Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2007年07月31日(火) 歴史的な自民大敗で、政治はどう変わるか



「 まだやっていないことで、名声を築くことなどできない 」

                    ヘンリー・フォード ( アメリカの自動車王 )

You can't build a reputation on what you're going to do.

                                    Henry Ford



選挙前、連日のように駅前で大声を張り上げていた候補者の姿が消えた。

静かなのは良いが、政治家は 「 お願い 」 はしても 「 お礼 」 はないらしい。


当選した議員が忙しいのはわかるけれど、昨夜の 「 選挙特番 」 から今日にかけて、大勝した 民主党 の 小沢代表 を見かけていない。

風邪か何かで体調が悪いとのことだが、これだけ多くの票を集めておいて姿を現さないとは、投票した有権者に対して失礼ではないだろうか。

まだ死んでいないのなら、「 這ってでも出て来い 」 という場面のはずだが、「 票さえ集めれば、後はどうでもいい 」 では、今後が思いやられる。

歴史的な大敗を喫しながらも、堂々と 「 続投 」 を宣言した安倍総理を批難するには、ちょいと 「 お粗末 」 なのではないかと思う。

ビジネスと同じで、「 体調管理も仕事のうち 」 なのだから、選挙戦に疲れて入院していますなんて言い訳は、通用するはずもない。


さて、今回の選挙により 「 衆議院は自民、参議院は民主 」 と、それぞれの多数派が異なるという現象が発生した。

これにより、両党が合意しない法案はすべて否決され、政局は混迷を深める可能性が高まったわけで、「 二院制の欠点 」 が浮き彫りになった。

野党側は、「 良い法案は通す 」 と言っているが、「 良い、悪い 」 の判断は彼らに委ねられており、必ずしも国民の利益と一致するかは不明だ。

選挙前から、こういう事態を予測した識者らから 「 参院の廃止 」 という声も上がっていたが、それには改憲が必要となり、簡単にはいかない。

やっとの思いで議席を獲得した参議院議員が、おいそれと廃止に賛成するわけもなく、現実的には 「 不可能 」 と考えたほうがよさそうだ。


参院選に自民が敗れても、もう少し議席数を獲得できていたら、民主内の 「 不満分子 」 を スカウト するなどして、過半数を回復する方法はあった。

しかし、これだけ差がついてしまったら、それも困難で、よほどの大混乱が民主内に起きないかぎり、反逆者を取り込むこともできない。

かくなる上は、自民が民主に歩み寄り 「 自民・民主の連立 」 を図る以外に、政権を行き詰まらせない方策はあり得ないように思う。

小沢代表を総理に据え、閣僚の半分を民主党に譲るという条件なら、対立して空転ばかりするより得策と、互いに急接近する可能性は十分にある。

両者が連立し、圧倒的に巨大な勢力を形成した場合、今回の選挙は単なる 「 茶番 」 と化すが、事前に予測できたのだから 「 有権者の意志 」 となる。


もう一つの可能性は、衆参両院が対立しながら政局を空転させつつ、次の衆院選か、その次の参院選で、自民、民主が雌雄を決するのを待つ術だ。

これは、一見すると 「 二大政党制 」 のように見え、お互いの監視と抑止下において、刺激的で、民主的な政治が実現するのではないかと思わせる。

しかし、日本はアメリカやイギリスと違って、二大政党が拮抗しながら良質な政権運営をできるほど政治が習熟しておらず、良い結果は期待しにくい。

今回、社保庁の処理をみても明確だが、悪いことはすべて前政権のせいにし、難易度の高い課題は棚上げされ、ずっと据え置かれる危険が高い。

いづれにせよ、与党への不満から選挙結果に溜飲を下げるのは、もう少し政局を眺めてからでないと、「 こんなはずでは 」 という失望に陥りやすい。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月30日(月) 政治より、自分が変わることが大事



「 私の人生を変えられるのは、私だけよ。

  誰も私のために、そんなことをやってくれないわ 」

            キャロル・バーネット ( アメリカのコメディアン、女優 )

Only I can change my life. No one can do it for me.

                                  Carol Burnett



大方の予測に反せず、参院選は自民党の惨敗に終わった。

民主党には何の実績も感じなかったが、彼らの得票は増えた。


以前、自民党が大勝したときに 「 国民はバカだ 」 と罵った御仁らも、今度の結果には満足しているのだろう。

私は、前回と同じく 「 それが国民の意思であれば、結果はどちらでもよい 」 という考えなので、どの党が得票を伸ばしても憤りなど感じない。

国民がバカであろうが、賢かろうが、政治は国民のために行われるべきなので、国民の望む人が議員になることが、いつの世でも望ましいのである。

また、どんな政党が政権を握っても、誰が総裁になっても、すべての人間を幸せにすることなど不可能で、すべては各自の努力次第ということになる。

自民党政権下で不幸な者は、別の政権下でも不幸でしかなく、自分と考えの合わない人間を 「 バカ 」 よばわりする者は、永久に愚か者でしかない。


自民の敗北で世の中が良くなるか、悪くなるかは未知数だと思うが、たとえ一時的にでも、日本の景気が後退することだけは確実だろう。

今回、年金問題で自民党は評判を落としたが、怠慢といわれた社会保険庁の組合員、職員が、民主党の支持母体であることも、いづれ明らかになる。

つまり、民主党では社会保険庁を改革することなど出来ないことが、やがては広く国民の知るところになるわけで、彼らも同じ問題で苦しむだろう。

ただ、民主党代表による 「 収入の高い人には、年金を支払わない 」 という思惑には私も賛成で、それが本当に実現できれば改善される余地はある。

いづれにせよ、国民からの得票を勝ち得た候補者諸氏は、どの政党に属していようが、真摯に 「 国民のための政治 」 を心がけていただきたい。


昔の日本には、「 士農工商 」 という階級制度があって、養子縁組でもないかぎり、農民出身者が武士になったりすることは困難だった。

そんな風に、身分を階層に縛られた社会が本来の 「 格差社会 」 であり、そこでは、個人の努力で壁を乗り越えることなど出来なかったのである。

それに対し、個人の努力や裁量で 「 お金持ちにも、貧乏にも、幸せにも、不幸にもなれる 」 今の社会は、「 格差社会 」 ではなく 「 結果社会 」 だ。

たとえば、今回の選挙で民主党が大勝したのは 「 国民の意思 」 であるのと同じように、個々の国民の生活も、未来も、個々の選択肢が反映される。

政治が悪いから格差があり、格差があるから自分が不幸だと錯覚している御仁は、いづれ 「 民主党には裏切られた 」 と騒ぐ前に、改めるべきだ。


政治に関心を持つのも悪くないが、そこに個人的な鬱憤や、極端な期待を求めすぎる人は、結局、失望し、精神的に滅入ることになる。

冒頭の言葉にある通り、環境も性格も違う全ての国民を、一様に満足させられる政治など、誰がやっても施しようがないのである。

自分の思い通りにならないからといって、「 世間は冷たい 」 だの、「 庶民の目線じゃない 」 と嘆くばかりの人には、政権交代も意味が無い。

自民であろうが、民主であろうが、基本的に 「 自分の幸せは、自分の責任で達成してください 」 という姿勢に変わりなく、それ以上でも以下でもない。

政治よりも、「 自分が変わる 」 ことが肝要で、それに気付かない御仁は、いつまでたっても愚痴を繰り返すだけの 「 くだらない人物 」 に過ぎない。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月29日(日) アジアカップ 日本は4位 : 韓国の忍耐力に感動



「 我々の忍耐は、我々の兵力よりもさらに多くを獲得するであろう 」

          エドマンド・バーク ( イギリスの政治家、思想家、美学者 )

Our patience will achieve more than our force.

                                 Edmund Burke



英単語 [ patience ] は、「 忍耐 ( 力 )、辛抱強さ、我慢強さ 」 を表す。

いまの日本人に最も必要で、最も不足しているものが [ patience ] である。


一昔前まで、諸外国から眺めた日本人像は 「 忍耐強い民族 」 との印象を持たれていたが、最近はどうも、様子が違ってきているらしい。

苦境にあっても辛抱し、倒れても立ち上がる 「 ど根性 」 は、過去において日本人の専売特許であり、戦後の復興も、それに依るところが大きかった。

もちろん、現代でも忍耐強い人はいるが、年間の自殺者数が 3万5千人 を数え、すぐに 「 キレる 」 若者は増え、総体的には忍耐力が低減している。

自分の思い通りにならなければ、すぐに 「 政治が悪い 」、「 社会が悪い 」 と批判し、自らの生き様を反省したり、努力することをしない。

知識や能力を過信して怠け、努力し成功した者を妬んで嘲笑する人も多いが、個人の能力などに大した差はなく、最後は 「 忍耐力 」 がモノをいう。


アジア杯サッカー の3位を決定する 「 日本 VS 韓国 」 の試合が行われ、前半、後半、延長戦でも決着がつかず、PK戦の結果、韓国が勝利した。

後半11分という早い段階で、韓国の選手が退場処分となったので、長時間に亘り韓国は、日本より一人少ない 「 10人 」 で戦う不利があった。

結果だけをみると、日本チームが不甲斐ない、決定力がないと思われがちだが、それよりも、今夜は 「 韓国チームの粘り強さ 」 が印象的だった。

どちらも無得点だったが、「 点を取れなかった日本 」 より、「 点を取られなかった韓国 」 に、観客は惜しみない拍手と賞賛をおくったようだ。

当然、人数が少ない側は、個々の選手が担う守備範囲も広くなり、疲労度も増すはずだが、彼らは執念で戦い抜き、最後まで希望を捨てなかった。


個人的な意見かもしれないが、日本のサッカーが成長した背景には 「 韓国チームの強さ 」 があり、少なからずその恩恵を受けているように思う。

南米や欧州の列強に敗れても、敗因を 「 体格差 」 に求めることが可能だけれど、民族的に体格差のない韓国には、その理由が通用しない。

同じような体格の韓国チームが、歴戦で活躍する様子から、学ぶところは大きかったし、直接の対戦には 「 負けられない 」 という意地が芽生えた。

スポーツにおいて、好敵手の存在が 「 お互いを高める効果 」 を持つことはよく知られており、彼らがいてこそ、現在の日本チームがあると思う。

ただし、今夜の試合をみるかぎり、力量的には互角でも、忍耐力、粘り強さの点において、韓国チームのほうが勝っていることを認めざるを得ない。


どちらかというと私は、精神論、根性論を尊重しない性格で、たとえば仕事で精神論ばかり語る人を、「 具体策のない裏返し 」 だと捉えている。

しかし、同じような実力で、やり方も間違っていない場合に、勝敗を分かつのは 「 精神力 」 であり、特に 「 粘り強さ 」 であることも知っている。

現代人は、「 忍耐 」 どころか 「 待つこと 」 も苦手なようで、人を待つ、良い出会いを待つ、好機が訪れるのを待つなどの作業が、得意ではない。

携帯電話の普及により、約束して待ちぼうけを食らうことも減り、チケットの予約などは並ばずともインターネットで済むし、何かを待つ場面も少ない。

成果や結論を早く求める姿勢も悪くないが、忍耐力、持久力をもって、粘り強く挑戦し続ける心構えを、現代人は取り戻す必要があるように感じる。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月27日(金) ブライアン・メイ 博士



「 音楽を聴くのに頭なんて必要ない 」

            ルチアーノ・パヴァロッティ ( イタリアのテノール歌手 )

You don't need any brains to listen to music.

