宿題

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2006年01月31日(火) 徳川夢声の問答有用1/山下清
━また旅行の話だけども、寒いときは鹿児島のほうへいって、
暑いときは青森県かなんかへ…。

北海道もいった。夏、ぼくのウチは暑いだな。
ちっちゃいウチでもって、せまくるしくてね。
あれ、あんまりいいウチじゃないからね(笑)。

━兵隊の位になおすと…(笑)。

二等兵ぐらいだな(笑)。


★徳川夢声の問答有用1/山下清★

2006年01月30日(月) 徳川夢声の問答有用1/山下清
(旅の話の途中で)式場先生、ぼくの大丸の絵は、兵隊の位になおすと、どのくらい?

<(夢声氏に説明する)大阪朝日にたのまれて、御堂筋のスケッチをやってるんですがね、
都会をかいたことがないもんだから、なかなか、かけないんです。
こんなことじゃ、佐官級からさげれれやしないかって、心配しているらしい(笑)>

ああいうふうに、二日もかかってまだかけないのは、兵隊の位になおすと、どのくらいかな(笑)。
大将や元帥は、たたかうことはできない。指揮するだけだ。
えらいからってなんでもできるってもんじゃないな。
大丸の絵は式場先生がたのまれたのかい。

<朝日新聞がきみに大阪の町の絵をかいてもらおうというんだ>

あれはスラスラかけないな。スラスラかけないのは、兵隊の位になおすと、
どのくらい?(笑)

━そりゃあ、兵隊の位には関係ないですよ。

そうだな。スラスラかけなくったって、下っぱとはきまってないだな。
いくら大将でも、かけないのがあるんだね。


★徳川夢声の問答有用1/山下清★

2006年01月29日(日) 徳川夢声の問答有用1/山下清
天皇陛下は、絵をかかすと、どのくらいの程度、高いかな(笑)。
絵かきとどっちがうまいかな、天皇陛下と。

━絵かきのほうがうまいね。

皇太子殿下の絵は?

━まあ、ふつうだろうね。上等兵くらいですよ。

<東京の展覧会、皇太子さまがみられたんだけど、「とてもおもしろい」
っていっておられたよ。きみがお母さんにやったハガキね、あれをよく読んでおられた>

皇太子さんに、じかに話ができるの?

━できるようになったね、このごろは。

天皇陛下に、絵をかいてくれっていわれたら、簡単な絵をかいちゃおかしいだろうな。
ふつうのひととおんなじ絵じゃな(笑)。
ふつうのひとにかいてあげるよりも、もっとりっぱに…。
天皇陛下にやる油絵は、どのくらいかな。
(両手を思いきりひろげて)もっとおっきいかな。

━いや、そうやたらにおおきくなくってもいい。

うちへきてくれっていわれたら、ウチへいくだな。
宮城のなかへはいっちゃう。はじめて自分が二重橋をわたるんだな。

(着物を脱ぐ)

宮城のなかへ入ると、りっぱなとこがみられるだろうな。

━きれいな部屋は、空襲でみんな焼けちゃった。

いま、どこに住んでる?

━お文庫といってね、ごくおそまつなところに。

ふつうのひとが住んでるウチよりも、りっぱなウチだろ。

━そう、いくらかね。

あんまりりっぱじゃないんだな。

━りっぱなウチをこしらえてあげようとすると、「国民がウチがないのに」といって、
ことわっておられる。

みんなのことを思ってるんだね。
国民のひとたちがいいウチがたてられないんだから、
自分だけいいウチは建てられないというんだな。
国民がさ、天皇陛下にいいウチをたててやろうと思っても、
天皇陛下は、自分自身がりっぱなウチをつくってもらおうといわれないんだな。


★徳川夢声の問答有用1/山下清★

2006年01月28日(土) 徳川夢声の問答有用1/山下清
━梅原龍三郎さんなんてひとを知ってる?

梅原は知ってる。安井曾太郎は死んだのね。梅原というのは日本一ですか?

━日本一だっていう人もあるね。

まだうまいひとがいるだろうな。

━いるかもしれない。ぼくも絵はよくわからないから、日本一はなかなかきめられないや。

日本一というと、絵の大将になっちゃうからな。
だれが日本一だか、ちょっとわかんないな。

━まあ、梅原とか安井とか…。

式場(俊三)先生、ぼくの絵は、兵隊の位になおすと、どのへんですか。

<梅原さんは、なんだと思うかね。大将か元帥か>

いや、中将か大将(笑)。徳川さん、ぼくの絵を兵隊の位になおすと、どのくらいですか?

