どんぐり1号のときどき日記
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2007年もいよいよ最後である。
今日も今日とて南光台方面に用事があったので、ついでに万代書店へ寄ってみる。予想通り探している物はなかったのだが、最近整理したのか、私の欲しいと思うジャンルが激減している。いよいよここも一般化が進んだという事であり、つまりマニア向けからは脱却したと言う事なのかもしれない。 ちなみに昨日探そうと思っていたハイパードールの5巻はここであっさりと見つかったのだが、このシリーズは名取で158円(このハンパな値段は何なのだ)だったのに、ここでは210円である。高いぞ。状態も変わらないので、もしかしたら店毎に価格を勝手に決めているのだろうか。 そして肝心の内容だが、雑誌が潰れた影響なのか、見事なまでに中途半端な終わり方だ。これでは代表作と言うのも問題かもしれない。 ただし同人誌で続きを書いているという噂はあるが、田舎在住の身では見る事はほとんど無理だ。だから作品としてはこの5巻までで評価するしかないのである。
しかし今日になっていきなり雪が降ってきたが、全国的に荒れ模様だ。 もっともいつも大晦日から正月にかけての天気は荒れ模様になるのだから、例年通りだと言える。飛行機の欠航や高速道路の通行止めが起こるのも毎年の事で、それで文句をいう方が間違っている。 しかし青森あたりの映像を見ると全然雪がない。やはり現時点では全国的に異様に雪が少ないようだ。暑い夏の後は大雪になる率が高いが今年は違うのかもしれない。
さて、「では良いお年を」などと書いても、数時間後には「あけましておめでとう」である。 やはりネット社会と言うのは古来の風習の破壊と創造と言う意味で、プログレッシヴでありヌーベルバーグなのかもしれない、と思ってみたりする年末だった。
ちまちまとやっていると、あっという間に時間が経ってしまう。
そんな中、ちょっとばかり探してみたいものがあり、久々に名取の万代書店へ行ってみる(日曜だし、南光台は駐車場周辺が混んでいるから嫌いなのだ)。予想していたとおり捜し物は見つからなかったが、代わりに「楽勝!ハイパードール」の1〜3巻があったので購入。これは以前4巻をKCから貰っていたのだが、ちょっと気になる部分があるので買ってしまったのだった(もちろん安かったからだ)。しかしこうなると残りの5巻目も欲しくなるところだ。
しかしこの作品、面白いのではあるが、マニアと一般向けの差が露骨に出てしまった作品でもある。こうしてみると「とり・みき」や「ゆうきまさみ」は非常に構成が上手いし、「吾妻ひでお」はその処理の仕方が天才的だというのがとても良く判る。ハイパードールはあまりにマニアックな部分にこだわりすぎて、必要な部分が疎かになってしまっている。つまり主人公たちの生活の部分だ。もちろん伏線は充分にあるので、ちょっとだけうまく構成を考えれば、充分に一般向けに出来たと思うと非常に惜しまれる。要は編集部の責任だ(この辺、あろひろし作品とも通じるものがある)。
基本的にこういう作品は嫌いではないのだが、本当に満足できる作品は少ない。作者もある程度「売る」という事を考えて作って欲しいと思う。趣味全開をやるなら、今は同人誌の方が儲かるだろう。 逆に言えば、一般誌で同人誌以下のレヴェルの作品も多いが、こういうのは排除するのが編集の責任だろう。
そんな夜、一家で実家に行き夕食。 なかなか立派なカニを貰ったとの事で、カニしゃぶである。今年はカニを食べていなかったので、子どんぐりも満足したようだ。
さて、今年も残すところあと一日。と言いながら年が明けなかったらビューティフル・ドリーマーだなぁ…。
朝に年賀状投函終了。一安心である。次回のデザインでは、当初の予定通りに是非「青の6号」と「フライング・プラットホーム」を使いたいものだ。
投函ついでになんとなく模型屋へ行く。 注目の「マルシン M1910 エクセレントHW ダミーカート仕様」は売り切れで、現物を見る事は出来なかった。表面処理が見たかっただけに、非常に残念である。
代わりといってはなんだが、2割引だったので「リボルテック・綾波レイ」を買う(このシリーズ、うちには現在「トロ」「よつば」「ダンボー」がある)。 15センチというサイズにしては良く出来ているが、関節の自由度が思ったより狭いし、カッティングの問題もあった。要は座りポーズを第一に考えた構造らしく、すべての不都合はそこに起因する。こうなると3月発売予定の「アスカ」の方が、関節自由度といいカラーリングといい、向いていそうだ。
