Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年08月30日(土) グスタフ で甦る 「 3年前の悪夢 」



「 信念は、行動に移さなければ価値がない 」

           トーマス・カーライル ( スコットランドの歴史家、思想家 )

Conviction is worthless unless it is converted into conduct.

                                 Thomas Carlyle



初めての経験に失敗するか、成功するかは、運に依るところが大きい。

二回目以降は、知恵と行動力の差が、成否を分かつものだ。


現在、キューバ西部沖に位置し、米本土へ接近している大型のハリケーン 『 グスタフ 』 は、5段階で2番目に強い 「 カテゴリー4 」 まで発達中だ。

3年前、1800人以上の死者を出したハリケーン 『 カトリーナ 』 の被害を受けている米南部では、早くも 「 非常事態宣言 」 などが出されている。

つい先日、西カリブ諸島に旅行したばかりだが、その折も天候は悪い日が多く、なんとなく 「 不気味な予兆 」 を感じさせる雲行きだった。

グスタフ は、カトリーナ を上回る規模の勢力にまで拡大し、3年前の悪夢を再現する危険があるため、地元の人々は、戦々恐々としているだろう。

いかに科学が進化しようとも、自然の脅威を無力化することはできないが、過去の教訓を活かし、被害を最小限に止める使命が、統治者にはある。


その点、今回はハリケーンの上陸前に非常事態宣言を発令し、強制避難を実施する準備も進められており、直接の人的被害は少なくなるだろう。

ただし、カトリーナ の発生時に問題となった、被災者の 「 経済的負担 」 については、あまり進歩がみられないのも事実である。

医療先進国でありながら、アメリカの低所得者層は健康保険の未加入率が高く、そのため、国民一人当たりの医療コストが極めて高い。

また、賃金を 「 週給 」 で受給している労働者が多いため、平均して蓄えが乏しく、短期間の欠勤で生活が困窮するケースも珍しくない。

とりあえず命拾いしても、医者にかかれなかったり、生活苦から金品の略奪が横行するなどして、健康面、地域の治安面などに不安は尽きないのだ。


大統領選挙が間近に控える現在、ここで壊滅的な被害でも出れば、現政権 ( 共和党 ) にとっては致命的な失点となる。

ブッシュ大統領は、ルイジアナ、テキサス、ミシシッピー、アラバマの広域に非常事態宣言を発し、避難民は100万人を超える見込みだ。

今後、被災地の復旧や、避難民の支援などに、どれだけの配慮が示せるかという点で、次期大統領選挙に絡む政治的手腕を問われるだろう。

3年前の教訓に学び、健康保険の加入率増加や、防災対策を強化しておくべきだったが、「 喉もと過ぎれば熱さ忘れる 」 のも人の常である。

その点、日本はアメリカに比べて、自然災害への備えは出来ているほうで、過去に受けた天災の教訓を、けして無駄にはしていないと評価できる。






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2008年08月29日(金) 二重スパイ の危険な恋



「 恋愛では矛盾が生じる。

  二人の人間がひとつになり、しかも、それぞれのままでもいる 」

                    エーリッヒ・フロム ( アメリカの心理学者 )

In love the paradox occurs that two beings become one and yet remain two.

                                   Erich Fromm



いくら愛し合う二人でも、それぞれ別の存在であることに変わりはない。

相手が 「 本当はどういう人間なのか 」 さえ、知らずに恋することもある。


韓国の合同捜査本部が、北朝鮮の女性工作員 ウォン・ジョンファ 被告 と、交際相手の韓国陸軍大尉 らを、国家保安法違反で逮捕した。

彼女の実父、継父も、北朝鮮の国家安全保衛部 ( 秘密警察 ) に所属する工作員で、実父は1974年に韓国に潜入したが、射殺されている。

北朝鮮が、韓国へ亡命する 「 脱北者 」 の中に工作員を潜入させる手口は昔からあり、拉致、暗殺、破壊行為などのスパイ活動が行われてきた。

2003年の韓国映画 『 二重スパイ 』 では、北朝鮮の工作員が偽装亡命し、韓国の情報部に潜入、活動する様子が、スリリングに描かれている。

今回の逮捕劇で、映画さながらの出来事が現実に存在することを、改めて思い知らされ、衝撃を受けた人も少なくないだろう。


ウォン・ジョンファ の任務は、韓国軍の将兵たちに色仕掛けで接近し、軍の機密情報や、脱北者の居所などを探ることにあったという。

ところが、一人の将校と本気の恋に落ち、彼を毒殺する使命が果たせなくなり、その後も、ことごとく任務に失敗する有様となった。

将校も、途中から彼女がスパイであると気付きつつ、惚れた弱みで別れることができずに、次々と情報を漏洩する始末である。

まさしく映画のような 「 禁じられた悲恋 」 だが、そこに イケメン の男女を思い浮かべるのは、少し現実的でないかもしれない。

女性に不自由しない イケメン なら、そのような女性に手を出したとしても、正体を知ったうえで交際を続ける可能性は低いだろう。


女性スパイの狙いからみて、標的に選ばれるのは、「 女性にモテたことがなく、誘えば舞い上がってしまうタイプ 」 であるとみて間違いない。

そのほうが作戦の成功率も高いし、正体がバレても、彼女を手放したくない一心で、通報されない可能性が高い。

ウォン・ジョンファ も、美女かどうかはともかく、北朝鮮で亜鉛を奪って逃げようとした 「 非国民 」 だから、国家への忠誠心が厚いタイプではない。

敵国の男に惚れてしまい、使命を放棄するようでは、「 二重スパイ 」 というよりも、「 二流スパイ 」 と呼んだほうが的確だろう。

女性に不慣れな軍人と、素人レベルの未熟なスパイによる “ 映画みたいには格好よくない恋 ”だが、やはり、その結末は悲劇的なものになる。


朝鮮半島の南北分断さえなければ、この男女が互いに出会うことも、恋に落ちることも、罪を犯すこともなかっただろう。

すべては 「 運命の悪戯 」 だが、この事件による波紋は、今後の脱北者に対する受け容れや、処遇の仕方に大きな影響を与える可能性が高い。

命がけで逃げてきた脱北者に、人道的支援を与えようとしても、実はスパイで 「 既に脱北した者を危険に晒す 」 のではないかという危惧が拭えない。

彼女は失敗したが、日本で 「 お見合い 」 し、結婚を企てた形跡もあって、そうなると、対岸の火事と見過ごせる問題でもなさそうだ。

特に日本の場合は、スパイの侵入と暗躍を妨げる厳格な法規制に乏しく、諜報活動の拠点にされる危険が大きいので、有効な対策が求められる。






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2008年08月28日(木) 「 集団転職 」 を試みる人々



「 この世で一番大事なことは、自分が “ どこ ” にいるかということでは

  なく、“ どの方角に ” 向かっているか、ということである 」

       オリバー・ウェンデル・ホームズ ( アメリカの医師、作家、詩人 )

The great thing in this world is not so much where we stand as in what direction we are moving.

