部長motoいっぺい
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This is like a graduation speech... isn’t it?
You know, I hate to make a speech, especially in English, but this is very good opportunity to thank many people at one time. So, let me try to say something.
Please forgive me to read the paper not to forget anything important.
Time flies. I can't believe that I have already been here almost 4 years. When I came here in 2001, I did not speak English very well nor knew anything about the social system in America. For example, I was struggled to buy a cell phone for my wife because the cell phone shop personnel required me to show the driver's license. I could not believe the fact that “Driver's License” was required to buy just a cell phone. I still believe that it was a ridicules thing though.
But thanks to so many people's support, I could spend 4 years peacefully and happily. If I say everyone's name, my speech won't be finished... so, please forgive me to pick some of them.
First of all, I would like to say thank you for my boss Chuzai-1go and ex-boss ex-Chuzai-1go.
Ex Chuzai-1go taught me the importance of the "insistence" or "never-give-up". You know that we are not fluent English speaker, sometimes we have difficulties to tell our real intention or background to someone else. But if we give up, we never achieve our mission. When I was in Japan, I misunderstood that to speak English fluently was important but it is not really. Now I know that to speak "clearly" is more important.
Chuzai-1go taught me the importance of the accuracy. Some of you might aware that I am kind of "quick judgment" person, but sometimes it does not work. I have to give more careful consideration before I make some decision.
I also would like to thank AH. She is a very good English teacher for me. Even though sometimes she was strict teacher... It was good for me though. I belive I am more reasonable and understandable person than she think, but just we could not communicate perfectly. I was glad that I could let her go to Japan as a business trip. It is my good memory.
Chuzai-3go taught me how to play golf, even though he never teaches me recenty... I think he needs to have more open mind...
Mr. JV is the most important business counter partner for me as well as very good friend. Sometimes I felt him like an American father, even though he was from Holland. It is amazing thing for Japanese people to behave like a friend when someone is senior than the other. I really appreciate his friendship for me.
Finally I have to say thank you very much for my wife and children. I know how difficult for them to adjust. But they did very well. I am really proud of them.
Some of you may think that I feel sad to leave here. But it is my own surprise that I do not feel too much sorry about that. I thought about the fact and found some emotional similarity when I graduated the university. I really enjoyed my university life for 4 years then I did not miss anything when I left university. I realized that I had really enjoyed my life in United States for 4 years, so I do not feel so sad.
And also, since Mr. K is my successor, then I don't have to worry about anything after my leaving. In fact, I am just worried that he will be doing too much better than me... you know what I mean? Anyway, it would be really appreciated if you could extend your partnership and hospitality to me to Mr. K.
I said that I did't feel so sad, but it does not mean I don't like to come back here in future.
Now, I would like to introduce one interesting data. During my 4 years assignment with Chuzai-3go, some important contracts between our company and Your company were made. [Partially Deleted]
I believe either or both of Chuzai-3go and I brought this good news to your company. So if your company would like to sell more products to our company in future, please ask our executives to assign me to USA office again.
Again, I would like to say thank you very much to all of you from bottom of my heart, and I would like to close my speech by using the line of the famous Hollywood movie by the governor of California.
I will be back!
Thank you.
2005年06月26日(日) |
第2回送別ゴルフ/家族送別会 |
本日は第2回目の送別ゴルフ大会。今回の目標は、80台を出して気持ちよく帰国すること。コースも以前に82という自己最高を出したコースにしてもらったのだが、あいにく風邪が治っておらず体調としては最悪のコンディション。
とはいうもののなんとか前半は44でまわり、後半も17番ホールまではだましだましプレーを続け、18番ホールでボギーで上がれば89でフィニッシュ・・・のはずが、最後の最後で大叩きをしてしまい、終わってみれば92。結局目標だった80台には届かなかった。
ゴルフから戻って、子供たちと「マダガスカル」という映画を観にいき、その後駐在1号家で家族送別会。
酔っ払ったんだか、風邪で調子が悪いんだかよく分からない。。。とりあえず寝るとするか。
4年間通った補習校も、この土曜日が最後。きしくも最後の日は運動会。「楽しい運動会」も、わが家にとっては、子供たちが「ビリ」しかとったことがない、まさに厄日。。。
「今年こそは、ビリは嫌だからね!」
と夫婦して気合を入れて(大人気ない)、子供たちを送り出した。その甲斐あってか、徒競走では5人中もう少しで3位になりそうな4位。今年はビリではなかった!!
