宿題

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2006年05月31日(水) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
(50歳を過ぎてからの高田さん)

今も朝の五時六時には目が覚めてしまう。
奥さんはまだ寝ているから、自分で湯を沸かしてスープをつくり、
ロールパンを食べながらビールを飲んだりする。
そのうちに奥さんが起きてくると今度はしっかり朝ごはんを食べて、
昼過ぎまでワイドショーを見たりしてぼんやりしている。
夕方前くらいになると「ちょっと出かけてくるよ」と言って家を出て、
本屋やレコード屋をうろうろし、いせやに寄って一杯飲んで、
夕方には家に帰る。
以前は家で晩ご飯を食べてからまた飲みに出ていたが、最近はさすがに
それがしんどくなってきて、家でおとなしくしていることのほうが多い。


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月30日(火) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
(まだお酒の飲めなかった、20歳頃の高田さん)

それでも、京都での生活は楽しかった。
たとえば、なにがしかのバイト代が入ると、そのお金がなくなるまで
うだうだして過ごした。
昼ごろにもぞもぞと起き出し、まず三条河原町の喫茶店”六旺社”に行って
起き抜けのコーヒーを一杯飲み、本屋や洋服屋を冷やかしたあと、
”さくら食堂”で飯を食い(その当時、さくら食堂は学生向きの安くてまずい飯を
出していた)、三条堺町の”イノダ”に行ってまたコーヒーを飲んだ。
コーヒー一杯がたしか九十円くらいの時代であった。
夕方になると、よく中川五郎と待ち合わせて、”マップ”という喫茶店や、
”進々堂”という茶店に寄り、”十字屋”でレコードを漁り、同志社大学の学食で
夕飯を食い、その帰りに喫茶店”わびすけ”に顔を出し、そして最後にまた
六旺社でコーヒーを飲んだ。
ひとり部屋に帰れば帰ったで、ぼそぼそと詩を書いたりレコードを聞いたり
本を読んだりして、明るくなったころにようやく眠りについた。


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月29日(月) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
永山は一九七一年に『無知の涙』というタイトルの獄中日記を出版しているが、
これを読んだときに僕は素直に「ああ、すごいな」と思った。
殺人を犯してしまったことはそれとして、彼の書いた詩がとても素朴で良かったのだ。
僕はそのなかのひとつに曲をつけた。
『ミミズのうた』という曲である。


目ない 足ない おまえはミミズ
真っ暗な人生に 何の為生きるの

頭どこ 口どこ おまえはミミズ

話せるものなら 声にして出さんか

心ない 涙ない おまえはミミズ
悲しいのなら鳴いてみろ
苦しいのなら死んでみろ

生まれて死ぬだけ
おまえはミミズ
跡形もさえ消され
残すものもない憐れなやつ

おい雄か やい雌か
おまえはミミズ
踏んずけられても
黙っている阿呆な奴

判ってる 知っている
おまえはミミズ
先っちょ気持ちばかりに
モコチョコ動かすだけ

ニョロニョロ 這いずり
おまえはミミズ
チョロっと遠出して
日干して果てた


この曲を録音するにあたり、東京拘置所にいる永山に一度会いに行ったことがある。
面会して録音の許可を求めたときに、彼はこう言った。
「詩は音楽なんかじゃ表現できないよ」
彼と話していて僕が感じたのは、「ずいぶん頭でっかちになっちゃったなあ」
ということだった。
取り巻いていたインテリ連中にちやほやとまつりあげられ、
またいいように利用もされていたからだと思う。
案の定というか、二冊目の著書はあまり魅かれるものではなかった。


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月28日(日) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
事務所の不正が発覚した。
五つの赤い風船のメンバーに対してギャラのダンピングを行ったのである。
それまでは所属シンガーのスケジュールをびっしり組んでしっかり
儲けているのに、ちょっと仕事がなくなったらすぐにダンピングをするというのは、
どうしたって納得できない。僕は怒りを抑えられず、
「そういうことをするのでしたら抜けます」と言って、事務所を辞めた。

第三回中津川フォーク・シャンボリーは、二日目の夜に一部の観客が暴徒と化して
メインステージを占領、やれ「自由がない」「僕たちの歌がない」などと
朝までしゃべりまくったという一件のある、いわくつきのコンサートである。
実はこのとき、武蔵野タンポポ団はメインステージとは離れた別の会場で
演奏を行っていた。あのバカな連中にステージを邪魔されなかったことは、
今でもほんとうに良かったと思っている。

言いすぎかもしれないが、学生運動のただ中にいた人たちは、
ある意味で自分たちの都合のいいように
フォークソングを利用していたのではないかと言う気がする。

そもそも僕は集団の中に入ってなにかをするというのがあまり好きではない。
たとえばデモに行くのだったら、自分ひとりでゼッケンを引っ掛けて行くのが
本来の姿だろうと思うのだ。
印刷したゼッケンをみんなでぶら下げていくようなものは、
デモでもなんでもない。

