部長motoいっぺい
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2003年07月30日(水) メガネを作ったときのこと

アメリカに来て初めてメガネを作ったのは、一昨年の10月のこと。アメリカに来て初めての誕生日プレゼントとしてメガネを作った。

別に以前かけていたメガネに不満があったわけではないが、日差しの強いこの地域で、サングラスを脱着できるタイプのメガネが欲しかったのだ。

メガネ屋に行って初めて知ったのだが、アメリカではメガネを買うために眼科医の処方箋(Prescription)が必要である。最初にメガネ屋に入った時はそのことを知らず、眼科医に行かねばならないと言われて驚いた覚えがある。

結局その店ではメガネを買わず、翌週ぐらいに日系のメガネ店に行った。そのメガネ店には、眼科医が併設されており(日本のコンタクトレンズ屋のイメージ)、そこで目の検査を行った後、2年間有効の処方箋が発行された。

日系のメガネ店であったため、

「目の検査の通訳をしましょうか?」

と親切にも店の人が申し出てくれたのだが、来て間もないとはいえ、「日本企業の駐在員としてアメリカに来ている」という、今にしてみればあまりにもくだらないプライドのため、通訳を断った覚えがある。

目の検査では、僕の目についてだけではなく、両親の目の病歴についての質問があり、はっきりいって病名なんかは全く分からなかったのだが、特別な病気にかかったことはないはずなので、全て「NO」で押し通した。
↑めちゃ、いい加減

なんとか処方箋を発行してもらい、メガネを購入することが出来たのだが、赴任間もない時期の思い出の一つである。


2003年07月29日(火) 平日の休みの過ごし方

本日は、土日出勤した代わりのお休み。

昨夜は暑かったせいか、あまり良く眠れず、ぼお〜っとした状態で8時半頃起床。
息子はすでに嫁がスクールバス乗り場まで送って行った後で、娘も午後9時には嫁がサマーキャンプに連れて行ったため、朝から一人取り残される。

平日の休日のため、とりあえず会社のサーバーにアクセスして、急ぎのEメールがないかどうかチェック。

すると、こういう日に限って、処理しなければならない問い合わせが数件あったため、在宅勤務状態になる。そうこうしているうちに、駐在3号から電話がかかってきたりして、結局11時過ぎまで仕事をして過ごす。。。

嫁は10時過ぎに一旦戻ってきたものの、お昼には再び娘を迎えに行きがてら、公園で友達とピクニックをするというので、再び一人取り残される。

悔しかったので、近くの日本料理店にランチを食べに行く。

寿司カウンターでランチを食べている途中、板さんと平日の休みの過ごし方の話になり、

「ゴルフとかも空いていて良いですよね〜」

という言葉で、今週の土曜日にコンペがあることを思い出し、練習に行くことを決意する。

とはいうものの、平日のうちにコンタクトレンズも作っておこうと思い、とりあえず眼科医のところに行き、チェックを受ける。
(Eye examについては、後日日記にします)

その後、板さんに教えてもらった打ちっ放しに行き、100球ほどゴルフの練習をする。

家に帰ると、まもなく嫁と子供たちも帰ってきたが、僕は夕方に研修生のアパートに行って手続きをする必要があり、再び家族とすれ違いとなる。

約1時間後帰宅し、再びコンピューターの前で在宅勤務。


結局、休んだんだか休まなかったんだか、わからない一日だった。


2003年07月28日(月) もう〜い〜くつ寝ると♪

プロジェクトの締めとなる土日出勤も無事滞りなく終わり(なんか表現が変?)、本日は合計8人の出張者が、日本に帰国した。

これでしばらくは、静かな駐在室となり、僕の夏休みまでのカウントダウンが始まる(笑)

夏休みは16日の土曜日から一週間の予定であるが、それまでのビックイベントとして、8月の上旬に2年研修生(合計3家族)が赴任するため、そのサポート業務が僕を待っている。

それさえ、乗り切れば・・・





ナ・ツ・ヤ・ス・ミ(はあと)


