2002年03月26日(火) |
愛をもう一度 ジョアン・ロス |
小林町子・小長光弘美 訳 角川文庫 (1992) 1997
STORY: アル中の母の代わりに石油会社を牛耳るクィンランの屋敷で働くことになったキャシー。クィンランの長男ロークと恋に落ちるが、ロークとは離れ離れ。おまけに妊娠が発覚し、屋敷では窃盗の容疑をかけられ逮捕されてしまう。結局故郷を離れざるを得なくなったキャシーはニューヨークでついに疲労のため倒れ、ニーナという親切な女性に助けられる。ニーナはモデルエージェントの経営者で、キャシーの美貌に目をつける。子供を産んだあとキャシーはトップモデルとなる。何度も悲惨な経験を繰り返しながらも成功を続けていくキャシーの半生を綴る。
感想: これは本当に女性向けなので、多分男性は読んでも面白くないだろう。 最初はなんじゃ、こりゃ・・・と思いつつ読んでいたけれど、途中から夢中になってしまった。私は子供が苦労しつつ段々成功していくというような話が大好きなのよ。それもあって楽しめた。 あと、この中に描かれている世界が楽しかった。まず金持ちの一家。長男のロークだけがよい男だけれど、何事も自分の思うままにしたい父親と衝突し、家を出てしまう。それに比べて下の兄弟たちは意地悪でぐうたら。金に物を言わせて、郡を牛耳っているため、たとえ無実でも罪を着せられてしまったり。 クィンランの姉がこの家を取り仕切っているけれど、オークションにキャシーを連れて行ったことから、キャシーは美術品に興味を持ち始め、最後には自分のオークションハウスを持つまでにいたる。この美術品の説明とか、オークションの様子などもなかなか興味深かった。 そして、もう一つ。キャシーの子供のエミリーは生まれながらに耳が不自由だった。その子のために奔走するキャシー。アメリカの障害者への教育方針などが垣間見える。 この本の中に描かれるお金持ちはクィンランのように自分の私利私欲のためにお金を使い、気に入らないことがあるとそれをことごとく壊そうとする傲慢なタイプと、サムのようにその余ったお金を寄付したり、有益なことに使うタイプとが出てくるけれど、やはり最後には他の人のために何かをしてあげる人のほうが勝つんだなーと思った。 なお、この本は結構ラブシーンが多いのである。最初のうち、ロークってなんて奴などと思ったのだが、どうもロークは最初から最後までいい奴として描かれている。でも、私はこの中ではニーナやサムのような人にひかれた。ロークは・・・うーん、時と場所を選んだら?と思ったり・・・。私はあまりいい男とは思えなかったな。
2002年03月16日(土) |
続 ビューティフル・マインド |
ネタばれなくて感想なんて書くことはできないのかもと思ってきた。
この映画を見て、色々なことに興味を引かれた。そこで色々と調べてみたりしたことがある。
まず精神分裂病というのは一体どういうものなのか?ということ。 映画の中では幻覚として3人の人物が出てくる。本当にそうなのだろうか?と思ったわけだ。 調べてみると確かにそういう症状があるらしい。 そして、前に新聞でも読んだけど、この分裂病という呼び方はおかしいということで、これから総合失調症だったかな? そういう呼び名に変えていくらしい。ライ病がハンセン病となったようなものだと思う。
あと、その治療法について。ナッシュは電気ショックみたいなのを与えられる療法を受けていたみたいで・・・。 調べた結果、今はそういうことはほとんど行われていないようだ。服薬治療が一般的で、薬を止めると再発する可能性はかなり高く、再発を繰り返すと治りが悪くなってしまうらしい。 映画の中でナッシュは薬を飲まず再発していた。薬には副作用があり、だるかったりボーっとしてしまったり・・・女性の場合だと月経不順などが起こるらしい。だから、飲みつづけるのを拒否する人もいるらしいのね。 その後、幻覚とともに歩むことにしたナッシュだったが、薬を続けていたのかは触れられていない。多分飲んでなかったのではと思うが・・・。 でも、果たしてこういう強い意志の力で病気と付き合っていくことができるのかどうか? そういうことも何となく気になったのではある。
