宿題
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2006年02月28日(火)
クレイジーラブ/井上陽水
粋で悲しいクレイジーラブ 愛されていても 私ひとりが幸せを 胸に飾るだけなの 夜にゆられて さまよう先は もっと真夜中になればクレイジーラブ
夏の終わりの夕暮れに 消えそうな空に 夢を私がえがくのは 特に意味がないから 風に追われて 流されている もっとこのままでいればクレイジーラブ
星にあやしいクレイジーラブ 愛されていても 月が私を許すなら あともどりもしたいわ きらめく星と とまどう胸が もっとこなごなになればクレイジーラブ
夜にゆられて とまどう胸が もっとこなごなになればクレイジーラブ もっとこなごなになればクレイジーラブ
★クレイジーラブ◇かもめ食堂のエンディングテーマ/井上陽水★
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2006年02月27日(月)
点滅……/中原昌也
そもそも文学など、碌でもない人間が志す物だ。 金持ちのボンボンとか……少なくとも自分のような 工場とかで働いた経験のある人間がやるものなんかではない。 自分を完全に破滅させる方向に持っていかなければ、何も書くことなんて思いつかない。 のびのびと表現をしたいなあ、なんて考えているような余裕なんか持っていては駄目だ。 ゾッとするようなおぞましい自分。自分が忌み嫌う自分。それが小説を書く自分。 どうでもいい、つまらないことを何十枚にもわたって書ける自分だ。 そんな人間になるには、自分が「こうでありたい」という自分になってはいけないのだ。 あくまでも自分が軽蔑する人間になり切らなければならない。 自分をまるで与り知らぬ領域に持っていかなければ、 こうして無駄で面白くもなんともないことを饒舌にバカバカと書いたり出来ない。 そこまで苦労して、やっとまっとうな人間の半分くらいしか稼ぐことが出来ない。
★点滅……/中原昌也★
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2006年02月26日(日)
女たちのやさしさについて考えた/中原昌也
突然、そこで迷わずにズタズタに引き裂く。 ネクタイの不意をついて、隠し持っていたカッターを取り出して縦にスッと切る。 何度も切れ目を入れる。 「これは、誰から贈られたものだったっけかな」 本当はわかっているくせに、わざとプレゼントしてくれた人のことを思い出しはしない。 こうして、ネクタイがその人間の身替りになっただけのこと。 ようやく切れ目を得たことによって、ネクタイは細切れになろうとしていた。 大袈裟に鼻息を荒くして、両側を引っ張ると簡単にそれはボロボロに引きちぎれた。 恐らく、その作業の最中は、何とも快楽の表情であったに違いない。 あらかじめビデオカメラなどを準備して、撮影しておけばよかったのだ。 ネクタイ自身に罪はないけれど、仕方がない。 贈った主の顔面を、いま手にしたカッターでズタズタにするよりかは、いかにましなことか。 とりあえず、この瞬間はそれで済んだ。
★女たちのやさしさについて考えた/中原昌也★
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2006年02月25日(土)
彼女たちの事情など知ったことか/中原昌也
写真集に群がる男たちの熱気から逃れて、やっと新鮮な空気を吸う。 情念に似た連中の熱気だけが、この世界の中で唯一信頼できるもので、 現実の女が考えていることなんかは取るに足らぬ綺麗事であり、 唾棄すべき忌まわしいものだ。 写真集で裸体を曝す女どもだけが存在を許される。 現実の女は必要とされていないし、わざわざ存在する意味さえわからない。 帰る場所があるのならば、さっさとどこかへ行ってしまえばいい。
★彼女たちの事情など知ったことか/中原昌也★
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2006年02月24日(金)
私の『パソコンタイムズ』顛末記/中原昌也
激流に運ばれる筏に乗ってみる、などというのはハッキリ言って 時代遅れであって退屈の一語で済まされるべきであって、 現代人であればそういう見せ掛けだけのクールさには十分に 免疫が出来ていてもいいではないか? ただ危険であれば、それが「刺激的でいいのだ」という時代はもうとっくに終わったのだ。 むしろ平賀氏の発する言葉で現代社会のストレスで疲れた読者を励まし、 「ありがとう」「お元気ですか?」「おめでとう」に代わるような 素敵極まりない第四のメッセージを発明することが最重要で最前線の癒しだ。
★私の『パソコンタイムズ』顛末記/中原昌也★
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2006年02月23日(木)
ニャンと!LOVEリング
ニャンと!ニャンと!ニャンかわいい! ニャンと!ニャンと!ニャンニャンLOVEリング
ニャンと!ビックリ!もらっちゃった! 彼とおそろいLOVEリング
なのにあたしったらすねたフリ(新垣「プン!」) 昨日のケンカのせいかしら( 杏「シュン…」) うれしいくせにすねたフリ こんな風に喜べたなら こんな風に こんな風に 喜べたなら…
しず「(一言)」
ニャンと!ニャンと!ニャンかわいい! ニャンと!ニャンと!ニャンニャンLOVEリング
ワォ!
