部長motoいっぺい
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2005年06月28日(火) 退任スピーチ

This is like a graduation speech... isn’t it?

You know, I hate to make a speech, especially in English, but this is very good opportunity to thank many people at one time. So, let me try to say something.

Please forgive me to read the paper not to forget anything important.

Time flies. I can't believe that I have already been here almost 4 years. When I came here in 2001, I did not speak English very well nor knew anything about the social system in America. For example, I was struggled to buy a cell phone for my wife because the cell phone shop personnel required me to show the driver's license. I could not believe the fact that “Driver's License” was required to buy just a cell phone. I still believe that it was a ridicules thing though.

But thanks to so many people's support, I could spend 4 years peacefully and happily. If I say everyone's name, my speech won't be finished... so, please forgive me to pick some of them.

First of all, I would like to say thank you for my boss Chuzai-1go and ex-boss ex-Chuzai-1go.

Ex Chuzai-1go taught me the importance of the "insistence" or "never-give-up". You know that we are not fluent English speaker, sometimes we have difficulties to tell our real intention or background to someone else. But if we give up, we never achieve our mission. When I was in Japan, I misunderstood that to speak English fluently was important but it is not really. Now I know that to speak "clearly" is more important.

Chuzai-1go taught me the importance of the accuracy. Some of you might aware that I am kind of "quick judgment" person, but sometimes it does not work. I have to give more careful consideration before I make some decision.

I also would like to thank AH.
She is a very good English teacher for me. Even though sometimes she was strict teacher... It was good for me though. I belive I am more reasonable and understandable person than she think, but just we could not communicate perfectly. I was glad that I could let her go to Japan as a business trip. It is my good memory.

Chuzai-3go taught me how to play golf, even though he never teaches me recenty... I think he needs to have more open mind...

Mr. JV is the most important business counter partner for me as well as very good friend. Sometimes I felt him like an American father, even though he was from Holland. It is amazing thing for Japanese people to behave like a friend when someone is senior than the other. I really appreciate his friendship for me.

Finally I have to say thank you very much for my wife and children. I know how difficult for them to adjust. But they did very well. I am really proud of them.

Some of you may think that I feel sad to leave here. But it is my own surprise that I do not feel too much sorry about that. I thought about the fact and found some emotional similarity when I graduated the university. I really enjoyed my university life for 4 years then I did not miss anything when I left university. I realized that I had really enjoyed my life in United States for 4 years, so I do not feel so sad.

And also, since Mr. K is my successor, then I don't have to worry about anything after my leaving. In fact, I am just worried that he will be doing too much better than me... you know what I mean?
Anyway, it would be really appreciated if you could extend your partnership and hospitality to me to Mr. K.

I said that I did't feel so sad, but it does not mean I don't like to come back here in future.

Now, I would like to introduce one interesting data. During my 4 years assignment with Chuzai-3go, some important contracts between our company and Your company were made. [Partially Deleted]

I believe either or both of Chuzai-3go and I brought this good news to your company. So if your company would like to sell more products to our company in future, please ask our executives to assign me to USA office again.

Again, I would like to say thank you very much to all of you from bottom of my heart, and I would like to close my speech by using the line of the famous Hollywood movie by the governor of California.

I will be back!

Thank you.


2005年06月26日(日) 第2回送別ゴルフ/家族送別会

本日は第2回目の送別ゴルフ大会。今回の目標は、80台を出して気持ちよく帰国すること。コースも以前に82という自己最高を出したコースにしてもらったのだが、あいにく風邪が治っておらず体調としては最悪のコンディション。

とはいうもののなんとか前半は44でまわり、後半も17番ホールまではだましだましプレーを続け、18番ホールでボギーで上がれば89でフィニッシュ・・・のはずが、最後の最後で大叩きをしてしまい、終わってみれば92。結局目標だった80台には届かなかった。

ゴルフから戻って、子供たちと「マダガスカル」という映画を観にいき、その後駐在1号家で家族送別会。

酔っ払ったんだか、風邪で調子が悪いんだかよく分からない。。。とりあえず寝るとするか。


2005年06月25日(土) 補習校運動会

4年間通った補習校も、この土曜日が最後。きしくも最後の日は運動会。「楽しい運動会」も、わが家にとっては、子供たちが「ビリ」しかとったことがない、まさに厄日。。。

「今年こそは、ビリは嫌だからね!」

と夫婦して気合を入れて(大人気ない)、子供たちを送り出した。その甲斐あってか、徒競走では5人中もう少しで3位になりそうな4位。今年はビリではなかった!!