                               Luciano Pavarotti



ドミンゴ、カレーラスと共に 「 三大テノール 」 と称される人気オペラ歌手。

好感を寄せられる理由の一つは、冒頭の名言にも滲む 「 気さくさ 」 だ。


どうも音楽というのは、人気を博し、名声を集めすぎて 「 芸術 」 の域まで達すると、途端に興ざめし、つまらなくなってしまうことが多い。

がむしゃらに自分の感性を信じ、聴衆の存在を常に意識しながら、大衆に受ける作品を発表しているうちはよいが、芸術家気取りになると辟易する。

たとえば、クラシック音楽でいうと モーツアルト などは、過去の法則に従わず、感性をぶちまけ続けた一人で、その点が長く庶民に愛される所以だ。

ところが、そこに余計な分析を加えたり、屁理屈をこねる評論家や、価値を求めようとする 「 自称:音楽通 」 のせいで、妙な美意識が生じやすい。

古今東西、解説がないと理解できない名曲などなく、良いものは時代を超えて受け容れられるはずで、グダグダと長い説明を加えるのは野暮である。


現代音楽では、たとえば ビートルズ などが、マニア だとか、熱狂的ファン とか称する連中のせいで、本来の 「 味 」 を逸してしまった好例だと思う。

個人的な意見かもしれないが、私などが、ストーンズ や クイーン のほうが 「 ロック らしい 」 と感じるのは、高尚な解説が少ないせいでもある。

また、学校で使う 「 音楽の教科書に載っている 」 ということが、ある意味、極論かもしれないが、「 ロック としては 死 と同然 」 な気もする。

ちなみに、UK の オフィシャル・アルバム・チャート の首位は、ダントツ で ビートルズ かと思いきや、意外にも クイーン が歴代トップの位置にある。

以下は、歴代の Top 10 で、チャートイン の週数が記されている。

1. Queen (1,322 weeks)
2. The Beatles (1,293 weeks)
3. Elvis Presley (1,280 weeks)
4. U2 (1,150 weeks)
5. Dire Straits (1,136 weeks)
6. Simon and Garfunkel (1,114 weeks)
7. Madonna (1,032 weeks)
8. David Bowie (1,005 weeks)
9. Elton John (989 weeks)
10. Michael Jackson (966 weeks)


当然、名だたる アーチスト ばかりだが、したり顔の評論家に陳腐な解説を付けられることの多いものほど、どうも 「 ダサい度 」 が高い気がする。

この世には、「 ○○評論家 」 というものが多数存在するけれど、特に音楽だけは、その価値を損ねる危惧が強いので、どうか黙っていてほしい。

音楽とは、「 心で感じるもの 」 で、「 頭で考えるもの 」 ではなく、ロック の場合は特に、どういう形で耳に入ってきたかによっても印象が違う。

ニュースで、クイーン の ギタリスト である ブライアン・メイ が、音楽活動で中断していた宇宙物理学を35年ぶりに再開し、博士号を取ると聞いた。

久々に ガサゴソ と CD を引っ張り出し 「 Bohemian Rhapsody 」 など聴いてみたが、やっぱり理屈抜きに 「 良いものは良い 」 のである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月26日(木) アジアカップ準決勝 : サウジアラビア に惜敗



「 失敗は、成功の味を引き立ててくれる香辛料である 」

                    トルーマン・カポーティ ( アメリカの作家 )

Failure is the condiment that gives success its flavor.

                                 Truman Capote



勝負の結果に対する評価は、人それぞれである。

9勝1敗 で不満な人もいれば、6勝4敗 で満足する人もいる。


試合中は余計なことを考えずに全力で集中し、万が一、満足できる結果に至らなかった場合は、「 反省するが、落ち込まない 」 姿勢が肝要であろう。

これは、私が学生時代から、スポーツや仕事を通じて学んできた人生哲学の中で、かなり重要な指針だと実感している。

人は誰でも失敗をしたり、思わしくない結果に悩んだりするものだけど、長く活躍し、成功を収める人はすべて、「 反省するが、落ち込まない 」 ものだ。

逆に、ほとんど順風満帆に過ごしてきた人が、わずかな失敗で自信を喪失したり、ときには、著しく精神のバランスを欠いてしまうことがある。

概ね、そういう人は、悪い結果に愕然とし、「 落ち込むが、反省はしない 」 ことが多く、不運を恨むばかりで、自分の落ち度には目を向けないものだ。


天神祭の花火を眺めつつ、ほろ酔い加減で帰宅し TV を点けると、アジア杯サッカーの準決勝 「 日本 VS サウジアラビア 」 が放映されていた。

後半戦、同点の場面から観たのだが、引き離されては追いつき、また引き離されるという展開で、最終的には僅差の1点が奪えず、日本は惜敗した。

時折、果敢に攻めるなど見所はあったが、後方へのパス回しが多かったり、シュートを放てそうな場面で躊躇したり、消極的なプレイも目立った。

その様子は、前回のワールドカップにおける 「 消化不良 」 を甦らせるもので、悪い意味での 「 日本らしい負け方 」 だった気がする。

度重なる疲労、現地の暑さなどから、「 集中力を欠いているのではないか 」 と解説者は話していたが、それは相手も同じなので、言い訳にはならない。


この後、同じく準決勝で敗れた 韓国 と、「 三位決定戦 」 が予定されているので、最後まで気を抜かず、日本代表には頑張ってもらいたい。

負けること自体を責めないが、自信を失わずに、敗北から多くを学びとって 「 次の試合に活かす 」 ことで、高い目標への試金石になると望ましい。

冒頭の言葉を、人によっては 「 きれいごと 」 だと解釈しがちだが、それを 「 きれいごと 」 にするか、事実に変えるかは、プレイヤー次第である。

仕事でも、スポーツでも、一つの勝負に「 負けたら終わりだ 」 という事例は少なく、それは繰り返し連続して行われる 「 長丁場 」 であることが多い。

必ず 「 負けることはある 」 という前提で、その経験を、来るべき 「 勝利の美酒に酔う瞬間 」 の達成感に繋げるよう、精進することが大切である。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月25日(水) 野党優勢は日本経済にマイナスの影響



「 政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の時代のことを考える 」

                                       作者不詳

A politician thinks of the next election - a statesman, of the next generation.

                                    Anonymous



選挙も近いが、「 誰に投票してよいかわからない 」 という声をよく聞く。

その理由は、きわめて簡単だ。


現在、多くの日本人にとって政治家は、尊敬の対象でもなければ、憧れの対象でもなく、何か 「 特別なことを期待する 」 という対象でもない。

かといって、誰でもいいとは思えないので、どうしても 「 減点法 」 が基準になりやすく、当り障りのない人物 ( あるいは政党 ) を選びやすい。

ところが、自民は不祥事続きだし、民主も問題があるし、公明は支持母体への嫌悪を示す人が多く、社民、共産は売国奴ぽく、他は知名度がない。

無節操に 「 与党がダメだから、どこでもいいから野党に 」 なんて人も一部にはいるが、大多数は、もう少し責任をもって投票したいと考えている。

結局、悩みに悩んで棄権 ( 白票 ) を選ぶという人も、それはそれで理由があるのだから、責められる筋合いの話でもない。


自民党は、原爆に関する 「 久間発言 」 や、アルツハイマー患者を不快にした 「 麻生発言 」 で姿勢を問われたが、民主党も似たような失策がある。

大きな被害を出した中越地震の被災地に向かった様子を、民主党所属の末松議員は自身の ブログ で 「 珍道中 」 と語り、大いに顰蹙を買った。

余暇を利用した 「 観光 」 ではなく、代議士としての 「 視察 」 なのだから、国民の血税を遣った 「 物見遊山の珍道中 」 では困る。

三人の発言から明らかなのは、不幸にして、被爆や、病気や、天災などによる災厄を負った 「 他人の痛み 」 に対する理解が欠如している事実だ。

他人の痛みに興味のない連中を相手取り、「 自分たちの将来 」 を託すことには無理があり、そういう意味で、誰を選んでも大きな期待は持てない。


理想論はともかく、現在の好景気を維持するためには、与党が安定多数を保てたほうが、なにやら良さそうな気配がある。

7月23日の日経平均株価は大幅反落し、一方、海外で急な円売りがあり、対ユーロ円相場は一時、ユーロ導入後初の169円台を記録した。

波乱の背景には、「 参院選で与党大敗を伝えた報道が材料になった 」 との指摘があり、国政の混迷は海外の投資家にまで影響を及ぼしている。

思えば、与党大勝だった前回の選挙以降、経済は急速に活気を取り戻し、それを享受しているか、実感しているかは別としても、景気は良くなった。

通常、それが民主的な国家である場合、与党が安定多数を確保し、政権に揺らぎのない状態のほうが、好景気を持続しやすいものである。


特に支持政党が無いのなら、実利的な 「 損得勘定 」 で選ぶのも一計で、政治より 「 自分のお金 」 に興味のある私などは、そちらを選択する。

また、安倍政権に対する批判の中には 「 数多くの法案を強行採決した 」 というものがあるけれど、これも、与党が安定多数を握った恩恵である。

法案が多く通ったことを 「 悪いこと 」 と決め付ける人もいるが、そもそも、国民に良かれと思って作られた法案ならば、数多く通ることが望ましい。

逆に、与党の議席が足りないために、国民が成立を待ち望んでいる法案が、ちっとも通過しないなんてことになると、マイナスの面が大きいはずだ。

マスコミ に踊らされ、「 なんとなく野党 」 なんて ムード に流されやすい傾向だが、それらの損失面を補うだけの魅力が、野党にあるかは疑問である。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月24日(火) ○○社会、○○国家



「 あら探しをするよりも、改善策を考えなさい 」

                    ヘンリー・フォード ( アメリカの自動車王 )

Don't find fault, find a remedy.

