部長motoいっぺい
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2002年06月30日(日) 実家より

18時間以上の長旅の末、実家に到着。
(オフクロのコンピューターより日記更新中)

家に着くと、オヤジは一時退院で自宅に帰っておりソファーに横になっていた。
病院で対面するよりはショックが少なかったかな?

声にいつもの力が無かったけど、とりあえず顔色もよく一安心。

お土産に買ったマグカップ(アメリカ人がよく使っている、ばかでかいやつ)をあげたら、


病院で使おうかな?

とちょっとご機嫌。


2002年06月29日(土) ジャパーン!(郷ひろみ風に)

今から一時帰国しまーす!

しばらく日記はお休み、かな?


2002年06月28日(金) プロジェクト完了パーティー2

今年度二つ目のプロジェクト打ち上げパーティーがあった。
前回の時は、高層ビルの会員制クラブなんぞでエライさんも含めて厳かに行ったのだが、今回は二回目ということもあり、カジュアルパーティーとなった。

で、そのパーティー会場なのだが、なんと・・・






















カートレース場!


レース場と言ってももちろん室内で、Waiting Roomにバーが併設されているようなところである。
↑これって、飲酒運転奨励か?(笑)

カートレース場を、一応貸しきりにして(といっても他の人も入ってくるんですけどね)、ビュッフェスタイルでおのおの食事をとったり、ビールを飲んだりするという形態だった。

Waiting Roomにはゲームセンターも併設されており、ビデオゲームに加えて、エアーホッケーやバスケットボールゲーム、ビリヤードなどがおかれており、自由に遊ぶことができた。




取引先のおじさんが、バスケットボールゲームをやっていて(一定時間以内に何個入るかを競うもの)、えらく上手だったので、

Good Job!と冷やかしたら、





















うん、家に一つ持ってるからね
と平然と言った。


そりゃあウマイ訳だ。





















っていうか、なんでそんなもの家に持ってる!?


2002年06月27日(木) 一時帰国決定!

今日、奇跡的(急転直下・代打逆転サヨナラ満塁ホームラン級)に予定通り二つ目のプロジェクトが完了したため、金曜日から火曜日にかけて一時帰国をすることにした。

プロジェクトが水曜日中に方が着けば金曜日に帰国、木曜日中に終われば土曜日に帰国、それ以降であれば別の機会を見つけて帰国しようと思っていた。

今日の昼まではプロジェクトの完了が週末にずれ込み、今回帰国することは見送ろうと思い、こちらの午後3時、日本の午前7時にオフクロのところにその旨を伝えた。

すると、




















「お父さんの病状について、月曜日にお医者さんから説明をあなたと一緒に聞くことになっているから、なんとしてでも帰ってきて!」

と相変わらず無茶なことを言ってのけた。





まあ、オフクロが無茶なことを言うのは日常茶飯事ではあるのだが(笑)、仕事をなんとかやりくりして帰ってこいというのは、正直言って初めて聞いた。

やはりオフクロも、相当不安なのだろう。


まあ、息子と娘も嫁の実家に移動したようだし、



















真打ち登場!

といきますか(笑)
↑行くことで親孝行になるなら、こんな時ぐらい帰国しなきゃね。






【補足】

決しておいしいラーメンを食べに帰るわけではありませぬ。
食べないとも言いませんが。


2002年06月26日(水) ラーメン食べたかった

家に帰っても家族が誰もいないと思うと、ついつい仕事をダラダラやってしまう。
今日も帰ってきたのは午後10時半。まあ、今日の場合は突発で仕事が入ったので、ダラダラ仕事をしてたわけでもないのだが。

日本にいた時は仕事で遅くなりそうになったら、社員食堂に行ってうどんでも1杯食べて仕事を続けたものだが、今の勤務先には夜やってくれる食堂はない。
もちろん、日本でも夜に営業している社員食堂がない会社もあるとは思うのだが、その場合でも会社の外にでればすぐにレストランやコンビニなどがある会社が多いと思う。

ところが、今の勤務先は町外れにあり、何かを食べようとすると少なくとも車で10分くらいは走らねばならない。忙しいからおなかがすく時間まで残業しているのであって、そんな時に往復20分+食事時間を費やすのは論外だ。

まあ、そもそも会社で残業して夕食を家の外で食べるなんて習慣は、この国の人にはあまりないと思うので、会社の近くに夜やっている食堂がある方が不思議だ。

というわけで遅くまで仕事をするときの腹の足しは、主に出張者がお土産に持ってきてくれる



















煎餅


今日もコンピューターの前で、バリバリ煎餅をかじりながら残業をしていた。

ただこの煎餅にも弱点はある。
それは、



















すぐに電話に出れない!

