Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年01月30日(水) 中東の笛



「 信じる者同士は、ささいな違いで争う。

  それに比べ、疑う者は、自分の中で葛藤するだけだ 」

                     グレアム・グリーン ( イギリスの作家 )

The believer will fight another believer over a shade of difference :
the doubter fights only with himself.

                                Graham Greene



信じるべき相手が、信じられなくなったら、人は無力に陥る。

たとえばスポーツの場合、そんな環境で全力を尽くすことなど不可能だ。


中東勢への偏った判定が相次ぎ、異例の再開催となった男子ハンドボール北京五輪アジア予選 「 日本 対 韓国 」 戦が、代々木体育館で行われた。

残念ながら、終盤にみせた怒涛の追い上げも虚しく、日本が敗れる結果となったが、見応えのある好試合に、観衆は両軍選手の健闘を称えた。

下馬評でも 「 韓国が優勢 」 と報じられていたけれど、アウェーの状況下、実力を発揮した韓国チームは見事で、五輪でも、活躍しそうである。

日本チームも、これで終わりというわけではなく、5〜6月に開催される最終予選の戦績によっては、五輪出場への道も開ける。

今日の悔しさをバネにして、さらなる精進を重ね、次に対戦するときは雪辱できるよう、頑張ってもらいたいと思う。


ご承知の通り、再開催に至った経緯は、アジア・ハンドボール連盟による 「 オイルマネーを盾にした横暴 」 が原因で、なんとも理不尽な話だ。

傀儡の審判員による、あからさまに偏った判定は 「 中東の笛 」 と呼ばれ、試合前から結果がみえているほど、酷いものだったという。

彼らの恫喝に屈さず、数々の障害と紆余曲折を乗り越え、この再試合までこぎつけた関係者各位の熱意には頭が下がる。

自分も、長くスポーツに携わっていたが、「 信頼できない審判 」 を交えて、競技を行わなければならない状況など、まるで想像し難い。

そのような組織や個人は、スポーツの場から永久に追放すべきであって、競技の威信や名誉を傷つけた不正行為は、断固、厳しく処す必要がある。


国際試合の審判員として印象深いのは、サッカーのドイツ・ワールドカップで主審を務めた日本人の 上川 徹 氏 である。

彼の談話には、「 審判の主な仕事は、反則があったときに笛を吹くことではなく、試合全体のコントロールをすることだ 」 という主旨の話があった。

試合の最中には、激しく体をぶつけ合い、ボールを奪い合う中で、苛立ちや興奮がつのり、思わずヒートアップして、ラフプレイが起こりやすくなる。

乱闘や、危険な反則は、突発的に起こるものでなく、どこかに 「 予兆 」 があって、それを放置し続けていると、溜まった不満が爆発する図式だ。

彼は、常に試合全体の流れを観察し、様子のおかしい選手がいると、その選手に聞こえるように、近づいては、大声で注意を呼びかけていたという。


ワールドカップで彼が主審を務めた 「 ドイツ 対 ポルトガル 」 の試合でも、前半、加熱ぎみだった試合を、巧みなジャッジで冷静に導いた。

それは、ポルトガル代表の スコラーリ 監督や、ドイツ代表GKの オリバー・カーン らから賞賛され、当時、世界中の注目を集め、一躍有名になった。

公正で、円滑な試合進行を促す審判員は、オーケストラにおける指揮者のような存在にあり、とても重要な役割を担っているものだ。

審判が公正でなかったり、怠慢だったりすると、選手の士気にまで影響し、全力をぶつけあう好試合は、なかなか、みられないのが実態である。

スポーツを観戦する際、そんな 「 名試合には、名審判あり 」 という視点で眺めると、また、新たな楽しみ方が見出せるだろう。






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2008年01月28日(月) 大阪府知事選挙は 橋下 徹 氏 が圧勝



「 政治とは可能性の芸術である 」

            オットー・フォン・ビスマルク ( ドイツ帝国の初代宰相 )

Politics is the art of the possible.

