部長motoいっぺい
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2002年07月30日(火) 海外生活と体重の相関関係

僕の身長は174センチ。

渡米前の体重は68キロ。

そして、今・・・



















72キロ!(滝涙)





いや、つい先月までは70キロ程度で踏ん張っていたのだ。
僕の場合、たいてい忙しくなると2キロ程度は簡単に減少するのだが、先月は忙しかったのに体重が一気に2キロも増えてしまった。
そして悪いことに、増えた分はどうやら落としにくい腰周りに蓄積されたらしい。

これもひとえに、嫁が帰国していて不規則な外食が続いたせいだ。



今晩からは、ウィークデーは晩酌のビールを控えることにしょう。



【おねがい】

皆さんの周りに、1年以上の海外生活を経て帰国した時に、体型が変わっていない人がいたならば、大いにほめてあげましょう。


2002年07月29日(月) 工場見学会&アートフェスティバル

日曜日は駐在室がある会社の家族向け工場見学会だったため、家族とともに工場見学に行った。
季節外れの氷雨が降り気温も20度以下だったため、早々に引き上げてきたが、子供達はステッカーやバッチをもらって喜んでいたようだ。

嫁は嫁で喜んでいたようだが、その理由はというと・・・



















息子の宿題である絵日記のネタが出来たこと

のようだ(笑)
↑日記書きとして、ネタ探しの大変さには共感できたりして・・(汗)


僕は、一応長袖のシャツは着ていったものの、寒さとこれまでに蓄積された疲労により体調をくずしそうだったため、家に帰ってからベッドに入って3時間半も昼寝をしてしまった。


昼寝から起きた後は、再び昨日のアート・フェスティバルに行く。
嫁は結局、昨日欲しがっていた飾りを買って、ちょっとご機嫌。
↑自分で作るって言ってなかったっけ・・・

アート・フェスティバルで不思議だなあと思ったのは、意外なものを買って帰る人々が多かったこと。

それは、





















風見鶏
↑20人以上の購入者を目撃。


2002年07月28日(日) アート・フェスティバル

今日は、地元のアート・フェスティバルを見物しがてら、街中を散歩してきた。

アート・フェスティバルというのは、ショッピング・モールの駐車場などに仮設のアート・ショップが多数出店する、一種のお祭りみたいなものである。

売っているものは、絵画・工芸品・モニュメントなどなど様々なものであり、嫁も何か家に飾るものを探していたのだが、結局何も買わなかった。

唯一欲しそうにしていたのが、小奇麗なヤカンに4−5本のスプーンやフォークがぶら下がっている、玄関飾りだったのだが、欲しいものは60ドルから80ドルくらいしたため、買う決心がつかなかったようだ。

彼女いわく、



















「私、自分で作るわ!」

とのことなので、今後の彼女の作品に期待したい。






子供達にとっては、あまり興味の湧かない「お祭り」だったのだが、日本のお祭りと同様、フランクフルトやポップコーンなどがスタンドで売られていたため、途中ジュースとポップコーンを買って休憩することにした。

休憩する椅子があったところでは、バンド演奏が行われており、素人なのかプロなのか微妙なおじさんたちが上手な演奏をしていた。


ふと気が付くと、わが娘はフェイスペインティングをしたアメリカ人の坊やと、仲良くベンチに並んでバンド演奏を聞いていた。
見ていると、何か会話を交わしているようだった。

演奏が終わったあと娘が戻ってきたので、

「なに話してたの?」

と聞いたところ、



















Your Daddy is Cool!
↑駐在2号のワンポイント英会話:この場合のクールは「冷たい」ではなく「格好いい」の意

って言ってたのよ、とのこと(娘によると、その坊やのおとうさんが演奏していたらしい)。


いやあ、恐れ入った。


2002年07月27日(土) 日本語補習校夏季集中授業

日曜日にアメリカに戻ってきたばかりで、まだ時差ぼけが抜けていない息子ではあるが、水曜日から土曜日まで日本語補習校の夏季集中授業に出席している。
この時期、アメリカの学校は夏休みの真っ最中であるが、日本語補習校は、この夏季集中授業を終えて、はじめて夏休みとなる。

集中授業3日目の金曜日は野外学習として、近くにある動物のいる公園に行ったようだ。

そこでいろいろな動物とふれあい、感想を書くというのが課題として与えられた。



【息子が書いたレポート】


どうぶつの名まえ

やぎ


どうぶつの色

しろ


どうぶつの大きさ

ぼく/わたしより、大きい/おなじくらい/小さい


どうぶつはなにをしていましたか?




