ということである。
そのため、勤務中の煎餅は小口に分けて食べることがとても重要である。
↑エラソウに書くほどでもないな、こりゃ。





















今日も煎餅で午後9時半まで、すきっ腹をなんとかごまかし、帰り際に大好物であるラーメン!(←僕の住む街には日系のラーメン屋さんが数件ある)を食べにいこうと思い、車を走らせた・・・が、
























既に閉店してました・・・(号泣)




結局悔しかったので、家に帰って蕎麦をゆでて食べましたとさ。


2002年06月25日(火) 親孝行とは

最近、アクセスカウンターにあんまり気を配っていなかったので、果たして昨日いくつアクセスがあったのか定かではないのですが、概算でいつもの3倍くらいアクセスがあったように思います。
それもこれも超人気日記作家、大腸菌とデート日記のきゃたつさんのホームページである愛と馬の世界のトップページにある業務連絡欄に、この日記がリンクされたためです。
超マイナーサイトのため、大手のきゃたつさんの日記を勝手に文中リンクしていましたが(←そんなこっちゃいかんのですヨネ・・・汗)、それを発見していただいたようです。

きゃたつさん、本当にありがとうございました。(一応お断り済み)



日本に向けて旅立った嫁からは、いまだ連絡がない。
でもどうやら日本に到着したことは、日本の銀行口座からお金が引き落とされたことをオンラインバンキングで確認できたことでかろうじて判明した。

でも




















1万5千円の引き落としってえらく中途半端じゃないか(笑)

どうせなら、5万円くらいおろせや>嫁。



今は太平洋標準時刻で午後11時。
日本では午後3時にあたる。

今ごろは、子供達と一緒にオヤジを病院に見舞っていることだろう。







ところで、

自分は親孝行な子供だ!

と胸をはっていえる人はどのくらいいるのだろう。
僕はとてもではないが言えない。高校を卒業するとともに家を離れ、さらに今は国をも離れているし・・・。


でも、子供を持った人ならこの気持ちが分かってくれると思うのだが、一番の親孝行って、自分の子供を自分の親のところに連れて行くことではないかと思う。

僕は親に甘やかされて育ったとは決して思わないため(どちらかといえば僕にとって厳しい親である)、自分の親が自分の子供達、すなわち孫を目に入れても痛くないほど可愛がっているのを見ると、とても不思議な感じがする。

とくに今はオヤジの病気により、両親とも精神的に不安定になっているであろうから、遠方、それも海外からの孫の見舞いは何よりの親孝行だと思っている。


自分に親孝行が素直に出来ない分、息子と娘に活躍してもらうことにしよう。
↑そんなこっちゃいかんですかネ・・


2002年06月24日(月) 今日からしばらく一人

今朝、嫁と子供達は日本に向けて出発しました。

朝7時前の飛行機で経由地のサンフランシスコに向かうため、家を出たのは午前4時半。
子供達がグズるかな?と思っていたけれども、意外と寝起き良く起きてくれました。

起きないと日本に行けないよ!

の一喝が効いたのでしょうか(笑)



嫁は荷造りやらなんやらで寝たのは午前1時頃だったので、3時間しか寝ていないようです。
これが、時差ボケ解消に役立つと良いのですが。
↑嫁はいつでもどこでも眠ることができるので、時差ぼけと無縁という話しが・・(笑)


今ごろは、ちょうど日付変更線のあたりを飛んでいることでしょう。


家族を空港に送り届けてから、家に帰って一眠り。
起きてインスタントラーメンをブランチ代わりに食べて、テレビで野球観戦をしながらまた一眠り。





















こんなことじゃいかん!

と一念発起して、ジムに行ってひと泳ぎ。



あとは、飯を食って寝るだけです。
僕は完全な和食党なので、自分でご飯を炊くか、日本食レストランに行くしか選択肢がありません。


今日はどこの日本食レストランにしようっかな(悲喜こもごも)


2002年06月23日(日) 家族の夏休み

息子のKindergartenが終了したため、家族が夏休みをとることになった。

別の名を





















一時帰国

とも言う。




まあ、もともと20日アメリカに住んだら、日本に帰ることを考えると息子に約束した経緯もあり(こちらの日記参照)、300日以上経過した今となっては一時帰国もいた仕方ない。
↑まあ、子供よりは嫁のほうが帰りたがってますが(笑)


僕のオヤジがまだ入院中のため、日本に着いてからは嫁の実家に帰る前に、僕の実家に3泊してお見舞いをする予定にしている。
↑子供が騒いで病状が悪化しないと良いのですが(笑)

その後は嫁の実家に行き、息子は近くの小学校に夏休みが始まるまで体験入学をする。


約一ヶ月の一時帰国。
僕の仕事もこの先めちゃめちゃ忙しくなるのが見えてるし、まあいいか(諦)


2002年06月21日(金) 幼稚園の通信簿

前にも書いたが、こちらのKindergartenは小学校0年生のようなものなので、宿題もでれば、通信簿もでます。

通信簿はスクール・オフィスから郵送されてくるのですが、期末である今日我が家に一年間の息子の成績表が届きました。

特筆すべきは、



















祝!読書レベル=標準!

いままでは、読書レベルは判定不能だったんですよ。
それが期末になって標準!

夫婦とも超感動。
学校の言うとおり、毎日本を読んだことが良かったのか、それとも彼が学校で頑張ったのか(多分両者の相乗効果だと思いますが)、いずれにしても渡米して一年でネイティブの子供と遜色ない通信簿をもらうことができました。

















来年も頑張ろうな!