いや、単に「イクサー1」への改造を考えているだけだったりするのだが…。
そして本屋に行くが、雑誌がオマケ付きで輪ゴム止めされていると中が見られず、本当に困ってしまう。最近はこういう雑誌か増えているように感じがする。 ちなみにモデルグラフィックス誌が見当たらない。ここ2ヶ月は中を見られない状態が続いており、その上雑誌自体が見つからないようでは困ってしまうのだ。やはり雑誌は中を確認してから買う時代なのである。
会社の最終日。ただし明日も営業日ではあるが、私は無視するのだった。 そんな今日、営業はほぼ全員宴会なので早く帰るそうだ。月末なのにヴァカか。こちらは大掃除すらロクに行なう時間すらないのだ。
それでも20時過ぎには帰るので(労働基準局の指導で20時前に全員帰らなければならないのである)、帰宅後すぐに年賀状の印刷に入る。 流石にプリンターの性能に左右されるので、どうしても時間がかかる。そんな中、プリントゴッコ時代の遺産「ゴッコカードラック」が大活躍している。1個に20枚のはがきを立てられるので、狭い家では重宝する。実際プリントゴッコ時代には、これを買うまで大変だった。現在はこれを6〜8個並べるスペースさえ確保すれば、なんとでもなるのだ。
結局1時前には印刷終了。その後2時30分までかかって一言を記入して、なんとか終了。 今年は不調である。
会社でそろそろ大掃除が始まる。しかし皆やる気がないし、細かい事に無頓着なので、非常に疲れる。 そして年末だからごみを捨てろと言うのは判るが、資料やデータを捨てろと言うのは意味不明だ。うちの決算は3月末である。それまで、少なくとも保管義務のない伝票やデータといえども取っておくべきだろう。相手のある商売なのだ。 捨ててしまえと言うこの辺の感覚が良く判らない。
それとガソリンが高騰しているから無駄にガソリンを消費しないようにするというのは判る。スピードの出しすぎや急発進は良くないというのも判る。だがそこで「急ブレーキも良くない」というのは困りものだ。 これが「意味のない急ブレーキ」なら確かに無駄だが、最近は急ブレーキが悪い事のように言われている。なにせ事故を起こした時に「急ブレーキをかけたのではないか」と聞く、知能指数が限りなくゼロに近い警官すらいるのだ。
人が飛び出してきたら急ブレーキをかけて止まろうとするのは当たり前だ。それを悪い事とみなすと言う事は、歩行者は殺せと言っているのと同義である。どうして警察はここまでアホウに成り下がってしまったのだろう。 実際最近の若い連中には、本当に急ブレーキは絶対にいけないと思い込んでいる者すら存在する。本人の知能も低いのだから、教育でそれを是正するのが警察の役目だろうに。
さて。 年賀状の最終デザインに入る。しかしもしかしたらディスプレイが死にかけているのかもしれない。異様に暗いのである。こちらで調整して印刷すると異様に薄い色になってしまうし、ノートパソコンで見ても明るすぎるのである。そろそろ寿命なのかもしれない。 そして印刷は明日になるのだった。
年賀状用にメーサー殺獣光線車を2台用意して写真を撮る。 ただしテーブルの上なので広いスペースはない。撮ってみて判ったが、メーサー車の映える角度と言うのは、狭いスペースでの再現が難しいのである。やはり東宝特撮黄金期のメカなのだ。 今回使用したメーサー車はパラボラ部分が発光するので、ちょっと面白い絵になるが、やはり光量不足なのと、光るからには光線が欲しくなるのもあって、どうにも中途半端な感じがしてしまう。 それでもなんとか使えそうな写真を選んで、年賀状のデザインも一つは確定した。
しかし狭いとはいえそれなりに色々と並べて場所を取っているので、撮影中に子どんぐりが「何事?」と驚いていた。まあ狭い家が更に狭くなるのだから、迷惑な話ではある。
そんな合間を見て、映画秘宝の10年ぶりオールタイム・ベスト10をちまちまと見ていると、なかなか面白い。 1位は「ゾンビ」でこの雑誌なら当然だし、私も異論はない傑作である。だが「2001年宇宙の旅」が10位に入っていないのは雑誌の性格からすれば当然かもしれないが、やはりちょっと残念である。 それでも今回のベスト10は、比較的普遍性があるように感じる。B級映画と考えれば納得できる作品が多いのは良い事だろう。
2007年12月25日(火) |
コンチェルト・グロッソ3 |
今日は正真正銘のクリスマスである。最近の世間一般はクリスマスの本当の意味を知らない奴も増えているらしい。まあ日本は八百万の国であって、唯一絶対心もその預言者も縁がない国であるから仕方がない、のか? 一般常識ってぇもんはどこに行った?