                            Oliver Wendell Holmes



世の中には、自分の仕事が 「 つまらない 」 と愚痴る人がいる。

ある意味、それは “ 不可解な発言 ” に思える。


なぜなら、その大半は 「 彼ら自身が選択した職業 」 なわけで、自らの意思に反し、誰かに強制されて就いた仕事ではないからだ。

どんな仕事か予測できなかったなら、本人の判断ミスだし、就任する前から 「 つまらない 」 ことを予見していたのであれば、愚痴を吐く根拠も無い。

もう一つ考えられるのは、「 面白いはずの仕事だが、自分の能力不足や、努力不足で、それを面白いと感じられない 」 というタイプだろう。

いづれにせよ、居酒屋やら、あるいは個人のブログなどで、自分の仕事が面白くないと吐露するのは、恥を晒すだけの行為で、実にみっともない。

誰のせいでもなく、すべては 「 ご自分のせい 」 なのだという自覚をもって、現在の仕事に取り組むか、情熱を燃やせる仕事に転職すべきだろう。


民主党から 渡辺 秀央、大江 康弘、姫井 由美子、無所属から 荒井 広幸、松下 新平 の各参院議員が、「 新党 」 の結成を総務省に届け出た。

党名は 『 改革クラブ 』 だが、はたして本気で政治を改革する意志があるのか、何か別の企みがあるのか、いまのところ明らかではない。

ただ、特に民主党の三名は、おそらく無競争で再任される 小沢 一郎 代表 が気に入らないから、袂を分かつことにしたのだろう。

賛否両論あるようだが、現在の “ 職場 ” が面白くないから、他所に活躍の場を求めるという姿勢は、大いに結構なことだと思う。

民主党 幹事長 の 鳩山 由紀夫 は、「 離党するなら議員辞職するのが筋 」 と話すが、彼自身も、自民党、新党さきがけ を離党した過去を持っている。


気に入らない職場で、面白さの感じられない仕事をしている御仁が、組織に貢献したり、顧客に満足を与え続けたりすることは、まず考えられない。

辞めてしまうなら話は別だが、仕事を続ける意志があるなら、一日も早く、「 情熱を感じられる環境 」 に活躍の場を移すことが望ましい。

政治家も同じことで、個々の能力を発揮できない不満を抱えながら、黙って追随するだけの 「 役立たず 」 よりは、造反分子のほうが期待できる。

あるいは、この先、新党は “ 議席の頭数 ” として、政権支配を目指す二大政党を天秤にかけ、有利な条件で併合する機会を窺う可能性もある。

それを “ 姑息 ” に感じる人もいるだろうが、派閥のしがらみで 「 言いたいことも言えない立場 」 に甘んじるよりは、よほど健全ではないだろうか。


民間企業に勤める人たちも、彼らの真似をして、現在の境遇に不満を持つ複数人で起業し、とりあえず小さな集団を形成してみる方法がある。

そのまま事業を続けてもよいし、小集団をまとめて、有利な条件で大企業の傘下に 「 身売り 」 するのも面白い。

自分たちの実力に自信はあるものの、望み通りの転職が果たせない人々にとって、それは新しい 「 転職スタイル 」 になる可能性がある。

特に、若手の技術職や、優秀な開発者たちが、そのような 「 集団転職 」 を試みることは、産業界にとっても、よい刺激になるのではないだろうか。

現実的には、優秀な人材ほど 「 仕事が面白くない 」 と感じていないので、実現の可能性は低いけれど、野心の強い数名は、挑戦するかもしれない。






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2008年08月27日(水) 星野JAPAN 最大の敗因



「 勝負はやっぱり勝たなアカンよ 」

                               横山やすし ( 漫才師 )

Competitions are to be won.