★ニャンと!LOVEリング/「落下女の」HP スタッフ日記から★
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2006年02月22日(水)
コンピューターシティ/Perfume
完璧な計算で造られた楽園で ひとつだけ うそじゃない 愛してる
どうして ねぇコンピュータ こんなに 苦しいの あー どうして おかしいの コンピューターシティ
雲と雲の間を突き抜けて 誰も見たことのない場所へ 夢の中で描いていた場所へ ありふれた スピードを超えて
もうすぐ 変わるよ 世界が もうすぐ 僕らの 何かが 変わるよ
完璧な計算で造られたこの街を 逃げ出したい壊したい 真実は あるのかな 完璧な計算で造られた楽園で ひとつだけ うそじゃない 愛してる
どうして ねぇコンピュータ こんなに 苦しいの あー どうして おかしいの コンピューターシティ
絶対故障だ てゆうかありえない 僕が 君の言葉で 悩むはずはない 記憶と記憶の間たどって 誰も見た ことの ない場所へ 夢の中で描いていた場所へ ありふれた スピードを超えて
もうすぐ 変わるよ 世界が もうすぐ 僕らの 何かが 変わるよ
完璧な計算で造られたこの街を 逃げ出したい 壊したい 真実は あるのかな 完璧な計算で造られた楽園で ひとつだけ うそじゃない 愛してる
★コンピューターシティ/Perfume★
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2006年02月21日(火)
富士日記(2月25日)/宮沢章夫
家に戻ってビデオである旧作の映画を見る。 参考になることはいろいろあった。僕が中学生のときに見た映画だ。 久ぶりに観ると忘れていることがあったし、 中学生にはわからないこともあったと再確認した。 ここんとこ、読書もそうだが、忙しくて映画も観られなかった。 忙しいことはありがたいことでもあるが、考えものだと思う。 映画はできるだけ一人で観るのがいい。 中学生のときというより、小学生のときからそうしていた。 終わったあとに、人と話さなくてはならないのが、わずらわしいのだ。 映画を引きずりながら、ひとり、 なにか考えているのが子供のころから好きだった。
★富士日記(2月25日)/宮沢章夫★
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2006年02月20日(月)
夜中に思う/中川翔子
インターネットって永久に残るものですか? そうであってほしい。
★夜中に思う◇しょこたんぶろぐ(2月26日)/中川翔子★
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2006年02月19日(日)
人生これでいいのだ!/赤塚不二夫さんの元妻×現妻
前「なにしろ締切りが近づくと、「間に合わないよォ」 って泣いちゃうんだもん(笑)」 現「泣き虫よね。ちょっと催促の電話があったりすると 「どうしよう、どうしよう」ってすぐ泣いちゃう(笑)」
現「ちょうどアル中で幻覚が出だした頃かな。 私、赤塚の家と自宅を行ったり来たりしてたんだけど、 ちょっとうちに帰ったんですよ。そしたら先生の方から電話があって、 「おれ、色弱になっちゃった」って言ってる。 急に色弱になるわけないから、たぶん幻覚症状なんでしょうね。それで私、急いで戻ったら、 先生、家の前で雨の中を頭にタオル巻いてウロウロしてたんです」 前「やだ、怖い!」
★人生これでいいのだ!◇巻末の対談で/赤塚不二夫さんの元妻×現妻★
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2006年02月18日(土)
バーバ/中川翔子
おばあちゃん、どたキャンとは何事かとあいにいったらグースカ寝てまんた。もー!(´Д`) お土産もってきたら、明日教会でくばるって…
クリスチャンだから毎週教会でオルガン弾いてるんだ。 歌と麻雀ずっと習ってる。 趣味は麻雀とPS2。 特技は翔子の特撮フィギュアを中野ブロードウェイに売却すること。
★バーバ◇しょこたんぶろぐ(2月25日)/中川翔子★
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2006年02月17日(金)
エド・ウッドとサイテー映画の世界/ティム・バートン
エド・ウッドはアメリカでは一種カルトな存在になってる。 よく上映されて、みんなそれを見てはゲラゲラ笑う。 たしかにスゴイし、おかしいんだけど、だけど、 それでも彼には歪んだ詩みたいなものがある。 だからぼくはできるだけ彼を笑いものにはしないようにしたんだ。 ある意味では彼を理解できる。 エドは…彼はいつもすごく楽観的だった。 彼の手紙を読むと、 まるで自分が史上最高の映画を作ってるみたいな書き方をしているんだ。 エドは、一種の倒錯したオプティミストだった。 どう考えてもオプティミスティックになれない状況にいて、 なぜかオプティミスティックだった。 つまり(自分の現実に対する)否認があったわけだ。 最低のものを作りながら、自分では最高のものを作っているつもりだったりする。 とてもおもしろいね。