そんな朝、親戚用の年賀状投函。こちらは1日に届くだろう。 これを作っていた昨日、ようやく届いたニュー・トロルスのDVDとCDを聞き始める。あまりに密林からの連絡が遅いため、ダブリ覚悟で町中で探そうと思っていた矢先に届いたのだが、この時期の密林は処理が遅いのだろうか。
とにかく30年待った「コンチェルト・グロッソ」の3作目である。感無量とはこういう時に使うのだろう。 ただどういう事情からか「3」という表記がなく、「Concerto Grosso The Seven Seasons」になっているが、これは聞いてすぐに、新作というより「コンチェルト・グロッソ」のリメイクと考えた方が良さそうだと判った。だから「3」の表記ではないのだ。 もちろんリメイクといっても当然ただのコピーなどではなく、オリジナルの「コンチェルト・グロッソ」をベースに、少しだけ現代の音楽シーンに合わせ、なおかつアルバムとして(あるいはライヴでの演奏時に)オーケストラ部分との違和感がなくなるような流れの構成に仕上げている。多分ライヴで実際に聞けば、一連の流れでかなり興奮する事だろう。 例えて言えばマイク・オールド・フィールドの「チューブラー・ベルズ」と「チューブラー・ベルズ2」の関係に近いといえば判るだろうか。
しかしスタジオ盤は当然としても、ライヴ盤でのテクニックは凄い。ライヴ独特の音のラフさがないので不安感が全く感じられず、少なくとも私は聞いていて心地良かった。流石にベテランだ。というより当初からレヴェルが高い連中なのだ。 彼らの今後の動きに注目したい。
さて、年賀状製作はどうなっているのだろう。
子どんぐりが、最近携帯の電池の持ちが異様に悪いと言うので調べたら、充電池が膨らんでいた。 どうもネットではしばらく前から話題になっていた機種らしく、首都圏では在庫がない状態らしい。とりあえずショップへ行くと在庫があり、交換してもらう。こういう時は地方都市の方が在庫があったりして助かる。 しかし携帯電話はトラブルが多すぎる。パソコンと全く同じ状況で、消費者をなめているとしか思えない。私は電話と音楽を聞く事にしか使っていないので、余り酷い状況が続くなら使用を止めてもいいのだが。
帰宅後、年賀状を作り始める。まずは親戚用に、実家に行って子どんぐりの写真撮影をする。親戚関係はとりあえず子どんぐりを使えばゴマカシが効くので助かるが、あと何年使えるやら…。 戻ってから住所の再確認と、出す人の確認をする。当初の予定より出す人がかなり少なくなったが、こればかりは仕方がない。 そして親戚用の図案をデザインして印刷する。今回はキャノン等の正月用デザインを応用して簡単に作ってしまう。それでもそこそこサマになるのはプロのデザインだからだろう。夜には完成して明日出すだけとなった。
その後友人用のデザインを考えるが、そもそも新作の写真がないので行き詰まり、大雑把なものと写真を使用しないデザインを作っておく。 今日はここまでで終了。とりあえずメーサー車の写真が必要なので、なんとかしないといけない。だが問題なのは普通の会社関係相手の年賀状だが、まあなんとかなるだろう。それこそテキトーで良いのだから。
午後にT寺家へ遊びに行く。今回はダンナが不在なのが残念である。せっかくメーサー殺獣光線車を見せようと思っていたのだが。 行く途中の本屋で「映画秘宝」を購入しておく。今回は10年ぶりのオールタイム・ベスト10である。
しかし到着して驚いたが、息子さんは大きくなっている。子どんぐりと並ぶと両者とも大きくなっているのが改めて判る。そろそろ私の身長は抜かれたかもしれない。 娘さんは以前太ったといっていたが、見事にスリムになっていた。この辺は流石に女の子だ。
そして例によっての色々なバカ話。基本言語が同じとは、こういう状況を言うのである。