息子は3位だと思っていたらしいのだが、4位と判定されてしまい、帰ってきてから悔し涙を流していた。そう、おっとり型の彼にも「悔しい」という感情がようやく湧いてきたようだ。

息子が、ゆっくりと少しずつではあるが確実に成長しているのを見て、なんだか嬉しかった。


2005年06月24日(金) 帰国の挨拶

僕の後任が正式に発表になったので、これまでお世話になった取引先の方々に帰国の挨拶をEメールで送った。いろいろな人から優しい言葉のEメールが返ってきて、ちょっといい気分。

明日から7月10日の帰国まで、スケジュールがぎっしり。とりあえず嫁からうつされた風邪を治さなきゃ。


2005年06月21日(火) バトン/新所属決定

北の大地にお住まいの、やぎママから不幸のメール、もといチェーンメール、もといミュージックバトンなるものが回ってきた。受け取った人が、全員きちんと指示通り5人ずつに回すと、一瞬にして全地球人口を超えることになるので、僕が体を張ってストッパーとして立ちはだかる!<ちょっと大げさ。

★コンピューターに入ってる音楽ファイルの容量

 なし。そんなハイカラなPCの使い方はしていない。

★今聞いている曲

 通勤途上のカーラジオ(FM)のみ。当然ながら「洋楽」のみ(笑)

★最後に買ったCD

 Twelve Girls Band - Eastern Energy
 (女子十二楽坊)

★よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

 After Tone(アルバム名)/岡村孝子
 君は誰と幸せなあくびをしますか(アルバム名)/槙原敬之

★バトンを渡す5名

 というわけで、終了。



本日午後9時頃に駐在1号から、新所属の通知を受けた。
「新」と言っても、(役職は違うが)元の職場に復帰することになり、いわゆる順当な人事で、全く驚きはなかった。

「どうせなら、全然違うところに行ってみたかったな〜」と嫁に言ったら、

「十分、違うところに来たでしょ!」

とツッコまれてしまった。仰るとおりでございます・・・>嫁


2005年06月20日(月) ジャグリング

土曜日は、娘の日本語補習校のクラスメイトであるKHちゃんのご家族と一緒に、ダウンタウンまでジャグリングを観に行ってきた。

日本語補習校のクラスメイトと言っても、Kさん一家は日本人ではなく純粋な韓国人家庭であり(在日でもない)、日本には4年ほど住んだだけだという。もともとは韓国の企業から日本に「出稼ぎ」に派遣され、そこで外資系企業の日本支社に転職し、その後外資系企業の本社に転職したという経歴を持っている。

娘のKHちゃんは、4歳の時に韓国を離れて以来、「外国」である日本とアメリカでしか生活したことがないため、韓国語は4歳児レベルで止まっていると言っていた。

どういう教育方針か詳しくは聞いていないが、どうやら英語と日本語をマスターさせたいらしく、英語は現地校で、日本語は日本語補習校で勉強させている。驚くべきことに、家の中は韓国語ではなく日本語で通しているらしい(夫婦の会話を除く)

娘たちは幼稚園の頃からの友達だが、Kさんと話す機会はこれまでほとんどなく、なかなか興味深い話を聞くことができた。Kさんと話していて思ったのは、「この人は、いろいろなことに関心がある人なんだな」ということ。決して自分の話だけをするのではなく、相手の話も積極的に理解しようとする姿勢に、とても好感が持てた。

日本人も韓国人もKさんのような人が増えて、偏見なくお互い理解するよう努力することができれば、日韓問題も民間レベルから解決していくだろうなあと、ふと思うのであった。

ところで、ジャグリングの方だが、入場料無料のイベントだったが、かなりハイレベルなジャグラーが揃っていて、子供たちは大喜びだった。さらに驚いたのは、ジャグラーの中に、Kさんの職場の(元)上司が居たこと。プロフェッショナルではなく、「趣味」でジャグリングをやっている人らしいのだが、大きな一輪車に乗って、その上でこん棒5本をジャグリングしている姿は、どうみてもプロのジャグラーだった。


