宿題

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2005年04月30日(土) ポンポン/大塚愛
毎日 あなたと ポン♪
毎日 2人で ポン♪
あぁ 沈んでく夕日を沈まないように逆さまに見る
毎日 なんとなくで ポン♪
毎日 バイクで ポン♪
あぁ 雨の匂いの予感 穴だらけの傘を持つ
ポン!!

ビンビール開けたら ポン♪
ここからジャンピングだ ポン♪

『ル・ジ・カ・ヲ・メ・ユ・イ・マ・ア』
あぁー!
ポン!!

あぁ↓嫌いな奴と握手をする
あぁ↓↓↑今日もがんばってる
ポン!!!


★ポンポン/大塚愛★

2005年04月29日(金) はじめてのジャズ24回/タモリ×山下洋輔
(タモリさんは、ご自分のジャズのお店を、繁盛させたいと思っているのでしょうか?)

タモリ これ、ほとんどのかたが知らないと思うんですけど、大学のジャズ研のOBで会社を作って、新宿でライブハウスの『J』っていうのをやってんですけどね。厚生年金の隣の地下ですけど、赤字なんです。

山下 毎日ライブしてるんだから。

タモリ 毎日ライブやって……。出演者には、なんとか払ってるんですけどね。

山下 見たらすごいですよ。バンドは毎日入って、もちろん歌手さんもたくさん入って……。

タモリ ところが、ミュージシャンたちは、ジャズ特有ですから、自分の言いたいことだけを、やっぱり言っちゃう……。それから、ジャズ特有のこむずかしい顔をしてる人もいるんです。たのしい音楽なのに、しかめっ面すると……。

(それは、ジャズだけじゃなくて他のジャンルでもいえると思うけど……お客さんが少なくなると、デフレスパイラルみたいなものに入るから)

タモリ (笑)そうそう!

(みんながこむずかしくなって、根性のあるやつだけが翌日も来るみたいな)

タモリ (笑)

(それでますます、一般の人たちは、業界に入りにくくなるんですよね……じゃあ、ちょっと今日のお客さんが、無邪気なふりをして、そこにいけばいいのかもしれないね)

タモリ ええ、それがいいと思います。お店を経営してる私の先輩はベースなんですけど、店を経営するにあたって、長年断念してたベースをまた練習して、プロとしてやってんですけど、このかたは、お客さんの少なさをなんとか打開しようと思って、長年封印していた、モノマネをやるんですよね。

山下 (笑)はっはっは!

タモリ 3曲ぐらいやると、モノマネが入る。しかもかなり放送禁止的なモノマネですけど。それでまたジャズの演奏に戻ったりして……。

(店が、試行錯誤で、のたうちまわってますね)

タモリ ええ。それでその人は、さる大手の会社の、かなり上の方の人なんです。業界で評判を聞いたら、「えっ!」っていうぐらいのきびしいまじめな人なんですけど、たまたまそこの部下が来たらしいんです。そしたら、モノマネがはじまったんです。しかも、下ネタのモノマネが……。


★はじめてのジャズ24回/タモリ×山下洋輔★

2005年04月28日(木) 人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫
オレ、黒沢明の『夢』って映画に出てくる笠智衆のセリフ、好きなの。
「人間は長く生きてると楽しい」
ね、いい言葉でしょ。せっかく面白いことがたくさんあるんだもん、
そんなに急いで枯れることないじゃない。
前に、植草甚一ってオヤジがいたの知ってる?
一度も行ってないくせにニューヨークのことに異常に詳しくて、
その紹介文を書いてたってヘンなジーサン。死ぬ間際に初めてニューヨークに行ったら、
ホントに書いたとおりだったんで本人もびっくりしちゃったって伝説のある人。
この植草甚一なんて、60過ぎて突然ジャズに目覚めて、
それから天井に届くくらいレコード買ってジャズ評論家になっちゃったって言うもんね。
あんまりレコードが多すぎて、死んだ時、奥さんが売っちゃおうとしたら、
「それはもったいない」と全部買い取ったのが、誰あろうタモリさ。
な、60過ぎてもこれくらいはできるの。


★人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫★



■60過ぎたのになかなか「枯れる」ことができない。
どうしたら上手に枯れることができますか?という質問に。

2005年04月27日(水) 人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫
たこちゃんが死んだ時は、外波山と相談して、たこちゃんのお地蔵さんを作ったんだよな。
そこにたこちゃんがメチャクチャに酔ってる時に書いた文字をそのまま彫り込んで。
「めいわくかけてありがとう」ってあれさ。
でも、オレはお地蔵さんはいらないね。
それよりももっと葬式をショーアップさせたい。
例えばファンファーレが鳴ると、すっ裸にされたオレの死体が祭壇の上に登場する。
で、昔と今の女房をはじめ、オレと関わりのあった女たちがやってきて
死体を包丁やナイフで思う存分、切り刻むのさ。
ひととおり切り終わった頃になって、その肉だけを取り出して、
網の上かなんかにのせて焼く。
ちょうど焼き上がったところで、集まった友達みんなに食べてもらう。
いいだろ?死んだ人間の肉をみんなで食べて体の一部にする習慣、
たしか昔から日本のどこかにあったよね。それをあえてやりたいのさ。
オレ、前に付き合ってた何人もの女に「かわいい!あなたを食べちゃいたいわ!」
って言われたし、オレもいい女がいたら、「おまえのこと、食べちゃいたい」
って何度も言ってる。つまり「食べる」ってことは最高の愛情表現なんだよ。
死んだら海に流してくれ、だの、灰にして山に捨ててくれ、だのいろいろ言うヤツいるよね。
でも、オレ、そんなのヤだ。
死んだ後、ひとりぼっちにされるみたいで寂しいじゃないか。
生前、仲の良かった連中みんなの体の中に入ってるほうがずっと楽しい。
なんなら、キミもオレの葬式の時、肉食いにきてもいいよ。