2003年07月26日(土) サマースクール欠席の連絡

先日の日記にも書いたように、今週から息子のサマースクール(月−金)が始まっている。
しかし今週に限り、水曜日から土曜日までは、日本語補習学校の夏季集中授業なるものがあり、どちらに出るかを選ばねばならなかった。

息子に聞いてみたところ、

「金曜日は補習校に行く!」
とのこと。

嫁に聞いてみたところ、「金曜日は遠足だから・・・」ということらしい。
↑相変わらず、分かりやすいヤツ

結局、親の都合(補習校での当番など)なども勘案し、月曜日から水曜日までは現地校のサマースクール、木曜日から土曜日までは日本語補習学校ということに落ち着いた。

木曜日の朝、サマースクールを休むということを、学校に伝えようとしたのだが、スクールオフィスの電話は夏休み用の留守番電話になっており、休むと言うことを伝えられなかった。

(注)通常の授業の時は、欠席の連絡をせずに学校を休むと、親のところに電話がかかってくる。また、無断欠席として通知表に記録される。


しかし、どうやら息子が先生にその旨を伝えたらしく、毎日の宿題であるReading用の本を借りてはこなかった。

どうやって先生に伝えたのかを息子に尋ねたところ、

"This is the last day of my summer school. I'm not gonna be here."

と言ったとのこと。


来週行ったら、席がなかったりして・・・(笑)


2003年07月25日(金) 見覚えのある・・・

プロジェクトの追い込みにつき、土日の出勤が確定した(泣)

まあ、このプロジェクトは、本年度最後の大型プロジェクトであるため、これを乗り切れば夏休みはすぐそこ、という感じである。

土日の出勤がきまったため、逆に今日は早く帰宅することができた。
家に帰ると、嫁が息子の勉強をみており(明日はテスト)、夕食の支度があまり進んでいなかったため、韓国料理レストランに夕食を食べに行った。

席に座って料理を注文し、料理が出てくるのを待っていたとき、ふと目線をあげると、隣のブロック席に座っている人の「頭頂部」が見えた。

僕はその「頭頂部」に見覚えがあったため、「おや?」と思い、少々腰を浮かして覗き込んでみると、隣の会社のMさん家族が、奥さんのご両親らしき方々と食事をされていた。
どうやら、僕たちが席についた後、隣のブロック席に入ってきたようだ。

先方がこちらに気がついた時点で、簡単にご挨拶をしたが、

「○○゛頭で気がつきましたヨ!」

とは、さすがに言えなかったなぁ。
↑人間として当然か(笑)



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2003年07月23日(水) 案の定というか・・・

今日は出勤が30分早かったため、息子をサマースクールに送っていくのは、嫁の仕事となった。

案の定、息子は

「いってらっしゃい!のチューをして!」

と甘えたらしい(笑)
↑何のことか分からない方は、昨日の日記を参照のこと


嫁は、ホッペにチューをしてあげたとさ。




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2003年07月22日(火) いってらっしゃい!のキス

今日の朝も、息子をサマースクールまで送っていった。
学校で息子をドロップオフするだけでも良かったのだが、やや時間が早かったので教室の前まで息子を連れて行った。

すると教室にはまだ鍵がかかっており、僕たちは先生が来るのを待つことになった。
教室の前には、息子の現地校での同級生であるアントニオと彼のお母さんがすでに来ており、僕たちは挨拶を交わした。
アントニオのお母さんは、先生が来るまで待っていられないようで、子供を教室の前に残して帰ることになり、アントニオに

「I love you, honey!」

と言って、いってらっしゃいのキスをした。

それも、口に!!
↑駐在2号。やや興奮気味(笑)


ふと隣にいた息子の顔を見たところ、息子の顔も父親同様にやけていた(笑)
そこで息子に、

「お前も、お父さんとキスするか?(笑)」

と聞いたら、

「男同士だからヤダ〜!」

と至極まっとうな答えが返ってきた。

「じゃあ、お母さんにしてもらえば?(笑)」

と尋ねたところ、

「う〜ん・・・」

と考え込んでいた。。。



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2003年07月21日(月) サマースクール開講

今日からは息子のサマースクールが開講。
地域の学校区が主催するサマースクールで、4週間のプログラムだ。

サマースクールはいつもの学校ではなく、学校区内の別の学校で行われる。スクールバスは運行されるが、家の近くまでは迎えに来てくれず、普段通っている学校までは親が連れて行かねばならない。