2005年06月19日(日) 子供たちとのMLB観戦

日曜日は朝から良い天気だったので、子供たちとMLBのデーゲームを観にいくことにした。ちなみに嫁は、明日オーナーが家を訪れるということで、庭の掃除をするため居残り。。。すまん>嫁。
(後から聞いたら、「父の日だからOK」とのこと)

オンラインでチケットを買おうとしたが、あいにく買えず、近くのチームストアも午前10時にはまだオープンしていなかったため、思い切って直接スタジアムに行くことにした。

チケットブースに行くと、ダフ屋の兄ちゃんが娘に勝手にチケットを手渡していたので、受け取った娘を軽く叱ってチケットを返させ、正規チケット3枚をオーダーした。すると、隣り合う席では用意できないという。

仕方なく、さっき無視したダフ屋のもとへ行き・・・、17ドルのチケットを25ドルで購入<弱いヤツ
ちなみに、駐車券は22ドルのものを15ドルで売っていたので、7ドルのお買い得だった。

スタジアムの中に入ると、父の日の特別イベントで、グランドを一周させてくれるパレードを行っていたので、早速参加。普段は入ることのできないフィールドに入れて、子供たちは大喜びだった。

ゲームの方も、地元チームが大量得点で圧勝。多分これが子供たちと行く最後のMLBゲームだと思うが、なかなか良い一日だった。


2005年06月18日(土) ブ○ックスブラザーズ・カード(後編)

(前日からの続き)

その大きな落とし穴とは、「どのように支払いをするか」ということである。僕としては、ブ○ックスブラザーズ・カードは作ったものの、支払いはいつものデビッドカードでしたものと思っていた。ところが、翌日にオンラインバンキングで決済状況を確認しても、ブ○ックスブラザーズでの買い物の引き落としがされていなかった。

「もしや?」と思い、レシートを確認してみたところ、どうやら作ったばかりのブ○ックスブラザーズ・カードで支払いをしていることになっていた。

こうなると困るのは「支払い方法」である。通常、クレジットカードでの支払いは、銀行口座自動引き落としにしていない限り、請求書が届いてそれに対して小切手を送ることによって行われる。
問題なのは、請求書の送り先である僕の家が来月早々引っ越すことだ。請求書が届かなければ、もちろん支払いも行えず・・・、すなわち未払いになってクレジットヒストリーに傷がついてしまう。

翌日僕はアシスタントのAに事情を説明して、どうしたら良いか相談してみた。Aはあきれた顔をして、「何で今更カードを作ったわけ!?」と言ったが、「とりあえず近々カードが届くはずだから、そうしたらカード会社に連絡しましょう」とアドバイスをしてくれた。

Aの言ったとおり、数日後にカードが届いたので、試しにブ○ックスブラザーズのウェブサイトにアクセスしてみたところ、カードメンバー専用ページがあり、オンラインでの支払いができるようになっていた。そこで銀行口座から振込みを行うことができたので、請求書が届く前に支払いを済ませることができた。

ここでカードを解約すればそれで終わりだったのだが、カードと一緒に次回15%割引のクーポンが入っていたので、18日土曜日に再度ブ○ックスブラザーズに行き、3着目のスーツを買ってしまった。。。これもオンラインで支払いを行い、今月末までにはカードを解約する。


2005年06月17日(金) ブ○ックスブラザーズ・カード(前編)

ブランドにあまり興味のない僕でも、ブ○ックスブラザーズの名前ぐらいなら聞いたことがある。

つい2ヶ月前ぐらいに、ここから40分ほどのところに新しいアウトレットモールが出来て、その中にブ○ックスブラザーズがあるというので、2週間ほど前に、スーツを買いに行ってみた。

なにしろ、駐在生活4年間は、フライデーカジュアルならぬエブリデーカジュアルだったので、一着もスーツを買うことがなかった。そのため、日本に帰ってから着るスーツがすっかり古くなっていて、スーツを新調する必要があったのだ。

駐在3号いわく、「日本で買ったら10万近くしますよ」というスーツが、350ドル程度だったので、思い切って2着買うことにした。

レジで「ブ○ックスブラザーズ・カードはお持ちですか?」と聞かれたので、「いいえ」と答えると、「今入会すると、今回のお会計から10%割引になります」という。

ブ○ックスブラザーズ・カードは、メンバーズカードとクレジットカードを兼ねていたので、あまり乗り気はしなかったのだが、10%と言えば70ドル相当にあたり、年会費も無料ということだったので、割引の誘惑に負けてカードを作ることにした。

ところが、ここには大きな落とし穴があったのである!