                                    Henry Ford



毎回、冒頭の名言が楽しみだという メール を、時々、頂戴している。

今回のは短く、使える場面も多いので、ぜひ覚えていただきたい。


どこの企業にも、会議で 「 fault ( 欠点 ) 」 ばかりを得意げに並べ、それで自分は 「 立派に仕事をしている 」 などと錯覚なさっている御仁がいる。

それに対し、気配りの得意な部下、同僚は 「 さすがご意見番 」、「 いやー、そこまで気づかなかったなー 」 などと、とりあえず調子を合わせる。

しかし、本人がいないところでは 「 バカじゃないの 」、「 文句だけなら誰でも言えるじゃん 」 と、批難の集中砲火が始まるのである。

逆に、けして普段は会社や同僚への不満をこぼさぬが、たまに皆が会議で困り果てたときに、そっと笑顔で 「 remedy ( 改善策 ) 」 を囁く人がいる。

どちらが有能で、信頼され、周囲の人気があるかは歴然としているのだが、困ったことに前者の御仁だけが、ご自分の評価をご存知ないことが多い。


自分の日記もそうだが、文章には作者の性格が反映されやすく、たとえばビジネスマンの書いた文章を読めば、その人の仕事ぶりも推察できる。

ブログ で政府や他人の悪口、ネガティブ な発想ばかり書いている御仁は、やはり仕事も ネガティブ で、会社、上司、同僚、部下の悪口に忙しい。

当然、出世には縁遠く、それでまた ネガティブ さに磨きが掛かり、ますます上司からは 「 使えん 」 と省かれ、後輩から 「 うぜぇー 」 と煙たがられる。

一般的に 「 うつ病 」 は気の毒に思うが、仕事を通じて発症される方の大半は、発病以前からの 「 仕事に向かう姿勢 」 に問題のあることが多い。

私の知人にも、「 うつ病 予備軍 」 的なビジネスマンがいて、そんな発想でいると 「 いづれ うつ病 になるぞ 」 と警告すべき人も存在する。


最近、日本は 「 ○○社会 」 だとか、「 ○○国家 」 だという表現をする人が増えていて、大抵、○○ には ネガティブ な語句が入る。

たとえば、「 格差社会 」 とか 「 独裁国家 」 などが代表的な例だけれども、そう言い放つ人々は、海外の情勢に関して 「 無知 」 と言わざるを得ない。

諸外国を巡れば、本当の格差とは何か、本当の独裁とは何かに気づくはずで、そのような言葉で自国を蔑視する愚かさには、まったく閉口する。

今日も、人身売買事件が発生したことを受け、某ジャーナリストが 「 日本は人身売買国家です 」 との発言をしていたが、一体、何を考えているのか。

日常的に万引きという犯罪は起きるが、それで 「 万引き国家 」 とは呼ばないのと同じく、人身売買があったといえど 「 人身売買国家 」 ではない。


つまり、ごく一部分の ネガティブ な現象 ( 犯罪や不祥事など ) を取り上げて、それに 「 社会 」 や 「 国家 」 を付け加えて喜ぶ連中がいるだけだ。

そんな風潮が蔓延したことで、ちょっと収入が少なければ 「 格差社会 」 だと喚き、ちょっと与党が票決を急ぐと 「 独裁国家 」 だと、大勢が騒ぐ。

特にムカツクのは、ちょっと私が旅行を楽しんだり、車を買い換えたりなんかすると、それを妬んで 「 格差社会ですねー 」 などと言う連中だ。

そこは、相手の襟首を掴んで 「 いいか、お前より私のほうが収入が多いのは “ 格差 ” のせいじゃなく、お前の何万倍も働いたからだ 」 と言いたい。

まぁ、実際には笑顔で 「 いやぁ〜、そうでもないッスよー 」 などと誤魔化しているのだが、本音を言うと、そんな感じである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月23日(月) 安倍総理を個人攻撃する連中の論理 ( というか悪口 )



「 日本は学歴社会ではなくて、学校歴社会である 」

                                      作者不詳

In Japan it's not whether you went to university that's important,
but which university you went to,

                                   Anonymous



問題は 「 どれだけ学んだか 」 であり、「 どこで学んだか 」 ではない。

しかしながら日本人は 「 学校歴という ブランド 」 に、こだわりやすい。


画家の 池田 満寿夫 氏 は、東京芸術大学の受験に三度失敗し、その後、文部大臣賞などを獲るまで努力したが、若いうちに海外を渡り歩いた。

日本の美術界で認められるには、実力の他に 「 どこの大学を出たか 」、「 どの先生に師事したか 」 が、不可欠な重大要素だったからだという。

彼の狙いは正しく、日本では評価が低かったけれども、先に海外で真価を認められ、数々の賞を得て 「 凱旋帰国 」 を果たしたのである。

国内で地道に努力を続けていたとしても、いずれは認められたかもしれないが、学校歴、師匠名などの先入観は、高いハードルになったであろう。

絵画にかぎらず、音楽、書道、舞踊など、芸術の世界ですら学校歴の影響は大きく、それが日本特有の価値観というか 「 偏見 」 に繋がっている。


安倍総理の父である 安倍 晋太郎、祖父の 安倍 寛、岸 信介、大叔父の 佐藤 栄作、家庭教師の 平沢 勝栄 まで、すべて 「 東大出身者 」 である。

それに対して安倍総理自身は、小学校、中学校、高等学校、大学までを、すべて 「 成蹊学園 」 をエスカレーター式に進んだ経歴を持つ。

大学卒業後は渡米し、秋には名門 「 南カリフォルニア大学 」 へ進んだが、未卒業のまま、一年半で ドロップアウト したという。

ちなみに同大学には分校が多数あり、最上級は バークレー校 なのだが、彼がいたという噂は一度も聞いたことがないので、別の場所だと思う。

いづれにせよ、東大出身者の多い家系から、同じく東大出身者の多い政界に進む上で、いささか学校歴は 「 貧相 」 と判断されても、やむを得ない。


ただし、彼の著作、会見での発言などをみると、勉強嫌いだった学生時代など想像もつかないほど、その視野と見識は広く、分析力も鋭い。

ところが、同じことを言っても、出身校が 「 東大 」 と 「 成蹊 」 では、見方を変えてしまうのが、大方の日本人が抱える悪い癖である。

やたら家柄が良いだけに、「 頭の悪い ボンボン 」 なんて中傷が飛び交い、いわゆる 「 逆差別 」 的な罵詈雑言が、総理に対して多く寄せられる。

今日も、社民党の 辻本 清美 議員が 「 戦争をしたがっている ボンボン 」 などと、ほとんど 「 小学生の悪口 」 みたいな批判をしていた。

むしろ、そういう中傷しか出来ない人物が政界にいることのほうが、日本にとって危惧すべき実情だと思うのは、私だけなのだろうか。


冷静に考えればわかることだが、「 頭の悪い 」、「 戦争をしたがっている 」 ボンボンが、ボンボンであるという理由だけで、総理になれるわけがない。

安倍内閣の支持率が40%を切って低いというが、それは同時に 「 40%の国民は、安倍 晋三 氏 が総理で問題ない 」 と評価している証拠だ。

批判的な意見や、「 もし私が総理大臣だったら 」 などの妄想的な ブログ も多いけれど、そういう連中には 1%の支持も集まらないはずである。

少なくとも、自分より恵まれた環境に育った人物を 「 ボンボン 」 と見下し、学校歴がぱっとしないことに偏見を持つ連中の意見は、無視すべきだろう。

選挙まで一週間となり、各政党の論戦も活発化しているが、「 政策 」 と 「 悪口 」 の見極めを冷静に判断し、投票所へ向かうことが望ましい。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月22日(日) エスカレーターの正しい乗り方



「 おお、東は東、西は西、両者たがいに相合うことなし 」

          ジョセフ・ラドヤード・キプリング ( イギリスの作家、詩人 )

Oh, East is East, and West is West, And never the twain shall meet, …

                          Joseph Rudyard Kipling



1889年に発表された 『 東と西のバラード 』 に登場する有名な台詞だ。

少年時代をインドで過ごした彼は、日本にも二度、訪れたことがある。


この 『 東と西のバラード 』 は、インド の英軍駐屯地を舞台とした物語で、幼少時代の経験から書かれた作品とみて間違いない。

物語は、インド人 カマール が英国将軍の馬を盗んで逃げ、将軍の息子が カマール を追い、馬でインド人地区へ勇敢に入っていくところから始まる。

そこで カマール は、彼を殺そうと思えば殺せたのだが、その青年の勇敢さと、巧みな乗馬術に深く感心し、握手の後、無事に馬を返したのである。

冒頭の一句は、物語の終盤に記されたが、それ以来、1世紀以上もの間、世界中の人々に引用され、マスコミの報道用語にも多用されてきた。

20世紀の世界は、「 東と西の深い対立 」 という構図が色濃くあったので、この句は直面する現実的な不安を語る際に、便利なツールだったのだ。


先週も東京まで出張したが、洋の東西まで話を広げなくとも、東京と大阪という僅かな距離の差でも、対応が正反対だったりする事例はある。

たとえば、エスカレーターに乗るとき、急ぎ足で歩いて上がる人のために、東京は右側を空け、大阪は左側を空ける慣習が、自然と定着している。

そうなった理由は、かつて 江戸 ( 現在の東京都 ) は武士の街で、左側に携行する刀の鞘にぶつからぬよう、追い越す人は右側を通り抜けていた。

その名残から、東京では雑踏において、追い抜き者のために右側を空ける慣習が定着したらしく、大阪と逆の ルール が常識とされてきたようだ。

参考までに、海外の主要都市はどうかというと、大阪と同様に左側を空ける都市の方が多いそうで、それが世界基準だといわれている。


駆け上がるのは右側か、左側が正しいのか、製造しているエスカレーターのメーカーに尋ねると、答えは 「 右も左も、歩かないでほしい 」 とのこと。

エスカレーターの安全基準は、人がステップに立ち止まって利用することを前提としており、歩いて上ることは非常に危険なのだそうである。

また、片側を空けることで、荷重バランスが長時間に亘って崩されやすく、それは 「 予期せぬ不具合 」 を生じさせる原因にもなりかねないという。

しかも、歩行時の振動が大きく伝わると、安全装置が働いて緊急停止する仕組みがあるので、急停止に対応できず転倒する事故も少なくない。

危険な 「 将棋倒し事故 」 を防止するためにも、エスカレーターのメーカーや、数多く利用する鉄道会社などは、「 歩行禁止 」 を呼びかけている。


ちなみに、エスカレーターで片側を空ける慣習を導入したのは大阪のほうが早く、1970年の大阪万博あたりから、急速に普及、拡大していったらしい。

なにしろ大阪人は、歩行する速度が 「 秒速 1.6 メートル 」 と世界一で、エスカレーターに 「 じっと立ってられん 」 という “ イラチ ” な人が多い。

私も大阪人なので、当然 “ イラチ ” の部類に入るが、歳のせいか最近ではエスカレーターを駆け上がる頻度は減り、気づくと立ち止まっている。

若い頃は、ノンビリ、グズグズしたスローな女性が苦手だったけれど、最近は好みが変わりつつあるのも、そうした原因によるものかもしれない。

東と西で慣習が違ったり、“ イラチ ” と “ ノロマ ” の違いが 「 両者たがいに相合うことなし 」 なのも、永遠にそうとはかぎらないようだ。


前述の 『 東と西のバラード 』 でも、原作者のキプリングは 「 東と西が相合わない 」 ことを主張したかったわけではない。

馬を取り戻した青年が立ち去るエンディングで、キプリングは冒頭の言葉を述べた後、以下のように書き連ねて詩を終えている。

「 しかし二人の強い男が相合うとき、東も西もない。国境も、種族も、生まれの区別もないのだ。たとえ二人が地球の両端から来たのだとしても! 」

But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth, When two strong men stand face to face, though they come from the end of the earth!

キプリングは、「 東と西の本当の出会い 」 を語りたかったわけで、東西冷戦の終結や、私他諸々の出来事を振り返ると、実に感慨深いものがある。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月21日(土) 弱体化する日本人



「 人間に必要なのは困ることだ。

  絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です 」

                          本田 宗一郎 ( ホンダ 創業者 )

What people need are problems.
The power that emerges when faced with a problem,
where you would lose everything, is your true power.

