部長motoいっぺい
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2005年08月29日(月) 銀行の論理

僕のメイン口座は東京三菱銀行にある。東京三菱銀行は顧客を取引内容に応じてステージ分けして、ステージの高い顧客に対しては、預金引き出し手数料無料などのサービスを打ち出している。僕もその恩恵にあずかり、東京三菱銀行はもちろん、IYバンクやセブンイレブンなどに置かれているATMによる預金引き出し手数料は、土日や夜間なども無料である。

さて、先日名古屋に帰省していたときに現金を引き出す必要があり、近くのUFJ銀行に行った。ご存知の方も多いと思うが、UFJ銀行は来年から東京三菱銀行と経営統合する銀行であり、既にその影響が一般の顧客にも現れている。数ヶ月前には、銀行の店番号が変更になるという、けっこう大きな変更もあった。

そういった背景があり、僕はすっかり「UFJ銀行のATMを使った引き落としも無料だろう」と思っていたのだが、しっかりと土日の手数料が取られていた。前述の通り、系列ではないIYバンクやセブンイレブンにおける引き出しは無料で、経営統合作業中のUFJ銀行からの引き出しに手数料を課すというのは、ちょっと納得がいかなかった。


2005年08月27日(土) 「お祭り」進行中

帰国して1ヶ月にして、2回目の「お祭り」進行中。この分じゃ、年間24回のお祭りか?(爆)


2005年08月25日(木) 小学校編入受験「失敗」

帰国家族のネットワークから嫁が仕入れた情報により、息子は、とある帰国子女クラスを持つ小学校の編入試験を受験することになった。帰国子女クラスと言っても、特に外国語教育に熱心という類のものではなく、逆に「不満足な日本語をサポートする」ということを主眼においたクラスらしい。

そのため、編入試験においては、成績が重要視されるわけではなく、逆に「どの程度日本語ができないか、日本文化に馴染んでいないか」というところが問われるらしく、「出来れば良い」をいうわけではなかった。

まあ、息子の日本語は同年齢の子供にくらべて間違いなく劣っているし、その帰国子女クラスが少人数ということもあって受験を決めたのだが、結果は「不合格」。つまり、親の感覚とは裏腹に、普通の日本の教育を受けてきた4年生と同程度のレベルと判定されてしまったため、入学は認められなかったのだ。

すっかり(電車に乗って)その学校に行く気になっていた息子だったので、この「理不尽」な不合格に納得がいかない様だった。


2005年08月23日(火) 「反○○」の薄っぺらさ

連日マスコミでは、郵政解散の話題でもちきりである。小泉総理大臣は自民党でも郵政法案に賛成しなかった議員の公認を拒否し、はじかれた格好になった政治家達は国民新党や新党日本なる政党を立ち上げて、なんとか選挙を乗り切ろうとしている。

自分の信念と違う政策を掲げる政党を離れる政治家が出てきて、それが政界再編につながるというのはごく自然な流れだと思うのだが(これまでそういう流れが少なかったことのほうがおかしい)、今回新党に参加した政治家たちの主張を聞いていると、自分たちの信念を主張しているのではなく、単に「反小泉」を主張しているようにしか聞こえない。

確かに「反○○」という主張は、某国における反日運動同様、一時的なパワーとしては結集しやすいものの、所詮「反○○」はそれだけのものでしかなく、倒すべき対象が変化してしまえば、烏合の衆になるしかない。政治家たるもの、単に何かに反対するだけではなく、自らの信念を国民に語るべき役割を担っていると思うのだが、その辺のことを今回新党に参加した政治家たちはどう考えているのだろうか。


2005年08月20日(土) 夏休みの工作

通販で購入した、ロフトベッド2つを組み上げ。所要約1時間半。


2005年08月19日(金) 愛地球博へ行く

結局、夏バテの嫁を実家に残し、子供たちと3人で愛地球博に行くことになった。とは言え、炎天下で一日中行列に並ぶ体力はないので、午後3時ぐらいから閉園の午後10時までのみの見物とした。

