2002年04月22日(月) |
迷路 アン・メイザー |
小林町子 訳 MIRA文庫 (1997)2001
STORY: 母の不義によって生まれた双子の兄弟。ネイサンは本当の父親の下に引き取られ、ジェイクは何も知らない母の夫フレッチによって育てられる。ところが、フレッチは事実に気づきジェイクは冷たい仕打ちをされつつ育つ。ある日、ろくでなしに育ったネイサンがジェイクに助けを求める。その助けを受けてしまったジェイクだが、たまたま乗り合わせた飛行機が墜落し、一命は取り留めるが記憶喪失となってしまう。ジェイクは双子の兄弟がいることを知らない妻のケイトリンに引き取られるが、離婚を考えていたケイトリンはよそよそしい態度を崩さない。しかし、二人は次第に惹かれていき・・・
感想: 最初の部分は意味がわかりにくく、読むのをやめようかと思ったのだが、読むうちに面白さにはまってしまった。双子が入れ替わってしまうという設定も結構好きなのだけど、何と言っても自分が誰だか思い出せないというところにスリリングさを感じるし、このあとどうなるのだろう?と思わせる設定。
ジェイクとネイサンの壮絶なやり取りもすごい。それにしてもネイサン、腐ってる・・・と思ってしまったけれど・・・。
とにかく文句なしに面白くのめり込めた。
2002年04月19日(金) |
椿山課長の七日間<2> |
昨日の夕刊だったかに、浅田次郎の記事が。
この作品のアイデアとなったのは何と自動車教習所なのだそうで。 最初のアイデアとしては成田空港みたいなところをイメージしていたそうだ。 そのバージョンでも話は面白くなったんじゃないかなーと思った。
またこの連載は去年の7月から続いていたようで、 考えてみるとかなり長い間私は毎日夕刊小説を読んでいたわけだ。 とはいえ、夕刊というのは、日曜日は来ないし、祝日も来ない。 だから、休みになることも多かったのだけれど。 確かにこの物語の冒頭は真夏だった。 暑いさなかと寒い季節が一番混雑するんですよ・・・という 会話があったけれど、やっぱりそういう季節に死ぬ人が多いということだろう。
ネットで検索してみたら、結構感想があったのだけれど、 みんな面白いと書いていたので何だか安心した。 この作品はもうすぐ単行本として出版されるらしい。 面白いのでオススメかも。
2002年04月17日(水) |
椿山課長の七日間 浅田次郎 |
朝日新聞夕刊連載小説 2002
STORY: デパートに勤務する椿山課長は、ある日、接待中に突然倒れ帰らぬ人となる。椿山はあの世に行くが、どうしても地上に戻りたいという相応の事情があるということで、七日間だけ地上に戻れることになるが・・・
感想: 朝日新聞の夕刊の小説。この小説のおかげで夕刊を読むのが楽しみだった。少しずつぶつ切れで読んでいるので、やっぱり最初から続けて読んでみたい気もする。かなり複雑な人間関係があったのに、その辺が甘くなってしまったのはやはり夕刊小説なので仕方がないところかもしれない。(だから、もう一度読み返せばもっとすんなり頭に入りそう)
何と言ってもこの浅田次郎の描くあの世の姿が面白い。お役所のようなところに行って、反省のボタンを押せば極楽に行けるという・・・何と安易な・・・と思うけれど、この世界観。普通の人じゃなかなか思いつかないだろう。
最初のうちはこの死んだらどうなる?というのにひかれて読みつづけ、そのうちに椿山を巡る人間関係に、そういうことだったのか・・・と驚き・・・と、かなり楽しく読むことができた。
それにしてもこの人の作品は死んだ人がよく出てくるような気がするなあ。ちょっと不思議な話が得意なんだろうけど、あまり堅くならずにすんなりと読めたので面白かった。
このあとの連載は柳美里だそうで・・・。うーん。重そう。読むかどうかはわからないところだわ・・・。
2002年04月13日(土) |
ハチ公の最後の恋人 吉本ばなな |
中公文庫 1998
ところで、全然関係ないけど、『ニョタイミダス』の作者の写真をひょんなことから見た。結構きれいな人のように思ったんだけど。パーツパーツを言われてみればそうなのかなーとは思ったけど、やっぱり大げさに書いてるんだね。