2002年06月20日(木) Kindergarten卒業式

今日は息子の卒業式だった。

いくら侘び寂びのない国アメリカでも、卒業式はあるようだ。
そういえば、映画でハイスクールの卒業式を見た覚えがある。

しかしながらKindergartenの卒業式は、映画で見たような立派なものではなく、教室の中でこじんまりと行われた。
教室の真ん中に子供達が輪になって椅子に座り、その周りをビデオをとった親が取り囲むという感じだった。

音楽とともに子供達が教室の中に整然と入ってきて椅子に座り、歌を3曲披露してくれた。
そして、ミス・アンジェラが一人ずつ名前を呼んで、手作りの卒業アルバムを一人一人に手渡し、なぜか



















ハイタッチ!
駐在2号のワンポイント英会話:ハイタッチ="Five! Five!"または"Give me Five!"

をしていた。



アルバムを配り終わった後は、各家庭から持ち寄った料理をカフェテリア方式で皿に取り、パーティーとなった。

息子の通う学校には、様々な国の生徒が通っており、その中でも息子のクラスはとてもバラエティーに富んでいる。

日本・韓国・中国・メキシコ・インド・ロシア・エジプト、そしてアメリカ。

今日のランチはさながら、多国籍料理のようだった。



僕は午後には会社に行かねばならなかったので、ランチを食べ終わるとすぐにミス・アンジェラのところに行き、一年間の感謝の念を述べた。

するとミス・アンジェラは、


「あなたの息子は、一年間とても良くやったわ。英語もちゃんと覚えたし」





















「私の息子にして、ウチに連れて帰りたいぐらい(笑)」


ありがたい褒め言葉ではあったが、養子にされてはかなわないので、はっきりと


「NO THANK YOU」
と言っておいた(笑)


僕もミス・アンジェラも、息子が最初にクラスに入ったときの大変さを見ているので、彼の成長ぶりを素直に喜ぶことが出来た。



卒業式では、もう一つ僕を感動させることがあった。
それは、嫁である。

前にも書いたが、嫁は学校でボランティアを週に2回ほどしていた。
そのおかげで、子供たちはすっかり彼女のことを覚え、嫁のことをファーストネームで呼んで、とてもなついているようだった。

彼女には子供たちの他にも、ボランティアを通じて知り合った他の保護者や先生方の知り合いも多く、いろいろな人と英語で言葉を交わしていた。








I'm proud of my SON & WIFE!


2002年06月18日(火) 高校生に洗車をしてもらう

これも映画を見に行った土曜日のこと。

この先の天気予報が晴天続きだったため、車を洗おうと思い立った。
この街に住む人々は、意外なほど車をきれいにしている。

車を洗いに行く前に、息子を日本語補習校に迎えに行く時のこと、近くのハイスクールの角で、高校生の女の子が「洗車します」という看板を持って、客の呼び込みをしていた。

これだけを聞くと子供が小遣い稼ぎをしているように聞こえるであろうが、そうではなく、学校のクラブなどが寄付を募るために、洗車などの活動をしているのだそうだ。

以前に駐在1号から、

「寄付みたいなモノだから、機会があればやってみれば?」
駐在2号のワンポイント英会話:寄付=Donation(ドネィション)

と言われていたのを思い出し、息子を学校でピックアップした後、洗車をしてもらうことにした。



入り口に立っていた女の子に

「How much?」

とめちゃめちゃベタな英語で聞いたところ、

「Donationだから、いくらでも良いんですよ。5ドルでも、10ドルでも、20ドルでも!」

と、さわやかな笑顔で答えが返ってきた。

洗車場所はハイスクールの駐車場で、ホースを水道の蛇口から引っ張ってきており、生徒達が何人かで僕の車を洗ってくれた。
お金がからむせいか何人かの大人も付き添っており、生徒に拭き忘れの箇所を指摘したりして、なかなか厳しく指導していた。

お金を稼ぐことの厳しさを学ぶことと、寄付金を集めるという両方の目的を同時に達成できるこのシステム、日本でもやってみるといいなと感じた。



ちなみに僕は、いつもガソリンスタンドで洗車に払っている7ドルに1ドルを上乗せした8ドルを寄付してきました。


2002年06月17日(月) 家族でHOOTERSに行く

昨日映画を見に行った後、時間も遅かったので外食をすることにしました。

行ったのはHOOTERS(フーターズ)
どんな店かと言うと、こんな店です。


HOOTERSのことを中途半端に知っている日本のオヤジどもは、

ムフフ・・

とあらぬ想像をする店なのですが、実際にはフライドチキンを売る普通のファミリー・レストランです。

ただ、ウェイトレスがだいぶちょっとスタイルの良いアメリカンなおねえちゃんで、そのおねえちゃんが着る制服が、Tシャツにホットパンツというだけの話です。

もちろん嫁と子供をHOOTERSに連れて行くのは初めてだったのですが、嫁は

「日本じゃ、こんなバイト店員集まらないわね」
↑どんな店員じゃ?

と、しきりに感心しておりました。


息子はといえば、




















なんで体操の選手がいっぱいいるの?

と言っておりました(笑)


2002年06月16日(日) スクービー・ドゥーを見に行く

今日、家族4人で映画を見に行きました。
家族4人で映画を見に行くのは、日米あわせても初めての事です。

嫁は
「子供達も大きくなったわねぇ」
と感慨深げに言っておりました。


ところで、今日見に行ったのは、

Scooby Dooという、アニメの実写版の映画です。(アニメ版はこちら

このアニメは、Cartoon Channelというケーブルテレビのアニメ専門チャンネルで放送されており、ウチの子供達が良く見ているものです。

僕はあまり見たことがないのですが嫁によると、仲間4人とスクービーという一匹の犬のチームで、いつもお化けにからんだストーリーが展開されるというものです。

ウチの子供達にとっては最近見ているアニメなのですが、アニメ自体は最近のものではなく80年代から続くものらしいので、

今なぜスクービー?

