Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年07月22日(火) 五輪直前の中国へ GO!



「 歴史とは、あるいは避けられたかもしれない事柄の集積である 」

                  コンラート・アデナウアー ( ドイツの政治家 )

History is the sum total of the things that could have been avoided.

                                Konrad Adenauer



明日から、久々の中国出張を予定している。

この日記も、1週間ほど休むことになるだろう。


21日、中国雲南省の昆明市中心部で、時限爆弾を仕掛けられた路線バス2台が相次いで爆発し、2人が死亡、14人が負傷した。

同省公安庁は 「 人為的な破壊事件 」 と断定したが、政治や社会に不満をもつ組織による 「 市民の大量殺傷 」 を狙ったテロ事件の可能性もある。

地元の一般市民は、五輪開催が近づくにつれ、各地で住民と地元政府が衝突する事件が多発していることから、新たな悲劇の発生を恐れている。。

日本オリンピック委員会は 「 中国全土でさまざまな事件が起きている 」 と注意喚起した上で、「 新たな危機対応を追加することはない 」 としている。

北京五輪までは、あとわずかだが、いわゆる 「 過激派 」 によるテロ行為が続く可能性も高く、中国政府としては頭の痛い問題になりそうだ。


今年の 「 芥川賞 」 は、中国人作家の 楊 逸 氏 による 『 時が滲む朝 』 が受賞し、例年以上の売れ行きを記録しているという。

まだ読んでいないが、天安門事件のことについて書かれているらしく、そのせいか、中国のメディアは、この “ オメデタイ話題 ” に触れていない。

現在、各地でチベット関連のデモに参加している人の中には、天安門事件でアメリカに逃亡した 「 当時の中国人学生 」 が多く含まれている。

事件に参加した学生や、市民の視点から描かれた本作品を、中国政府が好ましく思わないのは、実情からみて仕方のないところだろう。

誰もが将来の中国について、民主化の波が押し寄せることを予想しているが、急激な変革は 「 社会の混乱 」 を招く恐れがあり、慎重になっている。


少数民族に対する弾圧など、人権問題について追求されると中国は弱く、彼らの 「 ウィークポイント 」 になっていることは明らかだ。

一説によると、中国が北朝鮮を擁護し、崩壊させない理由は 「 すぐ近くに、自分たち以上の “ 人権侵害国家 ” を置いていたい 」 ことにあるという。

つまり、自分たちよりも 「 人権問題に対して劣悪な国 」 が近くにあれば、国際社会の視線を逸らすことができるという考えである。

もし、現状の北朝鮮体制が崩壊してしまうと、一気に非難が中国へ集中し、政府首脳にとっては 「 困った問題 」 を抱えることになりかねない。

そんなわけで、とりあえず中国としては 「 評判の悪い隣国 」 を維持させておきたい思惑があり、それも 「 六カ国協議が進展しない理由 」 の一つだ。






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2008年07月21日(月) 埼玉の父親刺殺 : 不幸だと嘆く心が家人を殺す



「 人生の前半は親に台無しにされ、後半は子によって台無しにされる 」

                    クラレンス・ダロー ( アメリカの弁護士 )

The first half of our lives is ruined by our parents and the second half by our children.

                                Clarence Darrow



故 松下 幸之助 氏 は、社員の採用面接で、以下の質問をしたという。

それは、「 貴方は “ 運がよい ” ですか、“ 運が悪い ” ですか 」 である。


ここで “ 運がよい ” と答えた人は前向きに採用を検討し、“ 運が悪い ” と答えた人は、なるべく採用しない方向で人事が進められた。

幸之助 氏 は、「 およそ、人間の “ 運 ” なんてものは基本的に大差ない 」 という発想で、それを “ 本人がどう捉えるか ” が重要だと考えていた。

ありふれた境遇でも、“ 自分は運がよい ” と感じている人は、この世に生を授けた両親や、育ててくれた周囲に対して 「 感謝の心 」 を持っている。

逆に、“ 自分は運が悪い ” と嘆いているような人は、不平不満や贅沢ばかりに心が囚われ、自分が今まで 「 生かされてきたことへの感謝 」 が無い。

いくら成績が優秀でも、「 感謝の心 」 を持たないような人材では、客商売をする上で支障があり、組織人としても大成しないと、確信していたのである。


19日、埼玉県川口市に住む製薬会社員の男性が、中学3年の長女に刺殺されるという事件が発生し、各局の報道番組で大きく取り上げられていた。

当初は、『 勉強しろ 』 と言われて立腹したなどの動機だけを報じていたが、その後、長女が 『 父が家族を殺す夢をみた 』 と話したことがわかった。

既に被害者が死亡しているし、「 発作的な衝動に基づく短絡的な犯行 」 と判断されるだろうから、この事件は速やかに処理されるだろう。

つまり、「 何の問題もない父親を殺した 」 のか、「 殺さなければ殺されると感じるほどの恐怖 」 が現実にあったのかは、第三者に示されない。

けして、加害者の肩を持つわけではないが、「 普段は真面目な少女 」 だと伝える報道が真実なら、何らかの “ 理由 ” が、そこには存在したはずだ。


産業カウンセラーとして、悩みを抱える若者と話をする機会も多いのだが、最近は 「 自分は “ アダルト・チルドレン ” なんです 」 と語る人がいる。

子供の頃、父親から暴力を受けて育ったとか、母親の愛情が足りなかったことで、それらの体験が 「 トラウマ 」 になっているのだという。

それが 「 事実 」 なのか、「 本人の思い込み 」 なのかは、事情を知らない我々には判別できないので、相談されても黙って聴くしかない。

たとえ本人の思い込みだとしても、幼児期に不本意な育てられ方をしたことについては、たしかに本人の責任とはいえない面があるのだろう。

そして、それは 「 トラウマ 」 として根深く心の中に残り、他人との接し方や、状況判断などに、好ましくない影響を与えている可能性が考えられる。


しかし、自分を “ アダルト・チルドレン ” だと決め付け、そう言い続けたり、思い続けていることが、問題を長引かせている面もあるように思う。

たとえ不幸な境遇に育ったとしても、ある年齢以降については、すべてを 「 親のせい 」、「 環境のせい 」 にすることはできないはずだ。

また、私のように両親を尊敬している者でも、長い人生の中で反撥したり、意見の相違から衝突することが、少なくとも、一度や二度はある。

このところ、親が子供を殺したり、子供が親を殺す事件が多い背景には、嫌な出来事ばかりを心に留め、「 感謝する心 」 の薄い世情を感じる。

悪いことは 「 自分のせい 」 で、良いことは 「 他人のおかげ 」 だと考える習慣をつければ、不運を嘆くこともないし、自ら努力する姿勢が生まれる。






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2008年07月17日(木) 野茂 英雄 「 日本の最高の輸出品 」 の引退



「 彼は “ 日本の最高の輸出品 ” である 」

               ビル・クリントン ( アメリカ合衆国第42代大統領 )

He is " The Japanese best export ".

