ネタバレあり): この小説は子供向けの小説なのだとは思うのだけれど、内容的にはそうでもないような気がした。作者のトレイシー・ポーターは自分自身、厳しいバレエスクールを卒業しているらしく、バレエについての描写はなかなかのものだったが、訳者が用語を知らないのもあるのか、多少間違っているバレエ用語などもあるなーと思った。たとえばロン・ドゥ・ジャンブ・アン・レールなど。フランス語だから仕方ないのかもしれないけど・・・。
バレエスクールの厳格さなど、大変よく描かれている。拒食症の子供がいたり、先生が太ることに対してものすごく厳しく、みんなの前で注意するというのも、何となくわかるような気もした。それに役を巡る争いや、けがをして踊れなくなるということについても書かれていた。ありとあらゆる不安材料というか、バレエを否定していきたくなるような内容が散りばめられていたような気がする。(ただ、実のところディリアが身長何センチなのかよくわからなかったけど、13歳で49キロという事実。悪いんだが、これはバレエの世界ではかなり太めでは?って気もする。いや、身長が高いならOKなんだろうけど、まだ生理も始まってなくて13歳だとそこまで身長高いのかな?って思ったんだよね。それでもお父さんなんかやせすぎだと娘に対して言っているんだけれど・・・)
この話の最後は結局ディリアはバレエではなくブラジルの踊りみたいなものへと転向してしまう場面で終わる。今までのバレエ物語のような話だと、主人公はバレエ団に入ったりしてバレエを続けるパターンが多いし、あまりバレエの裏の暗い面については触れてない。この話はあえてそういう部分に話を持っていっているのか、実際読んでいてあまりにも暗くて、最初の方は入り込めない気がした。姉のパールは父親に対しても反抗的で妹にも誰にも心を開くことができないで苦しんでいるし。父親も妻を失い、2人の娘を抱えて大変な感じだし。バレエスクールではマダムが人の欠点をズケズケと口にするし。
バレエをやっている人って、完全主義の人が多いとは思う。きっちり基礎に忠実に、失敗は許されないというか。だから、そういう人の方が自分に厳しく厳密になれてバレエも上達する。でも、そういう中にいると、恥をかくとかできないということ自体が挫折であり、馬鹿にされているというか、自分の存在価値がないというような風に思い込まされていく傾向にもある。思春期にこのような厳しい世界に身を置くということは、ディリアのようになるという可能性も高いということだ。順調にバレエの技術を身に付け、また踊る場も保証されているような生徒の方が、実際少ないのが現実である。
その意味で、この小説はある意味、リアルなのだとは思うが、読むほうとしてはあまりすっきりはしない気がする。特に子供が読んで面白いのかな?とちょっと思ってしまったのだが・・・。ただ最後にディリアがどんどん落ちていく場面から先は、続きがどうなるか気になって一気に読めてしまったけれど。
ちなみに最後にディリアがマダムになぜ自分に対して厳しいことを言ったり、無視するような態度を取るのか?と尋ねる場面がある。このときにマダムが言う言葉はまさに真実だと思う。やっぱりバレエをプロで踊っていくということは非常に厳しいのが現実で、人から何を言われても踊っていけるだけの精神力とか強さが必要なのだと思う。
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