                              Otto von Bismarck



大阪府知事選は、タレントで弁護士の 橋下 徹 氏 が圧勝した。

赤字財政からの再生を託す相手として、府民は 橋下 氏 を選んだ。


与党に逆風が吹く中、あえて自民・公明の推薦・支持を仰いだ 橋下 氏 の戦術は、当選後の具体的な施策まで視野に入れており、信頼できる。

知名度が高いだけで当選しても、議会の反撥をまともに喰らっては、知事として手腕を発揮することができず、何の改革も叶わなかっただろう。

就任後は、中央の政争に巻き込まれず、先に当選した大阪市の 平松 氏 ( 市長 : 民主党 推薦 ) と連携し、変革を推し進めてもらいたい。

私の周囲にも 橋下 氏 を推す人が多く、北野高校 の OB から、ご近所のオバサンまで、様々な人々が彼に期待し、地道な集票活動を続けてきた。

最終日に 「 東国原 知事 」 が応援に来たけれど、他には著名人の応援も要請せず、真摯に投票を訴えてきた姿勢も、好感に繋がったように思う。


民主党は 「 衆院選の前哨戦 」 とし、小沢 代表 やら 鳩山 幹事長 やらが対立候補の応援に駆けつけたが、まったく効果を及ぼさなかった。

地方には地方の課題があり、組織ではなく 「 リーダーシップのある個人 」 が求められているわけで、知事選では、それに見合う人選が必要となる。

橋下 氏 に対抗できる候補を擁立できず、つい先日も 「 アカハラ事件 」 のあった 大阪大学 の教授を立てるようでは、なんとも無策である。

そういえば先週、小沢 代表 は、衆院本会議を採決前に退席した理由を、大阪府知事選の応援としていたが、負けてしまっては、みっともない話だ。

選挙においては、戦術よりも 「 誰を擁立するのか 」 が重要であり、府政を置き去りにして 「 勝ち負け 」 に拘るから、こういう失態が起きる。


府知事選と中央政治は別物だが、今回の選挙戦を眺めていても、民主党の無能、無策ぶりが、随所で垣間見られる結果となった。

与党、橋下 氏 側は何も言わないのに、民主党側は勝手に政党間対決の構図を持ち出し、それで自滅したのだから 「 アホ 」 な政党である。

そろそろ衆院選の話題も出てくると思うが、目先のパフォーマンスで大衆に迎合するだけの民主党に、推す危険を感じる人が増えているらしい。

また、東国原 知事 も同様だが、最近の有権者は、情熱をもって精力的に動き回る 「 スポーツマンタイプの政治家 」 を求める傾向にある。

世はサバイバル時代に突入し、いくら知識があっても、口先ばかりで行動力のない御仁や組織では、通用しなくなってきているのが実情のようだ。






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2008年01月21日(月) スピリチュアルカウンセラー という名の詐欺師



「 人は “ ありえないこと ” を容易に信じるが、

  “ ありえそうにないこと ” は決して信じない 」

                   オスカー・ワイルド ( アイルランドの作家 )

Man can believe the impossible, but man can never believe the improbable.

                                   Oscar Wilde



信心深いとされる欧米人の中にも、宗教に疑問を持つ人は存在する。

そんな人々が遺してきた、伝統的なアメリカンジョークをご紹介しよう。


イエス・キリスト の一行が小さな村にやってくると、そこでは、一人の女性が大勢の村人から石をぶつけられ、怒号を浴びせられている。

弟子の一人が村人に、「 どうしたことか 」 と尋ねると、その女性は罪を犯したので、皆で懲らしめている最中なのだという。

すると キリスト は、「 だったら、石をぶつけても仕方ないが、ただし、一度も罪を犯したことのない者だけが、石をぶつけなさい 」 と民衆に言った。

その言葉に村人たちは戸惑い、徐々に石を投げる者は減り、喧騒と怒号は静寂に変わり、さっきまでの自分の振る舞いを反省する者も現れた。

やがて、石をぶつけているのは キリスト ただ一人だけになった。


敬虔なクリスチャンからすれば、なんとも 「 バチあたり 」 なジョークかもしれないが、まったく信仰心の無い私などには、ずいぶん笑える話だ。

最近、霊感商法などは社会問題化しているが、私からみれば 「 宗教と名のつくものは、ある意味、すべてが詐欺である 」 という概念しかない。

宗教にすがり、救いを求める人は、それぞれに不幸や悲しみを抱えており、その 「 弱み 」 につけこみ金品をせしめる行為は、まさしく詐欺である。

霊感商法が 「 病気が治る魔法の水 」 を 100万円で売る行為と、高僧が 「 戒名 」 を 100万円で授ける行為の、一体、どこが違うのだろうか。

前者は 「 科学的根拠が無いこと 」 を理由に犯罪とみなされるが、後者は、同様の理由を持ちながら、裁かれることがない。


宗教以上に 「 詐欺 」 だと感じるのは、占い師や、近頃、テレビによく登場する 「 スピリチュアル・カウンセラー 」 という、霊能師を名乗る連中だ。

興味が無いので滅多に観ないが、ありもしない ( あるとしても、まず証明ができない ) 前世の話などを持ち出し、くだらない与太話を展開している。

テレビ番組では、被験者から直接的に諸費用を徴収していないが、他人の不安感や恐怖心を煽り、それで儲けているのだから 「 卑しい商売 」 だ。

21日、「 放送倫理・番組向上機構 」( BPO ) の放送倫理検証委員会は、番組制作上の倫理違反があったとする意見書をまとめ、フジに手渡した。

内容は、スピリチュアルカウンセラーの 江原 啓之 が、女性出演者が経営する美容院が経営難であるかのように語り、訴えられた事件に起因する。


江原 も問題だが、そういった連中を引き立てるかのごとく、番組に起用するテレビ局側は、この際、大いに反省するべきであろう。

マスコミが、彼らをもてはやす風潮は、「 胡散臭い話に対する警戒心 」 を鈍らせ、多くの人々が霊感商法の被害に遭う危険をも高めている。

将来への不安は、地道な努力を続け、日々、精進することにより、たしかな手応えと共に自信を獲得することで、解消すべき性質のものである。

それなのに、根拠も無く、さも前世の影響を受けているかのように語ったり、そんな与太話に感銘したりする様子を放映するのは、「 文明の恥 」 だ。

知人の外国人は、そんな様子を眺め 「 TAKA、日本ってのは未開の部落だったのか 」 と尋ねてくるが、今は、一緒になって失笑するしか策がない。






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2008年01月20日(日) 受験生に伝えたいこと



「 教育は、学んだことがすべて忘れ去られた後に残る “ 何か ” である 」

                     B・F・スキナー ( アメリカの心理学者 )

Education is what survives when what has been learnt has been forgotten.