                     William Jefferson “ Bill ” Clinton



1995年、日本人プロ野球選手が LA・ドジャース とマイナー契約を結んだ。

年俸は、前年度の 1億4000万円 から、わずか 980万円 になった。


プロ野球史において、野茂 英雄 を 「 日本人初のメジャーリーガー 」 だと勘違いしている人も多いが、実は、そうではない。

1964年に、南海 ホークス ( 現 ソフトバンク ホークス ) から 村上 雅則 という投手が野球留学し、その後、メジャーのマウンドに立っている。

54試合に登板し、5勝 1敗 9セーブ という好成績を挙げていたが、南海 と、移籍先の サンフランシスコ ジャイアンツ が 「 保有権 」 を巡って紛糾した。

その結果、65年のシーズン終了後に帰国したが、それから 野茂 が登場するまでの 30年間、メジャーに挑戦する選手は一人も現れなかった。

だから、野茂 が 「 メジャーに行くぞ 」 と言ったとき、どこまで本気なのか、アメリカで通用するのか、その結末は、誰にも想像できなかったのである。


メジャー初年度 の成績は 13勝 6敗、236奪三振で、新人王と、奪三振王の二冠を獲得したが、日米両国で新人王を受賞したのは、彼だけの快挙だ。

翌年は 16勝を挙げたうえ、ノーヒットノーラン の達成や、打者として日本人初の ホームラン を記録するなど、さらに活躍が目立つ一年だった。

当時、人気が低迷し、スター選手の登場を待ち望んでいたメジャーリーグにおいて、野茂 の活躍は大きな話題となり、観客数の増加にも貢献した。

全米の子供たちが、「 トルネード投法 」 と呼ばれる独特の投球フォームを真似るほど、 野茂 は、社会現象を巻き起こすほどの人気者になった。

当時、大統領だった ビル・クリントン は、野茂 を “ 日本の最高の輸出品 ” と形容し、メジャーリーグ界全体の発展に寄与する功績を称えた。


今日までに、日米通算 201勝を挙げた 野茂 が、「 現役引退 」 を発表したことが明らかになり、ファンの一人として、一抹の淋しさを感じる。

本人は、最後まで現役続行を希望していたが、獲得の意向を示す球団は無く、「 これ以上、続けても周囲に迷惑が掛かる 」 と決断したらしい。

成績も立派だが、過去の輝かしい栄光に拘らず 「 野球が出来るのならば、どこへでも行く 」 という真摯な姿勢に、胸を打たれた人も多いだろう。

アメリカの独立リーグ球団や、日本の社会人クラブチームに私財を投資し、未来のプロ野球選手を夢見る子供たちに 「 野球で恩返し 」 もしている。

残念なのは、古巣の LA ドジャース から勝ち星を挙げて、史上二人目の 「 メジャー全30球団から勝利を挙げる快挙 」 が達成できなかったことだ。


彼の功績は、「 野茂 に続け 」 と願う幾多の日本人メジャー・リーガーらの先駆者として、「 日本人はメジャーで通用する 」 と証明したことが大きい。

野茂 が渡米した 1995年 以降、メジャー選手における有色人種の比率は変わらないが、「 黒人選手の割合が半減した 」 というデータがある。

つまり、アジア人や、ヨーロッパ人など、世界中の国々から選手を獲得する習慣が広まり、メジャーが門戸を開いた時期と、野茂 の活躍は重なる。

おそらく本人には、大それた野心などなく、「 ただ野球を続けたいだけ 」 と答えるだろうが、間違いなく、彼には “ パイオニア ” の称号が相応しい。

彼の両親が、どのような願いを込めて命名したのか不明だけれど、彼は、その名前に負けない、永遠の “ 英雄 [ HERO ] ” であり続けるだろう。






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2008年07月16日(水) 中国では、日本よりも韓国が嫌われている事実



「 人を押さえつけている限り、あなたの中の一部も、その相手を

  押さえ続けるために、そこに押さえ込まれざるを得ない。

  つまり、相手を押さえる手を緩めない限り、あなたは飛翔する

  ことができないのだ 」

                  マリアン・アンダーソン ( アメリカの声楽家 )

As long as you keep a person down, some part of you has to be down there to hold him down, so it means you cannot soar as you otherwise might.