                                Souichiro Honda



多かれ少なかれ、現代人は皆、何かに 「 困っている 」 はずだ。

環境問題、エネルギー問題など、誰も逃れられない危機が間近にある。


そんな 「 地球の終わり 」 規模の悩みからすれば、年金が少し誤魔化されたぐらいの話は、どうってことでもない。

どうでもいいとまでは言わないが、それは 「 取り返しのつく話 」 であって、頭の良い改善策を導き出し、きとんと実行することで、十分に解決する。

政党にも、企業にも、個人にも、逆境に遭遇するのは珍しくもなく、そこで、「 自分だけが不幸だ 」 なんて気持ちになるのは、まさに愚の骨頂である。

最近の自民党には 「 失望感 」 を抱く人も多いが、年金問題の失策よりも、幾多の難関に対峙する 「 覚悟が足りない 」 ことへの不満が大きい。

こんな時こそ、各人が襟を正すべきなのに、不謹慎な発言や、不遜な態度が目に付くのは、国政責任の一翼を担う者として、緊張感も足りなすぎる。


麻生外相が遊説先の富山県で、アルツハイマー病患者への配慮を欠いた発言を行ったことは、当然、重大問題であり、厳しく反省を促すべきである。

ただし、それを叱責する野党側も 「 ネガティブ・キャンペーン 」 として選挙に利用したいだけで、同病に対し特別な感慨など持ち合わせてはいない。

事実、この件に関し 「 不謹慎だ 」、「 病人への差別だ 」 と糾弾する人々の多くが ( 私も含めて )、普段は似たような言動をしているのではないか。

何か物忘れをした友人に対し 「 アルツハイマーかよ 」 とか、気落ちしている人に向けて 「 うつ病かよ 」 なんて ジョーク は、日常的に交わされる。

もちろん、閣僚という重要な ポスト にある以上、発言は慎重に選ぶべきだし、「 ユーモア と 悪ふざけ 」 は紙一重だということを、心すべきではある。


一度、口に出した言葉は元に戻せないが、大事なことは、今後、どのような形で謝罪し、国民の理解と信頼を取り戻すかという行動に他ならない。

どうも最近の政治家、企業経営者などをみていると、失策に対して開き直るか、あるいは絶望するか、どちらか両極端に走りやすい傾向が目に付く。

一般人も同じで、「 失敗したら、また 0 の状態からやり直す 」 だけでよいのに、たった一度の失敗に絶望し、再チャレンジ をしない人が多い。

安倍首相が 「 再チャレンジ支援構想 」 を打ち出した際も、これは有意義な政策であるにも関わらず、鼻で笑う人が多かった。

政府は、多様な機会が与えられ、何度でも再挑戦の出来る社会をつくろうと尽力しているのに、耳を貸さず、絶望して自殺する輩が後を絶たない。


大阪では34歳の電気工事業者が、妊娠中の妻と、2人の幼児を殺害し、自分も自殺をするという何とも愚かな事件が、今日も発生した。

室内にあった携帯電話には、「 食べていけず、死ぬことを決めた 」 などと書かれた 未送信メール が残され、生活苦による無理心中のようだ。

日本には古来より、なぜか無条件に 「 死者にムチ打たない 」 ことを美徳とする マヌケ な習慣が根付いているけれど、本当にそれでよいのか。

自殺した男は、胎児や自分自身を含めると 「 5つの貴重な生命を奪った 」 残虐な凶悪犯であり、社会の クズ 以外の何者でもない。

子供を3人もつくれるのだから、健康面で深刻な障害があったとも思えず、「 食べていけない 」 のは、単なる怠惰でしかないではないか。


殺された子供たちは、あるいは生活保護を受け、怠け者の親から離れ生きてさえいれば、将来は大金持ちや、成功者になったかもしれないのである。

そう思うと、殺された子供たちに同情はするけれど、殺害した自殺者に対しては、憎悪以外に何の感情も抱けない。

友人のクリスチャンによると、キリストが最も忌み嫌ったのは 「 絶望 」 であり、すべての害悪の中でも、絶望が最も罪深いのだという。

平和な国に生まれ、結婚し、子供を持ち、その人生が 「 不幸でしかない 」 わけがなく、年齢的にも 「 やり直す機会 」 は、いくらでもあったはずだ。

ほんの少しの 「 逆境に挑む勇気 」 が無いことで、周囲の将来を台無しにし、世間に多大な不快感を与えたこの自殺者を、私は断じて許せない。


前回の日記にも書いたが、自分自身の日記に「 ちょっと気取ってるかな 」 と感じていることの一つに、「 生命 」 の問題がある。

せっかく生まれてきたのだから、「 皆、生命を大事にしましょう 」、「 自殺はやめましょう 」 と、この日記では繰り返し訴え続けてきた。

しかしながら、安易に自殺をし、周囲まで巻き込む連中の実態を眺めると、本音としては 「 こいつは死んだほうがいい 」 と思う人間が実に多い。

逆境に立ち向かう意志を持たない愚かな者は、他者まで被害が及ぶ前に、家族と縁を切り、できるだけ他人に迷惑をかけずに、死んだほうがよい。

年に一度、「 自殺の日 」 を設け、廃線に無人の列車を走らせて、死にたい キチガイ は一斉に枕木に頭を並べればよいのである。


自殺することが悪いのではなく、「 死にたい 」 と思うことが悪いのだという認識を、全国民が広く思い知るべき時期にきていると思う。

死にたい気持ちを抱えたまま、たとえ生きていても 「 ロクな人間ではない 」 わけで、そんな人間を生かしておいても害にしかならない。

単に自殺者数を減らすだけの対策など、社会にとっては無益であり、本気で救済するのならば、「 生きる意味、価値、喜び 」 を伝える必要がある。

精神病患者に罪はなく、彼らを痛めつけてはいけないが、精神病そのものは間違いなく 「 悪 」 であることも、皆、強く認識すべきなのだ。

そうして、再び日本人の精神が、逆境や、ストレス耐性に強いという誇りを取り戻さないと、この国はますます弱体化の一途を辿るだろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月20日(金) 自分らしい日記を書く難しさ



「 天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず 」

                      福沢 諭吉 ( 武士、思想家、教育者 )

God hasn't made a human being above or below another human being.

                               Yukichi Fukuzawa



しばらく日記が滞った理由は、単に 「 忙しい 」 という事情だけでもない。

ちょっと、自分の書く内容や文体に “ 疑問 ” を感じ始めている。


普通、個人が匿名で書く WEB日記 や ブログ というものは、読者からみて 「 どんな人が書いているのか知らない 」 のが特徴である。

それが私の場合、たとえば友人や、昔の彼女とか、仕事関係の知人とか、なんらかの形で 「 素性をよくご存知の方 」 に、数多く読んでもらっている。

時折、生意気に 「 セミナー 」 なんぞの講師も務めているが、WEB日記 と同様で、聴衆の中には 「 私をよく知る人 」 が多く参加されている。

その際、面識の無い人を対象として話したり、物を書いたりすると、前置きが長くなったり、表現が曖昧だったりしやすいものだ。

逆に、「 俺って、こういう奴じゃん 」 てな具合で話してしまうと、よく知らない相手からは主旨を誤解されたり、人間性を疑われるなんてことも多くなる。


見ず知らずの相手になら、どんな 「 カッコ良い台詞 」 も吐けようものだが、知人が見てるとなると、そうもいかないし、当然、嘘は一切つけない。

また、よく知っている人の中にも 「 読解力のある人、ない人 」 がいて、私の言わんとする主旨を、ちゃんと理解してくれる人と、そうでない人がいる。

たとえば、冒頭の 「 天は人の上に人を作らず 」 の短文を紹介して、私が賛同する文章を記載した場合、読解力の弱い知人は頭を傾げるらしい。

つまり、「 TAKA さんは普段、実力のある者、努力する者、怠け者の間に、格差がつくのは当然と言ってるくせに〜 」 みたいな疑問である。

私生活では 「 実力主義 」 なのに、日記では 「 平等、博愛主義 」 かよと、「 紳士ぶって気取ってんのかしら 」 みたいな誤解も招いているらしい。


もう一度、冒頭の短文をご覧いただきたいのだが、この文章は、無条件に平等を美化しておらず、実力主義、格差主義を否定したものでもない。

よく読むと “ 天は ” と書いてあるはずで、「 天は人の上に人を作らない 」 だけの話であり、当然、「 “ 人は ” 人の上に人を作る 」 のである。

つまり、この文に私が賛同する理由は、「 天が順位をつけたわけでもないのに順位が劣っているのは、アンタ の努力不足なんだよ 」 という意味だ。

そこまで読解力のある人なら、「 なるほど、TAKA さんらしい意見だわ 」 と納得していただけるのだが、平易に読み流されると主旨が伝わらない。

逆に、読解力のない人に合わせて詳細に解説すると、やたら長いばかりで、ちっとも面白くない日記になってしまうので、困ったものである。


実際、この短文は、たとえば TVドラマ なんかで、芽の出ない人、落ちぶれた人を慰めたり、平等、公平といった主張をする場面でよく使われる。

私の解釈では、江戸から明治になり 「 士農工商 」 の身分制度が廃止された時に、「 これからは実力社会だぜ 」 と諭吉翁が諭したと理解している。

やる気のない人は、「 やっても、やらなくても、人の価値は同じ 」 だと、この言葉に救いを求めるが、それは違うのではないかと思うのだ。

どんな家柄でも、学歴でも、職業でも、「 一番になる チャンス 」 は誰にでもあるのだから、せいぜい頑張ろうぜという意味に受け取りたい。

こういった、名言の裏に潜む 「 伏線 」 というものを知らず、自分に都合の良いように解釈する御仁が多いので、曖昧な間接表現は難しいのである。


日記を書いているお仲間の中には、「 天下国家を論じ、世直しをしたい 」 なんて、とてつもなく ドデカイ ことを考えている人もいるらしい。

私の場合は、そんな 「 新興宗教 の パンフレット 」 みたいな謳い文句も、「 ショッカー の世界征服 」 みたいな野望もない。

地球温暖化を防ぎたいなら、「 日記を書かず、PC の電源を落とす 」 ほうが良いし、美しい日本にしたいなら、「 家の前でゴミ掃除 」 すれば良い。

私にとって日記は、私を知る人々への情報発信、近況報告であり、共感をいただけた人々と、また友達になる コミュニケーションツール に過ぎない。

とはいえ、読み返すと 「 カッコ つけ過ぎ 」 な表現やら、反省すべき記述も随所にみられるので、今後は文体を変えてみようかと模索中である。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月14日(土) 雨ニモアテズ



「 世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福もありえない 」

                                宮沢 賢治 ( 詩人 )

Until the whole world becomes a happy place,
individual happiness is impossible.

                                Kenji Miyazawa



言われてみれば、その通りかもしれない。

しかしながら、「 世界全体の幸福 」 など、達成できそうにない。


もし私が、誰かに 「 幸せですか 」 と尋ねられたら、よほど機嫌の悪いとき以外は、「 ええ、幸せですよ 」 と答えるだろう。

辛いことや、悩み事、悲しいことなど、私も人並みに抱えているつもりだが、私に 「 幸せを感じる心 」 があるかぎり、私は胸を張って答えるはずだ。

目が見えるおかげで美しい風景を眺めることができ、耳が聴こえるおかげで音楽を楽しめるし、丈夫な歯と健康な舌で美味しい食事ができる。

尊敬する両親のおかげで成長し、教育を受ける機会、スポーツに参加する機会を得て、体や精神を鍛え、社会人になってからは働く喜びを体感した。

これだけ、社会や周囲に様々な恩恵を受けながら、もし、幸せでないとしたら、それは 「 自分の努力不足 」 以外に考えられず、恥じるべきである。


だが、その幸せが 「 完璧なものか 」 と自問すると、無条件に 「 はい 」 とは答えられないし、「 幸福であること 」 が 「 不幸がないこと 」 とは違う。

また、冒頭の言葉にある通り、自分の境遇に幸福を感じていても、災害や、犯罪、不幸な出来事に遭われた人々の存在を知ると、良い気はしない。

身近に 「 阪神淡路大震災 」 が起きたときも、NY での 「 9.11テロ 」 が起きたときも、直接的な被害はないが、自分の心に 「 不幸 」 を感じた。

誰がみても不幸だと思える人、あるいは、恵まれた境遇にありながら、この世には 「 自らすすんで不幸になりたがる人 」 もいて、自殺が絶えない。

そんな世界の 「 全体が幸福 」 なんて状況があるのなら、それはもう完璧に幸せと言えるのだが、まず、そんなことはあり得ないだろう。


明治から大正にかけて、東北地方で貧しい農民たちと生活した 宮沢 賢治 の詩に 「 雨ニモ負ケズ 」 があり、どなたも一度は目にされたと思う。

実は、この作品は没後に発見された遺作のメモであり、一般に 「 詩 」 だとして受容されているが、真相については明らかでない。

過去において、この作品を基にした改作や パロディ の類が数多く作られてきたが、最近も、盛岡の小児科医師が発表し、巷で話題になっている。

タイトルは 「 雨ニモアテズ 」 で、小児科医師が職業上、多くの子供たちと接していて 「 まさに現代の子供たちに ピッタリ 」 と実感したらしい。

作者は不詳だが、「 どこかの校長先生らしい 」 と噂されていて、現代っ子に対する悲哀と嘆きが込められている。( 以下に紹介 )

 
 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


これを読んで感じるのは、無気力、無関心、無感動 という、時代を象徴する三つの キーワード の存在で、それはけして、子供にかぎった話ではない。

ぬるま湯にどっぷり浸かりながら、政府や他人の批判ばかりして仕事もロクにしない大人、ちょっと嫌なことがあるとすぐに挫折する大人も大勢いる。

自然の雨風に打たれ、太陽を浴び、その恩恵と脅威を知ることや、心身を鍛えること、他人との人間関係を構築することは、なによりも重要だ。

そうした一切を嫌い、自室に閉じこもっては妄想に溺れ、ブログ に耽って、「 アホの一つ覚え 」 の如く、現実逃避の暴論を繰り返す輩もいる。

そんな 「 自らすすんで不幸になる おバカさん 」 のいることも、世界全体の 「 不幸 」 というか 「 不快 」 であり、まことに困ったものだと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月13日(金) 選挙に運命を託すなかれ



「 天はみずから助くる者を助く 」

                                   英語のことわざ

Heaven helps those who help themselves.