                               Yasushi Yokoyama



暴言の多いことで知られた人物だが、これは、印象に残る名言だ。

勝って結果を残すことが、「 プロ 」 の証であり、プライド である。


いまさら蒸し返す意図はないが、今回の北京五輪で最も “ 期待はずれ ” な結果に終わったのが、日本の場合は野球 『 星野 JAPAN 』 だろう。

準決勝の日韓戦は生で観れなかった ( 旅先でTV中継されなかった ) が、結果を見ただけでも、その不甲斐なさは十分に伝わってくる。

勝負事なんだから、勝つこともあれば負けることもあるわけだが、問題は、その 「 敗因 」 と、好ましくない結果に対する反省である。

そもそも、アメリカ は 「 二軍中心のチーム 」、キューバ は 「 アマチュア 」、韓国は 「 野球後進国 ( 日本と比べて ) 」 のチーム編成だ。

そんな舞台へ、絢爛豪華な 「 オールスター 」 を率いて乗り込んだ以上は、何がなんでも 「 勝たなアカンよ 」 という状況から逃れられない。


中国では、110mハードルの 劉 翔 選手が試合直前に棄権し、特にネット上では、かつてないほどの非難を浴び、叩かれているという。

前回の アテネ で優勝し、国民的な英雄となった彼が、たった一度の失敗で集中砲火を浴びる背景には、彼の莫大な 「 年収 」 が影響している。

CMなどの出演料を主とした推定28億円 ( 日本円換算 ) といわれる彼の年収は、およそ、平均的中国人の1万倍以上に相当する所得額だ。

これが、普通の中国人並みだったら、「 何やってんだ 」 という罵声よりも、「 気にするな 」、「 次は頑張れ 」 という励ましの声が多かっただろう。

星野JAPAN の選抜メンバーも、敗れた キューバ や、アメリカ や、韓国の選手たちとは桁違いの年収で、だからこそ、プロ としての真価が問われる。


野球と正反対に、女子ソフトボールの日本代表は金メダルに輝き、特に、二日で400球以上を投げた 上野 投手は、その大活躍が絶賛された。

なぜ、上野 投手が二日で400球以上も投げれたのかというと、その答は、「 上野 しかいなかったから 」 という単純な理由によるものである。

けして、交代要員が居なかったわけではないが、上野 と並ぶ力量の投手は他におらず、「 負けられない一戦 」 は、上野 以外の起用が考えられない。

上野 自身も、たとえ、前日に何百球と投げていようとも、自分が起用されることに戸惑いなどなく、その責任を自覚し、当たり前のように力投した。

その気迫と熱意がチーム全員に伝染し、一丸となって戦えたことが、彼女らの勝因といっても、過言ではないだろう。


逆に野球の場合は、両リーグを代表するエース級投手を揃えすぎたことで、誰一人として 「 すべては、俺の出来次第だ 」 という気概を持てなかった。

もちろん、プロ であるがために、上野 投手のように 「 この試合で燃え尽きてもいい 」 という無茶はし難いが、多少の連投には耐えれたはずだ。

結果論だが、たとえば 「 プロ、アマ混成チーム 」 などにして実力差のあるメンバーで臨み、「 エースは誰か 」 を明確にしたほうが、望ましかった。

故障者が多かったことから、星野 監督の選抜が “ ベストメンバー ” だったのかという疑問、腑に落ちない選手起用、采配も、敗因の一つだろう。

だが、それ以上に、私が感じた 『 星野JAPAN 最大の敗因 』 は、緒戦の キューバ に負けた後、ダルビッシュ らがとった奇異な行動にある。


つまり、それは例の 「 丸坊主 」 で、自慢の長髪をバッサリと切り落とした ダルビッシュ の姿に、思わず目を疑った人も多かっただろう。

それが自発的なものか、半強制的なものかは知らないし、普通の状態で、彼らが髪を切ること自体に、もちろん、文句を言うつもりもない。

だが、明らかにそれは、日本流 「 禊 ( みそぎ ) 」 の儀式であり、奮起や、以後の改善に繋げる目的よりも、責任の取り方を示す効果が大きい。

負けたこと、失敗したことへの反省を意思表示する暇があったら、後の試合に勝つための軌道修正を行うべきで、わざわざ髪を切る必要など無い。

彼らの 「 禊 」 が、他の選手にまで 「 負けた場合のこと 」 を考える邪心に繋がり、頑なに勝利を信じる心が弱まったのが、最大の敗因だと感じる。






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2008年08月26日(火) ナッソー から眺めた 北京



「 結局、勝利する者とは、自分は勝利できると思った人間なのである 」

                  ポール・トゥルニエ ( スイスの精神医学者 )

Sooner or later, those who win are those who think they can.

                                  Paul Tournier



時差ボケから立ち直り、久々の更新である。

しばらく休んだ分、今週は仕事に追われそうだ。


今回の休暇は 「 カリブ に行きたい 」 という彼女の希望を受け容れ、関空から サンフランシスコ 経由で マイアミ に飛び、バハマ まで足を延ばした。

北京五輪では大活躍した ウサイン・ボルト の生まれ故郷である ジャマイカ も、ここまで来れば目と鼻の先だが、日程の都合上、今回は見送った。

前人未到の 「 新記録 」 が達成される瞬間、もし、現地に居たなら、相当なお祭り騒ぎに遭遇していたことだろう。

滞在していた ナッソー ( バハマ ) も黒人が85%を占める土地柄なので、ボルト をはじめとする 「 カリブ勢 」 の活躍に沸いていたようだ。

北京では夜だが、現地はー12時間の時差があり、見応えのある決勝戦の大半は、ルームサービスの朝食を摂りながら部屋のTVで眺めた。


少数民族への弾圧、人権問題などを抱えた中国が、はたして立派に五輪を主催できるのか、様々な不安や憶測が飛び交う中、北京五輪は開幕した。

蓋を開けてみると、先ず、「 CG 」 の濫用やら 「 口パク 」 など、演出上の批判はあったものの、実に見事な開会式で世界中を驚かせた。

施設面においても、37の世界新記録が出たことから、設営、整備には何の問題もなく、実に 「 お見事 」 と評価するしかない。

中国の選手団は アメリカ を上回るメダル数を獲得したが、私の見聞きしたかぎり、審判に不正はなく、彼らの実力による成果とみていいだろう。

最も警戒された大会期間中の 「 テロ 」 も、万全の警備体制によって難なく乗り切ることができ、無事に閉会式を迎えることができた。


五輪成功の影で、行き過ぎた報道規制など “ 相変わらずの部分 ” が改善されないのも中国の実情だが、こと五輪に関しては、最上級に評価できる。

日本はメダル数こそ前回の アテネ を下回ったが、北島 の二冠二連覇や、世界新記録の更新など、印象に残る感動的な活躍が数多くみられた。

個人的には、陸上の男子400mリレー決勝で、競合の失格という幸運にも恵まれたが、朝原 ら4人が銅メダルを獲得したことに、最も感動した。

自分も現役時代は陸上の選手だったので、トラック競技における世界の壁がいかに厚いのか、身にしみて知っているつもりだ。

彼女に 「 少し、一人で散歩してくる 」 と告げ部屋を出て、ホテルの中庭で数十年ぶりに “ 号泣 ” したことが、今回の旅と五輪の思い出になった。






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2008年08月13日(水) 北朝鮮との交渉に 「 欠けている概念 」



「 態度の弱さは、人柄の弱さとなる 」

        アルバート・アインシュタイン ( ユダヤ系アメリカ人物理学者 )

Weakness of attitude becomes weakness of character.