夕方以降の空き始める時間帯を狙う目論見は、ある程度はあたり、企業パビリオンのみの見物であったにもかかわらず、全て1時間以内の待ち時間ですんだ。息子が一番喜んだのは、JR東海のパビリオンでのリニアモーターカー。彼にとって一番速い鉄道は新幹線だったのだが、それよりも速いものがあることに、たいそう驚いたようだ。

午後10時の閉園まで粘るつもりだったが、人気のあるパビリオンは午後8時過ぎぐらいに、次々に観覧受付を終了したので、やむなくお土産を買ってゲートへと向かった。嫁とは10時半に地下鉄の駅で待ち合わせをしていたので、ずいぶん時間が余ってしまうと思ったのだが、駐車場までのシャトルバスも長蛇の列で、結局駅に着いたのはちょうど10時半。

嫁と合流し、そのまま千葉の自宅へ向かい、家に着いたのは5時間後の午前3時半。あ゛〜疲゛れた〜。


2005年08月16日(火) 万博へ行くはずが・・・

明日の夜帰京する予定なので、本日は万博に行くつもりだった。ところが、朝からピーカンで、気温はうなぎのぼり。夏バテの嫁は、早々とリタイヤをほのめかしていたので、万博行きは中止。まあ、暑い中無理に行くこともなかろうという判断。

その代り、僕と子供たちとで涼しい科学館へ。息子は帰国してから再びはまり始めた鉄道のコーナーに釘付け。親としては、早く電車の世界は卒業してほしいところなのだが、まあ、大人になっても「鉄っちゃん」は居るのでやむなしか。

2時間ほど常設展を見学した後、最後に小一時間ほどのプラネタリウムを見学してから帰宅。

そういや、嫁との初デートも、何故か科学館だったっけ(笑)


2005年08月15日(月) セントレア見物

今日は家族でセントレア(中部国際空港)見物。

電車で行くとそう時間がかからないセントレアも、車で行くと意外と遠い。しかも、10日ほど前に買ったばかりのステップワゴンのカーナビ(別名:ナビ子さん)には、セントレアは登録されておらず、着いてみたらナビ上は海の中。。。

それにしても、名古屋の人はイベント好きである。開港してから半年たった空港であるが、本日も満員御礼。まあ、その中の一人はエセ名古屋人である自分でもあるのだが。

空港ではセントレア名物である、宮の湯という展望風呂に行ってみた。意外なことに待ち時間なくお風呂に入れて、久しぶりの大浴場を満喫できた。息子は「また来たい」と言っていたが、リピーターを呼べる施設というものは、何にしてもすばらしいと思う。


2005年08月14日(日) 嫁の実家より

今週一週間は夏休み(の予定)。

渋滞をなるべく避けるため、金曜日の夜に家を出発。初めてETCのゲートを通過し、車内は大盛り上がり(笑)。息子だけは、「お金払わなくていいの?」と、相変わらずの心配性ぶりを発揮。

ETCによるメリットとしては、スムーズな料金所の通過よりも、各種割引適用の方が大きいと思う。横浜町田インターから名古屋インターまで、深夜割引を適用して5000円ちょうど。今後の帰省は、全て深夜割引対象の時間帯になりそう。


2005年08月13日(土) リクライニングは誰のもの?