通学に関しては、ちょうど僕の通勤時間と重なるため、僕が息子をサマースクールが行われる学校まで直接連れて行くこととし、帰りはスクールバスで帰ってくる息子を、いつもの学校で嫁がピックアップすることにした。

今日は初日だったため、少々早めに家を出る。
学校の事務所で書類を提出し、そのまま教室へと息子を連れて行く。

教室に入ると先生はまだ来ていなかったが、入り口のところに名札が置かれており、息子のクラスであることが確認できた。
そうこうしているうちに先生がやってきて、先生と話をすることができた。

事務所で聞いたところでは、息子はESL(英語を母国語としない子供たちのクラス)に属していないということだったので、先生から見て必要であれば息子をESLの生徒として指導するよう依頼をした。

先生は僕の話を了解し、息子に話しかけた。

最初は名前・いつも通っている学校など、簡単なことから聞き始め、最後には帰宅の方法や、何番のバスに乗るか?など、横で聞いていた僕が聞き返したくなるようなスピードで息子に質問をした。

息子は先生の質問に、「簡単に」ではあるが、「極めて適切に」答えることができ、横で聞いていた僕を驚かせた。


やりゃあ、できるじゃん!>息子よ


2003年07月20日(日) バス初体験

アメリカに住んでもう2年になろうとしているのに、今日の今日までバスに乗ったことがなかった。

今日はダウンタウンでフェスティバルがあり、道が渋滞したり駐車場を探すのに手間取ったりするかな?という理由で、初めてバスでダウンタウンに行くことにした。

バスに乗ったもう一つの理由は、息子の「バス好き」である。
何故だか知らないが、彼は日本にいるときからバスが好きである。もっとも日本の我が家も、私鉄の駅から歩いて10分のところにあったため、バスに乗る機会はほとんどなかったのだが。


家から歩いていけるバス停からバスに乗っても良かったのだが、とりあえず近くのパーク&ライド(注)まで車で移動する。
注:主要なバス停のそばに無料駐車場を用意しておき、利用者はそこに車を駐車して、バスで都心に向かう。

時刻表もチェックせずに行ったのだが、幸い5分と待たずにバスがやってきた。

事前に調べたところでは、土日祝は大人一人2ドル50セントで、一日乗り放題のチケットを購入できる(しかも大人に同伴される子供は無料)ということだったので、運転手に

「One Day Pass, Please」

とお願いしたところ、

「ウチの会社には、One Day Passはないヨ」

と、あっさり断られる。
今まで気にしなかったが、確かにバス会社には、黄色基調のバス会社と青色基調のバス会社とがあり、どうやら僕が調べた会社は、黄色の会社の方のウェブサイトだったらしい。。。

気を取り直して、大人一人2ドル+子供一人1.5ドルを支払い、バスに乗り込む。

ガイドブックなどでは、運転手はバス停の名前も言わず、乗客が降りるバス停近くになったら自分で合図する・・・と書かれていたのだが、実際にはバス停近くで運転手がバス停の名前をアナウンスしてくれ、また降りる合図のボタンも用意されていた。

何事も実際に経験してみないと正確なことはわからないものだ、と改めて感じた出来事であった。


ダウンタウンでは街中からフェスティバル会場までモノレールで移動し(これも息子が「乗ってみたい!」と以前から言っていたもの)、フェスティバル会場を一巡りしたあと、お昼ご飯を食べる。

その後、子供博物館なるところで小一時間ほど子供たちを遊ばせた後、久々に家族で「プリクラ」を撮ってから、帰途につく。

帰りのバス停を見つけるのに一苦労したが、これも運良く10分ほどの待ち時間でバスがやってきた。

また機会があれば、バスに乗ってダウンタウンに行こうかな。


2003年07月19日(土) 両親のアメリカ・カナダ旅行(最終回)

