宿題

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2005年03月31日(木) ぴあ no.1093/忌野清志郎
(高3の夏休みにオーディションに合格、渋谷公会堂のコンサートに出演。冬休みにはデビュー・シングルのレコーディング、そしてデビューという流れについて)
デビュー・シングルが3月の5日に出たわけです。それでまあ、デビューということになったんですけど、なんにもないわけ(笑)。プロダクションもないし、アマチュアがレコードを出したみたいな話ですよね。デビューだからどう、って言う話はなくて。それから1年くらいしたらホリプロに入ったんですけど、給料が3万円で親にもバカにされて(笑)。”こりゃあ、ヒドいなあ”って。だからプロになった自覚っていうのは全然なかったですねえ。

というか、春休みですよね。永遠に続く。高3の春休みは長いゾっていう感じですよ(笑)。でも、78年くらいから、3人ではやってられなくなって、CHABOとか新井田耕造とかが入って5人になったじゃないですか。僕はギター弾かなくなって、ハンドマイク持ってっていう。そのきっかけというのは、やっぱり真面目にプロとしてちゃんと金を稼げるバンドにならないとマズいと思ったわけ。それで、ああいうステージングになって、メイクとかもしたんですけどね。

なんでそんなに長く春休みでいられたかっていうと、陽水と曲を作ったっていうのがあって。仕事をしなくても印税でけっこう何年も食ってられたんですよ。楽器買ったりして、音楽の勉強をしてたような感じですよね。本、読んだりとか。じつに世捨て人状態なんですけど、自分としては全然芸術家な感じなわけ。で、お金に不自由しないってわけでもないんだけど、でも暮らしていけないっていうほどでもないっていう。そうこうしてたら、結婚したい彼女ができまして、付き合ってたんですけど、ある日その親父が怒鳴り込んで来たんですよ。それで、収入とかいろいろ聞かれて。その時は確か月給が9万円だったんですけど、一応”18万です”って倍にして言ったんです(笑)。でも、そんな安月給のヤツにウチの娘をやれないと言われて、それで考えたんですよねえ。これはやっぱり、なんとかしないといかん、と。もっとわかりやすい曲をたくさん作って、ヒットでも出して、ちゃんとしたプロにならないといけないって思ったんです。

(武道館ライブを終えて)
でも、それで満足っていう感じじゃなかったのはおぼえてますけどねえ。まだまだっていうか、これくらいの騒ぎじゃ駄目だろうっていう気はしてましたけど。初武道館の時もねえ……。なんかずっと思ってますねえ。まだこんなもんじゃ駄目だっていうのは。

若い頃は一生懸命作り過ぎてるんですよ。それが、だんだん力が抜けてきてる。で、力が抜けた分だけ余裕があるっていうかね。そういうふうになってきたんじゃないかな、と思うんですけどね。

最初に僕と三宅でリズムを録っちゃって、それからなんか考えてるような感じなんですよ。趣味の延長と言いますか、楽しいからやってるっていうのがけっこう大きいんですよね。自分で録音もできることがわかって、その喜びも大きくて、それが楽しくて始まったレコーディングなんですよ。自分で録音ボタンを押して、それからドラムのところまで歩いていって、それで叩いたりしてるんですけど(笑)。で、これは実は、去年の11月に出すと冬のツアーになっちゃうじゃないですか。寒いからいやだなと思ってたんですよ(笑)。寒いと自転車もあんまり楽しくないじゃないですか。やっぱり春のツアーがいいんじゃないっていう話になって。そんなことを言ってたら、”そうだ!来年は35周年ですよ”ってことに誰かが気がついて、そりゃあいいってことで今年出ることになったんです。だから、35周年ってことはレコーディング中は全然意識してないんですよ。だって、ほとんどできあがるまで誰も気づいてなかったんだもん。

35周年にふさわしいと思いますよ。集大成的な感じかなあって。

40周年は真面目にやろうかなと思ってます(笑)。飽きる心配は今のところしてないですけど、やっぱり飽きたらもうできないでしょうねえ。でも、飽きないっていうか、満足してないから。満足しちゃったら飽きるかもしれないですね。

出すレコード、全部100万枚とかさ。そういうことですよ。やっぱり数字でしょ(笑)。


★ぴあ no.1093/忌野清志郎★

2005年03月30日(水) SPRING 5月号/麻生久美子
プライベート空間で服の次に存在感を示しているのが本やコミックの類だという麻生さん。

「私、用事がない限り、休みの日はほとんど家から出ないんです。
マンガや本を読んだり、寝たり、ビデオを見たり、普通にグウタラです。
本やマンガは人のすすめで買うことが一番多いんです。
最近は『DETH NOTE』をまとめ買いしました。
友だちがみんな声をそろえて面白いというので」

おすすめコミックを尋ねたら、『うしおととら』『僕の地球を守って』
『BASARA』『ワンピース』『20世紀少年』など次つぎに出てくる、出てくる。

「少年マンガ、好きですね。あとはエジプトマンガとバレエマンガは、
だいたいどれを買ってもはずれがない」

と自信満々なお答え。さらにTVアニメのチェックも細かく、
毎週『名探偵コナン』と『ドラえもん』は欠かさず録画しているとか。


★SPRING 5月号/麻生久美子★

2005年03月29日(火) RIDE ON TIME/CONFUSION
メシアがいつかあらわれて
全てをくれるはずはない

何かが僕にたりない
テキストなんかない

時間はモンスター僕を殺す

Ride On Time
嘆きの壁をタイムスケープ
越えていこう
太陽を越えて
意識を拡げて

誇りとパワー最高のブレイン
何処でいくらで買えるのか

何かが僕にたりない
カタログなんかない

テレフォンショッピング僕を笑う

科学も神もつめたく
僕をつきはなすだけ
耳をそばだてても目をこらしても
何もわからない

何かが僕にたりない
バイブルなんかない
泣いてもがいてRide On Time
20th Century's End

Ride On Time
嘆く事よりさあはじめよう
ノー・デカダンス I wanna Dance
ノー・デカダンス I wanna Dance


★RIDE ON TIME/CONFUSION★

2005年03月28日(月) どんどん変に/エドワード・ゴーリー×リサ・ソロッド
G「わたしの中には、純粋に変わり者の部分と、変わり者のふりをしている部分がまじり合っていますが、
だけど、自分のしていることについて自覚はあります。したくないことはしないですね。
ともかく、自覚があれば、自分の振る舞いは完全に把握できるんです──ほとんどの場合はね。

(毛皮とスニーカーといういでたちで有名になられましたが、その点はどうですか?)