━兵隊の将棋をやったことある?

ある。

━あのなかに、大将がかなわないのがあるでしょう。地雷だの間者なんてのには、
中将も大将も負けちゃう。山下さんは地雷だね(笑)。

だけど、あれは兵隊の位とちがうからね(笑)。

<きみは、位はつけられないよ>

どのくらいですか。少尉ですか。

<地雷というのは、あるときは、兵卒より下かもしれないし、
大将をこまらせることもあるかもしれない>

地雷は兵隊じゃないもの(笑)。

━なかなか承知しないね(笑)。

ぼくの絵は兵隊の位になおすと、どこへのぼってる?

━佐官かな。少佐、中佐、大佐。

佐官というと、金すじ四本で、赤の部分よりも金のほうが多いだな。
…梅原龍三郎は大佐で、ぼくは佐官、佐官。
ぼくは佐官(と、自分にいいきかせるように、つぶやく)。

━間者ってやつは知らない?敵のスパイ。

スパイってのは、大将だの元帥をやっつけて、ほかのものもみんなやっつけて…。
あれは兵隊の位とはちがうだな。ふつうの絵かきはどのくらいですか。

<そりゃいろいろあるよ>

絵でもって、この絵は上等兵くらいの絵ってのは、だれでもかける絵なんですか?
だれでもかける絵は、兵隊の位になおすと、どのくらい?

━そうね、上等兵だろうな。

だれでもかける絵が上等兵で、二等兵というと、ふつうよりもヘタな絵だな。
ぼくの絵は、中尉か大尉だと思ってたんだけど、佐官階級か(笑)。
そういうことは、だれがみると、わかるの?

━おおぜいがみて、おおぜいできめるんだね。

そういうの、式場先生がみると、わかるの(笑)?

<いや、おおぜいでわかるんだ>

ああ、式場先生でもわかんないんだな(笑)。絵の先生でもわからないだろうな。
みんなでみて、平均をとるんだな。

━そうですよ。天皇陛下がみて、きめてくれるってえもんでもないしね。


★徳川夢声の問答有用1/山下清★

2006年01月27日(金) 徳川夢声の問答有用1/北村サヨ
━おなかに神様が宿られてるそうですが、いまここで話をされてるのも、
ハラが話をしてるわけですか。

そうよ、これをわしが考えてしゃべれるか。
よう考えてみんさいよ、おっさん。

━「あのね、おっさん」か(笑)。
いちばんはじめに神さまが宿られたとき、どういう感じがしました。

気がちごうたかと思うた。
パッパパッパ、口がしゃべりはじめた。
いまでも、ちいとあんたにゆずって、だまろうと思うても、パッパッと口がいごく(笑)。

━神さまの仰せだから、こっちもだまってきいてるんです(笑)。
ハラのなかに入ったという感じは、実際にあったんでしょう。

ハラがブスブスいごいたよ。
いまはひとつもいごかん。なぜいごかんか。
「われでも寝たときに寝ぐつがわるけりゃあ、グスリグスリいごこうがな。
神人合一で、われとおれとが合うたけえ、いごいちょるのがわれにゃわかるまあがや」
て、ハラがいいよるよ。

━ときどきいいますか。

いうよ。わしアいつも、ハラとけんかするんじゃけえ(笑)。
わしはおサヨちゅう名がきらいなんじゃが、ハラが「おサヨや、おサヨや」
ちいいやがるけ、しゃくにさわるけ、「うん」ちゅうちゃるのよ。
そうすると、「うん、ちゅう返事があるか。はい、といえ」ちゅうで、
しかたがなあけ、「はい」ちゅうちゃる。
ほいじゃけん、無我とはそこよ。
正しい神の教えを「はい、はい」ちゅうて…。


★徳川夢声の問答有用1/北村サヨ★

2006年01月26日(木) 徳川夢声の問答有用1/北村サヨ
神がなあところへ、おのれが落ちたのよ。おのれが地獄へ落ちて、
ここで神さん探して、死んでからコジキの坊主に戒名を書あてもろて、
すうと極楽へいって、涼しい顔しちょれるんなら、
わしのように百姓の女房でいそがしゅうしてならんものを、神さんがつかう必要がない。
「役座商売がやめらりょか」ちゅうわ、わしのハラは(笑)。