息子は3位だと思っていたらしいのだが、4位と判定されてしまい、帰ってきてから悔し涙を流していた。そう、おっとり型の彼にも「悔しい」という感情がようやく湧いてきたようだ。
息子が、ゆっくりと少しずつではあるが確実に成長しているのを見て、なんだか嬉しかった。
僕の後任が正式に発表になったので、これまでお世話になった取引先の方々に帰国の挨拶をEメールで送った。いろいろな人から優しい言葉のEメールが返ってきて、ちょっといい気分。
明日から7月10日の帰国まで、スケジュールがぎっしり。とりあえず嫁からうつされた風邪を治さなきゃ。
北の大地にお住まいの、やぎママから不幸のメール、もといチェーンメール、もといミュージックバトンなるものが回ってきた。受け取った人が、全員きちんと指示通り5人ずつに回すと、一瞬にして全地球人口を超えることになるので、僕が体を張ってストッパーとして立ちはだかる!<ちょっと大げさ。
★コンピューターに入ってる音楽ファイルの容量
なし。そんなハイカラなPCの使い方はしていない。
★今聞いている曲
通勤途上のカーラジオ(FM)のみ。当然ながら「洋楽」のみ(笑)
★最後に買ったCD
Twelve Girls Band - Eastern Energy (女子十二楽坊)
★よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
After Tone(アルバム名)/岡村孝子 君は誰と幸せなあくびをしますか(アルバム名)/槙原敬之
★バトンを渡す5名
というわけで、終了。
本日午後9時頃に駐在1号から、新所属の通知を受けた。 「新」と言っても、(役職は違うが)元の職場に復帰することになり、いわゆる順当な人事で、全く驚きはなかった。
「どうせなら、全然違うところに行ってみたかったな〜」と嫁に言ったら、
「十分、違うところに来たでしょ!」
とツッコまれてしまった。仰るとおりでございます・・・>嫁
土曜日は、娘の日本語補習校のクラスメイトであるKHちゃんのご家族と一緒に、ダウンタウンまでジャグリングを観に行ってきた。
日本語補習校のクラスメイトと言っても、Kさん一家は日本人ではなく純粋な韓国人家庭であり(在日でもない)、日本には4年ほど住んだだけだという。もともとは韓国の企業から日本に「出稼ぎ」に派遣され、そこで外資系企業の日本支社に転職し、その後外資系企業の本社に転職したという経歴を持っている。
娘のKHちゃんは、4歳の時に韓国を離れて以来、「外国」である日本とアメリカでしか生活したことがないため、韓国語は4歳児レベルで止まっていると言っていた。
どういう教育方針か詳しくは聞いていないが、どうやら英語と日本語をマスターさせたいらしく、英語は現地校で、日本語は日本語補習校で勉強させている。驚くべきことに、家の中は韓国語ではなく日本語で通しているらしい(夫婦の会話を除く)
娘たちは幼稚園の頃からの友達だが、Kさんと話す機会はこれまでほとんどなく、なかなか興味深い話を聞くことができた。Kさんと話していて思ったのは、「この人は、いろいろなことに関心がある人なんだな」ということ。決して自分の話だけをするのではなく、相手の話も積極的に理解しようとする姿勢に、とても好感が持てた。
日本人も韓国人もKさんのような人が増えて、偏見なくお互い理解するよう努力することができれば、日韓問題も民間レベルから解決していくだろうなあと、ふと思うのであった。
ところで、ジャグリングの方だが、入場料無料のイベントだったが、かなりハイレベルなジャグラーが揃っていて、子供たちは大喜びだった。さらに驚いたのは、ジャグラーの中に、Kさんの職場の(元)上司が居たこと。プロフェッショナルではなく、「趣味」でジャグリングをやっている人らしいのだが、大きな一輪車に乗って、その上でこん棒5本をジャグリングしている姿は、どうみてもプロのジャグラーだった。
2005年06月19日(日) |
子供たちとのMLB観戦 |
日曜日は朝から良い天気だったので、子供たちとMLBのデーゲームを観にいくことにした。ちなみに嫁は、明日オーナーが家を訪れるということで、庭の掃除をするため居残り。。。すまん>嫁。 (後から聞いたら、「父の日だからOK」とのこと)