                                Marian Anderson



その国の対日感情というものは、およそ 「 政治的な視点 」 で計られる。

それを、貿易などの 「 ビジネスの視点 」 でみると、違う評価が表れる。


仕事柄、中国人と話をする機会も多いが、大半は日本との取引について、「 品質、納期、価格に厳しく、注文のロットが細かい 」 と、不満を漏らす。

急激な経済成長の影響から、中国では人件費が急上昇し、原油など資材も高騰しているので、しきりに 「 値上げ 」 の要望が強くなってきた。

そのため、主力となる生産基地を中国に置く日系企業の多くは、従来と同じコストで製品をつくることが、徐々に難しくなっているはずだ。

中国側は “ 常套句的 ” に、「 日本と商売しても儲からないから、今後は、別の国と商売することを検討している 」 と脅してくることが多い。

受注を断られては困るので、日系企業の中には、従来の 「 中国一辺倒 」 という生産体制を見直し、タイ や ベトナム に移転先を探す企業もある。


ところが、実際に発注を減らしたり、生産を中止すると、強気だった姿勢を崩し、「 できるだけ努力するから、今後も取引をしたい 」 と譲歩してくる。

つい数日前には、「 日本と取引しなくても、いくらでも売り先はある 」 と脅してきたはずなのに、いざ止めるとなれば、態度を一変させてくるのだ。

愚痴や不平不満を並べながらも、彼らが日本と商売したい最大の理由は、日本企業が総体的に 「 代金の支払いがよい 」 ためである。

なかには例外もあるが、日本企業は 「 約束通りの期日に、ちゃんと代金を支払ってくれる 」 という印象が強く、それが大きな信用になっている。

逆に、中国人の間で 「 韓国の企業は、代金の支払いが遅く、下手すれば踏み倒される危険もある 」 という評判が、広く浸透しているのも事実だ。


昨年は、ある中国の地域において、100社近い数の韓国系企業が同時に廃業へ追い込まれるという事態が起きた。

これは、自治体が 「 韓国系企業への融資を引き上げる 」 という強行策に出た影響によるものだが、もちろん、そこに至るまでの経緯があった。

韓国系企業の多くが、地代や税金を滞納し、仕入れ代金を支払わない上、従業員の給料まで遅配するという有様で、放置できなかったのである。

その点、日系企業は 「 優良 」 との評判が高く、不正な会計処理や、不当労働の訴えなども少ないので、就職希望者も多い。

品質に関する要求水準が高いことも、見方を変えると 「 日本企業の仕事をこなせば、技術力が格段に向上する 」 ため、現地では歓迎されている。


政治を中心としたマスコミの報道だけをみると、靖国問題やら、竹島問題、尖閣諸島問題などで、日本は、中国と韓国から嫌われている印象が強い。

それを鵜呑みにし、「 韓国と中国が共同戦線を張り、日本を非難している 」 と思い込むのは間違いで、日本を抑圧し、進歩がないのは韓国だけだ。

中国の実態は、日本人よりも韓国人が嫌われており、日本は一目置かれているのでライバル視され、韓国は最初から相手にもされていない。

つい先日、学校教科書への記載で韓国との確執が再浮上した竹島問題でも、中国人の大半は韓国の肩を持たず、冷ややかに情勢を眺めている。

韓国との竹島問題や、北朝鮮との拉致問題を解決するには、日本が中国との友好を親密化させ、朝鮮半島を孤立化させるのが近道かもしれない。






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2008年07月15日(火) 竹島問題で譲歩しても、日韓関係は進展しない



「 信念は、行動に移さなければ価値がない 」

           トーマス・カーライル ( スコットランドの歴史家、思想家 )

Conviction is worthless unless it is converted into conduct.

                                 Thomas Carlyle



儒教 は、中国の偉大な思想家 「 孔子 」 の教えに基づいている。

特に、朝鮮半島で広まり、日本の儒学者も、朝鮮の儒学者から学んだ。


儒教 の基本は 「 両親や先祖を敬うこと 」 だが、日本の儒学者の大半は、「 親が間違えた場合、それに従う必要はない 」 と、注釈を加えた。

一方、朝鮮半島の儒学者たちは、こうした解釈を認めず、いかなる場合であっても、親を敬い、親に従うことが最も重要だと教え続けてきた。

現在でも、朝鮮半島では 儒教 を 「 生活と国家統治の基本 」 にしており、韓国、北朝鮮ほどに 儒教 の価値観を徹底した国は、他に存在しない。

たとえば韓国人が、年上の人の前で酒を飲むときは、グラスを左手で隠しながら、後ろを向き、背中を見せて飲むのが礼儀とされている。

最近では、親子で酒を飲む習慣も認められてきたらしいが、基本的には、息子が親の前で、酒を飲んだり、タバコを吸うことは許されない。


儒教 の価値観を利用したのが、北朝鮮の 「 主体 ( チュチェ ) 思想 」 で、国家の指導者を擬似的な 「 父親 」 に見立て、絶対的な服従を要求した。

指導者を呼ぶときに 「 お父様である首領様 」 と、「 お父様 」 を形容詞的に付けさせることで、儒教 を妄信する国民へ、服従を強いてきたのだ。

絶望的な飢餓や貧困状態にあっても、北朝鮮の国民が反乱を起こさずに、目立った混乱を避けてこれた原因は、儒教 の伝統によるところが大きい。

いまだに韓国が 「 第二次大戦における日本の戦争責任 」 を問う理由も、尊い先祖の犠牲を、簡単には水に流せないという 儒教 の教えが強い。

日本の戦争責任については、中国も問題にすることが多いけれど、朝鮮の人たちとは違って、こちらは 「 外交のカード 」 として利用するのが目的だ。


このところ、「 竹島 の領有権問題 」 に触れた中学校の新学習指導要領の解説書をめぐり、日韓関係への影響が広がっている。

日本側としては、北方領土と同様に 「 わが国、固有の領土 」 と明記したいところを、反撥を予想し、柔らかい表現にしたつもりが、効果は無かった。

韓国側は、この問題を日本の教科書に 「 記載しただけでも不快 」 らしく、駐日大使を一時帰国させるなど、抗議の意思を表明している。

これを機に、「 日韓関係が悪くなる 」、「 その関係修復に時間が掛かる 」 などの懸念が浮上し、日本政府も対応に困っているらしい。

特に 「 対北朝鮮政策での日韓連携 」 で、支障があるのではないかという点を警戒する声も強く、拉致解決が遅れる可能性を危惧する人もいる。


現実的には、いくら韓国政府に譲歩し、その要求を呑んだところで、儒教 を重んじる韓国が、日本と 「 対北朝鮮政策で連携 」 できる可能性は低い。

彼らが 「 先祖の繋がっている北朝鮮 」 より、日本と仲良くすることは、儒教 の価値観からみれば不自然であって、なかなか難しいものだ。

ここは、韓国の国民感情に配慮するよりも、明確な態度で日本側の主張 ( 竹島 は日本の領土 ) を示すほうが、今後の交渉に プラス である。

また、日本政府は、単に主張を繰り返すだけでなく、武力衝突は望まないにしても、竹島 へ自衛艦を派遣するなどし、「 本気度 」 を示すべきだ。

不法に占拠しても反撃行動を起こさず、気を遣いながら領有権を主張するような曖昧さは、韓国側にとっても疑問の多いところだろう。






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2008年07月14日(月) 「 教師が バカ 」 より、「 親が バカ 」 なほうが不幸



「 子供というものは、天性の物真似上手である。 親が必死になって

  良いマナーを教えようとするのに、親の真似をしてしまうんだから 」

                                   英語のジョーク

Children are natural mimics ; they act like their parents in spite of every attempt to teach them good manners.