という気がするのですが、まあ良しとしましょう。


行く前は、

アニメじゃないから、子供がどう反応するかな?

英語がわからないから、つまらないかな?


などと思っていたのですが、やはり子供向きの映画ということもあり、楽しむことができました。




この夏は、Powerpuff Girlsも映画化されるらしいので、嫁と子供達が日本から帰ってきたら見に行こうかと思います。
↑日本でもテレビ東京系で放送してますよね









【今日の疑問】


何故、アメリカの映画はこんなに安くできるのか?
(っていうか、何で日本はあんなに高いのか?

↑今日は4人合わせて19ドルでした。


2002年06月15日(土) 学校からの手紙

息子が通う学校の事務所からは、月に一回ぐらい手紙が届く。
子供が学校に通っているのだから、手紙を子供に渡せば経費節減にもなると思うのだが、なぜか手紙が届く。

今日届いた手紙の内容は、次のようなものだった。



月に5日以上または年間10日以上無断欠席をした場合は、州法に基づきペナルティーが科せられることがあります。
あなたの息子は5月に5日無断欠席をしたので、注意してください。




















ハァ??

息子が学校を休んだのは水疱瘡だった一週間のみで、学校にも連絡済みだ。
それも、嫁からと僕の両者がそれぞれ別の担当者に連絡を入れている。
(5月4日の日記参照)

なのに、息子は無断欠席扱い・・・。




















エエ加減にせーよ、スクールオフィス!


2002年06月14日(金) イタズラ大作戦(作戦決行!)

↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
イタズラ大作戦(過去の戦績)
イタズラ大作戦(偶然の出会い)



偶然にも駐在3号夫婦の知り合いである金本さん(と、その彼女)に出会ったため、僕は即座に

駐在3号を驚かしたろォ
↑悪魔のササヤキ

と思いついた。


まあ、そのうち駐在3号夫婦を家に招いた時に、金本さんたちを登場させれば盛り上がるかな・・と単純に思っていた。

ところが・・

結構我が家もいろいろと忙しくしていたり、駐在3号夫人が一時帰国したりしていたため、結局約半年間以上も内緒の日々が続いてしまった。

その間、駐在3号夫妻と金本さんたちはどんどん親しくなっていき、冬には一緒にスキーに行ったりもしていた。


別に僕が謀ったわけではないのに、どんどん自分でネタを積み重ねていく駐在3号。
金本さんたちの話題が会社などで出るたびに、必死に笑いをこらえる僕。




そして先日、ついに作戦を実行に移した。

まずは金本さんたちに、メールで作戦参加への意思確認とスケジュール調整。
金本さんの彼女からGOサインが出たため、僕はまず一度家に呼ぼうと思っていた長期出張者二人に声をかけ、土曜日に我が家へお招きした。



そして、駐在3号。

「今度の土曜日、長期出張者を家に招待するんだけど、駐在3号くん夫妻もどうかな?」
↑めちゃめちゃ良い先輩を装って・・

「ええ、特に用事も無いので、嫁と一緒にお伺いしますヨ」

ということになった。


金本さんたちは、駐在3号夫婦が我が家に来る30分後に到着することにしておき、運命の夕食会はスタートした。


その結果。



















人は驚いた時には、本当に目が丸くなる!
という事実を僕は確認した。








駐在3号夫婦は

「何で知ってるんですか!?」
「何でぇ??なんで知ってるの???」

と極めておいしい反応をしてくれました。







おしまい。


2002年06月13日(木) 悪夢だと良いんだけど

前置き

今日の日記は、いつもの駐在日誌と違います。
悲しい気持ちでいっぱいの日記なので、いつもの日記をお望みの方は読まないで下さい。
わがままを言ってすいません。























昨日はショックで日記を書けなかった。


息子が馬鹿な日記を書いている間に、日本ではオヤジが大変なことになっている。

6月11日は、オヤジの開腹手術の日だった。
手術前の検査では転移がないとのことだったので、不幸中の幸いだと家族の誰もが思っていた。

が、

手術をしてみると、腹膜に転移があるという。

詳しいことは分からないが、医師によると腹膜のガンというのはCTスキャンなどで事前に見つけることができず、かつガンの部分を取りきることが出来ないのだと言う。
手術中に見える部分は取ったのだそうだが、全部取りきれたとは言えないと言う。

つまり遠くない将来、再発の可能性が極めて高いのだそうだ。

医師から直接宣告された母・兄は、どんな気持ちでこの事実を聞いたのだろう。


オヤジ66歳。
ちょっと早すぎやしないか?