それに彼のまわりにいたのはとても奇妙な人ばかりだった。 みんなとてもユニークで…エドは自分に忠実であろうとした。 それはとても尊重すべきことだ。 エドは女の服を着たいと思って、実際着た。 映画を作りたいという情熱を持っていて、実際作りあげた。 あの人たちはみな…悲劇的で、とても悲しい存在だ。滑稽でいて悲しい。 そう、ぼくは彼らにすごく近いものを感じる。 成功と失敗のあいだ、才能と無能のあいだにはほんのわずかな差しかないんだから。 そのどちらに転ぶかは、みんなが思っているよりずっとわずかな差なんだ。
★エド・ウッドとサイテー映画の世界/ティム・バートン★
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2006年02月16日(木)
2月19日(日) LIVE! no media 2006 草原編/友部正人
ついに「この日」がやってきました。 たいていの「この日」はやってきても、 すぐに過ぎ去ってしまうものなのですが、 今日の「この日」は長かった。 ちっとも過ぎ去ってはくれませんでした。 それは今日出演して詩を朗読してくれた人たちや、 聞きに来てくれた400人近くの人たちが、 「この日」を足で踏んづけていたからです。 その長かった一日のことをこれから書きましょう。
ぼくとユミと川瀬さん夫妻とPAの小俣くんは朝9時半に会場に着き、 BankARTのスタッフの渡辺さんと準備を開始したのでした。 すでに3人のお客さんが寒そうに待っていましたが、 そんなことにはかまってはいられません。ステージに使う平台を 一階の倉庫からエレベーターで二階の会場に上げたりしていると、 お手伝いの宮崎さんや思潮社の高木さんも到着。 階段を上り下りして椅子を運んだりしました。 渡辺さんはもう一人のスタッフと二人で、 長い時間かけて照明の準備をしていました。 そうこうするうちに出演者のリハーサルが始まって、 それがすむと、ぼくとオグラくんは表の海岸通りに出て、 呼び込みのために歌を歌いました。 オグラくんの手回しオルガンの伴奏で 「水門」や「にんじん」を歌いました。 ビルの谷間に裸の歌がこだまするのはいいことです。 外で歌うととてもいいことをしている気がします。 いつのまにか知久くんも来てにやにやしながら見ているので、 Cのハーモニカを渡して三人で 「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌いました。
お客さんの入場がなかなか完了しなくて、 2時55分からライブがはじまりました。 出演は、平井正也、ぱくきょんみ、オグラ、 田口犬男、知久寿焼、石川浩司、友部正人、宮沢章夫、 峯田和伸、尾上文、遠藤ミチロウ、谷川俊太郎、という順です。 ぱくさん、宮沢さん、峯田くんははじめての参加者です。 予定では休憩を入れても7時には終るはずでしたが、 実際に終ったのは8時すぎでした。 全員の椅子を用意できなくて、 100人ぐらいの人には立って聞いてもらわなくてはならなかったのです。 立っている人にはさぞかし長いライブだったでしょう。
平井くんは2004年のときの「寝るだけの仕事」の改訂版の 「すわるだけの仕事」というのを朗読していました。 それからマーガレットズロースで歌っている 「おやじの歌」や「夜明け」も読みました。 「夜明け」ができたエピソードが、 ぼくが「一本道」を作ったときと少し似ていました。 奥さんの出産予定日があさってだと平井くんがいうと、 会場中の人が拍手をしました。 (だけどあさってではなく、その翌朝にはもう生まれていました。)
ぱくきょんみさんとは、今日何十年ぶりかで再会しました。 ぱくさんの詩には植物の名前がよく出てきます。言葉にはリズムがあって、 子供になって藪の中を一人で歩いているような気持ちがしました。 それに読んでいるときの表情がとてもやさしかったです。
すっかり手回しオルガンを首から下げた姿が身に着いたオグラくんでした。 古ぼけた外套の街頭詩人。 詩という箱から取り出したおまんじゅう。 おまんじゅうの味だけが勝負です。 今日は短いのが多かったけど、 また長い詩も聞かせてください。
田口犬男さんの言葉は手品みたいでした。 前回は物語のようでしたが。 田口さんのよく通る声は入り組んだ話でもよく伝わってきます。 谷川俊太郎さんにささげた詩を読むとき、 前の方で立って聞いていた谷川さんに田口さんが 「ちゃんと聞いてくださいね」 と言ったら、「聞いていますよ」と谷川さんが答えていました。
知久くんはウクレレで「ギガ」を歌いました。 竹林の詩や乾燥剤の詩はいつ読んでもお客さんに受けます。 お客さんの耳は本当に敏感だな、とそのたびに思います。 知久くんの詩で笑うかどうかが、 お客さんが聞いているかどうかの証明になります。 今日は新しい詩も読みました。
