白痴日記
白痴



 007:毀れた弓

佐野は私を連れて,百貨店に入っていった.
私は泣くのを堪えるのに必死で,抵抗もせず従った.

いつのまにか好きな,かつて好きだったブランドの店にいた.
佐野はチーフとにこやかに何か話し,店員は私に新作の冬物を薦めている.
店員は私のことを覚えていた.
私の好みのものを一揃え持ってくる.

「着てみたら?」

佐野に言われるまま,私は試着室に入る.
今の自分を見ないようにしながら,着替える.
上から下まで.

最後に靴をはいて鏡を見た時,私は笑った.
笑って泣けた.

鏡の中には,彼と出会う前の自分がいた.

2005年12月31日(土)



 006:ポラロイドカメラ

一瞬目の前が光った.
いつのまにか目の前にポラロイドカメラを持った佐野がいた.
その時は名前なんて知らない.
ただいきなり写真を撮られたことに呆然とし,そして怒りが沸いた.

「何をするの?」
詰め寄った私に,佐野が一枚の写真を見せる.
そこには見たくないものがあった.

年齢より疲れていて,けれど目線は幼くおどおどしている.
伸ばしたままの髪は少し乱れていて,
そして
自分の不幸を垂れ流している顔.

泣きたくなって,顔を伏せた.
走り去ろうとした腕を,佐野がしっかりと掴んだ.


2005年12月30日(金)



 005:釣りをする人

ベンチから立ち上がり,ショートホープを買った.
急いで二本吸ってから,街をぶらついてみた.

こんな地味な格好でもスカウトされる街.
それはモデルと称したビデオであったり,
スナックと称した風俗であったり.
適当に振り切って,歩く.

釣られるのは簡単だ.
実際お金には困っていたし,自暴自棄にもなっている.

私は十分に魚だ.

でも

次の言葉が続かない否定がまた口をつく.

2005年12月29日(木)



 004:マルボロ

終業時間になり,外へ出た.
冬の初め.
好きな季節だ.

三時の休憩にも煙草を吸ったので
煙草が切れた.

自動販売機に近づく.
その時携帯電話がなった.

「夜はいらない.」

騒音で聞き取りづらい男の声.
またか.
眉間に皺が寄ってくるのを感じた.
さっきまでの初冬の気分が吹き飛んでいく.

自動販売機の横のベンチに腰掛けた.
急ぐ必要はないのだ.

ぼんやりと人の買う銘柄を見ていた.
マルボロ,マイルドセブン,マルボロ,マルボロ,ピース,マルボロ.

そういえば音の消したテレビで見たドラマで主人公が吸っていたっけ.
マルボロ.
私は音を立てるのが怖くなってしまっていた.
自宅だというのに.


2005年12月28日(水)



 003:荒野

少し昼休みを過ぎてしまって,席に着いた.
そんなことを気にする人は一人もいない.
皆,ロボットみたいに終業時間を待っている.

皮肉な笑いが出そうになるのはいつもだ.

「もう此の生活に疲れたの.出ていってくれる?」

私は職場で質素な人だと思われている.
ランチも行かなければ,服もメイクもシンプルすぎる.
ここの給料は私の年齢には高いぐらいだから,
貯金しているとでも思われているのだろう.

貯金などなかった.
絵の具,キャンパス,モデル料.

頬杖をつくと,荒れた肌に指先が触れた.


2005年12月27日(火)



 002:階段

煙草を持って,非常ドアを開ける.
昼休みもあとわずかで,そこには誰もいない.

煙草に火をつける.
100円ライターの調子が悪い.
音が出ないように舌打ち.

音のでない舌打ちを,彼と暮らしてから
私は何度しただろう.

煙草を吸うようになったのも暮らしてからだ.
家には灰皿を置いていない.
吸いたくなると,マンションの階段の踊り場で吸う.
そう,今,会社の踊り場で吸っているように.

煙草は彼の創作意欲を削ぐらしい.
皮肉な笑いを浮かべそうになり,慌てて引っ込めた.



2005年12月26日(月)



 001:クレヨン

男は絵描きになると言って
私はそれを夢見た.

馬鹿みたいにありきたりな話.

彼の指を握るとクレヨンの匂いがした.
たぶんそれは油絵の匂いだったのだろうけれど.

指をしばらく握っていない.
そんなことに気がつく昼休み.
職場は何事もなく,毎日同じ作業を同じ速度で行う.

何となく気が滅入ってきて,私は煙草を持って非常ドアを開けた.

2005年12月25日(日)



 性 さが 

君の感触を覚えている.
全てで.全てを.
匂いも.
拙さも.
汗の玉も.

あれから数年が経って
君以外も通り過ぎて
君がいなくなっても.

2005年12月24日(土)



 天使

天使は欲望にまみれていた.
書物の中で.
神様までも自分の恋のため,酷いことをしていた.

私は人間で
別に特に変わったところもなく

でも
欲望にまみれ,恋のため酷いことをする.



2005年12月23日(金)



 生きないといけない

生きないといけない.
明日は来てしまって,どうしても来てしまって
私は起き上がって,水を飲むだろう.

私が生きていることを,いつも忘れないでほしい.

2005年12月22日(木)



 師走

私の日常時間感覚はほぼ狂いがない.
一日二十四時間,しっかり感じる.
その長さと短さを.
これは一年三百六十五日についても同じだ.

だから年月があっという間だなんて
思ったことはないし
他人から同意を求められると
時間と意欲があると説明し
片方,両方ないときは聞こえないふりをする.

外は雪が積もる嵐.