                                  Albert Einstein



旅行の準備をしつつ、ボチボチと部屋の片付けなどしている。

しばらくは、この日記もお休みする予定だ。


おおよそ日本人は 「 態度が曖昧 」 なことで知られているが、その理由は、あまりにストレートな物言いをして、相手の感情を損ねたくないからだ。

見方によっては独自の美徳とも言えるが、残念ながら、その特異な発想は諸外国にとって難解で、それが善意に評価される場面は少ない。

必要以上に威張ったり、偉そうに振舞う必要はないが、態度が控えめというだけで真意が伝わらず、外交面で損をするようでは、色々と問題がある。

世界的にみると、言葉や態度によって、自分の内面を素直に表現できる人のほうが、遠慮がちな人よりも、好感を持たれやすいのが実情のようだ。

明確に表現されなければ、相手に何も伝わらないのであり、「 黙っていても好意的に察してくれるだろう 」 という願いは、ほとんど期待できない。


中国・瀋陽で開かれた日朝実務者協議で、北朝鮮の代表は、拉致問題の再調査着手に合わせて、日本側が制裁を一部解除するように強く求めた。

そのうえで、「 今回の合意を約束通り履行しないなら、われわれも仕方なく “ 必要な措置 ” を取ることになる 」 と述べ、日本をけん制している。

拉致被害者の速やかな帰国は、たしかに国民の悲願であるが、外務省の発表した 「 一歩前進だ 」 とする会談への評価は、はたしてどうだろうか。

過去の経緯から判断して、まったく信用できない北朝鮮側の 「 再調査 」 が着手されただけの段階で、制裁の一部解除をすることが 「 前進 」 なのか。

拉致被害者の家族たちは、再調査の行方に望みを託しながらも、「 結果を待たずに制裁解除は、拙速ではないか 」 と、複雑な表情を見せている。


北朝鮮による拉致問題で、日本政府の誰もが 「 主権侵害 」 という言葉を口にしないことが、弱腰の交渉につながり、解決を遅らせていると思う。

いかに小型といえど、北朝鮮の工作船は 「 軍に所属する艦船 」 であって、それが日本領土に上陸し、拉致を実行したことは、相手も認めている。

つまり、拉致は 「 テロ行為に類する犯罪 」 でなく、他国に軍隊を上陸させて住民を捕虜にするという主権侵害、つまり 「 戦争行為 」 なのだ。

それを相手も認めているのだから、現在、日本と北朝鮮は 「 戦争状態 」 にあるという前提で物事を考えるべきなのだが、その認識が日本に無い。

拉致被害者の返還を求める理由は、戦争を終結させるには 「 現状回復 」 が国際法上の原則だからだということを、日本は主張しなければならない。


第二次大戦後、日本がアジア諸国に 「 補償 」 を行ったのも、国際法上の 「 原状回復 」 に当たる行為であり、それは歴史上の紛れも無い事実だ。

もちろん、殺戮された生命が、お金で 「 元通り 」 になるわけではないが、軍によって強制的に連行された生存者には、帰郷する自由を与えた。

つまり、日本と北朝鮮は 「 国交正常化交渉 」 をする以前に、戦争を終わらせるための 「 和平交渉 」 をすべきで、拉致解決は必須課題なのだ。

相手が、「 約束を守らないなら “ 必要な措置 ” をとる 」 と言うのならば、日本側も “ 必要な措置 ” で応戦することが妥当だろう。

こんな書き方をすると、「 お前は戦争をしたいのかよ 」 と怒られそうだが、したい、したくないではなく、既に北朝鮮とは 「 戦争状態 」 にあるのだ。


この 「 現在、日本と北朝鮮は戦争状態にある 」 という認識を、北朝鮮側の代表団は持っており、だから、“ 必要な措置 ” をチラつかせてくる。

それに対し、他国の艦船に領土が侵犯されても、国民が連れ去られても、穏やかに交渉を続ける日本政府には、まったく、その意識がないようだ。

アメリカが北朝鮮の 「 テロ国家指定 」 を解除することに不満をぶつける人も多いが、肝心の日本政府が抗戦しないのに、言える筋合いでもない。

北朝鮮に対しては、逆に、「 拉致被害者を返さなければ “ 空爆 ” する 」 と言ってもいいわけで、それは、軟弱な “ 日本国憲法 ” にすら抵触しない。

日本に戦争行為を仕掛け、いまだ元通りに 「 原状回復 」 させていない国と交渉しているのだという意識を、政府担当者は持ち、強く主張すべきだ。






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2008年08月12日(火) アスリート と マスコミ の関係



「 会話のコツは、言うべき時に言うべきことを言うだけでなく、

  言うべきでないことは、たとえ言いたくても言わないことだ 」

                      ドロシー・ネビル ( イギリスの著述家 )

The real art of conversation is not only to say the right thing in the right place but to leave unsaid the wrong thing at the tempting moment.