━やくざ商売ってのは、非常におもしろいことばですが、
股旅のやくざ渡世とはちがうんでしょう。

そりゃあんた、ならずもののやくざじゃろうが。
わしのは役座よ、いま神芝居がはじまっちょる。

━神の芝居ですね、紙芝居じゃあなく(笑)。

そうよ。女役座の座長ちゅうんじゃ、わしア。


★徳川夢声の問答有用1/北村サヨ★

2006年01月25日(水) 徳川夢声の問答有用1/北村サヨ
日本人のバカタレ、舶来、舶来いうてから、
日本でできたものをあちらへもっていって、舶来ちゅう名前がついてきたら、
よろこうで買うちょる。
わしも日本人のバカをあやつるために、舶来になりにいったのよ(笑)。


★徳川夢声の問答有用1/北村サヨ★

2006年01月24日(火) 徳川夢声の問答有用1/北村サヨ
ハーヴァード大学の学者連中がわしのとこへくると、
「ハッピーになる、ハッピーになる」ちゅうて、帰りたがらんのよ。
若い学者連中は、研究時間と教える時間をうけもっちょって、相当いそがしいのに、
そのあいだにわしのとこへ研究にきよる。
それであんた、こどものようになって、よろこうで、よろこうでから、
「大神さま、大神さま」ちいいよる。
わしのどこに魅力があるか。わしアおふくろにおういいよったんよ。
「あんた、もうちとわしをベッピンにうんでくれたら、いいとこへ嫁にいくのに、
既製品つくるように思うてから、わしのようなおかしいのをつくったけん、
いいとこへ嫁にいかれんわい」ちゅうたが、いま思うてみたら、
ベッピンでのうてよかったよ、わしア(笑)。

━ベッピン損ですね(笑)。

ああ、損よ(笑)。美人薄命ちゅうけえの。
わしにあれだけの同志がついてきちょるが、わしがもしベッピンじゃったら、
迷うちょるじゃろうがな。この顔じゃったら、迷いっこなしじゃ(笑)。


★徳川夢声の問答有用1/北村サヨ★

2006年01月23日(月) 徳川夢声の問答有用1/北村サヨ
やおろずの神とは、人間なのよ。偶像もいらにゃ、祭壇もいらにゃあ、お墓もいらん。
線香もいらにゃあ、おさい銭もいらん。

━おさい銭がいらないってのは大賛成です(笑)。

「コジキ坊主に、めしの食いおさめさせる」ちゅうて、
一九年からわしのハラがいいよるんじゃもの。
尋常六年しかいかん百姓のばあさん、証書もなけりゃ免状もない。
じゃが、宗教に免状があったらウソよ。
まあ、バカがどのくらいしゃべるかね。
あんた、えらいひとにたくさん会うたろうが、わしほどのバカに会うたのは、
きょうはじめてじゃろ。はじめてじゃから、しっかりためしなさいよ。
むかしから、バカと地頭にゃ勝てんちゅうが、地頭に勝っても、わしのバカに勝てるか。
勝ったら、あんたに首やるよ(笑)。

━はじめから、勝とうなんて思っておりません(笑)

あたまがカランポウで、うちでひまがあったら、コエタゴかつぐ百姓のばあさんじゃが、
「ウジの世界を乗りとれ」て、わしのハラがいうちょる。
(卓上に茶菓をはこぼうとするのを制して)たべるものをわしのまえへおかんように。
ほかのひとにゃ、遠慮なく出しんさい。水だけアこうして飲むけ。
(と、ビンにつめて持参した水を飲む)

━水も井戸の水でなきゃあいけないんですか。

いや、いや、便所のところの水道の水をいれてきたんよ(笑)。

━便所の水は、ちょっと……。

どこでもあんた、水源地はおなじじゃもの。

━ところが、人間は観念でものを食ったり飲んだりしますからね。

わしア観念で食わんよ。なに食うても、毒にもあたらんし、病もつかんのじゃけん。

━(菓子をとりあげて)こういうものは、いっさい食わないんですか。

食うときにゃ食うよ。間食はせんことにしちょる。はじめにひとつ、うたおうじゃないか、
あんたが菓子食うちょるあいだに。

━拝聴しましょう。食いながらでもよろしいですか?

ああ、食うたり飲うだりしながらききんさい。
わしがうとうちゃげりゃ、あんたの舌の調子もよう合うじゃろ(笑)。

<歌が1ページちょっとつづく>

ちゅうのよ。…わかった?