2005年12月21日(水)



 二か月

ねえ,私を連れて逝って頂戴.
君のご家族には私は疎まれている.
其の役割を演じたのは,只,罪の意識から.
君の可愛い弟の針のような言葉さえ,私に安らぎをくれる.

でも
もう其れさえも役割をほぼ終えたのだから

連れて逝って頂戴.

2005年12月20日(火)



 淫乱で凶暴

そんな女が夢で暴れ回る.
人の汚さも自分の汚さも舐め取って
反吐の替わりに暴言を.
舌が妖しく動いたら,それはもう墜落.
欲しい者を手に入れる暴力.

夢の女はコントロール不能な私.

2005年12月19日(月)



 笑う

友達にもらったファイルでひとしきり笑う.
笑っていると,つまらないことはどうでもよくなる.

2005年12月18日(日)



 猫の温もり

ずっしりとした身体を抱き上げて
顔を寄せる.
ふわふわしている.むくむくしている.
嗚呼,何て愛おしい.
体温が伝わってきて,心が解れていく.

なぜこれが人間によってできないのかしら.

2005年12月17日(土)



 誕生日

今日は色々な人の誕生日で
でも,誰にもおめでとうを言わなかった.
言えなかったわけではないけれど
無理をすれば
言えたのだけれど.

唇が閉じていて
こじあけようとしたのだけれど.

2005年12月16日(金)



 いつかのアロワナ

十数年前の神戸のアロワナが
何を考えていたのかなんて,私は
わからないけれど.

秩序.
倫理.

嗚呼,売り飛ばされるなんて.
乱獲されて,輸送を生き延びて,家を見つけたら
成長のために売り飛ばされるなんて.

嫌悪感激しく.
長くないことを知る.

2005年12月15日(木)



 繋がり

携帯電話を捨ててみよう.
家の電話を解約してみよう.
住所不定にしてみよう.

それでも
繋がっている人としか
繋がりたくない.

余裕がないのよ.

2005年12月14日(水)



 待合室で

いつも膝を抱えてソファと壁に保たれる.
これは5年ずっと変わらない.
何を話そうか考えるのは止めていて
呼ばれて,椅子に座った時に,口から出る言葉を
大事にしている.

だから待合室は時々お茶や水を飲み
読書してるだけ.
静かな時間.

それを破られるのは苦手で
誰とも目を合わさない.

2005年12月13日(火)



 工事中

大きな橋が工事中で
振動を感じながら,渡る.
このまま落ちて,下の川に浸らないかと
少し想像する.
いつも想像する.

2005年12月12日(月)



 ふと

マッキーで全ての爪を黒く塗りたくなる.
足の小指まで.

そして
誰かを待っていたい.


2005年12月11日(日)



 そして僕らは歳をとっていく

会えないまま,年月だけが過ぎて
時々鳴る電話からの近況を伝える声は変わらないけれど
その内容は大人のそれになっていっている.

私といえば18の頃から,たいして変わらぬ近況で
彼氏がいる,いない,ぐらいの差で
いつも風邪気味で考え込んでいる.

そんな私でも歳は確実にとっていく.
肩が重くなっていく.
それを責任というのか,自意識過剰というのか
知らない.

そして僕らは歳をとっていく.


2005年12月10日(土)



 何が本当に大事なのかを

本当に大事なものを,時々考えてみるのだけれど
曖昧なヴィジョン.

もしかして
この手には大事なものなど.

2005年12月09日(金)



 治らない風邪

風邪の治らない日々.
最早,風邪は共生生物.
咳き込んで痛い背中.

ぐっしょりとベッドパッドまで濡らす寝汗.

いつになったらすっきりするのか.
果たしてすっきりするのか.

これは風邪なのか.
そこからかもしれない.

2005年12月08日(木)



 女に嫌われる女

時々耳にする,この言葉.
私にも当てはまることが多いのです.
自意識過剰なのに,無自覚.
この矛盾.



2005年12月07日(水)



 君の瞳に恋してる

やっぱり恋なのだと
思う夜半.

嫉妬を持て余す.
瞳を抉ってやりたいぐらい.
抉って食べてやる.

無力な自分に泣けてくる.

どんどん遠くにいく君よ.

死んでしまいたい.

2005年12月06日(火)



 便利な悲しみ

今は何もかも管理されて
その人を切ろうと思ったら
カテゴリを選択して消去・削除.

心に悲しみだけ残る.
面影は保つ心構えがなければ
そのうち消える.

デジタル.


2005年12月05日(月)



 リピートする

同じ曲をリピートしていることが多い.
一時間ぐらい.
ぼんやりしている時はもっと.

楽器毎に聴いていたり
息継ぎだけ聴いていたり.

そういうことを繰り返して
曲を全部聴く.

頭の中で再生できるようになる.
人の話を聞きたくない時に.
滅多にしないけれど.

2005年12月04日(日)



 デンワ

一人暮らしの私.
あまり話すこともない.
学校でも.
受話器に向かうことが多い.

特定の相手にしかかけない.
後はかかってくるのを適当に.

時々受話器を持って立ちすくむ.
声が出なくなるから.
沈黙.


2005年12月03日(土)



 切り揃えた前髪

切り揃えた前髪は意志が強そうで
でも
その下の眉毛と目が泣きそうに垂れているから
アンバランスで

私の顔は不安定.
頭も不安定.
全てが不安定.

2005年12月02日(金)



 太股の裏側

太股の裏側がカサカサしてひび割れしていた.
ふと鏡を見たとき,驚いた.
水分.油分.余裕.
ないのかしら.
ないのでしょうね.

背中には傷つけた覚えもないのに
生々しい傷.

躰の裏は正直.

2005年12月01日(木)
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