                                   Dorothy Nevill



今日も北京では、白熱した闘いが繰り広げられている。

栄冠を掴む勝者がいれば、当然、その片方に敗者の姿もある。


誰でも、限られた人生の中で、すべての経験を踏むことなど不可能だが、人間には想像力というものがあるので、思い浮かべることはできる。

自分とは異なる境遇の人をみて、楽しそうだとか、辛そうだとか、あれこれと想像するのは、人間らしい特性の一つだとも言えるだろう。

ただ、想像力には限界があり、同じような立場、似たような経験をしないと、なかなか理解し難い 「 特殊な感情 」 というものも存在する。

それぞれの想像力は、それぞれの経験や感情に基づくものだから、本人が経験したことのない立場にある人の感情が、想像し難いのは無理も無い。

具体例を挙げると、「 お金持ちの苦労 」 が貧乏な人に想像できないとか、「 戦争体験 」 が、平和な時代の若者に理解し難いことなどがある。


それでも、せいぜい相手の気持ちを理解しようと、想像力を働かせるのは悪いことでないし、むしろ、一種の思いやりだとも考えられるだろう。

だが、未体験の人が語る 「 想像の話 」 には、誤りも多いので、たとえば、「 きっと、あの人はこういう気持ちだろう 」 などと語るのは、注意が必要だ。

最近では、ブログなどで “ その道のプロ ” じゃない人も自由に意見を発信できるから、そういった誤りのある文章が、簡単に流布されてしまう。

その結果、対象者は何とも思っていないのに、「 きっと辛いだろう 」 とか、「 怒っているだろう 」 などと、意図せぬ “ 代弁 ” が一人歩きする。

ここまでいくと、「 思いやり 」 の範疇を逸脱しており、むしろ本人にとっては 「 迷惑 」 な話でもあり、想像にまかせて無責任に語るのは問題が多い。


この時期、人々の話題はオリンピックに集中しているが、トップアスリートの “ 気持ち ” についても、様々な 「 想像 」 が飛び交っている。

そこで、特に 「 本格的にスポーツを体験したことのない人 」 が、ブログなどで珍妙な意見を述べていることに、どうも違和感を覚えてしまう。

一例を挙げると、「 マスコミはメダルを獲得した選手にばかり取材し、4位以下の選手を見向きもしない 」 から、けしからんという意見がある。

こういう表現の裏には、発信者の “ マスコミに対する不満 ” があるのだと思われるが、下位選手に取材しないのは、逆に 「 マスコミの優しさ 」 だ。

もし、不本意な成績に終わったのに、マスコミ各社が執拗な取材を敢行してきたら、選手としては 「 たまったもんじゃない 」 のである。


自分も学生時代に何度か、スポーツ新聞や、競技雑誌の取材を受けたが、好調なときには大きく取り上げられ、不振が続くと相手にされなかった。

スポーツに疎い人は、その様子を眺め 「 マスコミは計算高くて薄情だ 」 と感じるかもしれないが、当事者の大半は、そんな気持ちを抱いていない。

例外もあるが、選手の気持ちとして、好調時は 「 大きく取り上げて欲しい 」 のが本音で、不調時は 「 できれば、放っておいて欲しい 」 ものである。

実際、スポーツを専門に扱う記者の中には、そのあたりの機微を熟知している人が多く、政治、報道記者などと違い、選手に親身な取材が多い。

冒頭に挙げた名言のように、「 言うべきでないことなら、たとえ言いたくても言わない 」 という記者が多いのも、この業界の特性だろう。


もちろん、なかには 「 悪意のある記事 」 やら、「 悪影響を及ぼす取材 」 もあるが、総体的には競技への理解者が大半で、熱心な応援団である。

それは、ほとんどが競技経験者だったり、実体験はなくても、長年の活動を通じて選手と接してきたことで生まれる 「 友情 」 に根付いた結果だ。

これらは、まったくスポーツに疎い御仁から理解され難い部分だと思うが、勝手な解釈と憶測で 「 選手が気の毒だ 」 などと語るのは筋違いである。

ただ、日頃は競技に関心のない芸能人らが、五輪の取材に駆り出されて、意味不明な 「 愚問 」 を選手に投げている様子は、たしかに不愉快だ。

だが、それはごく一部の話であり、選手が活躍して、競技が盛り上がったら購読数も増えるので、概ね、運動部記者とアスリートは友好関係にある。






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2008年08月11日(月) 北島 “ 有言実行 ” の世界新、金メダル



「 長い目でみれば、人間は自分が目指すことしか実現できない。

  だから、目標は高めに設定したほうがよい 」

       ヘンリー・デビッド・ソロー ( アメリカの作家、詩人、植物学者 )

In the long run, men hit only what they aim at.
Therefore, they had better aim at something high.

                             Henry David Thoreau



実現できるかどうかはわからないけれど、志だけは高く持つほうがよい。 

それを目指さなければ、実現もできないのだから。


北京オリンピック、競泳男子100メートル平泳ぎ決勝で、見事、北島 康介 が世界新記録の58秒91で 「 金メダル 」 に輝き、大会2連覇を遂げた。

前日に行われた準決勝では、前半のハイペースが災いし、後半で失速したせいか、予選よりもタイムを落とす結果になった。

決勝は、その反省を踏まえて、前半の50メートルを16ストローク ( 準決勝では19ストローク ) に抑え、後半に余力を残したことが勝因だという。

選手自身やコーチが語った勝因なので、もちろん事実だとは思うけれども、それだけのことで 「 世界新記録 」 を達成できたとは、誰も信じまい。

4年に一度の 「 瞬間 」 に、自分のベストを発揮できる精神力の強さ、不屈の闘志、人並みはずれた練習量が、すべて重なり栄冠は成し遂げられた。


前日、準決勝の後に行われたインタビューの途中、別組で ノルウェー の アレクサンドル・ダーレオーエン が好タイムで決勝に勝ち上がった。

その様子をモニターで眺めていた 北島 は、「 決勝は世界記録レベル 」 と呟き、それを “ 受けて立つぞ ” というポーズを示している。

古来より日本人の間では 「 不言実行 」 が美徳とされ、結果がどうなるのかわからないのに、自信満々と高い目標を掲げることは諌められてきた。

スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも、不言実行の慎ましさが好まれ、目標は黙して語らず、結果が出てから感想を述べることが習慣化された。

稀に、堂々と高い目標を掲げる 「 有言実行 」 のタイプが現れると、それを疎んじ、「 結果が出る前に大口を叩くな 」 と嫌われたものである。


しかし最近では、「 よく考えてみると、“ 不言実行 ” よりも、“ 有言実行 ” のほうが、価値が高いのではないか 」 ということに、気付く人が増えた。

高い目標を宣言しない “ 不言実行 ” は、結果が悪かったり、失敗した場合でもリスクが少なく、人前で恥をかくこともない。

逆に、高い目標を宣言する “ 有言実行 ” は、好結果が出なかった場合、「 なんだよ、口だけかよ 」 と馬鹿にされる危険と隣り合わせである。

それを承知で “ 有言実行 ” する人は、単なるお調子者か、よほど自信があるか、あるいは 「 不退転の覚悟 」 があるかのいづれかだ。

無謀な挑戦でないかぎり、概ね、“ 不言実行 ” の人よりも、“ 有言実行 ” の人のほうが、「 結果に責任を持つ 」 という意志が強いといえる。


大部分の人が、最初に 「 自分のできそうなこと 」 を目標にし、実現すると、それから徐々に、次の目標のハードルを上げていくものだ。

そこまでは誰でも大差ないが、「 最終目標 」 を思い切り高く設定する人と、無難なところで妥協する人に分かれていくのが世の常である。

本気で目標を達成する意志があるのなら、その目標が高ければ高いほど、その実現に向けて、毎日、より多くの努力をしようとするだろう。

そういう意味で、金メダルを獲得する人、世界新記録を塗り替える人というのは、誰よりも 「 夢を諦めなかった人 」 だと言い換えることができる。

堂々と “ 有言実行 ” で目標を自分に課し、達成するまで諦めない強さを、北島 ら 「 世界のトップアスリート 」 から学ぶのに、五輪はよい機会だ。






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2008年08月10日(日) 蔓延する 「 新型うつ病 」 の人たち



「 もし、君が100歳まで生きるとしたら、僕は100歳マイナス一日まで

  生きたいな。

  そうすれば、君なしで生きなくてもすむからね 」

               アラン・アレクサンダー・ミルン ( イギリスの作家 )

If you live to be a hundred, I want to live to be a hundred minus one day so I never have to live without you.

