Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年06月29日(日) フィレンツェ 大聖堂 に 「 落書き 」 をする日本人



「 野球は教会と同じだよ。

  やってくる人は多いけど、理解している人間は、ほとんどいない 」

                 レオ・ドローチャー ( アメリカ大リーグの監督 )

Baseball is like church. Many attend.  Few understand.

                                  Leo Durocher



レオ・ドローチャーは、大リーグの監督として通算2008勝を記録している。

太平洋クラブ・ライオンズ ( 現 : 西武 ) の監督就任直前、病気で倒れた。


フィレンツェの世界遺産登録地区にある 「 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 」 の壁に、日本語の落書きが多いことが報道されている。

既に判明した 「 京都産業大 」、「 岐阜市立女子短大 」 の学生ら以外に、今度は 「 私立常磐大高 」 の野球部監督が書いた落書きが見つかった。

監督は以前、新婚旅行でイタリアを訪れており、この際に落書きしたことを認めているため、同校は、この監督を解任した模様である。

たかが落書きかと、軽く考える人も多いようだが、間違いなく 「 国宝級 」 の建造物を、傷つけたり、汚したのだから、それは立派な犯罪だ。

特に、学生を教育したり、指導する立場の人間には 「 あるまじき行為 」 であって、本来なら解任どころか、刑事罰の対象に問われる事案である。


4年前、イタリアを旅行した際にフィレンツェも立ち寄り、大聖堂や美術館を巡ったが、世界遺産級の絵画や建造物が意外と無防備なことに驚いた。

手を伸ばせば届きそうなところに、歴史的な巨匠の作品が展示されており、盗むのは無理だとしても、その気になれば “ 落書き ” は可能だろう。

ところが、その大半が キリスト教 に関する 「 宗教芸術 」 であることから、当地を訪れる人々の大部分は、天罰を恐れてか、そういう真似をしない。

私のように信仰心が薄い者でも、あの荘厳な雰囲気の中に立てば、厳粛な気配と歴史の重みに圧倒され、邪な気持ちは消し飛んでしまうものだ。

偉そうに道徳心を説くつもりはないが、あの場に際し “ 記念に落書きでも ” という発想が浮かぶのは、よほど幼い 「 子供 」 だけのように思う。


たとえば皆さんが、自分の子供に日本の歴史や、古来の伝統と文化を体験させようと、京都、奈良などの神社、仏閣を、家族連れで訪ねたとしよう。

そこで、金閣寺や東大寺の壁面が、ハングルや、ロシア語など、子供には見慣れない文字による “ 落書き ” で埋め尽くされていたら、どう感じるか。

悪いのは 「 落書きをした個人 」 だと、頭では理解しているものの、衝動的に 「 くそー、○○人 め 」 と、その民族全体に、怒りの矛先が向きやすい。

それと同じで、このような悪戯を放置すると 「 日本の恥 」 であると同時に、「 日本人の品位、知的水準 」 だけでなく、「 対日感情 」 も貶めてしまう。

この問題は看過せず、外務省を通じて旅行代理店などに呼びかけ、冒頭の名言が示す通り、「 行くからには、そこがどんな場所か 」 を教育すべきだ。






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2008年06月28日(土) コンビニ 深夜営業自粛 は 「 環境に効果なし 」



「 不統一こそ、問題の根源である。

  現代の入り組んだ工業社会においては、他社の抱える問題の重荷を

  共有せずして、どんな企業も成功できない 」

              エイン・ランド ( ロシア系アメリカ人作家、哲学者 )

Disunity, that's the trouble. It's my absolute opinion that in our complex industrial society, no business enterprise can succeed without sharing the burden of the problems of other enterprises.

                                     Ayn Rand



自分の都合や、少ない情報だけを根拠に、物事を決め付ける人がいる。

昔から、そういった 「 視野の狭さ 」 が、誤った結論を導き出すことも多い。


コンビニ業界が、一部の自治体による 「 深夜営業自粛 」 を求める動きに対して、「 自粛してもCO2の排出削減効果は少ない 」 と反発している。

現在、コンビニで24時間営業しない店舗は全体の 約 5% にしか過ぎず、深夜営業をやめれば 15〜20% の売り上げ減につながる見込みだ。

日本のCO2総排出量のうち、コンビニ全体の占める割合は 0.2% だが、なぜ、さほど比率が高いとも思えないコンビニだけが、標的にされるのか。

深夜営業をしなくても、商品の劣化を防ぐために冷蔵設備などは稼動しているのだから、夜間のCO2排出量が 「 0 」 になるわけではない。

また、たとえば外食店など、24時間営業の店舗は他業種にもみられるが、コンビニだけを槍玉に挙げるのは、業界が不公平感を持って当然だ。


環境保護を名目に、コンビニの深夜営業自粛を求める自治体、一般人の意見には、いづれも 「 コンビニの深夜利用客 」 への偏見が感じ取れる。

朝から夕方まで働く人々には、「 コンビニの深夜利用 = 夜遊び需要 」 と捉えがちな人も多いが、実際には、早朝、深夜にせっせと働く人もいる。

彼らから見れば、むしろ 「 昼間は他の店舗も開いているのだから、深夜にこそ、コンビニの利用頻度が高い 」 わけで、深夜営業への期待は高い。

真夜中でもコンビニが開いているおかげで、夜間の長時間労働において、空腹をしのげるという人々の数は、けして少なくないだろう。

近頃では、トイレを貸してくれる店舗も多いので、タクシーの運転手さんや、道路工事の作業をする人、それを警備する人など、様々な利用者がいる。


もう一つの偏見は、コンビニが深夜営業しているため、ガラの悪い若者が集まったり、あるいは 「 コンビニ強盗 」 が発生するといった危惧だ。

わからないでもないが、国民生活が 「 夜型 」 になったのも、治安が悪化して物騒な世の中になったのも、コンビニの深夜営業が原因とは考え難い。

つまり、コンビニが深夜営業を自粛したとしても、無軌道な連中が大人しく家にいるとは思えず、それで治安が良くなる見込みはない。

逆に、女性が夜道を一人で歩いているとき、不審者に追われた場合など、深夜営業のコンビニがあれば、逃げ込んだり、助けを求めることもできる。

防犯上の観点からみると、人気が無く真っ暗な状態よりも、深夜でも灯りが点り、営業しているほうが、おそらくは安全だろう。


もちろん、地球温暖化への取り組みは必要なのだが、いまのところ、政府も自治体も、企業も個人も、「 実効性 より パフォーマンス 」 が目立つ。

先日も、百貨店で エコバッグ を買って、丁寧に包装してもらっている女性を見かけたが、意気込みだけが空回りして、具体的な目標意識が低い。

コンビニの深夜営業を中止すると、昼間の配送が渋滞を引き起こすことになって、逆に、今までよりCO2が増える可能性もある。

目立つ象徴を掲げて、取り組みをアピールしたい気持ちや、とりあえずは 「 手を付けやすいところから 」 という心情も察するが、その効果は乏しい。

まるで 「 イジメ 」 のように、コンビニ業界だけを目の敵にして、彼らの被る経済的損失を上回る効果はあるのか、各自治体は検証すべきだろう。






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2008年06月27日(金) 半泣きで髪を切る “ 旬 ” の人



「 人は、見ようと思うものしか見ない 」

          ラルフ・ウォルドー・エマーソン ( アメリカの作家、思想家 )

People only see what they are prepared to see.

                            Ralph Waldo Emerson



なぜか昔から 「 髪型 」 にだけは、こだわらない性質である。

特定の理髪店や美容院を決めず、暇なとき、テキトーに切ってもらう。


店に入ると、大抵 「 今日は、どんな感じにしましょうか 」 と尋ねられるが、大体の長さを指定するぐらいで、後は “ おまかせ ” にしている。

切る人の熟練度にもよるだろうが、素人である私が細かく指示するよりも、プロに任せておいたほうが、顔立ちや輪郭に合う髪型を仕上げてくれる。

大半は、店に入ってきたときと同じような髪型で、全体的に短くされる程度だから、特に望まなければ、それほど大きな変化は生じない。

そう信じているので、あれこれ注文はつけないが、「 これは失敗だなぁ 」 と感じる “ ハズレ ” の店もあり、そんな時は間を空けずに別の店で切る。

水曜日、仕事の合間に暇が出来たので、“ 土日は予約で埋まるらしい ” と、オフィスの近くで評判の美容室へ、ふらりと訪ねることにした。


清潔で明るい今風の店内に入ると、愛想の良い受付係が手際よく対応し、待ち時間もなく座席に案内され、すぐに、担当の美容師さんが現れた。

こちらは素人なので、技術的な背景はわからないが、テレビや雑誌で目にするような 「 カリスマ美容師 」 の風格を備えた、30代の女性である。

どのあたりが “ カリスマ っぽい ” のかというと、まず、服装が オシャレ で、背が高くてスタイルが良く、セクシーだが品のある顔立ちが、そう思わせる。

簡単な挨拶の後、いつものように主旨を伝えると、早速、作業が開始され、鏡越しに眺めると “ なかなかの美人 ” なので、少し得した気分になった。

しかし、印象が良かったのは最初だけで、髪を切ってもらったり、お互いの会話が進む中で、徐々に、「 なんか変だぞ 」 という印象が深まっていく。


初めのうちは気にもならなかったのだが、「 5分に一回 」 ぐらいの間隔で、私の左頬から顎のあたりに、彼女は、手の平を ペタペタ と当てる。

理髪店と違って、美容院の場合は髭を剃らないから、顔を触られる理由は無いはずなのに、何度も、何度も、ペタペタ が繰り返されるのだ。

撫でる程度の強さだから痛くはないし、中年男を相手に 「 セクハラ 」 というわけでもないだろうが、理由がわからないだけに、どうも不気味である。

気になって観察してみると、どうやら、左の後頭部、右後頭部、左頭頂部、右頭頂部といった具合に、部分毎の調髪が終わる度、ペタペタ とやる。

お正月の 「 餅つき 」 じゃないんだから、やめて欲しいのだが、「 触るな 」 とも言い難く、結局、ずっと最後まで ペタペタ は続いた。


また、ある程度の分量を切る度に、髪全体を クシャクシャ と 「 久しぶりに親戚の小学生に遭った叔父さん 」 のように、いきなり撫で回す。

アテレコを入れるなら、「 ヨッ! 坊主、大きくなったなぁ 」 といった具合で、この動作も、あまり 「 大人の客にする態度ではない 」 ように感じる。

その上、『 ペタペタ 』 やら 『 クシャクシャ 』 と同時に、小声で 「 よしよし 」 とか、「 スッキリしたねー 」 などと、独り言のように呟くのである。

馬鹿にされているとか、不愉快といった感じでもないけれど、見ず知らずのセクシーな美女にされると、なんだか不気味で居心地が悪い。

あるいは、一部の男性客から 「 マザコン心を刺激される 」 と好評なのかもしれないが、普通は 「 気持ち悪がられる 」 のではないかと思う。


会話の中で、 “ 変 ” に感じたのは、「 お客さん、誰かに似ていると言われませんか 」 という質問をされたときである。

質問自体は “ 変 ” でもないし、昔から 「 世の中には、自分に似ている人が三人いる 」 と言われるように、世間には、よく似た人物が存在する。

私の場合、30代前半 ( 痩せていた ) は 永瀬 正敏 に、後半以降 ( 恰幅がよくなってきた ) は 赤井 秀和 に似ていると、よく言われる。

だから、似ている対象が 赤井 秀和 ということなら、この質問も “ 変 ” ではないのだが、彼女の口から出た名前は、「 オグリ シュン 」 である。

思わず 「 おっ、おっ、オグリ シュン て ?! 」 と奇声を上げ、椅子から転げ落ちそうになったが、彼女のほうは、冗談を言っている様子でもなかった。


冷静さを取り戻したところで、やんわり 「 貴女の言う “ オグリ シュン ” と、私の知る “ 小栗 旬 ” が同一人物なら、似ても似つかない 」 と答えた。

それでも 「 赤井 秀和 のほうが似ていない 」 と主張して、譲らないのだが、冒頭の名言が示す通り、そう思い込んだら、そうしか見えないようである。

何事も 「 思い込み 」 というのは恐ろしいもので、鏡の真横に彼の写真でも並べれば一目瞭然だが、曖昧な記憶を断片的に繋ぐと異様な結論になる。

彼女が、「 絶対、似てるって、他のスタッフにも聞いてみようか 」 と動くのを必死で止め、「 お願いですから、勘弁してください 」 と、半泣きになった。

料金を支払うとき、儀礼上 『 ポイントカード 』 を受け取ったが、記憶喪失にでもならないかぎり、二度と来店することはないだろう。






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2008年06月26日(木) アメリカ が 北朝鮮 の 「 猿芝居 」 に付き合う理由



「 人は、目の前にいる友人だけでなく、そうでない友人のことも

  忘れるべきではない 」

       ディオゲネス・ラエルティオス ( ギリシャの哲学者、歴史学者 )

Men ought to remember those friends who were absent as well as those who were present.