うんこをしていた。


2002年07月25日(木) プロジェクト完了パーティー(4回目)

先日、4回目のプロジェクト打ち上げパーティーが開かれた。

今回は今までのパーティーの中で、最も華やかなディナー・クルーズ!であった。


今回は配偶者同伴で、ということだったので、子供たちをベビーシッターに預けて夫婦で参加することになった。

嫁はもともとパーティーがあまり得意ではないのに加え、時差ぼけも抜けきっていないので乗り気ではなかったが、仕事のひとつと割り切って参加してもらった。

彼女いわく、

「こういうパーティーに出る経験って、なかなか出来ないのは分かってるんだけどね・・・」



















「代われるものなら、誰か出たい!っていう人に代わって欲しいわ!」

と言い切っていた(笑)
↑それでも、去年のクリスマス・パーティの頃よりは、随分と英語で歓談できるようになってきたと思う<旦那バカ?







駐在室秘書のスーは、パーティーが配偶者同伴というのを聞きつけ、


「ボーイフレンドを呼んでもいいかしら?」

と僕に尋ねてきた。

僕は特に問題はないと思ったが、一応念のため駐在1号に確認をして、彼女の彼氏も参加することになった。

ボーイフレンドも会社のイベントに呼ぶというのが、とてもアメリカっぽいなぁと感じた。
↑最近出来たばかりの彼氏だから、見せびらかせたいのがアリアリ(笑)


駐在1号がOKを出した旨を彼女に伝えると、彼女は


「Thank You!」

と言い、続けて次のように言い切った。



















「He is Nice!」



いやァ・・のっけからそんなにノロケられても・・・


2002年07月23日(火) 入国手続き(機内にて)

嫁と子供たちがアメリカに帰ってくる飛行機の中での出来事。

アメリカに入国する時には、税関申告書を書かなければならない。
税関申告書には、「旅行の目的」を記入する項目があり、商用または観光のいずれかを選ばなければならない。





「私たちはアメリカに住んでいるんですけど、この場合商用ですか、それとも観光ですか?」

スチュワーデス
「どちらでもないので、とりあえず空欄にしておくのはいかがですか?」

「そうですねぇ・・・機内誌に書いてあるマニュアルにも、私たちのような例は書かれてないんですよね・・・」

「今まで、そういった例のお客様はいらっしゃらないんですよね・・」

「・・・」




















んなわけないやろ!
↑嫁の心のツッコミ






【正解】

住所がアメリカの場合、ここで言う「旅行」とは、日本に渡航した目的となるため、この場合「観光」が正解。


2002年07月22日(月) 入国審査にて

夏休み特別企画として開設したBBS駐在室へようこそ!を、めでたく常設BBSとすることが決定しました!
みなさん、遊びに来て下さいね!
↑誰だ、人気が無いから管理が楽なんだろ!というツッコミをするやつは!(笑)



嫁と子供達が帰ってきた。

入国審査を僕なしで通過するのは初めてだったので、どうなることやらと思っていたのだが、嫁は

何とかなるサ

と思っていたらしい。
この辺に、一年間アメリカで「修行」した自信が表れているのかもしれない。


入国審査官(全編英語)
「ご主人はアメリカで働いてるんですか?」

嫁(全編英語)
「はい、エンジニアをしています」

「どのくらい住んでいるんですか?」

「一年くらいです」

「アメリカは好き?」

「・・・そう・・・ですね・・好きです」

「わかった!」



















「日本のほうがもっと好きなんだね!」





















ご名答!


ってか、めっちゃ世間話で入国審査完了。


2002年07月21日(日) ウソも方便?