★人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫★



■どんなお葬式にしたいですか?という質問の答えの一部。

2005年04月26日(火) 人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫
その、仏壇のある部屋でオレとたこちゃん(たこ八郎)は毎日、飲んでたの。
まだ今の女房と結婚する前でさ、ウチにいるのはオレと菊千代だけ。
昼間んなると、必ずたこちゃんから「シェンシェー、行ってもいいでシュか?」
って電話がかかってくんだよ。毎日ウチに来るくせに必ず前もって電話してくる。
3階で、一緒にアグラかいて酒飲んでると、菊千代も上がってくるの。
たこちゃんが酒の肴にしてるスルメを狙ってんだけど、すぐは取りにこない。
わざと寝たふりしながら近づいてきて、ソーッとスルメに手を出すわけ。
8時ぐらいになると、たこちゃんが新宿に飲みに行く。
オレも一緒に行ったりして、朝方の4時くらいにウチに戻ると
菊千代が階段の踊り場で死んだふりをしてるわけ。
あいつもさ、1匹だけ残されて、寂しかったんだろうね、スネてんのよ。
「起きろ!」って足蹴っ飛ばしても意地になって動かないの。
で、また3階でたこちゃんと飲み直すと、菊千代がノッソリ上がってきて、
寝たふりしながらスルメに手を出してくる。
たこちゃん、肝臓と膵臓が完全にヤラれててさ、水割りに氷入れるとすぐ腹こわすから、
氷なしの水割りとか、お湯割りばっかり飲んでたね。
でも、お酒が抜けた時はなかった。
朝7時前に起きるでしょ。それで新大久保のアパートのすぐ近くにある定食屋に行ってまず飲むわけ。
もちろんタダ。たこちゃんから金取ろうなんて奴はだーれもいなかったね。
それからオレんチに来るんだけど、体ガタガタになっても週に1回は
必ずボクシング・ジムに行ってトレーニングしてた。
前に一緒にセブ島に行った時さ、昔、対戦したボクサーが島の病院に入院してるって
聞いたらしくて、「せび会いたい」って訪ねてったこともあったな。
でも、会ったらまったくの別人で、「ジャンネンです」なんて泣いてた。
やっぱり元ボクサーの誇りってあったんだろうねェ。
死ぬ2週間くらい前に、故郷の宮城に帰って友達とか親戚とかに会って、
ひととおり挨拶をすませてから東京に戻ってきた。
自分なりにわかってたんだろうな、もうすぐ死ぬってことを。
ホントに妙に律儀なヤツでさ、どんなに頭がヘロヘロでも、
そういう礼儀って欠かさないんだよ、あいつは。
『はみだし劇場』ってアングラ劇団の座長やってる外波山文明っていうのが家も近くで、
ずっとたこちゃんの面倒見ててさ、死んだ時も、
「どうせ、たこちゃん金なんか持ってないだろうし、みんなで出しあって葬式やろうよ」
なんて外波山と相談してた。
ところが、部屋の中、片付けてみたら、出てくんだよ、金が。
本棚の下に古い聖徳太子の一万円札が見つかったりね。
仕事して現金もらうとひょこっと部屋ん中置いてたらしい。
預金通帳もあって、後で残高確かめたら、合計600万円になってた。
よく考えてみたら当然なんだな。
テレビとかにけっこう出演してて、金の振込みがあるんだもん。
どうも本人は振り込まれたの知らないらしくて、ぜんぜんおろしてない。
たこちゃんの霊なら、オレ、大歓迎だよ。
また一緒に3階で飲みたいよなァ、菊千代を入れて3匹でさ。


★人生これでいいのだ!!/赤塚不二夫★



■霊を信じますか?という質問の答えの一部。

2005年04月25日(月) 子供のまなざし/ラルティーグ
パパは神様だ(神様がパパに化けているのかもしれない。)
「おまえに本物の写真機をあげよう」だなんて!



これからは何もかも写真に撮って残せる。もうパリに帰ってもさみしくない。
田舎の風景をみんな持ち帰ることができるんだもの。
前だったら「これと、これと、これを撮って」と、パパに頼んでも、「もちろん、もちろん」
といわれるだけでちっとも撮ってもらえなかった。でも、もうこれからは自分で撮れる。



僕は赤ん坊も好きだし、年上の子も好き。
きらいなのは同い年の馬鹿な子たち。



去年は、レンズの蓋を開けた途端、写真機の前に走って行って、
自分の姿を透明ながら撮影することができた。
今日思いついたのは、同じ要領で、もしや夕食のとき話に聞いた、
透き通った幽霊の写真を撮れはしないかということだ。
それでジズーにシーツをかぶってもらうことにした。
レンズの前に立ってもらって、蓋を開ける。また閉める。
ジズーがどいたら、また蓋を開ける。
うまく幽霊の写真が撮れていますように。



パパのお気に入りの秘書プリットが、沼の泥土の中を竹馬で歩けるか試しに行こうとしている。



成長する自分に、ときどきひどく悲しくなる。
こんなに幸せで、若く、何の不安も抱かずに暮らせるのに、なぜこのままでいられないんだろう。
もっと若くたっていいとさえ思う。
ママンが「あなたはいつまでも私の赤ちゃんよ」というときの優しいまなざしをどう説明したらいいだろう。
永遠にそういってもらえたらどんなに素敵だろう。
幼い頃を思い出す。
夜眠ると、自分を守ってくれる幸せが逃げてしまいそうで怖かった。
手を握って、ママンが歌を歌ってくれているあいだも、
僕は喜んでいたのではなく、じつは声を殺して泣いていた。



もしかすると近いかもしれない、と言っていたことが確実になった。
ついに宣戦が布告されたのだ!
もし徴兵猶予になっていなかったら、9月4日には徴兵通知を受け取り
ママンとパパとジズーとおばあちゃんを残して戦場に向かうことになっていたなんて、
どんなにつらいだろう。
パパはちょうど徴兵免除の年齢になった。ジズーも免除されている。
いまのところ僕たちはまだ4人一緒に暮らしていける。
そのことをもっと喜ばなくてはいけないのに…説明し難い。
僕にとってパパは、生まれたときから僕を守ってくれる何よりも偉大な力だった。
野原も森も障害も僕を抱いて通り抜け、僕はただ笑って身を任せてさえいればよかった。
なのに、頼りにしていたその人が今日力を失うのを見たのだ。
高く抱きかかえられていただけに、ひどく目まいがする。
…パパに怖いものがあるなんて、想像したこともなかった。
パパは戦争に脅えている。



日当たりのよい広場でママンが僕に話しかける。僕は黙っている。
オレオについて今日みんなが話すことは、なんの意味も持たないと思うから。
僕は信じない。明日になったら信じるだろうか。とにかく今日は信じない。
もし死んでいるならば、彼は僕のそばにいるはずだし、もし生きているなら、
もう悲しむ必要はない。


★子供のまなざし/ラルティーグ★

2005年04月24日(日) セバスチャン/松浦理英子
幾分真面目な表情で工也は言った。
「自分より馬鹿な奴の家来になることがどんなに楽しいかわかるでしょう?」
「その馬鹿を好きならね。」
「そうなんだ。」嬉しそうに叫ぶ。「やっぱりあなたはそういう人だっだんだね。」
麻季子は背理を思った。背理は決して馬鹿などではなかった。
ただ公平に見て、麻季子は必ずしも全面降伏しなくてもよいものを、
わざと自分をずっと引き下ろして位置づけていた。その方が都合がよかったから。
背理もまた、それを知りながら知らないふりをして主人を演じてくれていた。
常に相手の優越を許すことは辛くないとは言えなかったが、
主人と奴隷ごっこをやめて友達ごっこをするとしたら自分たちはどうなってしまうのか、
麻季子には見当がつかない。


★セバスチャン/松浦理英子★

2005年04月23日(土) ワラタ2ッキ(魔法系)
難問にはパルプンテ

どうしてもわからない日本史の問題に
「パルプンテ」って書いたら
採点後、先生により
「しかし、何も起こらなかった」って書かれてた。(実話)