一週間にわたる両親のアメリカ・カナダ旅行も、木曜日が最終日。

お昼過ぎの飛行機に乗るため、午前10時頃には空港に到着しなければならない。
空港までは我が家から20分ほどなので、午前9時半に出発すれば間に合うのだが、9時には準備が整ってしまう。

あまり早く行き過ぎても・・・というわけで、家の近くのトレイルを、両親と僕と息子の4人でお散歩。

散歩から戻ると、ちょうど良い時刻だったため、空港に向けて出発。

チェックインも20分程度の待ち時間で済み、また、空港のセキュリティー・チェックも特に並ぶと言うこともなく、両親はスムーズにセキュリティー・ゲートの中へと消えていった。

セキュリティー・ゲートに消える前に、オヤジが孫たちと握手しながら、「お父さんとお母さんの言うことを、ちゃんと聞くんだよ」と言っていたのが、やけに印象的だった。

オヤジは僕には握手を求めなかったし、僕も何となく手を差し伸べられなかった。



翌日、オフクロからのメール


タイトル ありがとう。

予定通り、帰宅しました。
私たちにとって、有意義な旅になりました。
○○さん
(嫁のこと)が色々と気遣いしてくれた上、散財をさせてしまい心苦しく思っています。
明日、電話しますが、とりあえず、お礼と到着の連絡だけと思いメールしました。




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2003年07月18日(金) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その8)

水曜日はショッピング観光最終日。

午前中はオフクロのリクエストにより、50マイルほど離れたアウトレット・モールまで案内する。
子供たちを連れて行くと、途中の車の中でいつものごとく兄妹ケンカが始まり、それを叱る嫁にストレスが溜まり・・・というのが見えていたため、午前中はオヤジとオフクロと僕の3人だけで買い物に行く。

オフクロのお目当ては、僕の兄貴にお土産として買うつもりの革製のセカンドバッグだったのだが、それらしきものは見つからず、結局帰る途中のショッピングモールで、小さめのカバンを購入した。

カバンを選んでいる最中に、

「これはオジサンくさいわねぇ・・・」
とか言っていたので、

「38歳(兄の年齢)って充分オジサンじゃねえの・・・」
とボソっと言ったところ、オヤジにたいそうウケた。

後日、嫁が英語の先生に聞いた話だが、男性用のセカンドバッグというのは、アメリカではあまりメジャーではないらしく、持っている人はゲ○と思われる可能性があるとのこと・・・。必死に男性用のセカンドバッグを探していたオフクロは、店員にとって奇妙に映ったに違いない(笑)


家に帰って遅い昼食をとり、夕方は家族でダウンタウンに向かう。
オヤジとオフクロは、この街のランドマークであるタワーに登り、僕たち家族はタワーの下側にある遊園地で子供たちを遊ばせながら待っていた。

タワーを降りてきたオヤジとオフクロはそのままダウンタウン観光に向かい、約2時間後に合流してから帰宅。

翌日はいよいよ帰国日。


2003年07月17日(木) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その7)

火曜日と水曜日は有給休暇をとって、両親の観光ガイドとなる。

火曜日の午前中は、まずは湖と海の水面差を調整する水門に行く。
湖面と海面の水位差は、ざっと見たところ4メートルはあり、行きかう船を水門のところで上げたり下げたりしている。
(スエズ運河を小さくしたイメージ)

ここが予想以上にオヤジの受けがよく、放っておいたら一日中でも行きかう船を見ていそうな勢いだったので(笑)、適当なところで切り上げて、ダウンタウンのマーケットに向かう。

マーケットでは結局何も買わなかったが、飛び込みで入ったレストランで食べたサンドイッチがとても美味しく、当たりくじを引いた気分になる。
(僕がパンの類を美味しいと思うのは、とても珍しい)

昼食の後は、水陸両用の観光バス?で、ダウンタウン観光。

↑湖面に浮かぶ水陸両用バス

走っているところは見たことがあったのだが、僕も乗るのは初めて。ガイドとなる運転手のノリが良く、約2時間の市内観光を楽しく過ごす。
「語学担当」の娘は、この時絶好調。娘と運転手との会話を聞いたジジババは、とても感心していた。
(「飛ばしすぎ」のあまり、この後バスの中で寝てしまったのだが・・・)