今日はこの夏4つ目のプロジェクトの、最終検査の日であった。

ここまで珍しく順調に進んできたのだが、ご多分に漏れず検査開始直前に、ごくごくマイナーではあるものの一部に問題点が発見され、取引先の検査主任者が検査の延期を申し入れてきた。

ここで検査を延期しても明日うまくいくのであれば、スケジュール上はそれほど問題はなかったのだが、仮に明日スムーズに検査が完了しなかった場合、プロジェクトの完了予定日をずらさなければならないという可能性も大いに考えられた。

そのため、僕達としては是が非でも今日検査をしてもらい、最悪の場合でも明日で検査を終わらせたいと、取引先検査主任とミーティングを持ったのだが、相手もなかなか首をたてに振らない。

そこで僕は、




今日、日本から来ている我が社の検査担当は、検査が終わったらすぐに帰国して日本で仕事をしなければならない。

と相手を説得にかかった。

実は僕はこの時点で、ウチの検査担当の検査後のスケジュールについて全く知らなかったのだが、検査をしてもらいたいがゆえに、ついハッタリをかませてしまった。

それを聞いた取引先会社の検査主任は、しばらく考えた後に検査をすることに同意してくれ、検査自体も予定時間内に無事大きなトラブルもなく完了することができた。




今日検査が終わって、プロジェクトメンバーで食事をしたときに、ウチの検査主任者が僕のところに近寄ってきて、こう言った。



「いやぁ、今日は君のお陰で助かったよ。

これで、明日ゆっくりと買い物にいけるよ(笑)」





















明日、取引先検査主任とウチの検査主任がショッピングで鉢合わせしたら、僕の立場はどうなるのでしょうか・・・(汗)


2002年07月20日(土) 高級食材とは

今度の日曜日に嫁と子供達が帰ってくる。

この前電話で嫁と話した時に、日本から買って帰るものの話になった。



「何か買って帰って欲しいものある?」

「そうねェ・・この前ちょっととは言え、日本に帰ったからなぁ・・」

「アメリカで買うと高くて、日本だとそうでもないものが良いわよね」

「まあ、そうだね。何かあるかなぁ・・そんなもの・・」


という会話の後、僕が思い出したものは・・・





















永谷園のお茶漬けのもと




海外駐在の生活って、こんなモンです。ハイ。
↑もしかしてウチだけか?・・・(汗)



【おまけ】

その他の「高級食材」としては、
・ふりかけ
・とろろ芋
・生椎茸
・レトルトカレー
・カップラーメン(日本製のみ)


2002年07月19日(金) 息子の帰国拒否?

今度の日曜日に家族が帰ってくる。

嫁に電話で子供達の様子を聞いたところ、おのおの小学校と幼稚園生活を楽しんでいるようで安心した。

しかし最近になって、逆の心配が出てきた。
というのは、息子が

アメリカに帰りたくない!

と言い出したことだ。


僕には面と向かって言いづらいようで、電話ではそのようなことは言わないのだが、嫁に向かっては言っているようだ。

まあ考えてみれば、

・日本語が通じる
・テレビ(マンガ)が面白い
・パパがいなくて、ワガママ言いたい放題


などなど、彼が日本に残りたい理由はいろいろ考え付くのだが、嫁に聞くとどうやら一番大きな要因は別のことらしい。

それは、



・自分ひとりで、友達の家に遊びに行けること。
・外で子供達だけで遊べること


らしい。


確かにアメリカでは友達の家に行くのにも、ほとんどの場合車で行かねばならないし、外で遊ぶ場合には必ず大人がついていないといけない。


それを思った時に、


アメリカの子供って、意外と窮屈な生活をしてるんだなぁ・・・

と考えさせられた。


2002年07月18日(木) 今日の夕食

今日帰りがけに、日本との電話連絡でめちゃめちゃ気分の悪い出来事があった。


その電話が入るまでは、家に帰って

ビール350ml×2缶
とろろ蕎麦
ごはん


という予定だったのだが、頭に来ていた僕は近くの日本食屋に直行し、

ビール大瓶×1本
鉄火巻き×1人前
湯豆腐×1人前
天ぷら定食×1人前


を頼んだ。




















チップ込みで39ドルだった・・
↑いいもん、後悔なんかしてないもん(涙)


2002年07月17日(水) 為替レートと駐在員

海外駐在員にとって、円高は敵である。

最近は1ドル=115円にまで達しており、看過できない状況にある。
↑看過できないって、何か出来るの?というツッコミあり・・・(汗)


会社によって、海外駐在員の給与体系はずい分と異なると思うが、僕の会社の場合僕の月々の給料はドル建てでもらっている。
そのことだけを見れば為替の変動は関係ないのだが、問題は赴任時に日本から送金した額である。