                                   English joke



概ね、鳶 ( とんび ) は 鳶 の子を産み、鷹 ( たか ) は 鷹 の子を産む。

だから 「 鳶 が 鷹 を産む ( 馬鹿な親が優秀な子を持つ ) 」 ことは珍しい。


大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、県PTA連合会は、情報開示や早期の信頼回復などを求める要望書を、県教育委員会に提出した。

児童、生徒の中には、「 先生もお金を払っているんじゃないの 」 と、教師に問い掛ける子供もいて、教師の犯罪をどう説明すべきか、対応が難しい。

要望書は 「 教育現場への不信感は計り知れない 」 とした上で、「 合格の水準に達しない教師に教えられた子供が最大の被害者 」 と強調している。

ここまでは問題ないが、ただ、「 大分県の子供の学力に向上がみられない原因も、ここにあるのではないかと思う 」 という指摘は、どうかと思う。

自分の子供の学力に不安を感じるのならば、親が何らかの手を打つべきであり、すべてを 「 学校まかせ 」 にする親の資質も、大いに疑問である。


もちろん、不正は許されることでないし、それが教育現場で起きている点について憤りを感じる心情は、とても理解できる。

ただし、教員採用試験における合否の差が、受け持った児童、生徒たちの学力差に直結するかというと、そこのところは疑問だ。

特に、中学生ぐらいまでは、教師の出来、不出来よりも、親の知性や人柄、教育方針、生活環境などの与える影響のほうが、子供の学力を左右する。

自分の子供に賢くなってほしかったら、親が 「 模範 」 を示すのが一番で、そのような親の下で育った子供は、概ね、水準以上の成績を取れる。

逆に、いくら優秀な教師が指導しても、「 バカ親 」、「 ダメ親 」 の下で育つ子供は、学力や生活態度に “ 問題 ” を抱えていることが多い。


昔から、バカな子供をみれば 「 親の顔が見たいよ 」 などと言うが、実際に親の姿をみると、「 あぁ、なるほどね 」 と思えるケースもある。

近頃、流行する 「 モンスターペアレント 」 のように、学校へ理不尽な要求を押し付ける親や、過保護な親、逆に、育児放棄する親など、バカ親はいる。

あるいは、真面目に働かぬ親、我慢や忍耐に欠ける親など、本人に自覚はないが、その態度が 「 子供に悪影響を及ぼしている親 」 も増えてきた。

最近の教師に不満があるのは、彼ら自身の学力よりも、日教組などによる偏った戦後教育の植え付けや、左翼的な洗脳に関するところが大きい。

不正を糾弾するのは悪いことでないが、マトモな子供を育てたければ、親が模範的な行動を示すことと、偏重的でない教育を施すことが肝要だろう。






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2008年07月13日(日) 常用漢字改訂 「 俺 」 でモメる



「 間延びした教育が社会の進歩のために不可欠なことは認めるが、

  人間の本性には合わない 」

                  ウィンストン・チャーチル ( イギリスの首相 )

Certainly the prolonged education indispensable to the progress of Society is not natural to mankind.

                                Winston Churchill



あらゆる動物にとって “ 進化 ” とは、生きるための知恵を学ぶことだ。

だから、日常生活から目を逸らすような学問は、真の教育といえない。


文化審議会漢字小委員会での 「 常用漢字表改定作業 」 が、来年2月の最終案作成に向け、大詰めに入っている。

人々が日常的に使っている漢字の中には、何らかの理由で常用漢字から外されているものがあり、「 俺 」 という漢字も、その一つに該当する。

常用漢字に 「 俺 」 を含むことへの反対意見としては、「 言葉として汚い 」 など、上品か下品かという評価によるところが大きいらしい。

その他、「 子どもに教えるべきものか 」 などの意見もあって、幅広く浸透しているにも関わらず、その結論は先送りされているという。

子供に教えるべきでないなら、たとえば差別用語のように使用を制限するとか、何らかの措置があってもよいと思うが、そういった動きはないようだ。


私としては、自分自身のことを表現するときに、公的な場面では 「 私 」 を用い、友達同士などの私的な会話では 「 俺 」 を使っている。

それ以外に使うとすれば 「 自分 」 で、おそらく、もっとも使わない表現は 「 僕 」 じゃないかと思う。

若い頃ならまだしも、中年のオッサンが 「 僕 」 なんて口にするのは気持ち悪いし、それなら 「 俺 」 とか 「 ワシ 」 のほうが、まだマシだろう。

たまに、ビジネス文書などでは 「 小生 」 や 「 小職 」 などといった謙譲語を使う人も見かけるが、あまり良い気がしないので、私自身は使わない。

もし、どうしても 「 俺 」 の使用を禁ずるなら、仕方がないので 「 拙者 」 を使うしかないかなと、思ったりもする。


もちろん、常用漢字に含まれないからといって、その使用を禁止されるわけではないが、日頃から使用頻度の高い漢字が外されるのは不愉快だ。

自分も含め、広く大勢の人が愛着をもって使っている言葉が 「 市民権 」 を奪われているようで、なんとなく釈然としないのである。

反対意見もあるだろうが、実際に “ 常用 ” されているのだから、常用語に加えるのは当然の話で、そこから目を逸らすのは間違いだろう。

表現が汚いだとか、品が無いという理由で、「 現実に存在するのに、それを認めず、無かったことにする姿勢 」 は、昨今の学校教育を象徴している。

幼い子供に 「 俺 」 を濫用させたくないのであれば、無視するのではなく、その存在を認めたうえで、適切な使用を教えるのが本来の教育だろう。






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2008年07月12日(土) 北朝鮮と韓国の厄介な関係



「 敵を許すほうが、友達を許すより容易である 」

                 ウィリアム・ブレイク ( イギリスの詩人、画家 )

It is easier to forgive an enemy than to forgive a friend.