                               Diogenes Laertius



罪なき同胞の “ かくも長き不在 ” を軽んじる者は、国民の資格がない。

政治家であろうと、民間人であろうと、それは同じことだ。


ブッシュ米大統領は26日、記者会見にて 「 北朝鮮による核申告の提出を受け、“ テロ支援国指定の解除 ” を議会に通告する 」 と発表した。

今後の45日間、北朝鮮による申告検証への協力が認められれば、そこでテロ支援国指定の解除が発効され、様々な “ 圧力 ” が消滅する。

特に、指定が解除されれば、世界銀行などによる融資や経済援助が可能となるため、経済危機にあえぐ北朝鮮としては、千載一遇の好機となる。

北朝鮮を経済的に追い詰め、拉致問題の交渉を有利に運ぼうとする日本にとって、これは間違いなく痛手であり、「 大きな後退 」 となるだろう。

福田 首相 は、拉致問題への影響を否定しているが、どうみても日米間の連携を崩さないための抗弁であって、素直に信用できるものではない。


なんとも残念な決定だが、「 日本政府が裏切った 」 とか、「 アメリカ人は、日本の拉致問題に関心が薄い 」 と決め付けるのは、少し違う気がする。

アメリカに住む友人の談によれば、おそらく、大半の日本人が想像しているよりも、意外と日本の拉致問題は、現地の人々に広く知られている。

事実、上院でも下院でも、北朝鮮へのテロ支援国指定の解除に対し、特に日本の拉致問題を理由として、反対する動きが高まっているらしい。

しかしながら、任期満了まで時間のない ブッシュ 大統領 が、その声に耳を傾ける期待は極めて低く、米朝関係の進展を止めることはできないだろう。

日本政府、閣僚の中に 「 裏切り者 」、「 売国奴 」 は間違いなく存在するが、しかしながら、今回の決定が彼らの暗躍によるものとも考え難い。


では、どうして米国は、日本の国内世論、国民感情を逆撫でし、日米関係を悪化させるリスクを冒してまで、北朝鮮との国交正常化を急いだのか。

まず、北朝鮮との交渉窓口を務める クリストファー・ヒル 国務次官補 が、先の見えない 「 交渉の成果 」 を焦り、結論を急いだ点が考えられる。

以前にも彼は、日本人からみれば容易に納得できぬ “ 虚偽の報告書 ” をまとめ、本国に提出し、強引に制裁解除を進めようとした前科がある。

そして、今回の解除案を ブッシュ 大統領 に進言した ライス 国務長官 は、昔から 「 日本嫌い 」 で知られ、彼女が ヒル に手を貸した可能性が高い。

ブッシュ 大統領 自身は 「 親日派 」 だが、任期が切れる前に、外交上の成果を残したいという思惑があるため、“ 三者の利害 ” が一致した形だ。


つまりは、アメリカの国策というより、北朝鮮との交渉窓口に当たる三者の 「 個人的な理由 」 に、この問題は大きく左右されたという見方が強い。

拉致という重大な人権問題を “ ないがしろ ” にされた怒りは、家族会だけに止まらず、国民全体まで広く浸透し、その矛先は政府に向くだろう。

しかし、拉致問題の解決を棚上げし、ないがしろにしてきたのは 「 今日に始まったこと 」 でなく、今までも、ずっとそうだったわけである。

せっかく中国との関係が良化し、北朝鮮と 「 その気になれば、交渉しやすくなった 」 のに、意気に感じる政治家、官僚がいないのは、残念の極みだ。

ちなみに、「 北朝鮮の手先 」 と異名をとる 山崎 某 氏 あたりは、アメリカに先を越され、手柄をアピールする機会を失したので、悔しがっているらしい。






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2008年06月25日(水) グッドウィル だけでない派遣の問題点



「 人生が与えてくれる最高の宝物は、なんといっても、する価値のある

  仕事に打ち込めること 」

          セオドア・ルーズベルト ( アメリカ合衆国第26代大統領 )

Far and away the best prize life offers is the chance to work hard at work worth doing.

                              Theodore Roosevelt



なぜ、職業選択の自由があるのに、“ する価値のない仕事 ” を選ぶのか。

仕事が嫌、面白くない、やりがいが無いという心理は、理解し難いものだ。


たとえば、家業を継ぐ責任があるために、希望する職種に就けなかったのならまだしも、自分が選んだ企業に入り、「 仕事が嫌 」 と愚痴る人がいる。

こういうタイプの人は、他人の境遇を妬んだり、羨ましがったりするけれど、何の職業に就いたところで、結局、人並み以上の活躍はできない。

ビジネスマンの資質や、将来性を判断する場合、業績の良し悪しよりも、「 仕事が楽しいか、否か 」 という尺度が、重要な評価材料となる。

もちろん、ときには少し嫌になったり、投げ出したくなることもあるだろうが、それを乗り越え何度でも挑戦する姿勢があるのか、その違いは大きい。

自分の仕事を 「 生活の糧を得るための手段 」 としか考えられない人は、いくら頭が良くても、何かの才能があっても、ビジネスマンとしては失格だ。


グッドウィル・グループ ( 堀井 愼一 社長 ) は、子会社で日雇い派遣事業最大手の グッドウィル を、7月末で廃業する決議を発表した。

二重派遣問題で、厚生労働省が同社の派遣事業の許可を取り消す見通しとなったことなどから、「 事業の継続は困難 」 と判断したらしい。

派遣する約7000人の労働者は、顧客企業での雇用継続や、同業他社の受け入れを呼びかけ、内勤従業員約4100人は、事実上、解雇される。

同グループは、介護事業でも不祥事の発覚から撤退を余儀なくされたが、200億円超で売却予定だった老人ホームの交渉は進んでいない。

それに加え、100億円規模での売却を予定していた グッドウィル が廃業に追い込まれたことで、グループ全体の経営再建も暗礁に乗り上げそうだ。


小泉 内閣 の 「 負の遺産 」 として、高齢者問題などを挙げる人は多いが、私自身は、無軌道な 「 労働者派遣法の規制緩和 」 に疑問を感じていた。

労働者派遣法を緩和したことで、正社員の雇用が減り、悪質な業者による違法行為が放置される結果になることは、最初からわかっていた話だ。

人件費を節減することで、企業は一時的に利益を得られるけれど、国中に ワーキング・プア が増えると、当然、総体的な購買力は低下してゆく。

つまり、すべての企業が 「 輸出で儲けている 」 わけではないから、労働者の所得水準が下がると、購買力が減って内需が落ち、景気は低迷する。

言葉は悪いが、企業と労働者を仲介する派遣業者の “ ピンはね ” を促進するだけの悪法に、当時は、なぜか異を唱える人が少なかったのだ。


正社員が偉いとか、派遣社員は劣るとか、雇用形態の違いだけで個人の資質を比較することはできないし、そうすることが正しいとは思わない。

事実、何の情熱も無く 「 月給泥棒 」 と化している正社員もいれば、企業や、社会の役に立つ仕事を、活き活きと立派にこなす派遣社員もいる。

ただ、多くの人が “ する価値のある仕事 ” と感じる業務は、確率的にみて正社員のほうが機会を与えられる傾向にあり、選択の幅も広い。

雇用する側も、正社員の場合は 「 個人 」 に目を向け、人材を育てるという意識が強く、派遣社員の場合は 「 一時的な労働力 」 としか評価しない。

長期的な国家の利益を鑑みると、無軌道に派遣制度を浸透させることは 「 マイナス面 」 が大きく、派遣制度の在り方を見直すべきだと思う。






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2008年06月24日(火) 飛騨牛偽装 : 主犯と共犯者



「 一部の人たちを常に、あるいは、すべての人たちを一時的に騙す

  ことはできるが、すべての人たちを常に騙すことはできない 」

         エイブラハム・リンカーン ( アメリカ合衆国第16代大統領 )

You can fool some of the people all the time and all the people some of the time, but you can't fool all the people all the time.

                                Abraham Lincoln



誰でも、「 嘘つきは泥棒の始まり 」 だと、戒められた経験があるだろう。

だが、「 生涯で一度も嘘をついたことがない人 」 など、いるのだろうか。


欧米に比べて、日本人男性は 『 愛してる 』 と囁く機会が少ないというが、視点を変えると、これは 「 正直者が多い 」 ことの証明かもしれない。

ただ、女性にとっては、たとえそれが “ 嘘 ” だとしても、「 愛してる 」 とか、「 素敵だ 」 とか、「 離さないよ 」 と、囁いて欲しい時があるようだ。

もちろん、結婚詐欺のように、恋愛関係を偽装して金品を奪取する目論見の嘘は許されないが、普通の恋愛において、多少の嘘は看過される。

むしろ、正直に徹するあまり、「 君のことが好きだとは思うが、愛してるかというと、100%の自信は無い 」 など言っておれば、恋愛が先に進まない。

恋愛に嘘はつきものだが、最近、お腹が痛い理由は 「 嘘ついたら針千本飲ます 」 と約束し、胃が “ 剣山 ” のようになっているからだろうか。


ビジネスの世界で、法に触れる嘘とは、原則として 「 契約 」 が履行されなかったり、その実態が、当初の条件に反する場合などが考えられる。

岐阜県養老町の食肉販売会社 『 丸明 ( まるあき ) 』 は、ブランド和牛の 『 飛騨牛 』 を偽装表示していた問題で、世間を騒がせている。

24日、吉田 明一 社長 は、農林水産省と岐阜県の聞き取り調査に対し、格下の肉を混ぜて販売するよう、従業員に指示したことを認めた。

ただし、愛知県産の牛肉を岐阜県産と偽ったとされる “ 産地偽装問題 ” については関与を認めず、この点が従業員の証言と食い違っている。

断定はできないが、従業員が自発的に偽装する 「 動機 」 は思い当たらないため、経営者側の主張に疑問を感じている人が多いだろう。


不二家、赤福餅、船場吉兆など、一連の 「 食品偽装問題 」 が発覚したことで、従来の悪習を反省し、襟を正した企業も多いと聞いている。

本気で改心しなくても、「 全従業員の口に “ 蓋 ” はできぬ 」 ことぐらいは、よほどの馬鹿でなければ理解できたはずである。

この事件では、社長と従業員が “ 口汚く罵り合う姿 ” まで報道されたが、偽装ブームに便乗して告発するまで、黙っていた従業員もどうかと思う。

経営者が主犯なら、従業員は共犯、被害者は消費者であるという認識を、告発した従業員の方々も、けして忘れないでいて欲しいものだ。

いづれにせよ、詐欺や犯罪の類は 「 共犯者が多いほど、発覚しやすい 」 ものであり、その規模が大きくなるほど、隠し通すことは難しいのである。






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2008年06月23日(月) 結局、「 かまってほしかっただけ 」 かよ



「 誰だって友達が欲しい。 肩を組んで一緒に笑いたい 」

                               黒柳 徹子 ( タレント )

Everyone wants a friend. Everyone wants to laugh together with arms around each other's shoulders.

                              Tetsuko Kuroyanagi



先日、新作映画のプロモーションで、ハリソン・フォード が来日した。

66歳にして、今も精力的に仕事をこなしているようだ。


銀幕では、秘宝を探して世界中を旅する “ インディ・ジョーンズ ” を演じている彼に、報道陣の一人が 「 あなた自身の宝物は? 」 と質問した。

すると彼は、ごく自然に 「 家族 と 友達 」 と答え、手を挙げて微笑みながら レッドカーペット を足早に通り過ぎて行った。

私も含め、多くの人々にとって 「 人生の宝物 」 とは、家族や友人の存在であり、彼らの支えがあってこそ、今日の自分があることを知っている。

小学生の頃、学校の先生が 「 人生とは、友達をつくる旅だ 」 と話してくれた記憶もあるが、事実、自分の人生を振り返ると、その通りだったと思う。

普段は照れ臭くて言えないけれど、家族や、友達がいなければ、色の無い景色を眺めているような、そんな味気ない人生だったはずだ。


世間を見渡すと、親が子を殺したり、子が親を殺したり、あるいは兄弟で、友達同士で、お互いを傷つけ、殺し合う事件が後を絶たない。

最も深い愛情や、絆で結びついているはずの家族や、友達を、憎んだり、妬んだりして、正常な神経の持ち主には、理解不能な現象が起きている。

彼らは 「 家族が憎い 」、「 友達など要らない 」 と公言し、良識ある人々は眉をひそめるが、実は 「 愛情 と 憎悪 」 は、紙一重の関係にある。

家族や友達に対して、自分の “ エゴ ” やら “ 甘え ” が通用しなかったり、愛情に応えてくれないと感じると、それを 「 裏切り 」 と解釈する人がいる。

医者からは 「 人格障害 」、一般人からは 「 ひねくれた奴 」 と評価される彼らだが、実は、家族を愛したい、友達が欲しいという欲求を持っている。


秋葉原の連続殺傷事件が起きてから、ネット上の悪質な 「 殺人予告 」 に対する取締りが強化され、連日のように摘発が行われている。

彼らは共通して、逮捕された当初には 「 親が憎い、世間が憎い 」 と動機を述べ、取調べが進むにつれ 「 友達が欲しかった 」 などと弱音を語る。

社会に適応できないジレンマを、親兄弟や世間など “ 他責 ” のせいにし、まるで革命家のような発言をするのだが、反論されると論旨が破綻する。

そして最後には、「 家族にかまってほしかった 」、「 周囲から関心を持ってもらいたかった 」、「 友達が欲しかった 」 と、弱々しい本音を吐露する。

家族に愛されるには、友達をつくるには “ どうすればよいか ” という努力を怠り、身勝手で一方的な親愛を希求する連中が、広く増殖した結果だ。


基本的に、「 殺人予告 」 をする輩も、頻繁に 「 自殺 」 をほのめかす輩も、精神構造は同じで、周囲から 「 かまってもらいたい 」 のである。

目的が 「 殺人 」 とか 「 自殺 」 にあるのなら、予告せず、黙って実行したほうが、明らかに成功率は高いはずだ。

彼らの目的は 「 興味をひくこと 」 であって、犯罪を成し遂げることではないが、誰も興味を示さなかった場合、ひっこみがつかなくなってしまう。

事実、秋葉原事件の犯人も、「 ネットに計画を書き込んだ時点で、誰かに止めて欲しかった 」 と述懐しており、当初から “ 本気 ” ではなかった。

家族を愛せないのも、友達がいないのも 「 お前の性格が悪いせいだ 」 というだけの話なのだが、なんとも迷惑な連中が増えてきたものである。






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2008年06月22日(日) 「 風刺 」 の意味も知らない朝日新聞



「 新聞の中で、唯一、信頼に足る真実を含む箇所は、広告である 」

           トーマス・ジェファーソン ( アメリカ合衆国第3代大統領 )

Advertisements contain the only truths to be relied on in a newspaper.

