部長motoいっぺい
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2005年07月31日(日) |
「課長補佐いっぺい」スタート! |
日曜日はホームページの引越しで半日つぶしてしまった。家の引越しも済んでいないのに、なにをやっているんだろう(笑) 新しいホームページは、http://members3.jcom.home.ne.jp/sytmk/index.htmですので、お手数ですが心優しい方はブックマークの変更をお願いします。
エンピツの方も「駐在日誌」から「課長補佐いっぺい」に変更。島耕作のように、昇進とともに日記のタイトルが変わっていくのがもくろみ。
仕事のほうはというと、今週はアメリカへ緊急出張。日本であまり売られていないデキャフェ(カフェイン抜き)のコーヒーを買って来いとの依頼を既に嫁から承っている。
嫁の日本国内自動車運転免許は、2年半ほど前に失効してしまった。しかし、海外在住者は特例として、(失効から3年以内に限り)帰国してから1ヶ月以内であれば、講習のみで運転免許を「再発行」することができる。これを「やむを得ない理由」による失効という。
「やむを得ない理由」には、海外旅行・在住の他、入院していたなどの理由もあるが、先日嫁が一緒のグループにさせられたのは、「ムショ暮らし」による免許失効のお方。。。
嫁の理由は極めて真っ当な理由であるため、手続き上の取り扱いは「初心者」ではあるものの、いわゆる若葉マークの表示は免除された。しかし「ムショ暮らし」のお方はそのような免除を受けられるわけもなく・・・結構揉めていたらしい。
街で「その筋」の方が若葉マークをつけていらっしゃった場合、そういうケースもあるということである。
日本のGDPの伸びに貢献し続ける(元)駐在2号。一家。
【冷蔵庫】 日本の倉庫に保管していた冷蔵庫。倉庫から出庫するときに破損させてしまったらしく、代わりの冷蔵庫を補償金で購入。11年選手の冷蔵庫を「無料」で更新することができて、ラッキー(しかも、家電販売店のポイント付き)
【エアコン】 4年前は空き部屋だった子供たちの部屋。これからはそれぞれの子供部屋となるため、エアコン2台購入。
【洗濯機】 「奇跡的」に4年ぶりの復活を遂げた11年選手の洗濯機だったが、3日でダウン。やむなく斜めドラム洗濯乾燥機を買うことに。
【自動車】 オデッセイを買うつもりでホンダに行ったが、新型が出たばかりのステップワゴンを夫婦とも気に入ってしまい、この3連休で購入を決断。
【その他】 駅前の英会話スクール(複数校)の、お試し無料レッスンを受け続ける子供たち。
家の中を息子と娘の友達が駆け回っている。引越し途中の我が家は、子供たちにとって格好の遊び場のようだ。今日、転校生として緊張の面持ちで自己紹介をしていた子供たちのことを考えると、全く別人のようだ。そして昨日までアメリカに住んでいたことが、まるで幻のように感じる。家の中ががらんとしていることを除けば、ずっとこんな生活をしていたような感じさえする。
約3年半に渡って続いてきた駐在日誌も、ここで「前半」終了です。後半は数年後に駐在1号として赴任することがあったら(笑)、きっと始めることでしょう。それまでの間は、「つなぎ」として別のタイトルでフツーのサラリーマン・エンジニアの日記を書こうかとも思っていますが、はたして海外在住というおいしいネタを失った僕が、どういった日記を書けるか、さらには日記を継続的に書くことができるのか、少々不安なところでもあります。まあ、あまり気負わずに、適当に書いていくことにします。 (途中で投げ出したら御免なさい!)