その後、一旦家に帰って休憩した後、夜はメジャーリーグを観戦に行く。
お目当ての選手がホームランを打つわ、盗塁はするわ、試合には勝つわと、これ以上ない!という試合だった。


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2003年07月16日(水) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その6)

両親の旅行も、いよいよ後半戦。

月曜日は、僕の取引先の工場見学。オフクロによると、オヤジがこの旅行でもっとも楽しみにしていたものらしい。

実は一ヶ月ほど前に、オヤジは足をくじいたらしく、この旅行中ずっと足を引きずっていたのだが、特に痛いともなんともいわずに工場内をヒョコヒョコ歩き回っていた。

ただ、一年前に大腸がんの手術をした影響で、一旦おなかの調子が悪くなると、トイレが極端に近くなるオヤジは、どうやらその日が絶不調の日だったようで、工場内の最寄のトイレを常にチェックしながらの工場見学となってしまった。。。

ともあれ、帰ってからオフクロに聞いたところによると、えらくご満足して頂けた様で、案内する側としても喜ばしい限り。

夜は先日の日記にも書いたように、両親の結婚40周年記念日を祝いに、僕のお気に入りのシーフード・レストランに家族で行く。

北の大地から来た客人に、カニを振舞うのもどうかとためらわれたが、これが大正解。特に味がどうこうというわけではなかったのだが、オヤジが孫たちに、必死になってカニを剥いてあげるという微笑ましい光景?が展開されたのだ。

カニを剥くのが得意なオヤジは、嫁にまで講釈をたれて(笑)、得意満面。


2003年07月15日(火) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その5)

日曜日の朝は、ホテルで朝食をとる。朝食といっても、トーストやシリアルなどに飲み物がつく簡単なものだ。一人一人オーダーをして、トレイに乗せて席につく形式だったので、息子と娘には自分たちで注文するように言った。

「語学担当」の娘は、ホテルのお姉さんと要らんことまでしゃべっていたが、息子はジジババの前で英語をしゃべることに緊張したのか、あまり上手に注文できなかった。(このあたりが、僕の息子っぽい(笑))

朝食を食べた後は、昨日に引き続きビクトリアの中心街を散策。
船底から海中を覗くタイプの水族館に入ったり、小型の水上タクシー?のようなものに乗って、ビクトリア湾を遊覧したりして時間を過ごす。

午後は本命のブッチャートガーデンへ行く。


↑バラのトンネル

オフクロは、

「花は国が変わってもあまり変わらないのねぇ〜」

と分かったような分からないような感想をもらしていた。

ブッチャートガーデンの後は、近くにあるワイナリーでお土産ワインを購入。
両親は一丁前に(笑)テイスティングなるものをしてから買ったようだが、僕たち家族はワイナリーのデッキでアイスクリームを食べながら待っていた。

その後、アメリカ本土に向かうフェリーに乗り、国境を越える。
フェリーからクジラが見えるかと期待して、必死に外を見ていたが、残念ながら目撃することができず。

本土上陸後、フリーウェイを経て、午後11時半ころ帰宅。


2003年07月14日(月) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その4)

オフクロが訪米する前に、
「バンクーバーでショッピングをしてからビクトリアに向かう」のと、
「早めにビクトリアに向かいビクトリアでのんびり過ごす」のと、
どちらが良いか聞いておいたのだが、以前にバンクーバーを訪れたことがあるオフクロは、後者を選んでいた。

しかしながら、金曜日に小洒落た店が建ち並ぶ、バンクーバーの町並みを見てしまった彼女は、バンクーバーに未練たっぷり。。。

とはいうものの、すでに午前10時発フェリーの予約は入れてしまっているわけで、土曜日の朝は朝食も取らずに早々にフェリーターミナルへ向かう。

フェリーターミナルにも、お土産屋はあるわけで・・・(以下省略)