━わかりました。

いい相棒になるかもしれん。いっしょにつれて歩いちゃるかな(笑)。


★徳川夢声の問答有用1/北村サヨ★



■北村サヨさんは戦後の新宗教「天照皇大神官教」の教祖。
昭和31年の対談。

2006年01月22日(日) ババロア/草野正宗
輝くためのニセモノさ だから俺は飛べる
すぐにも消えそうな星ひとつ 揺れて旅はつづく

まだ壊れないでよ 柔らかな毛布を翼に変える

驚いて欲しいだけの見えすいた空振り
ナイーブで雑なドラマ
もっと不様なやり方で 宇宙の肌に触れる
ババロア 会いに行くから

奥の方にあった傷あとも 今は外にさらす
闇を這う風が鳴いていた ずっと鳴いていた

着地する日まで 暖かい嘘も捨てないでいる

君がいた夏の日から止まらないメロディ
まっすぐに咲いた白い花
まるで不様なやり方で 宇宙の肌に触れる
ババロア 会いに行くから

まだ壊れないでよ 柔らかな毛布を翼に変える


★ババロア/草野正宗★

2006年01月20日(金) 落穂拾い/小山清
仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は
嘘の日記だそうである。
僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。
きっと寂しい人に違いない。
それでなくて、そんな長い間に渡って嘘の日記を書きつづけられるわけがない。
僕の書くものなどは、もとよりとるに足らないものではあるが、
それでもそれが僕にとって嘘の日記に相当すると云えないこともないであろう。
僕は出来れば早く年をとってしまいたい。すこし位腰が曲がったって仕方がない。
僕はそのときあるいは鶏の雛を売って生計を立てているかも知れない。
けれども年寄りというものは必ずしも世の中の不如意を託っているとは限らないものである。
僕は自分の越し方をかえりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語ろうと思う。


★落穂拾い/小山清★

2006年01月19日(木) Banana's diary(1月4日)/よしもとばなな
人の幸福不幸は健康や経済状態とは実は関係がないし、
普通日記には人はほんとうのことを書かない(私を含め)。
それでもたとえば森先生の日記や貞奴さんの日々雑記や
しょこたんのブログなど見ていると幸せになるのはなぜだろう?と思う。


★Banana's diary(1月4日)/よしもとばなな★

2006年01月18日(水) 押井守インタビュー/押井守×叶精二
押井 「だから、今回は広島とかアヌシー(国際アニメーション・フェスティバル)
じゃなくて、商業ベースで出したという所が面白いわけですよ。
ぼくは、広島やアヌシーの世界は大嫌いですね。やってる人間や作品が嫌いなんじゃない。
世界観というか空気がね、アニメーションをどこかで差別化して成立している。
ぼくらは「ペイして何ぼ」の世界でずっとやって来たから、
ああいう世界は違うと思わざるを得ない。漫画と実写が違うように、
たまたまアニメというジャンル分けで同じ俎上に乗せられているけど、
全然違うものですよ。
たとえば高畑(勲)さんが評価している(ユーリー・)ノルシュテイン。
あのオヤジが撮った作品自体は嫌いじゃないけれど、本人は大嫌いです。
だって、彼が何年もかかって撮影台を占領している間、資金もたくさんかかるわけだし、
多くのアニメーターが撮れずに泣いていたわけでしょう。
出来たものが良ければそれでいいかも知れないけれど、周囲に遺恨は残る。
それを抜きにして本人は語れないでしょう。
そういう共産圏の特殊な環境で成り立っている作品と、
自分たちの作品が同じものであるわけがない。
ぼくたちだって、作品を作れば誰かの機会を奪うことになるわけで、その意味では同じだけれど、
そうした犠牲に無頓着でやりたいように作り続けるという無頓着な神経は信じられない。
だからノルシュテイン本人と話したいとは思わない。
(アンドレイ・)タルコフスキーについてもそうです。
作品は好きだけど、本人は嫌い。やっていることはノルシュテインと同じですよ。
実写だから亡命まで追い込まれたけれど、
ノルシュテインはアニメーションだからそこまで至らなかっただけだと思う」

―ある意味無制限に作家性を追求した作品と、
一定の時間的資金的制限の中で自分たちの作品とは根本的に違うという認識ですね。
すると、押井さん御自身のポジションというのはどういうものとお考えですか。

押井 「ぼくはあくまで商業作家です。エンタテイナー。
依頼された商品という枠の中でいいものを作ろうと努力している。
国家とか宗教のバックで撮りたいとは毛頭思わない。商品として成立する予算だから、
隙を見ていいものを作ろうという意欲も生まれるんであってさ、
税金とか献金でやりたい映画が出来る筈がない」