                             Alan Alexander Milne



ミルン の名を聞いても、『 くまのプーさん 』 の原作者と知る人は少ない。

また、「 プー 」 の台詞に、このような愛の名言が多いことも意外な事実だ。


最近は、「 新型うつ病 」 なるものが蔓延しており、特に、20代から30代にかけての若年層で多くみられ、うつ病全体の4割近くを占めるらしい。

元来、うつ病といえば、几帳面で気が弱く、気分が落ち込んでは自己嫌悪に陥りやすいため、そこから自殺に至る症例が多いことで知られている。

それに対し 「 新型うつ病 」 は、仕事中だけが “ うつ状態 ” で、帰宅後や休日は普段どおり、何事もなかったかの如く、活発に過ごせるようだ。

どちらも “ 自己中心的 ” な面で変わりはないが、従来型は 「 自己嫌悪 」 が強いのに対し、新型は 「 周囲や社会に攻撃的 」 な特徴がある。

病気を理由に会社はサボるが、ブログの更新や趣味の活動は休まないなど、「 会社や同僚にかける迷惑を感じない 」 のも、新型の大きな特徴だ。


子供を愛する親や、恋人のいる男女は 「 自分のことは二の次で、命がけで誰かを愛する 」 という感情が芽生えやすく、それこそが真実の愛となる。

言い換えれば、自分以外の誰かを、自分以上に大切に想っているかぎり、けして自己中心的な思考には陥らず、“ うつ ” な気分にもなり難い。

現代社会で 「 うつ病 」 が蔓延した背景には、各個性を尊重し過ぎた結果、集団的アイデンティティが軽視され、帰属意識が後退した実情がある。

自分の所属する企業や、組織、社会、国家などに貢献すべきであるという意識が薄くなったことは、家族や友人を想う気持ちまでも喪失させた。

周囲への関心が低い社会では、すべて 「 自分にとって得か損か 」 という概念しかなく、自己愛の強い人格障害者、うつ病患者が生まれやすい。


今夜、冒頭に掲げた名言は、彼女が英語版の 『 くまのプーさん 』 を読んでいたのを借りて読み、そこから拝借させてもらった。

たしか昨年も同じだったと記憶しているが、この彼女は旅行の直前になると慌てて英語を勉強し始め、帰ると止めてしまう習性があるようだ。

今年は仕事の都合で、少し遅めの夏期休暇となったが、来週から二週間の予定で、のんびりとリゾート気分を満喫するつもりである。

自分とは性格も違うし、どうにも “ ボヤっとした女性 ” だけれど、自分以上に大切に想える人なので、近いうちに結婚したいとは思っている。

問題は、他にも 「 自分以上に大切と想う女性 」 が何人か思い当たることで、そういう存在が無いのも困るが、多すぎるのも厄介なものである。






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2008年08月09日(土) オリンピック に水を差す 「 不健全 」 な連中



「 人生の最も健全で、確実で、豊かな喜びの一つは、

  他人の幸運に対して幸せを感じることから生まれる 」

            アーチボルド・ラトリッジ ( アメリカの詩人、英語教師 )

One of the sanest, surest, and most generous joys of life comes from being happy over the good fortune of others.

                               Archibald Rutledge



生涯で一度だけ、オリンピックの開会式を会場で観たことがある。

それは、1996年に開催された 『 アトランタ・オリンピック 』 だ。


当時、勤めていた企業の本社がアメリカにあり、大会のスポンサーをしていたので、日本の大手顧客を招いてアテンドする役目を仰せつかった。

アメリカらしい派手な演出と、聖火台への点火者が 「 モハメド・アリ 」 というサプライズに歓喜したが、長時間だったので疲れた記憶がある。

今回の 『 北京・オリンピック 開会式 』 をテレビで眺めたが、世界的に有名な映画監督の チャン・イーモウ による、実に絢爛豪華な演出だった。

戒厳令を発布して、会場周辺の都市機能を停止させるという、社会主義国ならではの大技もあったが、12万発の花火は壮観の一語に尽きる。

国の威信をかけた史上最大規模の開会式は、好天にも恵まれ、中国では視聴率90%以上を挙げる 「 世紀のイベント 」 として、華々しく成功した。


開催に至るまでは、少数民族への弾圧をはじめとする人権問題、言論抑圧など、中国政府に対する国際社会の不信感が強い時期もあった。

されど、大会が始まり、嘘か本当かは別としても 「 世界の平和と協調 」 を掲げた開会式が行われた以上、それを支持するのが各国の務めだろう。

ところが同日、グルジア、ロシア両軍は南オセチア自治州の制圧を巡って激しい攻防戦を繰り広げ、州都だけで民間人約2000人が死亡している。

翌日には、北京市内の観光名所 「 鼓楼 」 で、凶器を持った中国人の男に米国人旅行者らが襲撃され、米国人男性一名が死亡する事件も起きた。

日本にも、この手の 「 頭のオカシイ輩 」 はいるし、人口比からみて中国には数倍いても不思議ではないが、なんともタイミングの悪い話である。


中国政府が今大会にかける情熱は半端でなく、そのために一部の国民は多大な負担を強いられたが、それでも彼らは、大会の成功を望んでいる。

いま、多くの日本人が忘れかけた 「 愛国心 」 や、国に対する誇り、忠誠と信頼が、五輪を語る個々の中国人に滲み出ており、とても微笑ましい。

他人が成功したり、幸福の絶頂にあるとき、それを妬んだり、水を差したりするのは、実に心が狭く、人間として 「 醜い 」 ものである。

ブログの世界でも、「 オリンピック に浮かれている場合じゃないよ 」 などと冷めた調子で批判めいた文章を書いたり、周囲をしらけさせる輩がいる。

スポーツに関心が薄いからといって 「 駄目な奴 」 とは思わないけれども、健全な精神を持たない者は、五輪に関し、口をつぐんでいて欲しいと思う。






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2008年08月08日(金) いよいよ開幕 『 北京オリンピック 』



「 成功に最も大切な要素は、他人とうまくやる方法を知っていることだ 」

          セオドア・ルーズベルト ( アメリカ合衆国第26代大統領 )

The most important single ingredient in the formula of success is knowing how to get along with people.

                              Theodore Roosevelt



紆余曲折を重ねた後、ついに 「 8 並びの瞬間 」 がやってきた。

2008年8月8日午後8時8分、北京オリンピック の開会式が始まる。


何を以って 「 成功 」 と呼ぶかにもよるが、一般的に、成功している人物の大部分は交友関係が広く、一人も友達がいないような人は成功し難い。

一人で成し遂げられる物事は少なく、概ね、助けてくれる人がいて成功するわけだから、当然、他人との協力関係は欠かせないだろう。

他人を思いやり、周囲の人を大事にする心がけ、つまり、「 友達をつくる 」 という資質に劣る人は、たいした成果を得られないものだ。

良いことは 「 周囲のおかげ 」 で、悪いことは 「 自分の至らなさ 」 だと考える癖をつけることが、成功の近道だといって過言ではない。

家族、友人、同僚は言うに及ばず、ときには ライバル や 敵 と思っている人とも上手に付き合えれば、より多くの味方を得て、成功に近づきやすい。


オリンピックに関しても、すべてを主催国が取り仕切るのではなく、参加する各国と協調し、運営する意識で取り組むほうが成功しやすい。

いくら 「 スポーツの大会に政治を持ち込むな 」 と言っても、世界中の国々が参加するのだから、外交関係や、日頃の接し方も無縁ではない。

北京五輪を契機として、中国がどのような外交戦略を展開し、国際社会でどのようなポジションにつこうとするのか、世界中が注目している。

もちろん、それは 「 外面だけ良く見せる 」 では通用しないので、少数民族への弾圧や、人権侵害など、内政面の問題解決能力までが問われる。

史上最大規模、90人を超える各国首脳が集結する理由には、そのような背景があることを理解し、民主化と協調の幕開けになることを期待する。






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2008年08月07日(木) うつ病患者 と 疾病利得 の関係



「 忍耐強さは知恵の友である 」

           聖アウグスティヌス ( 古代キリスト教の神学者、哲学者 )

Patience is the companion of wisdom.