                                 English proverb



日本のことわざだと錯覚しがちだが、実は 「 輸入品 」 である。

意味を辿ると、英米人の発想を元にした表現形式であることがわかる。


一般的に日本人の場合、他人を助けるという表現は頻繁に使うけれども、「 help themselves = みずから助くる 」 といった表現形式は使わない。

この 「 みずから助くる ( 自分を助ける ) 」 は、「 自分のことは、自分でする 」 で、この場合 「 他人に頼らず、みずから努力する 」 の意味がある。

つまり、冒頭のことわざを日本人に理解しやすく訳せば、「 他人に頼らず、みずから努力する人に、運は向いてくる 」 となるのである。

ちなみに、英語で 「 Help yourself 」 は、「 勝手にご自分でどうぞ 」 といった意味で、人に食べ物や飲み物をすすめる際など、英米人はよく使う。

不親切なようだが、英米人はマイペースに飲食する習慣が一般的なので、たとえば ビール をつがれたりすると、ありがた迷惑に思われやすい。


安倍政権発足後、初の本格的な国政選挙となる 「 第21回参議院選挙 」 が本日公示され、17日間の選挙戦がスタートした。

与野党のどちらが、非改選議席を合わせ 「 過半数 」 を制するのかが焦点だが、年金問題、憲法改正などについて、投票日まで白熱化する模様だ。

今回は、どうも与党に分が悪そうな雲行きで、勢いづく野党側は、こぞって 「 このままで良いのか 」、「 日本を変えよう 」 などと息巻いている。

街の声や、個人の ブログ などをみても、それに便乗したような意見を多く目にするが、たしかに、失態続きの与党を 「 大満足 」 とは評価し難い。

ただ、問題は 「 野党に投票すれば日本は変わるのか 」 という点で、そんな予測も根拠もなく投票に臨むのは、いささか無責任な気がする。


以前、旧 社会党 ( 現 社民党 ) が政権を執ったとき、存在に異を唱え続けてきた自衛隊は解散するのか、外交は激変するのか、関心を集めた。

実際は、内政も外交も 「 従来の政府方針を継承 」 する形で行われ、特に目立った変化や改革が行われたという記憶もない。

印象的だったのは、折りしも 「 阪神淡路大震災 」 が発生し、不慣れな対応で犠牲が拡大したことや、サミットで食あたりして中座したことぐらいだ。

自民党とは思想が180度も異なる社会党でさえ、その有様だったわけで、上層部を自民党出身者が占める民主党に鞍替えし、何が変わるのか。

仮に与党が過半数を割り、あるいは次回、衆院選の結果、政権が交代したとしても、せいぜい、「 いま抱えている課題の解決が遅れる 」 程度だろう。


政権与党が代わっても政策が一変しないのは、良くも悪くも 「 官僚政治 」 と呼ばれる日本特有の 「 お役所体質 」 にある。

内閣は、各省庁からの答申に従い、できるだけ現状を大きくは変化させない姿勢で、国民の反発が最も少ない施策を実行することが基本だ。

たとえば イラク戦争 について、素直な性格の方々は、「 小泉がブッシュのご機嫌をとった 」 なんて発言をするが、総理一人で何の決断もできない。

どの党が政権を執った場合も ( あるいは共産党だけは例外かも )、日本の外交姿勢や、経済対策、税制、憲法、何一つ大きな違いは生じない。

イラク戦争、憲法改正、教育基本法、その他諸々について 「 与党の方針に反対 」 したところで、他の党も 「 別の選択肢 」 は持たないはずだ。


自分の現状に満足していない人、自分は不幸だと感じている人の多くは、それが 「 自分の置かれている環境のせいだ 」 と思いたいものである。

だから、「 自分が努力して変わること 」 よりも、「 ある日突然、自分を取り巻く環境が一変すること 」 を望みやすく、政治にもそれを期待する。

事実、小泉政権下では 「 小泉はサイテー 」 と批判し、待望の安倍総理に代わった途端 「 小泉のほうがマシだった 」 と喚き、常に体制を憎む。

もし、政権が民主党に移った場合も 「 自民党のほうがマシだった 」 と愚痴ることは、まず間違いなく、永遠に同じ作業の繰り返しである。

政党選びも大事だが、他人に期待するよりも 「 help themselves 」 の発想で、ご自分の足元を見つめなおすことが肝要だろう。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月12日(木) 不敗神話



「 勝負はやっぱり勝たなきゃアカンよ 」

                              横山 やすし ( 漫才師 )

Competitions are to be won.

                              Yasushi Yokoyama



暴言、暴行、借金と、破天荒な生き様だが、漫才の資質はピカイチだった。

ギャンブル、スポーツなど 「 勝負事 」 大好きな性格も、広く知られている。


アメリカ大リーグでは 7年連続出場の イチロー が、オールスター戦史上初となるランニング・ホームランを放ち、MVP を獲得する栄冠に輝いた。

今オフには移籍の話も浮上していたが、在籍する マリナーズ からは 五年契約で 1億ドル という、破格の残留条件も提示されているらしい。

破格とは言っても、彼の長年に亘る安定した成績をみれば 「 妥当 」 という気がするし、球団側からすれば、むしろ 「 お買い得 」 とさえ思える。

金額そのものではなく、「 価格に見合う価値 = value for money 」 といった観点から眺めても、けして、彼に対する評価が過大でないことは明らかだ。

松井、松坂、岡島、城島、斎藤、田口ら、他の日本人メジャーリーガーも、最近は連日のように活躍しており、応援のしがいがある。


早稲田の 斎藤 投手 も、ハンカチ王子 と呼ばれた高校生時代から数え、先日の日米大学野球で敗れるまで 29連勝 の大活躍をみせている。

残念ながら 「 不敗神話 」 には ピリオド を打たれた格好だが、この先も、ますます気迫のこもった投球を展開してくれるだろう。

冒頭の言葉通り、スポーツなどの勝負事は 「 結果がすべて 」 といって過言ではなく、ファンも、スポンサーも、たえず結果を求めている。

当然、勝者がいれば敗者もいるわけだが、勝ってこそ楽しく、愉快になり、負けてばかりいると、憂鬱で、不愉快になり、ストレスが溜まっていく。

連勝中の投手は、次回の登板が楽しみで待ち遠しく、連敗のトンネルから抜け出せずにいる投手は、頑張って勝つか、「 負けに慣れる 」 しかない。


ビジネスの世界でも、競争に勝つ会社、負ける会社、いわゆる 「 勝ち組、負け組 」 があって、同じ会社の中にも 「 勝者、敗者 」 がいる。

たまに、「 仕事が面白くない 」、「 会社に行きたくない 」 と愚痴をこぼす人がいて、その無気力ぶりが度を越すと、精神科医に うつ病 と診断される。

たしかに、無気力は うつ病 の特徴的な症状だが、「 仕事が面白くない 」、「 会社に行くのが嫌 」 というのは、病気とは無関係な別の問題である。

前述した 「 勝ち投手、負け投手 」 と同じで、人並み以上に成果を発揮していたり、組織貢献度の高い社員は、総じて 「 仕事が楽しい 」 ものだ。

仕事が順調で大活躍している人が、仮に うつ病 になったとすれば、それは仕事以外の悩みが大きいわけで、「 仕事が面白くない 」 とは言わない。


つまり、厳しい言い方になるが、「 仕事が面白くない 」 などと愚痴る人は、「 仕事ができない人、業務能力の劣っている人 」 なのである。

仕事のできる人は、「 簡単すぎて飽きる 」 とか、「 待遇に不満 」 といった愚痴はあっても、「 会社に行きたくないほど仕事が嫌 」 にはならない。

実際に、同じ仕事を与えても、能力の高い人よりも、低い人のほうが不満は多く、居酒屋や、最近では ブログ などで愚痴ばかりこぼしている。

そういう人たちは、「 誰だって仕事が面白くないはずだ 」 などと反論するのだが、負け投手に 「 勝利投手の気持ち 」 が理解できるはずもない。

当然、勝ち続けている人は昇給、昇格するし、負け続ける人は格差をつけられ、さらに 「 面白くない 」 状況に陥っていくのである。


このような意見に対して、たとえば私の彼女なんかは 「 厳しいわねぇ、でもさ、皆が勝てるわけじゃないし、いろんな人がいるでしょう? 」 などと仰る。

もちろん、勝者の数だけ敗者がいて、全員が勝者となることはあり得ないのだが、負けるということは 「 弱さ 」 であり、「 個性 」 とは呼べない。

同じ負けるにしても、「 次は勝とう 」 と必死に努力する人、「 負けて当然 」 と開き直る人では、プレイヤーとしての価値がまるで異なる。

自分の無能ぶりを恥じることもなく、「 仕事が嫌 」 などと平気で口にできる御仁は、もはや負けることに痛みすら感じなくなった末期患者である。

たとえ辛くても、今日は勝てなくても、勝利に近づく努力をし、辛さの中にも楽しさを見出す工夫をすることが、報酬をもらうプロとしての使命なのだ。


社会保険庁の職員に対して、「 給料を返せ 」 などと批判する人も多いが、経営者の視点でみれば、「 会社が嫌 」 なんて人も 月給泥棒 である。

たとえ イチロー のような高給をもらっていなくても、給料が少ないから質の劣る労働でよいなどという論拠は成り立たない。

程度の低い社員の存在は、株主、経営者、上司、部下、同僚と、その家族に害悪をもたらし、あるいは取引先、顧客、消費者に提供する質を下げる。

そういう人は、すぐ 「 自分なんて死ねばよいのか 」 などと極論に走りやすいが、そうではなく、「 自分の力量に見合う仕事 」 に転職すればよい。

転職して所得は下がるかもしれないが、「 楽しいと思える仕事での報酬 = 自分の力量 」 であるのだから、それこそが本来の正しい姿なのである。


ストレス発散のために、趣味を持つのも良い事だが、職場内で 「 敗者 」 であり続けるかぎり、そのストレスが他所で解消できるはずもない。

つまり、「 仕事のストレスは、仕事で解消する 」 しか術はなく、そのためには 横山 やすし さんが遺した言葉の通り、勝つしかないのである。

最大限に努力し、どうしても ダメ なら、ストレスを抱えてお荷物になるより、自分が貢献できる職場へ移ったほうが、労使ともに良い結果となる。

人間も食物と同じで、生暖かい場所に放置したり、悪い空気に触れさせておくと、やがては腐りはじめ、周囲に悪臭を放ち、不快感を与えてしまう。

斎藤 投手 が 「 不敗神話 」 を目指して力投する姿は素晴らしいけれども、中年サラリーマンの 「 腐敗神話 」 など、誰も見たくはないのである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月10日(火) 精神鑑定と刑事責任能力



「 離婚は、弁護士が幸せに暮らせるようにできている 」

                                   英語のジョーク

Divorces are arranged so that lawyers can live happily.