ベトナム戦争に反対する市民連合のべ平漣は、代表者である作家の小田実のもとに
多くの知識人や無党派市民、学生らが集まって、さまざまな活動をしていた。
しかし、実を言うと僕はべ平連をあまり好きじゃなかった。
なにしろ僕がこの世でいちばん嫌いな男のひとりが小田実だったからだ。

(「戦争しか知らない子供達──沖縄フォーク村イン東京」というコンサートで)
沖縄の連中の歌を聞いているうちに、だんだん不愉快になってきた。
慣れないヤマト言葉、つまり標準語で歌う彼らが、
聴衆にウケようとしているように見えたからだ。
僕は自分の出番になって数曲歌ったあと、つい言ってしまった。
「あなたたちは自分の言葉を持っているんだろう。
なのにどうして内地の言葉で内地向けのような歌を歌うんだ。
自分たちの言葉で歌えっ」


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月27日(土) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
国歌斉唱の練習で、僕ひとりだけが歌わないでいたら、先生から
「どうして歌わないんだ」ととがめられた。僕はこう言った。
「うちのお父さんが『君が代を日本の国家だとは認められない。あれは艶歌だ』
と言ってますので、僕は歌いません」

学生服を着ていないのは僕ひとりだった。
「どうして学生服を着ないのか」という先生に対しては、
「義務教育には服装の規定がないと聞いています。
なのにどうして軍服の名残りである学生服を着なきゃならないんですか。
僕は着ません」と答えた。
父がそういう考えだったし、僕もそれが正論だと思っていた。
まして、うちに学生服を買うゆとりなどあるはずもなかった。

三鷹の中学校に編入して間もなく、全国でいっせいに能力検定テスト?が始まった。
これに対し、「人の人生をこんなもので決めてしまうなんて」と反発したのが
日教組の先生たちだった。
ところが、試験の当日になって彼らは言った。
「とりあえず名前だけは書いてくれ」と。
それに大きな疑問を感じた僕は、クラスのみんなに
「名前を書かないでそのまま出そう」と持ちかけた。

のちに通っていた夜間高校では、僕は新聞部に在籍していた。
その学校の学園祭で歴史の先生が軍歌を歌うという話を聞き、
新聞の論説にこう書いた。
「今は軍歌の時代じゃない。時代錯誤もはなはだしい。
その軍歌のもとに、どれくらいの人が死んだのか知ってるのか」

職場では月に何度か学習会が開かれた。
会を主催していたのは民主青年同盟。当然、そこではマルクス云々という
話になるのだが、ヘソ曲がりの僕がおとなしく聞いていられるわけがない。
「『資本論』というのはとてもいい本なんでしょうけど、
西洋人の発想で書かれた本でありますし、彼らとは生活も違うわけだから、
それをそのまま読んで納得しろというのが、どうも僕には理解できません」

当時会社のおエライさんたちは、会社が『赤旗』を刷っていることから、
”人民の弾丸”を気取り、それを下のものにも押し付けようとした。
「君たちは人民の弾丸なのだから、ボーナスのこともちょっとは我慢しろ」
というわけだ。冗談じゃない。
弾丸も一歩外に出れば、なにか食べなければ生きていけないのである。
それを皮肉って社内報に書いたところ、
「なんだコイツは?『赤旗』を刷っている会社にいるというのに、
なんてヤローだ」という声が噴出、

入学早々、学校で全校生徒集会が開かれていた。
そのときに生徒相談役の先生が、
「いま学生たちはいろんなことで問題が多い云々」と言う話をした。
そこで僕は手を上げて発言した。
「すいません、新入生なんですけどひとつ言っていいですか?
非行化の問題は大人に原因があるからで、それを生徒のせいにしちゃいけません」
そう言ってしまった手前、成績が悪かったら示しがつかない。
だったらテストで満点を取れば文句も言われないだろうと思い、
勉強は一生懸命した。


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月26日(金) バーボン・ストリート・ブルース/高田渡
当時、息子は九歳か十歳。別々に暮らしていたが、毎年夏の一時期、
ある店でライブをしていたときだけはいっしょに過ごしていた。
それは息子を連れて北軽井沢へ行ったときのこと。
ある日の昼間、僕と息子はレストランでくつろいでいた。
暇だったので僕はギターを持ち出してきて曲を弾き、
息子がそれに合わせて歌を歌っていた。
そのときたまたま地元で知り合った息子の友達が何人かいて、
「おじいさんの古時計」という曲を弾いたときに、
息子といっしょになって歌を歌いだしたのである。
それを聞いたときに、「ああ、いいなあ。こういうのを録音してみたいな」
と思ったのだ。
これがとっかかりとなってできた「ねこのねごと」は、メルヘンチックな作品となった。