ともあれ、これまで駐在日誌を読んでいただいた方、本当にありがとうございました。もし駐在じゃない「駐在2号。」のフツーの生活にご興味がある奇特な方は(笑)、引き続きこのIDに書かれる日記をご覧くださいませ。
これまでのご愛顧、本当にありがとうございました。
2005年07月09日(土) |
アメリカで過ごす最後の夜 |
ロサンゼルスのホテルにて更新
ロサンゼルス行きの飛行機は午後2時半出発だったので、午前中はホテル近くのショッピングセンターで最後の買出し。
出発2時間前の12時半頃に空港に到着したのだが、カウンターは長蛇の列で、あまり時間的余裕はなかった。そのため、空港に見送りに来て下さった、駐在1号、駐在3号、新駐在2号、グループ会社のIさん家族に、ろくな挨拶もできないまま、セキュリティーゲートに駆け込むことになってしまった。まあ、僕としては感傷的な時間が少ないのはありがたかったが。。。
ロサンゼルスに着いてレンタカーを借り、ホテルにチェックインした後、ロサンゼルスに研修員として赴任している後輩のK夫妻と夕食をともにした。Kくんは会社の直属の後輩、K夫人は会社の同期であり、さながら会社の同窓会のようだった。まあ、僕が先輩でもあり、来月に出産を控えているという夫婦だったので、僕が支払いをしようと思っていたのだが、Kくんに先回りをされて支払いを済まされてしまった。。。まあ、出産祝いでお返しをすることにしよう。
そんなこんなで、アメリカ最後の夜は更けていく。
ホテルから更新。
二日間にわたる引越しも無事終了。 懸案だった車の売却も、無事昨日のディーラーから10500ドルを回収し、今日は嫁のアコードを個人売買で4000ドルで売却。両方の車に対するReport of Saleの提出も、先ほどインターネット経由で完了させた。
オーナーに対する家の引渡しも無事終了し、あとは明日の午後にロサンゼルスに向けて出発するのみ。ここまでハードな日程が続いていたので、ちょっとゆっくりしなければ。
2005年07月07日(木) |
引越し初日&車の売却 |
木曜日は引越し初日。午前中から引越し業者が入り、どんどん荷物を詰めていく。そのスピードには驚くばかり。
ところで、今日の日記は引越しがメインではなく、車の売却(2台目)の話が中心になる。
もともと12000ドルで売りに出していた僕のフォレスターであるが、実際のところは11000ドル程度で売れればよいなと思っていた。ところが、やはり10000ドルを超える車は、個人売買市場での取引は多くないらしく、問い合わせ自体がほとんどなかった。
そこで、買い叩かれるのを覚悟の上で数日前にディーラーに嫁が持ち込んだところ、意外にも10500ドルで買ってくれるという。引越し業者に保管してもらって、転入してくる人に売ってもらうのを狙っても良かったのだが、なるべく早く決着をつけたかったので、そこのディーラーで売ることにした。
今日、引越しの最中にアポイントをとり、夕方に僕が車をディーラーに持ち込んだところ、「僕は買えると思ったんだけど、マネージャーが『今は中古車は引き取らない』といっているので、買うことはできない」と態度を一変させてきた。
少々粘ったのだが埒が明かず、仕方がなく一旦家に戻り、別のディーラーをインターネットで探し、電話でアポをとってから再び売却に挑戦。
最初は9500ドルを提示してきたのだが、僕が難色を示して席を立とうとしたところ、結局10200ドルまで値段を上げることに成功した。電話で嫁のOKを取り、売買承諾書にサインをした。
車は点検のためにその日は置いていかなければならないということだったので、嫁をディーラーまで呼んで待っている間に、意外な出来事が起こった。それは、以前に車の問い合わせをしてきた人が、「11000ドルならすぐに買う」と僕の携帯に電話をしてきたのだ。僕はその事実をディーラーに伝えたところ、しばらく社内で相談をした後、「君はもう契約書にサインをしたのだから、10200ドルで私たちに売らなければならない」と強気に出てきた。
ただし、僕の車は嫁との共同所有であり、嫁のサインがなければ正式な契約書にならないことを知っていたため、その点を指摘したのだが、先方は「君はサインをした」の一点張り。まあ、確かに一度は10200ドルで売ると約束したのも事実ではあること、また面倒くさいことに巻き込まれたくなかったので、11000ドルと10200ドルの間をとって10600ドルでどうかと打診したところ、結局10500ドルでディーラーに売ることになった。
かなり紆余曲折があったが、結局は嫁が最初にディーラーから取ってきた10500ドルという値段を、別のディーラーから受け取ることになった。
なかなかスリルのある面白い体験だった。
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