G「その部分は、まったく演技なしの変わり者です。
自分の望まない格好ならやらないでしょうから。
もっとも、変わり者の度合いが自分で調整できることは十分に意識しているんですよ」



(あなたがおっしゃる「面白い」とは、「新しい」ということですか?)

G「予想外の、という意味です──ある程度までは」

G「これはわたしの馬鹿げた説なんですが、創造的な芸術作品が面白くなりうるのは、
何かを意図しているのに別のものになってしまった場合だけですよ」

G「つまりこういうことですね──もとのまま受け入れる部分もないことはないけれど、
自分がやりたかったことをやりつくしてしまったときには、
本当にやりたかった別のことが忍び込んでくるわけだ。だからこそ、たとえば、
『ダラス』のJ・Rがわたしは好きなんですよ。彼の卑劣ぶりはたしかに腹立たしい。
でも何故か好きにならずにいられない。その過程は楽しくもあり、なんだか不安でもある。
『面白い』という言葉の定義として、これは悪くないですね」



(読者が考えているように、あなたは子供が嫌いなのですか?)

G「子供が嫌いだと言ったことはないんですがね。
いとこの子供でケニーという小さいのがいますが、それ以外は、ほとんど子供を知らないんですよ。
ケニーは始終「スター・ウォーズ」の真似をしていますが、とても退屈ですね」



(あなたはインタビューは「死ぬほど嫌」だと言われたそうですが、
それにもかかわらず、かなり頻繁にインタビューを受けておられますね)

G「ええ、まあ。でもわたしは自分にあまり関心がないんですよ。
自分の仕事にも、それに取り掛かっている期間をのぞけば、あまり興味はありませんね
──スリルあふれる娯楽作品じゃありませんし。
以前はひとつの企画や本を仕上げるたび、「素晴らしい作品じゃないか」と思ったものです。
そして丸一日、その本が好きでいられた。そのあいだは、
「これまでで最高の作品だ。神々しいまでの出来じゃないか。俺は天才だ。やったぜ!」
なんて考えているわけです。
いまやそうした気持ちは、三十秒と保ちません。「ふう、終わった」と思うだけで。
作品を書くことで、ある程度の楽しみを得ているのは事実です。
でも、書き終えたあとは、作品に関して何の感情も持ちませんね」


★どんどん変に/エドワード・ゴーリー×リサ・ソロッド★

2005年03月27日(日) どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ジェイン・メリル・フィルストラップ
(子供たちに降りかかる悲惨な運命に、読者の共感を集めることを意識されているのですか?)

G「作者のわたし自身ができるだけ客観的であろうとしているのと同様、
読者からも感情的でない反応を意図しています」


(他の人のスタイルを借用することに関しては、意識されていますか?)

G「誰かも言っている通り、独創性とは他人から借用しないことです。
つまりそれは、誰からも借用されることができない、
反復されることがない状態のことなんですよ」

 
★どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ジェイン・メリル・フィルストラップ★

2005年03月26日(土) どんどん変に(エドワード・ゴーリーの猫たち)/エドワード・ゴーリー
五匹目がくる前、三匹と四匹では大した差はないように思えました。
四匹と五匹でも大した差はなかった。
ところが不思議なことに、五匹が六匹になると、単なる六匹の猫ではなくて、
猫が密集隊を組んでいるように思えてきたんです。一致団結しているのではないですよ。
それどころかありとあらゆる内輪もめの始まりだ。
でも、とにかく、六匹というのは五匹よりもはるかに多く思える。
この春に一匹死んで五匹になってみると、これがまた、五匹の別々の猫に見えてくるんですよ。



ほとんどの名前は紫式部の『源氏物語』から取りました。
今のところ『源氏』は無尽蔵に思えますが、やっぱり日本の名前は発音しにくいことはあるもんで、
そういうときには日本語ではないニックネームがふと浮かんでくる。
どの猫も、六つばかりニックネームを持っています。



産まれてこのかた、信じられないようなシャイさと信じられないような
人なつこさの間で引き裂かれながら生きてきたんです。
『本棚に駆け上がって姿を消そうかしら、それともそっちに行って誰かにお話ししようかしら』
という板ばさみで、発作のようになっていることがよくありますよ。
十歳のときに、喉を鳴らすことを覚えたんです。
わたしにはいつでもなついてくれたが、喉慣らしは遅かった。