おやつにどんぐり2号製作のケーキを持っていったが、例によって丸ごと作るという事は味見不可という事である。いつも思うが、ケーキを作るというのはロシアン・ルーレットと同じなのだろうか。
今回は夕食後に「イクサー1」のDVDを飛ばしながら見せた。実はこの作品発売当時は、私もJamanyaも青森におり一緒に見た作品である。彼女も懐かしがっていたが、結構せりふを覚えていたようだ。 そして改めてこの作品のレヴェルの高さを実感したが、考えてみれば子供たちの生まれる10年近い前の作品である。月日の経つのは恐ろしく早い…。 そして子供たちはCGアニメが当たり前の状況なので、すべて手書きというのが実はとんでもない作業だというのがピンときていないのかもしれない。まあそういう時代になったと言う事である。
あっという間に22時。楽しい時間を過ごさせてもらったのだった。
世界の数勢は死刑廃止の傾向にあるのだが、日本はマスコミの調査によれば死刑賛成派が圧倒的に多いらしい。 だがその根拠がきわめて弱いのが問題だ。結局「やられたらやり返す」という思考でしかないのである。これは法治国家とは相容れない考え方であり、現行の刑罰がおかしいからそういう方向に走っているだけなのである。 そもそも今の日本人が「目には目を」の本当の意味を知っているのだろうか。これは復讐の賛美ではなく、復讐の歯止めをかけるというのが本来の意味である。 つまりやられた事と同じ事をして後に遺恨を残さない、というのが本来のイスラムの考え方なのだ。そうしないと復讐が復讐を産んで歯止めが効かなくなり、結局は相手の一族を全員殺すまで決着がつかなくなってしまう。これは今の世界中のテロを見ていれば一目瞭然だろう。 本来は原始的ではあるが、当時とすればきわめて利に適った解決策だったのである。
だから最近の死刑賛成派の主張は、どうみてもおかしい。感情論でしかものを捉えられなくなっている。 そもそも死刑に犯罪抑止力などないのは世界中で立証されているし、なにより怖いのは誤審だ。裁判官どころか警察のレヴェルが低い現在、誰もが簡単に冤罪の犠牲者になりうるのである。 あのオウム真理教が松本で起こしたサリン事件でも、オウムが新宿で世界初の化学兵器テロを起こした事で第一発見者の無実が証明されたが、それがなかったら、あるいはテロがもっと遅かったら、彼は死刑になったかもしれないのである。そうなったら誰が責任を取るのだろう。当時から無能といわれていた長野県警だろうか。
だが彼らが責任を取っても死者は帰らない。そういう事だ。
まさか日本の国会でUFOが取り上げられる時代になるとは夢にも思わなかった。 政府は「これまで存在を確認していない」とする見解を閣議で決定したそうだが、さぞかし対応に困った事だろう。それでなくとも頭が固い連中なのだから。
しかしこんなバカな質問主意書を出した民主党の山根隆治参議院議員は、一体何を考えているのだろう。夢があるとか言う人もいるようだが、国会はそんな場ではない。 そもそも領空侵犯した戦闘機がいても、相手が攻撃するまで手を出してはならないと政府が指示する国だ。UFOだろうが円盤だろうが、某国の戦闘機だろうが核ミサイルだろうが、とにかく発見した時点では絶対に手出ししてはいけないという国なのである。 だからこそ、この質問は無意味なのであり、これを提出した議員はバカ以外の何者でもない。 貴重な時間と税金を浪費するのが民主党のやり方らしいが、だから彼らに政権は任せられないというのだ。
だがこれに乗ってしまった町村官房長官もバカとしかいいようがない。今の時代にナスカの地上絵を例に出すとは、本当に中学生レヴェルの頭のようだ。 そういう意味では、彼の頭の中を見せてくれた民主党に感謝するべきなのか?