石川くんは今回は出られないと言っていたのですが、 予定が変わって急に出てくれることになりました。 マーシーが出られなくなって、その代わりみたいな感じです。 石川くんもステージで、「ぼくをマーシーだと思ってください。」 と言っていました。 石川くんの嫌なことを並べた詩はすごかったな。 悪夢なのだけど、石川くんが読むとおかしいのです。 みんな腹の底から笑っていました。 石川くんがでられることになってよかった。
ぼくはニューヨークで先月に書いたチャイナタウンの詩を二つ読みました。 「サイ」の詩は明け方夢で見たことです。 「アメリカの匂いのしないところへ」は横浜に住んで、 米軍施設を身近に見てはじめてできた詩。 最新アルバムから「Speak Japanese,American」も歌いました。
宮沢章夫さんはエッセイや劇のシナリオのト書きや小説の一部を読みました。 今日読んだ「スポーツドリンク」や「囲碁」のエッセイはぼくも本で読んで、 声に出して笑った覚えがあります。 「どこに売っているかわからないものはたいてい薬屋にあります。」 という一言は、笑いながらも心からうなづいていました。 エッセイばかりではなく、宮沢さんの戯曲も読んでみようと思います。
ぼくは峯田くんが銀杏BOYZのライブのステージで喋る話や、 ホームページの日記に書く話がとても好きです。 そういったものは普通たいていはおもしろくないものですが、 なぜか峯田くんのはおもしろい。 たぶんおもしろい理由は、お喋りや日記の形を借りて、 もう少し深いものを見せてくれているからだと思います。 そしてその深いところに人は自分を見るのです。
今回のLIVE! no media 2006に草原編という副題をつけたのは、 会場が海の前にあるからです。 そんなに広々とした海ではないのですが、そのちっぽけな横浜の海が、 どこか遠くにある草原を思い起こさせたのです。 同時にぼくは尾上くんの「草原に行こう」という詩を思い出していました。 そして今回はぜひその詩を朗読してもらおうと思ったのです。 その詩の持つ広さがぼくは大好きです。
遠藤ミチロウはいつも朗読は苦手だと言います。 でも歌の中で「赤い色は嫌いです」と言うようには断らない。 今日は朗読を二つして、いつもの 「お母さん、いいかげんあなたの顔は忘れてしまいました」を歌いました。 こんなにたくさんの言葉を使っても、 まだ言葉にならない情感があるからギターを持つんだと思いました。
最後は谷川俊太郎さん。 昼間に別の仕事があるというので出番を最後にしたのですが、 二番目のぱくさんのときにはもう到着していました。 「他の人の朗読も聞きたいから」と言ってくれたのはうれしかった。 自分の体験も入っているという「詩人の墓」、 木漏れ日をみているように美しい、悲しい物語詩でした。 民衆にとても人気があるという、 ブラジルの詩人たちのことのようでもありました。 無理に楽しませようとしなくても、 詩は聞いているだけでも楽しいものだとおもいました。
開演前に道端でやった「水門」を、 またオグラくんと二人で歌ってライブをおしまいにしました。 朝、路上で開いた水門を、夜、ステージの上で閉じたのです。 最後の「水門」には、 今日出演してくれたすべての人たちの声がまじっていました。 その声をぼくはちゃんと聞くことができました。
それから今日はじつにたくさんの人たちが、 各地から聞きに来てくれました。 ぼくが歌いに行ったいろんな町からも、 「来たよ」とやって来てくれました。 福岡や高知や直島や高山や仙台やニューヨーク、 みんなが「おもしろかった」と言ってくれました。 「火星の庭」の前野さんは、 仙台から手作りのパンをたくさん運んで聞きに来てくれました。 パンは最初の休憩までに全部売り切れたそうです。 こんなにもたくさんの人たちの足で踏んづけられた「この日」が、 ぼくの中でまだ何日も続くにちがいありません。
ライブが終った後、 出演者も見に来てくれた友だちも片付けを手伝ってくれました。 知久君や銀杏BOYZのチンくんが椅子運びをしている姿はいい感じでした。 ぼくとユミがふたりでやっているイベントだからこそ、 いろんな人が参加してくれるのだなあ、と思います。
★2月19日(日) LIVE! no media 2006 草原編/友部正人★
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2006年02月15日(水)
センチメンタルジャーニー/ドリス・ディ
Gonna take a Sentimental Journey Gonna set my heart at ease Gonna take a Sentimental Jouney To renew old memories
Got my bag, I got my reservation Spent each dime I could afford Like a child in wild antipation Long to hear that "All aboard"