わたしの獣医はいつでも、猫の入ったかごを診察台に置いておくんですよ。
この茶色猫のことを話題にしたときには、わたしは貰うつもりなんかなかった。
ところが獣医が言ったんですよ、
『あの猫を貰う人は、怪我のせいで、どんなひどい障害が残っているか見てからにした方がいいですね』
と。『ええっ、かわいそうに、いったいどうしたんです?貰いましょう貰いましょう』
とわたしは言ってしまった──他に貰い手がないだろうと思って。
テラスから落ちるか、突き落とされたかしたんですな。
背骨が折れて曲がっていたから、お座りをすると後足が片方突き出してしまうんです。
妙な姿勢で座るしかないものだから、背中の毛が全部抜けていた。
すでに何日かそのかごにいたんです。外に出したら、床を這いずって動くじゃありませんか。
『ああ、どうしよう?他の猫どもは、自分たちほど敏捷でないと見て取って、
こいつを殺してしまうぞ』という気がした。
とにかくうちには連れて帰ったものの、何かに乗っかったりはとてもできまいと思っていました。
ところがどっこい、やつは元気のかたまりですよ。
怪我をした理由だが──テラスから落ちたんじゃなくて、
なんだかひどく幸せな気分になってふわっと飛び出したんじゃないでしょうかね。
いつでもわたしの肩に座りたがるんですよ。しゃにむに上がってくるんだ。
貰ってきてよかったと思っています。


★どんどん変に(エドワード・ゴーリーの猫たち)/エドワード・ゴーリー★

2005年03月25日(金) どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ディック・キャヴェット
(あなたの絵を見ていると、わたしはデジャヴュの感覚に襲われるんですよ。
なんだか、あなたがヘンリー・ジェイムズの小説につけた挿絵を見たことがあるような気がして。
ヘンリー・ジェイムズの小説世界にはゴーリー風なところがある、というだけでしょうか?)

G「でしょうね。ニューヨークに出てきたとき、わたしはダブルデイ社に就職したんですが、
仕事のなかにアンカー・ブックスシリーズのペーパーバックの表紙がありましてね。
ヘンリー・ジェイムズもいくつかやりましたが、評判はよかったですよ」

(ほほう)

G「わたしは、ヘンリー・ジェイムズに対して、昔からアンビヴァレントな思いを抱いてきたんです。
彼の作品はほとんど全部読んだはずですが、どの作品も心の底から嫌いなんですよ」



(陳腐な質問ですが、あなたはどんな子供でしたか。精神分析が趣味の人間なら、
こう言うに違いありませんよ。
「この男は、みじめで、恐ろしくて、奇っ怪で陰惨な子供時代を過ごしたに決まってる」とかね)

G「そんなことはありませんよ。シカゴの郊外で、典型的な中西部の子供として育ったんだから」

(嘘じゃないでしょうね)

G「いやいや」

(インタビューではよく嘘をつくそうじゃありませんか)

G「そうでもないつもりなんですかね。もっとも、わたしは一人っ子でしたが。
それ以外は…」

(暗い横丁に身をひそめるとか、そういうことは…)

G「まさか。自分が他の子供よりずっと詩的で繊細だったと思いたいのはやまやまですが、
事実はそうじゃないようで」


★どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ディック・キャヴェット★

2005年03月24日(木) どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ロバート・ダーリン
(あなたはある種の陰惨なものを作ることで有名ですね)

G「それは違います。そういうレッテルを貼られるのはどうも嫌だな。
わたしの仕事は、必ずしもそういうものじゃないと思うんですよ。
そういうものもやっていることは分かっているが、
わたしがほんとうにやっているのは全く別なことなんだ。
陰惨なものをやっているように見える、それだけですよ」

(では、あなたは何をなさっているんです?)

G「何かは知りません。だけど、いくらそう見えても、陰惨というのじゃないんだ」



(『おぞましい夫婦』について)

G「しばらくの間、書くまい書くまいとしていたんですが、どうにも胸から吐き出さざるを得なかった。
長い長い時間、原稿の前で過ごしましたよ。『ソーホー・ウィークリー・ニューズ』が、
どんなものでも載せるからとしつこく言ってきていてね。
『ようし、じゃあこれを載せてみろ』というわけだ。
それでわたしは「おぞましい夫婦」を描いたんですが、絵はできるだけ毒々しく、
しかも単調で退屈で、不愉快で魅力のないものにしました。
この間見返したら、自分が思っていたよりもさらに不愉快な作品だった」

(わたしはあまり子供になじめないほうですが、それであの本が楽しめたのかもしれません)

G「まあ、なにしろ、わたしはもう何年も本の中で子供たちを殺してきたわけね。
ある意味、『おぞましい夫婦』は他の作品よりもずっと個人的なものなんです。
ムーアズ殺人事件については山ほど資料をあさったから。
どういうものか、忘れられないんですよ。史上最も不愉快な事件のひとつだ」

G「あの本が何であるのか、わたしは知りません。読み返したときにはこう思ったんですよ、
『この本はいったい何を主張しようとしているんだ?』とね。
あの本のために、ちょっとしたジョーク──わたしにとってジョークと思えるもの──
をいろいろ考えたのを覚えています。たとえば、あの殺しの後の朝食ね──
何を食べさせるのか、ずいぶん頭を絞りました。

(人工着色のグレープソーダが最初に出てきましたね)

G「これだ、と思えるまでには、いろいろバージョンがあったんですよ。
あのふたりにはずいぶん自分を投影しています。
『子供時代から、彼女は足首が太く、髪が薄かった』というのもそうだ。
『あのセンテンスは削ったほうがいいかな』と考え続けたんですが、どうも削れなかった。
結局は残すことにしたけれど、それでよかったかどうか今でも確信が持てません。
よく言うでしょう、一番言い文章は削れってね」



(アルファベット・ブックではどういうことをなさろうとしているんですか?)

G「『殺人錠剤』が一冊目です」

(あの本を読んだら、あなたが陰惨なものに傾倒しているを思っても仕方がない…)

G「まあ、そうですね。あれはごく初期の作品で、あのころのわたしは、
みんなにちょっとショックを与えたいという衝動が抑えられなかった」


★どんどん変に/エドワード・ゴーリー×ロバート・ダーリン★

2005年03月23日(水) どんどん変に…/エドワード・ゴーリー×トビ・トバイアス
(ニューヨーク・シティ・バレエのすべての公演を見ているという話で)
すべての公演、ですか。本当に?