                                  William Blake



敵は 「 敵であること 」 を裏切らないが、友情は裏切られる場合がある。

そう考えると、「 敵を許すほうが容易 」 という理屈も、なんだか納得できる。


北朝鮮の景勝地 「 金剛山 」 の海水浴場で、韓国人の女性観光客が軍の立ち入り禁止区域に入り、北朝鮮の兵士に銃で撃たれ死亡した。

事件の報告を受けた韓国政府は、真相究明に向け、現地調査への協力を北朝鮮に求めたが、北朝鮮は 「 責任は韓国側にある 」 と、拒否している。

金剛山は、南北分断による 「 離散家族の再会事業 」 が行われている他、観光客を受け入れる唯一の場所として、窓口の役割を果たしてきた。

北朝鮮には、たとえば2泊3日の場合、一人当たり80ドルの “ 観光料 ” が支払われることになっており、金剛山観光には内外からの批判も多い。

事件後、韓国政府が金剛山観光事業の中断を決めたことを、北朝鮮側が激しく非難している理由も、この “ 観光料 ” が入らなくなるためである。


折しも、北京では6カ国協議が開かれていたが、この事件が協議の趨勢を左右することはなく、予定通り、議事は進行している模様である。

どちらに非があるかはともかく、自国民が相手国の兵士に射殺されるという事件が起きたのに、中断なく外交会議が行われているのは、妙な感じだ。

ときには “ 同胞 ” として庇い、ときには “ 敵国 ” として反撥する北朝鮮と韓国の関係は、世界でも他に類をみない複雑なものとして知られている。

日本にとっても、南北朝鮮の曖昧な関係が、拉致問題を交渉する場面での妨げになったり、経済制裁の効果を弱めたりする影響を受けている。

彼らは、お互いを 「 許せる敵 」 と考えているのか、「 許されざる友達 」 とみているのか、あるいは、また別の関係なのか、理解することは難しい。


1990年代、冷戦時代が終わりを告げ、東欧諸国が次々と崩壊する中で、どうして 「 ベルリンの壁 」 は崩れたのに、「 38度線 」 は残ったのか。

ヨーロッパから社会主義国が消え、なぜ北朝鮮だけ崩壊しなかったのか、その最大の理由は、「 韓国が “ 南北統一 ” を望まなかったから 」 だ。

東西ドイツが統一されたとき、統一ドイツは、旧東ドイツに毎年約10兆円の補助金を出し、不景気や失業で、旧西ドイツ国民の生活水準は下落した。

当時の韓国にとって10兆円は、国家予算の60%に相当する金額であり、この負担を知った韓国世論は、統一への熱気が一気に冷めたのである。

韓国の人口が約4500万人、北朝鮮の人口が約2200万人だから、統一すると、韓国人二人が、北朝鮮人を一人づつ養っていかねばならない。


つまり、韓国人にとって南北統一は理想だが、今すぐ統一すると、韓国人の生活水準は、少なくとも3分の2から、半分ぐらいまで落ちる。

もちろん、一部の韓国系財閥などは、北朝鮮へ出向いて資源を買い漁り、個別には大儲けするが、補助金の支出は莫大で、国家予算は枯渇する。

さらに、100万人を超える北朝鮮の軍隊が武装解除せず、ゲリラ化したり、核兵器を抱えて抵抗すれば、南北統一は、理想どころか 「 悪夢 」 だ。

だから韓国としては、少なくともGDPが現在の1.5倍程度に成長するまで、北朝鮮が崩壊しないように、食糧や肥料を支援せざるえないのである。

韓国と北朝鮮が 「 敵なのに友達 」 という不思議な関係を続けている背景には、このように特殊な事情があり、当面は、この関係が続く見込みだ。






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2008年07月09日(水) 愛煙家に 「 環境問題 」 を語る資格はあるのか



「 ニューヨークで赤ちゃんを散歩させるときに困るのは、

  赤ちゃんの顔に、まともに排気ガスがかかることです 」

                             メリル・ストリープ ( 女優 )

The problem with walking a baby in New York City is that the strollers are at exactly the height of the exhausts on the cars.

                                   Meryl Streep



そろそろ夏の暑さが本格化し、海や、プールが恋しい季節になる。

どこに行っても暑いのだが、水に浸かると、なんだか爽快な気分が甦る。


ことわざの 『 大海の一滴 』 とは、広大な場所に、非常に小さな物があるという意味で、英語の 「 A drop in a bucket 」 と同じように使われる。

海や川の水に、一滴の汚濁があったとしても、大量の水の中で希釈され、その毒性、有害性は、極めて低いものとなる。

大気汚染も同じで、地球を取り囲む膨大な空気の中に、少しの有毒ガスが混じったとしても、自然に攪拌され、やがて気にならないレベルに落ち着く。

ただし、水も空気も、地球全体で繋がっているようにみえるが、実際には、限られたエリアを循環しており、集中的な汚濁は、希釈度に限界がある。

また、新鮮な補充を上回る汚濁の排出は、やがて蓄積され、全体の品質を低下させることが明らかで、そうなった状態を 「 環境汚染 」 という。


環境問題に関する討議をメインテーマとした 『 北海道洞爺湖サミット 』 が、予定された3日間の日程を無事に終えて閉幕した。

二酸化炭素 ( CO2 ) など、温室効果ガスの排出量削減の話し合いでは、主要8カ国 ( G8 ) と新興国の間で、意見の相違が出た模様だ。

G8側は、排出増加を続ける新興国の責任を問い、新興国側は、19世紀後半以降、工業化を先に進めてきた先進国の責任を追求している。

こういった、意見の相違というよりも 「 責任のなすり合い 」 に近い確執や、双方の現実的な利害が対立し、具体的な数値目標は合意できなかった。

特に、新興国にとっては、極端な保全対策が 「 経済成長の阻害要因 」 になる恐れも強く、必要性を認めながらも、簡単には合意できないようだ。


冒頭にご紹介した メリル・ストリープ の何気ない言葉からは、「 赤ちゃんの視点からみた環境問題 」 というものを考えさせられる。

有識者は、科学的な統計に裏付けられたマクロの分析を挙げ、政治家は、それを大局的に解決しようとするが、そこには複雑な駆け引きが絡む。

もっと簡単に、「 どうすれば、赤ちゃんの顔から、タバコの煙や、排気ガスを遠ざけられるか 」 といった、身近な対策から手を付けるべきかもしれない。

愛煙家を非難するわけではないが、幼い子供のいる場所で喫煙しながら、空気を清潔に保つ必要性を説いても、説得力が感じられないのは事実だ。

国家的な取り組みや、産業構造の在り方を議論する前に、各々の個人が 「 自ら環境を汚さない 」 ことが、環境対策の第一歩ではないだろうか。






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2008年07月08日(火) 動き始めた 「 北朝鮮の手先 」



「 どんな決断の場においても、正しいことをするのが最善の策で、

  間違ったことをするのが2番目に良い策で、何もしないことが

  最悪の策である 」

          セオドア・ルーズベルト ( アメリカ合衆国第26代大統領 )

In any moment of decision the best thing you can do is the right thing, the next best thing is the wrong thing, and the worst thing you can do is nothing.