STORY: 宗教をやっている家に生まれたマオ。祖母から「おまえはハチ公の最後の恋人になる」と言われていた。家出をしたときにハチという男と知り合ったマオはハチの家に転がり込むが・・・。
感想: 吉本ばななは一時期ものすごくちやほやされていて、私はそういう風に評判になっている人の本を読むというのが何となく好きではなかったので、今までにも読んだことがない。(もちろんちやほやされる前からファンだった人の場合は、ようやく認められたかと思う程度だけど) 実は1冊借りて読んでいたのだけれど、途中で返却の期限がきてしまい、とりあえず返してもう一度借りようと思ったら、予約が入っていて本を取り上げられてしまったのだ。でも、その本をもう一度読みたいともあまり思わなかったので、そのままになってしまったという過去がある。
そして、この本も・・・やっぱり途中でももういいやと思ったかもしれない。とはいえ、とても短い話なので1日で読み終わってしまったけど。
私はどうも日本の純文学とでもいうのかな? そういうジャンルの本がいまいち好きじゃない。特に自分が傷ついていたり、生き方を模索しているわけのわからない主人公というのがあまり好きじゃないのね。自分の意志がなくて、何をしていいんだかわからなくて生きている・・・そういう人が主人公の話というのは、読んでいても何だか疲れてくるわけ。こういうのが好きな人っていうのは自分も悩んだりしているから好きなのかな。私は自分が悩んだりしている時にこんなのを読んだらだめだーと思うほうだから、あまり受け付けない。けど、日本の場合、(外国もそうなのかはわからないけど)こういう作品がもてはやされる傾向にあるのはなぜなのだろう? だから、私は日本の作品が好きではなくて、今までも海外のものばかりに手を出してきていた。
吉本ばななは確かみずみずしい感性とか、そういうのを売りにしていたような気がするんだけど。やっぱり私にはあまり理解できないのかなあ。 まあ、面白い場面もないとはいえないし、表現にはっとするところもあるかもしれないけれど、何だか読んだから何が残るというわけでもないしなあ。
小説として面白いものを作って、その中に作者の思想をちりばめるというのはとても読んでいてもすんなりと入ってくるのだけれど、こういう感じだとなんかどうでもいいなーって思ってしまう。やっぱり日本的みずみずしい感覚の作品・・・とかいうのにはなじめそうにない・・・。
2002年04月12日(金) |
ニョタイミダス 酒井順子 |
新潮文庫 1999
この本はエッセイというのか? 女性の体のパーツパーツを色々と説明している本である。
もっと面白いのかと思って読んだんだけど、そうでもなかった。ということで途中で飛ばし飛ばし読んでしまったなー。
それにしても著者は自分をブスでスタイルも悪いみたいな風に本文中で書いているのだが、実際に本当にそういう人なのか、写真でもあればなあと思った。きっとこんな風に書いていても、実際は違うんだろう・・・と思ってしまう自分がいた。
2002年04月08日(月) |
ハリー・ポッターと賢者の石 J・K・ローリング |
松岡祐子 訳 静山社 (1997)1999
STORY: 両親を交通事故で亡くし、おじ、おば、いとこの元で暮らすこととなったハリー・ポッターは、おじの家族から虐げられて暮らしていた。11歳の誕生日を控えたある日、ハリーの元に魔法学校からの入学許可書が届き、ハリーは魔法使いを養成するホグワーツという学校へ入学することになるが・・・。
感想:(ネタばれあり) まず最初に映画を見た。だから、印象は映画そのものといった感じで、その映画を補足してくれるような、さらにその時の世界が広がるような、そんな感じだった。映画は本当に原作にほぼ忠実に作られているのだけれど、映画のほうが感動を大きくしたり、面白くしたりするために少しだけ変えている場面もあった。