★バーボン・ストリート・ブルース/高田渡★

2006年05月25日(木) 森繁自伝/森繁久彌
私のことにしても、たびたび、シット深く
「あいつの昔を知ってますがね、満州ではひどい恰好で働いてましたが、
終戦まもなく引き揚げて来て、スキヤ橋でダンスの講師をやっていた男ですよ」
と得意そうにカゲ口をたたき、貸しもせぬのに
「随分、金を貸したり、面倒見てやりました」と吹聴してるのを耳にした。
が、最初から大した奴でありましたと毛頭云った覚えもなければ
私もそうなるとはツユ思ってもいなかったのだ。
ただ、どんな時にも、いやこれからも、私が何を考え、何を夢みてるかは、
他人には永遠に分らぬことである。


★森繁自伝/森繁久彌★

2006年05月24日(水) 森繁自伝/森繁久彌
次の日、子供が飛んで帰って来て、
「パパ、家のまわりに機関銃があるよ」
と云うやいなや、窓から四人のソルダート(兵隊)が土足のまま飛び込んで来た。
びっくりした私に、二人の蒙古兵が自動小銃をつきつけ、
バルチーク(中尉)が、私を指さして何かどなった。
するともう一人の背広を着たロシア人が、
「その場に静かにしなさい。反抗すると貴方は死にます」
と通訳した。これがなんと、いつも菓子を買いに行くアルメニヤという駅の
近所のロシア菓子店の主人ではないか━━うーむ、世の中は一変したのだ。
菓子屋の主人「あんた、モリシゲ、ね」
真青な私「そうだ」
憲兵中尉「(はげしいロシア語)」
この間、通訳の間があるんで即答しないのが大助かりである。
菓子屋の主人「私たちと一緒に行きます。なぜ行くかわかります、ね」
真青な私「わかりません」
憲兵中尉「(ドン、ドンとテーブルをはげしくたたいて、
ピストルを擬しながら早口でしゃべる)」
菓子屋の主人「あなた放送局、みんな調べました。シベリア行きます。
裁判あります。奥さん、寒い用意しなさい。いますぐ行きます」
土色の私「………」
私の顔面はおそらく色を失っていたのだろう。声が出なかったのをおぼえている。
子供たちは三人、祖母のそころへよりそって、パパがどうなるのかと、
泣くのも忘れた顔で見ている。
中尉はやおら立ち上がって「マリンキー(子供たちよ)心配しなくていいよ」
と笑顔を見せ、子供たちのいる次の部屋との間の襖を閉めた。
そして、ふり向くや大喝一声。通訳は━━
「あなたは、かくしますと、ソンです。もし、あなたが、シベリアへ行きたくないなら、
五人の人の隠れているところ教えなさい。━━大丈夫、あなたに心配はかかりません。
憲兵、警察、役人、軍人、あなた知ってるえらい人、たくさんあります。
その人は、今どこにいます。えらい人は、どこかに隠れています。
五人だけ、家を教えなさい。あなたは、行かないでいいです。どうぞ!どうぞ!」
私が返答に窮してふるえているところへ、救いの神のように、静かに
━━いとも静かに、女房が紅茶を持って入って来た。
そして彼女は、おもむろに皆の前に紅茶を出して、静かな口調で菓子屋の主人に、
女房「いつも買いに行くアルメニヤの小父さん、おぼえていますね、私の顔。
(主人は、ダ、ダ、と小さな声で返事をした)すみませんが、こちらの
将校さんに通訳して下さい。
わたしは、ソビエトという国は、今日世界の最も進歩的な国だと信じておりました。
ところが、はじめてお目にかかったその国の責任あるこちらの将校の方が、
こんなに礼儀を知らないのにびっくりしました。
こうして、土足のまま窓から入ってきて、いきなり家族のいるところで無作法な
ふるまいをなさいますが、これはお国の習慣なんですか?
小父さん、訊いて下さい」
どう通訳したか知らぬが、中尉もいくらかホコ先がくじけたのだろう、
紅茶は飲まなかったが、今度はやわらかい調子で、菓子屋になにかささやいた。