奥様は魔女

「夜中に台所で魔女ごっこをする。
東急ハンズで買ったフラスコに、娘の絵の具を失敬して作った色水を入れる。
それをいくつも作って混ぜたり、ドライアイスを入れたりする。
暗い色に白を混ぜて、呪いの薬を浄化するのが主な仕事。
色水の色で湯気が出たら最高なのになぁ、と思いつつ、黙々と色水を混ぜる。
夫が晩酌で炭酸水を残したりした日は、炭酸水(もちろん色つき)にラムネを投入。
ぶわわわ、と泡が噴き上がるので、ちょっぴり失敗気分が味わえる。

でも、この間、娘(小2)に目撃された。
だから、お母さんはもう、魔法が使えない」



科学の実験

「そもそも、生活の中で科学の実験をする人なんて、そう多くいないんだから気にするな」
「フルーチェ作ってるときは、科学の実験している気分になります」
「じゃあ、フルーチェとねるねるねるねまでは科学とします」
「ねるねるねるねは魔法だろ」


★ワラタ2ッキ(魔法系)★

2005年04月22日(金) 流浪の手記/深沢七郎
札幌のステキなことはどこでもムシャムシャ食べている人が多いことで、映画館の中でもムシャムシャ食ってる人が多いし、道を歩きながら食べている人もあるし、大通りのベンチに腰をかけている人なら食べていない人の方が少ないのだ。
私はぶどうを食べながら向こうのベンチに腰かけてトウキビをかじっている立派な奥さんを眺めながら、(アレ!アレ!人間の性は善だナ)と思いながら私も食べていた。ものを食べている姿や食べ物を持ち歩いている姿を見ると、いつでも私はそう思うのだ。


★流浪の手記/深沢七郎★

2005年04月21日(木) 分からなくなってしまう日記/深沢七郎
読み終わって私は(この世の中は面倒臭いものだナ)と思った。幸か?不幸か?此の頃ボクは美しい人間を、いく人もいく人も見つけだすのである。そんな筈はないと思っていたからだ。ああまた、思いがけないところに、こんな人がいたのだと僕の計画していた人生の予定が崩れてしまうのである。一体、過去の死んだ人達は、人間を美しいと思って死んで行ったのだろうか?それとも、僕のように餓鬼だとか、畜生だとかと愛想をつかして死んで行ったのだろうか?悪態をついて、吠えて死んで行く者がないのは臨終の時になってナニモノかに降参するのだ。それで菩薩になれるのだと思うけど深田先生のような即身成仏した姿に接すると(登山家なんかに)と今まで思っていたボクは「さあ、大変!」である。予定が狂って、この世の中がだんだんわけがわからなくなってしまうのだ。


★分からなくなってしまう日記/深沢七郎★

2005年04月20日(水) 買わなければよかったのに日記/深沢七郎
汽車が動きだして、先生の前に腰をかけている私は、(一体、何の商売の人だろう?)と思った。勿論、井伏先生は小説を書いていられるのだが、その外に何か商売を持っていると思うのである。学生の頃は絵描きになろうと考えたときもあったそうである。だが、今は、これからは何の商売になるのか知らん?と考えた。私自身、この一、二年で小説を書くのは止めて、自分のしたい商売、生活は夢にえがいているので、井伏先生もきっと、そんなことをお考えになっていると思うのである。先生の顔をみていると、(僧侶かな?)とも思った。着物の襟のカタチは僧侶のような感じである。腰から下は金持の御隠居さまで、顔は若い顔で美男子だし、何よりステキな品のよさは赤い顔つやである。(一体、何の商売をしたくて生きているのだろう?)と考えた。(草や木を眺めることかな?)と思った。ひょっと(釣だ!)と気がついた。(そうかも知れない、それが人生の、夢かもしれない)とも思った。途端、ボクは、ベートーヴェンが憎らしくなってきた。若い時は好きだったが今は嫌いなのはベートーヴェンのように音楽に思想を盛り込もうとすることは音楽の邪道であると思うからだ。ボクは、音の余韻が嫌いになってしまったのだ。ヴァイオリンのひっぱった響、日本の太鼓の余韻、思わせぶりな気味の悪さを感ずるのだ。やはり、土人の太鼓や日本のでは鼓が好きだ。だからボクはマンボやロカビリーが好きなのだ。小説もそれと同じことで思想などを盛り込むことは邪道だと思う。ジャズにはリズムと迫力のある音があって、それが材料だが、小説にはそれに該当するものは?何だろう?と考えたりする。いつか、そんなボクを満足させるような小説を書きたいものだと思う。井伏先生の小説はロカビリーに似ていると思う。


★買わなければよかったのに日記/深沢七郎★

2005年04月19日(火) 笑うふたり/谷啓×高田文夫
谷 小説家にもなりたかったんです。

高田 ほおう。

谷 小説っていってもSF。小学生だと読めない字があるんだけど、
本読みたいために勉強したりなんかして。そのうちある本を片っ端から読みだした。

高田 ひたすら読んじゃう。

谷 本を読むといってもただ読むんじゃなくて、穴を掘って、その中で…。

高田 何で本読むのに穴をほらなきゃいけないんですか(笑)。穴掘りの、入りの、

谷 身体隠しの(笑)。

高田 読みの(笑)。ヤなかたちですね(笑)。

谷 あとはハト小屋の中に入り込んで(笑)。
ハトを飼うのが、あの当時どういうわけか流行ったんですよ。

高田 らしいですね。

谷 それですごく高いのをおふくろに泣きついて買ってもらって。

高田 家で飼ってたんですか?

谷 屋根の上で。でも近所の悪ガキに「ハトなんか帰ってこないだろ」って言われて癪にさわったんで、
ハトを遠くまで連れてって放してみたら、帰って来ない。
おふくろにはいないなんて言えないから、あたかもハトがいるがごとく次の日から…。

高田 芝居するんですか(笑)。

谷 ええ。ハト小屋に入る。でも、ハテ?することもないぞと(笑)。
で、外を見たら面白いんですよ、外の風景が。

高田 ハト小屋から見ると(笑)。

谷 まさかそんなところから人が見てると思わないから、非常に隙間だらけの人が歩いてるわけ。

高田 隙間だらけの(笑)。てんでリラックスして(笑)。

谷 それ見てると面白いんですよ。

高田 のそきだ、それじゃ(笑)。

谷 はなはだしいときは、おばあちゃんがですね、田舎の方ですから、立ちションするんですよ。

高田 まさかハト小屋から見てるとは敵も知らずに(笑)。

谷 そういう立ちションベンって結構あったんですね、昔は。

高田 それをグッシッシと見て。

谷 意外な発見がある。

高田 意外な世間が見えると。

谷 それからは学校から帰ってくると、自分から率先してハト小屋へ。

高田 クククク。

谷 そこからジーっと見てる。

高田 変な子だよ(笑)。

谷 そう頻繁に人が通るわけじゃないから本を持ってって読みながら、
何か気配を感じるとのぞく。

高田 協調性なさそうですねえ(笑)。

谷 照れ屋だったし。

高田 一人で遊ぶのが好きだったでしょ。

谷 ええ。だからメンコとかもやらなかったし…、あ、そうだ、新緑の頃、
新芽を摘んで、それを小皿に入れた油に浸して、それを持って橋の上に行って、
わりと流れの急なところでそれをストンと落とすと、油が当然のごとく散りますわね。
あーっ、これだ!と。