―ただ、押井さんの作品も特に海外ではアートとしての評価もありますよね。
商品として作られたものという前提抜きに作家性のみが強調されて理解されている印象も受けますが。

押井 「それについては、矛盾も葛藤もありますよ。
ただぼく自身は、今のポジションが大変気に入っているんです。
だって、それが映画を今ある形にしたんだもの。
観客がいて、お金を出す人がいて、作り手がいるというね」


★押井守インタビュー/押井守×叶精二★

2006年01月17日(火) 「話の話」について/ユーリ・ノルシュテイン
私たちは忘れてしまっているのではないでしょうか?
木には葉があり、葉がきらめいているのは太陽のおかげです。
私たちのテーブルには食物があって、旅人を招くことができる。
偶然通りかかった人を招き入れて、いっしょに食事をする。
その人が誰であるのか、どこから来たのか、いっさい問いかけもせずに、です。
道は人が行き交うためにある。旅をする人のためにある。
こういった人と人との単純な結びつきは、ひょっとしたら、
猫がゴロゴロとのどを鳴らす音かもしれない。
あるいはロウソクの炎かもしれない。すごく単純なことなのです。


★「話の話」について/ユーリ・ノルシュテイン★

2006年01月16日(月) 共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン
ユーリー (東京で10日間ワークショップを開いたが)
最後になって、やっと彼らは心を開くようになって、
自分の創作行為をさらけ出すようになりました。
ものを作るというのは、生きている力があふれていなくてはいけない。
心が閉ざされていてはいけない。彼らはあまり本を読んでいないし、
考えてもいない。だから繊細な共感が描けていないのです。
もう一つ、若い人たちへの印象ですが、恐ろしいほどの孤独、
あたかも国から捨てられた孤児か、あるいは物質とみなされているかのような、
捨てられたもののような孤独さです。
彼らには個性があって、それが将来、花と開くか、という存在なのにです。


★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★

2006年01月15日(日) 共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン
ユーリー 「冬の日」で、竹斎が歩いた小道を今歩いている、
というフレーズのあとに「狂句木枯らしの 身は竹斎に 似たるかな」がくるんですが、
私にとっては、芭蕉と竹斎がいっしょにいるような気がしたんです。
プーキシンに「詩とはきれいなところからは生まれない」という類の言葉がありますが、
それを見習ったんですね。


★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★

2006年01月14日(土) 共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン
川本 もう一回生まれ変わったらどうすると言われたら、同じことをしたいですね。

ユーリー 私は違います。またアニメーションをやろうと思ったことは一度もありません。
とにかくまったく偶然、こうなってしまった(笑)。
アニメーションを作るのは、この家を見て、
ちょっと組み立ててはカメラの前に行ってチョコンと置く。
立て直しては、カメラを覗いて、またチョコンと置く。
すると医者が来て、「診察室に行きなさい」。
私にとっては、そういうことですね。

川本 そうだったんですか、スタジオに人がいなければ、
いつもあのグルジア料理の店にいるよ、って言われてたんですよ。

ユーリー 実はこれが人の感情に共感することなんです。
当時、モスクワで唯一のグルジア料理のレストランが、
朝早くから熱いスープを出していました。
二日酔いの連中が頭をすっきりさせるために来る(笑)。
この酔っ払いたちがおもしろくて、観察するんです。
それから自分の重い脳を開放するためにね。


★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★

2006年01月13日(金) 共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン
川本 他の世界に比べると、アニメーションの世界はいい世界です。
誰かの足を引っ張ろうということがない。

ユーリー なぜかというと、みんなおかしいから(笑)。


★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★

2006年01月12日(木) 共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン
川本 モスクワのスタジオに行ったら、どなたかが「我々の中に、
とても不思議な人がいましてね。夜にならないと仕事をしないのです」と言う。
それでユーリー・ノルシュテインの名前を知ったのです(笑)。
またしばらくして、一九八五年でしたか、ブルガリアで審査員を頼まれた。
同じ審査員にユーリー・ノルシュテインの名前があって、もう、これは行かなきゃと。

ユーリー その帰りに私のスタジオに寄られたんですね。

川本 ええ、ユーラさんのスタジオで、すでに三年間も撮り続けている「外套」
を見せてもらったんです。もう僕はびっくり、こんなすごい作品は見たことがない、
と思いました。それが二十年前ですよ。まだ完成していない。