                              Theodore Roosevelt



以前、大阪府職員の給与カットを示す 橋下 知事 に、代表者が激昂した。

彼は、大声で 「 私が何か悪いことをしましたか 」 と、知事 に詰め寄った。


おそらく、この人は 「 何もしなかったこと 」 を “ 善 ” と捉え、幾多の問題を放置してきたことを “ 悪 ” と捉える 府民、知事 とは、発想の根本が違う。

いかにも 「 公務員的 」 という感じではあるが、民間企業の中においても、「 何もしないこと 」 を “ 悪 ” だと認識できない人は、いくらでもいる。

不正を働かない地道な態度は立派だが、「 ただ、そこに存在するだけ 」 で、情熱をもって何かをやり遂げようとする意思がなければ、無用の人だ。

たとえ誤りでも、前向きで情熱的な行動から生じた ミス を、何もしなかった人間に批判する資格はないことを、ルーズベルト の名言は教えている。

公務員も、民間人も、評価は 「 加点法 」 で行うことが望ましく、ネガティブな 「 減点法 」 では、失敗を恐れ “ 何もしない無価値な連中 ” を増やす。


2002年、小泉 総理 は 「 日朝首脳会談 」 で、歴史的な成果を挙げたが、いまにして思えば、そこに数々の ミス や、誤りがあったことも事実だろう。

最大の ミス は、「 拉致被害者全員の帰国 」 を強く要求しなかったことと、北朝鮮による 「 主権侵害 」 を主張しなかったことだ。

当時、日本政府が要求したのは、帰国でなく 「 拉致被害者の安否情報 」 で、安否情報を明らかにすれば、国交正常化交渉を再開すると約束した。

また、国家防衛の観点から 「 日本の領土で起きた拉致は、単なる誘拐でなく、主権の侵害だ 」 という主張を怠った為、優位に交渉できなかった。

当時、一部の政治家やメディアは、それを指摘し、批判していたけれども、しかし、小泉 訪朝 まで、彼らが 「 何もしなかった 」 ことのほうが問題だ。


あのとき、日本の主権を侵害した拉致という “ 犯罪行為 ” を言及し、もっと強硬に 「 返せ 」 と要求していれば、その後の展開も違っていただろう。

北朝鮮側からすると、日本は単に 「 安否情報 」 を求めただけなのだから、それに回答 ( 嘘も多いが ) したことで、「 拉致問題は解決 」 と主張する。

安否情報の確認は、拉致問題の 「 前進 」 ではあるけれど、「 解決 」 とは言い難いわけで、それしか要求しなかった政府の対応は、明らかに誤りだ。

一方、北朝鮮側の ミス は、横田 めぐみ さん が 「 死亡したという嘘 」 を、日本国民が見破り、これほど怒るという計算ができなかった点だろう。

その後の拉致問題に関する交渉が難航している理由も、当時の、日朝の指導者と外交官による 「 判断ミス 」 が影響しているとみて、間違いない。


自民党 の 加藤 紘一 元幹事長 が、日本BS放送の番組に出演した際に、曽我 ひとみ さん らを北朝鮮に 「 戻すべきだった 」 と発言した。

一時帰国の約束を破棄し、永住帰国への方針転換を主導した 安倍 氏 ( 前首相、当時は官房副長官 ) の対応も、「 誤り 」 だと批判している。

最近、日朝間交渉が停滞し、拉致問題が進展していないことへの苦言とも取れるが、この発言に、家族会でなくとも、憤りを感じる国民は多いだろう。

加藤 氏 や、山崎 拓 氏 は、小泉 氏、安倍 氏 を 「 拉致の政治利用だ 」 と批判するが、「 では、貴方は何の貢献をしたのか 」 と問いたい。

小泉 首相 以前の総理が、どうして 「 拉致解決に動かなかったか 」 という理由は、阻む政治家がいたからで、それが誰なのか、明かされつつある。






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2008年07月07日(月) 北海道洞爺湖サミット : アフリカへの支援に関する疑問



「 宇宙船地球号に関する最も重大な事実とは −

  取り扱い説明書が付いていなかったこと 」

                  バックミンスター・フラー ( アメリカの建築家 )

The most important fact about Spaceship Earth :
An instruction book didn't come with it.