高田 何がこれだ!かわかんないんだけど(笑)。これだ!と。

谷 つまんない遊びでしょう。

高田 グヮッハッハッハ、谷さんしかわかんないんでしょうね、その遊びは。

谷 必死に遊びを探していたのかもしれない。いまでも、ああ、つまんない遊びをしてた、
って思い出しますもの。あげくのはてに穴掘って、草を自分の身体にかけて、顔だけ出して。

高田 クク、また穴が好きですね。

谷 そのうち、本の影響からロビンソン・クルーソーっていう表札作ったんです。

高田 表札出した(笑)。

谷 暗くなっても帰らないとおくふろに怒られるじゃないですか。
だから表札出して、穴の中に入ってりゃ、見ればわかるじゃないですか。
でも、おふくろにしてみりゃ、結構ヤだったでしょうね。



高田 谷さんちが火事で焼けたあと、庭で麻雀してたっていうのはなんなんですか(笑)。

谷 そのころ麻雀をよくやってたんで。

高田 なんだかわかんない人だね(笑)。

谷 もうすることがなくなっちゃったんですよ。見舞いの人がやたら来るし、
ここでうろたえてもしょうがないし、町内会の人がテント張ってくれたんで、麻雀引っ張りだして。

高田 普通やらないよな(笑)。

─中略

谷 でもお見舞いに来た人が「よかった」って。

高田 谷さん、元気なんだと。

谷 うん。

高田 ポンなんつってるから(笑)。

谷 でも、なべおさみが駆けつけてきたとき、相談したんですよ。
麻雀は不謹慎だろうかって。

高田 相談しなくたって普通思いますよ、不謹慎だって(笑)。

谷 「今日はやめといたほうがいいかね」って。
そしたらなべが「何言ってるんですか、今日やらなくて、いつやるんですか」って。
すぐやりましたけどね(笑)。



谷 コーヒーに凝ったこともあるんですよ。

高田 いろんなものに凝りますね。

谷 結構淹れるの練習したんです。

高田 テクがある。

谷 ところが淹れてる最中に、突然尿意を催したんですよ。

高田 途中で(笑)。

谷 でも途中でやめちゃったらコーヒーが台無しになる。
コーヒーを無駄にするか、それとも最後まで淹れるべきか悩んだあげく、
後者を選びまして、ションベンそのまま垂れ流しちゃった(笑)。



高田 最近凝ってるものは何ですか?

谷 最近はあまりないな。アリの巣を作ってるくらい。

高田 ハトだとかアリだとか変なものが好きですね(笑)。

谷 あ、かぶと虫にも今……。

高田 かぶと虫もって、夏休みの子供じゃないんだから(笑)。

谷 この前、変な虫を発見したの。

高田 発見しますね、また。

谷 植木鉢をどけたら、三十センチくらいあるきし麺のような長い虫が渦巻いてるんですよ。
捕まえようとしたらブチっと切れて、切れた先も動く。残った方も動く。
昆虫図鑑に出てないんですよ。

高田 谷さんが第一発見者じゃないんですか(笑)。

谷 いや、前に聞いたことはあるんです。またうちは、ミミズがやたらいるんで、
牛乳ビンに入れておくんです。一匹や二匹じゃなんてことないけど、
口許までミミズをつめると、見た目すごくい感じ。

高田 いい感じ!(笑)。

谷 カミさんとか子供が…、

高田 喜ぶんですか?

谷 いやがる。いやがらせには最高(笑)。

高田 おっかしいなぁ(笑)。大人になってもいまだに、一人で遊ぶのが好きなんですね。

谷 ハハハ。

高田 お酒のほうは?

谷 酒、駄目ですね。外でもほとんど飲まない。

高田 飲まないで、家で石どけて虫見てる(笑)。


★笑うふたり/谷啓×高田文夫★

2005年04月18日(月) 笑うふたり/青島幸男×高田文夫
青島 学生のときに結核になって、若いしヒマ人だから、色んなことを考えるわけだ。
どうせ身体は弱いから大した労働はできない。それで、物書きになろうと思ったわけだよ。
家にいて居職で仕事ができるだろう。

高田 物書きのほうを選んだと。

青島 小学校三年生くらいからずーっと本ばっかり読んでたんだ。
それで大学を出る頃には、どうしても物を書いて飯を食うようになりたいと思ってたね。
だけど、どうしていいかわかんない。で、卒業するときになって親父がね、
「お前、大学を出してやったのに、うちでのらりくらりされてんのはかなわねえ。
何かなりてえものあンだろう」って言うから「言えば笑うんじゃないですか」っつったら
「笑わないから言ってみろ」。で、「小説家になりたい」って言ったら、クッと笑うんだよ(笑)。
「笑ったじゃねえか」って。そしたら親父が
「小説家なんて、そらあ売れてくれば、何かの広告の裏へ書いたって、一枚一万円とか、
三万円とかになるんだそうだし、元かかんないで儲かる商売で悪かないが、
それは何万人に一人って才能のある人が、何万人に一人っていうような努力を重ねてそうなるんであって、
おまえにはそれは無理だろうから、もっと堅気のことを考えろ」って言う。
それで、あの頃トリスバーがはやってたんで、「トリスバーってなんか、
水売って儲けてるような気がするんだけど、あれ、やろうかな」って言ったら、
「そうだよ、そういう堅気のこと考えなきゃダメだよ」って(笑)。



青島 いくつになってもさ、五里夢中っていうか暗中模索っていうか、
スタジオに行っても何しても、小生意気な若造だって言われて、それを誇りにも思い、
生き甲斐にもしてたのにさ、いつの間にか、どこへ行っても「最年長の方、どうぞ」
なんて言われちゃう(笑)。

高田 そういう年頃になっちゃいましたよね。

青島 そうだよ、都庁の中でだって、俺、最年長なんだから。

高田 この中でも最年長になっちゃった。

青島 うん。小生意気な最年長っていうのはないからな。



高田 詩を先につくってたんですか?

青島 というか、新しい映画をつくるっていうたびに、音楽担当のデクさん(萩原哲晶)に
「じゃ、今度はこういうのを書きましょう」ってアウトラインだけ書いて渡す。
そうするとデクさんが、A案、B案、C案って、いくつかメロディを作ってくる。
それで、渡辺晋さんの家に持ち寄って、ハナちゃんなんかも来て、
A案とC案のサビを取って、真ん中だけこっちへ生かそうとか何とか、
ワイワイ言いながら大笑いしてるうちにできちゃうんだよね。
それで、一つだけデクさんが作ったのが、
♪ごまをーすりイまあしょ……って、

高田 『ごますり行進曲』。

青島 あれは、デクさんの発案なんだよ。「だいたい、ごまをするっていうようなことはですね、
男子の本領としてやるべきことではない。ごまをするということは、
これは人との付き合いの潤滑油みたいなもんで、これをなくしては付き合いはあり得ません。
ですから、盛大にごまをするっていう感じの歌を作って下さい(笑)」。
それで、♪ごまをーすりイまあしょ。