オンラインでチケットを買おうとしたが、あいにく買えず、近くのチームストアも午前10時にはまだオープンしていなかったため、思い切って直接スタジアムに行くことにした。
チケットブースに行くと、ダフ屋の兄ちゃんが娘に勝手にチケットを手渡していたので、受け取った娘を軽く叱ってチケットを返させ、正規チケット3枚をオーダーした。すると、隣り合う席では用意できないという。
仕方なく、さっき無視したダフ屋のもとへ行き・・・、17ドルのチケットを25ドルで購入<弱いヤツ ちなみに、駐車券は22ドルのものを15ドルで売っていたので、7ドルのお買い得だった。
スタジアムの中に入ると、父の日の特別イベントで、グランドを一周させてくれるパレードを行っていたので、早速参加。普段は入ることのできないフィールドに入れて、子供たちは大喜びだった。
ゲームの方も、地元チームが大量得点で圧勝。多分これが子供たちと行く最後のMLBゲームだと思うが、なかなか良い一日だった。
2005年06月18日(土) |
ブ○ックスブラザーズ・カード(後編) |
(前日からの続き)
その大きな落とし穴とは、「どのように支払いをするか」ということである。僕としては、ブ○ックスブラザーズ・カードは作ったものの、支払いはいつものデビッドカードでしたものと思っていた。ところが、翌日にオンラインバンキングで決済状況を確認しても、ブ○ックスブラザーズでの買い物の引き落としがされていなかった。
「もしや?」と思い、レシートを確認してみたところ、どうやら作ったばかりのブ○ックスブラザーズ・カードで支払いをしていることになっていた。
こうなると困るのは「支払い方法」である。通常、クレジットカードでの支払いは、銀行口座自動引き落としにしていない限り、請求書が届いてそれに対して小切手を送ることによって行われる。 問題なのは、請求書の送り先である僕の家が来月早々引っ越すことだ。請求書が届かなければ、もちろん支払いも行えず・・・、すなわち未払いになってクレジットヒストリーに傷がついてしまう。
翌日僕はアシスタントのAに事情を説明して、どうしたら良いか相談してみた。Aはあきれた顔をして、「何で今更カードを作ったわけ!?」と言ったが、「とりあえず近々カードが届くはずだから、そうしたらカード会社に連絡しましょう」とアドバイスをしてくれた。
Aの言ったとおり、数日後にカードが届いたので、試しにブ○ックスブラザーズのウェブサイトにアクセスしてみたところ、カードメンバー専用ページがあり、オンラインでの支払いができるようになっていた。そこで銀行口座から振込みを行うことができたので、請求書が届く前に支払いを済ませることができた。
ここでカードを解約すればそれで終わりだったのだが、カードと一緒に次回15%割引のクーポンが入っていたので、18日土曜日に再度ブ○ックスブラザーズに行き、3着目のスーツを買ってしまった。。。これもオンラインで支払いを行い、今月末までにはカードを解約する。
2005年06月17日(金) |
ブ○ックスブラザーズ・カード(前編) |
ブランドにあまり興味のない僕でも、ブ○ックスブラザーズの名前ぐらいなら聞いたことがある。
つい2ヶ月前ぐらいに、ここから40分ほどのところに新しいアウトレットモールが出来て、その中にブ○ックスブラザーズがあるというので、2週間ほど前に、スーツを買いに行ってみた。
なにしろ、駐在生活4年間は、フライデーカジュアルならぬエブリデーカジュアルだったので、一着もスーツを買うことがなかった。そのため、日本に帰ってから着るスーツがすっかり古くなっていて、スーツを新調する必要があったのだ。
駐在3号いわく、「日本で買ったら10万近くしますよ」というスーツが、350ドル程度だったので、思い切って2着買うことにした。
レジで「ブ○ックスブラザーズ・カードはお持ちですか?」と聞かれたので、「いいえ」と答えると、「今入会すると、今回のお会計から10%割引になります」という。
ブ○ックスブラザーズ・カードは、メンバーズカードとクレジットカードを兼ねていたので、あまり乗り気はしなかったのだが、10%と言えば70ドル相当にあたり、年会費も無料ということだったので、割引の誘惑に負けてカードを作ることにした。
ところが、ここには大きな落とし穴があったのである!