まず一番最初に動物園で蛇の水槽を見る場面。原作だと蛇のガラスが消えるだけだけれど、映画では、ダドリーが蛇の水槽の中に落ちてしまい、水浸しになってしまう。(その前に、本だとダドリーの友達も一緒に動物園に行っているけど、映画は確かハリーと家族だけだったと思う) そして、水浸しになったあと、水槽から出ようとするのだけれど、消えたはずのガラスが再び現れてダドリーは水槽に閉じ込められてしまう。実はこのあとどうやって水槽から出たんだろうなーとか、映画を見ていて思ったんだけど、この演出はかなり面白さを誇張していて、観客のつかみをよくしたんではないだろうか。その意味で成功ではないかと思った。
それから最後の方。ハリーが医務室のベッドで寝ているとハグリッドが両親の写真を集めてそれをアルバムにして持ってきてくれる。ところが映画では、この場面は最後のハリーがおじさんの家に帰省しようとしているまさにその時にハグリッドが渡してくれることになっている。これは感動を深めていて、このシーンをこっちに持ってきたのは映画の終わり方として非常にふさわしかったのではないかと思った。 この他にも何箇所か違っているところはあったが、説明していると大変なことになるのでやめておく。
実は映画の最後でハリーがおじさんの家に帰るってことにびっくりした。原作を読むと、ハグリッドが島の小屋からハリーをすぐに連れ出して、そのまますぐにホグワーツに向かったのではなく、そのあといったんおじさんの家に帰って新学期が始まるのを待っていたことがわかった。実は映画ではそこがはしょられていて、なんでハグリッドはハリーと一緒に学校に行ってあげないんだろう?って思っていたんだけど、まだ日にちがあったからだったのね。 それから、ハリーはその他のお休み(クリスマス休暇とか)では一度もおじさんの家には帰っていないのね。でも、夏休みは学年が変わるからか、やっぱり学校には残れないのかなあ。イギリスの事情に詳しくないからわからないのだけど。昔、氷室冴子の小説を読んで、寮のある学校に行きたいって思った中学時代を思い出してしまった。きっとこの本を読んで寮のある学校に行きたいと思った子供たちは全世界にいっぱいいるんじゃないかなー。でも、イギリスって結構寄宿制の学校ってありそうな気がするけど。
さて、この本は私の子供が成長していく物語が好きっていうのにも、ファンタジーが好きっていうのにも、わくわくする話が好きっていうのにもぴったりあてはまってしまい、本当にうれしい限りの本だった。
ハリーについて、思ったことは、結構ハリーって意地悪なんだなーってこと。でも、それが逆に子供らしいと思う。たとえば世界名作劇場なんかだと、主人公はどんなに家族や周りからいじめられたとしても、その家族のことを恨んだり、仕返ししてやろうだなんて思わないんじゃないかと思う。でも、ハリーはやられたら一応黙ってはいても、心の中ではそうは思ってはいないし、やられた相手が失敗したりひどい目にあえば、ざまあみろ・・・と思ったりする。それって本当に人間っぽいなと思った。でも、結構性格悪いってことでもあるかもしれないんだけど。
なんか映画では人の名前が難しすぎてよく覚えられなかったんだけど、本を読むとそういう単語のごろみたいなのもすごくよいなーと思った。グリンゴッツとか・・・なんか響きが好き。
この作品、全7巻なんだそう。今、日本ではまだ3冊しか出ていないし、映画も3部作だという話だったので、3冊で終わりなのかと思っていたのだけれど。図書館で借りたので、この本が届くまでも3ヶ月以上はかかったわけで、そう考えるとこれから予約すると2巻、3巻はいつになったら読めるかはわからない。でも、ちょっと楽しみに予約してみようかな。
ちなみに分厚いわりにはすんなりとすぐに読めてしまった。ただ持ち運びが重すぎてすごい大変。子供向けの本なのだから、せめてもう少し軽く作るとかしてはどうなんだろうか?と思ってしまった。 それから、ペーパーバックも機会があったら読んでみたいなー、と思った。
2002年04月03日(水) |
シッピング・ニュース |
ラッセ・ハルストレム監督、ケヴィン・スペイシー主演 『シッピング・ニュース』
『シッピング・ニュース』とは『港湾ニュース』という意味だそう。