僕の勤める会社においては、駐在員に対して車を支給するという制度はなく、あくまでも自分で購入しなければならない。
しかしながら嫁の分も含めて車を購入するとなると、かなりのまとまったお金が必要となるため、会社が赴任する駐在員に対して車の購入費用を無利子で貸し出してくれる制度はある。

確かに無利子はありがたいのだが、問題はこのお金を日本円で受け取ることにある。


例えば車の購入費用として200万円借りたとしよう。
それをそのまま米ドルに僕が赴任した時のレートである「1ドル=125円」でアメリカに送金したとすると、

200万円=16000ドル

となる。



帰任時にこの16000ドルを、例えば今のレートである「1ドル=115円」で日本に戻すとなると、


16000ドル=184万円

にしかならず、自分の意思とは無関係に



16万円!

の為替損が発生してしまう。



赴任時よりも帰任時が円安であれば、ホクホクいいながら帰れるのであろうが、逆になるとエライ損をしてしまう。


そんなこんなで為替ディーラーでもないのに、毎日為替レートが気になるのだ。


2002年07月16日(火) 今日の出来事ダイジェスト

出勤前。

3週間分溜まったゴミを捨てるため、ゴミ箱をガレージの外に出す。
ゴミの回収は一週間に一回のため、今日を逃すとゴミを溜めていたことが来週帰ってくる嫁にバレてしまう。

無事、証拠隠滅完了。





会社にて。

Eメールをチェックすると、とある議事録が送られてきていた。それを読むと、いかにも駐在室のチョンボで仕事が遅れたような書き方がされていたため、めちゃめちゃカチンとくる。

駐在1号の許可を得て、訂正を依頼する抗議のメールを送る。


自分のメールが的確に相手の急所を突いていることに、我ながら惚れ惚れする。






帰宅途中。

今日はまだ行った事のないラーメン屋で夕食をとろうと、車を走らせる。
駐車場を探しているうちに、ラーメン屋が閉まってしまい涙。







ラーメン屋にて。

それでもラーメンを食べたかった僕は、以前一回だけ行った事のあるラーメン屋にて坦々麺を食べる。
坦々麺を待っている間、入り口に置いてある女性雑誌(日本語)を手に取る。























雅子さま出産直前特集だった・・・(涙)
↑いつのやねん


2002年07月15日(月) ありがたいご近所さんのお話

家族が一時帰国してから3週間。

その間、いい加減な自炊や外食(ほとんどが日本食)で過ごしてきた僕に、またとないお話が舞い込んだ。

それは・・




















日曜日の夕食にご招待していただける!

という、涙がちょちょぎれるほどありがたい申し出を、近所に住むグループ会社の駐在さんご一家から頂いたことである。



実は、先週の日曜日もお誘いを頂いていたのだが、仕事が入っていたため泣く泣くキャンセル。
一回お断りしたので、もう日程的に難しいかな?と思っていたのだが、火曜日か水曜日頃に再度メールでお誘い頂いたため、今日、遠慮なく夕食をご馳走になった。
↑少しは、遠慮しろ!という嫁の声あり。


メイン・メニューは餃子だったのだが、いつも我が家で作っているのとは別の作り方で作った餃子で、なかなかしっとりしていておいしかった。


さすがに、夕食をご馳走になるのに手ぶらで行くわけにも行かず、1歳半を超えた息子さんにおもちゃを買っていったのだが、自分が1歳半の子供を抱えていた時に、どんなものを頂いたら嬉しかったのかをすっかり忘れており、おもちゃ売り場で30分以上もウロウロしてしまった。



ともあれ、今度我が家にご招待して、お礼をせねば。





















頼むぞ、嫁!
↑めっちゃ、人任せ。


2002年07月14日(日) 人生初の・・・

今日、3つめのプロジェクト・メンバーが帰国の途についた。

空港で見送った後、午後3時くらいから、駐在1号・3号と関連会社のオジサンとともにゴルフに行った。

僕はこれまでに、駐在3号と仕事帰りに何回かコースを回っていたため、そこそこ「普通に」回れるという密かな自信があったのだが、いつも回っているコースよりもずい分と難しいコースだったため、前半の9ホールを終わった段階で、初めてゴルフをした時のようなスコアを叩いてしまい、結構へこんでいた。

後半になって、ようやくエンジンがかかってきた時にその出来事は起きた。


パー3のショートホール。

僕の第1打は、グリーン横約1メートルくらいの浅いラフ、ピンまで約10メートルくらいのところに止まった。

僕はパターを使って2打目をピンに寄せて、3打目で入れれば御の字だと思っていた。


僕の第2打目。

カコン・・・という乾いた音とともに、ボールはピンに向かっていく・・・














コロコロ・・・・



















カシャン。






















ウォー!!入っちゃった!