2002年06月11日(火) イタズラ大作戦(偶然の出会い)

↓お読みで無い方はこちらを先にどうぞ。
イタズラ大作戦(過去の戦績)



僕の住む街には、日本人コミュニティーのためのWEB SITEがある。
僕はそのBBSで、いろいろな情報を入手(主にROM)していたのだが、米国同時多発テロの頃から、気になるツリーを目にするようになった。

それは、とても高度な知識を持った人たちが、世界情勢について語り合っているツリーであり、いろいろと考えさせられるものだった。

その人々がオフ会をするという。

僕はそれまでにオフ会なるものに出たことがなかったのだが、是非そのメンバーを見てみたいという欲求と、会社以外で日本人の知り合いを得る良い機会だと思い、思い切って参加をしてみた。

一回目のオフ会には、合計6名の参加者だったのだが、その中に地元大学の博士課程に通いながら、学生に国際政治を教えている金本さん(仮名)がいた。

自己紹介になり、僕が勤めている会社の名前を出すと、金本さんは













「その会社って、駐在3号さん(もちろん仮名)もいますか?」

と、驚きながら僕に尋ねた。



「をを!いるもいないも、3人しかいない駐在の一人でんがな」

と僕は答えた。

そういえば、数日前に駐在3号が、どこかで知り合った地元大学に通う日本人と仲良くなり、サンクスギビングの日に一緒に七面鳥を食べた話をしていたことを思い出し、そのことを金本さんにつたえたところ、

「そうです。ご一緒しました!」

という。



逆に、金本さんからは

「先輩社員の家にお呼ばれして、ご飯を食べたと駐在3号さん言ってましたが、駐在2号さんのことですか?」

と尋ねられたため、僕は笑ってそうですと答えた。




















何たる偶然。
↑っていうか、日本人社会狭すぎ。




金本さんからは、

「ここで駐在2号さんにお会いしたことを、駐在3号さんに話して良いんですか?」

と尋ねられたため、僕はハンドルネームがばれると恥ずかしいから、という理由で当面の間内緒にしてもらうことにした。



しかし、内緒にしてもらう本当の目的はそれ以外にあった。


(以下次号)


2002年06月10日(月) イタズラ大作戦(過去の戦績)

昨日は駐在3号夫婦と長期出張者を、我が家の夕食に招待しました。
とても愉快な夕食だったので、いつもよりも飲みすぎてしまい、朝4時半に日本vsロシア戦を見るために起きたときには、少々二日酔い気味でした・・・。

ところで、ニッポンは頑張りましたね。
次のチュニジア戦も是非勝って、決勝トーナメントに進出することを祈っています。


話を戻して、

愉快な夕食だったというのは、話が弾んだこともあるのですが、駐在3号夫婦に僕がとあるイタズラを仕掛け、彼らがまんまと引っかかったことも理由の一つです。


僕は数年に一度、誰かに無性にイタズラをしたくなります。
これまでのターゲットは主に嫁でした。
ここのところはご無沙汰ですが、毎年エイプリル・フールには、かならず嫁を引っ掛けることに執念を燃やしていました。




数年前のエイプリル・フールのこと。

結婚してから、4年連続エイプリル・フールに騙されている嫁は、

「もう今年は騙されないわヨ!」

と意気込みを見せていました。
僕もその年はとても忙しく、良いネタが浮かばなければ本当にやめようと思っていたのですが、3月末になって急にあるネタを思いつき、実行に移しました。

そのネタとは、



















一人時間差攻撃!


つまり、家中の時計を1時間早めるのです。
そうなると、朝の7時にも関わらず、

日本中で彼女だけが朝8時だと思い込んでいる

状態が発生します。

もちろんテレビをつけられてしまうと、このイタズラにすぐ気が付かれてしまうため、テレビは付かない状態にしておきました。

そして出勤の時間については、

「ユウベ遅かったから、一時間出勤を遅らせる」

といい、
↑実際午前様の日が続いて疲れていたのですが・・イタズラは別腹なので(笑)
実際には午前7時のいつもと同じ時刻の出勤にも関わらず、


一時間遅れて出勤したものと嫁が信じている

状態を作り出したのです。

僕が家を出た段階で、



















嫁の5年連続敗北決定!







嫁は午前11時くらいまで、僕の仕掛けた罠に気がつかなかったそうです。
嫁いわく、


「いつもより遅い時間にサラリーマンの人が歩いていた」

「家の時計の狂い具合が、少しずついつもと違っていた」

「テレビがつかなかった」


状況には気づいていたのですが、一時間ずれていることに気づくまでには至らなかったそうです。



最終的には、僕が唯一ずらさなかった

寝室のエアコンのリモコンについている時計
↑嫁が寝ていた場所にあったし、そんな時計を見ないだろうと思った

が、他の時計より一時間遅れていることから、全てのいつもと違う事柄が結びつき、117番で確認して自分が敗北していることに気が付いたとのことでした。

それ以来、なかなかヒット作を思いつかず、年も年だしそろそろイタズラ業界から引退しようかと思っていたのですが(笑)、ひょんなことから駐在3号夫妻に対するイタズラネタを手に入れた僕は、昨日それを実行に移したのでした。


(次回に続く)


2002年06月08日(土) フリーウェイについて思う

たまに米国人に聞かれる質問に、

「アメリカの中で何が一番好き?」

というものがある。
僕は

「フリーウェイかな」

と答えることが多い。


ご存知のように、アメリカの高速道路はごく一部を除き無料である。
僕のように、毎日片道29マイル(50キロ弱)の道のりを通う人間にとって、フリーウェイは大変ありがたいものである。
日本のように通行料金をとられたら、家計は火の車になってしまう。

しかしながら、無料ということだけがフリーウェイを好きな理由ではない。


都市部のフリーウェイには、カープール・レーンなるものがあることが、僕がフリーウェイを好きなもう一つの理由である。

カープール・レーンとは、一台の車に2人(場所によっては3人)以上乗車している車のみが走ってよい車線のことであり、いわゆる相乗り奨励のためにつくられた車線である。

僕も通勤時には一人なので、カープール・レーンの恩恵にあずかることは少ないのだが、好きなのは皆がそのルールをきちんと守っていることだ。

まあ、これにはルールを守る国民性以外にも理由があるのだが(頻繁な取締り・違反車両の通報制度・高額の罰金など)、それにしてもカープール・レーンという考え方には大いに賛同できる。

日本でこの制度を取り入れるには、いろいろハードルが高い(スペースの問題・そもそも相乗りが米国に比べて少なくないなど)と思うが、何より難しいのは






















ルールを守れるか?