ちょっと大げさだが、以下次号。


2005年06月15日(水) プロジェクト完了パーティー(ラス前)

今日はプロジェクト完了パーティー。これで僕が赴任中に担当するプロジェクトは、今月末に完了するものを残すのみとなった。

パーティーの間、いろいろな人から、アメリカを去るにあたっての気持ちを聞かれたが、以前の日記に書いたとおり、それほど寂しいとか残念と言う気持ちは起こっていない。

そのことをいろいろ考えているうちに、以前に似たような感覚を持ったことがあるということに気がついた。それは「大学の卒業」の時の感覚である。

僕は自分で言うのもなんだが、高校まではまじめな優等生だった。大学に入って一人暮らしを始めてから、マージャンを筆頭としたいろいろな遊びにはまり、4年間の間に「よくぞ留年しなかった」というほど遊びまくった。であるからこそ、奇跡的に卒業して社会人になる時も、学生生活に対する「未練」というものは全く感じず、前向きな気持ちで社会人としてのスタートを切ることができた。

アメリカでの4年間の生活も全く同様で、思う存分在米生活を満喫したので、日本に戻るにあたって何の未練も感じていない。正直な気持ちとして、「さて、気合を入れて仕事を始めるか!」と思える(今までも仕事はしていたけれども。。。(笑))

もしこの日記を学生さんが読んでいるのなら、僕はこう言いたい。

悔いのないように、思いっきり遊びなさい。それに飽きたら、思いっきり仕事をしようぜ!


2005年06月13日(月) 家来?

先日のシークレット・ガレージセールで売れた僕のベッドが、日曜日の夕方に買い主によって運ばれていった。

というわけで、ベッドルームには嫁のベッドのみが残された。

ベッドで寝る嫁を横目に、僕は嫁の「家来」のようにカーペットの上に敷いた布団で眠るのであった。


2005年06月12日(日) 第1回送別ゴルフ

今日は僕の(第1回)送別ゴルフ。駐在・研修生・出張者あわせて15名の大グループでゴルフ大会。

「80台をもう一度出すまでは、日本に気分良く帰れない!(笑)」と宣言して、スタート。出だしから好調で、8番ホールでは15メートルのバーディーパットを沈めるという離れ業を演じ、前半を終わって43。

「この調子を持続すれば、80台で終われるかも・・・」と思ったのだが、先週のコンペ同様、後半に疲れが出てしまい、終わってみたら94といつものスコア。

あと何回送別ゴルフがあるか分からないが、なんとか80台を出して帰りたいなあ。


2005年06月11日(土) シークレット・ガレージセール

引越し荷物を減らすために、土曜日にガレージセールを開いた。といっても、僕は仕事が入ってしまい、嫁と嫁の友達によるガレージセール。

実は、わが家のあるコミュニティーは、静かな住環境を維持するためにガレージセールが禁止されている。そこでガレージドアを閉めて、看板は出さずに「シークレット・ガレージセール」として、基本的には口コミのみでの開催となった。

幸い、今日のガレージセールで、フルサイズベッド2つ、ツインサイズベッド2つ、パソコンデスク、パソコンラックなどの大物が全て完売し、十分にシークレット・ガレージセールを開いた価値はあった。

ガレージセールは午前10時から行ったのだが、どうやら開始前後に数台の車がわが家の周りに密集し、ガレージセールを行っているのが、コミュニティーの人に分かってしまったらしく、嫁がお昼過ぎに怒られたらしい。

嫁は、「ガレージドアは閉めてるんだけど・・・」と一応言い訳を言ってみたようだが、「そういう問題じゃない。続けるようなら警察を呼ぶ」とまで言われたらしい。

(この日記は読んでないでしょうが)コミュニティーの方、申し訳ありませんでした。


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2005年06月09日(木) 車が売れた!2

車が売れた2と言っても、2台目が売れたわけではない。

実は一昨日の日記に書いた借り手からの申し出により、彼女の友人が勤める自動車修理工場に行ってきた。すると、「この車でこの価格はいい買い物だよ」とのお墨付きはもらったものの、「でもラジエーターが古くなっているから、遠くない将来交換した方がいいね」というアドバイスがついていた。彼いわく、ラジエーターの交換には300ドルかかるということで、これを加えると、彼女の予算を完全にオーバーしてしまった。彼女は実に残念そうな顔をしていたが、泣く泣く購入を断念。