この瞬間、僕は人生初のチップインおよびバーディーを経験した。























でも残りの3名は、駐在1号のボールを捜してグリーン下にいたため、目撃されず・・・(涙)





地味な人生初のバーディーだった。


2002年07月13日(土) 息子の欲しいもの

早いもので、嫁と子供が日本に帰ってからほぼ3週間になる。
来週1週間をしのげば、また家族揃っての生活が始まる。

息子にとっても3週間の小学校体験入学が残り1週間となった。
最近は友達の家に遊びに行ったり、遊びに来てもらったりしているようで、ずい分と友達も増えたようだ。

ところで、小学校に通うようになってからというもの、息子が毎日のように嫁にねだっている物が一つある。

それは・・・



















ランドセル。





3週間の日本での小学校生活のために、ランドセルをわざわざ買うのももったいなく、息子には

1000日アメリカに泊まって日本のもとの家に帰った時に、おじいちゃんに頼んでランドセルを買ってもらう

ということで言い含めておいたつもりだったのだが、やはり周りのお友達がランドセルで小学校に通っているのを目の当たりにすると欲しくなるものらしい。

また、クラスの女の子に、
























ランドセルで学校に来なきゃダメなのよ!

と指摘されたことも、原因の一つらしい。


なんやかんやの方法で、毎日嫁にランドセルをねだっている息子なのだが、ある日意外な作戦を考えついた。



















「おじいちゃんが病院からおうちに帰ったから、お見舞いの電話をするね!」
↑7月9日退院



















ランドセル狙いが丸見えです(笑)




嫁が、

「ファックスでお見舞いしたら?」

と、わざと意地悪な提案をしたところ、



















「まあ、いいや・・・」

と、お見舞いは中止になったようです。





















分かりやすすぎです>ウチの息子。


2002年07月12日(金) プロジェクト完了!(3件目)

なんやかんや苦しめられたプロジェクトの3件目も、今日で一区切りをつけることができた。

今まで携わったプロジェクト3つ全てにおいて、終わり間際になってドタバタしている。

今日すれ違った隣の会社の駐在さんに、


「たまには、普通にゆったりとプロジェクトの締めを迎えたいですヨ・・」

と愚痴ったところ、





















「ドタバタするのが普通です」

と、あっさり返されてしまった。






















立派なアメリカ人駐在員への道のりはまだ遠い。


2002年07月11日(木) 外国人と仕事をするということ(追記)

昨日の日記に関して、好評開催中のBBSにご来室頂いているるるさんより、カラカイ励ましのメッセージが入っていて、ちょっと思うところがあったので、今日もこの話題について。


アメリカに住み始めて約1年。大概の大らかさ(いい加減さ)には慣れてきたつもりではある。

特にプライベートに降りかかる不具合や、店で味わう不条理な対応にいちいち腹を立てていては、精神衛生上とてもよくないことは分かっている。

しかし、わかっていながら仕事のことについてとなると、とても腹が立つ。

何故か・・・それは、




















アメリカの会社に期待しているから

であることに、るるさんの書き込みを見て気付かされた。


確かにカメルーンの会社と仕事をするのであれば、

仕方がないなぁ・・この国相手のビジネスじゃ・・

と悟りの境地に入れると思うのだが、なまじっかアメリカの会社、それも大企業である取引先に期待をしてしまうためにイライラするのだと気づいた。



というわけで、個人的な精神衛生のことを考えると

アメリカの会社に期待してはいけない!