★森繁自伝/森繁久彌★

2006年05月23日(火) 森繁自伝/森繁久彌
久しぶりに帰って来たこの無頼の父を、それでもうれしそうに迎えてくれる子らの顔が、
栄養失調の故か、眼ばかりキョロリとして青くやせていたのにはやりきれなくて、
土方でもいいから働かしてほしかった。
元旦を明日に控えて、無力の父は、
「かくて暮れた今日と何の変わりもない明日であるのに、なにゆえ、
もったいらしく元旦なぞというんだ」
と、うらめしそうにつぶやいて、いものとろけた悲しい粥をすすりながら決心した。
私の腕にだけチカチカと音をたてて残っていた満州七年の労苦を一緒にした時計を、
その夜、白いお蔵の奥深く、二千五百円で入質した。
金を握ったらとたんに人間らしいぬくもりがもどってきて、
まだ起きていた店で卵を家族の数だけ六つ買って、
除夜の鐘に追っかけられるように走った。
「これ!」
と女房にお金をさし出して、子供たちの前でこんどは誇らしげに新聞紙をひらいた。
「卵、まあ!買ったんですか?」
「うむ、全然動物のにおいのせん正月じゃあ始まらんじゃないか━━。
卵焼きでもつくったら」
「すみません」
「おい!子供たち、卵だよ。ホラ、見てごらん、これが卵。鶏の生んだ卵だよ!」
子供たちはうれしそうに眼を見はった。
初日の光はうららかにさし込んだらしいが、元旦のお祝いもどうせあるまいと、
六畳の隅にいぎたなく寝くずれていたが、
「起きてパパ!」
と子供たちにゆり起こされ、
「さあ!お祝いをしましょう!」
という晴々とした妻と子供の声に、しょうことなく顔を洗った。
鼻の下の長い話で恐縮だが、
(どうしてこんな時にこんなことが出来るのか、これで何度目かの経験だが)
女というものは、時に得体の知れぬえげつないほどの力を出すものだ。
驚くべし。
寝ぼけた私の眼にうつったミカン箱の膳の上には、まがりなりにも酒どっくりが一本、
そして、四角に切った白い白いモチもある。
上手にふくらんだ卵の厚焼きもある。
きれいに切ったミカンがカンテンの中にすがすがしい新春を告げていた。
そして、もっとびっくりしたことは、エビのフライまであるではないか。
━━これはかつて私が週刊誌に書いた”エビカニの日曜日”という随筆の中で
くわしく書いたが、「さあ、裏の川へ蛋白の補給に行きましょう」と、
家内と子供がザリガニを取りに出かけ、これをフライにして、
立派なア・ラ・カルト、ザリガニ・フライをエビとして私に食わせた━━
あの涙ぐましいフライまであるではないか。
「明けましておめでとう」
と云ったら、雑煮も食わないのに胸がつかえてどうしようもなかった。
人と人との生活は、こんな可憐な善事の積み重ねに、
離れがたき因縁をつみ重ねていくのであろう。


★森繁自伝/森繁久彌★

2006年05月22日(月) 森繁自伝/森繁久彌
或る日、村会を開いて、どこの家にも必ずあるという春画を集め、
どうせ持っては帰れぬものだから、これを兵隊たちに売ろうじゃないかと
議案がまとまった。
貧すりゃ鈍するの譬えか、しかし鈍どころではない、品も格もかなぐり捨てて、
ただ少しでも長く己が食いぶちを作ろうとする姿は、
祖先からの生活力の強さであろう、笑うものは一人もいなかった。

ところがこの迷案も、猫に鈴をつける話で━━この名品をいかにして
ソ連兵に売るかであるが、コミュニストといえどもこれの嫌いなものはなかろう、
というところまではよかったが、道行く旦那をつかまえての流し即売ということで
話が落ちついた。
まあ、手はじめにそこからやれば、大量取引の道も開けようという、
あやふやな商算となった。

ピストルを擬してついて来たこわい顔の兵隊が、
やがて大鼻子をほころばせ、正直にポケットの金を探りながら、
やっきになって買いあさるさまは、思想も主義も超越した人間の姿に他ならなかった。
そのうち、一人が二人を紹介し、二人が四人を━━やがて下士官も将校もあらわれて、
大方を売り尽くした時には、それらが米や野菜や肉と変わって各戸に配られ、
久しぶりにスキ焼の香りのする窓も見えたのは、
こちらも笑えぬ春の絵姿であった次第だ。


★森繁自伝/森繁久彌★

2006年05月21日(日) まるごと好きです/工藤直子
こう考えてみると、聞き手というのは日記帳のようなものだ。
相手は日記を書くかわりに、日記をしゃべっているわけである。
だから、「聞き手」というノートに、
意見や忠告がだらだらを書き込まれていたり、がさがさ驚いて動いたり、
みんなに公開されたりすると、日記は書きづらい。
「聞き手」ノートは、真っ白で、黙っているものがかきやすい。
そんなノートをみんなが選ぶようなのだ。
聞き手になれたおかげで、わたしの前でくつろいでくれるひともあり、
その結果、仲の良い友人同士になることも多かったが、
ときには悲しい思いもした。
つらくて苦しい部分をうちあけたりすると、うちあけたひとは、
その相手が(見すかされているようで)うとましくなることがあるのですね。
…ちょうど、昔のつらい日記を読みたくないように。
そんな感じでうちあけ話をされたあと、急に相手が遠ざかっていったということが、
ニ、三回あった。


