笑う角に光りあれ...オレステス・デストラーデ

 

 

遠ざかる 空回る どこまでも - 2004年07月28日(水)

今日もいっぱい勉強した。
でも、そんなことはどうでもいい。


あの知らせを目にしてから『s.t』と『その青写真』を何度も聴いている。


自分が好きなバンドが、リアルタイムで解散を迎えるのは実は初めてだったりする。
やっぱりこんなに胸が痛むものなのか。


彼らの音楽には、他者を拒絶するような圧倒的な鋭角と、全身を投げ込まさざるをえない大きな渦、それも真っ青でとてつもなく深い渦みたいものが確実に存在していた。


自分は、思っていた以上に自分を投身していたんだな。


-

無意味に伸びる - 2004年07月27日(火)

目が覚めたら午前10時。
体中が鈍い。


とりあえず学校まで足を運んで、明日提出予定のレポート3つを一通りチェック。
その後はテスト第4弾「社会言語学」に向けた予習。


よく考えてみると、夏休み突入まで残すところテスト2つとなった。
早いもんだ。
この早さが怖い。
夏休みもこのスピードで進んでしまうのは、何としても避けなければならない。


夕方以降は一週間ぶりにバイト。
出勤直後、社員の2人に髪を切れと言われ不幸せな気分になる。
僕は、髪を切れとか髭を剃れとか言う大人が大嫌いだ。


早すぎる中島らもの死に合掌。



-

カレー食べたら嘔吐気味 - 2004年07月26日(月)

午前9時起床、10時より図書館で勉強開始。


出足、なかなかエンジンがかからないが、13時すぎあたりから神が降臨し、レポート第5弾「人文総合科学基礎講読」の3000字があっという間に終わる。
テーマが「笑い」なせいもあるだろうが、比較的簡潔な文でいいものが書けた。


その後はレポート第3弾「文化とポストコロニアル批評」の結論部分を若干修正。
まぁ明日の午前中には終わりそう。


そういえば、昼すぎに雷鳴&落雷がかなり長い時間続く。
ざわめき立つ図書館。
そんな中トイレに行こうと思って閲覧室から抜け出たところで、若いアベックが「あそこの山(大学の裏手にある山)から煙が出ているよー」とキャンキャンしていたのを偶然耳に挟み、僕の好奇心はだいぶ刺激されたが、生まれてつきそういったキャンキャンに屈するのが大嫌いな強情な僕なので、そそくさとトイレの扉を開けて用を足した。


でも、すんごい見たかったさ。



-

on your way - 2004年07月25日(日)

午前9時に起床し、図書館へ。
開館前にもかかわらず、図書館前には50人を越す長蛇の列。


レポート第4弾「応用倫理」が思いのほか進み、一気に2400字が埋まる。
一方、レポート第3弾「文化とポストコロニアル批評」もなんとか体裁が整ってくる。


そんなこんで帰宅後はレポート第5弾「人文総合科学基礎講読」の構想を練る。
題材は前にも書いた森鴎外の『堺事件』なのだが、今回は徹底的に「笑い」について書くことにした。
運良く、この間購入した『形の文化誌』という読物雑誌の特集が「笑う形」だったもんで、これを拠り所に明日、明後日で書ききるつもり。


それにしても、一日中パソコンを眺めていると疲れてくる。
現在の自分の行動のほとんどが、このパソコンに集約されていると考えるとはなはだ恐ろしいものだ。


-

動機、確実性、因果関係、特定 - 2004年07月24日(土)

朝、午前8時に起きるつもりが、目を開けると正午12時。
出鼻を思いっきり挫かれる。


レポート第3弾「文化とポストコロニアル批評」は頓挫気味。
もっと巧みに引用を用いなければ3000字は埋まらない。


そんなこんでレポート第4弾「応用倫理」も始める。
ピーター・シンガーの『実践の倫理』をテキストに「殺すことと死なせること」の差異について、自分なりの見解を加える。
応用倫理は、僕にとって言語学と並ぶ最注目学問分野なため、やる気もやりがいもあるが、まさに重箱の隅をつつくような驚異的集中力が必要なため、すぐに挫ける。
でも、自分たちが当然だと思い込んでいる概念を徹底的に再構築する作業は何か面白い。


あいかわらず、汗は噴き出す。


-

束の間の風 - 2004年07月23日(金)

テスト第3弾「ヨーロッパ文化史」終了。
今日も事前に問題発表&持込可なため、そこそこやり遂げる。


テスト後は、蓄積したストレスを解消するためにサークルの部室でドラムをタコ叩き。
若干心模様改善。


朝方はやけに涼しかった。


-

姿は見えず - 2004年07月22日(木)