                                   English joke



弁護士、被害者、加害者、それぞれの立場によって利害は異なる。

ただし、ある日突然、弁護士が被害者や加害者になる可能性もある。


以前の日記にも書いたが、「 犯罪被害者の会 」 の代表幹事 岡村 勲 氏 は、もともと弁護士として長く活躍されていた。

ところが、仕事上の問題で彼を逆恨みした男に奥さんを殺害され、はじめて被害者や遺族がどんなに悲惨で、不公正な目に遭っているかを知る。

職務上、やむを得ない部分もあるのだけど、弁護士は依頼人を有利に導くこと、裁判に勝利することが、ときに倫理や法秩序よりも優先されやすい。

その判断が、いかなる場合も揺るぎないならよいが、「 けして自分が被害者の立場にはならない 」 という前提のもとに下されているのが実情のようだ。

すべて国民は 「 犯罪被害者予備軍 」 であることを思えば、現状のように、加害者に手厚く、被害者に冷淡な法制は、改善する余地が大きいだろう。


昨年の3月に、川崎市で小学3年の男児をマンション15階の通路から投げ落として殺害した男に対し、横浜地裁は精神鑑定を行うと決定した。

それは弁護側の申請によるもので、検察側の精神科医が 「 重度の うつ病 ではなく、完全責任能力がある 」 と述べた意見を覆した結果となった。

焦点となるのは 「 刑事責任能力 」 の有無だが、日本の法律では、善悪の判断がつかない者、その判断に従って行動できない者は、罰せられない。

つまり、そういう人物によって肉親を殺されても、懲役刑などの刑罰で矯正することは不可能なので、刑事責任は追及されないのである。

精神病で、わけもわからず殺人を犯した者を投獄するのは 「 可哀相 」 という論理もわからないではないが、遺族の無念は置き去りにされたままだ。


たとえば、自分の子供 ( 幼児 ) と電車に乗っているとき、子供が手にしたアイスクリームが他の乗客の衣服を汚した場合、皆さんはどうなさるのか。

幼児に “ 刑事責任能力 ” は無いので、「 仕方ないですなぁ、運が悪かったと思って諦めてください 」 と誤魔化すような人は、まず、いないだろう。

実際、幼児に “ 刑事責任能力 ” が無くても、親に “ 保護責任 ” があるのだから、子供に代わってクリーニング代などを弁済する義務が生じる。

たとえ大人でも、「 事物の是非・善悪を判断する能力がない 」、「 その判断に従って行動できない 」 者は、なんら幼児と判断力に変わりはない。

ましてや、「 自他殺傷のおそれ 」 がある場合は、はるかに幼児よりも危険な存在であり、保護者もなく、自由に街中を徘徊させるべきではない。


前述の被告のように精神鑑定を受け、仮に “ 刑事責任能力なし ” と判断された場合は、精神病院への入院措置がとられ、社会に放置はされない。

ただし、懲役刑などに比べると、はるかに短い期間で退院させているのが実情で、退院後、四六時中にわたって監視されるわけでもない。

けして、「 精神病院に閉じ込めておけ 」 とは言わないが、片方で 「 矯正は不可能 」 と判断しながら、短期間で退院させている実態には矛盾がある。

親が出来ないなら、司法が代行して 「 刑事責任能力のない犯罪者 」 を、責任をもって保護し続けてもらわないと、社会の秩序と安寧が保てない。

精神病患者、自他殺傷のおそれがある者、いづれも増加の傾向にあることは周知の事実で、この問題を放置するのは、将来に重大な危惧感がある。


弁護士をはじめとして、加害者の保護にあたる人々は、特に、「 刑事責任能力 」 に疑問のある場合、憐憫や同情が必要だと訴える。

しかし、本気で彼らを救済したいと考えるのであれば、彼らを 「 被害者 」 にも 「 加害者 」 にもしない努力が、求められるのではないだろうか。

無責任な同情論は、加害者側にも、被害者側にも新たな悲劇を生み、策も無く、延々と繰り返されていくばかりである。

特に、弁護士の先生方にお願いしたいのは、「 精神鑑定まで持ち込んだら成功 」 ではなく、加害者の更生、社会復帰に責任を感じてもらいたい。

憲法改正に、「 戦争で大事な息子を死なせたくない 」 なんて不安を抱く人もいるが、もっと身近に 「 誰も責任をとれない危険 」 が満ちているのだ。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月09日(月) 東洋医学の神秘



「 中年 ( ミドルエイジ ) とは、腹 ( ミドル ) の辺りに 年齢 ( エイジ ) が

  あらわれ始める頃だ 」

                      ボブ・ホープ ( アメリカのコメディアン )

Middle age is when your age starts to show around your middle.

                                     Bob Hope



とある文献によると、40歳 を過ぎたら 「 初老 」 なのだそうである。

それは、平均寿命が短かった過去の話かと思いきや、そうでもないらしい。


人によって個人差はあるけれど、人間は、ある程度まで進化、成長するが、どこかの時点からは老化、衰退していく定めになっている。

特に健康面で不安の無い人でも、中年になると冒頭の言葉のように、お腹の周りがたるんできたりして、もう若くはないと気づかされることが多い。

主婦の方は、ご主人のお腹が 「 みっともない 」 と憂うが、ご自分もかつての 「 くびれた腰 」 が、いまや 「 くたびれた腰 」 になったりしている。

見た目が不恰好なぐらいなら、多少の 「 ご愛嬌 」 で済む話だが、肥満は健康面での黄色信号でもあり、あまり度が過ぎると不安が生じる。

私も、これといって心身ともに問題はないようだが、長く、健康に、できれば 「 見栄えよく 」 暮らしたいので、その辺には気をつけたいと思う。


東洋医学は西洋医学からみて、科学的な根拠に欠けると批判を受けることもあるが、「 予防医学という観点では、優れている 」 との評判をよく聞く。

両者の大きな違いは、東洋医学が人体を 「 マクロの視点 」 で眺めるのに対し、西洋医学は 「 ミクロの視点 」 で捉えているところだろう。

東洋医学では、病気は体内の 「 陰 」 と 「 陽 」 のバランスが乱れた結果と考え、体質、自然治癒力など、病状ではなく患者主体に改善しようとする。

西洋医学では、病気そのものが深く分析、研究され、手術や投薬によって、病気の原因を人体から排除しようとする特徴がある。

だから、大病に至るまでは東洋医学の予防効果で体調を維持し、とことん悪くなってしまったら西洋医学に頼ることが、得策だと考える人も多い。


最近、仕事の関係で中国へ出張する機会が多いのだけれど、上海などで 「 ツボ治療 」 を受けると、すこぶる体調が良い。

ツボを押すと、腰や肩などの 「 コリ 」 を和らげられ気持ち良いうえ、内臓の疾患もわかるが、その人の感情でも、内臓の悪い個所がわかるらしい。

西洋医学でも、ストレスによる人体への悪影響を認めているが、東洋医学では、どの感情が、どの臓器に影響を与えるかまで、長く研究されている。

喜怒哀楽という言葉があるが、東洋医学には 「 怒喜思憂悲恐驚 」 という 7種類の感情表現に分けられ、それぞれが五臓に対応しているとされる。

五臓との組み合わせは、「 肝臓 = 怒 」、「 心臓 = 喜 」、「 脾臓 = 思 」、「 肺臓 = 憂悲 」、「 腎臓 = 恐驚 」 だそうである。


現在、体調の悪い人は、自分の感情がどんな状態 「 怒喜思憂悲恐驚 」 にあるか分析してみるのも、一つの方法だろう。

怒り過ぎれば肝臓を傷め、喜び過ぎれば心臓を傷め、思い過ぎれば脾臓を傷め、憂い悲しみ過ぎれば肺臓を傷め、恐れ驚き過ぎれば腎臓を傷める。

自分の感情が過ぎた状態にあるならば、強い感情を静める努力によって、体調の回復を早められるかもしれない。

楽しく、生きがいのある人生を送るには、心が穏やかで、体が健康でなければならないが、心は体に影響を与え、体は心に影響を与える。

特に中年以降は、西洋、東洋の医学を上手く融合させて、心と体の調和がとれた状態で、ハッピーに暮らしていきたいものである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月08日(日) 徳川幕府に学ぶべき優れた行政システム



「 さらによい方法がある − それを見つけよ 」

                     トーマス・エジソン ( アメリカの発明家 )

There's a way to do it better − find it.

                                 Thomas Edison



普段、あまり TV で 時代劇 を観ないが、久々に 「 必殺仕事人 」 を観た。

この作品での 藤田まこと は、相変わらず格好良いので魅入られてしまう。


この 「 必殺仕事人 」 や、「 遠山の金さん 」 などの劇中に、よく 「 奉行所 」 が登場するが、門扉には 「 北町奉行所 」 または 「 南町奉行所 」 とある。

奉行所では、現代の裁判所的な機能を果たしていたが、江戸では、南北に二つの奉行所を設け、職務権限を2人の同役に分散させていたのだ。

当時は 「 月番制度 」 があって、奉行所をはじめとする幕府の要職には、複数名が就任して、1ヶ月交代で勤務する仕組みが取り入れられていた。

原則、1人が月番として1ヶ月間の執務を行い、一方は非番となるのだが、非番といっても受付窓口を閉めるだけで、多忙な行政活動は継続した。

この制度により、たとえば、片方の町奉行が老中への報告をする時には、もう片方の奉行による了承が必要だったりしたそうである。


その制度は町民にも知られており、2人の奉行のうち、より優秀とみられる奉行が月番に当たるときを狙って、集中的に訴訟が多く持ち込まれる。

その結果、有能な奉行ほど忙しく、無能な奉行は仕事が激減するわけで、いわば奉行所という役所が、国民から査定を受ける仕組みになっていた。

ライバル関係にある町奉行職の2人は、国民受けする政策展開に迫られ、より効率的に、競争心をもって仕事に励んだという。

徳川幕府では、このように 「 官僚の権力分散 」 を導入することで、権限が1人の人間に集中する弊害を防ぎ、チェック機能も十分に働かせていた。

しかも同制度は、ともすれば 「 ことなかれ主義 」 に陥りがちな役人に対し、お互いの競争心を抱かせる 「 優れた行政システム 」 でもあったのだ。


現代の官僚制度は、役人個人が責任を負う事例など皆無で、その責任は役所という組織に帰属し、誰の責任かという点については曖昧である。

時々、責任者とおぼしき人物が 「 減給 」 とか 「 賞与カット 」 などといった処分を受けるが、せいぜい 「 お茶を濁した 」 程度にしかみえない。

最近なにかと問題視されている社会保険庁をはじめ、いまの時代、公務員には、事務能率、国民へのサービスなどの面で、どうにも不満の声が多い。

古人の考え出した 「 同役制度 」、「 月番制度 」 が、もしも現代に復活したら、そういった諸々の問題解決に、意外と効力を発揮するのではないか。

役所が国民の監視下に置かれ、厳しい競争原理によって要職者を必死に働かせる同制度こそ、緩んだ現代に最善の方法なのかもしれない。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月06日(金) 三高 から 三低 へ



「 夫を理想の夫にしようと夢中になるあまり、

  理想の妻になる余裕のない女性がいる 」

                                   英語のジョーク

Some women work so hard to make good husbands that they never manage to make good wives.