                               Thomas Jefferson



携帯電話が無いと、ただの一日でも “ 不安でたまらない ” 人がいる。

そんな人には、「 無くても死にませんよ 」 と、慰めてあげることにしている。


時代と共に、人々の必需品は変遷するもので、「 情報を入手するツール 」 についても、古くは新聞から、ラジオ、テレビ、ネットへと移り変わった。

もちろん、テレビやネットを利用する人も、新聞やラジオを併用するけれど、新しい利器が開発される毎に、古い道具は、その価値を減少させていく。

世代交代の波を逃れて、古い道具が生き残るためには、新たな活用法を生み出して浸透させるか、「 伝統的な価値 」 を再認識させる必要がある。

もちろん、作り手側が勝手に 「 伝統的な価値 」 だと思い込んでるだけで、一切、利用者側が評価しないモノは、何の役にも立たない。

そのあたりが、「 わかっているようで、わかっていない 」 ことも多く、怠惰な試行錯誤を重ねながら、いつしか衰退の運命を辿るのが世の常である。


朝日新聞は、18日付夕刊の 『 素粒子 』 欄で 鳩山 法相 に触れ 「 二カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神 」 などと記載した。

もちろん、死刑囚は 「 死に神 」 に連れ去られたのではなく、刑法の規定に基づいた 鳩山 法相 の指示に従い、刑務官により死刑が執行されている。

この記事に対して、鳩山 法相 は 「 私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う 」 と、同新聞社への怒りを露にした。

記事掲載後、朝日新聞には 約1800件 の抗議や意見が寄せられたが、大半は 「 法相は職務を全うしているだけ 」、「 ふざけすぎ 」 という内容だ。

朝日新聞社広報部は抗議数を回答したが、「 特にコメントはありません 」 と、今日まで明確な回答を避け、公式な謝罪は行われていない。


21日夕刊の素粒子では、抗議が千件を超えて寄せられたことを明かした上で、「 死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです 」 と説明している。

また、「 風刺コラムはつくづく難しいと思う 」 とし、「 法相らを中傷する意図はない 」、「 表現の方法や技量をもっと磨かねば 」 と文章を繋いだ。

死刑執行数が多い理由は、「 死刑に相当する罪を犯した者が多い 」 からであって、何の罪もない人々を次々と処刑しているわけではない。

それに、風刺コラムを難しいと認識し、表現方法の稚拙さや、技量の不足を感じているのなら、二度と 「 風刺コラム 」 など書くべきではないだろう。

湾曲に 「 お詫び 」 や 「 反省 」 を記したつもりかもしれないが、これでは 「 プロの抗弁 」 にならず、「 素人の言い訳 」 としか受け取れない。


戦時中、国民を欺いて扇動したように、「 新聞も間違いを犯す 」 可能性はあり、けして 「 絶対的な良心 」 でないことは、もちろん承知している。

ただ、表現方法や技量の未熟さで、多数の国民に 「 不快感 」 を与えるような低レベルの失態は、あまり過去に類をみなかったと思う。

元来、風刺とは 「 社会の欠陥や、罪悪を遠まわしに批判すること 」 であるはずだが、その言葉の意味すら知らないとは、素人以下のお粗末さだ。

まして、日本国憲法を 「 原理主義的 」 に信奉し、イラクへの自衛隊派遣を 「 違憲、違法 」 と騒ぎ立てたくせに、法令順守を批判するとは何事か。

新聞購読者数の減少を、「 時代の潮流 」 とか 「 文化レベルの低下 」 だと勘違いしている記者も多いと聞くが、彼らには、猛省が必要なようである。






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2008年06月21日(土) 『 インディ・ジョーンズ クリスタルスカル の王国 』 の見どころ



「 人はいつも真面目くさってばかりいて、少しの楽しみもくつろぎも

  味わわずにいると、知らず知らずのうちに心を病んでしまう 」

                          ヘロドトス ( ギリシャの歴史家 )

If a man insisted always on being serious, and never allowed himself a bit of fun and relaxation, he would go mad or become unstable without knowing it.

                                      Herodotus



女性 3名と、『 インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国 』 を鑑賞した。

彼女と、その妹と姪で、楽しいながらも 「 若干の息苦しさ 」 を感じつつ。


ハリソン・フォード が 「 何歳まで インディ・ジョーンズ を演じられるのか 」 という質問があったなら、「 落とした帽子を拾えるまで 」 が正解だろう。

いまや映画界では常識となった 「 CG 」 の使用と、有能な 「 スタントマン 」 さえいれば、かなりの高齢者でも アクション俳優 として通用する。

ただ、さすがに殴り合う場面は迫力に欠け、効果音で誤魔化してはいるが、これじゃ 「 俺でも勝てるわい 」 と思う箇所が何度かあった。

当然、製作サイドも 「 さらなる続編は無理がある 」 と気付いただろうから、これが 「 シリーズ 最終章 」 となることは、ほぼ間違いないだろう。

そんなわけで、前三部作に比べて、やや見劣りする内容ではあるけれど、それでも十分、「 映画館に足を運ぶ価値がある 」 ことは保証できる。


映画の話を書くときは、未見の方のために 「 ネタばれ ( 結末を明かす ) 」 しないよう、気をつけるのが マナー である。

その点は承知しているが、本作のような冒険活劇では、物語の展開やら、細かい設定が重要ではないので、少しばかり内容に触れても問題ない。

本作においては、インディ の昔の恋人が登場し、共有する “ 宝 ” の存在が明らかになるけれど、そこが作品の見所となっている。

鑑賞後、4人で食事したが、その場面について 「 貴方は大丈夫でしょうね 」 といった鋭い視線の “ 集中砲火 ” を浴び、思わず喉を詰まらせた。

老いた探険家の “ 若き日の冒険 ” については、秘宝の潜んだ古代遺跡と同じで、「 無理に発掘しようとすれば “ 災い ” が起きる 」 のである。


この作品には、古き良き時代のハリウッド映画や、ルーカス、スピルバーグの創出した名画の一場面を彷彿とさせる部分が、何箇所か登場する。

年輩の 「 オールド・ムービー・ファン 」 にとっては、その場面を見つけるのも楽しみの一つであり、そのあたりにもご注目を願いたい。

先日、故人となった チャールトン・ヘストン主演の 『 黒い絨毯 ( 1954米 ) 』 に登場する 「 軍隊蟻 」 の襲来シーンなども、その一つだ。

南米に棲息する マラブンタ という蟻は 「 軍隊蟻 」 と呼ばれ、数百年ごとに膨大な群れで集団移動を行い、通り道の動植物をことごとく食べ尽くす。

逃れられない凄まじさを醸し出す大迫力シーンが、50年ぶりに再現されただけでも、この映画を観る価値はあり、ぜひ、お見逃しなくというところだ。






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2008年06月19日(木) 山崎 拓 : 名誉毀損 で 安倍 氏 に謝罪要求



「 どんな人も、いつまでも自分に対する顔と世間に対する顔を、

  使い分け続けることはできない。

  そんなことをしていたら、最後には一体どちらが本当の顔か、

  わからなくなってしまう 」

                   ナサニエル・ホーソーン ( アメリカの作家 )

No man for any considerable period, can wear one face to himself, and another to the multitude, without finally getting bewildered as to which may be the true.

                             Nathaniel Hawthorne



自分が所有していない物を、「 他人に盗られた 」 と訴えることはできない。

自分が所有していない物を、「 他人に壊された 」 と訴えることもできない。


自民党 の 山崎 拓 前副総裁 は、安倍 晋三 前首相 から 「 利権政治家 」 と名指しで批判されたことに対し、発言の撤回と謝罪を要求した。

同日の 山崎派総会 では、「 首相経験者が何の根拠もないことを言うのは理解不能 」、「 名誉棄損で告発すべき 」 と、安倍 氏 批判が相次いだ。

この問題については、前回の日記でも触れたが、たしかに、北朝鮮の手先である可能性が、たとえ 「 99.99% クロ 」 でも、公に断言はできまい。

安倍 氏 としては、山崎 拓 が憤慨し、訴訟を起こすことも 「 覚悟の上 」 での発言だったはずだから、この要求は自然の成り行きだろう。

法的にも 「 疑わしきは シロ 」 という原則があるわけで、確固たる物的証拠が無いのなら、誰にも 山崎 拓 を 「 売国奴 」 として裁くことはできない。


ただ、安倍 氏 による一連の発言が 「 名誉毀損 」 に抵触するかという点については、どうにも疑問であり、大いに悩むところである。

刑法第34章第230条 ( 名誉毀損 ) には、「 たとえ事実であっても、他人の悪口を言いふらしてはいけない 」 と記載され、罰則が示されている。

ただし、内容が 「 公共の利害に関すること 」 である場合は、誰かの評判を落とすことになっても、それを知る利益を確保するという補足がある。

それに、前回の日記をご覧いただければわかるが、山崎 拓 も 安倍 氏 に対して 「 幼稚な発言 」 などと、悪口にとれる発言を放っている。

政治家が 「 幼稚 」 であることも、「 売国奴 」 であることも、単なる悪口の枠を超え 「 公共の利害に関すること 」 だから、許される発言ではないか。


それに、「 名誉 」 というものがあってこそ、それを傷つけられ 「 名誉毀損 」 という罪が成立するわけで、山崎 拓 の場合は、そのあたりも疑問である。

過去において 山崎 拓 は、少なくとも 3度 「 女性スキャンダル 」 が報じられ、特に 週刊文春 では、半裸の写真付きで 「 変態疑惑 」 が公表された。

それまでも、愛人がいること、女性好きであることは周知の事実だったが、「 愛人の娘にまで手を出そうとした 」 など、性への執着が度を越している。

女性問題で失脚した議員は他にもいるが、「 パンツ一丁の写真付き 」 で、関係した女性の手記による 「 変態ぶり 」 を暴かれたのは、彼ぐらいだ。

ここまで日本中に恥を晒し、『 エロタク 』 と異名をとる彼の 「 どこに名誉があるのか 」 は疑問で、“ 毀損しようにも、そんなモノは無い ” とも思える。


あまり悪口ばかり書くと可哀想だし、山崎 拓 を 「 庇う 」 内容についても、少しだけ触れておくことにしよう。

昔から、旧ソ連や、中国、北朝鮮に赴任した外務官僚、政治家などには、必ず 「 女性スパイ 」 が近寄ってきて、肉体関係を持とうとする。

ポマードヘアがトレードマークだった大物政治家が、現職の総理大臣時代に付き合っていた愛人が 「 中国のスパイ 」 だったのは、有名な話だ。

そういう事実を確実に押さえ、大事件に発展させないために、公安警察は帰任した官僚、政治家を、注意深く監視し、接触者をマークしている。

海外で女性スパイと関係を持ってしまった場合は、帰国後、必ず共産国側から 「 それをネタに情報をゆすり取る 」 目的で、接触を図ってくる。


善意に解釈すると、普通は出ないはずの 「 恥ずかしいスキャンダル 」 が、山崎 拓 だけ何度も出るのは、情報の漏えいを拒んだせいかもしれない。

もし、共産国の幹部と強力な繋がりがあるなら、ゴシップ記事の一つや二つは、相応の圧力を以って 「 潰す 」 ことも出来たとみるのが自然だ。

あるいは、共産国の罠でゴシップを暴露され、痛い目に遭ってから売国奴に変貌したのかもしれないが、いづれにせよ、そんなことはどうでもよい。

最大の懸念は、「 山崎 VS 安倍 」 の闘いより、北朝鮮との国交正常化を急いで、拉致問題が棚上げになってしまうことへの危惧だ。

アメリカが 「 テロ支援国指定解除 」 に動き始めた現在、利権があろうと、なかろうと、政府は 「 制裁の手を緩める 」 ことがないように願いたい。






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2008年06月18日(水) 安倍 前首相 : 「 山崎 拓 は百害あって利権あり 」 発言



「 この世で何が悲しいといって、自分がいろいろの事を知りながら、

  無力なためにそれをどうにもできぬ事ほど、悲しいことはない 」

                         ヘロドトス ( ギリシャの歴史家 )

Tis the sorest of all human ills, to abound in knowledge and yet have no power over action.

                                     Herodotus



知識は、意義のある行動に活かしてこそ、初めて、その価値が生じる。

行動の伴わない知識は、無益な 「 粗大ゴミ 」 にすぎない。


政治家の多くは、行動に移すことで価値の生じる 「 知識 」 や 「 情報 」 を持っているが、それを、国民の利益に繋ごうとする者は少ない。

たまに、行動的な政治家がいても、私利、私欲のため、己の野望のために東奔西走している者が大半で、何らかの 「 裏 」 があるようだ。

もちろん、自己犠牲の精神を以って、国益に奉仕する気概を持つ政治家もいるが、えてして、そういう人は、権力を行使できる立場にない。

仮に何かの偶然で、権力の中枢に立ったとしても、利己的な欲得に溺れた海千山千の 「 狡猾漢 」 と互角に渡り合えず、すぐに立場を追われる。

崇高な志があったとしても、政治の世界においては 「 無力 = 悪 」 であり、統率力、行動力を擁しながら、善行に身を捧げる者の数は皆無に近い。


自民党 の 安倍 晋三 前首相は、「 日朝国交正常化推進議員連盟 」 らが北朝鮮への制裁解除を主張していることについて、都内で反論した。

この 「 連盟 」 は、北朝鮮に絡んだ利権を持つことで知られる 山崎 拓 が会長を務める組織で、ことあるごとに、北朝鮮との対話政策を推している。

安倍 氏 は、「 国会議員が、交渉を行う政府よりも甘いことを言うようでは、政府の外交能力を大きく損ない “ 百害あって一利なし ” だ 」 と批判した。

その発言を受け、山崎 拓 が 「 幼稚な考え 」 と答えたのに対し、今度は 「 百害あって利権あり 」 と、公式な場で “ 利権の存在 ” に言及した。

古くは 金丸 信 ( 故人 ) の時代から、タブー とされてきた 「 北朝鮮利権 」 の存在について、一石を投じた 安倍 氏 の勇気を評価したい。


もともと 安倍 氏 は、北朝鮮問題、特に 「 拉致問題 」 に関しては、多大な関心と情熱を持っていたが、総理時代に、解決の糸口を見出せなかった。

総理大臣の仕事とは、北朝鮮問題だけを扱うものでなく、国政全般に亘る総合的な資質を求められるが、その点で 安倍 氏 は 「 力不足 」 だった。

今にして思えば、在職中に “ 拉致問題だけでも ” 職を賭して強硬に進めてくれたなら、世論の評価は違っていたような気がする。

そんな 「 過去の人 」 であった 安倍 氏 だが、今回、山崎 拓 と対峙して、利権組を牽制したことで、遺恨を拭い、意地と心意気を通した形だ。

超党派で結成する 「 日朝国交正常化推進議員連盟 」 の胡散臭さ、下手な譲歩で拉致解決が遅れることを知らしめた 安倍 氏 の功績は大きい。






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2008年06月16日(月) 宮崎 勤 : 死刑囚に 「 人権 」 はあるのか



「 われわれを人間にするのは、選択する能力である 」

                 マデレイン・レングル ( アメリカの女流作家 )

It is the ability to choose which makes us human.