Seven, that's the time I leave at seven I'll be waitin' up for Heaven Countin' ev'ry miles of railroad truck that takes me back
Never thought my heart could be so "yearny" Why did I decide to roam ? Gotta take this Sentimental Journey Sentimental Journey Home
センチメンタルな旅に出かける 心を楽にしたいから センチメンタルな旅に出かける 想い出を新しくしたいから
鞄を持って 予約をして 有り金を全部はたいた 子供のように胸をときめかせて 「出発!」の声を待っている
7時。7時になったら出発 天国に行く気分 私を連れ戻してくれる鉄道の響きを 1マイルごとに数えながら
こんなにホームシックになるとは思わなかった どうして放浪なんか始めたんだろう このセンチメンタルな旅に乗っかって 家に帰るんだ
★センチメンタルジャーニー/ドリス・ディ★
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2006年02月14日(火)
地元の朝/宮本浩次
ある日 目覚めて電車を乗りついできた 育った町へやってきた そう地元の朝 「二親に会いに行こう そう一年振りさ」 去年以上に学校が古ぼけて見えたんだ 坂を登り商店街を横切って 親の家の前に立った そしてボンヤリと自問自答したのさ
アイセイ 「人生なんて人情盗坊 助けを乞うて人助け 助けたつもりが裏切りの果敢ないサガ」
玄関の前で奮い立って笑顔をつくった 母は喜びと心配をないまぜた表情で見ていた 「お母さん、この通り、元気でやっているよ おまけに強い男だから僕は大丈夫さ・・・(云々)」 意味も無く得意気に上っ調子で母親に語りつづける そしてボンヤリと自問自答をしていたんだ
アイセイ 「立派な大人になりたいな 立派な大人になりたいな 確かな仕事をしとげたいもんだな、ああ」
父はすごく嬉しそうに迎えてくれた そして笑いながら野球の話などしたものさ 二親ともすでに七十に近いんだ ああ 結局その日は実家でメシを食って 色んなものをもらって外へ出た 外へ出た 外はもう夜だった そしてイメージのない頭で自問自答をしたものさ
アイセイ 「人間なんて人情盗坊 二親に捧げられし愛を 一体どうやって返そうか?返そうか?」
渇いた風が吹いた 地元の夜 帰りの道を急ぎ足で歩いていた トモダチを探してる トモダチを探してる 仲間達を探してるんだ
アイセイ 「立派な大人になりたいな 立派な大人になりたいな 体の全て使い尽くして死にたい」
「今日は月がちょっときれいじゃん」 めぐる ちょっとしたことで めぐる めぐる めぐる ああ
んん 七色の んん 七色の心に虹をかけて んん できるだろう? んん できるのさ 体の全て使い尽くして死にたい 俺は死にたい 俺は死にたい
チュルルル・・・
★地元の朝/宮本浩次★
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2006年02月13日(月)
おおスザンナ/津川主一(訳詞)
わたしゃアラバマから ルイジアナへ バンジョウを持って 出掛けたところです 降るかと思えば 日照り続き 旅はつらいけど 泣くのじゃない おおスザンナ 泣くのじゃない バンジョウを持って 出掛けたところです
船に乗り込んで 川を下り さまざまなことに 出会いました ときには死ぬような 思いをして 息をこらしたり 立ちすくんだり おおスザンナ 泣くのじゃない バンジョウを持って 出掛けたところです
けれど静かな夜 夢の中に 幾度 スザンナを 見たことだろう 丘をおりて来る あのスザンナに 南から来たと 私は言う おおスザンナ 泣くのじゃない バンジョウを持って 出掛けたところです
やがてルイジアナへ 着く日が来る そしたらスザンナに すぐに会える けれどもしかして 会えなかったら 生きてるつもりは 少しもない おおスザンナ 泣くのじゃない バンジョウを持って出掛けたところです
★おおスザンナ/津川主一(訳詞)★
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2006年02月12日(日)
蒼氓/山下達郎
限りない命のすきまを やさしさは流れていくもの 生き続ける事の意味 誰よりも待ち望んでいたい さみしさは琥珀となり ひそやかに輝き出す 憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない 生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい
To find out the truth of life !