                                   English joke



相手の理想に近づこうと努力するのは、けして悪いことではない。

しかし、それで 「 自分らしさ 」 を見失うようでは、良い結果に至らない。


たとえば、アパレルなどのビジネスにおいて、「 一流ブランドの商品 」 と、「 ノーブランド商品 」 を販売する際の商品開発は、まるで手法が異なる。

ノーブランドの商品を販売する際には、価格、品質、サイズなどに関して、消費者に支持されるかなど 「 市場に合わせた商品開発 」 が必須だ。

逆に、一流ブランドの場合には、市場の欲求にばかり気をとられていると、そのブランドの特色というか 「 らしさ 」 が損なわれてしまう危険がある。

世間の好みがどう変化しようと、あくまでも 「 自分らしさ 」 を主張し続ける普遍的な信念や哲学が無ければ、一流ブランドとは呼べない。

これは人間も同じで、自分に自信の無い人ほど、トレンドに合わせて髪形やファッションをコロコロと変え、世の中に迎合しようとする傾向が強い。


バブル時代、「 三高 」 という言葉が流行し、当時の女性の多くが、男性に 「 高学歴 」、「 高身長 」、「 高収入 」 を求める風潮が話題になった。

いつの世でも、そんな男性はモテるだろうと思っていたが、いまどきの女性には、「 三低 」 の男性を好む傾向があるらしい。

これは、裏返しの 「 低学歴 」、「 低身長 」、「 低収入 」 という意味ではなくて、「 低姿勢 」、「 低リスク 」、「 低依存 」 を指しているのだという。

文字通り 「 低姿勢 」 とは、腰が低く、レディファーストを重んじる姿勢で、「 低リスク 」 とは、公務員などの安定した職業に就いていることを示す。

最後の 「 低依存 」 とは、お互いの生活習慣を尊重し、ベタベタと甘えたり、ヤキモチを焼いたり、束縛しないタイプであることを示しているそうだ。


もちろん、そんな 「 条件 」 にこだわる女性はごく一部であって、大半は違うと思うけれど、なんとなく 「 そんな時代なのかなぁ 」 とは感じる。

三要素の中で 「 低姿勢 」 はともかく、リスクを冒さない男性、干渉を避けて深い愛情を求めない男性に、何の魅力があるのか、私には理解し難い。

最近の男性は意気地が無いとか、弱くなったという批判をよく聞くけれども、女性からみた 「 理想の男性像 」 には合致しているという見方もできる。

ただ、私としては、積極的に挑戦する機会を求め、好きな女性に対しては、とことん愛情を示すような男性のほうが、同性として好感を持てる。

生ぬるい時代においても、世の男性諸氏には 「 骨太のブランド 」 であって欲しいと願うし、「 三低 」 を望むような女性は、ロクなもんじゃないと思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月05日(木) 安倍首相の任命責任



「 話してすべての疑いを晴らすよりも、黙っていて

  愚か者と思われるほうがよい 」

          アブラハム・リンカーン ( アメリカ合衆国第16代大統領 )

'Tis better to remain silent and be thought a fool,
than to speak and remove all doubt.

                               Abraham Lincoln



答弁に自信がなければ、黙っていて 「 バカ 」 と思われるほうが マシ だ。

特に政治家の場合、不用意な発言が 「 命取り 」 になりかねない。


先ごろ、広島、長崎への米軍による原爆投下を 「 しょうがない 」 と失言し、野党、マスコミの追及を受けて 久間 章生 元防衛相 が引責辞任した。

安部内閣の閣僚辞任は、佐田 玄一郎 元行政改革相 に続いて二人目で、自殺した 松岡 元農水相 を含めると、三閣僚が交代したことになる。

ちなみに、読売新聞がネットモニター調査で、「 安倍、小沢、両党首に抱く イメージ 」 を尋ねたところ、興味深い回答が寄せられたという。

信頼度では、首相が25%で、小沢氏の13%を軽く上回ったが、「 リーダーシップ があるか 」 という問いは、小沢氏が37%、首相が16%だった。

憲法改正、教育の見直しなど、発想は間違っていないけれど、それを実行する組織づくり、統率面において、やや安倍首相には難点がある模様だ。


野党からは当然の如く、「 首相の任命責任 」 を問う声も上がっているが、昨年9月の就任以来、三人も閣僚が交代したのは、たしかに異常だ。

まず 佐田 元行革相 については、政治資金収支報告書の虚偽記載が問題となり更迭されたが、このような人物に 「 行革相 」 とは、笑うに笑えない。

松岡 元農水相 については、立場が悪くなったら自殺するような御仁だったわけで、大臣というより、人間としての資質が疑われる。

久間 元防衛相 については、今回の発言以前にも、政府、与党として容認した イラク戦争 の是非を、否定するかのような失言も過去に発している。

すべては派閥間調整の結果だろうが、これらの 「 出来の悪い人物 」 を、三人も要職に就けた責任は、たしかに問われても仕方のないところだ。


政治には興味が無い ( というか、興味を持たないようにしている ) けれど、過去に一度だけ、どうしても断りきれずに選挙を手伝ったことがある。

その際、某大物議員から聞いた話だが、与党も野党も党内に諜報部隊を持っていて、たえず、「 相手の スキャンダル 」 を探っているそうだ。

それらの情報は、入手してもすぐには公開をせずに、より効果的な場面で、あるいは自党の窮地から脱する手段として、戦略的に使用されるらしい。

文字通り、「 攻撃は最大の防御 」 というわけだが、そういえば、たしかに、与党が危なくなると、なぜか タイミング よく、野党の ゴシップ が流れる。

たまに、裏付けの無い 「 週刊誌なみの悪口 」 に過ぎない情報で、攻撃したつもりが 「 自爆 」 したなんて失敗例も、何度かあったようだ。


安倍首相の 「 人を見る目の無さ 」、「 指導、統率力不足 」 については疑う余地もないが、ここで、前述したような策謀は施さないほうがよい。

力不足を認めて反省し、素直に謝意を示すほうが、策謀を張り巡らせ反撃に転じるよりも好感を持たれるし、なにより 「 安倍氏らしい 」 はずだ。

この苦境にあっても、信頼度では小沢氏をリードしているのだし、選挙戦を前に焦る気持ちもわかるが、あくまでも 「 正攻法 」 を貫いてほしい。

反論して 「 泥試合 」 に発展することを、良識ある国民は望んでいないし、それは、誰にとっても良い結果を招かず、悔いを残すだけだろう。

窮地に立ったときこそ、人物の真価が試されるときであるし、いまの自民党では 「 口を開かないほうが マシ 」 であるとみて、ほぼ間違いない。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月04日(水) 自民党が ダメ で、民主党は信頼に足るのか



「 楽観主義者が 車 を発明した。

  悲観主義者は エアバッグ を発明した 」

                                  英語のジョーク

An optimist invented the car. A pessimist invented the air bag.

                                  English joke



楽観主義者と悲観主義者を対比した ジョーク は、他にも数多く存在する。

その歴史は古く、古代ギリシャやローマ時代の文献にも記録がある。


古典では、「 悲観主義者は笑うことを忘れ、楽観主義者は笑って忘れる =
A pessimist forgets to laugh, but an optimist laughs to forget 」 が有名だ。

どちらが偉いというものではないが、この手の ジョーク にて取り上げられる楽観主義者像は、大半が「 バカっぽいが愛嬌ある幸せ者 」 とされている。

それに対して悲観主義者は、「 賢そうに振舞ってはいるが、人生を存分に楽しめない不幸な奴 」 として扱われ、ネクラ ぶりを皮肉られることが多い。

ジョーク にかぎらず、故事、格言の多くが、「 見た目は悲観主義者の方が賢そうだが、幸せに生きられないなら愚かじゃなかろうか 」 と締められる。

性格の違いと言ってしまえばそれまでだが、古今東西、先人は 「 どうせなら楽観的に暮らしたほうが得ですよ 」 と、語り継いできたようである。


その性格上、悲観主義者は必然的に 「 社会を憂う 」 ことが多く、たとえば政治の話になると、現政権のやり方を否定する側に回りやすい。

悲観的な発言の多い ブログ をみると、政権を奪取したい野党と同じような与党批判が繰り返されていたりするが、これもまた必然の結果だ。

つまり、政党の政策や哲学などには一切関係なく、ただ、現状を否定したいという気持ちだけで、野党との一時的な連帯感が生まれているのである。

彼らの思惑通り、仮に野党が政権を奪取した場合も、今度は与党になった新しい攻撃対象に向けて、何かと理由をつけては批判が繰り返される。

おそらくは、「 前政権のほうが良かった、マシ だった 」 などの不平不満が羅列されることも容易に予測できるわけで、彼らが満たされることはない。


最近は選挙の投票率が下落し、日本人は政治に対する関心が低いと嘆く方も多いけれど、ある意味、それは 「 幸せなこと 」 かもしれないと思う。

それは、自分の運命を選挙の趨勢になど賭けることなく、誰に頼ったりすることもせずに、自分の力で切り拓こうとする人の多い証明でもある。

まったく無関心なのもどうかとは思うが、選挙の結果ぐらいのことで、生きるの死ぬのとほざいている連中よりは、よほど健全ではないだろうか。

今回、自民党は失点続きで、たぶん選挙では苦戦を強いられると思うが、どの政党が票を伸ばそうが、正直いって、ほとんど興味がない。

どんな結果であろうと、それは 「 国民の選択 」 なのだから、それを真摯に受け止め、時代の秩序に順応しながら、個人が努力することが望ましい。


内閣の支持率が落ちているけれど、たとえば 小沢 氏 の率いる民主党に政権が移れば、日本が良くなると考えている人は、増えているのだろうか。

もしそうなら、民主党に投票されるとよいが、後先も考えずに自民党憎し、安倍憎しで 「 批判票 」 を野党に振り向けるのは、どうも違う気がする。

どの党を支持されるかは自由だけれど、できれば 「 マイナス発想 」 ではなく、「 プラス発想 」 で意思決定されたほうが、将来、悔いがないだろう。

特に年金問題などは、体制が変わる度に 「 ややこしく 」 なってきた経緯があり、指揮管理が転々と移ることは、解決を遅らせる要因になりやすい。

できれば、「 与党が ダメ だから、野党に 」 という発想ではなくて、最も信頼できる政党はどこかを、ゆっくり冷静に吟味されると良いように思う。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月03日(火) 歪んだ天秤



「 不誠実であることは、一時的な利益と引き換えに

  永遠の価値を放棄することだ 」

             クリスチャン・N・ボヴィー ( アメリカの弁護士、作家 )

Dishonesty is forsaking the permanent for temporary advantage.