                               Buckminster Fuller



冷静に考えれば 「 実現不可能 」 なことを、努力目標に掲げる人がいる。

大部分は、志の崇高さに自己陶酔し、現実を見失った人たちである。


たとえば、「 “ 個性 ” と “ 平等 ” の両立 」 を唱える人などが、その典型的な例で、一見、立派な志に見えるが、実は、支離滅裂で矛盾している。

なぜならば、“ 個性 ” とは 「 他人と違っていること 」 を指し、“ 平等 ” とは 「 他人と同じであること 」 を指す言葉で、両者は相反する関係にある。

人と違うことを認めながら、その一方で、人と同じでなければならないという意見は、ちょっと冷静に考えれば、あり得ないことだと気付くはずだ。

ところが、この 「 個性と平等の両立 」 という思想は、なぜかしら世界中に信奉者がいて、むしろ、多数派意見として扱われることも多い。

主張の根底にある矛盾から目を背け、「 自分たちの意見は正しいのだ 」 と妄信的に思い込んでいるので、なかなか、論理の綻びに気付かれ難い。


主要8カ国 ( G8 ) に、中国、インド、アフリカ諸国などを加え、過去最多となる22カ国の首脳が参加する 「 北海道洞爺湖サミット 」 が開幕した。

ドイツの新聞などは、「 参加国もテーマも多過ぎる 」 と批判しているようだが、地球環境から、経済問題、地域格差など、たしかに過積載だ。

中身が濃いようで、終わってみたら 「 すべてが中途半端だ 」 なんて結果にならなければ良いが、議長が 福田 首相 だけに、少し心配ではある。

世界から貧困や病気を無くそうというスローガンの下、特に、アフリカ諸国への支援を推進しようとする活動も、今回のサミットの特色になっている。

アフリカの人々が、平和で明るく暮らすために力を貸すことは、悪い発想ではないけれど、無意識的に 「 個性と平等の両立論 」 が潜む気もする。


アフリカでは、5歳までに亡くなる子供が16%もいて、その主たる原因は、母体の栄養不足、医師、助産婦の不足、マラリア、エイズなどの病気だ。

多くの土地に水道が無く、子供たちは水汲みや畑仕事の役割を担っているため学校に行けず、恵まれた日本の子供たちに比べると実に過酷である。

こういった問題の元凶は、彼らの抱える 「 貧困 」 に起因しており、先進国の暮らしとの間に 「 不平等感 」 を感じるのも、無理のない話だろう。

しかしながら、では、彼らが貧困生活から脱出するために、日本人と同様の勤勉さをもって働くかというと、そうではない。

野生動物が闊歩する豊かな大自然を犠牲にし、便利な生活を営むために、高層ビルや、都市交通などのインフラを整備することも、彼らは望まない。


つまり、あくせく働かず、のんびりと貧困生活に耐えることは、不幸と言えなくもないが、彼らの望んだ 「 個性 」 でもある。

先進国と 「 平等 」 ではないけれど、アフリカ人ばかりが苦痛を強いられ、先進国に生まれたからといって、苦労がないとは言い難い。

ちなみに、Durex という避妊具メーカーが行った調査によると、日本人の 「 セックス をする回数 」 は、調査国中で最下位である ( 1位はギリシャ )。

アラブ、アフリカは調査の対象外だったが、子沢山の国はアラブ、アフリカに集中しており、1位は西アフリカのニジェールで、平均 7.91人だ。

水が無い、ワクチンが無い、貧困だと言うが、仕事もせずに ○○○ ばかりして、全家庭に子供が8人もいたら、たちまち日本だって貧困国になる。


アフリカに 「 支援するな 」 とか 「 支援しても無駄 」 と言いたいのではなく、「 一時的な支援じゃなく、豊かに暮らす計画性 」 も教えるべきだと思う。

彼らの貧困性は、無軌道に暮らす 「 個性 」 に依るところも大きいわけで、アラブのように石油が沸いて出ることもないから、必然の結果でもある。

豊かな自然や、民族的な個性を奪って、近代化や勤労を強制することにも反対するなら、先進諸国と暮らしに差があり、「 平等 」 でないのも当然だ。

彼らより豊かとされる日本人が、将来を案じて 「 少子化 」 に陥っているというのに、人口爆発を防がず、支援だけするというのは、どうかと思う。

アフリカの悲惨な実情を伝える人は多いけれど、「 そんなに貧乏だったら、○○○ ばかりせずに、少しは働け 」 と諭すことも、先進国の役目だろう。






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2008年07月06日(日) 七夕 サミット



「 人は、いつも恋をしていなければならない。

  それが、結婚をしてはならない理由である 」

                 オスカー・ワイルド ( イギリスの詩人、劇作家 )

One should always be in love. That is the reason one should never marry.

                                   Oscar Wilde



七夕に降る雨のことを、「 催涙雨 ( さいるいう ) 」 という。

昔の人は、それを “ 織姫と彦星が流す涙 ” に譬えたのだろう。


織姫と彦星は仲の良い夫婦だったが、仲が良すぎて仕事に身を入れないため、神様が二人の間に 「 天の川 」 をつくって、引き離してしまった。

ところが、あまりに悲しくて会いたがるため、年に一度だけ、会える日を設けたのが 7月7日 であるというのが、いわゆる 「 七夕伝説 」 の概要だ。

仲の良いカップルを妬み、「 お前ら、イチャイチャすんなよー 」 てな了見の狭さが神の所業だと教えられたのが、私の無宗教の始まりかもしれない。

まぁ、そこまでは深く考えなくても、“ 愛し合う二人が再会できる日 ” として、普段よりロマンチックな気分で、七夕に想いを馳せる人は多いだろう。

ちなみに、雨が降ると、天の川の水かさが増え、二人が会えなくなるという言い伝えがあるので、てるてる坊主をこしらえて、晴天を祈る人もいる。


なかなか結婚しないでいると、異性に対して 「 優柔不断 」 なのだろうとか、いつまでも 「 選り好み 」 をしているとか、あまり良い風には言われない。

実際は、一人の相手に一途でも、「 適度な距離感 」 が欲しいために、同じ屋根の下に住むのを躊躇するという例もある。

織姫と彦星の如く、ベタベタし過ぎて仕事に支障があっても困るわけだし、交際中には気付かなかった相手の嫌な面が見えるのも悲しい。

結婚前には、お互いの魅力に “ ムラムラ ” した二人が、一緒に暮らし始めた途端に、相手の顔が目に入ると “ ムカムカ ” するなんて話もよく聞く。

もちろん、結婚してからも恋人同士のように、お互いを高めながら暮らしていければ最高だが、そうなる保障はなく、ようするに 「 怖い 」 のである。


明日の七夕から 「 北海道洞爺湖サミット 」 が開かれることに先駆け、福田 首相 と ブッシュ 大統領 による日米首脳会談が行われた。

主要テーマである 「 地球温暖化対策 」 や、原油価格高騰などの経済問題と共に、「 北朝鮮による日本人拉致問題 」 の連携を、話し合った模様だ。

日本を除く参加国が、北朝鮮に対して 「 拉致問題より非核化が優先 」 と考えるのも無理はないけれど、日本は議長国として、実情を訴えてほしい。

拉致被害者家族会の苦悩を思うなら、七夕のように、せめて一目だけでも愛する家族との再会が実現できるよう、政府は全力を尽くすべきだろう。

一年一度の七夕でも切ないのに、数十年も引き裂かれた親子の悲しみは、政治的利害を超越して解決すべき問題だということを、主張すべきである。


日米の関係も、「 恋人同士 」 ぐらいが丁度よくて、「 夫婦 」 にまで発展してしまうと、色々と不都合な現象が起きてしまうものかもしれない。

恋人同士なら、相手に愛されたいと願って様々な贈り物をしたり、お互いの好みに合わそうとしたり、夢を語ったり、ときには、わがままを言い合う。

それが夫婦になると、理想よりも現実的な 「 生活 」 に焦点が置かれ、常に 「 隣近所 」 へ気を遣い、表面的な体裁を繕うことが主体になる。

1960年〜80年代の日本は新興国で、アメリカと 「 恋人同士 」 だったが、今は、なんとなく 「 古女房 」 のようになってしまったような気もする。

お互いに、関係は 「 安定 」 しているが、かつてのような 「 魅力 」 を感じておらず、本音を隠して 「 我慢しながら付き合っている 」 ような気配がある。






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2008年07月05日(土) 映画 『 クライマーズ・ハイ 』 が描く、報道の舞台裏



「 ジャーナリズムは、急ぎ足の文学である 」

                マシュー・アーノルド ( イギリスの詩人、評論家 )

Journalism is the literature in a hurry.