ターミナルまでの道のりが順調だったため、ターミナルについたのは午前8時半前。ダメモトで、午前9時のフェリーに乗れないか尋ねたところ、「空きがあればOK」という。

そのため、お土産ショッピングを途中で切り上げ、朝食も食べに行かずに車の中で待機していたところ、なんとか午前9時発のフェリーに乗ることができた。

予定よりも早くビクトリアに到着した僕たちは、最初の観光目的地であるグレイグダロック城へと向かう。



出口にあるお土産店でもオフクロはあれこれ物色していたので、僕とオヤジは先に外に出て待っていた。すると、嫁が店の出口付近から僕を手招きする。

何かと思って話を聞くと、

「お義母さん、気に入った蜀台があるらしいんだけど、買うのを迷っているらしいのヨ。あなた買ってあげなさいよ」

という。
以前から嫁は僕に、この旅の途中で、オフクロに何かプレゼントするように言っていたのだが、まあ良い機会だし、値段もそんなに張るものではなかったので、僕がオフクロにプレゼントする形になった。

「気を遣わせちゃって悪いわねぇ」

とオフクロが言うので、

「気を遣ったのは嫁さんで、僕は金を使っただけだから・・・(笑)」

と言っておいた。
まあ、喜んでくれたようでなにより。


その後、ビクトリアの中心街に向かい、街中をブラブラ散歩する。
オフクロはといえば、案の定(以下省略)


夜は、僕同様に和食党のオヤジのことを考えて、日本食レストランへ行く。
会計になり、オヤジがカードを出そうとしたので、

「ここだけ出してもらっても、高々知れてるからイイヨ(笑)」
(注:この旅の全費用は僕持ち)

と言ったところ、

「バカだな、お前。高々知れてるから出すんじゃネエカ(笑)」

と返されてしまった。。。

オヤジに座布団一枚。


2003年07月13日(日) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その3)

無事、米加国境を越えた僕たちは、一路バンクーバーへ。

ちょうどお昼ごろだったので、バンクーバーへ行く途中にマクドナルドでもあれば・・・と話していたのだが、行けども行けどもマクドナルドはなし。
結局、バンクーバーダウンタウンについてしまい、そこでマクドナルドを食べる。

地下街の駐車場に駐車したので、地下街にあったトーマスクックで米ドルをカナダドルに両替する。去年カナダに旅行したときよりも、米ドル安になっており、あまりお得感はない。

オフクロは、この地下街でも早速買い物。。。
いったい帰りまでに、どのくらい買い物をするつもりなのか、見当もつかない。

お昼ごはんを食べた僕たちは、その日の観光目的地の一つ目である、キャピラノ渓谷の吊り橋に向かう。


↑吊り橋を恐る恐るわたる、拡大駐在2号。一家
(真ん中で帽子をかぶっているのがオヤジ、その後ろの白い服がオフクロ)



その後、グラウスマウンテンのロープウェイを登り、バンクーバーを見下ろしてから下山。

夕食は、バンクーバー名物?の中華料理を食べ、泊まりは市内のビジネスホテル。


2003年07月12日(土) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その2)

独立記念日でお休みの金曜日、バンクーバー&ビクトリア旅行に出発。
我が家の車は、いずれも5人乗りであり、両親を含めた家族6人が同時に旅行することはできないため、朝一番で6人乗りのレンタカーを借りに行く。

予定よりも30分早く、9時30分に家を出て、米加国境公園には12時前に到着。公園で記念写真などを撮り、いざ国境の検問へ。

入国係官に、
「僕たち家族4人はレジデント(米国居住者)で、僕の両親は日本からのビジターです」
と言ったところ、

「じゃあ、レジデントカードを見せて」
と言われ、そんなものは持っていないというと、

「じゃあ、レジデントじゃないんだね」
と冷たく言い放たれる。

どうやら、いわゆるレジデント(居住者)と、公的な意味でのレジデントは違うと言うことらしい。

まあ、いずれにしろ、不法滞在などではないので問題はなく、入国事務所にてパスポートにスタンプを押してもらい入国手続きは完了。

この間、もちろん僕が係官とのやり取りを担当したのだが、オヤジの前で英語を話すのは、ほぼ初めてのこと。妙な照れくささと、間違えたらカッコ悪いという緊張感がみなぎり、「3日後に帰国」というべきところ、「3日に帰国」と言い間違えてしまった。