しかしこの話題で、昔あった「UFO党」を思い出したが、彼らは現在何をやっているのだろう。もしかして民主党に吸収されているのだろうか。今回の唐突さから言っても、その可能性は高そうな気がしてしまうのだった。
昨年8月に福岡市で起きた飲酒運転による殺人者の裁判だが、現時点で危険運転致死傷の適用は難しい、というよりほぼ無理だという事になったらしい。裁判所としてもこのまま無罪では司法の意義を問われるのは明白となるため、きわめて異例ではあるが予備的訴因として業務上過失致死傷罪と道路交通法違反(酒気帯び運転)を追加するよう検察側に命じたそうである。 まあこの段階では司法の良心だと言えるが、結局酔払い運転は逃げ得になるという事を証明してしまった事になる。
しかもこの犯人は様々な詭弁を繰り返した上に、被害者の車は居眠り運転をしていたなどととんでもない事まで主張する、まさに犯罪者独特の手法を展開していた。つまり司法はこれに勝てないと宣言してしまったのである。
もっとも、仮に酔っ払い運転でなかったのなら、目の前で溺れている子供たちを見殺しにした訳で、どう転んでも道義的には殺人者である。 こういう奴がのうのうと生きていられる社会というのは、きわめて不健全であるといえる。法治国家というのは、復讐をさせない代わりに適切な処置をする社会である。その判断の段階で不備がある法律というのは、さっさと改訂しなければならないのだが、日本はそのスピードも遅いし、そもそも危機感が薄い。困った社会である。
付け加えるなら、黒を白に言い換えようとしている弁護士も異常だ。加害者の人権を守るのではなく、なんとか刑を逃れようとしているのみならず、被害者を加害者に仕立て上げようとすらしている。いかにもアメリカナイズされた裁判だと言えよう。 これが通れば、酔っ払いにとってはとても嬉しい結果になるだろう。かくして殺人者が増え続けるという訳だ。
2007年12月19日(水) |
なんだかトーンダウン |
佐世保のショットガンでの殺人事件は、犯人がスラッグ弾を使用したそうだ。これでは撃たれた方もたまったものではない。即死だと言うのは間違いがないだろうし、仮に命を取り留めたとしても良くて下半身付随などの大きな障害が残るのは確実だ。 これだけでも、猟をしない人間がスラッグ弾を大量に保有しているのを見過ごしている警察も公安委員会も、もはや犯罪者と同じである。事件を起こす前ならこの部分だけ見ても銃を取り上げる、あるいは許可を取り消す事は可能だろう。なにせ周辺住民から苦情がきていたのだから。 結局本人をどうこうする必要などないのであり、それを怠ったから、関係各所も犯人と同罪なのである。
しかし犯人が精神障害者らしいとなったとたんに、マスコミのトーンダウンは凄まじい。はっきり言うがそんな事は初めから見えていたはずだ。今回の犯罪は警察が自ら招いたものなのだから、初めから警察関係を叩けば良かったのだ。それをしなかったマスコミもかなり抜けている頭の悪い集団だとしか思えなくなる。
ところで銃の使用に関して、新聞などによれば「先台を取り外せば銃は使えなくなる」といった記述があった。これを見て「先台ってなんだ?」と思った人がほとんどだったのではないだろうか。私も最初は「?」だったのだ。 だがネットで調べるとすぐに「フォア・グリップ」の事だと判ったのだが、それなら初めから先台(フォア・グリップ)と書けば、少なくとも銃の事を知っている人ならまず判っただろう。 マスコミも警察の言う事を素直に書きすぎる。こういう海外の文化は英語で書いた方が判るものも多いのだ。
今まで見ていなかったので知らなかったが、テレビの「ガリレオ」は純然たる推理物ではなかったらしい。 どうも「怪奇大作戦」のテイストを持っているらしいという事なのだが、それなら見ておくべきだったかもしれない。という訳で気になって調べてみると少しだけ面白い事が判ってきた。