                                  B.F.Skinner



ずいぶん寒いと思ったら、窓の外には 「 みぞれ 」 が降っている。

受験生の中にも、文字通り 「 風雪に耐えている 」 人がいるだろう。


最近の日本人は、自分の長所を明確に答えられないけれども、なんとなく 「 自分は “ 並み以上 ” である 」 という意識を持つ人が増えたしい。

ある調査では、それぞれの大学生が、どの水準の大学に自分が属するかという質問に、過半数の学生が “ 並み以上 ” と答えたらしい。

自分の学校に誇りを持つのは良いことだが、そうではなくて 「 人間の価値は、共通のモノサシで計れない 」 という、偏差値への否定が大きいようだ。

周囲に理解され難いかもしれないが、自分は、なんらかの個性的な部分で他人より優れているのだという意識を、持っている人も多いという。

それが、本当にその通りなら何の問題もないが、独りよがりの願望に過ぎなかったり、世間じゃ通用しない屁理屈では、ちょっと困ったものである。


現状を “ 並み以下 ” と感じる人の中には、世間の不条理や、政治の腐敗や、己にだけ不幸が降り注ぐ悲運を、その原因だと感じている人も多い。

そうした人々は、自分に劣等感を抱きながらも、一方では、「 本来の自分は “ やればできる ” のだ 」 という、曖昧な自己肯定感を持っているらしい。

この “ やればできる ” という言葉が、多くは 「 やらないことの言い訳 」 に使われ、それで切磋琢磨を怠る学生、社会人の姿も、よく目にする。

100% とは言わないが、たとえ多少の偶然が重なったとしても、努力して頑張った人は成功し、それを怠った人たちは成功に見放される。

世の中の大部分は、そんな 「 シンプルな構造 」 で出来ているのに、物事を複雑に語ったり、出来の悪さを 「 個性 」 と誤魔化す風潮が増えてきた。


受験勉強も、すべては 「 質 × 量 」 の問題であり、高い目標意識を持ち、豊富な時間を費やしたかどうかで、その成否が決まるものである。

ただ、私は持論として 「 “ 学歴 ” は大事だが、“ 学校暦 ” には拘らない 」 と思っているので、闇雲に偏差値の高い学校を薦めはしない。

むしろ、受験に傾注するあまり、スポーツで心身を鍛えることなどを怠ると、ロクな大人にはならないので、その点は肝に命じていてもらいたい。

ちなみに、冒頭の名言が示した通り、「 学びつつも、考える力を失わない 」 ことこそが大事であり、学ぶことと、考えることは別物である。

知識と思考は、似て非なる頭の使い方であって、どれだけ知識が豊富でも、ハッピーに生活へ応用できない人は、単なるおバカさんで終わる。






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2008年01月18日(金) 「 ガソリン値下げ隊 」 が 「 地球温暖化させ隊 」 になる危険



「 話は目的のある航海のようなもので、海図がなければならない。

  あてもなく出発した者は、たいていどこにも行き着けない 」

                    デール・カーネギー ( アメリカの著述家 )

A talk is a voyage with a purpose, and it must be charted.
The man who starts out going nowhere generally gets there.

                                  Dale Carnegie



いわゆる 「 嘘つき 」 には、いくつかのタイプがあるようだ。

正直な性格でも、約束が守れなかったりすると、人は 「 嘘つき 」 になる。


大別すると、詐欺師のように 「 最初から嘘と知りつつ、他人を欺く人 」 と、騙す気はなかったが 「 結果的に嘘をついたことになる人 」 に分かれる。

前者は犯罪者、虚言癖のある人、虚栄心の強い人に多く、後者は政治家、多重人格などの精神障害者、無責任な人、計画性の乏しい人物に多い。

いづれの場合も、嘘が発覚するタイミングは、概ね 「 話の矛盾点 」 が露呈した時で、嘘の上手な人とは、話の矛盾に気付かせない人ともいえる。

先に挙げた多重人格者の場合は、簡単に見破れる嘘をついている患者のほうが軽症で、完璧に嘘をつき通せる患者は、かなりの重症である。

嘘の種類は、休日に家族サービスをしなかったとか、デートをすっぽかしたといった類から、二国間休戦協定の破棄などまで、多種多様に存在する。


この数年間で、ダブルスタンダード [ double standard = 二重基準 ] という言葉は日常生活に浸透し、すっかり定着したように思う。

主張に一貫性がなく、立場が変わると反対の主張に回る 「 自己矛盾 」 を指す言葉で、公平性に欠けるなど、悪い意味に使われることが多い。

典型的な例としては、「 自分に甘く、他人に厳しい 」 人物がそれにあたり、たとえば 「 自分は働きたくないが、ニートはけしからん 」 などと仰る。

これは、他人からみると 「 目くそ鼻くそ 」 の違いしか感じなくても、本人は大真面目で価値の違いを主張しているわけで、騙そうという意識などない。

すなわち、ダブルスタンダードを頻発する人も、前述の 「 騙す気はないが、結果的に嘘つきとなる人 」 に含まれ、矛盾だらけだが詐欺的悪意はない。


すっかり浸透したダブルスタンダードに対し、ダブルバインド [ double bind = 二重拘束 ] という言葉は、それほど普及していないようだ。

もともとは精神医学に関する造語として、1950年代に生まれた言葉だったが、いまでは政治やビジネスの話をするときも、頻繁に使用されている。

世の中には、「 あちらを立てれば、こちらが立たず 」 という局面も多いが、そこで悩んだり、苦渋の選択を迫られるのは、人の常である。

たとえば、「 一生懸命に働いた人が高給を得るのは当然だが、所得の低い人にも福祉の手を差し伸べるべき 」 などの、社会的実情が挙げられる。

こういった、正反対に異なる拘束条件を鑑み、一方に偏らないよう、場面によって対処を変えるのは、ダブルスタンダードと似て非なる質のものだ。


民主党は、ガソリン税の暫定税率廃止を目指し、中堅、若手の衆議院議員約 60名で 「 ガソリン値下げ隊 」 なる組織を編成したという。

たしかに、このところ石油価格が暴騰し、消費者の痛手となっているので、この活動は 民主党 が掲げる 「 国民生活第一 」 の思想に反していない。

しかしながら、ガソリンの価格が高いことで、なるべく省エネに努力するほうが、「 地球温暖化対策 」 という観点では、都合の良い面もある。

ガソリン代が安くなることで、ドライブに出かける人が増えたり、無駄遣いを促進する可能性も否めず、そうなったら、相反する別の課題が浮上する。

また、ガソリン税を財源にしていた道路建設、補修の費用は、一体どこから捻出するというのか、彼らからは具体的な方策が示されていない。


うがった見方をすると、これらはすべて 「 衆院選に向けたパフォーマンス 」 に過ぎないのかもしれないが、それにしても、お粗末な気がする。

たとえば、「 生活最優先 」 のスローガンと、「 地球温暖化 」 の二重拘束を解消するには、ガソリン税を維持し、米などの消費税を減免する手もある。

民主党の場合は、「 嘘つき 」 かどうかという問題より、あまりにも対応が 「 場当たり的 」 で、先々の代償がどれほど高くつくか、実に不安なのだ。

年金問題にしても、自民党を叩くのは結構だが、叩けば叩くほどに、彼らが政権を担ったとき、国民の期待するハードルは上がり、立場が厳しくなる。

そろそろ、目先にある国民の関心事を追うより、「 航海の行き先 」 を示す作業を始めないと、「 騙す気はなかったが … 」 という結末に陥りそうだ。






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2008年01月17日(木) 船場吉兆が民事再生法を申請