まあ、ご愛嬌ってことで。



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2003年07月11日(金) 両親のアメリカ・カナダ旅行(その1)

今日から数日にわたり、両親のアメリカ珍道中を日記とします。
まずは7月3日木曜日から。




前日の水曜日に何事もなく無事渡米を果たした両親は、木曜日は終日自由行動。というのも、僕が仕事に行かなくてはならなかったからだ。

子供たちもサマーキャンプで出かけてしまったため、午前中はオフクロのご要望に基づき、嫁の車で30分ほどの郊外のアウトレットショップまで行った。

まだこれから一週間以上滞在すると言うのに、アウトレットショップの鞄屋で、大量のお土産のご購入。。。
オフクロが色違いの鞄を両方手に取ったため、店員が「どっちを買うの?」と聞いたので、嫁がオフクロに通訳して尋ねたところ、「両方とも買うわよ」と答えたとのこと。店員が目を丸くしていたそうだ。


「お義母さんの買い物を見ていると、気持ちが良くなるわね(笑)」

と、嫁に言わしめるほどの買いっぷり。


お昼ごはんの後も、割と高級店が多く出店している、地元のショッピングモールでさらにお買い物。。。

両親のアメリカ旅行は、まだ始まったばかり。


2003年07月10日(木) 両親、無事ご帰国

本日の飛行機で、両親は無事帰国。
日記を書いているちょうど今頃、成田に到着しているはずだ。

1週間にもわたる両親の訪問を支えてくれた嫁に本当に感謝。





ところで、以前の日記にも書いたが、僕のオヤジの余命について、家族は医師から宣告を受けている。(もしかしたら、本人もうすうす気づいているのかも知れない)
その話を聞いたときは、僕も本当に動揺していたのだが、宣告から一年を過ぎた今となっては、余命が限られているという事実が、ある意味日常の中に溶け込んでいる。

平たく言えば、人間そう長いことショックを感じ続けては生きられないということなのだろう。肉親を亡くした人が、その事実を数年かかって受け入れるのと同様、僕にとってはオヤジの余命が限られているということを、一年かかって受け入れることができたのだろう。

余命が残り少ないということ自体は、もちろん悲しい事実なのだが、ある意味「親孝行する猶予期間をもらった」ということについては、もしかしたら余命宣告の「良い面」なのかもしれない。

順番どおりならば、自分の親は自分よりも早く死ぬ。その単純なことに、なかなか気がつかない。それを気づかせてくれ、親孝行をする時間をもらったと思えば、少しは暗い気持ちも晴れるような気がする。


2003年07月07日(月) 中間報告

日曜日の夜遅く、無事バンクーバー&ビクトリアから帰国。

月曜日は通常通り仕事を行ったが、取引先工場をオヤジが見学したいというので、午前10時頃から1時間半ほど案内をした。
オヤジは一ヶ月ほど前に足をくじいたようで、やや足を引きずっていたが、工場が興味深かったらしく、ひょこひょこ歩いていた。

夜はオヤジとオフクロの結婚記念日(40周年)を、景色の良いレストランで過ごす。
レストラン行きの前に、息子をがっちり叱って泣かせたので、どうなることかと思ったが、息子がコーラのコップを間違って倒した以外は(笑)、ごく普通に食事を楽しむことができた。

火曜日と水曜日は、久々に有給休暇を使って、市内&郊外観光に行く予定。


2003年07月04日(金) 時差ぼけ

「時差ぼけ」といっても両親のことではなく、僕のこと。

ただ今、7月4日朝6時。
いつもよりも多くアルコールを飲んだため、変な時間に目が覚めてしまう。

日記の更新が滞ります・・・とか書いておいて、実際には毎日更新している暇な男でございます(笑)