まず名前はクレジットされていないが、「ガリレオ」第一話の脚本を実質担当したのは渡辺浩弐氏らしい。そう、1990年代でもっとも「怪奇大作戦」の本質を捉えていたといわれるテレビ・ドラマ「BLACK OUT」の原作者である。 そして「ガリレオ」第1話の脚本としてクレジットされていたのは福田靖氏なのだが、彼の脚本家としてのデビュー作は「BLACK OUT」第一話だったのである。 ここまで来ると、「ガリレオ」の第一話は「怪奇大作戦」の雰囲気があったと言われる理由が判ってくる。ただし実際に見ていないので断定はできないが、この話だけシリーズからは浮いている可能性もある。
いずれソフト化は怪しいので、再放送があれば見ておいた方が良さそうだ。 なにせ「BLACK OUT」はLDボックスが出た後、まったくソフト化の話がない(高かったが買っておいて正解だった)。1990年代の地上波では再放送されていたが、近年テレ朝チャンネルにて何度か放送された際には、第1話「DNA」が放送されていないのである。理由はゲストの稲垣吾郎に関する「権利上の都合」のためなのだそうだ。 とにかくジャニーズ事務所は肖像権に厳しいらしく、こういう姿勢が文化を潰しているのである(このくらい徹底してくると、タリバンと一緒だと言わざるを得ない)。 したがって「ガリレオ」第四話に香取慎吾がゲスト出演している以上、ソフト化されたらすぐに抑えておかないと、後々後悔する事になるかもしれないのだ。 もっとも、評判どおり面白ければ、の話である。個人的にはキャストを見る限り、どうも触手が動かないのだが…。
ネット上での感想(ほとんどは稚拙なものだ)をみると、どうも「アイ・アム・レジェンド」は原作のような「地球最後の人類」テーマではないらしい。原作では地球上の人類が次々と吸血鬼化してしまい、最後に残った主人公が、文字通り最後の人類となるのだが、映画では人類が死滅していくようなのだ。つまりこれは「渚にて」テーマになっているような気がするのだ。 でもこれだと小説ラストの「これで自分が伝説になる」という部分がまったく使えなくなる。それでもこの映画は「アイ・アム・レジェンド」なのだろうか。一体どうすればこのセリフが生きるのか、謎である。
そもそも人類が吸血鬼化してしまい、これを殺していくのが主人公の生きがいとなるのだが、実はこの最後の人類こそが吸血鬼からすれば「眠りの時間に次々と仲間を殺していく怪物」なのである。 だからラストの「アイ・アム・レジェンド」というセリフが生きてくるのだが、人類が死滅してしまうのでは、伝説になどなり得ない。一体この映画はどんな内容になったのだろう。 ここまで気になるなら見に行くべきだと思うかもしれないが、私はウィル・スミスが好きではないのだ。
お歳暮選びなどであっという間に一日が終わる。 今回は面白そうなお歳暮が見当たらず、選ぶのにも時間がかかってしまった。時間がかかったし、金がない事もあって、あまり寄り道せずに帰ってきたのだった。 なにせ18日を過ぎればニュー・トロルスのCDとDVDが届くが、それだけで「いちまんえん」である。
ところで、アメリカはオハイオ州クリーブランドにある「ロックンロール名誉の殿堂・美術館」が13日に新たな殿堂入りを発表したらしい。 だがその中に「マドンナ」と「ベンチャーズ」が決まったとあって、ちょっと首をかしげてしまった。 元々殿堂入りは、デビューシングルかアルバムの発表から25年以上たったミュージシャンが対象なので、なぜこの時期に両者が同時なのかが不思議なのである。 ベンチャーズはもう40年以上活動しているが、全盛期はとっくに過ぎている。逆にマドンナは、もうデビューから25年も経っていたのかと驚いてしまう。だからこそ今になって何故両者が同時に殿堂入りなのだろうと思ってしまうのだ。