G「ええ、たしかにすべての公演を見ています。
だって、忘れられないような名演がいつ現れるとも限りませんから。
ガラガラの土曜日のマチネなんかで、ダンサーたちが夢のように踊っていることだってある」

(いったいどういう気分になれば、一シーズンで三十九回上演される『くるみ割り人形』を
全部見つづけるような苦行ができるんですか?納得できる説明をお願いします)

G「最初見たときは、『なんてこった、バレエ史上一番退屈な作品だ』と思いましたよ。
それから、徐々に行く回数が増えていった。
『第一幕はなにも起こらないじゃないか、第二幕は可愛らしいけど』と人は言います。
だけどわたしに言わせれば、『くるみ割り人形』は第一幕こそが素晴らしい。
あれこそ、バランシンの天才のうちで人が気づいていない一面ですよ。
パーティのシーンは、あらゆる舞台作品のうちで最高です。
子供と大人の関係も、なにもかも──息を飲むほどですよ。
あれはいわばプラトン的イデアのパーティ、すべのファミリーパーティのエッセンスですね、
──誰も見たことがない、理想でありながら実現不可能なパーティのありさま。
しかもそれが年を追うごとに、さらに少しずつ良くなっていく。


★どんどん変に…/エドワード・ゴーリー×トビ・トバイアス★

2005年03月22日(火) CONTAX SL300RTの無料配布パンフレット
人生が旅だとすれば 心に焼きつけたい風景は いくつかあった。

記憶よりも鮮明なディテールがなければ、一枚の写真に何の意味があろう。


★CONTAX SL300RTの無料配布パンフレット★

2005年03月21日(月) カレーと下北沢と僕/辻修
何故か無性に美味しいものが食べたくなった。日本を食べ歩きたい。日本を食べてしまいたい。日本人なら日本語以外話すべきではない。優性人類である私が目指した場所は下北沢。そこは路上生活者さえも芸術である街。人生の勝ち組である私は新宿から贅沢にロマンスカーに乗車。車内販売の女中にビールとカキフライを注文するが後者は無いと言う。全くこれだから素人は困る。おそらく彼女は山国の田舎から出てきたばかりで故郷に老いた父母や夢敗れた兄がいるに違いない。ロマンスカーが下北沢を通過してゆく。ロマンスカーは下北沢に止まらない。旅はいい。損害が心地良い。各駅停車でぶらり折り返す計画に変更する。我、下北沢に上陸す。駅構内の立ち食いソバが私を誘惑する。が、ここは我慢すべきである。忍の一文字である。旨いものはどこだ。熱い、ノドが熱い。ノドがナニかを欲しがっている。乱れた人妻のように欲している。欲しい、アレが欲しいィ。何が欲しい?言え。アレじゃわからん、言え、姦婦め。見つめないでください、目がつぶれます、お止めください。だまれ、こんな目などいらぬ。片方やる、もうひとつ欲しいならば、来い、くれてやる、取れ。ああ、美味しいアレ。舌で感じるアレ、汗が吹き出て、でもやめられない、アレーでございます。カレーだな。このインド人め、コブラめ、姦婦め。アレーとカレーとはダジャレのつもりなのか、下北沢の芸術的おもしろさを愚弄するのか、ダジャレとは負の産物である。ならば下北沢の下を下ネタの下と呼ぶのか。ならば、上北沢で俳句を詠めばいい。が、帝国海軍も愛したライスカレーである。味に貴賎なし。下北沢は日本のインドである。私は微笑み、許す。慈、の一文字である。インドとは非暴力主義であった。その後、私が聖なる汗を流したのは言うまでもあるまい。
と、私のメモにははっきりと残されている。何様のつもりだろうか、私には才能などないのだ。偽善、独善、変質狂いのエゴイストめ。改めて記すことにする。天気、晴れ。下北沢には笑顔が満ち溢れている。みな浮かれている。結構なことだ。私も調子をあわせてやや浮かれてみる。が、なかなか難しい。笑顔がどうにもほほのあたりがピクピクと震えてしまう。私は下北沢に拒絶されているのだ。この感覚はどこかで経験したことがある。旅だ。旅に出てもイマイチ楽しみ方がわからない。楽しんでいるフリをして口元はにやけてはいるが、こころでは泣いているのだ。楽しむ資格さえ与えてもらえないのか。だがね、諸君、悲しくとも、辛くとも、腹は減るのだ。忌々しい。ケダモノだ。どの店なら私を迎えてくれるというのか。イタリアン。陽気な地中海。無理だ。寿司か。私は威勢の悪さには自信がある。ハンバーガー。どうやって食べればいい。食べ方を店員に聞けば私はまた変人扱いさせるだろう。空腹で朦朧とした意識の中、私はところ狭しと並べられた席に座っていた。しかも自然に、座れていた。嬉しい、ただ嬉しい。テーブルの下で手を小さく、ささやかに握りしめた。そこは、カレー屋だった。注文を聞いてくれたのは、指がとても細い女性であった。さぞかし美しい容姿をしているのであろう。カレー。二文字を少し伸ばした。カレーですね。彼女ははっきりとそう言い返した。聞こえている。僕の声があの人の耳に聞こえている。さぞかし美しい耳に違いない。運ばれてきた、僕のために作られてた僕専用のカレーだ。温かい湯気が私を包む。厳冬の故郷を思う。旨い。辛い。味がする、カレーライスの味がする。旨い。人間だから、生きているから、旨い。辛い。私の腹はすぐいっぱいになってしまう。申し訳がない。いつだってそうやって友を裏切ってきたのだ。違う。これだけは約束してやる。私を信用しないやつは馬鹿だ。僕だけは君を裏切らない。皿の中央にスプーンを落とした。カチャンと音がした。全部、残さず食べた。生まれて初めて聞いた音だ。私はこの小さな旅で、下北沢という不似合いな街で、私は、はじめて、わらった。そして現在、私の頭は例の女性の膝の上にあるのだ。(完)
なんだこれは。ニセ文学を書いてしまった。それにしてもひどい。だめだ。私は極端すぎるのだ。もっと等身大でよいのではないだろうか。では、はじまりはじまりい。今日も下北に行かなきゃなあ。お腹減ってんのかなあ、今。サイフの中にいくらあったっけ。千円ある。あれ、昨夜なにがあったんだ。一万円札はどこへいった。思い出せない。ま、いいや。後で誰かに聞こう。カレー屋があるな。旨いのかなあ。みんな美味しそうに食べているけどあれは嘘だな。入るぞ。いらっしゃい、と僕が言う。エビカレーをください。エビが少ない。味はふつう。食事っていうより補給って感じ。くちゃくちゃ噛む。さっきまでエビカレーだったのに今はゴミに見えてくるから不思議だ。エビのゴミ。コックはゴミ処理場の人だ。まいどあり、と僕が言う。下北沢は人が多いなあ。失神しそうになる。この人たちの内、5%がいなくなればいいのに。にゃあにゃあ。猫だ。君、一緒に岐阜へ旅に出ないか、旅費はワリカンだが。ううお腹が痛くなってきた。下北沢でカレーなんか食べたからだ。岐阜の鮨の方が百倍旨い。ミサイルが下北のカレー屋に撃ちこまれる前に岐阜へ行くべきだ。痛い。引っ掻くなよ、もう。ワアアアアアアア。怒られるぞ。助けてくれ。いいこと考えた。今からしばらく空欄にするけどすごくいいことが書いてあることにしよう。すばらしい、オレは勝ったのだ。