                              Madeleine L’Engle



死刑制度については、それに反対する意見も多い。

それが本当に 「 犯罪の抑止力 」 になっているかは、たしかに疑問だ。


しかしながら、では、死刑という制度を無くした場合、被害者や、その遺族の抱える無念、有形、無形の損失を、どうやって犯人に償わせるのか。

その明確な 「 答 」 なり 「 代替案 」 が無いかぎり、やはり死刑制度は必要であって、廃止するわけにはいかないだろう。

1988〜89年に起きた連続幼女誘拐殺害事件の 宮崎 勤 死刑囚 ( 45 ) に対する死刑が、事件発生から20年を経て執行された。

彼は、「 絞首刑は残虐 」 だとして、薬物投与による死刑執行を望んでいたようだが、彼に 「 死に方を選ぶ権利 」 などあったのだろうか。

何の罪もない幼女を ( 死に方など選ばせずに ) 殺害しておいて、自分は死刑を免れたいとか、執行方法に不満があるとか、よく言えたものである。


日本には年間 3万人以上の自殺者がいて、先般の秋葉原連続殺傷事件など、自ら 「 死刑を望む者 」 がいる以上、凶悪事件の抑止効果は薄い。

実際、宮崎 死刑囚 の執行後も、巷の凶悪犯罪は隔絶されそうにないし、「 人を殺せば、君も殺すよ 」 だけでは、社会秩序が保てないだろう。

それでも、他人の命を無慈悲に奪った者は 「 生き方、死に方を選べない 」 ことを制度として維持し、社会の 「 掟 」 として定める意義はある。

どうしても死刑制度を廃止するのならば、残された遺族には 「 復讐権 」 を与え、個人的に報復する権利を認めるべきだろう。

本来、死刑という仕組みは、そのような 「 復讐 」、「 仇討ち 」 を防ぐために設けられた制度であったことを、けして忘れてはならない。


宮崎 勤 のような死刑囚にも 「 人権 」 があると主張する人や、彼は病気 ( 精神病 ) なのだから、刑を免除すべきだと語る人がいる。

なるほど、彼も 「 人間 」 の姿をしているから、人権を保持するという見方はできるし、幼女を殺害する性癖は、特有の 「 病気 」 なのかもしれない。

だが、たとえ病気による所為であっても、自分の欲望を果たすためだけに、いたいけな幼女を殺害する者は、「 人間 」 の定義に当てはまらない。

人間とは、自制心を以って、己の行動をコントロールできる者、自分と他人の生命を尊重できる者を指し、無軌道に欲望を吐き出す類ではない。

現代社会で、死刑を宣告された者たちは、すべて 「 人間とは呼べない者 」 であり、そう考えると、死刑に対する罪悪感、反対論も違ってくるはずだ。






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2008年06月15日(日) タバコ 一箱 千円 の時代



「 よく、意思が弱いからタバコをやめられないと言われますが、

  現状では、やめないでいるほうが強い意志を要するでしょう 」

                                小島 功 ( 漫画家 )

They say that you're weak-willed if you can't stop smoking, but with things as they are at present you have to be pretty strong-willed to stay a smoker.

                                   Isao Kozima



タバコをやめてから 3年 になるが、それまでは 20年 ほど吸っていた。

だから、喫煙者に対する批判はしないし、それほど悪い習慣と思わない。


愛煙家の中には、「 “ 禁煙権 ” を認めるが、“ 喫煙権 ” も認めるべきだ 」 と言う人がいて、正々堂々と、タバコを吸う権利を主張されている。

タバコは、本人のみならず、喫煙者の傍らにいる人の健康まで害してしまうと言うが、車の排気ガスだって、けして体に良いものではない。

ただ、車の場合は、排気ガスという有害物質を排出しながらも、移動手段としての利便性を感じる人が多く、それは、非喫煙者にも寄与している。

かたや、タバコの場合は、非喫煙者にとって 「 百害あって一利なし 」 という代物であるために、まったく必要性を感じていない人が多い。

実際、20数年に亘る喫煙習慣をやめた私が、禁煙して何かを失ったかというと、何も思い当たらず、喫煙して 「 得なこと 」 は何もないだろう。


どこまで本気かは不明だが、税収不足を補うために 「 タバコ 一箱 千円 」 という政府案が、水面下で進行しているという。

いきなり 千円 に値上げされたら、これを機会に吸うのをやめる人が増え、結果、税収の拡大は見込めないが、それも、禁煙推進派には好都合だ。

国会議員の喫煙率を知らないが、およそ世間並みだとすれば、価格を吊り上げることに賛成する人の数は、反対する人の数を大きく上回る。

また、禁煙を求める人々が群れになって 「 禁煙運動 」 を起こすのに対し、喫煙派は、それぞれが単独に 「 孤独な抵抗 」 を試みる違いも大きい。

もはや禁煙は 「 世界的なムーブメント 」 であって、いくら喫煙の正当性を主張したところで、喫煙者の比率が増す可能性は皆無に近いだろう。


少数派の愛煙家に対し、ちょっと気の毒に思うのは、元来、政府が専売し、それによって喫煙習慣を覚えたのに、いきなり値上げされるところだ。

体に有害なものを売りつけ、中毒症状にした挙句に、服従させるなどという手口は 「 ヤクザ の専売特許 」 であり、狡猾な手法ともいえる。

しかしながら、国家権力には逆らえないので、「 一箱 千円 」 にするかどうかはともかく、早い時期に、いくらか値上げする法案が通るだろう。

値上げ分は、ほとんど 「 税収 」 になるわけで、それによって売上の減少が免れない販売元の 「 JT ( 日本たばこ産業 ) 」 は、成立に反対している。

昔の 「 専売公社 」 時代と違って、一応は民間企業なのだから、公共性を重視しながらも、売上や利益の低下は避けたいのが本音のはずだ。


今年、中国製冷凍食品の 「 餃子 」 に、毒性濃度の高い農薬が検出されたことで、輸入販売元の JT は消費者の信頼を失い、大きな痛手を被った。

普通なら、当面は中国からの輸入を見送る措置をとるが、一部マスコミがそれを報じた際に、JT 側からは、声を大にして否定する一幕があった。

なぜかというと、JT には、冷凍食品で 「 中国から手を引けない事情 」 があり、中国政府には 「 消極的な印象 」 を与えたくない背景がある。

世界第3位のタバコ売上高を誇る JT だが、2兆円 を超えるタバコ事業に対し、冷凍食品の売上高は、わずか 1000億円 にも満たない。

本業の 「 20分の一 」 に過ぎぬ事業部門で赤字を出したとしても、中国の政府筋に、好印象を与えなければならない使命が、彼らにはあるのだ。


ご存知の通り、禁煙の波は世界中に広がっており、イギリスでは既に一箱が千円以上するし、アメリカでも喫煙者は、文字通り 「 煙たがれて 」 いる。

そんな中で、唯一にして最大の 「 喫煙習慣 」 を維持しているのが中国で、昨今の開放政策により、「 外国タバコの輸入自由化 」 が実現しそうだ。

つまり、JT にとっては、最後にして最大の 「 販売市場 」 であり、下落する一方の国内需要を思えば、中国タバコ市場への参入は企業命題である。

だから、たとえ “ 餃子に毒を盛られても ” 中国政府には逆らえず、彼らのご機嫌を損ねるような態度は、けして見せられないのが実情なのだ。

中国の人口、市場規模を考えると、日本のタバコが 千円 になり、ほとんど吸われなくなっても、輸出が成功すれば 「 十分に補える 」 可能性はある。


とにかく、可哀想なのは 「 日本の喫煙者 」 であって、本当にお気の毒な話なのだが、何事も時流には逆らえないので、諦めてもらうしかない。

禁煙に成功した立場として、私の 「 禁煙した理由 」 と 「 禁煙法 」 を紹介するが、まず、その理由は 「 カッコ悪いと感じたから 」 である。

思い起こせば、吸い始めた理由も、映画で外国人俳優の喫煙する場面を観て 「 カッコ良いと感じたから 」 で、吸うも、吸わないも、それだけだった。

タバコを吸う人の一部に 「 マナーの悪さ 」 や、「 ダサさ 」 が目につき始めたのと、やたら 「 タバコ臭い人 」 がいて、自分のことも不安になった。

そして、私の禁煙法は 「 とにかく吸わないこと 」 であり、“ 特別なこと ” と考えず、大げさにしないで、自然にやめたことが成功の要因だと思う。






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2008年06月14日(土) 秋葉原事件から一週間 : 仕事が嫌、世間が嫌 「加藤 智大 」 と同類の人々



「 徳ある人を見たら、その人に並ぶことを目指せ。

  徳なき人を見たら、我が身を振り返り、自省せよ 」

                               孔子 ( 中国の哲学者 )

When we see men of worth, we should think of equaling them ;
when we see men of a contrary character,
we should turn inward and examine ourselves.

                                      Confucius



人間の寿命は、“ すべての失敗を、自分で体験する ” には短すぎる。

だから、他人の行動を観察し、良いこと、悪いことから学ぶ姿勢が大切だ。


先週の日曜、未曾有の連続殺傷事件が秋葉原で発生し、この一週間は、大手メディアも、個人のブログも、その話題に明け暮れていた。

大都市の繁華街で起きた事件は、死傷者の周辺もさることながら、普段、その場所を行き来する多くの人々に、他人事ではない恐怖を植え付ける。

事実、ほんの僅かな時間差で、事件に巻き込まれた可能性のある人々や、犠牲となる明暗が分かれた人々の数は、数百人、数千人にのぼるだろう。

なんとも痛ましく、良識ある人々にとっては 「 二度と起きないでほしい 」 と願う事件であったが、ネット上で、犯行予告を真似る書き込みが現れた。

携帯の掲示板に、「 俺も “ 加藤 ” と同じだ 」、「 犯人に共感した 」 と書き込んだ上で、似たような凶行の再現を匂わす予告が、発見されている。


世間を騒がせた大事件の後に、それを真似る 「 模倣犯 」 が現れることは珍しくないが、その大部分は、犯行の “ やり口 ” を真似たものだ。

たとえば、1984年に発生した 『 グリコ森永事件 』 の直後は、食品会社を標的とした 「 企業脅迫事件 」 が数多く発生し、当時、社会問題となった。

関わった一連の模倣犯は、犯行の “ やり口 ” を評価し、それを真似れば成果が挙がると信じただけで、犯人に “ 共感 ” したわけではない。

ところが、秋葉原の連続殺傷事件に感化され、犯行予告を行った連中は、犯行の “ やり口 ” ではなく、犯人への “ 共感 ” に、興味を示している。

まだ 「 予告 」 だけで、実行されていないが、いつ、どこで、誰を、どのような方法で殺害するのか、まるで見当がつかない状況にある。


つまりは、一口に模倣犯といっても、「 犯罪の方法論を模倣する場合 」 と、「 心情に共感し、同種の犯罪に及ぶ場合 」 があり、今回は後者である。

では、秋葉原で凶行に及んだ 加藤 智大 が 「 どのような心情にあったか 」 という心理を分析しないと、その 「 共感者 」 も割り出せない。

犯行の動機について、加藤 は 「 仕事が嫌だった 」、「 世間が嫌だった 」 と語り、現在、自分の置かれた状況を 「 社会のせい 」 だと話していた。

もちろん、仕事が嫌な人や、世間に恨みを抱えた人は無数にいるわけで、そのすべてが 「 犯罪予備軍 」 だとは言えないだろう。

しかし、ご自身で気付かれていないだけで、周囲からみれば 「 加藤 と同じ発言 」 をしている人は多く、そうでない人々よりは 「 共感者像 」 に近い。


仕事が嫌な人に、「 では、どんな仕事が望みか 」 と尋ねても答えられず、世間が嫌な人に、「 どんな社会が望みか 」 と訊いても答えられない。

それが実態であり、自分の仕事や、自分の暮らす社会に不満ばかりを口にする人は、たとえ周囲がどのように変わろうとも、満足することはない。

彼らも内心では、「 仕事が嫌なのは、職場でなく “ 自分のせい ” だ 」 とか、日本は外国に比べて 「 そんなに酷い環境ではない 」 と知っている。

そして 加藤 と同じく、俗世間と隔絶されて初めて、世間は不満があっても、「 自分の努力で乗り越える人間 」 が圧倒的に多いことに改めて気付く。

秋葉原事件を他人事のように語りながら、加藤 と同類の発言を繰り返してきた人々は、それを恥じ、周囲への悪影響を、この機会に反省すべきだ。






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2008年06月13日(金) 北朝鮮への譲歩は、“ 利権組 ” の陰謀か



「 分別とは、すべきではなかったと、あとから教えてくれる声 」

                                    英語のジョーク

Conscience is the voice that says you shouldn't have done something after you did it.