★蒼氓/山下達郎★
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2006年02月11日(土)
迷信博覧会(天元教)/種村季弘
昭和三十年頃といえば、いまから三十年程前のことにすぎない。 その昭和三十年にまだ焦土の面影をとどめた首都圏内に 天元教という新宗教が登場したことがある。 これを報じた当時の新聞記事(「内外タイムス」)を藤沢衛彦編『妖異風俗』 が紹介している。
天元教の主旨は、 「もろもろの不幸は、ことごとく初恋のたたりである。 だから初恋の生霊、死霊を祓い浄めてつき進めば、 未来は祝福され、幸運が招来される」 というものだったという。 初恋の女(または男)とそいとげずに、その後にあらわれた異性と結婚する。 すると初恋の女の思いが霊となって残り、それが新家庭の福をことごとくに妨害する、 という言い分である。 「わたしが・棄てた・女」の怨みがいまでもそこらに漂っているということだろう。
★迷信博覧会/種村季弘★
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2006年02月10日(金)
徳川夢声の問答有用/桜川忠七
━関西と関東の風習のちがいなんだけれども、浜松からこっちは、 だいたいまわしをとる。 自分のとこにいた女が「ちょっといってきますよ」ってんで、 べつの部屋へ行くわけですな。 お酉さまの晩なんざあ、達者なおいらんは十一人くらいまわしちゃう。 江戸の客は、まわしをとられるってことに、多少のジンケス(やきもち)はあるが、 それがまたおもしろかった。 大阪ふうにひと晩じゅう買いっきりなら、だいじにされるにきまってる。 まわしをとりながらほれられてこそ、ほんとうの腕があるんだというところですね。
先生のお説のとおりです。 と、いいますと、関西のかたには申しわけないんですけども、 あちらのほうは、自分で買った女だから、ずうっとそばにいろってえんですね。 こっちじゃあ、「買ったんだから、おれのもんだ」とはいわないで、 帰ってくるのをたのしみに待ってる。 「一夜遊びの味はこれだよ」ってんでもって、イキがってるんです(笑)。
━「おまえ、いっといでよ」といって、色男がってるのもオツですよ(笑)。
新内流しをききながら、廊下の物音に耳を立ててる。 あれもいい気分でござんすな。 バタン、バタン、ぞうりの音がきこえて、おいらんが帰ってくる。 寝たふりをしたりして……(笑)。 マブ(情人)になってくると、おいらんがぞうりを手にもってはいってきて、 ふとんの下にかくす。
━ぞうりをかくされるようになったら、しめたもんですね(笑)。 まわしの客がおおぜいいるなかで、自分だけもてようってんだから、 たいへんなスポーツですよ。
★徳川夢声の問答有用/桜川忠七★
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2006年02月09日(木)
徳川夢声の問答有用/桜川忠七
芸があっていいタイコモチか、芸がなくっていいタイコモチかということになると、 芸があるからいいタイコモチだとはいえないんです。 あたしどものほうで修羅場ってえますがね、お客さまとのとっさのやりとりが パッパッとうまくいきますと、一時間でお帰りんなるとこが二時間となって、 一時間分よけいな玉がつくってわけです。 お客さまのおみ足を一時間ひきとめるということは、なかなか…。 ねえさんがたなら、お色気でもってひっぱれますけれども(笑)。 ま、芸がよくって修羅場がよければ、売れっ子ってえことになるんです。 タイコモチはりこうでできるか、ばかでできるかってえことになりますと、 りこうばかりじゃできない。 ばかにならなくっちゃあいけないこともあるんです。 お客さまがしゃれたことをおしゃったときに、 こっちがあんまりりこうがかったことをいっちゃあいけない。
★徳川夢声の問答有用/桜川忠七★
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2006年02月08日(水)
CASSHERNインタビュー/及川光博
Q:共演された方々の印象は?
皆さん、もちろん素晴らしかったけれど、大滝秀治さん(上条将軍役)! インパクトが強かったというか、一緒の画にハマる感動があったね。 何もしなくても画を成立させるパワーがあると思った。 やはり俳優業は年輪を重ねなきゃね。 黙ってる大滝さんのアップが一番怖いもん(笑)。 なのに、現場では、カメラ付携帯を取り出して「一緒に撮ろう」とか言うんだよ。 お茶目だよね。
★CASSHERNインタビュー/及川光博★
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2006年02月07日(火)
CASSHERNインタビュー/唐沢寿明
Q:演じ方がとても舞台的に感じましたがあえてそうされたのでしょうか?