ちょっと大げさだが、以下次号。
2005年06月15日(水) |
プロジェクト完了パーティー(ラス前) |
今日はプロジェクト完了パーティー。これで僕が赴任中に担当するプロジェクトは、今月末に完了するものを残すのみとなった。
パーティーの間、いろいろな人から、アメリカを去るにあたっての気持ちを聞かれたが、以前の日記に書いたとおり、それほど寂しいとか残念と言う気持ちは起こっていない。
そのことをいろいろ考えているうちに、以前に似たような感覚を持ったことがあるということに気がついた。それは「大学の卒業」の時の感覚である。
僕は自分で言うのもなんだが、高校まではまじめな優等生だった。大学に入って一人暮らしを始めてから、マージャンを筆頭としたいろいろな遊びにはまり、4年間の間に「よくぞ留年しなかった」というほど遊びまくった。であるからこそ、奇跡的に卒業して社会人になる時も、学生生活に対する「未練」というものは全く感じず、前向きな気持ちで社会人としてのスタートを切ることができた。
アメリカでの4年間の生活も全く同様で、思う存分在米生活を満喫したので、日本に戻るにあたって何の未練も感じていない。正直な気持ちとして、「さて、気合を入れて仕事を始めるか!」と思える(今までも仕事はしていたけれども。。。(笑))
もしこの日記を学生さんが読んでいるのなら、僕はこう言いたい。
悔いのないように、思いっきり遊びなさい。それに飽きたら、思いっきり仕事をしようぜ!
先日のシークレット・ガレージセールで売れた僕のベッドが、日曜日の夕方に買い主によって運ばれていった。
というわけで、ベッドルームには嫁のベッドのみが残された。
ベッドで寝る嫁を横目に、僕は嫁の「家来」のようにカーペットの上に敷いた布団で眠るのであった。
今日は僕の(第1回)送別ゴルフ。駐在・研修生・出張者あわせて15名の大グループでゴルフ大会。
「80台をもう一度出すまでは、日本に気分良く帰れない!(笑)」と宣言して、スタート。出だしから好調で、8番ホールでは15メートルのバーディーパットを沈めるという離れ業を演じ、前半を終わって43。
「この調子を持続すれば、80台で終われるかも・・・」と思ったのだが、先週のコンペ同様、後半に疲れが出てしまい、終わってみたら94といつものスコア。
あと何回送別ゴルフがあるか分からないが、なんとか80台を出して帰りたいなあ。
2005年06月11日(土) |
シークレット・ガレージセール |
引越し荷物を減らすために、土曜日にガレージセールを開いた。といっても、僕は仕事が入ってしまい、嫁と嫁の友達によるガレージセール。
実は、わが家のあるコミュニティーは、静かな住環境を維持するためにガレージセールが禁止されている。そこでガレージドアを閉めて、看板は出さずに「シークレット・ガレージセール」として、基本的には口コミのみでの開催となった。
幸い、今日のガレージセールで、フルサイズベッド2つ、ツインサイズベッド2つ、パソコンデスク、パソコンラックなどの大物が全て完売し、十分にシークレット・ガレージセールを開いた価値はあった。
ガレージセールは午前10時から行ったのだが、どうやら開始前後に数台の車がわが家の周りに密集し、ガレージセールを行っているのが、コミュニティーの人に分かってしまったらしく、嫁がお昼過ぎに怒られたらしい。
嫁は、「ガレージドアは閉めてるんだけど・・・」と一応言い訳を言ってみたようだが、「そういう問題じゃない。続けるようなら警察を呼ぶ」とまで言われたらしい。
(この日記は読んでないでしょうが)コミュニティーの方、申し訳ありませんでした。
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