高田 あ、スレスレって。

青島 陽気にごまをねっていうんだからさ、びっくりしちゃうよ、たいていの人は。

高田 すごいですよね。

青島 デクさん変な人でね。『無責任一代男』の主題歌は「コツコツやる奴ァ、バーカ」
とか言ってたんだよ。
そしたら晋さんが「バカっていうのは、ちょっとあんまりナマすぎる」って言いだした。
そしたらデクさんが「ごくろうさんっていうのはどうです?」。一発で決まっちゃった。

高田 「コツコツやる奴ァごくろうさん」

青島 「こんなに人をバカにした話はないっていうんでね(笑)」。

◇ 

高田 作詞はクレージーだけじゃないですもんね。(坂本)九ちゃんとか。

青島 「明日があるさ」とかね。人づてに聞いたんだけど、
談志君が「身ぶるいするようなうまいこと言おう」というフレーズが大好きで、
大ウケにウケてたって。

高田 そうそう、言ってます、言ってます。


★笑うふたり/青島幸男×高田文夫★

2005年04月17日(日) 笑うふたり/イッセー尾形×高田文夫
尾形 (腕組みして)落語始めようかなあ(笑)

高田 いいねえ、いいよ。一人でいっぺんに全部できるんだもの。
男も女も、犬だって、タヌキまで出来るんだから(笑)。
タヌキのネタで一人芝居じゃ、十五分は辛いだろう(笑)。

尾形 辛い、辛い。持っていきようがない。

高田 落語だったら、こっちで人間になって、こっちでタヌキになれるもの。
タヌキになりっぱなしじゃない。「なんだ、お前は」って一応タヌキに突っ込めるから(笑)。

尾形 そう、それが一人芝居の場合はないんですよ。

高田 突っ込めないでしょ。そこが、落語の一人称と一人芝居の一人称の違いですよ。
落語だと、八っつぁんになってても、半分醒めて、八っつぁんを見てますからね。



尾形 落語は寄席も含めた全部が虚構なのかもしれないですね。

高田 というか虚実皮膜というか。融通無碍なんだよね。
落語の場合は、いつでも落語を語ってる自分に戻れるから。
「お前さんあたしの腰巻き返しとくれ」「何言ってんだい、お前こそ、俺の猿股返せ」
「なんて、どっちもどっちの夫婦がいますからね」って、
正面切れば自分自身に戻れますからね。つまり、いつでも、現実というか素に戻れるんですよね。



尾形 今年の目標というのは、強いて言えば、”友達を作る”。
これ、ここ何年来の目標なんですけど(笑)。

高田 そんなに友達が欲しいなら、今度、うちの談志師匠と飲みましょうよ。

尾形 師匠の物真似はけっこうするんですが。

高田 ああ、見た見た。うまいよねえ。

尾形 物真似はしないたちなんですが。

高田 人間の質が近いんだって。けっこう孤独で、一人で煮詰まっちゃう(笑)。
だから、一度談志師匠と飲みません?

尾形 何話せばいいんです?

高田 芸談。酔っぱらうと、最後は芸談ですね。

尾形 芸談はできないからなあ。

高田 いや、結局はバカっぱなし。

尾形 何度かは会ってるんだけど。

高田 じゃ、話はした?

尾形 うん。「どうも、どうも」って。

高田 それはただの挨拶でしょ(笑)。

尾形 でも、二回目に会ったときは「その節はどうも」。

高田 じゃあ、三回目が「あの節はどうも」で、次からは「毎度どうも」ってか?

尾形 よくわかりますね。

高田 お見通しよ(笑)。

尾形 だから、役作っていきます(笑)。

高田 「談志に会う人」。どんな役なんだ(笑)。

尾形 そういう料簡になりゃ、会える(笑)。
でも(談志の声色で)「ウゥ、その料簡が気に食わねえ」って(笑)。

高田 いきなり小言だよ。でも、ああいう人はいきなり懐に入っちゃえば楽なんですよ。

尾形 となると、どういう役設定にすればいいんですか?

高田 これだもん。友達できないよ(笑)。


★笑うふたり/イッセー尾形×高田文夫★

2005年04月16日(土) 笑うふたり/三木のり平×高田文夫
高田 最近、注目してる芸人さんはいますか。

三木 俺は、下北沢でよくいろんな芝居を観るんだよ。時代に遅れちゃいけないと思ってさ、
流行りもんで何が騒がれてるかってんで観にいく。テレビの深夜番組も見てる。

高田 チェックしてますね。

三木 (ラサール石井の)『星屑の町』も観たし、東京ヴォードビルショーとか乾電池とかも観てる。
アングラていうのも嫌ってほど見てるよ。とんでもない原っぱでやったりするやつも。


★笑うふたり/三木のり平×高田文夫★

2005年04月15日(金) 笑うふたり/伊東四朗×高田文夫
伊東 でも、それによって一歩前に出たということもあった。
自分らのやりたいことだけやってると行き詰まるね、あれは。
嫌なこともちょっとやんないと。努力しないと。

高田 ああ、そういうのを努力と言いますか。

伊東 そう。ぞろっぺえな我々にとっては努力。



高田 基本的なことを伺いますけど、伊東さんて何人兄弟なんですか?

伊東 五人。三人男で下から二番目。生まれは下谷。家は下請けの洋服屋やってたんです。



伊東 その船本(友達)と早稲田祭でやろうって落語芝居の台本書いてさ、
(尾上)松緑さんに見てもらいに楽屋尋ねて行ったんだよね。

高田 すごいね、どうも。怖いものなし。

伊東 番頭に怒られてね、「何なのあんた方」って。「いや、音羽屋さんに会いに…」

高田 ハハハハ、なにが音羽屋だ(笑)。

伊東 いい間の振りして(笑)。そしたら、ちょうどそこへ松緑さんが楽屋入りして来て。

高田 間がいいね。

伊東 よすぎる。いい形で入ってくるんだよ。

高田 お役者さまだね、やっぱり。

伊東 「さあさ、お入りなさい」って言ってくれたんで、
実はこれこれこういう訳で芝居を書いたんだけど、意見を聞かせていただきたいって。

高田 もうそこまで行くと…。

伊東 ばかの一種。でも読んでくれたもん、「弓張提灯」っていう外題なんだけど。
「よくできてます。芝居で苦しむのはわれわれです。
皆さん学生さんは絶対楽しんでやんなさいよ」って。

高田 金言だねえ。

伊東 こっちも感激しちゃったからさ、
「この間はきったない格好した学生風情がうかがって申し訳ありませんでした」
って松緑さんに手紙を出したらあなた、今度は京都から、絵馬になってる、
音羽屋のマークの入った木製の葉書が来た。