飛行機やバスの座席をリクライニングさせる時に、後ろの人に一言かける人が少なくない。もちろん一言かけることに異存はないが、このことは裏返せば「一言かけられなければ不快に思う」という人が少なくないことを意味すると思う。「一言かける」人は、あらかじめトラブルを避けるために「保険」の意味としてやっているのだろう。

しかし、リクライニングの機能や角度自体は航空会社やバス会社が決定したもので、もし前の座席の人がリクライニングさせた時に「不快」に思うのであれば、それは特別な理由がない限り、航空会社やバス会社にクレームをあげるべきものだと思うのだが、どうだろう。

「一言かける」こと自体、コミュニケーションとして大切なことだと思うが、あまり行き過ぎると「一言かけられなければ不快に思うのはあたりまえ」となってしまう危険性があると思う。


2005年08月09日(火) ウイチタ出張記(後編)

なんとかミーティングの前夜にウイチタに到着した僕たちは、翌朝8時から出張目的であるミーティング。なんとか、ある程度は出張目的にかなう議論ができた。

最悪、ミーティングが二日間になることを想定し、土曜日にウイチタを発ってシカゴ経由で帰国する旅程にしていたのだが、ミーティングがスムーズに運んだため、金曜日にウイチタを出発することにした。そこで、航空会社に電話をしたところ、なんと驚くことに「空港に行って手続きをしろ」と言うではないか。どうやら僕たちの持っているチケットの種類が、特別なものだったらしいのだが、それにしてもたかが予約変更で空港に行かなければならない理由などあるわけがない。とは言え、どのみちレンタカーを借りようと思っていたので、結局タクシーで空港に行くことにした。

空港のカウンターに行って、「予約変更をしたいんだけど」と言ったところ、「予約センターに電話をしてください」と冷たくあしらわれた。。。「電話したら、空港に行けって言われたんだよ!」と抗議をしたところ、「じゃあ、チェックインのお客さんの手続きが終わってから」と言い放たれた。

そのまま待っているのもばかばかしかったので、再度予約センターに電話。すると、今度はまともなオペレーターで、僕たちのリクエストを聞いてくれた。しかし、予約が取れたのはウイチタ発が金曜日の午後の便。それでは、お昼前後に出発するシカゴ発成田行きに間に合わない。とは言え、それしか空いていないのであれば仕方がないので、とりあえずその便を予約し、金曜日の朝からスタンバイをすることに。

金曜日のウイチタ発シカゴ行きの初便は午前6時。そのため、午前4時にホテルをチェックアウトし、空港に向かう。6時の便は50人乗りの小さな飛行機だったが、幸い空席が出たため、シカゴに向かうことができた。

シカゴに到着してから、再度予約センターに電話。すると、当初予定よりも(一日と)1時間早い出発の便の予約を取ることができた。

バタバタしたが、結果的に見れば帰りはスムーズな移動であった。

それにしても、職員のトレーニングが足りなすぎるぞ!>ユ○イテッド


2005年08月07日(日) ウイチタ出張記(中編)

意外な出来事とは、デンバー空港付近が雷雨のため、着陸ができないというもの。しばらく空港上空を旋回していたが、天候回復が見込めないため、デンバーの北のシャイアン(ワイオミング州)という空港に臨時着陸することになってしまった。

着陸してみると本当に小さな空港で、近くに住むと思われる子供が、僕たちの乗るボーイング777を見にやってきたほどだった。デンバーの天候はまもなく回復して、給油のあとデンバーに向けて出発という案内があったのだが、ここで問題が発生した。それは、シャイアンが小さな空港だったので、当然のことながら給油車も小さく、1回目の給油中にタンクが空になってしまったのだ。その案内を聞いた機内からは、怒りではなく笑いが巻き起こった。

結局デンバーには3時間遅れて到着した。当然、僕とHさんの乗るはずだったウイチタ行きの飛行機は出発した後で、サンフランシスコで予約を取り直したKさんの乗るウイチタ行きの飛行機の出発時刻が近づいていた。「もしかしたら、ウイチタ行きの飛行機に乗れないかも・・」と思ったが、幸い次の便に空席があり、何とかその日のうちにウイチタに着くことができることになった。

しかし、飛行機は当然のことながら雷雨の影響によりスケジュールが乱れており、搭乗したのは出発予定時刻の1時間後、さらに整備処置のため30分送れたため、結局ウイチタ空港に到着したのは現地の午前1時前だった。