次に申し出があったのは、引越し業者から紹介を受けた日本人研修歯科医。今日の午前中に連絡が入り、夕方に見せに行く約束をした。すると、お昼過ぎに嫁から電話が入り、嫁の友達もウチのアコードワゴンに興味があるのだという。

とりあえず、僕が会社から帰るまでの間、嫁はその友人に車を見せ、彼女もすっかりウチの車を気に入ったようだったが、仕事の関係で夫に相談する時間がとれないという。嫁はその友人に車を譲りたそうだったが、もう車を見せに行く約束をしていたので、とりあえずその研修医に車を見せに行った。

嫁の気持ちは分かっていたので、その研修医に対しては積極的に売り込むというよりは、ラジエーターの件なども含めて車の悪い面も全て話した。するとやはり、「整備工場に行って確認をしてから買いたい」とのことだったので、「嫁の友人からもオファーが来ているので、もしかしたら先に決まってしまうかもしれません」と正直に状況を説明し、帰途についた。

帰る途中、嫁に「まだ決まってないから、友達にもチャンスはあるよ」と電話をした。嫁は喜んですぐにその友人に状況を電話で説明したらしいのだが、その直後に僕の携帯電話に「さっきの車についてですが、家内と相談して即決することにしました」と研修医から連絡が入った。。。どうやら奥さんが、ウチの車の値段設定を、かなり割安と思っていただいたようで(実際そうなのだが)、他人に取られる前に、即決することにしたようだ。

結果としては、こちらの希望価格で売れたので万々歳なのだが、嫁の友人に売ることが出来ず、帰ってから嫁に「『定価』で売れちゃってごめんね・・・」ということになった。


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2005年06月07日(火) 車が売れた!

先日の日記に書いたように、地元日本人コミュニティーのウェブサイトのBuy and Sellで車を売り出した。

日本人コミュニティーのウェブサイトではあるが、何故か中国人女子留学生から嫁のアコードについて問い合わせがあり、早速、車を見せに言ってきた。その子いわく、日本人の友達から車が売り出されていると言う連絡を貰ったという。

ボーイフレンドも一緒に車をチェックし、その後フリーウェイをテストドライブ。最初から売ることを考えて車を定期的に整備に出し、かつ整備記録などを保存していたこともあり、結構気に入ってもらった様子だった。

とは言うものの、当然ながら価格交渉もあり、4000ドルで売り出しのところ3500ドルでなら買うと言う。さすがに即答は避け、家に帰って嫁と相談することにしてその場を後にした。

相手の中国人学生二人が感じの良い人たちであったこと、あまり売ることに力を費やしたくないこと、もともと自分の中で設定した最低価格よりも上であることから、「3500ドルでもいいかな〜」と思ったのだが、家に帰って嫁に相談したところ、かなり渋い顔。最低でも3700ドルは取るべしとの有形無形のプレッシャーが僕にのしかかった。。。

そこでもう一度ウェブサイトを見てみると、アコードに別の人からのオファーを見つけた。これで僕も少しは強気になり(しょぼい強気ではあるが(笑))、「3700ドルなら売ってあげるよ」とメールを返したところ、無事ご成約(祝!)

あとは、彼女の指定する整備工場に行って点検をしてもらい、問題がなければ正式な合意文書を取り交わす予定。


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2005年06月06日(月) 自宅の手入れ

日本時間の6月7日に、実家の両親(そして何故か東京に住む兄も)が、僕の自宅に行って、配線工事の立会いと庭木の手入れをしてくれた。

様子を伺うために携帯電話に連絡したところ、「庭木の剪定用のハサミを買える店が見当たらない」とオヤジが言っていたので、近所のHさんにこちらから電話をかけて、植木バサミを貸してもらうことになった。

引越し前から、いろんな人にお世話になっている駐在2号。家であった。


2005年06月05日(日) 月例ゴルフ大会(最終回)

約2年間参加してきた月例ゴルフ大会も今日が最後の出場。有終の美を飾って「卒業」したいところ。

気合が入っていたのが功を奏したのか、いきなり最初の3ホールは連続パー。その後も大きく崩れず、前半を終わって42。「このままだと、もしかしたら優勝して『卒業』か?」と期待していたのだが、後半は息切れして51。結局、トータル93で公式戦を終了。