ということになるのだが、





果たしてそれが「本当の解決」と言えるかについては、はなはだ疑問である。


2002年07月10日(水) 外国人と仕事をするということ

本年度3個目のプロジェクトの完了が今週末である。
しかしながら、先週の水曜日からトラブルが継続しており、今日まで完了の目途が立たなかった。

僕達駐在や日本からの出張で来ているプロジェクト・メンバーは相手先をなんとか動かそうと必死で交渉を続けてきたが、相手の担当者は

「No Problem(問題ない)」

「It should be good!(きっと上手くいくさ)」


を連発し、遅々としてトラブルの原因特定は進まなかった。

しかしながら幸いなことに今日、ある日本からの出張者が相手先企業に先んじて問題点を発見したため、明日の朝に最終テストを行うところまではこぎつけることが出来た。


僕は明日のテストを何時から始めるかについて、相手先担当者と交渉することになった。

先方は、朝早くから出来ない理由を早口で並び立て、朝9時からのテストの開始を主張してきた。

僕達からすると、少しでも早くテスト結果を知ることが期限までのプロジェクト完了にとってとても重要なため、午前7時頃からのテストを希望していた。

僕の主張の背景には、これまで散々時間を浪費させられたこと(今日も朝6時に出勤したが、無駄足を踏まされた)や、最終的に僕達の方がトラブルの原因を見つけたという事実もあった。



僕はお互いの譲れる範囲として相手に午前8時を提案したが、

「午前8時といって遅れるよりも、午前9時といってきちんと始めたい」

と相手は再度主張してきた。


最終的な交渉の結果、結局僕の主張通り午前8時からのテスト開始という約束を取り付けることができた。






そのやりとりを横で聞いていたのが、相手先企業の契約担当者である。
彼はなかなか真面目なオジサンで、今回プロジェクトの完了がずれ込みそうなのを聞き付けて、僕達のためにいろいろ動いてくれていた。

僕は相手の担当者が帰ったあと、そのオジサンに

「あまり、言っちゃあいけないかも知れないけど・・
僕が9時からのテスト開始でいいよっていったら、きっと10時まではテストは始まらないんだよね・・」


と、つい愚痴ってしまった。

オジサンは、




















「本当に申し訳なく残念だが、君の言う言葉を否定することはできない」

と、沈痛な面持ちで僕に答えた。


アメリカ人の中にも、日本的なビジネス・マインドを持って仕事をしている人がいることを知って、少しだけ救われた気がした。
↑注:常に日本式が正しいと言っているわけではありませんヨ


2002年07月09日(火) Don't Drink & Drive

昨日の夜は、出張に来ている同期二人とともに、夕食をともにした。

二人とも同じ社宅に住んでいたため、家族の話も含めて話が盛り上がり、お酒もいつもよりは多少すすんだ。

いつもは帰りの運転のことを気にして、ビールを2杯以上は飲まないのだが、昨日に限っては3杯飲んでしまった。
↑そもそも飲むな!っちゅうツッコミあり・・(汗)

お店を出て、同期をホテルまで送っていこうと車を走らせたところ、いきなり




















ガッタン!

という音とともに、車止めに乗り上げてしまった。



こちらの駐車場では、前方が壁や歩道でない限り駐車場に車止めがあるケースはほとんどないのだが、なぜかその場所に限って車止めがあった。

ありゃりゃと思いながら、車をバックさせて車止めから脱出してホテルに向かったが、道を間違えて途中でUターン。

あれ?なんかおかしいな?と思いながらホテルにたどり着いたところ、行き過ぎて再度Uターン。



















これって、酔っ払い運転の典型的なパターンですかね・・(反省)





【おまけ】

そのあと家までは、いつもより慎重に運転したことは言うまでもない。



2002年07月08日(月) 自炊内容(途中経過)

7月4日木曜日(夕食)
・ごはん
純豆腐(韓国料理:キムチ汁で豆腐を煮込み卵を入れる)
・ビール2本


7月5日金曜日(朝食)
・ごはん
・味噌汁
辛子明太子(日本土産)


7月6日土曜日(朝食)
明太子茶漬け


7月6日土曜日(夕食)
・ごはん
麻婆豆腐
Hot & Sourスープ
・ビール2本


7月7日日曜日(朝食)
・ごはん2膳
Hot & Sourスープ




僕の食事偏ってますか?