それからもう一つ、一体ジョン・ナッシュは何でノーベル賞を受けたのか? 実は映画の中でナッシュが研究していたことはほとんど説明がない。多分そのような難しいことを映画中で説明してもわからないということがあるのではと思う。確かに最初の方でナッシュが説を思いつくシーンなども、見ていてもあまりよくわからないというのが正直なところだ。天才の考えることはよくわからないっていうか。 大学時代に書いた1本の論文が認められ、ナッシュはウィーラー研究所へと就職が決まるわけだけど、どうもこの論文がノーベル賞を受けた元になっているようだ。 結局、最後までわからなかったのは、ナッシュはその後、病気を克服して大学に戻ることになるが、そこでも色々と数式を書いたりしていたわけ。この最初の論文を元にさらに研究を続けてその成果がノーベル賞を受賞するにふさわしかったのか? それとも、今はノーベル賞とは別の研究に没頭しているのか? それがわからなかったのはちょっと残念だったかもしれない。
さて、ナッシュは実在の人物であり、今もなお存命中だ。そのこともあり、この映画がアカデミー賞にノミネートされていることとあいまって、米国ではこの映画が美しすぎるし、事実を伝えていないと批判的意見が相次いでいるらしい。
確かに映画の中では精神分裂病について深く追求もされていないといえば、されていない。ただ、妻のアリシアの方が感情を爆発させるシーンなどはある。子供を抱えて、だんなは病気で仕事もできず・・・。私は一体どうやって生計を立てていたのだろう?と思ったが、中にどっかでパートをしているみたいなシーンがあったので、多分妻が働いていたのだろう。そういうつらいシーンはほとんど出てこなかった。 そして、このあたりからどんどん時間が進んでしまい、深い描写は避けられている。あっという間にノーベル賞授賞式になってしまう。とはいえ、やっぱりすごく感動することはするのだけれど。
ちなみに実際はナッシュはアリシアと結婚する前に別の人と結婚して子供をもうけていたとかいう話を読んだ。やっぱり映画と実際は違うんだなーと、改めて思わされてしまった。
2002年03月15日(金) |
フォレスト・ガンプとビューティフル・マインド(ネタばれあり) |
テレビで『フォレスト・ガンプ 一期一会』を見た。 といっても、途中からで子供時代を見逃した。 この映画、結構好きなので、見出すとつい見入ってしまう。 2回目となった今回、話を忘れていた部分も思い出し、 やはり感動するシーンは同じなんだと再確認したとともに、 やっぱりジェニーはわからんと思い、 最後ジェニーはエイズで死んだんだろうなーと思い、 だとすると、フォレストと残された子供もエイズになる恐れも あったりして??と思ったりして。 でも、やっぱ献身的な愛みたいなのには感動してしまうのよね。 それと私が好きなのはダン中尉が立ち直っていくところだったりする。 どうして死なせてくれなかったんだ?とフォレストを責めたダン中尉。 そんな彼がフォレストにエビ釣り漁船の上で、 『まだおまえに命を助けてもらった礼を言ってなかったな』と 一言言うシーン。なんか感動する。
『ビューティフル・マインド』は実在の人物でまだ生きているらしいジョン・ナッシュというノーベル賞を受賞した数学者の人のお話。 この映画、最初の方はナッシュが大学生で同じ大学の人と競争したりするわけなんだけど、このあたり、やはり数学者とか天才の人の頭は良くわからんといった感じ。 残念だけど、最初の方で飽きてしまう人もいることだろうと思う。 しかし、その後、ストーリーは急展開。暗号解読の権威として国家機密プロジェクトにかかわることになり、ロシア人に命を狙われ、そして・・・ と、サスペンスアクションっぽい感じで、ぐいぐいとひっぱられる。 が・・・なぜかなぜかそれはすべて精神分裂病の幻覚症状だったのだ・・・。 ナッシュが真実なのか、それとも・・・とわからなくなるが、やっぱりナッシュは病気だったのね。 妻となるアリシアは妊娠してしまっていて、夫への接し方に迷ったりもするんだけど、結局夫を信じ、夫を入院させずそのまま暮らし続ける。 そして、ナッシュが頼ったのは結局大学時代の友人。彼の友情にも心が熱くなる感じだった。 最後には教鞭もとり、ノーベル賞を受賞。その演説がまたウルウルくる感じ。
最初の方で飽きてしまってはもったいない映画だったのねということがわかる。 この映画、アカデミー賞にもノミネートされていて、3月の終わりから上映だそう。 なんかしんみりと感動したい人にはオススメかも。 ちなみになぜか見に行ったとき笑いが起こる場面も多かったというか。 私はそこまで反応はできなかったけど・・・。 あと、チャールズ役の人がなんかマラーホフに似てるような・・・ いや、なんとなく感じが・・・。