「 富を失う者は多くを失う。 友を失う者はさらに多くを失う。

  だが、勇気を失う者はすべてを失う 」

                ミゲル・デ・セルバンテス ( スペインの小説家 )

He who loses wealth loses much ; he who loses a friend loses more ;
but he that loses courage loses all.

                             Miguel de Cervantes



破綻した企業が、「 会社更生法 」 や、「 民事再生法 」 を申請する。

どちらも、法的整理の手続きだが、特徴の違いについてご存知だろうか。


まず 「 会社更生法 」 の特徴だが、会計上、それまでの会社の事業年度が開始時に終了し、以後は、新しい会社としてスタートする仕組みである。

以前の経営陣は退陣の後、責任を追及され、株主は株式を無くすために、新しい会社は旧態の影響を受けず、すっきりと生まれ変わりやすい。

それに対して 「 民事再生法 」 は、開始後も事業年度が中断せず、経営は特例を除くと、原則的に従来の経営陣が継続することになっている。

債権を一度には支払えないが、減額や分割にしてもらえれば乗り切れるといった中小企業の場合、普通は、手続きも簡単な民事再生法を申請する。

この二つ以外に、大企業を対象とした 「 産業再生法 」 やら、事業も負債も放り出す 「 破産 」 や、「 夜逃げ 」 など、各社の対応は様々だ。


食品偽装問題が発覚し、営業休止中の 「 船場吉兆 」 は 8億円の負債を抱え、資金繰りの悪化から、大阪地裁に民事再生法の適用を申し立てた。

負債の内訳は、銀行を主とした金融債務が 6億円で、残る 2億は、取引先の百貨店などから請求されている損害賠償金が大部分を占めている。

営業を休止しているため、食材仕入れなどの一般債権は僅かで、取引銀行などが同意すれば、おそらく近いうちに申請は認められるだろう。

ただし、物議をかもした旧経営陣一族が引き続き携わり、その責任を問い難くなることから、現実に再建できるかどうかは、なんとも疑わしい。

私の知り合いにも 「 吉兆の常連 」 と称する社長さんが何人かいるけれど、問題発覚後は、誰もそのことを口にしなくなっている。


本来、「 吉兆 」 ほどの名店であれば、経営が苦しいなら助けてやろうという贔屓筋が何人もいて、法的整理を仰ぐ必要など、なかったはずである。

もしも、真面目な商売をしていて、どうしても行き詰ったというのであれば、情の深いグルメなお金持ちが、惜しみなく手を差し伸べていただろう。

ところが、いまや彼らにとって 「 常連 」 と名乗ることは、「 自慢 」 どころか 「 恥 」 でしかなく、その思い出は、裏切られた恨みに変わっている。

本気で再建を目指すなら、経営陣を一新するか、高級料亭の看板を下ろしてターゲット層を変えないかぎり、逃がしたお客は戻らないだろう。

富を失い、常連客という友を失い、挙句は 「 革新する勇気 」 までも失った彼らに、はたして再生の道があるのか、まるで想像がつかない。






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2008年01月16日(水) 田舎まで、残虐な事件が増えた理由



「 危険な女などいない。 感じやすい男がいるだけだ 」

                ジョゼフ・ウッド・クルーチ ( アメリカの批評家 )

There is no such thing as a dangerous woman ;
there are only susceptible men.