ということだと思ってしまうのは、とても悲しいことかも知れない。
↑渋滞の高速道路の路側を走り抜ける車のなんと多いことよ


2002年06月07日(金) 歩行者優先

アメリカを旅行する時に、レンタカーを借りた経験がある人は、アメリカと日本の交通法規の違いについてガイドブック等で読んだことがあると思う。

日本と異なるところで最も注意が必要なのは、

スクールバスに子供が乗り降りしている時は、周囲の車も停止しなければならない

というルールだろう。


僕はこれを知ったときに、「アメリカ的なルールだなぁ」と感じた。

もともとどういった経緯で制定されたかは知らないが、予想するに、スクールバスを降りたばかりの子供が事故に巻き込まれたという事例から、全国的に制度化されたものだと思う。

日本でも同じような事故は少なからずあると思うのだが、日本では車が歩行者に優先するケースが多く、歩行者の安全ために車を停止させるという判断には至らないのだろう。

ルール上は日本でも、横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる場合は、車は停止しなければならないと自動車学校で習ったものだが、実際に守るものはほとんどいない。

しかしこの国は、ルールと実態が異なっていることをとても嫌う。

ルールとして歩行者優先となっていれば、本当に歩行者優先だ。
例えば横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいるときに、停止せずに車を走らせた場合、違反切符を切られると思う。

まあ、日本に比べて歩行者が圧倒的に少ないから、こういうこともできるのだと言われればそれまでだが、ルールをきちんと守ろうと言う考え方自体には見習うべきものがあると思う。









といっても、ルールを厳格に適用しすぎると、これまた問題が大きいんですけどね。


2002年06月06日(木) 日米警察官比較

アメリカにはパトロールカーが多く走っている。
少なくとも僕の住む街においては、日本よりはかなり多く走っていると思う。

なぜそうなのかについて、考えさせられる息子の質問が先日あった。



















「なんでアメリカのおまわりさんはひとりでパトカーに乗っているの?」

そう、こちらでは一台のパトカーに一人しか乗っていないことのほうが圧倒的に多い。
だから、パトカーの数も多く見かけるのだと思う。

今日は、何故アメリカのパトカーは一人で乗っていることが多いのかについて考えてみる。



まずは、分かりやすいところから、

1/治安の違い

僕の住む街はアメリカの中でも比較的安全と言われているが、それでも日本に比べれば犯罪はやはり少なくはない。
少しでも多くのパトカーを走らせて、すぐに通報があったところに駆けつけたり、または走っていることで犯罪を抑制する必要があるのだろう。


次に考えられるのが、

2/予算の違い

日米で警察にかける予算の違いについて知らないが、アメリカの方がパトカーにかける予算が多いのではないかと推測される。


そしてもう一つ、

3/仕事に対する考え方の違い

米国で働く人は自分の職責に非常に忠実であることが多く、逆にいえば決められたとおりに仕事をしなければ、即仕事を失うという危機感の中で仕事をしていると思う。

これを警察官に当てはめると、例えばスピード違反で捕まえた人に対してとても厳格に接する。スピード違反は大変危険な行為で、これを取り締まることが彼らの重要な任務だからだ。

一方、日本においてスピード違反を取り締まる警察官の中には、

「急いでたんですかぁー」
↑急いでたら、許してくれるんかい!

などと気の抜けたことを言う者も少なくなく、自分は捕まえたくないんだけど仕事だから仕方が無いという、自分に怒りの火の粉が降りかからないような態度を見せる警察官もいる。

そんな警察官が、もしパトカーに一人で乗っていたとしたら、断固とした態度で違反者に接することができないのではないか。だから一台のパトカーに複数の警察官が乗っているのではないか、と。

もしそうだとしたら、少し悲しいですよね。









【追記】
ミニパトの婦人警官って、駐禁の取締りを一人でやってるんですかね。
だとすれば、女性の方が毅然とした態度を取れるのかも知れませんね。
男性陣も頑張らねば。


2002年06月05日(水) 朝 2時起きして 日本vsベルギー戦を見る

すいません、タイトルパクリました(笑)>dogwood@DCのさとこさん

今日は、どちらさんもサッカーネタで賑わってますな・・・



というわけで、太平洋標準時間帯に住む僕は、午前2時にベッドを抜け出し日本vsベルギー戦を観戦しました。
サッカーは詳しくありませんが、日本代表は良くやったと思います。この勢いでなんとか決勝リーグまで勝ち残って欲しいものです。

ところで、テレビを見ていて疑問に思ったのですが、



















サッカー選手は髪の毛を染めなければならないってルールありましたっけ?
↑黒髪の日本代表を見なかったような・・



あと、もう一つ思ったのは・・

稲本が芸術的な勝ち越しゴールを決めたのが、後半の25分。
思わず、




















「あと20分持ちこたえれば、初勝利!」

と思ってしまったのは、僕が日本人だからでしょうか・・・(汗)











ここアメリカでは予想通り(笑)、ワールドカップは盛り上がってません。
が、今日の朝のラジオでこんな風にいじくられていました。


キャスター
僕はあまりサッカーに興味が無いんだけどね、たまたま昨日中国戦をテレビで見てたんだよ。

見てて、不思議に思ったことがあるんだけどさァ・・・
























終了時間が来てもまだゲームしてるじゃない?