助けてくれ。何でこんなに悩まなきゃいかんのだ。文の冒頭からここまで様々な発想の転換を繰り返しここまできた。まるで人生のようだね。ああ、僕はいま下北沢の街で人生という長い長い旅をカレーライスの最後の晩餐で終えようとしているのだね。トラブル(トラベル)もいっぱいしてきた(下北)ね。華麗に(カレーに)生きてきたのだね。う、うわあ、死にたい。上手くもなんともない。頭が破裂しそうなので、お風呂に入って寝ます。


★カレーと下北沢と僕◇動物電気2005年公演「寝太郎の新作カレー」パンフレットから/辻修★

2005年03月20日(日) デッドアイ・ディック/カートヴォネガット
その日、わたしの目をひいたのは、大ぜいの中性である。これこそわたしの同類だった。

この人たちは、わたしと同様、どこからも愛を求めず、わたしと同様、

ほとんどすべての好ましいものに偽装爆弾が仕掛けられていることを確信していた。

かなり滑稽なアイデアが、わたしの頭にうかんだ。

いつの日か、われわれすべての中性は、隠れ場所から出てデモ行進をするだろう。

先頭の一列が、五番街いっぱいの幅でどんな横断幕を掲げるべきかも、

わたしはすでに決めていた。

そこには、高さ四フィートもある文字で、たった一つの単語が綴られているだろう──


EGREGIOUS


たいていの人は、この単語が言語道断とか、前代未聞とか、許せないとかの意味だと思っている。

だが、横断幕の単語はそれよりもっと面白いことを語っている。

それは”群れの外にいる”という意味なのだ。

考えられますか──何万人もの人間が群れの外にいるところが。


★デッドアイ・ディック/カートヴォネガット★

2005年03月19日(土) デッドアイ・ディック/カートヴォネガット
私がすべての秘密を打ち明ければ、先生はきっと喜んだろうが、

そんな満足をわたしは一度も与えなかった。

先生に対しても、ほかの誰に対しても、氷のようにひややかに接することが、

いちばん安全で賢明に思えたから。

しかし、先生の質問に対する答えはこうだ──わたしは自分自身に歌を聞かせていた。

これはスキャット唱法といって、黒人の発明である。

彼らはこれがふさぎの虫を追い払うのによく効くことに気づき、わたしもそれに気づいていた。

「ブービー・ドゥービー・ワップ・ワップ」

とわたしは自分自身に向かって歌うのだった。

「スカッディ・ウィー・スキーディ・ワー」

その他いろいろ。

「ビーディ・オップ!ビーディ・オップ!」

すると旅路は過ぎ去り、歳月は過ぎ去った。

「フードリー・ヤー、フードリー・ヤー。ザン・リーバ・ダップ。

ファァァァァァァァァァァァァァァァァ!」


★デッドアイ・ディック/カートヴォネガット★

2005年03月18日(金) デッドアイ・ディック/カート・ヴォネガット
父たちは、わたしを小さなキッチンの中から、だだっぴろい、すきま風の入る一階へと、

しょっちゅうひっぱりだした。わたしがたくましく丈夫に育つように、そうしたのだと思う。

しかし、いつもわたしはすぐにキッチンの中へもどってしまうのだった。

そこはとても暖かくて、いい匂いがするからだ。そこはまた滑稽でもあった。

その家の中で意義のある仕事が行われている唯一の場所なのに、

中は船の厨房のように窮屈だったからだ。

すべての空間を独占しているのは、なにもしない人びと、ただ給仕を受けるだけの人びとだった。

そして、寒い日には、いや、それほど寒くない日でも、ほかの召使たち、

庭師やロフトのメイドたちなど、黒人ばかりが、料理女とわたしのいるキッチンへ集まってきた。

彼らはせまい場所へ群がるのが好きだった。

小さいころには大ぜいの兄弟姉妹と一緒にベッドで眠ったものだ、と話してくれた。

わたしにはそれがすごく楽しいことのように思えた。

いまもすごく楽しいことのように思える。

そのこみあったキッチンの中では、だれも気がねなくぺちゃくちゃ、

ぺちゃくちゃとしゃべっては、げらげら笑うのだった。わたしも会話の仲間入りをしていた。

わたしはおとなしくてかわいい坊やだった。だれからも好かれていた。

「あんたはどう思いなさるね、ルディ坊ちゃん?」と召使のだれかがたずね、

わたしがそれに対してなにか答えると、みんなわたしがなにか賢明で、

ことさら滑稽なことをいったようなふりをするのだった。

もし、子供のころに早死にしていたら、わたしは人生が

あの小さいキッチンのようなものだと思っただろう。

もう一度──冬の一番寒い日に──あのキッチンの中へもどれるなら、

わたしはどんなことでもしただろう。


★デッドアイ・ディック/カート・ヴォネガット★

2005年03月17日(木) デッドアイ・ディック/カート・ヴォネガット