                                 Matthew Arnold



1985年8月12日、史上最大にして最悪の航空機事故が発生した。

映画 『 クライマーズ・ハイ 』 は、新聞記者の視点から描く真実の物語だ。


企画の段階から興味を持っていたので、封切初日に劇場へ足を運んだが、観客席には中高年の姿が多く、それぞれに “ あの日 ” を振り返っている。

13年前の夏、乗客乗員524名、うち生存者4名、死亡者数520名という、未曾有の悲劇 「 日航機墜落事故 」 が、日本中を震撼させた。

この映画は、事故の発生から一週間、地元新聞社の記者が奮闘した姿を中心に、命とは何か、家族の絆とは何かを、観客に問う作品となっている。

大筋は事実に基づく作品なので、事故の概略については周知の事実だが、記者たちが “ あの日 ”、何を考え、どう行動したのかが、初めて描かれた。

一般的に、このような作品の場合、事故の凄惨さや、遺族の悲しみなどに重点を置くものだが、本作では、そこに尺数の比重をかけていない。


それよりも 「 新聞社の内幕 」 に物語の主軸はあり、記者のライバル意識、上層部からの圧力、製作と販売の不調和などが、リアルに描かれている。

正義とか人間性などではなく、野心や功名心を原動力とする記者の姿は、けして美しいものではないが、それだけに強烈な真実味が迫ってくる。

全国を揺るがす大事件が地元で起きたとき、地方新聞の記者は何をするのか、実際の紙面に載るまでには、どんな確執や障壁に遭遇するのか。

どうやって記者たちは、あの険しい 「 御巣鷹山 」 の尾根まで登ったのか、そこで見聞きした情報を、どのような方法で編集部に伝えたのか。

事故そのものよりも、事故報道に携わった人々の苦心を描くことで、本作は “ あの日 ” の記憶を人々の胸に甦らせ、心に残る佳作に仕上がった。


自分より10歳ほど若い彼女と観に行ったのだが、子供心に、当時の事故報道は強く印象に残っていて、途中、涙ぐむ場面も何箇所かあったようだ。

鑑賞後、お茶を飲みつつ “ あの日 ” 何をしていたのか、事故の第一報をどこで知ったのかなど、彼女は色々と尋ねてきた。

思い起こすと “ あの日 ” は、アメリカから帰ってきたばかりの頃で、事故の第一報は、夜の八時頃、テレビの臨時ニュースで観た記憶がある。

もう少し詳細に言うと、合コンで知り合った某女性と、「 短時間滞在可能型宿泊施設 」 において、軽い “ 運動 ” の合間に眺めたのが真実だ。

ただ、自分は新聞記者じゃないし、「 真実を伝えることが、必ずしも望ましい結果を生まない 」 と思うので、その点は曖昧に答えておいた。






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2008年07月04日(金) 不景気な時代を、どう乗り越えるか



「 状況が タフ になると、タフ な者が道を切り開く 」

            ジョン・F・ケネディ ( アメリカ合衆国第35代大統領 )

When the going gets tough, the tough get going.

                               John F. Kennedy



昨夜は、京都・貴船の 「 川床 」 で涼を楽しんできた。

お相手は、懇意にしていただいている “ ベテラン経営者 ” の方々である。


不定期的に 「 異業種交流会 」 と題し、日頃、親交の深い企業経営者の方々を、ゴルフや会食に誘うようにしている。

参加費は各自の個人負担だが、仲介役の幹事としては、会場の予約やら、なにより、超多忙な皆さんの日程調整に、毎回のことながら一苦労する。

銀行などが主催する会合と違って小規模だが、それゆえに友達感覚で楽しめ、肩の凝らない和やかさが意外と好評らしく、苦労のしがいはある。

少人数だから、お互いに話す機会が多く、ここで知り合って、後日、仕事やプライベートでの親交を深められ、感謝された例も多い。

すべて私の知人なので、密接な利害関係のある人たちや、競合とおぼしき人たちが同時には参加しないように、その点は最も気をつけている。


特に今回は、60代中心の “ ベテラン経営者 ” が大半だったので、開会の挨拶をした後は、ほとんど裏方に回って、酌をしたり、聞き役に徹した。

時節柄、どなたの口からも 「 不景気 」 という言葉が頻繁に発せられたが、特徴的なのは、「 悲観的な話をしているのに、誰もが陽気 」 という点だ。

この世代は、“ ドルショック ” や “ オイルショック ” など、過去に発生した日本経済の危機を乗り越えてきた人々なので、多少のことでは動じない。

終戦直後の貧しさも知っていて、景気も、人生も 「 良いときがあれば、悪いときもある 」 ことを、実体験として学んできた世代なのだろう。

豊かな時代に生まれ、恵まれた環境に育った若者や、周囲から寵愛され、挫折を知らない人々が 「 初めて壁にぶつかる 」 のとは、大きな差がある。


いま 「 どうして景気が悪いのか 」 と尋ねられたら、原油価格の高騰やら、アメリカのサブプライムローン問題などを理由に挙げる人が多いだろう。

それは理論的に間違っていないが、しかし、「 原油価格が低く、サブプライムローン問題がなかったら、景気は順調か 」 というと、はたしてどうか。

たとえば一年前、大半の人々は原油価格の高値や、サブプライムローンによって深刻な影響を受けていなかったはずだが、景気は良かったのか。

つまり、机上論で言うと正しく見える論理だが、それは 「 ただの言い訳 」 に過ぎないのではないかという疑問を、私は感じている。

大不況だとか、好景気だとマスコミは騒ぐが、何もかも 「 世の中のせい 」 にしないで、自分の足元を見つめることが大事なのではないだろうか。


昨年と同じテストを今年も実施する際、昨年の合格点は60点だったけれど、今年は70点になったとしたら、今年は 「 難易度が高い 」 ことになる。

ただ、90点を取れる人にとっては、今年も去年も同じ結果なわけで、40点しか取れない人にとっても、やはり、今年と去年で同じ結果が生じる。

命運が分かれるのは 「 60点〜69点の人 」 と思いがちだが、実際には、「 自分の力と合格点の差 」 を埋める努力をしたかどうかが、分かれ目だ。

景気が悪くなったから困っている、就職・転職が難しい、会社からリストラの対象にされそうだという人は、そこのところをよく反省すべきだろう。

つまり、この種の人が自覚しないといけないのは 「 自分の実力のなさ 」 であり、難易度の上昇を嘆くより、そこでも通用するように精進することだ。


京都に集まった60歳代の経営者を眺めながら改めて感じたのは、彼らがそれぞれ 「 厳しい状況下に適応できるよう精進してきた 」 という事実だ。

けして、時代が良かったから、景気が良かったからだけではなく、度重なる苦境を乗り越えて、精進してきたからこそ、今日の自信に繋がっている。

昔の苦労話を聴くと、彼らも 「 お前には実力がないから、こんな仕事しかできないんだ 」 と言われ続け、歯を食いしばって頑張ってきたという。

仕事がうまくいかない人の大半は “ 自己過大評価 ” が拭えず、「 自分の本当の力を知って、しっかり努力する 」 という心がけが欠けている。

難解な専門用語を駆使して、経済の現況を解説するのもよいが、分析だけでなく 「 タフな時代に、君はどう行動するの 」 という答が必要だろう。






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