                            Joseph Wood Krutch



たしかに、誰かを 「 危険な女性 」 と感じるのは、特定の男性だけだ。

その女性に何の興味もなければ、危険を感じることもない。


青森県八戸市のアパートで、母子3人が刃物で殺害され、放火される事件が発生し、無職の長男 (18) が現行犯で逮捕された。

その後、八戸署捜査本部の調べで、母親 (43) の遺体は腹部を切られ、人形とみられる異物を詰められていたことが判明している。

捜査本部では、「 母親に対する強い恨み 」 が犯行につながった可能性があるとみて、逮捕した長男に対し、慎重に調べを進めているという。

犯行の仔細から鑑みて、犯人の異常性は 「 反社会性人格障害 」 の部類に属するものだが、彼らの人生のテーマは、ずばり 「 復讐 」 である。

人を愛したり、信じることを自分から捨て去り、他人の慈悲や愛にすがるのではなく、他人を無慈悲に貪ることで、生き延びる選択をするタイプだ。


一部の報道では、母親の酒癖に腹を立てていたとされるが、母親の腹部に攻撃を加え、人形を詰めるという行為には、違う怨念を感じさせる。

不本意な自分を 「 生んだこと 」 に対する恨みや、復讐する気持ちが強く、母体の象徴である腹部を残虐に切り裂いたとみるほうが妥当だろう。

また、多くの場合において、反社会性人格障害の人のバックグラウンドには、拒絶された愛や、否定され続けてきた歴史が垣間見られるようだ。

拒否され、愛されないことを自らが行って、自分の存在を証明しようとする捨て身の試みの裏に、実は、愛と承認を求める気持ちが隠されている。

それは他人からみると、「 一面的な思い込み 」 に過ぎないのだが、彼らは復讐というテーマによって、自己のアイデンティティを見出すのである。


このような事件が、昔から無かったわけではないが、昔は、どちらかというと都会に多く、のどかな田舎では滅多に起こらなかった印象が強い。

いつから、どうして、都会型の派手で残虐な凶行が 「 グローバル化 」 し、比較的ストレスが少ないはずの穏やかな地方にまで行き渡ったのか。

残虐な事件が起きる度、犯行を彷彿とさせる漫画や動画が指摘されたり、制限を加えるべきという議論も加熱するが、どうも違う気がする。

マニアックな嗜好や、反社会的行為の願望があったとしても、その大部分は妄想的に楽しむ範囲で収まるはずで、実行する者など皆無に等しい。

また大半の人は、そういった自分の願望や性癖を 「 恥ずべきこと 」 と認識しており、特に地方の人ほど、誰にも打ち明けず、そっと胸に秘めていた。


個人的な意見なのかもしれないが、私は、特に商用でなく一般個人による悪意のない 「 有害なブログ 」 の影響が大きいように思う。

一般社会で公言すると、たちまち批判を浴びる反社会的な暴言や、大人として恥ずべき愚痴や、放言が、野放しで大手を振って罷り通っている。

従来なら 「 自分だけの恥 」 と感じ、潜めていた病的性格や、異常思考の類が、ネット上で共感を得ることにより、表出させる連中が現れ始めた。

自由な世の中において、あるいは差別的に聞こえるかもしれないが、社会秩序を維持するため、精神病患者のネット接続も禁止すべきと思う。

もちろん、ネットだけでなく、テレビや雑誌など諸々のメディア媒体も、それら病的な資質を 「 個性 」 として認める悪習は、どこかで断つべきだろう。






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2008年01月14日(月) 地球の心配より、自分の心配をすべき人々



「 たとえ太陽系と天体の全部が壊れたとしても、

  君が死ぬのは一回きりだ 」

              トーマス・カーライル ( イギリスの歴史家、評論家 )

The crash of the whole solar and stellar systems could only kill you once.

                                 Thomas Carlyle



ある意味において、一人の人間の死は、一つの宇宙の消滅かもしれない。

死んじゃったら、その人の宇宙も、地球も、すべて終わりである。


とはいえ、子孫の代まで暮らしやすい環境を残そうと思えば、大気汚染やら、環境破壊やらは、ほどほどにしておかねば、先が思いやられる。

地球温暖化についても、関連する問題に気付いたからには何らかの対策を講じるべきだろうが、あまり神経質になりすぎるのはどうかと思う。

多くの人が、「 自然環境 」 なるものに敬意を払うけれど、それに矛盾して、あたかも 「 人間がそれをコントロールできる 」 かのような錯覚をしている。

人間のエゴによって、絶滅に瀕した動物を救おうとか、自然環境を取り戻そうなんて考え自体が、考えようによっては 「 人間のエゴ 」 かもしれない。

壊すことも、元通りにすることも、人間なら何でもできるという思い上がりに、ちょっと納得できない点を感じるのは私だけだろうか。


学者さんによると、そもそも地球上に最初の植物が芽吹く前は、大気中に酸素がほとんど無くて、あるのは二酸化炭素だけだったらしい。

二酸化炭素は植物の生育に必要なものだが、そのままなら、やがて植物が排出した酸素は空気中に充満し、すべてが窒息死したはずである。

ここに、酸素を吸収して二酸化炭素を吐き出す 「 新たな生物 」 が登場したことで、地球は、非常に効率の良い酸素処理システムを実現した。

炭素を多量に含有した植物の一部は循環から逸れ、地中の堆積物に覆われて石油や石炭に変わり、あるいは、地球の有機物を奪い続けただろう。

埋蔵された炭素を汲み上げて燃やし、循環を従来の軌道へと戻したのは、ご存知のとおり 「 人間 」 であり、石油採掘も自然に反する行為ではない。


最近は、自然や地球環境に良いとか、悪いとかの判断を、偏った断片的な情報と、目先の事情で行う人々が急増し、どうも話がややこしい。

もっと大事なことは、「 自分の目の前にある “ やるべきこと ” を真面目に取り組み、しっかり働くこと 」 であって、それ以外には無関心でよいのだ。

過剰に 「 地球の心配 」 なんぞをしている連中は、それが与えられた仕事でないかぎり、よほど暇か、自分の失敗を他者に押し付けたい御仁である。

自分に与えられた課題を上手く処理できず、その責任から逃れる口実として、「 こんな小さな問題など、どうでもよい 」 と思い込みたいのだ。

その結果、ことあるごとに 「 地球の未来が心配だ 」 などと仰るわけだが、周囲からすると、「 いや、その前に “ お前こそ大丈夫か? ” 」 となる。


もちろん、資源を大切にしたり、無駄遣いをなくすのは良いことだが、それで地球が救われるとか、滅びるなどと考えるのは、思い上がりというものだ。

たとえば、大きな火山が一度噴火したら、現代人が十年間に汚染するのと同じぐらいの空気を汚してしまうのが実態である。

自然は、人間の力や努力などを超越した規模で存在し、そのメカニズムを研究したところで、我々がコントロールできるような代物ではない。

かつて、多くの生物が絶滅したのと同じように、地球や自然に 「 必要ない 」 と判断されれば人類は絶滅するし、そうでなければ生き残るだろう。

お説教じみた話だが、それぞれが一生懸命に働き、社会に貢献して、誰かにとって必要な生き方をしていれば、滅びはしないんじゃないだろうか。






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2008年01月10日(木) 西村 真悟 議員 の手記



「 死ぬ日になってわかること、それは、どうやって死んでいくかです 」

                   キャサリン・A・ポーター ( アメリカの作家 )

You learn something the day you die. You learn how to die.