空港からホテルまではレンタカーを借りていく予定だったが、さすがに午前1時にはレンタカーのカウンターもしまっており、結局タクシーにてホテルに向かうことになった。

ホテルに到着したのは、成田空港に集合してから21時間後のことであった。


2005年08月06日(土) ウイチタ出張記(前編)

水曜日にカンサス州ウイチタへ出張。成田−サンフランシスコ−デンバー−ウイチタと乗り継ぐ長旅。同行するのは僕が10年前(入社4年目)に現場からデスクワークに異動したときのチーフだったKさんと、購買修理部門のHさん。

成田空港に午後3時頃に集まりチェックインをしたところ、オーバーブッキングのためもしかしたら全員は乗れないかもしれない・・・とのこと。そのままチェックインカウンターの近くでスタンバイし、結局乗れると分かったのは出発30分前。日本の免税店で奥様におみやげを買うことになっていたKさんは、出国審査の後にあわてて免税店に行く羽目になった。

サンフランシスコに到着し、長い列に並んでデンバー経由ウイチタ行きのチェックインをしようとしたところ、「K様の予約が取り消しになっています」とのこと。。。確かに僕とKさんは、もともと火曜日出発の予定になっていて、庶務の女性が航空会社に電話をして水曜日の出発に変更していたのだが、僕の分のみが変更になり、Kさんの分はキャンセルの取り扱いになってしまっていた。

とは言え、チケットは手元にあるので、そこでチェックインをしようとしたのだが、満席で乗ることができないという。「じゃあ、いつなら乗れるの?」と聞いたところ、明日の朝までは前便満席だという。仕方なくそれでお願いをしようとしたところ、「君たちの持っているチケットで、変更が可能かどうか僕には分からない」などといい始め、結局チェックインカウンターではなく、チケット購入カウンターに再度並ばされるはめになった。

チケット購入カウンターで、また初めから説明をしたところ、「次の便ならチェックインでき、ウイチタにその日のうちに到着することができる」と言うではないか。その日のうちに到着することができれば、翌日の会議には差し支えないため、とりあえずその便でチェックインをした。

そうこうしているうちに、僕たちのデンバー行きの出発時刻が近づいて来たため、あわててセキュリティーゲートに向かった。ゲートで搭乗券を見せたところ、列の途中に並ばせてくれたため、「出発時刻が近いので、割り込ませてくれたのかな?」と思ったのだが、実はサンプリングで完全ボディーチェック&荷物チェックを行うラインであり、かなり時間を取られてしまった。結局ゲートに走りこんだのは出発時刻の5分前。

次の便でチェックインしているKさんはと言うと、僕たちと一緒に搭乗口に走りこみ、ダメモトで空席を確認したところ、なんと空席があるという。いったいチェックインカウンターでのやり取りはなんだったんだろいう??と思いながら、とりあえず乗れるのであれば・・・と飛行機に乗り込んだ。

飛行機は定刻にサンフランシスコを出発し、デンバーに向かったのだが、ここで更に意外なことが起こるのであった。

以下次号。


2005年08月02日(火) 帰国後の体重

アメリカに数年赴任すると体重が増える人が多いようだが、僕はそうでもなかった。結構多くの人にそのことを指摘されることが僕の喜び。まあ「先入観」にとらわれている人は、僕のことを「太った」とか言って喜んでいるが。

日本に帰ってきて、猛暑でやせることを期待していたが、そう上手くはいかない。原因は会社帰りの飲み会と、残業時の夜食。

残業してから帰宅すると、どうしても10時を超えてしまうため、遅くまでの残業が確実な時は、午後6時前後に社員食堂で軽い食事をすることにしている。家に帰ってからも「軽い食事」を取るため、軽いとは言え、夕食が2回になっていることが多い。これが体重を増やす方向に作用しているようだ。

まあ、社員食堂での夕食をやめれば良いのだが、腹がすいては仕事に集中できない。悩ましいところだ。


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