しばらくすると、「りべらる」という本を母親が、
村の時計屋さんの小父さんから借りて、押し入れの中にかくしていた。
かくしてあるものはやらしいものだから、
私は母親が裏の畑でなすびなどを作っている間に、隠れて読んだ。
やらしいことが沢山書いてあったにちがいなく、
やらしいさし絵が沢山あったけど、私は、やらしいことなど何も知らないから、
やらしい雰囲気だけが、押し入れの中に充満し、物音がした時の、
グビッグビッと汗がふき出て、体が大きく二度ばかり起き上がる
真昼の驚愕は一体何だったのだろう。
「りべらる」は戦後のいわゆるカストリ雑誌の大御所だったと、
月日が夢のように流れたあとに知った。
山梨の山また山の山奥に、「りべらる」がしのび込み、太宰治はしのび込まないという、
文化の伝播経路に私は大変興味をおぼえる。
やらしいことだけが韋駄天の様にかけめぐったということが、
日本の戦後復興に大きく貢献したのよね。
きっとやらしいことだけが真の人間再生のエネルギー源なのだから、
私の「きょうだい」はまた一人増殖した。
★やらしい本のことなんか/佐野洋子★
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