                              Katherine A. Porter



身勝手な自殺者に対して、「 ご冥福 」 など祈る気持ちは毛頭ない。

ただ、その周囲で悲しみにくれる方々のご不幸には、同情を禁じえない。


西村 真悟 衆院議員 の長男が、赤坂議員宿舎20階の部屋から飛び降り、駆けつけた救急隊員らによる救命活動もむなしく、間もなく死亡した。

天気予報とは違い、「 悪い予感 」 なんてのは当たらぬほうがよいのだが、二日前に私の書いた日記が、この事件では、現実のものとなったようだ。

当該の日記 『 品川の包丁少年 』 の後半、私は、“ 自信を喪失する覚悟 ” がなければ、精神科の治療が逆効果になる危険を指摘している。

事件後に発表された 西村 議員 の手記によると、長男は前日に精神科の治療を受け、「 強いウツ状態 」 と診断された直後の自殺だったという。

大半の人間は、「 自分は優秀である 」 と思い込みたい性質を持っており、医師から 「 あなたは精神病です 」 と告げられたら、当然、衝撃は大きい。


自殺した息子のことは知らないが、父親の 西村 議員 は、民主党 ( 現在は離党し、無所属 ) の議員に珍しく、気骨のある人物と評価していた。

今日の手記でも、深い悲しみのさなか、救急隊員、病院関係者の救命措置に対する感謝や、自殺を止められなかった自責を、気丈に認めている。

周囲の悲しみなど気にも留めず、身勝手に自殺した者を憐れみはしないが、そんな息子の死を 「 自責 」 と受け止める真摯な父親には敬服する。

実際、自殺する危険を予期し、何度も声を掛けたり、家族ぐるみで警戒していたようだが、母親が目を離した数十秒の間に、飛び降りたらしい。

この家族は、その 「 数十秒 」 を悔いながら、重い十字架を背負って生きていくわけで、そんな遺族を責める気持ちなど、誰も持ち合わせないだろう。


逆に、だからこそ、周囲の不幸を鑑みず、自分だけが安楽になろうと図った自殺者を、私は 「 卑怯 」 だと思うし、「 最低のクズ野郎 」 だと思う。

自殺が多いのは 「 政府の責任 」 などと頓珍漢な話を持ち出したり、それを真に受けて 「 対策チーム 」 が編成される点が、私には理解不能だ。

同じ建物 ( 赤坂議員宿舎 ) で、昨年は 松岡 という悪徳大臣も自殺しているが、これも、「 悪事を追求した国の責任 」 だというのか。

受験に失敗した浪人生が自殺したら 「 裏口入学を認めない政府の責任 」 で、失恋して自殺した場合は 「 恋愛指導しない政府の責任 」 なのか。

どうしても国の力で自殺を減らすのであれば、精神病患者、自殺企図者を独房に収監し、24時間体制で永久に監視する以外、方法はない。


政府がどんなに頑張っても、保護者が必死に苦労を重ねても、文字通りに 「 親の心、子知らず 」 で、自殺する連中は勝手に命を絶つ。

この流れを根絶するための、効果的、現実的手段は、学校教育やマスコミなどを通じて、「 自殺は恥 」 という文化を、徹底的に浸透させることだ。

ネガティブな生き方、考え方を 「 個性 」 と認めたり、なんの恥じらいもなく自殺体験を語れる現代世相においては、自殺者が後を絶たない。

過去において自殺を企てたり、これから自殺しようかと考えている御仁は、西村 議員 の手記を、何度も読み返してもらいたい。

たった一人の 「 自分だけが不幸 」 と勘違いした愚か者によって、どれだけ大きな悲しみと、多くの犠牲を撒き散らすものか、そこに真実がある。






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2008年01月09日(水) 突発性難聴になったら、早期に治療しましょう



「 妻を選ぶときは、目よりも耳に頼ったほうが賢明である 」

                         トマス・フラー ( イギリスの作家 )

Choose a wife rather by your ear than your eye.