高田 ウワアーッ。

伊東 松緑さんの自筆でだよ、「京都の知人がこんな絵馬を作ってくれました。
どこかへかけておいて下さい」。人間が違うよー。


★笑うふたり/伊東四朗×高田文夫★

2005年04月14日(木) 2005年4月14日コメント/矢口真里
矢口真里コメント
いつもいつも熱い応援をしてくれるファンの皆さん、本当にごめんなさい。
矢口は7年間、ずっと走り続けてきました。何もわからないときから、リーダーをやっている今日まで、ステージで迷ったことはありません。でも、先輩達の卒業や、今の自分を見つめたとき、ちょっと大人になったと感じる事が多くなりました。『モーニング娘。』のメンバーであること。「アイドル」と呼ばれること。沢山のファンの皆さんの前に立てること・・・。全てが私の誇りであり、神様の贈り物だと思っていました。
今回の騒動で私は、「アイドル」としての自分を裏切っていたと思います。また『モーニング娘。』のリーダーとしてメンバーをひっぱっていく資格はなくなった、と思いました。こんな状態を続ける訳にはいかない、自分自身の責任として『モーニング娘。』を辞める決断をしました。結果はソロ活動をしていくことになりました。
沢山の『モーニング娘。』を応援して下さっている皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。矢口真里はもう一度、一からやり直します。一つ大人になった矢口真里を見ていて下さい。よろしく御願いします。


★2005年4月14日コメント/矢口真里★

2005年04月13日(水) 新日曜美術館 ジョルシュ・ド・ラ・トゥール展/藤原新也
フランスでは、ラトゥールは○○(名前聞き取れず)の残酷な現実をも描写する作風と比べて、
幻想的であると言われますが、という話で。

(自分は)ラトゥールの絵の方に現実や死を感じる。
○○の方は演劇的な視点で日常を捕らえた絵であって、
残酷な描写があったとしても、逆にあまり死を感じることはない。

ラトゥールの絵というのは「ひきこもり」なんです。
ひきこもりというのはずっと現実から逃げたり遠ざかっているわけではない。
一度現実にぶち当たった経験があるから、
人よりも敏感に現実を感じてしまうから、ひきこもる。
ひきこもった状態でずっと現実を観察している。
私にはこちらの方がより現実的な絵だと思うし、死を感じる。


★新日曜美術館 ジョルシュ・ド・ラ・トゥール展/藤原新也★

2005年04月12日(火) 詩人の魂/シャルル・トレネ
彼等が消え去った ずっと、ずっと、
ずっとあとになっても うたは街々に流れ続ける
人々は少しうわの空で
作者の名前も 彼が誰を想って心ときめかせたのかも
知らないままそのうたを歌い継いでいく
だから時には言葉も変ってしまったり
あるいは歌詞が分らなくなってただラララ、だけになったり
彼等が消え去った ずっと、ずっと、ずっとあとになっても
うたは街々に流れ続ける
もしかしたらいつか僕が消え去ったずっとあとになって
ある日誰かがこのメロディをくちずさむ
悲しみを紛らわすため 幸福をかみしめるため
年老いた物乞いの生きる糧になり
年若い子供の子守唄になり
春の水辺におかれた蓄音機のうえで
くるくる回るレコードに刻まれることもあるのかな
彼等が消え去った ずっと、ずっと、ずっとあとになっても
うたは街々に流れ続ける
詩人達の軽やかな心と 少女を、少年を、ブルジョワを、芸術家を、
放浪者を 時には陽気に、時には悲しくするそのうた


★詩人の魂/シャルル・トレネ★



■宮沢章夫さんの富士日記2から。

2005年04月11日(月) 高田渡◇友部正人より(4月18日)/友部正人
4月16日の朝に高田渡の訃報を聞いてから、今日までは長い一日だったような気がします。渡の危篤については、4月5日に聞いて知っていたのですが、途中持ち直したという話もあったりして、まだまだ大丈夫、とぼくは思っていたのでした。
今日のお葬式のことは16日の夜に連絡をもらいました。ぼくは17日に九州の柳川でライブがあって、18日の午後に飛行機で戻って来る予定だったのですが、急遽それを変更して、17日のうちに日帰りをしました。幸いにも柳川のライブが午後4時からだったので、福岡空港からの最終便に間に合ったのです。

柳川のライブは中山という町の公園でありました。この公園の藤の花はとてもきれいだそうですが、今年は咲くのが遅れていて見られませんでした。でもだだっ広い公園には模擬店もたくさん出ていてとてもにぎやかだったし、ステージの前の芝生では数十人の人たちが、暑さにもめげずに熱心にぼくの歌を1時間半聞いてくれました。

渡のお葬式は、吉祥寺カトリック教会でありました。倒れた釧路の病院で洗礼を受けた渡はパウロ・高田渡になったのです。教会は悲しみに包まれ、一歩足を踏み入れたとたん、ぼくもその悲しみに逆らうことはもうできませんでした。お通夜に行かれなかったぼくとユミは、友人に勧められて、セレモニーが始まる前に棺の中に横たわる渡に会いに行きました。渡の顔は、地面に散った花びらのようにしわしわでした。だけど苦痛の跡はなく、ぼくもユミも無言で長い間、その静かな顔に見入ってしまうのでした。
渡は自分が歌う「私の青空」に送られて、霊柩車で火葬場へと運ばれて行きました。最後にお別れの拍手が霊柩車の周りで沸き起こったときは、まるでコンサートのようでした。もう誰もアンコールとは叫びませんでしたが。

16日からの長い一日は、火葬場で渡の骨を見た瞬間に終りました。渡の骨をはしでつまんで骨壷に。そのとき何人かの人たちがしたように、ぼくも骨の小片をハンカチにくるんでポケットにしまいました。教会に戻ったぼくたちは、みんなと一緒にそのまま「いせや」に。教会の神父さんが、「いせやのカウンターは高田渡の祈り台だった」という話はおもしろかった。お葬式の後はみんな一人になりたくないのか、「いせや」で飲んでそのあとは「のろ」に移動し、そこでもいつまでも一緒にいるのでした。


★高田渡◇友部正人より(4月18日)/友部正人★

2005年04月10日(日) 目利きのヒミツ/白洲正子×赤瀬川原平
白洲 本当に、あなた、小林さん知らなかったんですか?

赤瀬川 僕は全然知りません。三年前かな、天皇がお亡くなりになる直前くらいなんですよ。僕自身もあのころから日本的な……利休も始めていたし、例えば日本の宗教とか神道とか天皇とかに関心が出てきちゃったんですよ。

白洲 そうですよ。仏教なんて借りものみたいなもんよ。借りものっていうよりも、日本人が利用したもの。日本の神様は黙ってんのよ。黙って何もしないんだけど、仏教が入ってきたとき、極端に言えば仏教をうまく利用してますよね。お能だってそうですよ。本当はみんな神様、あるいは自然宗教、アニミズムみたいなものなのよ。

赤瀬川 そのへんがすごく気になるんですよ。ただ僕は勉強が苦手だから、勉強したいと思うけどなかなかできなくて。で、そのころ友人が、小林秀雄さんがカセットテープで天皇のこともちょっと言ってるよっていうんで、エッ?と思って。

白洲 なかなか言わないのよね。

赤瀬川 言わないって言いながら、けっこう長い時間言って(笑)。その感じを他人から聞いて、それは何か面白そうだなと思って聞いたんですよ。それまでは僕は本当に読まないほうなもんだから、よけい小林秀雄というとそびえてるでしょ。