★まるごと好きです/工藤直子★

2006年05月20日(土) まるごと好きです/工藤直子
「捨て猫を拾ってきたが、家で飼えず、また捨てにいくハメになり、
泣いたことがある。それを文男さんに見られた。文男さんは
『シートン動物記』の「裏町にゃんこ」━━野良猫が豪快に野良暮らしをやり、
まぎれこんだ品評会で入賞してしまう━━
その話の載っている巻をプレゼントしてくれた」


文男さんは元気づけてくれるのもうまかった。
わたしは、忘れっぽく、整理整頓がへたで、皿洗いをさせれば、皿を割るし、
洗濯させても汚れが落ちない。
へまばかりやって、朝晩しかられていた。
(当時は、洗濯機はないのでタライで洗う。
汚れ落しのテクニックが必要な時代である)
ある日、洗濯物の汚れが、ちっとも落ちてないと叱られているところに、
文男さんが居あわせた。
すねてふくれていたわたしに、かれはさりげなくいった。
「まず水でもみ洗いして、汚れをざっと落とすのがコツなんだよな。
それから水をかけて石けんで洗うとよく落ちるよ。
…直ちゃんは、まだ、そのこと習ってなかったんだよね」
こういわれると、ふくれてはいられないのである。
なるほどなと、砂に水がしみとおるように素直になれるのである。
(そうだ、へたじゃないのだ。ただ、コツをまだ習っていなかっただけなのだ)
と安心して元気が出るのである。


★まるごと好きです/工藤直子★

2006年05月19日(金) 情熱大陸/立川談志
例えて言うなら、俺のいいとき、もういっぺん爆笑問題よ、聞いとけと、太田。
田中もそうだろうけども。
一度聞いときな、俺の、っていうのはありますね。
特に爆笑の太田なんかにはあるよ。
見に来いっていうか、あいつに聞かせてやりたいなと思いますね。
そういうのはある。
太田くらいかな。


★情熱大陸/立川談志★

2006年05月18日(木) 情熱大陸/立川談志×石原慎太郎
石原「大丈夫か、お前影薄いぞ」
立川「当たってるよ、その言い方。
いや、あれからいくらか元気になったんだけど、また薄くなっちゃった」
石原「どうして?」
立川「知らない。
病気かね。年齢かね。その辺は愚痴言ってもしょうがないけどね」
石原「鬱だろ」
立川「うーん」
石原「似合わないって。どうしてそうなっちゃったの」
立川「だからね、もういいと、ここまで生きたんだからね」
石原「情けないんだよ、もう吐いてることから」
立川「自殺しねぇのが精一杯みたいなね」
石原「ああそうか」
立川「ひょっと飛び降りちゃうかもしれないみたいな」
石原「今頃鬱んなって、ちょっと遅いんじゃないか」
立川「だけど俺の鬱と芸とは。芸は悪くないんだよ、
だけどこういう状態になってると。
逆なのかね。こういう陽気に育ってきた人間てのは、
鬱になるヤツの了見がわかんないのかね、逆に」
石原「ハハハハ」


★情熱大陸/立川談志×石原慎太郎★

2006年05月17日(水) 高田渡/高田漣『27/03/03』の解説/鈴木慶一
この、NHK505stでのライヴは、2つの大きな意味が込められている。
1つは、ご子息の高田漣さんとの共演。
それはフォーク・ミュージックの持つ極めて大きな要素、
伝承と言う事を見事に具現化している。
伝承とは過去のモノをそのまま伝えると言う事ではなく、
常に現在が足されると言う使命を持っている。
それを、この演奏から感じ取る事が出来る。
もう1つは、高田渡さんのコンディションの良さだ。
漣さんとの血のコラボレーションがもたらしたのか、
それとも別に理由は無かったのかわからないが、
ギターのピッキングの1音1音から、声の隙間にもぐり込んでいる余白も含めて、
力強く、生き生きとしている。
私は、このライヴを番組でオンエアーした時、絶対に作品として
リリースされるべきモノだ、と強く思った。
こうして1枚のディスクとして、たくさんの人が繰り返し聴けるのは、大変に嬉しく、
さらには、深い悲しみも伴う。
渡さん、私はこういう演奏が聴きたかったんだよ。
そして、いい時に席を立ってくれた。
漣さんのソロの演奏も織り込めたんだ。
そして、絶妙の席への戻り方だ。
その後、席を立った渡さんは、2度と戻って来なかった。
あなたの席はずっと空席だ。誰も、そこには座れない。
椅子の上には高田渡の音楽が置いてあるから。
それを敷いて座るのは、柄が良くない。