                              Christian N. Bovee



よく、「 相手の身になって考える 」 ことが、正しい判断の指針と諭される。

たしかに正論だが、時にそれは、口で言うほど簡単な作業でない。


たとえば、失恋で悩む友人に対して、相手の身になり励ましの言葉をかけることは、わりと多くの人が実行できるだろう。

それは、多かれ少なかれ、似たような経験を持つ人が大半を占めているので、自らの体験を振り返ることにより、相手の心情を理解できるからだ。

逆に、あまり普通は遭遇しない 「 特殊な体験 」 をした人に対して、彼らの置かれた立場、悩み、痛みなどを、すべて完璧に把握することは難しい。

一人でサイバーテロ集団に立ち向かう マクレーン刑事 ( ダイハード4 ) の心情なんてのは、多少の想像はできても、完璧な理解には程遠いはずだ。

それは極端な例かもしれないが、世の中には想像を絶する苦境に遭遇する人がいて、周囲の理解を必要としているけれど、なかなか上手くいかない。


数年前、マスコミ に勤める友人に呼びかけられ、「 犯罪被害者の会 」 の シンポジウム に参加したことがある。

会員は、犯罪被害者、またはその遺族、近親者にかぎられており、当日は 「 山口県母子殺害事件 」 の遺族である 本村 洋 氏 も参加されていた。

事件の詳細については、ここで解説するまでもなく各種報道でご承知の通りだが、ご本人の口から目の前で拝聴すると、胸のつまる思いである。

他にも多くの事件、それによって多大な被害に苦しまれている方々の実態が紹介され、少年法の是非や、法改正などに様々な意見が提起された。

進行役は 読売テレビ の 辛坊 治郎 アナウンサー、パネリスト には 脚本家 の 市川 森一 氏 らが参加され、俳優 田中 健 氏 の再現劇 も上演された。


この 「 会 」 の会長は 岡村 勲 氏 だが、氏は弁護士生活38年目にして、仕事上で氏を逆恨みした男により夫人を殺害され、被害者遺族となった。

弁護士という仕事柄、裁かれる加害者の権利を守ることに奔走することの多かった氏は、事件により初めて被害者側の立場に立たされたのである。

ここで氏は、加害者の人権を守る法律は、憲法をはじめ詳細に整備されているのに、被害者の権利を守る法律がどこにもないことに気づく。

加害者は、逮捕された日から、食費、医療費、光熱費、生活費のすべてを国費で賄われるのに、被害者はすべて自己負担というのも矛盾している。

そうした体験から、数人の犯罪被害者と話し合い 「 犯罪被害者の会 」 を設立し、被害者の権利保護と、被害回復に尽力されてきた。


最近、ようやく被害者保護が巷の話題となり、保護三法の制定や、少年法の一部改正なども行われてきたが、この会の果たした功績は大きい。

犯罪は社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、被害者の権利を認め、支援するのは社会の義務であるという主旨も大賛成だ。

ただ、一つだけ 「 しっくりこない 」 のは、元弁護士であった 岡村 会長 の 「 被害者の立場になって考えが変わった 」 という論旨である。

人が人を裁くうえで、すべて情緒的な部分を排除することは難しいけれど、法律には客観的な指針が必要で、主観が入りこむことを善しとはしない。

でなければ、同じような事案でも、バラバラ の判決が下されてしまう危険があり、「 法の下の平等 」 が維持できなくなる怖れが生じるだろう。


弁護士バッジ には、ひまわりの花弁の中央に 「 天秤 」 の図柄が配され、ひまわりは正義と自由を、天秤には公正と平等が象徴されている。

最近、「 山口県母子殺害事件 」 の差し戻し審で、どうにも不可解な弁護団の答弁に対して、世間の憤りが集中しているように思う。

たしかに、被害者の心情を思う上で 「 やりきれない憤り 」 を私も感じるが、あくまでも客観的な 「 正義と自由に対する、公正と平等 」 を求めたい。

極刑を求める気持ちは被害者と同じだが、それは、被害者の無念を救済する理由でなく、正当な請求として加害者が負う処罰であることが望ましい。

そして、裁判の結果とは別に、今回の弁護団が行った活動について、それが正義なのか、公正かつ平等だったのか、厳正な審議が必要と感じる。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月02日(月) 太陽の チカラ



「 ああ、なんて素敵な朝だろう!

  ああ、なんて美しい日だろう!

  私も素敵にいい気分。

  なにもかも、うまくいきそうだ 」

                       ミュージカル 『 オクラホマ! 』 より

Oh, what a beautiful mornin'
Oh, what a beautiful day,
I got a beautiful feelin',
Ev'rything's goin' my way.

                                   Oklahoma!



ミュージカル 『 オクラホマ! 』 第一幕、最初に牧場でカウボーイが歌う。

歌詞は オスカー・ハマースタイン、曲は リチャード・ロジャース の作品。


元来、日本人の気質は、精神基盤が仏教的であることに起因している為、精神的な強さ、タフ さを重んじる傾向にある。

自分の内面と向き合い、煩悩 ( 欲望 ) を振り払いながら自己精神を高めていき、最終的に仏になることが、仏教の真髄とされてきた。

だから日本では、うつ病や、うつ傾向にある人に対し、「 精神が弱い 」 とか、「 精神がたるんでいる 」 という批判を向ける風潮が長く続いている。

アメリカのように、社会全体で幅広く カウンセリング の受け皿が整っている国と違い、精神科、心療内科に通うことが、個人の汚点にもなりかねない。

しかし、世の中に閉塞感が溢れ、夢や希望の持てない若者と、軽労働でも疲れきる中年が急増する中、「 そんなことは言ってられない状況 」 にある。


うつ病にかぎらず、病気は全般的に予防が肝心だけれど、もしも、うつ病になってしまったら、早めに カウンセリング や心療内科に行くことが重要だ。

一人で悩んだり、対外的にそれを隠すことが、さらに、大きな ストレス へと発展しやすく、病状を悪化させてしまう怖れがある。

医者に診てもらうべきかどうか躊躇されている人、軽度の うつ傾向 にある人の場合、実は、状態を克服するために 「 身近なよい方法 」 がある。

それは、朝10〜20分ほどの間 「 日光浴 」 をすることで、一部の専門医、カウンセラー が患者に推奨している 「 費用の要らない治療法 」 だ。

普段より30分ほど早起きして、近くの公園に散歩をするだけで、見違えるほど回復した症例もあり、薬と違って 「 マイナスの副作用 」 がない。


太陽光線の中には、紫外線などの強力な波長も含まれているが、植物の光合成を育成、促進する 「 生命を育む エネルギッシュ な 力 」 がある。

夏場、日中は日差しが厳しいので、日焼けし、体力を奪われる心配もあるけれど、早朝は適度に柔らかく、空気も澄んでいるから散歩が心地よい。

早朝の日光浴で、強い光を毎朝浴びることにより、体内時計が調節され、夜に眠りやすくなる 「 睡眠障害の緩和 」 も、科学的に証明されている。

事実、うつ病患者の多くは、夜更かしの過ぎる傾向が強く、朝昼は引きこもりぎみで、夜行性タイプ の人が目立っているように思う。

朝30分早起きすることを 「 無理 」 と固辞する人もいるが、夜を30分早めに寝れば睡眠時間を削らなくて済むのだから、けして無理な話ではない。


バリ島の砂浜で波のせせらぎを聴き、森で鳥のさえずりに耳を傾け、太陽の光を全身に浴びると、自然の恩恵に触れる重要性を再確認した思いだ。

都会で満員電車に揺られ、アスファルトを駆け巡る生活の中でも、朝の短い時間ぐらいなら、近所を散歩して日光を浴びる機会は得られるはずである。

私も少し前から、ネット は夜だけにして、朝は早起きして外へ出かけるようにしていることと、タバコ をやめたことで、なんとなく体調が良い。

三食を規則的に摂れるし、快眠できるし、スッキリ した頭と気分で出かけたほうが、朝の仕事を効率よく消化できるので助かっている。

これで、もう少し 「 お腹まわりの肉 」 が取れれば言うことないのだけれど、そこまでは、お天道様も面倒みていただけないようである。






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加



2007年07月01日(日) 南の島で ハマ ってきました 



「 エレガンス とは、青春期を抜け出したばかりの人間がもつ特権では

  ありません。

  それは、すでに将来を手に入れた人間がもつ特権なのです 」

             ココ・シャネル ( フランスのファッションデザイナー )

Elegance is not the prerogative of those who have just escaped from adolescence,
but of those who have already taken possession of their future.

                                  Coco Chanel



日本人は スポーツ に対して、何かと 「 道 」 を付けたがる。

柔道、剣道はもとより、「 野球道 」、「 空手道 」 といった具合だ。


この 「 道 」 という漢字には、道路の他に、方法とか、ルールとか、モラルとか、掟とか、心構えなど、多岐にわたった意味が含まれている。

スポーツ において、欧米人が運動力学など科学的、合理的な練習方法を重視するのに比べ、多くの日本人は精神的な鍛錬、修養を第一に考える。

だから、スポーツ の種目名に 「 道 」 を付けて、この競技に携わる者には、こういった心構えが重要であると、最初に精神論から入っていくのである。

振り返ると私も、気合や根性といった精神的な要因を追求し、その違いが最後には雌雄を分かつ決め手になるものだと、信じて疑わなかった。

私の 「 青春 」 は、そこにあって、それは 「 エレガンス 」 などと対極の位置にある、汗まみれ、泥まみれの中で振り絞る根性の一滴だった。


勝ち負けにこだわらず、優雅に楽しむ レジャー系 の スポーツ において、そんな暑苦しく野暮な 「 道 」 なんぞは、取っ払ったほうがよいのだろう。

ただ、それは 「 人並みに楽しめる レベル 」 に到達した場合の話であって、その過程で障害にぶつかったときは、そのかぎりでない。

年齢的、肉体的な ハンディ を乗り越えて一定の基準に達するか、簡単に諦めて挫折するかの違いは、ここ一番の意地と根性の発揮しどころだ。

3日目、前日よりは少し明るい曇天の中で、相変わらず転んでは起き、起きては転びを繰り返しながら、歯をくいしばって ライン をたぐり寄せる。

みるみる上達する レーオン の背中を追いつつ、いつか 「 エレガンス 」 に海面を走る光景を思い描きながら、ジタバタ と体を動かしていた。


私の座右の銘は 「 意志あれば道あり 」 という言葉で、やり遂げたいという気持ちが強ければ、必ず 「 道 ( 方法 ) 」 は見つかるという教えである。

物事につまずき、やり遂げられないのは、目標に対する意識や、やり遂げたいという信念が弱い証拠であって、それ以外の何者でもない。

思えば若い頃は、特に仕事面で新しい課題や目標に挑戦する機会が多く、一つ一つ乗り越えては、達成感を味わい、次の自信に繋げていた。

けして、何もかも出来るようになったわけではないが、いまは仕事を選べるようになり、気がつけば 「 無理な仕事に挑戦しなくなった 」 かもしれない。

今回の旅行で出会った新鮮で興味深い スポーツ が、錆び付き始めていた自分の挑戦意欲を呼び覚まし、新たな活力を与えてくれた気がしている。


もう1日追加すると、彼女から刺される危険と、このまま帰国せずに居座りたくなる衝動にかられそうなので、先生に深くお礼をし、ビーチ を離れた。

その後、ちょっとだけ、お腹がへこんだ気がする私は、エステ などの効果で魅力的になった彼女に、3日間の不在を詫び、その埋め合わせをした。

贅沢を好まない彼女に、普段は好感を持っているのだけれど、こういう場合は 「 お決まりの プレゼント 」 で償えないから、苦労と工夫が必要になる。

彼女が、「 きれいな海と夕陽、そして、ゆっくり過ごせたのが一番の贅沢 」 と喜んでくれたので安心したが、たしかに、そんな旅だったような気がする。

冒頭の言葉の通り、そんな自然の素晴らしさや、ゆっくり優雅に過ごせる 「 エレガンス 」 な旅の価値は、若い頃には実感できなかっただろう。

( おわり )






↑ エンピツ投票ボタン です。 一度クリックする毎に筆者が踊ります。

My追加


 < PAST  INDEX  NEXT >


Oldsoldier TAKA [MAIL]

My追加