ユーリー 覚えていらっしゃいますか?スタジオをご覧になった時、
「おかしくなられませんか?」と尋ねられましたね。
「毎日、おかしくなっています」そう答えました(笑)。
あのとき撮っていただいた写真が、今もスタジオに飾ってあります。

川本 見わたすかぎり、アニメーションの小さな材料が並んでいる。
それをピンセットで持ってきて、置いて、それでまた戻して、また別のところへ持って行く。
アニメーションで人形を動かすのもたいへんですが、ユーラさんのやっていることは、
「諦めない」の最高の形のような気がしましたよ。

ユーリー そのピンセットは、いまだに私のコンピューターです(笑)。


★共感するということ/川本喜八郎×ユーリー・ノルシュテイン★

2006年01月11日(水) エーガ界に捧ぐ/中原昌也
昨日、実家の犬が亡くなった。
朝、姉から電話が掛かってきて、「こんな時間から借金返済の催促かぁ?」
と思っていた僕の予想を裏切り、犬の突然の死を告げたのだった…
文筆の仕事が辛くて仕方ない上に、またまたこんなに辛い状況が重なるなんて…
人生は単なる辛いことの連続なんだと、相当昔から解っていたつもりだったが…
実際にそういう出来事に直面すると本当に辛いものである。
こみあげてくる侘しさを誤魔化して、何ごともなかったかのように振舞わなければと
自分に言い聞かせる努力をして、この原稿を書き上げなければなるまい…
愛犬の死を無駄にせず、こうやって原稿に盛り込んでみた…しかし犬の死はつらい。

─中略─

そんな現実の中で何を信じればよいのか…それはかつて存在した
「忘れられぬ人々」の顔であろう。


★エーガ界に捧ぐ/中原昌也★

2006年01月10日(火) エーガ界に捧ぐ/中原昌也
もっと遠慮なく、映画は世界を破滅させてよいのだ。

過剰に気の利いた映画っつうもの程、見ていてイライラするものもない。

そもそも何かしらショッキングなイメージばかりを並べてビビらそうという魂胆が、
いまどきセコい。

映画なんてどうでもいい。
さらに言えば人間なんて社会なんて政治なんてどうでもいい。
しかし、突き詰めていけば無邪気だって退屈だって絶望だって
無差別殺人だって本当に恰好悪いからどうでもいいのであって
(ああ、何か青臭いことをかいてしまってるなぁ)、
やっぱり誰それが可愛いだの、どんな食い物が上手いだの、
どんな映画が素晴らしいということに真剣になっているのことが
一番信じるに足りるものなのだという結論に至るのだった。

まず、なによりも「金のかかってないSF映画って素晴らしいなぁ!」
ということを声高に表明したくなる。
メジャーだろうがマイナーだろうが制作費がふんだんに使われている映画は
問答無用に全部ゴミだ、クソだと言い切ろう(やっぱり声高に)。
そんな金あったら、他のことに使えばいいのに…。
貴様ら、そんな大金使ってまで儲けたいのか?
既にもうそんなに沢山お金持っているのなら、もうそれで十分じゃないか、
と説教したい。

恐らく実際に宇宙に行けば、純粋な感動よりも「人間という存在って一体何なのだ」
と考え込み、非常に寂しい気持になってしまうのが本当のところなのではあるまいか?

ただ生き抜いていくことによって、無言の(無意識の)抵抗をする。
これは本当に感動的だ。

よい映画でも見て何もかも忘れたい。
別に現実逃避をしようというわけではなく、現実を直視できる人間になるために。

できることならば面白い「非」が遠慮なく乱れ咲いているような映画ばかりが見たい…。

とにかくこの作品を一度は見ろ!そして何か感想が心の中で立ち起こる前に、
きれいさっぱり忘れろ!つまらない批評家にはなるな、とだけ言いたい。

ウブな大人の恋愛話なんて自分のことだけで十分なのよ。

他人が作った絶望的な気分にさせる物語はウンザリだ。


★エーガ界に捧ぐ/中原昌也★

2006年01月09日(月) 西遊記/坂元裕二
待てこの水泥棒。
お前は涙を流したことがねえだろ。
涙は人の優しさの川だ。汗は人の強さの川だ。
例えこの世の川を全て奪っても、それだけは奪うことのできない川なんだ。
のどが渇こうと、体が枯れようと、
絶対に絶対に絶対に乾かしちゃいけねえのが心だ。
お前のような干からびた心は、
たとえ仏様や神様が許してもこの俺様が許さない。