私は人生に罹ってしまった。人生を患ってしまった。

最初は、ほかと区別のつかない無のひとひらだったのに、やがてのぞき穴がぽっかり開いたのだ。

光と音が流れこんできた。

いろいろの声が、わたしと、わたしの環境を説明しはじめた。

その声がいうことに抗議はできなかった。

その声が、おまえはルドルフ・ウォールツという名の少年だといえば、それで決まり。

その声が、おまえの住んでいるのはオハイオ州のミッドランド・シティだといえば、それで決まり。

その声は一度も静かになったことがない。

それどころか、毎年毎年、細かいことをつぎからつぎへ積み重ねていく。

いま、その声がなんとほざいていると思いますか。

今年は一九八二年で、わたしは五十歳なのだそうだ。


★デッドアイ・ディック/カート・ヴォネガット★

2005年03月16日(水) 9月の海はクラゲの海/佐伯健三
君のことなにも知らないよ
  
君のことすべて感じてる
  
Good Day Good Night Good Day
  
君のこといつも見つめてて
  
君のことなにも見ていない
  
One Day One Night One Day


ガラスみたいに透明で

フィルムみたいに泳いでる


Everything is nothing Everything で nothing

Everything is nothing 9月の海はクラゲの海


僕のことなにも話さずに

僕のこと全部伝えたい

I want, You want, I want

あまりにも君が気になって

そのくせにいつも傷つける

I don't, You don't, I don't


子供みたいに愛しても

大人みたいに許したい


Everything is nothing Everything で nothing

Everything is nothing ボクラの海はクラゲの海


ガラスみたいにつきさして

フィルムみたいに忘れない


Everything is nothing Everything で nothing

Everything is nothing 9月の海はクラゲの海


★9月の海はクラゲの海/佐伯健三★

2005年03月15日(火) 監督不行届/安野モヨコ
仮面ライダー555!!
2003年度放送の仮面ライダーシリーズ
主人公はケイタイ電話をベルトにセットして変身するのだった

モヨ「え…555のベルトって前にも持ってたじゃん」
カントク「あれは子供用!!」

そういえば半年前…

カントク「これ…子供用だからベルトが短い!!」
<モヨ=安野さんには>ピッタリ
カントク「うう…いいなーモヨ…わしはできない」
足りない部分は自分で補填
こうやって押さえながらだと変身ポーズができません!!

モヨ「仕方ないな…」男らしいやさしさ
モヨ「さ!!」
黒子のように完全にうしろにかくれベルトを押さえ続けたロンパース<=安野さん>
モヨ「これでヘンシンできるよ」
カントク「ホントだ…ヘン!!シン!!」
カントク「ヘン!!」「シン!!」
窓ガラスを鏡がわりに夜が更けるまでヘンシンは続いたのだった…

モヨ「そう言えばあの時…言ってたよね 『大人用があれば!!』と」
カントク「それがこちらです!!」

お値段なんと31500円!!もらったらしい(大きいお友達の財力ってスゴい…)
モヨ「良かった…ベルトが長い!!」

カントク「見て見て 変身!!」
<ビールを飲みながら>モヨ「あ!!ちゃんと音でるんだ」
カントク「スタンディングバイ」

カントク「コンプリート」
モヨ「おースゴいスゴい 光った」
あきらかにこの構図と男女が逆です

突如ブチ切れるロンパース
モヨ「なんであたしがオヤジ役なんだよ!!
この乙女やろう!!あたしも見守られてえよ」


★監督不行届/安野モヨコ★

2005年03月14日(月) 監督不行届/安野モヨコ
「なんかズボンきついー」

「『なんか』じゃねえ 見りゃわかるよ
あたしがいそがしくてゴハン作れないから 
外食でごっついもんばっか食べてるんでしょ」

「食べてないもん」

「じゃあなんで太んの?」

「うーん 酒?わかんない」

「一緒にいない時まで管理できないよ 自己管理しないならもう知らないからね!」

「知らない…?知って!!わしのことを知って!!もっと!!」

(嫁入り前の娘みたいなコトを)


★監督不行届/安野モヨコ★

2005年03月13日(日) 監督不行届/安野モヨコ
「早いね〜もう最終回かーーこの間まで『ガオレンジャー』だったのに」

「次のは『アバレンジャー』だって」

…と言うことは
(もしやあたし すでに…足かけ3年このワクを観てるのか!?)