まあ、同じ会社のメンバーの中では、ベストグロスだったので、ヨシとしよう。

ところで、今日僕たちは8パーティーの最終組だったのだが、僕たちの後ろ(すなわち他人)のマナーが悪く、度々ボールを打ち込まれた。まあ、それほど危険を感じる近さではなかったこともあり、直接文句は言わなかったのだが、最終ホールではグリーン上に居た駐在3号の横1メートルのところにボールが飛んできたため、さすがの僕たちも後ろの組に文句を言いに行った。

すると「見えなかった」「ホールアウトしたと思った」「わざとじゃない」「そもそもお前たちが遅い」などと言い訳を始めたので、

It's completely you guys fault!! Why don't you say "I am sorry" !!

と大声で怒鳴ってしまった。相手もさすがに非は認めざるを得ないと思ったのか、「I apologize」と言ってぶっきらぼうにではあるが謝りはしたので、とりあえずは矛先を収めた。楽しいゴルフの最後に、気分が悪くなる出来事だった。


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2005年06月04日(土) ケータイ選び

帰国するとなると、いろいろと準備しなければならないものがある。ケータイもその一つ。

4年前に日本を離れた時には、ケータイメールが普及し始めたばかりだったので、僕はまだケータイでメールを送ったことがない。すっかり原始人の気分だ。僕がいない4年の間に、FOMAのエリアは広がるわ、カメラ付きは当たり前になるわと、驚くべき進化を遂げた日本のケータイなので、一から調査を始めなければならない。

まずはNTT DoCoMoのホームページで、どんなケータイが売り出されているのか確認してみた。すると、最新機種のSH901iSというシャープのケータイのデザインが、むちゃむちゃ格好良く見えた。

「もうこれに決めた!」と思ったのだが、一応レビューを調べてみる。何しろ6月3日発売開始のケータイなので、あまりレビューはないのだが、どうやら、「でかい・重い・バッテリー持ち悪い」という評判が多く、かつ最新機種のため価格が3万円を超えるようなので、あっさりと方針を変更。

最新機種はあきらめ、一世代前の901iシリーズを比較してみた。会社の社員食堂の決済が、Edyカードになったと聞いているので、Edy付きのオサイフケータイが必須である。また今後Suicaとしても使えるようなので、やはりEdyつきのケータイが欲しい。すると、SH901iC、F901iC、N901iCの3機種が該当機種らしい。

また、ケータイのシェアが高いということは、多くのユーザーから支持されているということだと考え、シェアをチェックしてみた。すると、N901iCとP901iが首位で並んでいるようだったが、あいにくP901iはEdy対応ではないので、結果としてN901iCが筆頭候補に躍り出た。

N901iCのユーザーレビューをまとめると、写真機能は多機種に劣るようだが、ケータイをデジカメ代わりに使おうとはあまり思っていないので、僕にとっては大きな問題ではない。デザインの評判も良く、他の機能も無難にまとめられているようなので、7月に引越し前の一時帰国をするときに、早速買ってみようと思う。


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2005年06月02日(木) 車の売り出し

帰国するに当たって最大の悩みが、車2台の売却。

中古車の相場はKelly Blue Bookというウェブサイトでチェックをし、2002年モデルのフォレスターは12000ドル、1996年モデルのアコードワゴンは4000ドルで売り出すことにした。

プロジェクト駐在Tさんは、ご家族が今月赴任されるので、車が1台必要なこと、またプロジェクト駐在1号のNさんは、娘さんが運転免許を取ると聞いていたので、買ってもらえるかと期待していたが、現時点で色よい返事は貰えず。。。

来週には、地元ウェブサイトのBuy & Sellで売り出すことにしよう。


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2005年06月01日(水) それぞれの反応

僕に帰国内示が出たことに対する周囲の反応

駐在3号:「帰国前に、できるだけ一緒にゴルフをしましょう!」
(生後1ヶ月の赤ちゃんを抱えてゴルフを控えている彼が、奥さんへの言い訳に使おうとしているのがバレバレ(笑))

アシスタントA:「何か手伝えることがあったら言ってね」
(いつもの通り冷静)

プロジェクト駐在1号:「内示の時に、異動先が決まってないのって珍しいよね。もしかして、何かしでかしたんじゃないの(笑)」

取引先JVおじさん:「・・・」
(すごく寂しそうな顔をしてくれた)


JVおじさんが寂しそうな顔をしてくれたことが、一番嬉しかった。