★高田渡/高田漣『27/03/03』の解説/鈴木慶一★

2006年05月16日(火) 植草甚一の散歩誌/植草甚一
どこにいるのか分からないパトロンを捜しはじめる。
何のパトロンかというと新雑誌が出したくなったからで、その雑誌名がとてもいい。
うっかり今喋っちゃうと、お先に頂戴されてしまいそうだ。
仲間にだけ話して登録してからにしたほうがいい。
それも面倒くさいなあ。よし言っちゃおう。
「心配するな」というタイトルだ。どうだ。とてもいいだろう。
さっそく表紙のデザインを考えなくちゃならない。


★植草甚一の散歩誌/植草甚一★

2006年05月15日(月) ALPHABET WEEKS/川本真琴
虹色の煙の出る 君にぴったりなMUSIC
空に浮かぶラズベリー色のFUDGE
あと少しだけ稼げる 仕事見つけに行こうよ
ここにひとつだけ欲しいものがあった

虹色の煙の出る 君にぴったりなMUSIC
糸が切れて羽が生えたバルーン
たばこ屋のおばちゃんにピース ぜんぶやりなおせそうな
今はひとつ欲しいものをもってる

まわるメロディーに舞うものを謳う〜消えるでたらめな宙に描く〜


★ALPHABET WEEKS/川本真琴★

2006年05月14日(日) 青き理性に/小澤俊夫
水平線をめざし
帆を膨らませた心は
近づいてはいつも離れても
諦めることはないのだろう

愛という名のもとに
生命育つこの星では
目に見える過去からの手紙が
未来を照らし続けるだろう
  
筑波嶺を遥か仰ぎみる
この純情を誰が知ろう
まだ青き理性に強く立つ
きれいな名前をつけよう

ゆっくりと月が昇り
夜がこの町に降りても
涙は土深く流れては
花をいつか咲かせるのだろう
  
筑波嶺を遥か仰ぎ見る
この純情に胸を張ろう
まだ青き理性に強く立つ
きれいな名前をつけよう
きれいな名前をつけよう
いつまでも憶えていよう
  

★青き理性に/小澤俊夫★


■つくば市立吾妻中学校の校歌

2006年05月13日(土) 宇宙猿人ゴリなのだ/雨宮雄児
惑星Eから追放された
その悔しさは忘れはしない
宇宙を旅して目についた
地球を必ず支配する
「ラーよ攻撃の時が来た」(ゴリ)
「ウォーッ」(ラー)
私は科学者
宇宙猿人ゴリなのだ

誰にも負けない頭脳があれば
どんなものでも恐れはしない
万能椅子の威力みせ
人類征服くわだてる
「ラーよ さあやれ」(ゴリ)
「ウォーッ」(ラー)
私は帝王
宇宙猿人ゴリなのだ

自分の理想と目的持って
強く生きてるそのはずなのに
宇宙の敵だといわれると
身震いする程腹が立つ
「我々の力の程を見せてやれ」(ゴリ)
「ウォーッ」(ラー)
私は科学者
宇宙猿人ゴリなのだ


★宇宙猿人ゴリなのだ/雨宮雄児★

2006年05月12日(金) ★20世紀の終わりに/ヒカシュー★
20世紀の終わりに恋をするなら
惑星の力と師の魔術が必要
恋の断面図を透かして見てごらん
そこは廃墟か はたまた暗闇
声をあげて 頭を使って
声をあげて 頭を使って 求めるのは
はははははは なに


★20世紀の終わりに/ヒカシュー★

2006年05月11日(木) 宇宙家族カールビンソン/あさりよしとお
辺境パトロールの各艦には ひとりづつ 我々ネコが乗っています
このネコが航法管制および 火器管制コンピュータの代わりをするのです

もともとどんな生物も 惑星上の上下のある世界で発生し
進化したものです
ところが宇宙に出れば上下というものがなくなります

自分がどっちを向いているのか
そして相手に対してどう動いているのか
わからなくなってしまいます

そこで我々ネコの空間把握能力の出番となるわけです
我々は上下が入れかわっても
常にそれを感知し 理解しつづけられるのです

ネコジャイロの性能はすさまじく
戦闘中の艦の相対位置姿勢の変化を検出し
それらのデータを攻撃目標のデータとまとめて
共感能力によってリアルタイムで出力しあえるのです!!