とか、書いてたら、本当に時差ぼけのオフクロが起きてきた。



オフクロは昨日、郊外のアウトレットに行って、早速お土産を購入してきたらしい。「まだ帰国の日まで、1週間もあるっちゅうねん!」っていうツッコミをグッと押さえる。

オヤジは、子供たちに英語で話しかけているが、子供たちが日本人の話す英語に慣れていないせいか、いまいち通じない(笑)
大人の僕が聞くと、間違ってはいないし、発音もそんなに悪くないんだけどね。でも、楽しそうだから、まあいいか。

嫁は、かいがいしく働いております。ありがとね。
でも、アウトレットへ行く途中で、道に迷うのはどうかな?(笑)

子供たちは、僕が「おじいちゃんに英語を話してあげてね」というお願いをしていたせいか、かなりイイ感じで話しかけている。ちゃんとジジババ孝行するんだぞ。


あ、嫁が起きてきた。

では、バンクーバー&ビクトリアに行ってまいります。


2003年07月03日(木) ボーナス・・・なしよ。

7月1日は、僕の勤める会社のボーナス支給日。

海外駐在員の賃金体系は会社によってずいぶん異なると思うが、僕の会社では円建ての国内賃金と、ドル建ての海外賃金に分けて支給されている。
年に2回のボーナスは、国内賃金として取り扱われるのだが、支給日になっても振り込みがない。。。

2日になって郵送されてきた明細を見て、僕は愕然とした。

ボーナス=約マイナス5万円

マイナスといっても、前年からマイナス5万円という生易しいものではなく、5万円会社に払わなければならないという、驚くべきものである。


マイナスになる理由をかいつまんで説明すると以下の通り。

【要因1】
・僕の普段の国内賃金は、国内での住宅ローン支払い金額とほぼ同額
・住宅ローンは会社から借りているため、月々の給与から天引き
・月によっては、マイナス支給となるため、その場合は次回のボーナスにて相殺

【要因2】
・昨年末、会社が間違って僕に振り込んだ17万円ほどの精算を今回のボーナスにて相殺

【要因3】
・住宅ローンのボーナスからの天引き

【要因4】
・赴任時に会社から車の購入費用として借りたお金を、毎ボーナスにて返済

【要因5】
・社会保険料の総報酬制導入に伴い、これまでよりも高額な社会保険料の控除

【要因6】
・例年よりも低いボーナス額



あ〜あ、書いてて嫌になっちゃった。。。



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2003年07月02日(水) 両親のアメリカ訪問

本日午前、僕の両親がアメリカに到着。
オフクロは去年の春にわが家を訪問しているが、オヤジはこれが始めてのアメリカ大陸上陸(ハワイ・グアムのみ経験)

午前中はお休みをいただき、嫁と一緒に空港に迎えに行く。
順調に入国手続きが済んだらしく、ほぼ予定時刻どおりに手荷物受取所に現れた。
すぐに、前回の入国時にオフクロがなくしたI−94を確認。今回は問題なく受け取ったようだ。

両親を家に送り届けたあとは、僕はすぐに会社に向かい、たまったEメールの処理に忙殺された。

これから帰宅して、とりあえずビールか?(笑)


【業務連絡】
しばらくは、日記の更新が滞ります(原因=酒盛り)


2003年07月01日(火) ピエトロのドレッシング

今日は日本からの出張者と夕食をともにした。

彼らがこちらに来る前に、お土産の希望をメールで聞かれていた。
そのメールの中に、「ドレッシングとかを海外にお土産に持っていくと喜ばれると聞いているんですけど・・・」と書かれていたので、駐在3号にその話をしたところ、

「ドレッシングといえば、ピエトロですかねぇ〜」

というので、そのままそれを出張者にリクエストしておいた。
今日、そのドレッシングを受け取ったときに、

「すいませんねぇ〜、駐在3号君がわがままを言いまして(笑)、探すの大変だったでしょう?」

と言ったところ、

「駐在2号。さん、ピエトロのドレッシング知らないんですか?(笑)、めちゃめちゃ有名で、いろんなところで手に入りますよ(笑)」

と大笑いされてしまった。
おまけに、駐在1号にも、

「駐在2号。くん、ピエトロのドレッシングなら、僕でも知ってるよ(笑)」

とダメを押されてしまった。。。

そんなに有名なんですか?ピエトロのドレッシングって。



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