講談社文庫 1997
STORY: 長年希望していた文芸の編集者として異動した実藤は、着任早々、あまりのやりがいのなさに失望する。しかし、やめていった編集者の置いていった原稿の中から「聖域」というタイトルの未完の作品を探し当てたとき、実藤はこの作品を完成させなくてはという気持ちになる。実藤はこの作家を探し出そうと懸命になるが・・・。
感想(ネタばれあり): この作品、スケールが大きい・・・の一言。だからジャンルは何だと言われてもなかなかこういう作品とは言えないのだけれど、一つ言えるのは、死後人間はどうなるのか、生とは死とはを見つめた作品であるということ。 主人公が亡くした大切な人を思う場面では思わず泣ける感じ。そして、「聖域」の作者を探し出すという過程にもなかなか納得ができる。 しかし、結局この作品では生とは死とは?という課題を投げかけたのに、それが完成することなく(作中の小説「聖域」とある意味、同じだと思うが)、最後は突き放すように終わってしまう。この部分で何らかの結論を出すことさえもなく、また主人公は何もかもを捨ていきなり編集者の仕事もやめてしまっている。 このラストにはちょっと納得がいかなかったが、そうは言ってもこの作品のスケールの大きさは変わることがない。あえてこのような難しい問題に結論を出さなかったということなのかなーとも解釈できる。
先日読んだディーン・クーンツの「生存者」では、死後は別の世界があり、そこは生の世界よりも幸せに満ち溢れていて、死というものはまったくもって辛い悲しいものではないのだ・・・という世界観だった。欧米のものに限らないかもしれないが、最近このような死後の世界観というのが作品に登場することが多い。 しかし、この作品では、死後の世界はあり、幸せであるというような考え方とともに、死後の世界は無であり、最初から存在すらしないというような説も描かれている。主人公はどちらが正しいのかを追い求めるが、やっぱり結局は死んでみないとわからないとしか言えない。 ただ、死というものはやはり普通一般の人にとっては恐ろしく怖いものであるというイメージが強い。そのことを考えると私は「生存者」とか「三つの願い」という作品のように、死後はとても楽しい世界が待っていて、死ぬことは辛いことでもなんでもないという考え方の方が好きだなーと思う。
それにしても最近、なぜかこういう作品ばかり選んでしまう。なぜだろう? 不思議だ。
2002年03月08日(金) |
続 モンスターズ・インク<ネタばれあり> |
私ってどうもディズニーの絵が受け付けないみたいなんだね。 どうしてなのかわからないんだけど、予告で流れた「ピーターパン2」の絵も 私はどうも好きじゃなかった。人間が・・・怖いんだよねー。 背景画とかは嫌いじゃないんだけど。 白雪姫なんかの顔もすごい怖いんだよね。なぜか。
どうも日本のアニメとか漫画を見慣れている私には、 宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の絵だったらすんなり入っていけるのに ディズニーアニメだと入っていけないんだ。
でも、モンスターたちのキャラクターは最高だった。 特にギョロ目ちゃんの彼女。 あの髪の毛のスネークのセンスといいなんかよかったよー。 そういえばギョロ目ちゃんの彼女とのデートで使われた 大人気らしい高級レストランが寿司を出す店で、 「いらっしゃいませ!」という日本語で出迎えてくれるんだよね。 ちょっと笑えた。
サリーは文句なくかわいいと思うし、サリーが主役だったからこそ なかなか見れたんだけど、これがもしブーが主役だったら・・・ ダメだったかもしれないなあ。
どうして人間の女の子とか男の子の顔が怖いんだろう。 ブーも私には怖かったのよ。もっとかわいらしく普通のキャラだったら もっともっと感情移入できて感動できたのかもしれないのにー。 そう思うとちょっと残念だ。
それと、最後に気になった点を挙げておこうと思う。 矛盾というかなんというか。
まず最後のチェイスシーンなんだけど、ドアが閉まると モンスターたちの世界には戻れないはずで、 ヒマラヤあたりに置き去りにされたサリーとギョロ目ちゃんは どうやってこの状況を何とかするんだろう?と 私はすごく思った。ドラえもんみたく何かの知恵が思い浮かぶのかと。