つまり!!
ネコを乗せた艦はたとえ何艦あろうとも まるで一艦のような連携がとれ…
しかも!!高速かつ立体的な攻撃が可能なのです

このネコシステムの導入で
辺境パトロールの艦はいろいろな装備を不要とし
それらをとり除いたスペースを全部動力源にまわしてあります


★宇宙家族カールビンソン◇それ行け!宇宙パトロール/あさりよしとお★

2006年05月10日(水) ER
少し不機嫌なあなたってすてきよ。


★ER★

2006年05月09日(火) ER
「CD値が下がった。峠を越したよ、もう大丈夫」
「帰る前に寄ってみたの」
「結婚した年にケーキ屋を始めて、記念日には今でも3段重ねを焼くそうだ」
「…運が良かったわ」
「毎日がね」


★ER★

2006年05月08日(月) 時には、違法/坂本龍一
特に細野さんが宗教に関心を持って、
神秘主義とか神道とかにどんどんいく時期だったから、
今でもそうみたいだけど、そういうことも耐えられなくてね。
それでYMOがなんだか一種、宗教バンドみたいな様相を呈してきた。
それも怖かったんですよ。
必死で抵抗したわけ。もちろん、尊敬しているんですよ、音楽家としては。


★時には、違法/坂本龍一★

2006年05月07日(日) 「時には、違法」解説/村上龍一
時には、違法、いかにも坂本龍一らしい言葉だな、と思う。
何が、らしいかというと、正確なのだ。
「キューバリズムは抽象的だよね」
「シンコペーションてさ、抑圧が必要でしょ?」
「あの、49RSのレシーバー、音楽的だったね」
とにかく、坂本の口から出る言葉は、もそもそしているくせに、いつも正確だ。


坂本は、ドラマチック、という概念と日本一かけ離れた喋り方をします。
昔はアジ演説もしたなんて言ってますけど私にはとうてい信じられない。
「どうしてヒトは、言語という手段に頼らざるを得なかったのだろう…」
というような悲しみをたたえているような、
信じていないからこそ数学的に正確な言葉を選ぶというような


★「時には、違法」解説/村上龍一★

2006年05月06日(土) ロハスクラブ ロハス対談/坂本龍一×小黒十三
坂本「ぼくはロハスで大事だと思うのは、『エゴ』なんです。
おれはおいしいものを食いたい、おれはおいしい空気を吸いたい、
おれは安全な水を飲みたいというね。まず、「おれ」がどうしたいか。
そして、そのためにはどうしたらいいかを考えること」

坂本 「ぼくはエロいエコがあってもいい、と思っているんだ。
今はまだ世界中探してもどこにもないし、『ソトコト』もエロくないよね(笑)。
でも、“食って、SEXして、寝る”というのが生命の基本じゃない。
それがなかったら、この地球という星で35億年の生命は続いてこなかったんだから。
一番、生命の根幹にある、肝心なところだよね。
それが優等生的にきれいに排除されていることが、
まだやっぱり本物じゃない気がする」

 
★ロハスクラブ ロハス対談/坂本龍一×小黒十三★

2006年05月05日(金) フレンジャー/大塚愛
ミルクパンをほおばりつつ チョコパイにも手を伸ばす
もう1つ食べたいわ もう1つ食べたいわ
心を解き放って おしゃべりを楽しみましょ
もう1杯飲みたいわ もう1杯飲みたいなぁ…。

桃色の恋に悩んだ後 またチューしたくなる
仕事疲れを癒すブルースカイ 毎日が dance & fight!!

何かイヤになったら できる限りで いつだって そこにかけつけてあげる
何もいらないさ 好きにすればいい いつだって そこにいてあげるんだ!

手作りのおむすびランチ 中身はきっと ロシアンルーレット
もう1つ食べたいわ もう1つ食べたいわ
女は優しく強くよ 乾杯に花咲かせましょ
もう1杯飲みたいわ もう1杯飲みたいなぁ…。

いろいろとエネルギーが必要 緑で補給して
幸せ黄色の絆は ありがとう と ごめんなさーい!

何かに迷ったら 思うようにして いつだって 君の味方でいるよ
どんなストーリーも ありえる世界で いつだって君を受け止めてあげる

生きるからこそもっと燃える それは赤いハート
1人はとてもめんどうだから 毎日が フレンジャーで fight!!


★フレンジャー/大塚愛★

2006年05月04日(木) ご挨拶/谷川俊太郎
おれ
生まれたての赤んぼ
名前はまだない
母は杉の木だ
父はアザラシ
でもおれ
人間だ

おれ
お日さま見たよ
目じゃなくて
へそで見た
熱かった
気持ちよかった
こわいくらい

まわりで
大人たちが
わいわい言ってる
おれがここへ来て
うれしいって
おれも
うれしい

でも
ここどこだ?
まえにも来たっけ?

これなに?