                                    English joke



分別とか、良識というものは、その場で判断し難いことが多い。

後になって、「 すべきではなかった 」 と後悔するのが、世の常である。


町村 官房長官 は、北朝鮮との公式実務者協議で、北朝鮮が 「 拉致問題に関する再調査 」、「 よど号 犯の身柄引き渡し 」 を約束したと述べた。

政府は “ 一定の前進 ” とみて、北朝鮮籍船舶の一部入港を認めるなど、北朝鮮に対して続けてきた経済制裁を、部分的に解除する方針を決めた。

福田 内閣 の支持率を急落させた 「 後期高齢者医療制度 」 や、その他の政府案について、特に不満はなく、反対する気は無い。

しかし、今回 ( 北朝鮮への経済制裁解除 ) だけは、まさに 「 空いた口の塞がらない愚策 」 であり、このような無能ぶりを見過ごすことはできない。

明確な “ 成果 ” や “ 進展 ” が無いのに、「 最も信頼できない交渉相手 」 に対して、手持ちの切り札を捨てるとは、愚かにもほどがある。


日本の政治家が北朝鮮に対して、行動を起こす理由は二つあり、一つ目は 「 利権 」 のため、二つ目は 「 人気取り 」 のためである。

前者の 「 利権 」 を目当てとする政治家は、与党にも野党にもいて、名前を挙げるのは差し控えるが、国民の多くが知るところだろう。

彼らは、しきりに 「 北朝鮮との対話 」 が重要だと語り、何度も出向いては “ 将軍様のご機嫌 ” を窺い、国内では、各方面に圧力をかけている。

北朝鮮を刺激すると 「 暴発の恐れがある 」 と吹聴するのも彼らだが、これは根も葉もない 「 嘘 」 で、石油の無い北朝鮮には、暴発する力すらない。

万が一、北朝鮮が核攻撃を仕掛けるとしても、核弾頭の積める テポドン は射程が長いため、発射すると日本を飛び越え、太平洋に行ってしまう。


日本に落ちる可能性があるのは、射程の短い ノドン だが、その弾頭部分は核兵器を搭載できる構造になっておらず、「 通常爆弾 」 しか積めない。

通常爆弾というのは、500キロ から 1000キロ 程度の爆弾で、破壊力は小さく、東京 へ落ちたとしても 「 5階建てビル 一棟 の全壊 」 すら難しい。

米軍、国連軍に 「 空爆の大義名分 」 を与える リスク を冒し、日本列島に ミサイル を放っても、その被害は 「 5階建てビル 一棟 」 なのである。

最近では、そんな北朝鮮に 「 暴発は不可能 」 という事実が明らかになってきたが、利権を手放したくない悪徳政治家は、いまだに暴発論を繰り返す。

国内世論の反撥を抑え、制裁条件を緩和するのが彼らの狙いで、今回の場合も、政府決定の背後に、彼らの影が潜んでいる気配を感じる。


北朝鮮の利権に絡まず、彼らとの交渉を進めようとする政治家の狙いは、ずばり 「 人気取り 」 が目当てで、かの 小泉 純一郎 氏 も例外ではない。

2002年1月29日、小泉 首相 は 田中 真紀子 外相 を解任したが、この結果、79% だった 内閣支持率は、49% にまで激減した。

もちろん、小泉 氏 が勇気を持って 「 拉致問題 」 の解決に臨んだ事実は否めないが、支持率の急落なくして、2002年9月の電撃訪朝はなかった。

小泉 氏 の後を受けた 安倍 総理 は、唯一、利権でも、人気取りでもなく、拉致問題を真摯に捉えた人物だったが、あまりにも “ 能力 ” が低すぎた。

現職の 福田 総理 には、北朝鮮に絡む 「 利権 」 の噂もないが、命がけで拉致を解決する 「 情熱 」 も感じられず、「 人気取り 」 の線が濃厚だ。


北朝鮮のような貧しい国に 「 日本の政治家として、何の利権があるのか 」 ご存じない方も多いと思うが、実は、かなり 「 オイシイ話 」 が潜んでいる。

国交正常化が実現すると、一兆円を超える 「 経済協力資金 」 が発生する仕組みだが、この経済協力資金は、現金を北朝鮮に渡すわけではない。

道路や港湾、ダムなどの 「 社会資本プロジェクト 」 に使われる予定だが、こうしたプロジェクトを請け負うのは、日本の建設会社、商社が中心だ。

拉致問題に関心など無いのに、暇があれば北朝鮮へ行こうとする政治家は、このプロジェクトの配分に関わっており、権限の掌握を狙っている。

かつて 小泉 氏 が 「 拉致問題の解決なくして、国交正常化なし 」 と声高に叫んだのは、「 拉致よりも正常化が先だ 」 と主張する利権組への牽制だ。


支持率の急落に嘆く 福田 総理 が、形勢逆転を企図して 「 人気取り 」 のため、北朝鮮との折衝に注力すること自体は、さしたる問題もない。

しかし、まだ何の成果も得られていないのに、経済制裁を緩めたり、正常化に向けて動くのは、かえって国民の反感を買う結果につながるだろう。

事実、私も 「 馬鹿か 」 と感じたし、拉致被害者の家族会からも、どちらかというと、あまり好ましくない感想が漏れ聴こえているようだ。

あるいは、国民に対する 「 人気取り 」 ではなく、利権組へのご機嫌を窺う 「 人気取り 」 の可能性もあり、ここは要注意である。

こういうときにこそ、野党は全力を挙げて反対の姿勢を示すべきなのだが、肝心の野党幹部に 「 利権狙いの親玉 」 が存在し、阻止するのは難しい。






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2008年06月12日(木) ネット上の自殺予告・犯罪予告を検知できる ソフトウエア



「 体験が判断力をつける。 卓越した判断力は、苦い体験から生まれる 」

                    ボブ・パックウッド ( アメリカの上院議員 )

Judgment comes from experience and great judgment comes from bad experience.

                                 Bob Packwood



警察の捜査部門には、おおまかに分けて、三種類がある。

それは、「 刑事警察 」 と、「 生活安全警察 」 と、「 警備警察 」 だ。


泥棒を捕らえたり、殺人事件の捜査をするのは 「 刑事警察 」、少年事案、売春、麻薬、銃器などの “ 特別法犯 ” は、「 生活安全警察 」 が扱う。

三つ目の 「 警備警察 」 には、テロやゲリラを未然に防止し、社会の安寧を維持する使命があり、それに必要な情報収集や、事件捜査を行っている。

警察組織において、「 公安部 」 は警備部門の代表的な存在であり、一般の警察官とは異なる厳しい訓練を受け、特殊な能力を身に付けた集団だ。

日本は、英米のように 「 強力な諜報機関 」 を持たないが、社会の安寧を目的とした情報機関の役割は、警察の警備部門と、防衛庁が担っている。

公安に選ばれる警察官は、本人の資質に加えて、親兄弟の思想背景まで徹底的に調べられ、“ よほど身元が確かな者 ” だけに限られている。


増田 寛也 総務相 は、「 ネット上の犯罪予告を検知できる ソフトウエア 」 の開発費を、来年度予算の概算要求に盛り込む方針を明らかにした。

開発が検討される ソフトウェア は、言語技術を応用し、違法・有害情報の検出精度を向上させるものだという。

これを用い、自殺予告や、殺人予告、「 言葉を使った議論の流れ 」 などを分析し、犯罪につながるような情報を、事前に察知する狙いがある。

発表は、おりしも “ 秋葉原の通り魔事件 ” を受けた 「 再発防止のための関係閣僚会議 」 が終了した後で、記者団に向けて行われた。

何もない時期に発表すると、マスコミ各社から 「 プライバシーの侵害 」 や、「 ( 国家権力による ) 表現の自由を奪う行為 」 と、批判されただろう。


専用の ソフトウェア が無い現在でも、前述の公安部をはじめとした警察の警備部門において、それに近い 「 検閲 」 は行われている。

ただし、検査の対象となる 「 サイト 」 や 「 掲示板 」 への書き込み件数は無尽蔵にあるため、現行のシステムで、すべてを監視することは不可能だ。

そのため、警備部門としては 「 喉から手が出るほど欲しい ソフトウェア 」 なのだが、導入に際しては、国民の理解や同意が必要となる。

この手の問題に関する国民世論は “ 流動的 ” で、たとえば、「 共謀罪 」 が不成立になった直後なら、反対を唱える人のほうが多かっただろう。

今回のように、社会を震撼させる凶悪な事件が発生した直後では、多少の抵抗があったとしても、過半数以上の同意を得られやすいはずだ。


検出ソフトの導入後、軽い冗談のつもりで “ 犯罪を匂わせる書き込み ” をした場合、公安などから 「 要注意人物 」 として監視される可能性がある。

人によっては、それを 「 窮屈 」 に感じるかもしれないが、監視されているかもしれないという意識が、ネット上でのマナー向上にもつながるだろう。

現在のネット事情は、その 「 匿名性 」 をよいことに、悪質な書き込みや、違法・有害情報が氾濫しており、それが犯罪に結びつく懸念を拭えない。

これからの時代、個人のプライバシー、表現の自由を少し犠牲にしてでも、ネットを 「 犯罪の温床 」 にしないため、監視システムは必要と感じる。

見た目は 「 ごく普通 」 な人間が、いきなり豹変し、惨事を引き起こす昨今、その予兆を嗅ぎ取る仕組みが求められるのも、うなづける話だろう。






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2008年06月11日(水) 何度も頭を下げる父、泣き崩れる母、両親に感謝できない息子の狂気



「 両親にできるのは、子に良き助言を与え、正しい道につかせて

  やることだけである。

  最終的に子の性格形成を左右するのは、その子自身なのだ 」

         アンネ・フランク ( ユダヤ人 = “ アンネの日記 ” の著者 )

Parents can only give good advice or put them on the right paths,
but the final forming of a person's character lies in their own hands.

                                    Anne Frank



アンネ・フランク は、ドイツ の裕福な家庭に生まれた。

しかし、「 ユダヤ人 」 であるという理由だけで、運命の歯車が狂う。


第二次大戦中、ナチスの手で行われた 「 ユダヤ人狩り 」 を逃れ、2年間、アムステルダムに隠れ住むも、密告により、強制収容所へ移送される。

これ以上、考えられぬほど不幸な運命だが、彼女の遺した日記が世界中でベストセラーになったのは、同情や、哀れみを誘ったからではない。

耐え切れぬほどの恐怖と、絶望の淵にあっても、この日記には、最後まで 「 生きる希望 」 を忘れず、成長する彼女の実体験が綴られていたからだ。

いわれなき差別や、虐待、密告など、「 恨み言 」 の種は数かぎりなくあったはずなのに、己の宿命を呪うような記述は、どの頁にも見当たらない。

人それぞれと言ってしまえば、それまでの話だが、ほんの些細な挫折感で 「 性格を歪める者 」 と、アンネ・フランク の違いは、どこにあるのだろう。


この 『 エンピツ日記 』 を書き始めて7年目になるが、仕事が面白くないだとか、人生が嫌だなどと書いたことは、ただの一度も無い。

なぜかというと、「 そんな風に思うことが、実際にない 」 からであり、別に、やせ我慢をしたり、気取っているわけではないのである。

ただ、誤解の無いように補足すると、それは 「 私の人生に、悲しいことなど何もない 」 とか、「 苦しんだり、失敗したことがない 」 という意味ではない。

もちろん、アンネ・フランク のように悲惨な境遇と直面した経験はないが、現代の日本で暮らす大部分の人にとっても、それは同じだろう。

なのに、なぜか不満や愚痴ばかりを並べ、挙句の果てには社会を逆恨みし、無差別殺傷に走ったり、無意味な自殺を図る人間が後を絶たない。


常に社会が公平とは思わないし、幸運に恵まれやすい人、そうでない人がいるけれど、同じような境遇でも、人生を 「 どう感じるか 」 は異なる。

一般的に、「 世の中が嫌だ 」 とか、「 仕事が面白くない 」 と愚痴る人と、「 人生は楽しい 」 と感じる人の差は、性格の違いだと捉えられている。

心理学者、精神科医などに言わせると、「 ストレスを処理する能力 」 や、「 自分の感情をコントロールできる能力 」 の違いだとする意見が多い。

私の主観によると、人生が楽しいと感じる人の多くは、周囲への 「 感謝 」、「 有難み 」 を知る人であり、不幸ばかりを感じる人は、その逆である。

たとえば、自分を生んでくれた両親への 「 感謝 」、「 有難み 」 を知る人間なら、自殺などしないし、人生の喜び、楽しさを感じた記憶が強く残る。


自分を生んだ両親に 「 感謝 」 せず、周囲の気配りに 「 有難み 」 を感じることができない人は、何かにつけ、周囲の 「 おかげ 」 という感覚が薄い。

感謝する人が 「 親のおかげ 」、「 周囲のおかげ 」 と思うのに対し、感謝をしない人は、「 親のせい 」、「 周囲のせい 」 という不満ばかりがつのる。

楽しかった経験を、「 誰かのおかげ 」 と感じながら暮らす人は楽しくなり、不遇な経験を 「 誰かのせい 」 と恨んで暮らす人は、人生が嫌になる。

上手くいった経験、良いことは 「 誰かのおかげ 」 と感謝し、失敗した経験、悪いことは 「 自分の努力不足 」 と思えば、精神を病むこともない。

病気の人を悪く言うようだが、「 うつ病 」 になる人の大半は、自己愛が強すぎて、親や、周囲や、他人への 「 感謝 」 を忘れやすいのも特徴である。


秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、加藤 智大 容疑者 のご両親が、青森市内の自宅前で取材に応じ、息子の犯した罪について謝罪した。

何度も頭を下げ、「 謝っても謝っても償い切れるものではない 」 と謝罪の言葉を語る父親、母親は立ち続ける気力も失い、その場に泣き崩れた。

気の毒ではあるし、息子の年齢を考えれば 「 親の責任 」 とも言い難いが、犠牲者、遺族の無念を思うと、彼らを 「 被害者 」 とは認められない。

おそらく死刑は免れないだろうが、自分のために泣き崩れた哀れな母親の姿を犯人に見せ、「 何を勘違いしていたのか 」 を、最後に知らしめたい。

私のように、両親を早く亡くした者からみると、なおさら 「 親の有難み 」 を感じる謝罪会見であったが、そう感じない人間も、世間には多いのだろう。






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2008年06月09日(月) 暴漢から身を守る方法



「 私は嵐を恐れない、航海の仕方を学んでいるから 」

                  ルイーザ・メイ・オルコット ( アメリカの作家 )

I'm not afraid of storms, for I'm learning how to sail my ship.