                                  Thomas Fuller



その昔、聡明で容姿端麗なうえ、美声の女子大生モデルと結婚した。

結果、短期間で離婚したのだから、視覚も、聴覚も、あてにはならない。


歌手の 浜崎あゆみ さん が 「 突発性難聴 」 を悪化させ、左耳が機能不全となり、もはや治療の術はないという。

私も十数年前、山口県に出張していた際、なぜか宿泊先のホテルで左耳に違和感をおぼえ、ごそごそと指を突っ込んでいたら出血したことがある。

翌日、現地の病院で診てもらったら 「 中耳炎 」 として処置されたのだが、その後も具合が悪いので、自宅に帰ってから、近所の耳鼻科を訪ねた。

検査の結果、「 突発性難聴 」 と診断されたのだが、しばらく真面目に通院し、耳に機械を当てたり、注射したりしていると、いつの間にか完治した。

さほど珍しい病気でもないし、大半は早期に治療すれば治る症状なので、それによって片耳の聴力を失うとは、まことに気の毒な話だと思う。


ただ経験上、末期症状に至るまで、放置していた彼女の心情については、なんとなく理解できる。

私も最初は、「 たかが耳ぐらい 」 といった気持ちで簡単に考えていたのだが、通院した耳鼻科の医師に 「 脅し 」 をかけられたのが功を奏した。

そもそも医者嫌いな私は、当面の痛みが収まったら通院しないつもりでいたけれど、「 放置すると、たいへんなことになる 」 と灸をすえられたのだ。

こじらせると、片耳が聴こえなくなるばかりか、平衡感覚を失い、真っ直ぐに歩けなくなったり、様々な障害が残る可能性もあるという。

厳しい忠告のおかげで、多忙ではあったが通院を続け、事なきを得たわけだが、もしも早期に治療していなければ、どうなっていたかわからない。


発症の原因は不明で、ウイルス説とか、内耳循環障害説などがあり、現代の医学をもってしても、いまだに解明されていないらしい。

また、ストレスが原因であるとか、騒音が原因という症例もあって、ちなみに私の場合は、医師によると 「 ヘッドフォンステレオ 」 が原因だった。

当時の私は、かなりの大音量でヘッドフォンステレオを聴いていたのだが、これは聴覚にとって、激悪な影響を及ぼすものらしい。

医師が言うには、「 歯を磨かない歯科医はいても、ヘッドフォンステレオを聴く耳鼻科医はいない 」 とのことで、専門医には常識なのだそうだ。

長時間に及ぶヘッドフォンの使用は、鼓膜に近い振動を浴び続けるため、コンサート会場のスピーカー前にいるより、よほど耳に悪いらしい。


ヘッドフォンの性能が発達したせいか、一昔前に比べると、電車の中などで音楽を聴いている人の音が漏れたり、周囲に響く光景が少なくなってきた。

しかしながら、「 iPod 」 の普及などにより、世はまさにダウンロード文化が全盛で、ヘッドフォンにより音楽を聴く人の数は増え続けている。

携帯電話でも、超小型のメモリーに 1G 規模の大容量が記録でき、手軽に長時間再生が楽しめるため、猫も杓子も耳から糸を垂らして歩いている。

その実情を鑑みると、将来的に 「 突発性難聴の大流行 」 が起きる危惧があり、あるいは、いま既に潮流は始まっているのかもしれない。

経験者の私は、いまもヘッドフォンを好まず、飛行機の中でも使用しないため、音楽を聴く機会は少し減ったが、すこぶる聴覚は健康である。






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2008年01月08日(火) 品川の包丁少年 = 他者軽視の蛮行



「 人間がもっともすぐれた才能を示すのは、意識的に

  勘違いをするという能力においてである 」

                   アナトール・フランス ( フランスの小説家 )

It is in the ability to deceive oneself that one shows the greatest talent.

                                 Anatole France



品川区の商店街で、16歳の少年が刃物を振り回し、5人を傷つけた。

幸い、死者は出なかったが、殺意はあり、殺人未遂容疑で逮捕された。


特定の誰かを狙った犯行でなく、いわゆる通り魔事件だが、警察の取調べに少年は、「 誰でもいいから皆殺しにしたかった 」 と供述している。

アルカイダや北朝鮮なら、「 ドラフト1位 」 に指名されそうな逸材なのだが、残念なことに日本では、単なる狂人としか評価されない。

実際、この少年は精神科に通院していたのだが、10代の若者が精神科に掛かる数は増え続けており、いまや大きな社会問題になっているという。

大人になってストレスを感じ始めた人からみると、「 若い頃は楽しかった 」 とか、「 子供のくせに生意気な 」 と、あるいは思うかもしれない。

また、私のように “ さほどストレスを感じない大人 ” には、「 最近の大人がストレスを曝け出すから、子供にまで伝染している 」 ようにもみえる。


昔に比べると、うつ病をはじめとする精神病や、各種の神経症などに対し、「 世の中の理解 」 は高まってきたが、その効果はいかがなものか。

子供の個性を理解し、尊重して、のびのびと自由に育てようという主旨から始まった 「 ゆとり教育 」 が失敗したように、これは逆効果だったと思う。

もちろん、「 重症 」 の患者さんにとっては、精神科の敷居が低くなったことが救いになったかもしれないけれど、最初から重症という人は少ない。

大多数は気の持ち方次第で、病人になる一歩手前で踏み止まれる状態にあり、安易な治療で誰もが病人に 「 認定 」 されるのは望ましくない。

私の周囲にも、医師の治療を受け 「 自分は精神病なんだ 」 と自覚をしてから、ますます、その症状が重くなった人物が複数名いる。


人間は本来、常に自分を高く評価していたい動物であり、そのために勉強もするし、仕事に精を出し、自己肯定感を積み上げていくものである。

ところが、「 あなたは精神病ですよ 」 と宣告されたことによって、そういった正攻法での自己肯定感を求める作業から、逸脱してしまう人が多い。

もともと自信の無かった人は、すっかり意気消沈して内向的に陥り、逆に、もともと気位の高かった人は、別の方法で “ 偽りのプライド ” を求める。

具体的にいうと、自分が向上する代わりに、他者の能力を批判的に評価したり、軽視することによって、自己の 「 有能感 」 を得ようとするのだ。

学生の例を挙げると、テストの結果が悪かったとき、明らかにその教科が苦手な友達に 「 何点だった 」 と尋ね、安心感を得るようなものである。


アホな友達が少なかったりして、身近に 「 自分よりも劣る知人 」 が見当たらない場合、他者軽視の対象は、情報量の少ない他人へと向けられる。

周囲の誰かではなく、よく知らない政治家や、顔も知らない役人や、マスコミや、外国人などに対し 「 奴らはバカ 」 と罵り、それで自己肯定感を得る。

その究極にあたるものが 「 大衆は劣等 」 という意識で、○○党に投票した奴はバカとか、○○国民はバカといった、曖昧多数な他人蔑視に至る。

今回の事件を起こした犯人が、「 誰でもいいから皆殺し 」 と語った背景にも、「 劣等な大衆は殺してもかまわない 」 という深層心理が潜むようだ。

他者軽視は、他人の生命を粗末に考えるだけでなく、「 こんなはずではない自分 」 を他人と捉え、自殺に走る危険も孕んでおり、注意が必要である。


精神病で悩む方々に対し、キツイことを言うようだが、「 自信を喪失することに耐える覚悟 」 がなければ、治療が逆効果になる危険は大いにある。

知人の精神科医は、治療前にその点をよく説明して、病名が患者に与えるインパクトというものに対し、警戒を怠らないように努めているという。

しかしながら、近頃は 「 うつ病と診断し、薬を与えるだけ 」 の安直な医師も多いらしく、患者に対するケアが十分とはいえない。

精神病の場合、ただ治療するだけでなく、生活習慣や、心構えについてのフォローが必要であり、諸外国に比べ日本は、その点で遅れている。

今後、このような 「 触法精神障害者 」 による事件を減らすためにも、日本の精神医療技術が発達することを、切に希望する。






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2008年01月06日(日) アメリカ合衆国大統領選挙



「 同じ指導者でも、民主党にいれば ボス となり、

  共和党にいれば リーダー となる 」

           ハリー・S・トルーマン ( アメリカ合衆国第33代大統領 )

When a leader is in the Democratic Party he's a boss ;
when he's in the Republican Party he's a leader.