白洲 そんな人じゃないですよ。大丈夫よ。

赤瀬川 ただ外から活字だけみるとね。それに惑わされてたんですよね。

白洲 小林さんは「おれなんかは誤解されっぱなしだから」って言ってたもの。

赤瀬川 日本の科学技術に感謝しますよ。あのカセットがなきゃ、僕なんか小林秀雄って一生知らずにいたかもしれない。聴いたとたんに大好きになっちゃって。暮れの大掃除のときに天井の掃除をもそもそしながら、耳からは小林先生に怒られて、実にいい年末を過ごしました(笑)。僕が一番こたえたのは、科学批判といいますか。

白洲 そうだけども、ほんとうは非常に科学的なのよ。

赤瀬川 ええ。それが一番身にしみましたね。

白洲 あの方はすごく頭がよかったから、そうじゃない方面……だから青山二郎さんと付き合ったみたいなとこもあるんだけども。

赤瀬川 横道が好きなんですね。

白洲 出がフランス文学ですからね。なんにも知らないで、明治大学で日本の歴史を教えるっていっちゃうのよ。教えるとなったら一生懸命になっちゃう人だから。明治大学で教えてたのって数年だと思うけど、フランス文学ならよく知ってるのよ。だけど、知ってるものは教える必要ない、勉強する必要もない、と思っている人だから。一番知らないものは何かと思ったら日本なのよ。それで日本の歴史を教えるって言っちゃって。

赤瀬川 それはいくつぐらいですか。

白洲 若いときよ。大学出てから少したったころ。

赤瀬川 じゃ、三十とかそのくらいで。

白洲 そうそう。それでしゃべるほうも下手だった。それは自分で書いてるのよ。一番初めは大阪でもって講演頼まれるの。そうすると意気揚々とやるんだけど、見物人には一つも通じなかったの。これじゃいかんと思って、そうすると一生懸命になる人なの。パーフェクトにしなくちゃいやで、志ん生の全集で勉強した。間から発音の仕方から勉強したのよ。鎌倉の海岸を歩きながらお稽古したんだって。

赤瀬川 すごい(笑)。

白洲 徹底的にやるのよ。骨董だってそうですよ。あの方は頭と目玉と両方うまくいってるの。うまくバランスのとれた人なの。


★目利きのヒミツ/白洲正子×赤瀬川原平★

2005年04月09日(土) 笑うふたり/立川談志×高田文夫
規制しないと人間は、どこまでも行っちゃうよね。
そのために作法とか常識とか礼儀があるんでしょう。



やつ(神様)の第一の失敗は、コロンブスに天罰を与えなかったこと。
コロンブスはバカだから帰ってきちゃって、「地球は丸い」なんて言い出した。
地球は平らなんだから(笑)。
九州から台湾まで平らだろう。スエズからマルセイユまでだって平らでしょう。

ロンドンから大西洋、ずっと平らじゃないですか。
ニューヨークからロスまでだってずーっと平らじゃないですか。
ハワイから日本まで平らじゃないですか(笑)。

どう考えたって丸いわけがない(笑)。
ねえ、それを「平らじゃない」なんてグズグズ言うやつは、
向こうでザーッと滝に落っことして殺しちゃうとかね(笑)。
神様のやつ、バカで手を抜いたから、コロンブスが帰っちゃった。

コロンブスがいけないんだ。
「地球は丸い」なんて言いだして、それで味をしめた。
で、始末の悪いことに、ニュートンだとかデカルトだとかってやつらが出てきて、
万有引力の法則だとかいろんな能書きこくようになっちゃった。
この文明を肯定しちゃったんだな。
肯定っていっても、文明の進歩がもたらす恩恵を肯定するっていうことじゃなくて、
いま生きてる三次元の世界を肯定しちゃったんだ、無理やり。
つまり、「ここに机があって、ビールが置いてある」っていうのを物理的に肯定しちゃったんだね。
どうもそれが、俺は信用できないんだよね。そんな風に信用しちゃったものだから、
この壁をつき破って行けなくなっちゃったんだ。
じゃ、つき破って行けるのかといったら、行けるんですよ、麻薬やるとな(笑)。



俺が落語を含めていろんなことを説明するよりも、やがて科学が説明してくれるんじゃないかな。
例えば、俺と高田のデータをインプットしておいて、
それが立体でいつでも出せるようになってくると、当人の存在いらないでしょう。
百年後に誰かが、談志と高田とお釈迦様とでちょいと話させてみようって、
ポンとボタン押したら出てくるかもしれませんよ、全部入れておけば。

人間の頭とコンピューターとの違いがあるって言うけど、違わないよ、そんなもの。
もともと人間が人間を見る目が誤認だっていうんなら、コンピューターも一緒に誤認だけど、
少なくともコンピューターは取り違えないよ。



けど、命を優先するっていうのはおかしいよ。俺、食道がガザガザになって、
切ってるときに思った。
もし、ここに(フレッド・)アステアが来てね、サッとステップ踏みながら、
グッとワイン目の前に出してきたら、俺飲むよ(笑)、命賭けて。
生きてるって、そういうことよ。



(落語には)真実をとりあえず衝いているものもあれば、いい加減なものもある。
何であろうが、しょせん人の世の「きめごと」なんてこんなもの、全思考ストップだ。
科学というものを含めて、全思考ストップ。人間それ以上考えたらえらい目に遭う。
「それ以上行く必要ない」って言ってる。コロンブスも行く必要はなかった。
落語なら「どんどん行ったらどうなる」「先は塀があるから行けない」っつうんだからね。
そこで引き返してこなきゃいけないんだ。コロンブスだって嵐で引き返してくればいいじゃない。



俺はどうもこの世界がウソくせえと思ってるからね。
どうも夢ン中のほうがほんとじゃないか、
イリュージョンがほんとじゃないかっていう気がしてる。



落語がうまいとか何とかっていうことじゃなくて、
落語を通じて人生にどこかでインパクトを与えるっていうのは、
(古今亭)志ん生師匠と俺ぐらいじゃないのかなあっていう気がするんだけどね。
志ん生は高座なんかでそういうことを言わずに、わかるやつだけがわかってたんだけど、
俺の場合は、それを分解して客に説明してるから、その分だけ野暮だって言えば野暮でしょうね。
だけど、俺は言ってる。そういうことを含めてつまり、俺は利口ぶってるわけですよ。
でも利口ぶってるバカなら客もバカにしやすい、楽なんですけど、
利口ぶった利口だから始末が悪い(笑)。

(始末がわるい)

そう、そこで開き直ってるんですよ、どうだ、うめえだろうって。これ大変なんだぞと。
でも例えば、俺が高田文夫をボロクソに言ったとするか。
それで高田がちゃんと「こういう訳だ」って反論したとする。
それが理にかなってれば俺は「あっ、悪かったな」ってすぐ謝っちゃう。

(早いんだ師匠は、謝るの(笑))

早い。謝んの早いぞー。今日はごめんなァ……これでいいか。

(よし許す)