そういう風にやってくれって(監督に)言われたから。 俺はほとんど自分がこうやりたいってのはないの。 言われたままをやるだけだから、ダメな監督だとダメな俳優になっちゃうタイプ(笑)。 監督が見たいものを指示してくるじゃない。それを体現することしかない。 自分がやりたいことは自分がやりやすいものでしかないから、 それをやるのは簡単だよね。 でも全部自分を排除して、人から言われたことだけをやるのってすごく大変なんだよ。 自分が苦手なことも何も、関係なく注文してくるからね。 そういう危機感がある方が好きなの。 自分が言いづらいせりふだったり、できないことが入ってるとドキドキするけど、 それができなきゃ俳優じゃないよなって思うね。 衣装だって自分で選んだことないよ、テレビドラマでも。
★CASSHERNインタビュー/唐沢寿明★
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2006年02月06日(月)
徳川夢声の問答有用/岡本太郎
ゴッホの時代には、十九世紀末的な思想として、 悲劇に殉じることの美しさとか、没落するものの美しさとかってものがあったんだが、 こんにちはそうじゃない。 主張するものの美しさにまでいくべきだ。 なんといっても、ゴッホのいちばんの致命傷は、 自分をみとめさせないで死んだことだな。 いまここで、ゴッホをみとめるっていったところで、 これは徳川夢声と岡本太郎の問題であって、 すでにゴッホの問題じゃない。現在生きていないんだからさ。 生きているときに、みとめさせるか、みとめさせないか。 これくらい、芸術の問題があざやかに、鮮明に、…こりゃおんなじこったけども(笑)。 とにかくだね、どうしてぼくが、あたかも道化役者みたいに、 日本にあらわれちゃいけないんですか。 ピカソとかゴッホとかが、喜劇役者や悲劇役者としてゆるされてるのに、 どうして日本にあらわれちゃいけないんですか。 この日本に、そういうものが生かされなきゃ、恥ですよ。 岡本太郎がいないってことは、みんなの恥ですよ(笑)。 みんなの恥にならないように、ぼくは非常に謙虚にお話をしているんだ(笑)。
━この上もなく謙虚だね(笑)。
くどいようだけど、ぼくだけがやる問題じゃないんだ。 徳川夢声、遅くないんだ。
★徳川夢声の問答有用/岡本太郎★
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2006年02月05日(日)
徳川夢声の問答有用/岡本太郎
━自分の絵をすいてくれるひとのほうが多いことは、希望してるんだろう。
か、どうか、わからないね(笑)。 それが芸術における矛盾なんですよ。 自分の芸術に賛成してくれる人間が多くなればなるほど、自分てものがなくなって、 みんなになっちゃう。 なんかとクリエートする場合は、そうなんだな。 そして、みんなになったとたんに、創作活動がなくなっちゃうんだ。
━すると、適当な数のものに、すいてもらいたいってこと?
そうじゃない。むしろ、みんなにきらわれるほうが、芸術の目的じゃないかしら。
★徳川夢声の問答有用/岡本太郎★
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2006年02月04日(土)
徳川夢声の問答有用/岡本太郎
だけども、また逆に、ピカソぐらいわかりいい芸術はないと、ぼくは思いますよ。 あんなにピンピンと、からだにぶつかってくれる、かわいい芸術はない。 あのよさっていうのは、かれ自身のよさじゃないんだ。 ピカソ個人とピカソとは、ちがうんだからね。 ピカソの偉大さというのは、二十世紀のひとがピカソをぐっと押しあげてるすごみですよ、 ピカソ個人の凄みじゃなくってね。 歌舞伎でいうと、名門の子が名優になっちまう、あのすべてゆるされているという感じだな。
こどもの絵とピカソの絵と、どうちがうかというと、こどもの自由は許された自由で、 ピカソのは獲得した自由だと、ぼくはいうんです。 しかし、ピカソもまたゆるされてるんだな。 青の時代からキュービズムのへんまでは、獲得した自由だったが、 それから以後は、だんだんゆるされた自由になってきてる。 芸術というのは、獲得した自由と、ゆるされた自由とが、渾然とかみあったものが、 ほんとうの芸術だと思うんだ。 しょっちゅういためつけられたゴッホが、最後までゆるされなかったということは、 かれの悲劇ですよ。 しかし、全然ゆるされないで、最後まで自由を獲得しようとしたすごみが、 ゴッホにはあるわけだ。
★徳川夢声の問答有用/岡本太郎★
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2006年02月03日(金)
山下清 東海道五十三次/式場俊三
ところで、実はこだまのような返答しかしようとしない清から、 かなりの本音をひっ ぱりだしたのが「問答有用」で彼をゲストにむかえた徳川夢声氏だった。 テレ屋の夢声さんとテレることを知らない清とのかみあわない歯車が、 ギクシャクと音をたてるたびに爆笑がわいたが、 笑いが度重なるにつれて夢声さんのテレようがひどくなり、 まるではにかんでいるようなぐあいだった。すっかり気をゆるした清は、 めずらしく自分の世界の尺度で世間さまと語りあってみたのである。 清にとって、自分の話が地面にしみこむ水のようにじわっと浸透していくということは、 はじめての経験だったろう。 自分よりもナイーブな人間と語りあうなどという機会は、 そんなにあるも のではなかったのだ。 語りおわったとき、清は裸になっている自分に気がついておじけづいた。 いままでいい気になってみては世間からしっぺ返しを食わされつづけてきたこの男は、 このまま楽々すごせるはずはないと思ったのか、 翌々日早朝、自分だけの世界にもど るために宿舎から姿を消してしまった。
★山下清 東海道五十三次/式場俊三★
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2006年02月02日(木)
徳川夢声の問答有用1/山下清
戦争の絵はおもしろくない。 (夢声氏がピースに火をつけると)そのタバコ、兵隊の位になおすと、どのくらい(笑)?