しかし、なぜか近くの村に行き、そこのドアを開け、 モンスターの世界にあっけなく帰ってしまったのよね。 それって普通常識でできることなの? それから、ギョロ目ちゃんは、そのときに一緒についていかなかった。 なのにあとからそりとかもないはずなのに、 なぜか元通りモンスターの世界に帰ってきているではないか。
確かに子供向け映画だよ。でも、そういう設定でいいのかなーと 私には矛盾が残った。そういう設定までもきちんとしてほしい。 最初の方は完璧な世界観だったのに・・・。 あと子供に触ると死ぬみたいな感じで最初の方は大騒ぎしていたけど 結局ブーを触っても何も起こらなかった。 あれって、そういう風に思わされていただけということなのか? 社長なんかもブーを渡されても全然動じてなかったけど。 このへんもよくわからなかった。
そして、最後、これは個人的によくわからなかったんだけど、 社長はどうして逮捕されてしまったのか? 何の黒幕だったのか・・・。 そして、あのむかでみたいなの(ランドールだっけ?)と 社長はグルだったんだろうか? なんだかよくわからない。 (あのなめくじの女親分の声はサイコーだったね)
最初の方はすごくおもしろかっただけに、最後の方のこのつじつまの あわなさが私にはちょっと残念だった。 そういうところも納得できるように作ってくれてれば 絶対もっと感動できたはず・・・と思うんだけどね。
(でも、私ってストーリーをよくわからないことは多いので もしかしたらそういう矛盾点をきちんと説明してくれていたのかもしれない。 それに気づいていないだけなのかも)
2002年03月07日(木) |
モンスターズ・インク <ネタばれあり> |
ディズニー系のCGアニメっていうんだっけ? 「トイ・ストーリー」なんかと同じクレイアニメだっけ?? とにかく、この映画はその手法を使った作品。 1時間半ちょっとと短いはずだけど、途中でちょっと飽きたかも。 もしかして、人でなしなのかな。
最近、自分が大人になったのか、子供の純粋な気持ちを忘れたのか、 だんだん子供向けすぎるものが受け付けなくなっているのかもしれない。 といっても、実際「千と千尋の神隠し」も途中で飽きた私だ。 そのときの体調にも左右されるのかもしれないけれど。 (今日は体調はいまいちだったといわざるを得ない)
話が面白いというよりも、私はこの設定がすごいと思った。 この世界観。これを考え出せるだけですごいなーと思うわけ。 ストーリーうんぬんより、こういう世界観が普通の人にはないと思う。 だから、この最初の部分の引っ張りはすごくうまかったと思う。
でも、そこまですっごい泣けるとかそういうことはなかった。 唯一、ぶーが描いた絵とドアの破片を貼り付けているところ・・・ そこではほろりと来る感じだったけど、あとはあっさりしてたな、私は。
最後でわかったのだけど、ぶーはサリーを子猫と間違えていたのね。 確かに毛がふさふさしていて猫に見えたかもしれないけど。 子供って小さい頃ってにゃんにゃんもわんわんも区別つかないもんね。 そういうことだったんだーと最後の場面で気づいた私は鈍すぎかも。
ところで、一番最初にあった鳥のアニメはなんだったんだろう? やけにおかしかったけれど。
2002年03月04日(月) |
スイート・リトル・ベイビー 牧野修 |
角川ホラー文庫 1999
STORY: 話を説明するのがすごく難しいと思う。 かつて幼児虐待の経験を持つ主人公の女性は、今では保健婦として働き、ボランティアとして児童虐待の電話相談員をしている。 主人公は児童虐待の関係者と関わったことから、奇妙な事件に巻き込まれることになってしまい・・・。
感想: うーーん。とても感想が書きにくい。というか、終わり方がよくわからなかった。なんだか中途半端というかなんというか。 角川ホラー文庫ということで怖いのかと思っていたら、そこまで怖いものでもなかったけど、内容的に言うとファンタジー的傾向もあるかなと思う。 幼児虐待・児童虐待というテーマを元に面白い部分もあるのだけど、最後の持っていき方がいまいちだった。 もしやるなら、児童虐待なら虐待だけのテーマで作品を仕上げた方がよいかと思った。あえてファンタジーの部分を書く必要もあまりないような気も。 とはいえ、タイトルには関係しているかな・・・。 私的にはいまいちすっきりせず終わってしまい、なんだかがっかりだった。
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