★笑うふたり/立川談志×高田文夫★

2005年04月08日(金) 星の林に月の船/実相寺昭雄
とりわけ、シーボーズは特撮の方で、人間の駄々っ子のようなふりをつけてしまったから、
怪獣というよりお茶目な愛玩動物という采配になってしまい、
私の意図は消し飛んで暗い気持ちになった記憶すらある。ところが、
たらたら特撮班に文句を言ったものの、放映されるとそのメルヘンチックなところが好評で、
私は目を白黒させたものだ。
「あの夕焼けの中を、故郷へシーボーズを帰そうと、ウルトラマンが連れていくシーンはよかったなあ」
などと、考えもしないところを褒められてくすぐったくなった。
怪獣ものの場合、そんな思いも掛けないことを言われること、数多い。


★星の林に月の船/実相寺昭雄★

2005年04月07日(木) 星の林に月の船/実相寺昭雄
「『怪奇』みたいな番組もいいけど、あまり夢がひろがるものじゃないだろう。
どっちかっていうと、現実のショックを特殊効果で拡大して見せるようなものさ。
それがエスカレートすると、恐怖シリーズ、怪談話、残酷ものになる。
俺はさ、何度も平ちゃんに言ったと思うけど、
もっとメルヘンチックでファンタジーにあふれたものをやりたいんだ」



「他人は甘っちょろいって言うかもしれないけど、俺は成るだけ人間のきれいな面だけを見て暮らしたいし、
『怪奇』のような人間の醜悪な面がひき起すドラマと、その醜悪さに奉仕する特撮はあまりやりたくないんだ。
特撮は目をうばうような綺麗なイメエジ、ファンタジーのために使いたいんだよ。
怪獣ほど純な心の持主はいないと思うね」

酔いつつしゃべる一の目は潤んでいた。

「一さん、……一さんも知ってるだろうけど、ぼくの好きな歌に、
……空の海に、雲の浪立ち、月の舟、星の林に、こぎかくる見ゆ、……てのがあります。
夜空を見上げるときに、きまってこの人麻呂の歌がうかぶんだ。
ぼくはね、こんなのびやかな歌の調べが特撮で表現できたらなあって、
つねづね思ってるんですよ」

「いいなあ、雲の浪立ち月の舟、星の林にこぎかくる見ゆ、……か。
いいなあ、平ちゃん、自分の体の中に星の林がひろがって、
宇宙と同化してゆくような歌だなあ。
何て、SF的な歌なんだろう。はるかな昔に、こんな感性があるなんて」


★星の林に月の船/実相寺昭雄★

2005年04月06日(水) 星の林に月の船/実相寺昭雄
「私、……完全な所有欲のためには、相手を抹殺するくらいの人に憧れてるのかもしれません。
もっとも、これも口で言えるだけのことかもしれないけど」

「うん、わかるような、……」

「わかっちゃ駄目。簡単に」


★星の林に月の船/実相寺昭雄★

2005年04月05日(火) 星の林に月の船/実相寺昭雄
人間て奴は謙虚にうぬぼれをみとめるところから進歩するんだ。


★星の林に月の船/実相寺昭雄★

2005年04月04日(月) 星の林に月の船/実相寺昭雄
これからは星を相手にするのよ。星のドラマで勝負するのよ。

テーマだけありゃあ、表現なんかは糞くらえみたいなものじゃなくてさ、

夢を植えつけるようなものを作らなきゃ駄目よ。

フィクションの面白さを子供たちにも知らせなきゃあ。

きっと平ちゃんも一皮むけると思うよ。


★星の林に月の船/実相寺昭雄★

2005年04月03日(日) ほぼ日での対談/しりあがり寿×宮藤官九郎
<宮藤>ぼくがしりあがりさんの原作を読んでとくに衝撃を受けたのが
三途の川を挟んで生と死が別れてるところなんです。
「死」の世界から「生」の世界に戻るために「川を渡る」んじゃなくて
「さかのぼる」という発想です。そこにいちばんしびれました。
なんてすごいこと考える人なんだと思って。それを映画でもどうしてもやりたかったんですよ。

<しりあがり>映画でああいう解釈をしたのには驚きましたね。
原作ではぼかしてるんですけど。

<宮藤> 生と死、夢と現実の境目がわからなくなる、男と女もそうですけど、
ぜんぶ間があやふやな世界のなかで、最後にリアルっていうのはなんだ?っていうのを、
弥次さん喜多さんの2人が1個見つければいいや、って映画にしたかったんですよね。
もうひとつ原作を読んで思ったことは、弥次喜多の2人は、離ればなれになったとたんに
急にドラマチックになるんですよね。2人そろってるとドラマが起きない。
映画でもそれを意識しました。

<しりあがり>そうですね。2人ともドラマの傍観者みたいになっていっちゃうんですよね。

(ってことは、この2人がただ「いる」状態というのがもう完成された‥‥)

<宮藤>「幸せ」っていうことなんですよね。


★ほぼ日での対談/しりあがり寿×宮藤官九郎★

2005年04月02日(土) トリビアの種(一匹狼にバウリンガル)/タモリ
野生の一匹狼に「バウリンガル」を使ったら、というトリビアの種で。

野生の一匹狼というのは、リーダー争いに負けたものが群れからはぐれた状態のことだから
一匹狼というよりは、はぐれ狼。「さみしい」とかそういうのではないか。

結果、スタッフが仕掛けた遠吠えに対する返事は「バウリンガル」の解析によると
「ぼくなにをしたらいいの?」

一匹狼になったものは、大抵、その群れの後をついていくが、
決して群れの中に戻ることはできず、仲間からは一生無視されて生きていかなければならない。
そんな孤独の中で生きている自分に何者かはわからないけれど、
コミュニケーションを図ってきたものがいる(スタッフが仕掛けた遠吠え)、
そこで出てきた言葉が「さびしい」とかですらなく「ぼくなにをしたらいいの?」
だというにのは鳥肌が立った。


★トリビアの種(一匹狼にバウリンガル)/タモリ★



■途中、野生の狼を探すVTRがとても長くて、
他の番組を見たり、席を外したりしていたので、いつにも増して曖昧な記憶で。

2005年04月01日(金) 富士日記2(4月12日)/宮沢章夫
友部正人さんの歌や詩はもちろん好きだが、エッセイも読み応えがある。

たとえば初期に書かれた『ちんちくりん』というエッセイ集を読むと、

友部さんの歌に出てくる、「素敵な与太者たち」という言葉をどうしても思い出してしまう。

でも後年になって子どもができてからも、素敵な与太者ぶりはほかのエッセイに読むことができる。

夜中に家の外にとことこ歩き出してしまった息子さんが警察に保護されたとき、

親であるところの友部さんと奥さんは吉祥寺の「のろ」という店で飲んでいた。

警察にお父さんとお母さんはどうしているのか質問されると、まだ四歳の息子さんは

「吉祥寺の、のろで働いている」とこたえたという(ほんとは飲んでいただけなのに)。

そこ面白かったなあ。なんて素敵な与太者なのでしょう。

鈴木慶一さんもかなり素敵な与太者だけど、ほんと、周囲を見回すと、

どいつもこいつも素敵な与太者たちばかりだ。私はただの与太者です。


★富士日記2(4月12日)/宮沢章夫★

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