★西遊記/坂元裕二★

2006年01月08日(日) エーガ界に捧ぐ/中原昌也×平山夢明
平山 自主映画ってひどいじゃん。オレらのころなんて四畳半もの撮るような
異端の人たちもたくさんいてさあ。
今でも覚えてるけど、朝っぱらから鷲ノ宮のほうまで撮影に行ったら、
女がトランプでピラミッドをつくるってシーンだったわけ。
貼りゃいいじゃん、そんなの。それをマジでやってるんだよ。

中原 ハハハハ。

平山 「リアリティだよ」とかいってるのよ、先輩は。
とんでもねえキチガイにつきあっちゃったなあと思ってさ。
何回やっても崩れちゃって、イライラしてくるわけ。
そしたらそいつ「うう、リアリティがみなぎってるう」とかいっちゃってさあ。
お前への殺意がみなぎってんだっての。


中原 最近は映画とか見ないんですか?

平山 一応『AVレビュー』とかの連載もあるから見てるよ。
そこにエクササイズ用の自転車あるでしょ。これこぐときに見るのよ。
選択を間違えると悲惨でね、『永遠と一日』とか(笑)。
『用心棒』は良かったね。
俺ももうちょっと大きくなったら用心棒になろうって思ったよ。

中原 いつなるんですか(笑)

平山 あと、ヴォーホーベンの『ロボコップ』も良かったね。
あそこまで刺すとは思わなかったよ。

中原 ハハハハ。

平山 可愛そうだったよね、クラレンス・ボディッカーも。
あんなに接近しなきゃよかったんだよね。浅墓なとこだよな。ううううとかいって。

中原 (爆笑)


(中原さんの「そもそも書くのキライ」とか「書く原動力はお金」とか
「人が求めないようなものを書いてもそれをまた求められるのがヤ」みたいな発言に)

平山 多分書けないのはね、まだ中原さんは、いいもの書きたいんだよ。

平山 なんか、いいもの与えようとしてんじゃない?

平山 退屈なものは書いていいんだよ。
退屈であってつまらなくないものを書きゃいいんだよ。

平山 でも、オレ、中原さんなんかは、ヘンな言い方だけど、
わりと近い人だなってずっと思ってたんだよ。
たぶん基本的には「怒る」人なんだと思うんだ。
でも、一回祝福されちゃったじゃん。
あれがきっと、ちょっと嬉しかったんだよね(笑)。

中原 いやあ、内容的に本当に祝福されたとは思わないですけどね。
お金貰えてよかったってのは嬉しかったけど。

平山 でも、寒いときに、「お前、ちょっと焚き火当たってけよ」
って言われたら嬉しいじゃん。だけど、そこで「雑音」が入っちゃったんじゃないかな。
中原さんは「耳」の人だから。音楽やってたり、耳の生活の人だから、
耳から入ったものがハートの奥まで入っちゃうんだよ。

中原 うーん。

平山 だから深層心理にひっかかって、動けなくなっちゃうんだよ。

中原 そうかもなあ。

平山 でも、大丈夫だよ。ものすごく頭に来るときが必ず来るから。


平山 今はそうすることで抗議してる訳。
そういうときは、何もしなくていいんだよ。
焚き火に当たったことによって変ってきた部分を、
もう一度焚き火に当たりつつ当たらない自分にしたいのよ、
当たっちゃった自分を「ああよかったな」って思う部分もあったわけじゃない。
でも、本当によりどころにしてた「怒り」の部分てのは、
当たってないあの凍てついた道路にあったわけでしょ。
アレを取り戻すためには、動かないことも重要なんだろうね。


(最後に)
中原 いやあ、来た甲斐がありましたよ。
ここまで心に響くいいことをいってくださる方だとは思ってなかったといったら
ものすごく失礼ですが(笑)。


★エーガ界に捧ぐ/中原昌也×平山夢明★

2006年01月07日(土) 西遊記/坂元裕二
俺が天竺にこだわる理由はないと言ったけれど、そんなことはない。
500年間岩に閉じ込められていた俺をお師匠さんが助けてくれた。
そのお師匠さんが天竺に行こうと言ったんだ。だから俺は天竺に行く。


★西遊記/坂元裕二★

2006年01月06日(金) 「厄除け詩集」野田書房版の「序」/井伏鱒二
私はときどき散文を書きたくなくなることがある。
書いてもつまらないやうな気持になる。
これは私の散文が謂はば厄に逢ふことでさういふときには厄除けのつもりで
私は疎らに詩を書いてみた。自嘲の気持も手伝つてゐる。