2002年07月07日(日) 社長のお見送り

社長は野球を観戦した翌々日の木曜日に帰国された。
ウィークデーにエライさんが帰国する時は、駐在1号のみが空港までお見送りに行くのだが、今回は祝日(独立記念日)ということもあり駐在3号とともにお見送りをすることになった。


空港に社長ご一行が到着する時間は、午前10時45分頃ということだったので、僕は10時半ごろ空港に行く予定にしていた。

その朝、9時ころ起床した僕は、前の日に風呂に入らなかったため、朝風呂を浴びていた。ウチの風呂はとてもひろく天窓もあるため、天気の良い日に朝風呂をするととてもリラックスできる。


リラックス、リラックス・・♪



















気が付いたら10時10分・・・(滝汗)
↑リラックスし過ぎ・・・


慌てて服を着て車を飛ばして空港に向かった。
空港に着いたのはジャスト10時45分ころ。


間に合ってくれーーィ!

という願いの結果、




















社長ご一行は既にチェックインカウンターで手続き中・・・・(撃沈)





















まあ、何事も無かったように輪の中に入り、最初から来ていたような顔をしましたけどね・・・。


駐在1号に遅刻の件を怒られるかな?と思っていたら、駐在1号から意外な指摘が。



















「ネクタイは?・・(怒)」


「エッ?・・・・・」




















確かに駐在1号からは

「休日だけども、ジャケット着用」

の指示が出されていた。






















でも、ネクタイ着用とは聞いてませんよ!
↑駐在2号&3号の心の声


2002年07月06日(土) 社長登場&スイートルーム

僕がアメリカに帰ってきた日は、我が社の社長が当地を訪問する日でもあった。
社長は経由便で当地に入る予定であり、僕は直行便で戻る予定であったため、社長よりも早く戻ることができる計算であった。

ところが!

直行便がオーバーブッキングのため乗れないことが成田で判明し、僕も急遽経由便に切り替えることになった。
↑安チケットの悲哀ナリ

このことにより、本来であれば経由地で社長と遭遇するはずであったのだが、経由地での入国審査に時間がかかったため、結局僕は社長をひとつ後の便で追いかける形になった。

僕は、

ヤバイ、このままでは社長が駐在室に到着される時にお出迎えできない!・・・(滝汗)

と焦っていたのだが、長旅の疲れからか、社長は空港から駐在室に直行する予定をとりあえずホテルに向かうよう変更し、駐在室への立ち寄りは翌日にされたため大きな問題は発生しなかった。




その夜にはメジャーリーグを観戦しながら夕食を食べるというイベントが取引先により計画されており、社長はホテルで少々休まれた後に球場に向かった。

僕は空港から会社に直行し、会社に置いておいたスーツに着替えてから球場に向かった。野球を見に行くためにスーツに着替えるというのもナンセンスな話ではあるが、社長に会う時にジーンズやポロシャツというのもどうかと思われたため、安全策を取ることにした。



球場では初めてスイート・ルームなる場所にて野球を観戦した。
駐在2号のワンポイント英会話:スイート・ルーム=Suite Room(直訳:一式揃った部屋)  Sweet Room(甘い部屋)ではないので注意!

球場によってスイート・ルームの場所は異なると思うが、僕のいった球場では、バックネット裏にある放送ブースの一つ上のフロア部分であった。

スイートルームには、野球観戦用椅子が6×3列おいてあるのに加え、その後ろには20畳くらい部屋が用意されていた。
食事はピザやスペアリブなどをその部屋に並べておき、おなかが減った人がビュッフェスタイルでお皿に盛るというものだった。

僕にとっては初めてのスイート・ルーム体験であったため、とてもワクワクしていたのだが、実際のところ




















野球は遠くて見づらかったっす・・(涙)
↑野球を見るなら内野席ですな。贅沢いっちゃいかんというのは知ってるんですけどネ


2002年07月05日(金) 息子 in 日本の小学校

嫁の夏休み特別企画として、掲示板を立ててみました。
掲示板の運営は初めてなので、どのくらい大変なのかがよくわかりませんが、とりあえず嫁と子供が帰ってくるまでの間、開催したいと考えています。
みなさん、遊びに来て下さいね!

駐在室へようこそ!



7月1日から夏休みまでの3週間、息子は嫁の実家近くの小学校に通うことになった。

今年から日本の小学校でも英語を学習するようになったようで、息子の通う小学校でもちょうど息子が通い始めた7月から授業が始まったそうだ。


嫁が用事で学校に行き、教頭先生にお会いした時に、

「今日から英語の授業なんですってね」

と何気に聞いたところ、

嫁が英語の授業を見たがっている

というように英語担当の先生に伝わったようで、結局嫁は英語の初回授業を参観することになった。
↑無論、参観者は彼女一人・・・




初回の授業は、「ものの形を英語で表現する」というもので、

Circle, Square, Triangle

などを習っていたそうだ。


先生の英語での指示をもとに、輪になったロープを二人組みで丸や四角にするという内容で、息子は友達とともに三角を作って教室の前で発表したそうだ。


息子は友達の持つ方の三角形の底辺が下がっているのが気に入らなかったようで、その友達に向かって、



















UP!