そうだ
おっぱいだ
でも
なんでおっぱいだって
知ってるんだろ?
おれ

まあいいや
なんでもいい
生きてるのって
おもしろそう
おれ
死んだこともあるから
わかる

ありゃ
くさいよ
おれ

うんちしてる
母が笑っているよ
杉の木
風にゆれてる
そら
ずうっと
昔の昔まで続いてる
でも
それが
いまだ

アザラシの父
海で遊んだら
おれも
遊びたい
波になって
うねったり
しぶきあげたり

うん
いいよ
おれ
大きくなるよ
息して
飲んで
食べて
教えてもらう
いろいろ
ヘビのじいさんから
キノコのばあさんから
トンボのいとこからもね

パソコンもすぐおぼえるよ
サッカーだってうまくなるさ
星に愛されて
月にはちょっとシカトされるかな
泥はこっちから好きになる

以上
生まれたので
世界中のみなさんに
ちょいと
ご挨拶


★ご挨拶/谷川俊太郎★

2006年05月03日(水) 毎日かあさん/西原理恵子×やなせたかし
西原「戦争体験は漫画に影響しましたか?」
やなせ「それはすごい、作品づくりの中でありますよ。
一番大きいのは『正義というのは信じ難い』ということ」
「それともうひとつ。人生で一番、何がつらいか。
『食べられない』っていうことなんだよね。
『正義の味方』だったらまず、食べさせること。飢えを助ける」 

やなせ「『上京ものがたり』なんて、絵より文章が多いからねえ(笑)。
でも、僕はあの作品が特に好きだ」

やなせ「生きていくっていうのは、満員電車に乗るようなものでね。
その中で自分の席を見つけるということなんですよ。
満員でも、まず無理やり乗っちゃうこと。
そして、降りたらダメ。
乗ってさえいれば、貧乏でも何でも、必ず糧になる。
ミニスカパブも、夫と別れるのもね(笑)。
僕は漫画はずーーと売れなくてね。
『アンパンマン』も50歳過ぎてからですから。
それでもずっと書いていました。
家に閉じこもって、何の目的もなく書いていた」


★毎日かあさん/西原理恵子×やなせたかし★

2006年05月02日(火) 今日の家元(2006年5月)/立川談志
5月1日 医者と縁が切れるかどうかが人生最後の問題也。
2日 犯罪を犯したらまづは逃げなきゃ不可ない。
3日 ナニィ、面白くない?プログラムの何処に“面白い”って書いてあるんだ。
4日 中耳炎がまだ治らない。
5日 家元の色紙持っている奴ァ絶対に五千円以下で売るな。
6日 “枯れる”なんざァ晩年の小さん師匠を見りゃぁよく分かる。
7日 人類の半分は飢えてる、三分の一は飢餓寸前である。
8日 「子別れ」は無理かネェ。
9日 新橋演舞場なァ・・・。
10日 たかが中耳炎が何で半年も治らないんだ。
11日 エイブリー・ジョンソンはプレーオフの戦い方を識ってるはづだ。
12日 家元はズバッと云う、次の総理大臣は安倍晋三である。
13日 居たって居なくたってどうでもいい奴まで居なくなる。
14日 家元はいい発想をしている。
15日 円楽も時間の問題である。
16日 片付けるのはやめたァー。
17日 借金は金額の大小ぢゃぁない、「了見」の問題である。
18日 今日はよく寝てる。
19日 三社祭にでも行くか。
20日 マーベリックスガンバレェー。
21日 家元は寝ることに対して過敏になり過ぎている。
22日 ビールと睡眠薬と煙草の三点セット也。
23日 すぐに飽きちゃう・・・。
24日 フカヒレを作るのはあきらめた。
25日 野球はつまらネェ。
26日 亀井静香みたいに歳ィとって髪を真っ黒く染めてる奴ァ嫌だねェ。
27日 完全に頭がおかしい。
28日 ボォーっとしてきた・・・。
29日 すぐ物が無くなる。
30日 言い訳してから「子別れ」を演ってみる。
31日 耳がガサガサしてる。


★今日の家元(2006年5月)/立川談志★

2006年05月01日(月) キライキライもスキのうち/中原昌也×黒住光
中原「いやーほんとでも黒住さん、ロリコンじゃないってことだけが救いですよ」
黒住「そこだけは世間と戦ってきました。そこを評価してもらえると非常に嬉しい」
中原「だって黒住さんがロリコンだったらどうしようもないじゃないですか。
捕まりますよ。そこが一番尊敬できるとこかな」
━尊敬のレベルがもの凄く低いですね。
黒住「いやいや、低いとは思いませんよ。俺はそこだけは凄くかんばってるから」
中原「その意味では先輩なんですよ。現実と闘ってる気がするなあ。
偉いなあ。粋ですね」


★キライキライもスキのうち/中原昌也×黒住光★

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