「カントクのせいだよ 服も全然買わなくなっちゃったし 
なんかどんどんヤバくなってる気がする」

「風は平等にどんなものにでも吹く!!
一本の倒れた木にだけ吹いたのではありません わかりますね モヨ」

「…おぼろげながら」

「風が吹かなくとも 根がくさり 倒れるべきものが風によって倒れただけのこと
風が吹く前から自分でくさっていたわけです それは人間にたとえれば」

「ハイ」

「自分がオタクなのを人のせいにするということです モヨ!!オタクとは」

「ハイ」

「愛する心でございます!! 南無…」

「なんか最近やけに悟ったようなコトを言うと思ったら
『戦えナム』からの引用じゃないか」


★監督不行届/安野モヨコ★

2005年03月12日(土) 監督不行届/安野モヨコ
「もー!!!!もっと会話と食事を楽しもうよ 
なんでもイッキに全部食べないで!!」

「だって 口の中にいっぱい
おいしいものがいっぱいつまってるのがスキなんだもん」


★監督不行届/安野モヨコ★

2005年03月11日(金) 監督不行届/安野モヨコ
ハウス劇場の主人公みたいにやさしい


★監督不行届/安野モヨコ★

2005年03月10日(木) 庵野監督 カントクくんを語る/庵野秀明
(結婚したらネタにされるのは)僕も覚悟はしていました。

とは言うものの、実際漫画に描かれるとやっぱ照れますね。

嫁さんが自分をどう思っているかも客観的にわかりますし、

愛情がストレートに出ていてすごく嬉しいんですが、いや、恥ずかしいですね。



嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、

読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。

読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる。

そういった力が沸いて来るマンガなんですよ。

現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。

嫁さん本人がそういう生き方をしているから描けるんでしょうね。

『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。

ホント、衝撃でした。



嫁さんは巷ではすごく気丈な女性というイメージが大きいと思いますが、

本当のウチの嫁さんは、ものすごく繊細で脆く弱い女性なんですよ。

つらい過去の呪縛と常に向き合わなきゃいけないし、

家族を養わなきゃいけない現実から逃げ出すことも出来なかった。

ゆえに「強さ」という鎧を心の表層にまとわなければならなかっただけなんです。

心の中心では、孤独感や疎外感と戦いながら、

毎日ギリギリのところで精神バランスを取っていると感じます。

だからこそ、自分の持てる仕事以外の時間は全て嫁さんに費やしたい。

そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。


★庵野監督 カントクくんを語る◇監督不行届あとがき/庵野秀明★

2005年03月09日(水) 移動祝祭日/ヘミングウェイ
もし君が幸運にも青年時代にパリで過ごす事できたのならば、

パリは一生君についてまわる。なぜならばパリは移動祝祭日だからだ。


★移動祝祭日/ヘミングウェイ★



■「移動祝祭日」を読んだわけではなくて「藤田嗣治 異邦人の生涯」から。

「当時発表した作品によって「失われた世代」の旗手と謳われたヘミングウェイが
猟銃自殺をする直前に残した遺作『移動祝祭日』」

にはこんな一文があります、ってことで紹介されていたもの。

2005年03月08日(火) 銀河/フジファブリック
真夜中二時過ぎ二人は街を逃げ出した

「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」と飛び出した

丘から見下ろす二人は白い息を吐いた

「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」
「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」と
「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」
「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」と飛び出した

U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行
夜空の果てまで向かおう
U.F.Oの軌道に沿って流れるメロディーと
夜空の果てまで向かおう

きらきらの空がぐらぐら動き出している!
確かな鼓動が膨らむ 動き出している!

このまま
U.F.Oの軌道に乗ってあなたと逃避行
夜空の果てまで向かおう
U.F.Oの軌道に沿って流れるメロディーと
夜空の果てまで向かおう


★銀河/フジファブリック★

2005年03月07日(月) 夢見る頃を過ぎても/綾小路翔
How many people? あまりにも僕らは脆い

神にさえ立ち向かう勇気が欲しい

与えられた運命なんて退屈すぎて

漂って 彷徨って 僕らは行く

誰かに打ち明けたくて
 
明けない夜なんでないこと

大人になるまで その日が来るまで

僕らは遠回りしよう

世界の秘密が君を待っている

さぁ 夢見る頃 今 過ぎても


So many people! あたりまえな僕らの未来

歴史さえ見過ごした孤独な正義

与えられた自由なんて窮屈すぎて

失って 傷ついて 僕らは行く

誰かに打ち明けたくて

止まない雨なんてないこと

大人になるまで その日が来るまで

僕らは遠回りしよう

青春の日々が君を抱き締める

さぁ 夢見る頃 今 過ぎても


★夢見る頃を過ぎても/綾小路翔★

2005年03月06日(日) 光る道/廣重綾
私たちの世界は 魔法をかけられて
愛するときめきさえ 涙に封じられてる

BOY
ふたりで呪文を探しに行こう
禁じられた夢を 叶えられる国へ

誰にもないしょで 明日待ち合わせしよう
いつか小鳥を埋めた 夜明けの見える丘で
冷たい朝もや 君と手をつないだら
光る道の封印が解けるよ
果てしなく

嫌われたくないから心かくしてた
笑いかけてくれたね ほんとにうれしかった

BOY 
私に勇気をあたえてほしい
きのうまでのすべて ゼロにできる力

誰にもないしょで そっと口づけしよう
いつか読まなくなった古い絵本のように
朝露一面 風がきらめかせたら
光る道はまっすぐに続くよ
(どこまでも)

Callin' you
悲しい夜は
君の名前を唱えるの
Callin' you
それは世界の鎖をほどく呪文なの

誰にもないしょで 明日待ち合わせをしよう
いつかみんな旅立つ未来の見える丘で
冷たい朝もや 君と歩きだしたら
光る道はまっすぐに続くよ
どこまでも


★光る道/廣重綾★

2005年03月05日(土) オタ嫁座談会/安野モヨコ×神村典子×K林
安野モヨコ 同業者は必要以上に避けてたね。

カントクと付き合い始めて私がすごい楽だなって思ったのは、

『女帝』を読みたいって思ってた時にカントクが全巻買ってきてくれて、

しかも「1冊読んでは相手に渡す」っていうのを二人で繰り返して1日過ごした時!