と指示をしたのだが、




















黙殺されたようだ・・・(笑)






【おまけ】

そのほかにも、メガネや窓の簡単な英単語なども教わったそうだが、息子はきちんとGlasses! Window!と答えられたとのことだった。

よかったよかった。


2002年07月04日(木) 愛娘 in 日本の幼稚園

昨日、アメリカの自宅に帰ってきました。
なんやかんやあって、実家を出てから帰宅するまで24時間かかってしまいました・・(疲)。

帰宅して嫁に到着報告の電話を行い、最近の子供達の様子を聞きました。
息子は小学校に体験入学を行い、娘は幼稚園に一ヶ月だけ入園しています。




「ウチの娘は日本の幼稚園に順応してる?」

「うん。日本の幼稚園だから、日本語しゃべらなきゃ・・って言ってるわョ」

「ふーーん、彼女なりに考えてるんだねェ」

「でもねェ・・この前、ストローに絵の具をつけて、ふーっと吹いて画用紙に色をつける遊びがあったのね」

「ふむふむ」

「そうしたら、風船の先にシャボン玉ができてね・・・ウチの娘は先生に大きな声で・・・」




















「先生!Bubble(バボゥー)が出来たョ!」





















何かィ?アンタの中では、バボゥーも日本語かい!?


2002年07月02日(火) 実家より(その3)

昨日、オヤジに対する告知が行われた。
僕とオフクロも同席して、手術を執刀した先生から丁寧な説明を受けた。

全く転移がないと信じていた(信じたかった)オヤジにはとても酷な告知ではあったが、動揺するそぶりも見せずしっかりと先生の説明をオヤジは聞いていた。

本当に尊敬します。


説明を受けたあと、オフクロは目を真っ赤にしていたのでお手洗いに逃げ込み、僕とオヤジだけが先に病室に戻った。
オヤジは僕に

「俺は今のレベルの抗がん剤の治療で充分だと思っているんだよね」

「副作用の無い範囲で、一番強いものをやってもらえば?」

「いやぁ・・・いまのが丁度いいと思うんだよね」

「そんなこと勝手に決めちゃだめだよ。負担の無い範囲で強い抗がん剤をやるって言えば、オフクロも安心するんだから!自分のことだけじゃなく、オフクロのことも考えなきゃ。」

「・・・」




結局、僕の提案がオヤジの中で承認され(笑)、強い抗がん剤を試してみることになった。
↑「オフクロが心配する」と言ったことが効いたかな?






ところで今回の僕の一時帰国は、オヤジに対しては

「東京への出張ついでにお見舞いに行く」

という話にしておいたのですが、昨日帰り際の

「明日アメリカに帰るのか?」

というオヤジの質問に対して、おフクロが

「そうそう、忙しいから早く帰らないとイケナイのよね」

と間髪入れずにオヤジに答えてしまいました。






















土曜日夜に到着して、週末と月曜日にお見舞いをして、火曜日に帰国するなら、僕はいつ仕事をするのでしょうか(笑)


2002年07月01日(月) 実家より(その2)

昨夜は近所に住むおばさん(オフクロの妹)の家に行き、夕食をご馳走になった。
というのも、オフクロが趣味のダンスに行ってしまったからだ。

オヤジは午後7時までに病院に戻ればよかったので、僕が6時半ごろ車で送っていくことになっていたのだが、オフクロは午後4時半にそそくさとダンスに行ってしまった。
↑看病する気あんのか(笑)


家に取り残された男ふたり。




















何を話せっちゅーねん。

結局テレビでゴルフ&笑店を見るという日曜日のゴールデンコースの後、オヤジを病院に送って行った。



病院から実家に帰る途中に、携帯に電話があった。

おばさんからかな?と思っていたら、オヤジからの電話で、
























「悪い!薬を家に置いてきたから、とって来て!」



「・・・」




















直す気あんのか!>オヤジ厳重注意。


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