感想メモ

2002年12月30日(月) 新版 指輪物語9 王の帰還(下)  J・R・R・トールキン

瀬田貞二・田中明子訳 評論社文庫 (1955,1966) 1992

STORY:
いよいよ最終巻。サムが囚われの身になったフロドを助け出し、いかにして指輪を滅びの山に持って行ったか、そして、サウロンが倒れ、新しい世紀がやってきたあとのことについて描かれている。

感想(ネタバレあり):
 ついに指輪は滅びの山へ向かう。サムが非常に活躍していて、このような忠実な僕を持つフロドがうらやましかったりして。それから、指輪を持つということの恐ろしさも滅びの山でのシーンで思い知らされる。殺さずにおいたゴクリが最後に重要な役を果たすのも非常に興味深かった。

 本来ならここで話が終わっても不思議ではないのだが、そのあとどうなったかが描かれているのが面白かった。特にようやくホビット庄に戻ったのに村が変わり果ててしまっていたことは、普通の話とはちょっと違うなと思った。でも、こういうシーンがあって最初からつながっていることを実感したというか。実際、1巻がもう一度読み返したくなってきた。すでにホビット庄の人間関係を忘れてしまっていたので。

 最後にフロドたちが向かった先はどこだったのだろう。実はいまいちよくわからなかった。でも、指輪にかかわるということの恐ろしさをさらに印象付けるエピソードだったのかもしれない。



2002年12月20日(金) 精霊流し  さだまさし

幻冬社 2001

STORY:
櫻井雅彦(さだまさし)の自伝的小説。長崎出身の雅彦はバイオリニストを目指して日々練習に明け暮れる日々だった。家が没落しても、両親は苦しい中から雅彦にバイオリンを続けさせようと奔走する。東京に出た雅彦だったが、音楽の道に挫折し、普通の大学に入り、苦学生となる。大学に行くよりも料理屋でのバイトに熱を入れていた。しかし、体を壊し、大学を中退し、故郷に戻ることに・・・。

感想:
 NHKのドラマ『精霊流し』を見ていたので、ほとんどのストーリーが頭に入っていた。しかし、この小説は時間の流れが飛び飛びになって、非常にわかりづらく、もしこのドラマを見ていなかったら、意味がよくわからなかったかもしれない。

 どちらかというとドラマの方がエピソードが加えられていたりして、感動が深かったような気がする。この小説のどこまでが真実なのかがよくわからないけれど。

 なんとなくしんみりした気分になれる作品である。ドラマといっしょに楽しむとなお良いという感じ。



2002年12月11日(水) 新版 指輪物語8 王の帰還(上)  J・R・R・トールキン

瀬田貞二・田中明子訳 評論社文庫 (1955,1966) 1992

STORY:
アイゼンガルドでサルマンを倒した一行は三手に分かれる。ガンダルフはピピンを連れてゴンドールのミナス・ティリスへ向かう。アラゴルンはローハンの国王たちより早くゴンドールへ向かうため死者の道を通る選択をする。メリーは国王とともにローハンへ戻り、その後ゴンドールへ向かうことになる。ゴンドールではついに戦いの火蓋が切って落とされ、ゴンドール軍は壊滅の危機に瀕す。先についたローハン軍が間に入り一時形勢逆転かと見られるが、それもつかの間だった。しかし、ついにアラゴルン一行がやって来て壊滅の危機を脱する。彼らは会議を開き、モルドールへ進軍することを決める。

感想:
 相変わらず様々な本が間に挟まって落ち着いて読んでいるわけではない。

 この巻はフロドたちのことには触れていない。ただ戦いがどのように進行していくかが語られているので、戦いのはっとする場面とか、この後どうなるのかという進展を見る場面は早く進むのだが、それ以外の部分は何度読み返しても頭に入らなかったりして、進み方が鈍かったような気がする。

 いよいよ次巻が最終巻である。しかし、その前にまた別の本を読む予定。とにかくフロドがどうなったのかが知りたいのだけれど。



2002年12月04日(水) 椿山課長の七日間  浅田次郎

朝日新聞社 2002

STORY:
ある日突然死んでしまった椿山課長。あの世へ行ったものの相応の事情があるということで七日間だけ(といっても残された時間は三日間ほど)この世へ帰ることを許される。その日に同じくこの世に帰ることが許された3人(人違いで殺されてしまった武田組長、本当の両親を知らない少年・雄太)が折に触れて絡み合いながらこの世でやり残したことを遂げようとするが・・・。

感想(ネタバレあり):
 すでに朝日新聞の夕刊に連載されていたのを読んでいたので内容は知っていた。この小説はその夕刊小説に加筆修正したものだそうで、若干自分の記憶とエピソードの順番が違っているような気がしたり、また最後のシーンがどうも新聞のときと違うような気がしたが、読んだのはずいぶん前なので自分の記憶に自信はない。

 自分が生きている間、自分の周りのことというのはあまり見えていないのかもしれない。また、知らない方が幸せであることもあったりする。そして、人は色々な人生を歩んでいるわけで、世の中、全く悪いことをしなかった人というほうがマレなのではなかろうかとも思う。

 この作品ではあの世に行ったら役所のようなところでそれぞれの罪による別々の講習を受け、反省というボタンを押せば極楽に行けるのである。ということは、たとえ自分が本当に悪いと思わなくてもボタンを押せば極楽に行けるということで、極楽に行けるのにわざわざボタンを押さない人の方が少ないと思う。

 最後に武田を人違いで殺してしまった五郎がここにやって来る。彼は確かにろくな人生を歩んでは来なかったのであるが、それでもそんな彼にも極楽への道は続いていて待っていてくれる人がいるのである。そういうのを読んでいると、何をしても反省すればよいというのはひどいようでいて、その実、いいことでもある気もする。

 しかし、逆に椿山の父は正義実直の人で普通なら極楽往生間違いなしの人なのだが、少年の代わりに地獄へ行く選択をする。結局実直でまともな人に限って最後までバカ正直に自分が汚れ役を引き受けるわけだ。このあたりがこの作品が普通のありきたりな小説ではないところのような気がする。

 どんな人も自分の人生を最後まで全うするということ、それ自体が実は素晴らしいことなのだろうと思う。中に自殺をした人は別の処理になるというシーンがある。相応の事情がある人はその事情を考慮されるらしいが、そうでない場合はさらにつらい人生をもう一度やり直す措置が取られるという。どんなに厳しい人生、つらい人生でも、その人がその生を生き抜いたなら、罪も許されてしまうのかもしれない。確かに死人を悪く言う人はあまりいないし・・・。

 という感じで、いろいろなことを思ったのだけれど、やっぱりこの話、とてもよくできているし、なぜか泣けてくる。愛とは何か・・・とか色々と考えさせられる。またそれが全然固くない文章で面白おかしく書かれているところが誰にとっても読みやすく受け入れられやすいのではなかろうか。お勧めの作品の一つである。


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