あれ、どういうこと??









そうでしょうな。白黒はっきりつけたがるアメリカ人には、審判が「勝手に」時間を判断するなんぞというあいまいなものは感覚的に受け入れられないと思います。

バスケットしかり、アメフトしかり・・・
きっちり時間には終わります。

もしアメリカ人がサッカーのルールを決めたのだとすれば、時間きっかりに終わらせるかわりに、時間稼ぎ防止のため、



















一分間シュートしなかったら、相手ボール

なんて、ルールになっていたかもしれません。


侘び寂びを愛する日本人としては、インジュリータイムのあのドキドキ感がたまらないという感じもしますがね。

どんなモンでしょう。


2002年06月04日(火) 香典

駐在1号はお父様がお亡くなりになったため、今週一週間は帰国している。

僕はこちらの取引先会社の方々に連絡をしたり、駐在1号あてのE-mailを処理したりする必要があった。

中でも対応に苦慮したのは、「香典」をどうするかである。

普通、会社の上司や同僚の親族が無くなった時には、同じ部署から何人かがお通夜に出席し、会社でとりまとめた香典を届けるといった形になると思う。

ところが・・・ここはアメリカ。

会社の部下である僕達がお通夜に出席することはできない。
しかしながら、この地に住む我が社の社員たち(研修生などで、駐在室以外に勤務)は、ここで香典を取りまとめると思って電話をしてくる。

しかし、以前に駐在1号と香典について、駐在室ではとりまとめをしないという確認をしていた僕は、電話をしてきた社員に次のような説明をした。



駐在室では香典のとりまとめはしません。理由は、
・遠方である
・円ドルの両替が必要である
・香典返しを持ち帰るのが、当人にとって大変
・アメリカには香典という慣習がない

からです。


これで納得してくれる社員もいるのだが、日本の感覚で「義理を欠いてはいけない」と思っており、何とか届けられないかと相談されるケースも少なくない。

僕の考え方としては、「気持ち」をどう表すかというところが重要であり、形式にあまりこだわっても仕方がないと割り切ることも必要だというものだ。





















とはいうものの、僕と駐在3号は、通夜の出席者に立替払いをお願いしてしまいました。
↑さすがに、同じ事務所の直属上司ですからね・・・でも、帰ってきてから怒られるかな??


2002年06月03日(月) キャンプ用グリル購入

ミス・アンジェラネタは一休みするとして・・

土曜日にキャンプ用のグリルを購入した。

せっかくのアメリカ生活なのだから、夏の間は家族でキャンプをして楽しもうと言うことで、一つずつキャンプ用品を揃えていくことにした。

テント、クーラーボックス、ディレクターチェア−、・・・
どれも日本で購入することを考えると、かなり安く購入できると思う。


それらのキャンプ用品の中でも、グリルを最初に購入したのは、我が家のデッキ(小さいけどね・・(汗))でソーセージを焼いて食べたいと言う、息子の発案による。
嫁はグリルを購入することにあまり乗り気ではなかったが、グリルの中でも最も小さいものを選択したことで折れてくれたようだ。
↑大型のグリルになると、台所のグリル(もしくはそれ以上のもの)のようなアウトドアグリルもある。


いろいろな店を巡り品定めをした後、結局HOME DEPOTでグリルを買い、家に持ち帰り早速組み立て始めた。

火を使うものなので僕は慎重に取扱説明書を読み、グリルを組み上げ、とりあえず点火しようとした・・・が、



















火がつかない・・・(汗)





息子や娘は、早くソーセージを焼いて食べたいため、早くしろと僕をせっついてくる。



が、つかないものはつかない。

ガスが出ている音はするのだが、イグナイターやライターの火に引火する様子が全く無い。



この時点で午後7時。



嫁は、

「今日は諦めて明日にしましょう」

と言い出した。

しかし、それでは父親の面目が丸つぶれである。
僕は、

「買った店に行って、どこが悪いか見てもらってくる!」

と言い、購入店にグリル一式を持っていった。
購入店で、勝ったばかりのグリルに火がつかないことを説明し、店員に現物を見てもらうことにした。

店員がグリルを組み上げ、火をつけようとしたがやはりつかない。
僕は、

「不良品かな?」
と思い、店員にものを交換してもらおうとしたその時、



















「OH! IT’S EMPTY!」

という店員の叫び声が聞こえた。





そう、グリルと一緒に買ったガスボンベが

カラ

だったのである。








ここアメリカでは、売っている物全てが正常に売られているとは限らない。
身近なところでは「たまご」。
↑「たまご」を買う時にはパッケージ(日本のように透明のプラスチックではない)をあけて、全てのたまごが割れていないことや、欠品していないことを確認する必要がある。



