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■ 愛のない生き方
ネットのある友達が言ったことがある。 「友達以上なら、セックスしてもいいと思ってる」 意外な言葉だった、およそ彼女らしくない。 同時に彼女だからこそ納得できた。
私と彼女は違う人間だけど、ある部分を共有している。
私には彼のほかに、友達以上の人がいる。 一般的に言えばセフレになるのかもしれない。
でも私にはわかっているから。 彼氏とは言ってもいずれ結婚相手を見つけて去っていく。 だから、あと数年、もしかしたら月単位の関係だろう。
そして友達以上のその人とは、寂しさを埋めるために会う。 一番辛いとき、そこにいてくれる。 それだけで私には充分だから。
私の心の病を知っているし人格を否定しない。 関わることを拒否してるわけでもない。 時々私の将来のことを心配して、いろんな助言をしてくれる。
でも疲れてきた。 寂しいとか辛いとか、ここ数年でかなり麻痺してきたはず。
市役所にはいつも親切な言葉をかけてくれる人がいて、今回もいろんな手続きの相談に乗ってくれる。 (別に個人的な知り合いではない。たまたま担当者が彼女なだけだ)
子供も自分の未来のためにガンバっている。
そして私は? 私の未来は、すべての公共からの援助金、奨学金を支払ったときに終わる。
愛なんてない。 子供を愛する親はいても、親をいつまでも愛する子供は少ない。 まして他人にその愛なんて求められるはずがない。
好きとか好意だけで動いてきたけれど。 それはそれで楽しかったけれど。 でもなんにもならない、栄養のない食べ物のように。
今、過去を振り返って一番に浮かぶ人は誰だろうと思ってみたけれど。 誰も浮かんでこない。
振った人も振られた人も、誰も私は求めていない。 本気で好きになったことはおそらく・・・・。
なかったんだろう。 愛したのは、猫と自分の作品。 自分から生まれてきた、かつて幼かった子供。
クリスチャンでありながら、神さえも愛さなかった。
今求めているのは、誰にも会わず関わらず、引きこもっていたい。
それだけだと。
人生の折り返しを過ぎ、何も手に入れたものなどなかったと気がつくこの虚しさ。 こんな人生など、他の人は送ってはいけない。 愛を知り、愛を実感し、人を愛せる、そんな人生を送って。
私のようにはならないでと。
今日は悲観モードでした。
明日は元気に仕事で怒鳴りまくり、威嚇し、バカ笑いして疲れて布団で爆睡するぞ。 その仮面が剥がれないように。 今日は剥がれてしまったけど。
2006年12月22日(金)
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