                                 Saint Augustine



小さい子供に水泳を習得させるのは、実に簡単である。

深いプールの真ん中に、何度も放り込めば、すぐに泳げるようになる。


どうして、それで泳げるかというと、元来、「 人間は泳ぐ能力を持っている 」 からであり、四肢が健康ならば、誰でも少しぐらいは泳げるものだ。

たまに、「 私は カナヅチ で泳げませんよ 」 なんて言う人もいるが、それは 「 泳げない 」 のではなく、「 泳ごうとしない 」 だけのことだろう。

もちろん、上手に泳げるまでの期間は個人差があるけれど、前述の方法で水中に放り込めば、いつかは泳げるようになる。

逆に、いくら水泳の資質に優れていたとしても、「 危ないよね、怖いよね 」 と過保護に甘やかせ、水に浸けなければ泳げはしない。

つまり、「 泳がざるをえない状況 」 に追い込めば、誰だって本来の能力を発揮できるようになり、「 泳がなくてよい 」 となれば、カナヅチ も生まれる。


不在がちな 社長 さん を除き、三名で働いている職場にいる A さん だが、最近、残業が続いて過労気味なのだという。

この不景気なご時世に、残業が多くなるほど忙しいのは 「 結構な話 」 じゃないかと諭したが、どうも、そんな状況ではないらしい。

実は、三人のうちの一人である C さん が頻繁に休み、たまに出社しても、作業効率が悪いので、残る A さん、B さん に、負担が掛かるそうだ。

従来、三人でこなしていた量の仕事を、二人で消化しようとすれば、そうなるのは当然の話なのだが、C さん が退社しないので、欠員補充はできない。

欠勤の多い C さん は、そのせいで残業の増えた A さん、B さん に比べて給料も少ないが、ここに一名を増員すると、人件費が増えるので問題だ。


今年に入って、C さん が頻繁に休むようになったのは、彼が 「 うつ病 」 を発症したからで、けして怠慢な理由などではない。

外見上は何の変化もないので、当初、事情を知らない社長は厳しく叱責したが、医師の診断書を持ってきた途端、その態度を一変させた。

A さん、B さん を呼んで、しばらく C さん の休む 「 穴埋め 」 をするように頼み、さらに、「 C さん を責めたり、励ましたりするな 」 と注意までした。

現在は、穴埋め役の A さん が体調不良に陥っているが、休暇を取ったら 「 B さん が一人で、三人分の仕事をする 」 ことになるので休めない。

社長としては、社員を不公平に扱う意図などないのだが、「 C さん は病気だなら仕方ない 」、「 A さん、B さん は病人じゃないから頑張れ 」 と言う。


職場に提出する診断書と別に、精神科医が 「 傷病手当金意見書 」 という書類を書けば、休業しても健康保険から月額給与の60%が支給される。

普通の人であれば、「 給料が40%も減る 」 ことに抵抗を感じるものだが、「 何もしないで家にいて、60%はもらえる 」 という見方をする人もいる。

最長で一年六ヶ月しか支給されないが、うつ病 ではない A さん、B さん が仕事を失えば、すぐ路頭に迷うのと比べたら、かなり有利な制度だろう。

同じ仕事をしながら、そのストレスに黙って耐え、愚痴を言わずに頑張っている人よりも、精神科に逃げ込んだ人のほうが 「 得 」 をする。

わざと病気になったわけでも、仮病でもないが、結果として “ 病気だから ” という理由で優遇される 「 疾病利得 」 は、こうして生まれる。


それで、実際に 「 疾病利得が、病人の救いになっている 」 のならよいが、逆に、「 疾病利得が、病人を増やしている 」 という懸念も考えられる。

特に うつ病 の場合は、「 本人がどう感じているか 」 が病状を決定させるわけで、レントゲンなどによる科学的な検証、測定はできない。

精神科の敷居が低くなったといえば聴こえはよいけれど、ハードルを下げたことで、本来なら、乗り切れる程度のストレスさえ、耐性を失う人が出てくる。

冒頭で述べたように、「 泳げる者から、泳ごうとする意志力を奪う 」 なんてことが、過度の疾病利得を与える結果として、発生しているように思う。

辛い、苦しいと 「 言ったもん勝ち 」 の社会では、総体的に 「 耐える価値 」 が評価されなくなり、将来的な国全体の生産性などに不安が大きい。






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2008年08月04日(月) 韓国、中国が 「 沖縄も領土 」 と主張する危険



「 何度でも挑戦し、決してあきらめない。

  これがどんな分野であれ、一流になるための秘訣である 」

                  W・クレメント・ストーン ( アメリカの実業家 )

Try, try, try, and keep on trying is the rule that must be followed to become an expert in anything.