                                Harry S. Truman



今年は、ロシア、中国、アメリカの指導者が選挙の年を迎える。

なかでも関心は、「 アメリカ大統領選挙 」 に集中するだろう。


民主党の予備選挙は、最初に結果が出るアイオワ州において、圧倒的な知名度を誇る ヒラリー・クリントン が3位に破れ、波乱の幕開けとなった。

初の 「 女性大統領 」 誕生かと思いきや、意外と女性有権者層からの支持が少なく、「 ヒラリー以外なら、誰でもいい 」 という街の声も多い。

実は、この 「 ヒラリー以外なら、誰でもいい 」 という意見は、日本の国益を代弁する声でもあり、日本国民にとって、彼女の就任は望ましくない。

逆に、彼女の就任を期待しているのは、もう一つの超大国である 「 中国 」 の政府筋で、事実、相当な金額の資金援助が提供されているという。

あまり知られていないが、中国も、韓国も、北朝鮮でさえも、アメリカの次期大統領候補に資金援助する習慣があり、それは合法的に認められている。


日本の場合、ただでさえアメリカに協力すると馬鹿騒ぎし反対する左翼や、暇な野次馬が多いため、公的資金を投入することは難しい。

しかし現実には、アメリカの支援を受けざるを得ない事柄が多いので、彼らが大統領へと就任する以前に 「 恩を売っておく 」 意義は大きいだろう。

たとえば今回の場合、中国からの資金援助を受けたヒラリーの選挙公約には、中国との友好的な連携が、優先課題として多く盛り込まれている。

それに対し、どの条項にも 「 日本 」 という文言は一行も見当たらず、従来の密接な両国関係が、まるで完全に無視されたものとなっている。

彼女が就任しても、日米安保の信頼関係は保たれるが、たとえば北朝鮮による 「 拉致問題 」 解決に、手を差し伸べてくれる可能性は絶望的となる。


太平洋戦争の惨敗と、その後の占領によって、日本がアメリカに頭が上がらないのと同じく、韓国も朝鮮戦争で加勢を受けたので頭が上がらない。

ただし、韓国の場合は、特定の候補に莫大な資金援助をするのではなく、儀礼的に両党へ提供する慣例があるだけで、日本にとって弊害はない。

北朝鮮にいたっては、多少の金銭で政策を転換できるはずもなく、ほとんどその効果は 0 に近いとみて問題ないだろう。

二大超大国であるアメリカと中国が仲良くなることは、もちろん弊害ばかりではないが、極端な 「 日本はずし 」 は、当面の不利益が大きい。

現職のブッシュは、イラク戦争で批判も多かったが、誰が大統領でも戦争は 「 やるときはやる 」 わけで、日本にとっては、親日候補の当選が望ましい。






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2008年01月05日(土) 謹賀新年2008



「 カレンダーのどの日も、明日ほど重要ではない 」

            ロイ・ウィルソン・ハワード ( アメリカのジャーナリスト )

No date on the calendar is as important as tomorrow.

                             Roy Wilson Howard



あけましておめでとうございます。

本年も、よろしくお願い申し上げます。


年末から数えて一週間、彼女が来てくれて ( 押しかけられ ) 珍しく自宅に引き篭る正月となったが、おかげでまた体重が増えたように思う。

いつも独りなので、少し窮屈な感じもしたが、新婚さんみたいな愉快さとか、艶っぽさもあり、それはそれで楽しい年越しとなった。

自分より一回りほど若いが、まったくパソコンに興味のない彼女は、大の 「 テレビ好き 」 なため、一緒にテレビを観ては、何か食べて過ごした。

おかげで日記の更新は遅れたが、他に楽しいことがあれば休載するつもりで書いてきたから、こんな正月があってもいいかなと思う。

これからどうするか、それは未定だけれど、とりあえずは可愛い彼女ともうしばらく、ダラダラしながら “ 正月ボケ ” を過ごすのも悪くない。


一年の初めに、「 一年の計は元旦にあり 」 などと意気込む人や、物事は最初が肝心だと力説する人も多いが、はたしてそうだろうか。

そんな思い込みが強すぎると、一年の前半で失敗した場合、どうせ駄目だろうと意気消沈し、後半が尻つぼみになる恐れもある。

大事なのは、「 つまづかないこと 」 でなく、「 つまづいたままでいないこと 」 であって、残された時間に、希望や、可能性を求めることではないか。

そう考えると、冒頭に挙げた言葉のように 「 明日こそが大事な日 」 という意識で、繰り返し毎日を大事に過ごすことが、もっとも賢明なように思う。

疲れたら休憩し、遊ぶときは遊んで、過去の失敗や悩みなど引き摺らず、新鮮な気持ちで明日を迎える人は、余計なストレスにも振り回されない。


現代社会は 「 ストレス社会 」 だと言う人も多いが、それは現代人の多くが 「 忘れること 」 と 「 赦すこと 」 の能力、資質に欠けているためだと思う。

だから、気持ちを切り替えたり、眼前の幸福を十分に楽しむことができず、常に不平不満や、怒り、憤りといった気持ちに、感情が支配されやすい。

カレンダーのどの日も 「 明日ほど重要ではないじゃないか 」 という意識で毎日を過ごすことが、自分や他人の過去を赦し、忘れる一助になる。

安易に忘れることで 「 重大な問題が置き去られる 」 という反論もあるだろうが、常に前向きで新鮮な気持ちを持たない者に、問題解決能力はない。

ちなみに、私の明日は 「 明後日から始まる仕事の準備をせず、遊ぶことに集中する 」 ことが目標で、それが達成できれば 「 合格 」 である。






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