━軍曹ぐらいかな。
大将というと、どのタバコだろうな(笑)。
━葉巻。
二等兵は?
━ゴールデン・バット。兵隊の位ってものに、非常に興味があるんだね。
<あらゆる価値のモノサシなんです>
◇
━動物の絵はあまりかかない?
かいたことがないな。動いちゃうからな。やっぱり(笑)。 式場先生なんかでも、わかんないこともあるかな。
<たくさんあるよ>
えらいからって、なんでもできるとはきまらないんだな。 ぼくたちでも、ふつうのひとがかける絵でも、かけないときがある。 天皇陛下でもさ、ふつうのひとのマネのできないことがたくさんあるでしょう。 上だからって、なんでもできるとは、きまってないだな。 ここにいる式場先生だって、わかんないとこがたくさんあるんだな(笑)。
━すっかり念を押されちゃったですね(笑)。
いくら大将でも失敗する。 東条さんでも、とうとう失敗しちゃった。 いくら東条さんでもわかんないとこもあるだな。
━わからないところだらけだった。
それで指揮する(笑)。
★徳川夢声の問答有用1/山下清★
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2006年02月01日(水)
徳川夢声の問答有用1/山下清
胸の上へ手をのせて寝ると、こわい夢みるね。 たのしい夢はどういうふうにして寝ると、たのしい夢みるかな。 顔をまっつぐあおむけにしてさ、手と足をまっつぐにのばして寝ると、 どういう夢みるかな。……ね、先生。
<(夢声氏に)ときどき、返答にこまる質問をうけるんですよ>
ぼくが質問しても、先生もわかんないときがあるね。 先生は博士だから、すこしわかるかと思った(笑)。 わかんないときもあるだな。むずかしいだな。 大東亜戦争はさ、日本からアメリカへ戦争をふっかけた。 あれはやっぱり、東条さんが命令したんですか。
━東条さんが「やれ」っていったから、戦争になっちまった。
東条さんがムリをさしたな。どうして、戦争がはじまったかというと、 日本はシナと戦争して、アメリカがシナをたすけた。 いろんな武器をはこんだ。なかなか勝負がつかないから、アメリカをやっつけてしまえば、 シナもやっつけられると思って、大東亜戦争をやった。 どうして、シナの戦争がはじまったかというと、日本が満州と戦争して、 満州をとったんだな。シナが「満州をかえせ」といったけど、日本はかえさなかった。 満州をかえすと、日本は弱くなっちゃう。 日本はもと北海道と本州と四国と九州だけだった。 北海道と本州と四国と九州だけじゃ、いくら東条さんでも、 アメリカと戦争しようと思わなかっただろうな。 明治になってから、日本はよその国と戦争するようになった。 明治になってからは、台湾をとったり、朝鮮をとったり、カラフトをとったり、 満州をとって、日本はうんと強くなった。シナもすこしとったかな。
━はじめ、占領してたね。
日本の国がうんとひろくなったから、アメリカと戦争しても大丈夫だろうと思ったんだね。
━勝てるかもしれないと思った。
勝つか負けるか、よくわかんなかったんだな、東条さんもやっぱり(笑)。
━戦争はお嫌いですか。
うん、おっかないから。
★徳川夢声の問答有用1/山下清★
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