★「厄除け詩集」野田書房版の「序」/井伏鱒二★

2006年01月05日(木) 断片/小沼丹
戦争の終わつた翌年の二月か三月のことだつたと思ふ。
満目荒涼たる焼跡を貫く道を歩いてゐたら、路傍に、ぽつねん、
と黒い石の地蔵さんが立つてゐた。黒いのは焦げたためらしい。
──いいね。
先生は地蔵さんの前に立つた。
──なかなかいいね。
積極的に相槌を打たなかつたのかもしれない、先生は僕の顔をちょつと見た。
──君はこんなの嫌ひなのかね?
──嫌ひじゃないけれど…。
──さうかね。
恐らく、当時は地蔵さんなぞ考へる気持の余裕が無かつたのだらう。
しかし、先生は湿つた風の吹く曇天の下で、地蔵さんと向合つてをられる。
突然、先生は振向いた。
──どうだらう、これ、担いで行けないかね?
僕は吃驚した。
地蔵は三尺ぐらゐあつて、土台もしつかりしてゐるらしく
ちよつと押したぐらゐでは動かない。
──重くて無理ですよ。
──でも、二人なら持てるだらう?
妙な話になって来たから些か慌てた。
──二人でも無理ですよ。それに駅か交番で咎められますよ。
無論、当時はタクシイなぞ一台も無い。
──ふうん、さうかね…?
先生はなんだか片附かない顔をして、疑はしさうに僕の方を見た。


★断片/小沼丹★

2006年01月04日(水) 死神の精度/伊坂幸太郎
驚きのあまり言葉を失っている私を連れて、老女は海岸までやってきた。
降り続いた雨のため、砂浜は湿っていたが、ぬかるみはさほどなくて歩きやすい。
私は海を前にして沖を望み、感嘆を漏らす。
「青い」私は真上を見る。濁りのない青色が一面に広がっている。
雲の欠片もなく延々と空だ。「広いな」


★死神の精度/伊坂幸太郎★

2006年01月03日(火) ぴあ1135号/アヒトイナザワ
ドラマーが片手間にやってると絶対に思われたくないから、
ひとつのバンドとして面白さを出すために細部まで注意を払ったつもりです。
自分で歌うって決めた限りは「ボーカルが弱いよね」って言われたくないし、
だから歌のメロディーは大切。
かつポップはポップでもメジャー調かマイナー調かっていう問題じゃなく、
メロとして一本立ちしているっていうのを目指さないと音楽として成立しないと思ったから、
試行錯誤はしましたね。

僕、コード知らないですからね、気合ですよ(笑)。
偶然成立する場合もあるし、成立しないこともある。
でも、僕の中から自然に発生したものだから、
決して奇をてらったつもりはない。


★ぴあ1135号/アヒトイナザワ★

2006年01月02日(月) 死神の精度/伊坂幸太郎
嘘をついてはいなかったが、面倒なので返事をしなかった。
そのかわりに、カーステレオに指を伸ばす。
知らず、喉を鳴らしそうになる。「これ、動かしていいか?」
「動かす?何か聴きたいのかよ。おまえ、自分の立場、理解してんのか」
構わずに私は、再生ボタンを探し出し、叩くように押した。
入っているのはコンパクトディスクらしく、回転する微かな音の後、
ミュージックが流れ出した。背中が震える。
顔の筋肉が緩み、じわじわと胸のあたりに温かみを感じる。
「おまえ、何で、にやけてるんだよ」
横目で私を見た阿久津は、訝しそうだった。
「いや、好きなんだ」
私は正直に答える。
「ストーンズが?」
「ストーンズ?いや、音楽が好きなんだ」
「何だよ、音楽って。範囲が広すぎじゃねえか」
実際のところ、私はジャンルに関係がなく、音楽が好きだった。
正確に言えば、私だけではなく、私たちはみんなそうだ。
人間に対する同情や畏怖などはまったくないが、
彼らが作り出した「ミュージック」を偏愛している。


★死神の精度/伊坂幸太郎★

2006年01月01日(日) 死神の精度/伊坂幸太郎
私たちの仲間は、仕事の合間に時間ができると、CDショップの試聴をしていることが多い。
一心不乱にヘッドフォンを耳に当て、ちっとも立ち去ろうとしない客がいたら、
おそらく私か、私の同僚だろう。
以前、機会があって映画を観たのだが、そこでは、「天使は図書館に集まる」と
描かれていた。
なるほど、彼らは図書館なのか、と私は感心したものだ。私たちはCDショップだ。


★死神の精度/伊坂幸太郎★

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