                               Louisa May Alcott



今日の昼食は、「 武闘派 」 の友人と共にした。

話題は、やはり昨日の 「 秋葉原連続殺傷事件 」 のことである。


犯行の動機やら、こういう輩が出てくる社会の歪みなどの 「 ややこしい話 」 ではなく、ナイフを持った敵を “ どう制圧するか ” に話題が集中した。

彼は、最初の一撃を 「 とりあえず、背後から跳び蹴り 」 だと主張したが、私は、「 死角から正拳突き 」 か、「 ローキック 」 が無難という説を述べた。

お互いに、続く攻撃は 「 敵を転倒させてから、鼻骨を折る 」 という意見で一致しているが、我々の年齢で 「 跳び蹴り 」 の精度は高くない。

仮に命中しても、共倒れになる危険があるし、その場合、相手より先に立ち上がって、次の攻撃を繰り出す 「 敏捷性 」 があるのかは疑問だ。

やはり、最も確実性が高いのは、死角からぶん殴り、とにかく体を倒して、真上から体重をかけて 「 鼻を踏み潰す 」 のが最善手だろう。


もし、我々が 「 サバイバルナイフで襲い掛かる敵 」 に遭遇したら、おそらく逃げずに闘うと思うが、それは 「 闘争心が強いから 」 ではない。

48歳 ( 我々 ) と25歳 ( 犯人 ) では、互いの脚力を考えた場合、たとえ逃げても追いつかれるので、闘ったほうが 「 分が良い 」 からである。

昨日の犯人を映像でみるかぎり、正面からの攻撃を一度でもかわせれば、まず9割方、制圧できるだろうが、逃げて背中をみせるのは危険だ。

犠牲者の中には、高齢の方もいらしたが、逃げるのは無難なようにみえて、実は、若い犯人に対して、最も 「 勝ち目がない 」 のである。

どうしても闘えない場合は、犯人の進行方向を見極めてから、逆に逃げるなどしないと、背中を斬りつけられてしまうだろう。


では、昨日の事件で、我々のような人間が現場にいたら、被害を最小限に食い止め、犯人を制圧できたかというと、「 極めて難しい 」 だろうと思う。

今年の3月、茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅で、同じような連続殺傷事件があり、通行人ら8名が刃物で襲われ、1人が死亡した。

あの現場に、もしも私や友人が居合わせたら、ほぼ間違いなく犯人を制圧できただろうというのが、我々の共通見解である。

しかしながら、昨日の事件のように、広々とした場所で、津波のごとく群集が逃げ惑う現場では、まず、「 何が起きたか 」 さえ判らない。

よほど犯人のすぐ近くにいて、犯行の一部始終を見ていないかぎり、誰が犯人なのか、犯人は何をしたのか、まるで掴めずに呆然とするしかない。


もちろん、それでも自分に向かって凶器を振り回してくる輩がいたら、これは遠慮なくぶん殴れるし、致命傷を負わずに相手を倒せるだろう。

物騒な世の中において、そんな 「 条件反射 」 ができない方々も、いきなり誰かに襲われると仮定し、常に 「 シュミレーション 」 を心がけるとよい。

火事の避難訓練と同じで、たとえば駅のホームで電車を待っているときに、後ろから突き落とされそうになったらどうするか、対処を考えてみる。

エレベーターに見知らぬ他人と同乗したときは、相手が襲い掛かってきたらどう対処するか、たえず頭の中で 「 戦闘訓練 」 をしておくのだ。

なかなか、実際に殴り合う経験がないと難しいが、仮想でも 「 下準備 」 をしているのと、ぼんやりしているのとでは、咄嗟の行動に差が出る。


以前にも書いたが、ケンカの極意は 「 躊躇しないこと 」 であり、襲い掛かる連中は、逃げる相手には強く、躊躇せずに攻撃する相手には弱い。

もちろん、「 逃げ切る自信 」 があれば逃げてもよいが、私のような中年は、逃げるより 「 相手を地面に倒して鼻骨を折る 」 ほうが助かりやすい。

闘う場合は、闇雲に殴ったり蹴ったりするのではなく、拳や、つま先を傷めないため、着実に有効打を浴びせ、蹴るよりも 「 踏む 」 ほうが望ましい。

梅雨時は、長傘を持ち歩くことも多いが、刃物を持った敵と対峙する場合、傘で チャンバラ するよりも、別の使い方が効果的だ。

敵の両足の間へ斜めに差し込み、体をねじるように強く押すと、敵が倒れやすくなるので、倒れた敵の鼻を踏むと99%勝てる。( 1%は勝てない )


荒っぽい話題が嫌いな方もいるだろうが、理不尽な無差別殺傷者から身を守るには、このぐらいの覚悟が必要だということは、認識すべきだろう。

また、「 いざとなれば、立ち向かうぞ 」 という気概を持つと、それは凛とした表情にも表れ、犯罪者や変質者を寄せ付けない予防効果もある。

頻繁に痴漢に遭う女性や、学校で苛められやすい子、DV で泣き寝入りをするご婦人などは、立ち向かう勇気を身に付けると、環境も変わるはずだ。

ただし、世の中には 「 とてつもなく強い奴 ( 前述の1% ) 」 がいて、彼らには勝てないが、そういう人間は無闇に素人を襲わない。

もちろん、ケンカに強くなったからといって、やたら暴力をふるうと罰せられるので、持てる力は 「 いざというとき 」 に残しておくべきである。






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2008年06月08日(日) 秋葉原殺傷事件は、殺人でなく 「 間接自殺 」 である



「 自分の庭を小奇麗に保ちたい人は、雑草が生える区画を残さない 」

       ダグ・ハマーショルド ( スウェーデンの政治家、国連事務総長 )

He who wants to keep his garden tidy doesn't reserve a plot for weeds.

                              Dag Hammarskjold



雑草にも生命があり、それを引っこ抜くのは 「 可哀想 」 な気もする。

されど、花壇を綺麗に保ちたければ、除去するしか方法はない。


つまり、同じ植物でありながら、見事な大輪を咲かす花、豊かな実をつける果物、栄養価の高い野菜などと、雑草の共存は難しい。

役にも立たない雑草を野放しにすると、それが土壌の養分を吸い取って、肝心の作物を枯らしたり、成長を妨げてしまうからである。

人間の世界でも、まっとうに生きる人間の害となって、迷惑を及ぼす連中は存在するが、人間は植物と違い、「 努力次第では 」 立場を変えられる。

その 「 努力 」 とは、けして自暴自棄にならず、目的を持って生きることで、嫌々ながら怠惰に暮らしていては、いつまでも雑草のままである。

現実的な話をすると、すべての人間が努力するわけではないので、全体の何割かは雑草となり、それを放置すると、さらに雑草は増えてしまう。


6月8日午後0時35分頃、東京都千代田区外神田4の 「 秋葉原電気街 」 の交差点で、2トントラックが歩行者数人をはねた。

直後、トラックを運転していた男が車を降り、持っていたサバイバルナイフで歩行者らを次々に刺し、そのうち7人が死亡、10人が怪我を負った。

警察官によって現行犯逮捕された 加藤 智大 容疑者 ( 25 ) は、犯行の動機について 「 世の中が嫌になったから 」 と話しているらしい。

殺害する対象が 「 誰でもよかった 」 ことから、「 無差別殺人 」 だとか、「 通り魔殺人 」 と呼ぶ人もいるが、この犯行を表すには不適切だ。

犯人は、逃走経路を確保しておらず、逮捕、あるいは射殺されることを知りながら犯行に及んでおり、これは明らかに 「 間接自殺 」 の部類である。


2001年、大阪府池田市の小学校で、宅間 守 が無差別殺傷事件を起こしたのも、「 6月8日 」 だったので、犯人がこの日を選んだ可能性はある。

彼の動機も、「 何もかも嫌になったが、自殺しても死にきれず、大量殺人をして死刑になりたかった 」 というもので、今回の事件に酷似している。

こういった事件を、法的には 「 殺人 」 として扱われるが、犯行に至るまでの心理を解析していくと、それは、どうみても 「 自殺 」 の範疇にある。

つまり、この事件を 「 殺人 」 として捉え、善後策を考えたところで、同様の悲劇は止まらず、「 自殺 」 に関する社会の認識を改めることが重要だ。

生きるのが嫌、働くのが嫌、などと人前で語ることを 「 恥 」 だとも思わない風潮、自暴自棄を一種の 「 個性 」 とみる風潮が、こうした事件を生む。


一時期、イギリスには自殺を 「 犯罪 」 に問う制度があり、自殺者が激減する効果を挙げたけれど、人権団体などの抗議により消滅した。

自殺を 「 個人の問題 」 と考える人もいるが、相次ぐ硫化水素による自殺などでわかるように、それは、他人を巻き込む危険が高い。

逆に、「 まったく他人に迷惑を掛けない自殺 」 なんてものは、ほとんど存在しないわけで、自殺を図る連中のために、世間は大いに迷惑している。

過去において、「 自殺者を救おう 」 という運動は多かったが、これからは 「 自殺者による犠牲をなくす 」 という主旨で、自殺企図者を罰するべきだ。

自殺は 「 罪 」 であり 「 恥 」 だという認識を持たず、同情や憐憫を寄せる 「 自殺に甘い社会感覚 」 の下では、同種の悲劇が繰り返されるだろう。






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2008年06月07日(土) 映画 『 ザ・マジックアワー 』 は面白い



「 私は、自分がなりたい人の真似をした。

  ついにその人になりきるまで、真似をした。

  その人が私になったのかもしれない 」

                     ケーリー・グラント ( ハリウッドの俳優 )

I pretended to be somebody I wanted to be until finally I became that person.
Or he became me.

                                    Cary Grant



彼は、俳優としての 「 個性を創り出す方法 」 について、こう答えた。

稀代の二枚目俳優だが、アクションからコメディまで、幅広く活躍した。


封切初日に 三谷 幸喜 監督 の 『 ザ・マジックアワー 』 を劇場で観たが、予想通り、ほぼ満席に近く、事前に良い席を予約しておいて正解だった。

これからご覧になる方のため、「 ネタばれ 」 になる要素には触れないが、無条件に笑える映画として、オススメであることは間違いない。

最近、流行の若手コメディアンが 「 まったく面白くない 」 という辛口の方も、この映画なら十分に楽しめるはずである。

また、特に、往年の日本映画が好きな “ オールドファン ” には、古きよき時代の郷愁を誘う場面も用意されており、必見の一本といえるだろう。

ほとんどの映画はそうだが、ご家庭のテレビで観るより、映画館の大画面で観てこそ醍醐味が味わえるので、ぜひ、劇場へ足を運んでもらいたい。


三谷 監督 作品は、脚本の秀逸さで楽しめるものが多いが、今回の作品は 「 先の展開が読める脚本 」 で、物語の流れは “ ベタ ” である。

脚本の緻密さよりも、個々の俳優による演技や台詞で笑いをとる手法が、この作品では随所に盛り込まれており、そこに新鮮さを感じる。

主演の 佐藤 浩市 も、一昨年に公開された 『 有頂天ホテル 』 に続く 三谷 監督 作品への出演だが、前作を凌ぐ力演で、圧倒的な存在感を示した。

ワンカット出演の端役に、コッソリと 「 有名俳優 」 を配しており、観客には、それを探す楽しさもあるので、終始、画面から目を離せない。

強面を演じた 西田 敏行 や、寺島 進 が、その役柄をシリアスに演じるほど 「 笑い 」 に結びつく演出には、三谷 監督 の才能が光っている。


物語の後半で、佐藤 浩市 と絡む脇役の老人を、柳澤 愼一 という俳優が演じているのだが、40代以下の方々には、ご存知ない方が多いだろう。

もともと ジャズ歌手 だったが、昭和30年代〜40年代に俳優、声優として活躍した二枚目で、軽妙なコメディの主役、脇役を多く演じていた。

名前を聞いて ピン とこない人も、テレビ 『 奥様は魔女 』 の 「 ダーリン 役 の 声優 」 といえば、なんとなく声の印象は思い出せるだろう。

高度成長期を象徴するような、陽気で快活な声と容貌は、“ あの時代 ” に重用され、目立った代表作はないが、間違いなく 「 時代の顔 」 であった。

最初に 「 進駐軍クラブ 」 で ジャズ を唄ったのは、戦災孤児の慰問費用を捻出するためで、芸能生活58年になる現在も、福祉活動を続けている。


タイトル の マジックアワー とは、映画の専門用語で 「 夕方、太陽が沈んだ直後のこと 」 であり、それは “ 一番美しく撮れる時間帯 ” とされている。

つまり、昼と夜との間に訪れる短い “ 瞬間 ” のことだが、人生にも、そんな 「 光り輝く瞬間 」 があって、その時間が過ぎてしまうと、物悲しく感じる。

最初に書いた通り、「 ネタばれ 」 に繋がるので書かないがおくが、映画の後半では、「 マジックアワー が過ぎたとき 」 の心構えが語られている。

それを語るのが 柳澤 愼一 なので、本日は、その意味をより理解しやすくする一助になればと思い、彼の略歴について紹介した。

もちろん、そういった予備知識がなくても 「 理屈抜きで爆笑できる作品 」 に仕上がっているので、ぜひ、映画館で楽しんでいただきたいと思う。






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2008年06月06日(金) 古舘 伊知郎 に、何が “ とり憑いた ” のか



「 情熱は、しばしば最高の利口者を愚か者に変え、最低の馬鹿者を

  利口者にする 」

          フランソワ・ドゥ・ラ・ロシュフコー ( フランスのモラリスト )

Passion often make fools of the wisest men and gives the silliest wisdom.