主人公はある日女と知り合い、その女と愛し合うが子供ができたあと女は男に愛想を尽かし、(というか、ただ単に女が移り気なだけなんだけど)子供は男が面倒見て、女は他の男と遊びまわり・・・。そして、ある日娘を連れて女はいなくなるんだけど、それは娘を裏の養女斡旋業者に売ってお金をすでにもらったからで、つまり娘を売りに行こうとしたから。その時、事故を起こして彼女は死んでしまい、子供だけは残る。 男は子供とともにおばさんという人と自分のルーツであるニューファンドランド島に移住することにするんだけど、そこで元やっていた新聞社のインク係の職を求めたところ、そこじゃインク係なんていうのはいらなくて、ほしいのは記者だけだと言われ、やむなく主人公は記事を書くことになるわけで・・・。
前の段階での予想だと、この記事を書く取材を通して町の人と知り合って男が変わっていくのかなーと思わされていたのだけど、そこまで大量の人にインタビューをするわけでもなく、どちらかというと仕事の場面はあまり出てこない。 彼はこの島でちょっと障害のある子供を育てる未亡人と知り合うのだけど、次第に恋におちていく。女も自分の夫に捨てられたようなもので・・・。
まあ、とにかく色々と心に傷を持つ人がそろいもそろっているようなそんな内容だけど、実際のところ最後までこの問題に何らかの決着がつくわけでもない。それどころか実はかなり不可思議なことも起こっていて、これをどう説明つけるんだ?とも思ったりもするわけだけど。
ただこの映画で最もわかったのは、親の育て方で子供は変わるってことかなあ。悪い親に育てられると子供がかわいそうというか。悪い親の元にいる子供は親のやっていることを見て、知らず知らずのうちに似ていくというか。 それと、なんでこの男はこんな悪女にひっかかるんじゃあ??と思ってしまう。どう見ても悪い女なんだよね、これが。でも、男は彼女が死んだあとも彼女のことが好きみたいで忘れられていない。子供も悪い親なのに母のことが忘れられない・・・。
うーん。でも実はこの映画、かなりいろんな問題がちりばめられていて奥深いのだろうね。ただ淡々と日常が描かれているし、その奥深さっていうものもじっくり見ないとわからないかも。結局最後まで結論が出ないし、なんだかモヤモヤした感じで終わってしまったけれど、逆にここではっきりした結論とハッピーエンドみたいな終わり方をしたら、その方がリアリティがないような気もするし・・・。 かなり向き不向きがある映画かもしれない。その証拠か、ガラガラだったよー、映画館。ラッセ・ハルストレムのほかの作品は見てないんだけど、『ショコラ』とかすごい人気だったことを思うと・・・かなりお寒いよね、この状況は・・・。
2002年04月02日(火) |
イグナシオ 花村萬月 |
角川文庫 1999
STORY: 両親を知らずハーフの美しい容貌に生まれたイグナシオは、修道院で生活を続けていた。ある日、友人を殺したことからイグナシオは変わっていく。修道女の文子と関係を持ち、ついには修道院を飛び出し、新宿へと向かったイグナシオが行き着く先は?
感想: 失敗した・・・。花村萬月という人は有名な人で、読んだことがないから読んでみようと思ってこの本を手に取ったのだけれど、解説を読んで初めて少しわかった。というか、このような作風がこの人のすべてなのだとしたら、私は二度とこの人の本は読まないだろうと思ってしまった。 暴力シーンや性的なシーンが多用されていて、こういうのが好きな人にはいいと思うのだが、私にはどうも受け付けなかった。 それでも最後まで読んだのは、最後にこの少年がどうなっていくかに少しは興味がもてたからなのだが、やっぱり最後まであまりいい気分がしないまま終わってしまった。 解説によると神がいるのかとかそういう深遠なことも書かれていたようなのだが、確かに時々この少年が言う言葉にははっとさせられるものもある。けどね、やっぱり行動が納得できないのだ。私にはどうも合ってなかったとしか言いようがない。
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