そうだ。僕としたことが、不覚にもアメリカのお店を信じてしまった・・・
と、自分を責める僕であった。


というわけで、カラのガスボンベを満タンのガスボンベと交換してもらい、家に帰って無事おいしいソーセージを食べることができた。













【おまけ】

こんな場合でも店員は謝らないんだよね。「自分の」ミスではないから。
↑もはや謝って欲しいとも期待してないけど。


2002年06月02日(日) ミス・アンジェラ伝説(その4)

この前の月曜日のこと。

息子が学校からお知らせを持って帰ってきた。


「本当は金曜日にはこのお知らせをお渡ししなければならなかったんですけど・・・」

という書き出しで始まるお知らせだった。
中身を読んでみると・・・

明日(火曜日)の夜6時30分から、子供達をあつめてハイスクールで歌を歌うという。
僕も嫁も知らなかったが、どうやら息子のクラスには、ハイスクールでTeaching Academy(教師になるためのトレーニング)を受講しているミス・ジェンという高校生がいわゆる教育実習生として来ていたらしく、その彼女の卒業発表会で彼らが実習の成果を見せるために歌を歌うということらしい。

まあ、金曜日にお知らせをもらって帰ってきたところで、急なお知らせであることには違いないのだが(笑)、さほど遠いところにあるハイスクールでもないので、夕方に家族全員で出かけることにした。

6時15分ごろにハイスクールについた時にはほとんど誰もいなかったのだが、始まるぎりぎりになってクラスの半分くらいの生徒が集まった。

ミス・アンジェラも5分ぐらい前にラジカセ(カラオケ演奏用)を持って登場した。

つくや否や、

「Teaching Academyのメンバーが見当たらないわね・・・。このハイスクールは大きいから、どこかで集まっているに違いないわ」

といい、やおら場所を探し始めた。




「ヲイヲイ、集合場所くらい決めとけや」

と、以前の僕なら思ったものであろうが、既にミス・アンジェラに対して「段取り」というものを求めてはいけないことを学習済みであったため、とくにフラストレーションをためることなく待つことができた。


ところが、いくら探してもミス・ジェンのいるところは見当たらない。
さすがのミス・アンジェラも焦り始めた。


「ここでやってるのは間違いないんだけど・・」
といい、再度探しに行った。

子供達はその間、築山のようなところを一緒になって駆け回り、とても楽しそうだった。
↑思わずビデオに撮っちゃいました。



しばらくして、ミス・アンジェラが帰ってきて、保護者を呼び集めた。




















「すいません、時間間違ってました・・・」





















「ハァ・・・?」























「もう、終わっちゃったみたいです・・・」












さすがのミス・アンジェラも、前の日に連絡して急遽集まってもらった子供達に、歌を歌ってもらうことができなくなったことを、申し訳なく思っているようだった。
↑そりゃ、そうだろうよ。


しかし、そこでくじける彼女ではない。



















「せっかく集まったんだから、お父さんお母さんの前で歌ってから帰ろう!」

というわけで、夕焼けのハイスクール前庭で、子供達はカラオケなしで歌を歌ってから帰りましたとさ。


その時に僕が感じたこと。





















日記のネタ、一つ頂き!


2002年06月01日(土) ミス・アンジェラ伝説(その3)

日本では子供の学校に親が行くのは、せいぜい授業参観の時ぐらいであるが、アメリカでは割と頻繁に親が学校に行く。
↑もちろん親によりますが

僕達の感覚では、親が教室にいるなんてことは「非日常」のことであり、あまり良いことではないように思っていたのだが、こちらでは逆に喜んでもらえる。というのも、大人が学校に行くということは、先生の手助けをする人が増えることを意味するからだ。
↑いわゆるボランティア

学校を訪れた場合、必ずしも自分の子供がいる教室にずっといられるという訳でもない。事務室に行って、次の授業に必要な小道具を制作したり、ポスター書きを手伝ったりすることもある。

ウチの嫁は、息子が学校に通い始めた頃から、何しろ心配で心配でたまらず、ちょくちょくクラスに顔を出していたのだが、それがいつのまにか「ボランティア」として、週2回学校に行くことになっていた。

それもこれも、ミス・アンジェラが

来週も、火曜日と木曜日に来れるわよね、ミセス駐在2号?
↑補足:実際にはウチの嫁は、ファーストネームで呼ばれている

という、お願いなんだか命令なんだか分からない言葉を発したことがきっかけになっている。


というわけで、いつのまにかボランティアとして、定期的に学校に通い始めたウチの嫁であるが、他の日本人奥様から学校でボランティアをするにはどうしたらよいかなどという質問をたびたび受けるようになった。


ある日のこと、とある場所で知り合いになった日本人の奥様からも、ボランティアに関する質問を受け、とりあえずミス・アンジェラに彼女を紹介したのだそうだ。

するとミス・アンジェラは、ボランティア申込書のような書類を出してきて、彼女に必要事項を記入するように言った。

紹介した奥さんが書き終わったあと、ミス・アンジェラが何か書き足していたので、何を書いているかと思いウチの嫁が書類をのぞき見たところ、



















ミス・アンジェラのクラスでボランティア希望

と勝手に書き加えていたそうだ。





恐るべし、ミス・アンジェラ。