それでもいいんだって思った。


K林 普通の男子とは『女帝』で丸1日過ごせません(笑)。


神村典子 カントクはわかってくれて、しかも買ってきてくれてる。

そして『女帝』がふたり共通の楽しい思い出になって(笑)。


安野モヨコ その後夜ご飯食べに行って二人で「『女帝』にカンパーイ!」って(笑)。

普通の男子と付き合っていたときは、なんとなく相手に「1日中マンガ読んでた」

って言えなくて、「エクササイズしてた」とか軽くウソついたりしてたんだけど(笑)。

漫画浸りな自分に自分でダメ出ししてたんだと思う。

カントクはそのへん気負いがなくて、そういうことを全く隠そうとしない。

そういう意味で自分は不純であったなあと。 


K林 カントクは両手ブラリ戦法だったんですね


★オタ嫁座談会★

2005年03月04日(金) 絶対毎日スエイ日記(3月7日)/末井昭
今朝「私のことを真剣に考えてくれない」と美子ちゃんに言われ、

「来たか」と思って胸がキュッと苦しくなったけど、

「来たか」じゃダメなんだ。本当にもっと真剣に美子ちゃんのことを考えないと、

というか、自分のこととして考えないと。

そこをいい加減にして、何かに真剣に取り組んだって無意味じゃないか。

夫婦は真剣に向き合うことに本当の喜びがある。と考えていると、

「なーんちゃって」ともう一人の自分が言う。

この「なーんちゃっての自分」をなんとかしなくてはいけない。


★絶対毎日スエイ日記(3月7日)/末井昭★

2005年03月03日(木) チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝
十日ぐらい経ったころ、パパから小学生のような字で手紙が来ました。

「こちらはものすごい歓迎を受けています。でも僕はちっともうれしくない。

ママを愛している。別れがこんなにつらいとは思わなかった。

毎日帰りたい気持ちでいっぱいだ。手紙をください」

と住所が書いてありました。

それはかわいそうなほどというか、大の男の手紙とは思えないものでした。

気にはなりましたが、私が帰ってきているというので、

毎日のように小学生時代の友人が遊びに来たりしてあわただしく日が経ち、

返事を出さないでいるうちに、ある朝、満州から電報が来ました。

家中何事かと驚いて、私の周りに集まってきました。皆にかこまれて電報を開くと、

「テガミクレ キガクルイソウダ モリツナ」

と書いてありました。

みんなは開いた口がふさがらないようでした。私はとても恥ずかしく、

そしてパパのあの怒り狂った時の恐ろしい形相を思い出してハッとしました。

恐怖にふるえながら、すぐに返事を書きました。

こんなにひたすら思われることは女として喜ぶべきことか。家の者たちは、

「あんな電報を配達した郵便屋さんも、驚いたろうなあ」

といって大笑いしていましたが、私はパパが帰国した後の恐ろしさに身もふるえる思い。

せっかくの故郷の幸せな日々がふっ飛んでしまう思いでした。

永久にこの家にいられたら、どんなにのびのびしていいだろうとふと思ったりしたのが、

テレパシーでパパに伝わってしまったのでしょうか。


★チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝★

2005年03月02日(水) チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝
それにしても、ものを書いたり、講演したりすることを、

私ごときのものがと思うと恥ずかしくて身の置きどころのない心境になります。

最初はおっかなびっくりでした。ですから、私にはもう一人のお化けがついていて、

それが勝手に本を書いているのだと思うことにしたのです。

お化けの書いたものを、私が清書しているだけなのだから、そう気にしないこと、

と自分にいい聞かせるわけです。

「下手な文を綴って、私のお化けはまったくろくなことを書きゃしないんだから、

私が自分で書いたのなら、もっともっとうまく書けたのに」

とつぶやきます。


そしてまた、講演の話が持ち込まれます。

皆さんにお聞かせするような話が私にできるかしらとちゅうちょします。

けれど、ほら「チャンスは前髪で摑め」といいますから、とにかく前に歩め、

というわけでお引き受けするのです。話している間中、

「これは私がしゃべっているのではないのよ、私のお化けが勝手におしゃべりをしているのよ」

といい聞かせ続け、「いつまでおしゃべりしているんでしょう、もういい加減にして消えろ!」

と、私は私のお化けに命令して、講演を終わりにします。

そんなわけで、講演料をいただく時も、もちろんお化けが手を出していただくのです。

私はすごい照れ屋というか、一見とても活発で人見知りしないようだけれども、

昔からとても恥ずかしがり屋で、少女のころはこれをいうことでもないのに

すぐ赤くなって困ったものでした。


そういう感覚は今でも尾をひいているのではないかと思うことがあります。

「冗談じゃありませんよ。七十四という年齢で、一人でアメリカ、

カナダを回って講演して歩いていて、自信いっぱいでしょうに」

といわれるでしょうけれど、それとて、

「私は、もう一人、私のお化けをひきつれて歩いているから、それが頑張ってくれるんです」

といった感じなのです。


★チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝★

2005年03月01日(火) チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝
私の中にあって今までちょこちょこ目を出そうとしていたもの、

夢と現実が戦っていたもの、その中から可能性を探すとしたら、

それはユニークで、しかも強靭なものでなければなりません。生きていくためには。

七十四歳、一人旅。いっそ小気味いいほど遅い旅立ちだけれど、

老いも若いも関係ないもの。

人間いつでも、何でも、始められるときに始めればいいのだから。



長年の黒子役が七十歳過ぎて、こんな大役にあずかることがあるのですから、

人生は魔術師。

神さま、どうぞ私に魔法をかけてください。

何の役にでも精いっぱい取り組んで、いい役者になりたいと思っていますから。


★チョッちゃんだってやるわ/黒柳朝★

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