テスト第2弾「社会学入門」終了。
事前に問題提示&持ち込み可なため、余裕で切り抜ける。


そういや今朝は久方ぶりに午前8時に起床。
グダグダしながら9時に出発(グダグダしすぎ)。
図書館で8割方眠りながらレポート第3弾「文化とポストコロニアル批評」に取り掛かる。
テーマは「証言」について。
フランクルの『夜と霧』を読みながら「証言」とは何かを探る。


夕方以降はテスト第3弾「ヨーロッパ文化史」の予習。
ヌミノーゼ、フラーメン、ミスラあたりが鬼門。


蝉がわんさかサラウンドで鳴いているが、いざ大きな木の下に行ってみると、どこにもその姿を見つけることができない。
悲しい耳鳴り







-

明太サンバ! - 2004年07月21日(水)

なんでもいいからぶっ放したい気分。
窓からキュウリとか投げたい気分。


今週はあんまりテストないから、余裕をもってペース配分を組めばいいのに、もうダメ!ダメ!ダメ!
全くもってダメ!
腐乱!腐乱!
失格!失格!


あーあーあー!
ほんとダメだー。
ダメ!ダメ!ダメ!
いかれポンチ!



-

風邪再燃 - 2004年07月16日(金)

昨晩、王将にて冷房の直行直撃を喰らい、見事風邪再燃。
面倒くさがって席を替えなかった因果か。


しかし、いつまでもくたばってられないために今日も勉強する。
京都には、大学コンソーシアムという京都中のさまざまな大学の講義を受けられるシステムがあり、僕もそこで京都市立芸術大学の授業を受けているのだが、そのレポートがなかなか頭を使う。
一応、レポートの主題は各々自由なもんで、前にも関連することを書いたことがあるインタラクティブ・アートに関して書いているのだが、内容が段々と言語の意味論的な問題に進み、自分のキャパを超え始める。


レポートの冒頭を引用してくるとこんな感じ↓


「一般的に、インタラクティブ・アートとは、鑑賞者が何らかのアクションをし、それに対して作品が何らかのリアクションをした瞬間に「作品」となる点で、既存のアートとは異なると考えられている。つまり、インタラクティブという冠を頭に付けるのであれば、このインタラクティブ・アートとは最初の状態では「未完成」なのである。


しかし、ここで1つの疑問が頭に浮かんでくる。もし仮に、インタラクティブ・アートを「未完成」なものとして捉えるのであれば、それに対して既存のアートはすでに「完成」していると言えるのだろうか。たしかに、絵画や彫刻、または音楽CDといったものなどは完成した作品であろう。仮に私たち鑑賞者たちが、それらに向かって何らかの働きかけを行ったとしても、その作品が変容することは決してない。しかし・・・」


と、こんな感じに進んでいくのだが、たとえば
「完成」とはどういう状態を指しているのか?
「作品」はどこで「完成」するのか?
「完成」=「可変性がない」なのか?
「未完成」は「完成」より劣っているのか?


などなど、どこで線引きをしたらよいのかわからないことばかりで困る。
まぁ、こういうのは愚直にやっていくと何かしらの答えが出てくるはずだかから、懲りずに脳味噌を振り絞るしかないのだけれども。





-

ミメーシス - 2004年07月14日(水)

あいかわらず体調が優れない。
特に喉の痛みが酷く、なんだか大した苦労もなく禁煙できそうな空気。
まぁ、そんなことは今だけだろうが。


早くやってしまわなければならないレポートだとか、メールの返事だとか、何らかのアクションだとか、ずーっとほったらかしのままだ。
どうせあとで苦労するのに。


そういや、何とかレポートを書こうと思って借りてきた文献の中の1つ、ヴィトゲンシュタインの『色彩について』の中に、久しぶりに目の覚める一文を見つけた。


「私は、かけ算を自分で習得できなくとも、かけ算している人を正確に真似することだってできるだろう。」


ちょっと救われた気持ちになったのは僕だけなのかな。


-

夏嫌ー - 2004年07月07日(水)

ここ数日の猛暑と、それに対抗するかのような冷風に板挟みとなって、体がボロボロ。
食欲も創作意欲も何もなし。


睡眠へなかなか入ることもできず、体中に変な汗ばかり掻いて、なんだかもうヤブレカブレだ。


夕飯の時間はもうとっくに過ぎているのに、全然立ち上がる元気もないな。
まだ夏は始まったばかりなのに、すでに半死。


-



 

 

 

 

ふりだしへ
ありしの君へ  未だ見ぬ君へ

 Home