                     Francois de la Rochehoucauld



報道番組に中立性を求めたのは過去の話で、最近は制約が無いらしい。

ただし、報道機関が中立性を欠くようでは、先進国を名乗る資格も無い。


古舘 伊知郎 が台頭してきたのは、局アナ時代に担当したプロレス中継や、退社後にフリーとして受け持ったF1の中継が秀逸だったことによる。

刻々と状況が変わるスポーツ中継で、ただ様子を伝えるだけでなく、機知に富んだ話術を駆使し、視聴者を飽きさせない表現力は、他に類を見ない。

なんといっても、彼の名前を世間に知らしめたのはスポーツ中継だったが、バラエティから報道まで、活躍の場は幅広く、なんでも器用にこなしていた。

民放のアナウンサーを経験した人物としては初めて、『 NHK 紅白歌合戦 』 の司会にも起用され、テレビ業界には欠かせない顔となる。

2006年4月、そんな彼が 『 報道ステーション 』 の司会に抜擢されたときには、彼を知る多くのファンが、その活躍ぶりに期待した。


他局より約一時間早く 「 ニュース 」 を伝えるため、平日の午後10時から始まる同番組は、前身の 『 ニュース・ステーション 』 から高視聴率だった。

いまも高視聴率を保持しているが、司会者の力量というよりは、いち早く 「 ニュース 」 を観たいという視聴者の要望に、応えている点が大きい。

特に、「 9.11テロ 」 や、最近では 「 四川大地震 」 などの事件、災害が発生した折は、その時間的優位を利用し、視聴者を釘付けにした。

この番組に登板した当初から、彼の 「 変化 」 に気付いた視聴者は多いが、その 「 理由 」 については、数々の推論が飛び交っている。

真相は 「 彼のみぞ知る 」 か、あるいは 「 彼自身も知らない 」 かであり、なんとも言えないが、何らかの 「 変化 」 があったことは間違い無さそうだ。


なかでも、多くの声が寄せられているのは 「 目つきが変だ 」 という指摘で、たしかに、時折 「 意味不明な睨み 」 を見せたり、その様子は尋常でない。

視力の弱い人が、何かを集中して眺めるときにも、「 睨む 」 ような表情をみせたりするので、カメラの方向に 「 カンペ 」 があるという説もあった。

ところが、別の角度を向いているときに 「 睨む 」 こともあるし、睨み方は、ある種の法則に基づいて、意図的に繰り返されている傾向が強い。

ときには、それが長く続くこともあって、肝心の報道内容より、「 一体、彼は何に対して睨んだり、凄んでいるのか 」 が、気になる場面も少なくない。

かと思えば、虚空に視線を漂わせて、「 心、ここにあらず 」 といった表情を浮かべることもあるのだが、いづれにせよ、なんとも不気味な感じである。


4日の放送では、後期高齢者医療制度に関して、制度とは無関係な自民党役員が談笑する映像を流し、「 よく笑ってられるな 」 とコメントしたらしい。

自民党は、古舘 氏 個人ではなく、番組を放映したテレビ朝日を相手取って抗議しているが、これは 「 古舘 氏 自身の悪意 」 もあったように窺える。

どうも 古館 氏 は、この番組を開始してから 「 左傾化 」 が進み、反自民、反政府の思想が、随所に見え隠れするようになった。

前述した 「 睨み 」 も、特に、政府絡みの話題で集中的に現れ、その手の話題を報じる際は、番組の冒頭、ニュース映像を流す前から睨んでいる。

その表情は、何かに 「 とり憑かれた 」、「 洗脳された 」 ような不気味さを湛え、眺めていると、一種異様な雰囲気を醸し出しているかのようだ。


原則として、報道番組は 「 中立性 」 を保つべきだが、この番組は前任の 久米 宏 氏 も 「 主観的なコメント 」 を発信し、それを特徴としてきた。

ただ、久米 氏 の場合は、「 あからさまな偏重 」 を見せなかったし、いかに深刻な話題でも、視聴者 ( カメラ ) に凄んだり、睨んだりしなかった。

主観を交えたコメントも、それは映像の後で補足され、古舘 氏 のように、映像を見せる前から 「 視聴者に先入観を植え付ける 」 ことはなかった。

私の周囲には ( 私も含め )、過去、「 古館 氏 を優秀なアナウンサーとして評価していたのに、考えが変わった 」 という者が少なくない。

彼が、「 洗脳された 」 のか、「 精神を病んだ 」 のか、「 ヤキが回った 」 のかは定かでないが、いづれにせよ、早く降板してほしいと思う。






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2008年06月05日(木) 婚外子国籍訴訟で、日本人になった子供の笑顔



「 校門をくぐったら、憲法よりも校則が優先する 」

                          福岡県内にある某高校の校則

School regulations are more important than the Constitution inside the school gates.

School regulations of a certain senior high school in Fukuoka.



十数年前、『 朝日新聞 』 に投稿され、問題になった校則である。

多方面より非難を浴びたので、今は削除されていると思う。


実態として、憲法で保障されている権利を、学校の定めた規則で奪っている例はあり、たとえば 「 男子生徒は全員が丸坊主 」 などが、それにあたる。

ただ、校則と憲法を同じ土俵に並べ、「 校則が優先 」 などと明記すれば、当然、憲法が大好きな人々から、「 何様のつもりだ 」 と攻撃される。

実際には、校門をくぐったとき、何が優先されるべきかというと、校則でなく、憲法でもなく、いかなる規則よりも 「 学生 」 そのものである。

自分の思考を持たず、出来合いの思想に凝り固まる者を 「 原理主義者 」 と呼ぶが、常に、校則だの、憲法だの、規則に執着する連中が含まれる。

世の中の実態を知ろうともしないで、机上論ばかりを展開し、浅薄な知識をひけらかす 「 実社会では役に立たない人々 」 に、その手の人物が多い。


日本人の父、フィリピン人である母との間に生まれ、日本語を話しながら、それでも日本国籍がなかった子供たちに、最高裁は、日本国籍を認めた。

国籍法により、未婚の日本人父、外国人母の間に生まれた子供が国籍を取得するには、「 生後認知 」 と 「 父母の結婚 」 が必要とされる。

それで、出生後に認知を受けても、今回の原告である子供たちのように、日本で生まれ、育ちながらも、国籍が取得できないケースが発生する。

本日、司法記者クラブでは、10歳から14歳の子供らが記者会見に応じ、それぞれに 「 やっと日本人になれた 」 と、素直に喜びを表した。

国籍が無いことで、学校でのイジメ、将来への不安と向き合ってきた彼らの晴れやかな表情を見ると、幼い頃からの夢が叶って良かったと思う。


婚外子国籍訴訟と名付けられた今回の裁判で、国籍が認められたことへの異論はないが、納得できないのは、その 「 争点 」 と 「 判決理由 」 だ。

争点は、父母の結婚を子供の国籍取得要件にしている国籍法の条項が、「 合憲かどうか 」 という部分に絞られていた。

そして判決では、「 違憲だ 」 という憲法判断に基づいて、不幸な身の上の子供たちに、日本国籍が与えられる結果となったのである。

判決に臨んだ裁判官に、子供の悲痛な願いが届いたかどうかは別として、その理由が 「 人道的判断 」 でなく、「 憲法判断 」 というのはどうか。

日本国憲法を高く評価するのは自由だが、それは、幼い子供たちの未来や、憧れや、生きる権利を上回るほど、尊重すべき規則なのだろうか。


いくら立派な規則でも、それ自体に価値があるのではなく、それを遵守することは、大切な何かを守るための 「 手段 」 であって 「 目的 」 ではない。

戦後、「 負け犬 」 と化した日本人の多くには、憲法への 「 原理主義 」 と、「 偏重思想 」 が染み付いており、その過剰な執着ぶりは、目に余る。

改憲派も、護憲派も、『 戦争の放棄 』 という項目ばかりを論議しているが、私自身は、そんな項目など 「 どうでもいい 」 と思っている。

もしも戦争になり、実際に弾丸が飛び交えば、憲法の条項など気にしている余裕はないわけで、そんな 「 紙切れ 」 の存在など問題にならない。

それよりも、憲法を重視するあまり、それが 「 誰のための規則か 」 ということを、すっかり忘れている風潮のほうが、はるかに忌々しき問題だ。


たとえ質素な生活でも、「 生きることが最大の使命 」 と考えて健気に生きる人もいれば、少しでも不満を感じただけで、簡単に自殺する人がいる。

貧乏より裕福なほうが、醜いより美しいほうが、不健康より健康なほうが、格好悪いよりは格好良いほうが、たしかに人生は楽しいだろう。

しかし、それらは人生の 「 修飾的要素 」 であり、どのような形でも、生きること自体が 「 最優先課題 」 であることを、忘れてはならない。

こうした 「 主 」 と 「 従 」 の関係、「 手段 」 と 「 目的 」 の関係、あるいは物事の優先度について、本末転倒の勘違いをする人が増えている。

憲法とは、国民にとって 「 重要ではあるけれど、国民生活以上の価値など無い 」 ことを認識し、「 規則より人間に目を向ける社会 」 が理想だと思う。






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2008年06月04日(水) 公務員改革で最も重要なポイント



「 分別と良心は、常に素晴らしい コンビ である 」

                   ネルソン・マンデラ ( 南アフリカの大統領 )

A good head and a good heart are always a formidable combination.

                                Nelson Mandela



警察官になるか、教師になるか、考えた時期がある。

結局、公務員にはならなかったが、なっても面白かっただろうと思う。


広島県警は、小学生の女児に性的暴行をしたとして、元小学校教諭 森田 直樹 容疑者 ( 強制わいせつ罪で起訴済 ) を強姦の容疑で再逮捕した。

森田 容疑者 は、小学校教諭だった04年に、当時勤務していた小学校の校内で女児に性的暴行をした疑いがあり、本人も容疑を認めている。

この 「 変態教師 」 が、わいせつな行為をする目的で教師になったのか、当初は、崇高な理念を持って教職を選んだのか、それはわからない。

量刑には影響しないかもしれないが、他の教師による 「 類似した犯行 」 を防ぐためにも、その点は、捜査で追求し、明らかにすべきだろう。

理想としては、新たに教員を採用する際、「 性癖に関する調査 」 を行い、各人の “ 女児に対する性的関心 ” も判断基準にすることが望ましい。


NHK の職員が不祥事を起こしたとか、公務員の一部が逮捕された場合、それは 「 個人の問題 」 であり、組織の責任ではないと考える人もいる。

なるほど、数十人、数百人、数千人を抱える組織内に、理性を欠いた者、人格障害とおぼしき者が、何人か含まれると考えても、不自然ではない。

しかしながら、組織として、そういう 「 ごく一部の不適格者 」 を水際で防ぐ努力をしたのか、採用後に点検したのかという点は、気になるところだ。

水準の劣る工場で生産された品物には、数パーセントの 「 欠陥商品 」 が混じるのと同じで、管理体制の甘い組織には 「 欠陥人間 」 が潜む。

たった一つの不良品発生で、その工場の全製品が 「 粗悪 」 と判断されることも珍しくないのだから、組織全体の質が問われても文句は言えない。


度重なる不祥事に、公務員の給与や待遇を 「 下げろ 」 という声も少なくないが、私はこれに 「 大反対 」 である。

現状の待遇でも 「 満足できる成果 」 が出ていないのに、待遇を下げると、さらに質の劣る人材しか集まらないだろう。

公務員の仕事は、「 質が悪い代わりに、コストも安いから納得できる 」 ものでなく、たとえ費用が高くついても、最良の成果を期待すべきものだ。

学校の教師、警察官、消防士など、どれも 「 安い給料で、半人前を雇う 」 わけにいかず、彼らは、国民の生命、財産、将来を守る責務を負う。

標準的な仕事をする民間人よりも、給与面などの待遇が良いのは当然で、問題は、それに見合う仕事をしているか、管理が充実しているかにある。


大阪府の 橋下 知事 も、しきりに職員らの給与を削減しようとしているが、今より士気を下げて、難題の 「 財政再建 」 ができるとは思えない。

ここは逆に、「 公務員の給与を上げる代わりに、適性や、能力面に対する及第点評価を厳しくする 」 のが最善手ではないだろうか。

採用においては、学力、能力の評価だけでなく、人格などの 「 人間力 」 を重視し、公僕としての倫理を欠いた者は、即刻、問答無用に解雇する。

おそらく、それで全体の 「 3分の2 」 は離職を余儀なくされ、残った人員の給与を増額しても、十分にお釣りがくるはずである。

公務員こそ、「 分別と良心 」 を兼ね備えて、広く国民の模範となる人材を揃えるべきで、そのための投資は、けして税金の無駄遣いにならない。






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2008年06月03日(火) 異常者から身を守る 「 ケンカの極意 」



「 自分の心を制しない人は、城壁の無い壊れた城のようだ 」

                                     英語の格言

He that halt no rule over his own spirit is like a city
that is broken down and without walls.