                               W. Clement Stone



名言の多くに、「 あきらめないこと = 夢を叶える手段 」 という記述がある。

ここでは、「 あきらめないこと = 一流の条件 」 だと紹介されている。


たしかに、メジャーリーグで活躍するプロ野球選手も、北京五輪に出場するアスリートたちも、「 夢をあきらめなかった人々 」 と言えるだろう。

それほど極端な例でなくても、我々の身近で成功している人、活躍している人たちの大部分は、やはり、粘り強く、何度でも挑戦するタイプが多い。

どんな分野でも、最初から一流という人はいないわけで、恵まれた天性の資質があったとしても、何度か躓き、失敗を重ねながら大成するものだ。

名門大学から鳴り物入りで入社したものの、些細なことで失敗し、やる気を失くして脱落する人もいれば、コツコツと努力を重ね、成功する人もいる。

一流と二流を分かつ点は、「 最後まであきらめない能力 」 の違いといっても過言ではなく、簡単にあきらめてしまう人は、一流として認められない。


日本の教科書に 「 竹島 = 韓国名 ・ 独島 」 の領土問題が盛り込まれることを受け、韓国のマスコミは、連日 「 竹島問題 」 を取り上げているらしい。

竹島に上陸し、30分ほどの観光をする 「 独島ツアー 」 も人気で、韓国の旅行会社にとっては、いまや “ 定番商品 ” となっている。

今後は、宿泊可能な観光設備を建設したり、飲料水、食糧などを調達して定住人口を増やし、無人島から 「 有人島 」 に変えようとする動きもある。

日本側からみれば、「 他人の土地で好き勝手しやがって 」 てなものだが、韓国人は 「 自分たちの土地 」 と思い込んでいるから始末におえない。

本気で韓国と “ 領有権 ” を争うつもりなら、早急に手を打っておかないと、この問題は 「 日本にとって不利 」 となることは間違いないだろう。


もしも他人が、知らない間に自分の土地を占拠し、そこに家を建てて住んでいたとすれば、当然、「 不法侵入 」 として訴え、退去を命じることができる。

ただし、何年も、何十年も、そこに住み続け、土地の持ち主が黙認していたとしたら、そう簡単に事態は収まらない。

日本政府は、とりあえず “ ことなかれ主義 ” で静観しつつ、いざとなれば 「 国際司法裁判所 」 に裁定してもらえば “ 勝てる ” と楽観視している。

しかし、明確な抗議も行わず、これ以上の侵略や定住を見過ごすようでは、たとえ第三者機関の仲裁が入ったとしても、どちらに転ぶかわからない。

竹島問題については、政府の対応だけでなく、国民レベルでも、韓国側の異常なまでの反応に比べ、日本は盛り上がりに欠けている印象が強い。


北朝鮮による拉致問題、竹島、尖閣諸島などを巡る領土問題では、政府による外交の “ 弱腰ぶり ” が、いつも批判を浴びている。

実際には、“ 弱腰 ” というよりも、「 あきらめが早いこと 」 にこそ、どうやら問題があるようで、それが 「 外交は二流 」 とされる点ではないだろうか。

もう少し、「 最後まであきらめない 」 という姿勢を持たなければ、これから先も、周辺諸国との外交折衝で、対等の立場が保てないように思う。

たとえば、沖縄から米軍基地を排除した途端に、「 沖縄は我々の領土だ 」 と、韓国や中国が言い出さないともかぎらない。

交渉事において、“ あきらめない勇気 ” を持たない者が 「 すべてを失う 」 のは鉄則で、相手の良識に期待するだけでは不安が大きすぎる。






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2008年08月03日(日) 資本主義化する中国と、社会主義化する日本



「 社会主義とは、国家がすべてを所有している状態をいう。

  資本主義とは、妻がすべてを所有している状態をいう 」

                                   英語のジョーク

Socialism is when the state owns everything.
Capitalism is when your wife does.

                                   English joke



上海から戻ったが、一段と、暑さは厳しさを増している気がする。

冷えているのは 「 景気 」 だけで、なんとも困ったものだ。


北京五輪による効果もあってか、相変わらず成長の著しい中国経済だが、最近では 「 金融の引き締め 」 などで、倒産に追い込まれる企業も多い。

少し前までは、「 共産党幹部に知人が居る 」 だけで融資を受けられたり、役人に賄賂を渡せば不正が罷り通ったりしたが、状況は変わってきた。

知恵を絞り勤勉に働けば成功し、怠け者は脱落する 「 資本主義の構図 」 は、いまや中国全土の常識となりつつあり、所得格差は広がるばかりだ。

そうした価値観の変化に伴い、現地の富裕層たちは 「 子供の教育 」 への関心が高く、偏差値の高い学校へ通わせようと、躍起になる姿が目に付く。

幼い頃から競争心を植え付けられた彼らが、将来、「 平等 」 を善しとする社会主義思想に回帰する可能性は低く、民主化は時間の問題だろう。


かたや、資本主義国家であるはずの日本では、近頃になり 「 格差社会 」 が問題だとか、やおら 「 平等な社会 」 を理想に唱える声が多い。

生活の向上を目指して、互いに切磋琢磨した時代は過ぎ、いまでは無理をせず、「 頑張らないこと 」 を善しとする風潮が強くなってきている。

もちろん、必死に働いて稼ぐだけが人生ではないし、頑張る人がいる反面、頑張らない人がいてもいいわけで、色々な選択肢があってよいとは思う。

しかし、たとえば 『 ゆとり教育 』 の実施が全体の教育レベルを低下させたように、全体へ 「 頑張らないこと 」 を善しと導くのは マイナス だろう。

統計調査で、日本人の労働意欲が低下していると伝えられるが、原因は、非正規雇用の増加だけでなく、「 頑張らないこと 」 への寛容化にもある。


一昔前の日本人は、職場に多少のストレスがあったとしても、そんなことは 「 ごく当たり前 」 だと考えて、我慢して仕事を続けていたはずだ。

たとえ会社に行くのが嫌でも、自らの意志力でストレスを乗り越えることが普通で、そこに格別な病名をつける必要のある状況には陥らなかった。

それが今日では 「 うつ病 」 などの精神疾患として認められ、会社や学校に行かない理由として、通用するようになってきている。

この現象を、「 現代人はストレス耐性に弱い 」 からだとする学者もいるが、仮にそうだとしても、それは 「 それを認める社会 」 に問題があると思う。

周囲が過保護になればなるほど、本人が自らの意思で奮起をする機会は減少し、いつまでも意欲は上がらず、望ましい結果に繋がらない。


職場で嫌なことがあったり、仕事でストレスを感じるようなことは、おそらく、大部分の人が一度や二度は経験していることだろう。

上司に相談しても、「 仕事に就いた以上、それぐらいは当然 」 と言われるのが オチ なので、普通は諦めて仕事を続けるものだ。

すると、仕事を続けるうちに段々と “ ストレス耐性 ” がついてきて、徐々に大きなストレスにも立ち向かえるような 「 自信 」 が沸いてくる。

これが ビジネスマン にとっての 「 成長 」 なのだが、それには周囲からの 「 情けないなぁ、それでも男かよ 」 という厳しい視線が必要だ。

逆に、ちょっとしたことで甘やかせて、「 大丈夫か、病院に行くか 」 といった過保護な態度では、ますます本人の自助努力を喪失させてしまう。


上海では、「 北京五輪期間中の安全確保 」 を理由に、精神病患者を五輪終了までの間、市内の病院へ強制的に入院させる方針を決めている。

つい先日、精神障害で通院歴がある男が、ナイフで買い物客を切りつけた事件を踏まえた措置だが、日本では考えられない 「 決断 」 だろう。

本来、平等を旨とする社会主義国家が “ 弱者 “ を切り離し、五輪の開催という国家行事を見据え、社会と隔離する政策を打ち出したのである。

精神科の敷居を低くし、会社に行きたくないと申告さえすれば 「 うつ病 」 と認め、安易に “ 病人アイデンティティ ” を与える日本とは、実に対照的だ。

もちろん、「 本当に救いが必要な人 」 も中にはいるだろうが、原点に還り、「 頑張る美学 」 を甦らせないと、資本主義経済の優位性が崩壊する。






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