                                 English proverb



マンションの2件隣りに住む男が、女性を殺し、骨を下水に捨てる。

見ず知らずの小学生を目がけ、殺意を抱いて車のアクセルを踏む。


やむにやまれず犯した罪ではなく、これらは、巷に潜伏する 「 異常者 」 の狂気が、ほんの些細なきっかけで表面化した結果といえる。

いわゆる 「 自分の心を制しない人 」 を弱者として扱い、どこまでも人権を擁護する方々のおかげで、このような事件が後を絶たない。

今日も埼玉県川越市で、拳銃を持ち発砲しつつ立てこもった男が、最後は自分の頭部を撃って絶命するという騒動が起きた。

この男は、16年前に東京都杉並区で医師を誘拐し、身代金3000万円を奪って逮捕され、4年前まで服役した犯歴を持っている。

刑期を勤め上げたのだから、社会生活に溶け込む権利を有してはいるが、それで 「 この男の異常性 」 が払拭されたと思うのは、考えが甘いだろう。


普通の自制心を持つ人間は、よほどの事情がないと犯罪に加担しないわけで、犯罪者の大部分は、その性格に 「 異常性 」 を宿しているものだ。

また、未だ犯罪に手を染めていなくても、性格面に 「 異常性 」 がみられる人物は、そうでない者に比べると、自傷、他傷の可能性が格段に高い。

年間、2万人以上の受刑者が刑務所から出所して、そのうち、1年以内に約一割が、5年以内に約半数が再び罪を犯し、刑務所に戻っている。

犯罪者を除いても、年間3万人以上が自殺し、100人に3人が精神科医の治療を必要としている実態があり、日本は 「 精神病大国 」 である。

けして外見では判別できない、犯罪者、人格障害者などの 「 精神を病み、自制の利かない者 」 が、我々の生活圏内で、何百万人も闊歩している。


誰もが他人事のように 「 最近は物騒な世の中になったね 」 と話すけれど、実際に、凶悪な事件や、異常犯罪に巻き込まれた人の数は少ない。

ただ、統計にはあらわれないし、まだ事件に巻き込まれてもいないが、体で感じる治安状況 ( これを “ 体感治安 ” という ) は、悪くなる一方だ。

それが、いまの日本に住む 「 まっとうな人たち 」 の偽らざる実感であって、警察庁などの発表よりも、治安の現況を明確に示している。

その反面、日本人は昔から 「 判官びいき 」 の性向が強く、弱者を庇うのが大好きで、少しでも他人を色眼鏡でみると、差別だ、偏見だと騒ぎ立てる。

犯罪予備軍や、「 明日の事件の主役 」 が身近にいると知りながら、彼らを監視したり、行動を制限することに、なかなか同意しないのが実情だ。


こんな世の中を渡り歩くには、それなりの 「 サバイバル術 」 を身に付けておくことが肝要で、犯罪者、異常者に対抗できる 力 の保持が望ましい。

ガキの頃からケンカ慣れして 「 暴力の耐性 」 が出来ている我々と違って、特に女性の場合は、「 そんなの無理よ 」 と言う人も多い。

一見、か弱い女性が、腕力に勝る男を撃退するのは困難に思われやすいけれど、ケンカに勝つ極意は、腕力よりも 「 躊躇しないこと 」 にある。

普通、人を殴ったり蹴ったりするときに、少しは躊躇したり、戸惑ったりするものだが、何のためらいもなく攻撃できたら、これほど強いものはない。

腕力が 100 のレベルにある男が、躊躇して 6割 しか出せなければ 60 のパワー、腕力 70 の女性が、満点を発揮すれば 70 のパワーだ。


また、同じ 「 顔を殴る 」 にしても、ケンカ慣れしていない人は、頬の皮膚を殴る程度で、それでは相手にダメージを与えられない。

本気で倒す場合は、頬や顎から鋭角に 「 脳みそをえぐる 」 ように拳を出すのが基本で、できれば、動きを読まれないように、肩を動かさないとよい。

20分もあれば、「 相手が一人なら、9割は “ 戦意を喪失させる ” 術 」 を伝授できるので、これまで数人の女性に手ほどきをしてきた。

この場において、あまり詳しく書きすぎると 「 悪用 」 する人が現れてもいけないので控えるが、とにかく 「 躊躇しない人間 」 はケンカに強い。

昔から、「 生兵法はケガのもと 」 と言って、下手に抵抗しないことを善しとする人もいるが、相手が異常者なら、攻撃したほうが助かる率は高い。






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2008年06月02日(月) 「 死ね 」 も有害、「 死にたい 」 も有害



「 人生の悲劇は、まだ生きているのに心が死んでいるということだ 」

                  アルベルト・シュバイツアー ( ドイツの医師 )

The tragedy of life is what dies inside a man while he lives.

                                Albert Schweizer



医師であり、伝道師であり、バッハ研究の世界的権威としても知られる。

アフリカでの医療活動、難民救済から、ノーベル平和賞も受賞している。


小さい子供に、シュバイツアーなどの 「 偉人伝 」 を読ませるのは、善行へ導くとか、道徳心を植え付ける以上に、とても大きな意味がある。

偉大な先達に 「 憧れ 」 を抱くことで、生きる勇気を養い、早く大人になって社会に役立ちたいという意識を、子供たちは学んでゆく。

小学校低学年の頃の私は、ジャンルを問わず 「 偉人伝 」 を読むのが好きで、そこから吸収した多くのものが、現在の糧になっている気がする。

大人向けに書かれた本と違い、子供の読む 「 偉人伝 」 では、対象となる人物が “ 聖人 ” のように描かれ、人間臭い生々しさは省略されている。

きっと、大人が読めば嘘臭くて、リアリティに欠けるところも多いのだろうが、実在した人物の生き様に触れることで、子供は生きる道標を得るのだ。


昔と違って、今の子供たちには娯楽の幅が広く、本を読む以外に、たとえばDVDを観たり、TVゲームに興じるとか、「 一人遊びの選択肢 」 が増えた。

ここで問題は、どちらかというと 「 有害 」 だったり、なんらかの 「 弊害 」 を伴うものに、その選択肢が広がっていったところだろう。

自民党と民主党は、「 18歳未満の子供をインターネットの有害サイトから守るための議員立法 」 の共同法案の修正協議で合意した。

法案は、携帯電話会社に対し、子供がネットで有害情報を閲覧できないようにするフィルタリング ( 閲覧制限 ) サービスの提供を義務づける。

パソコンメーカーには、フィルタリングソフトの組み込みを義務づけ、出会い系サイトなど有害サイトに絡み、子供が事件に巻き込まれるケースを防ぐ。


焦点となった 「 何が有害情報に当たるか 」 の選別基準は、憲法が定める 「 表現の自由 」 に配慮し、民間の第三者機関が策定するらしい。

今国会で法案が成立すれば、18歳未満の子供は 「 出会い系サイト 」 や 「 自殺サイト 」 など、インターネット上の有害サイトを閲覧できなくなる。

大いに結構な話だが、少し疑問に感じるのは、そういったサイトを 「 有害 」 と認めつつ、そのまま放置する方針であるところだ。

世間に 「 有害 」 なものが有ると知りながら、「 子供に見せなければよい 」 という判断で済ませるのは、いかがなものか。

それが、たとえば 「 H な画像 」 とか、「 大人の愉しみ 」 的な範囲ならば、子供にとって有害でも、大人にとっては許される論理も通るだろう。


しかしながら、「 自殺サイト 」 なんてものは、むしろ子供より大人に及ぼす悪影響が大きいはずで、フィリタリング云々の話ではない。

また、ここでいう 「 自殺サイト 」 の定義は、自殺のノウハウを伝授したり、集団自殺を募ったりするものに限定されている。

私が眺めて 「 有害 」 と感じるのは、そんな 「 死ね 」 というサイト以上に、繰り返し自堕落に 「 死にたい 」 と愚痴るサイトの存在である。

生きる気力を失いつつある者に 「 死ね 」 と命じても、本当に自殺する人は少ないが、「 死にたい 」 と愚痴るヘタレなサイトに、誘引される人は多い。

死ぬ方法を伝授したり、「 死ね 」 と書かれたサイトを抹消するのと同時に、生きていても仕方がないとか、「 死にたい 」 と愚痴るサイトも葬るべきだ。


ようするに、「 自殺サイト 」 だから有害なのではなくて、「 自殺 」 という行為そのものが有害なのであって、美化したり、ほのめかすのも禁止すべきだ。

また、特に子供には 「 有害サイト 」 を排除するだけでなく、将来の夢や、生きる勇気を与える 「 優良サイト 」 の推奨も制度化すべきだろう。

一部の 「 有害サイト 」 の悪影響で、ネットに対する偏見や警戒心ばかりが先立ち、そこから害悪を取り除くことばかりに終始している傾向が強い。

今の時世で、子供たちに 「 本を読め 」 と強制するより、時代の波を素直に受け容れながら、「 良いサイトを閲覧しなさい 」 と勧めるほうが自然だ。

冒頭の名言が示すような、「 生きているのに、心が死んでいる大人 」 にも、生きる勇気を与える 「 優良サイト 」 の推奨が、必要な時代かもしれない。






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2008年06月01日(日) 日韓関係の巨大な障壁



「 公益といえるものは、ただ一つしかない。

  それは、市民の私益を保証することである 」

            シモーヌ・ド・ボーボワール ( フランスの作家、思想家 )

The only public good is that which assures the private good of the citizens.

                             Simone de Beauvoir



限りある資源を有効に活用し、地球に優しい生活をしよう。

未来のため、次世代のため、それが 「 エコロジー 」 の理念だったはずだ。


人類の未来に向けて、将来ある若者のために、無駄遣いを排除し、それで少しは不便な思いをしても、自分たちが我慢すればよい。

そうやって 「 自己犠牲の精神 」 を語りながら、では、“ 未来のために少し負担してください ” と政府が頼めば、途端に反撥するのが大衆である。

少子高齢化が進む現状において、将来ある若者が苦しまないように、老人も少しは医療費を負担してくれと法案を出せば、たちまち跳ねつけられる。

どこの国でも、政府は国家の将来を案じ、大衆は目先の生活を最優先するので、このような 「 ジレンマ 」 が起きるのは世の常だ。

いくら将来のためとは言えど、無理な負担を国民に強いるのは間違いだし、かといって、大衆の喜ぶ施策ばかりを採用するのは、無能の極みである。


政治家は、選挙に勝つことで存命する 「 人気商売 」 なので、いくら立派な政策を並べても、有権者のご機嫌を損ねると、たちまち職を失う。

自民党は、最大の支持層である老人を敵に回し、『 後期高齢者医療制度 』 なる法を発布し、案の定、支持率を低下させたが、その勇気は評価できる。

逆に、民主党は 「 国民の利益を代弁する 」 という名目で、大衆にとっては耳障りの良い話ばかりを並べ続け、与野党逆転を匂わす人気を得た。

問題は、その民主党が政権を奪取した場合に、大衆の 「 目先の利益 」 を守らねば失望を招き、守れば 「 国家の未来 」 が置き去りにされることだ。

大衆が抱く 「 目先の欲得 」 を適当になだめつつ、未来への布石が打てるような政党は、残念ながら、どこの国にも存在しないようである。


隣の韓国では、日本以上に 「 政治不信 」 が深刻化しており、就任わずか3ヶ月しか経っていない新政府は、早くも窮地に立たされている。

5月31日の夜から始まった 『 韓国政府による米国産牛肉の輸入再開 』 に対する抗議集会では、約 3万8000人が参加し、現場周辺は騒然となった。

日本でも、BSE の危惧に絡み社会問題化したが、韓国の場合は、アメリカとの協議内容や、輸入に関する諸条件がまるで違う。

特に、「 輸入再開後、BSE が発見されたとしても、韓国政府は輸入中断を求める権利がない 」 という契約条項には、国民の怒りが集中した。

ネットでは、大規模のオフ会が次々と計画されるほか、李 明博 大統領 への弾劾署名は、既に 200万人を超えている。


韓国には、根強い 「 反日、反米思想 」 があり、いまも休戦中の北朝鮮を擁護する 「 左翼勢力 」 が、強大な影響力を保持している。

たしかに、日本と比べた場合、アメリカが韓国へ牛肉の輸入再開に向けて提示した内容も理不尽だが、騒動の根幹は 「 別のところ 」 にある。

それは、経済発展や近代化、国際化に向けて、日米と親睦を図り、逆に、北朝鮮とは距離を置こうとする 李 明博 大統領 への 「 抵抗勢力 」 だ。

あまり知られていないが、休戦状態であるにも関わらず、韓国内の公人が北朝鮮や 金 正日 の事を 「 公然と非難する 」 のは タブー とされている。

経済面では、韓国が 「 太陽政策 」 などで北朝鮮を一方的に支援しているけれど、韓国の政局は 「 北朝鮮が握っている 」 のが実態なのだ。


もしも韓国の政治家が、“ 金 正日 は独裁者だ ” と批判した場合、たちまち抗議が押し寄せ、左翼系の団体や人々が、ありとあらゆる妨害をする。

韓国の左翼勢力では、北朝鮮の指導者は 「 かつて日本帝国主義と戦って勝利し、現在は米国帝国主義と戦っている英雄 」 と判断している。

なぜ、( 休戦中の ) 北朝鮮に対し、盧 武鉉 前大統領 を中心とした韓国の左翼勢力が、巨額の経済支援を行ったのかという点も、ここに答がある。

日本にも、北朝鮮から利益を得て、反米思想を扇動する政治家はいるが、韓国ほどあからさまではないし、マスコミも露骨に協力はしない。

大衆の 「 私益 」 に対する危機感を煽り、そこから反米、反日へと扇動する韓国の風土こそが、実は、日韓関係の大きな障壁となっているのである。






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