音楽関係者600人による選出と言うが、そもそも音楽「関係者」とはどういった連中なのかが不明瞭だ。こういうものは全員の氏名と投票内容を公開するべきなのである。そうすれば企業がらみの怪しいものなのか、何らかの理由があるものなのか、いいかげんか、それらが見えてくるのである。 現在の音楽業界は、音楽を知らない連中が企業利益のためだけに動いている。だから「殿堂入り」や「ベスト10」などを決めるのも、簡単に公平を欠くものになってしまう。彼らは音楽に興味はないが、自分たちの売上に関する事だからそういう見地で色々なものを選抜する。 したがって音楽ファンからすれば、訳の判らない選択になってしまうのも当然なのだ。
実際問題として現在までの受賞者リストを見れば、なかなか不思議なものを感じてしまうだろう。
今日も粗仕事。しかも廃棄処分の書類のダンボール200箱を業者のトラックに積むために四階から下ろす作業がある。まさに一仕事である。
佐世保の事件は予想通り、警察と公安委員会の無能が招いた事件だ。 散弾銃の所持を、精神的な異常者にも簡単に与える。一旦与えた許可を普通の人からは取り上げようと躍起になるが、精神障害者からは取り上げようとしない(プロ市民の声が怖いからだ)。 今回の事件でも、あまりに異常な行動を取るため、近所の人が船越町駐在所に「精神を病んでいるのに、銃を持たせていいのか」と伝えたが、応対した警察官は「あんたがとやかく言うことではない」と取り合わなかったという。 この件で立山秀夫・佐世保署長は「一般的には通報を受けたら慎重に捜査することになる。しかし、今回どうだったかは個別の案件で、プライバシーに関係するので言えない」と語ったそうだが、流石に加害者を大切に扱う日本国無能警察である。殺される人間には相変わらず人権はないという事らしい。 例によって予兆があったのに死人が出るまで動かないという、いつもの無能警察のパターンである。
そして暴力団は拳銃やらSMGまでを「無許可で」持っているのに全然取り締まりもしない。今回の事件は、銃器や障害者が恐ろしいのではなく、無能な警察の存在が恐ろしいというだけの事だ。
本来散弾銃などの許可を得るには、公安委員会の講習会を受講し、その後、筆記と射撃の試験を受けるのだが、この際、犯罪歴や精神的な疾患、アルコール中毒、住所が定まらない者などは許可されない。精神状態についても医師の診断書を求められるが、実はこの一番重要な部分が簡単な聞き取りですまされる場合が多いのはこの業界では常識となっている。 つまり運転免許制度と同じで、システム化された免許制度はその所持システムが形骸化してしまっており、簡単に言えば、バカでも免許が取れるシステムに成り下がっているという事だ。
実は事件の多発を受け、11月に国会で成立した改正銃刀法では、射撃や狩猟など許可条件以外で使用した場合の罰則を、従来の懲役2年以下または罰金30万円以下から懲役5年以下または罰金100万円以下に引き上げたのであるが、これもバカな話だし無意味である。 正式な許可を得ている人間からは罰金を取れるが、無許可で銃を乱射する人間は裁判で刑が確定するまでは、容疑者と言う立場でしかない。さらにもっとも危険な暴力団は、その勢力が大きすぎるため取り締まりすらしない、いや、できないのである。 警察の持つ国家権力は、ひたすら弱者に対してのみ行使されるのだ。
佐世保のショットガン乱射事件は、いずれ警察の無能が起こした事件のような気がする。
そんな今日は課の忘年会。 今回はワインをメインにするという事で駅前のワ×ンバーに行く。まあ4000円で飲み放題付きという時点で程度は知れるのだが、予想通りとにかくワインが不味い。そもそも水で割ったかのように薄い。白も赤もである。 個人的には、ワインが飲み放題など愚の骨頂だと思っているし、それでまともな物が出るはずもないのは当然だ。どうしてこの会社の連中は飲み放題にこだわるのだろう。バカバカしい。
そして全員で国分町のラーメン国技館(だったかな?)へ行く。 嫌な予感はしたが、やはり味が濃すぎる。濃厚という意味ではなく、単に塩味がきついと言う意味の濃さである。明らかに酔っ払いが対象の味付けだ(つまり舌が麻痺した状態が基準である)。私は二度と食べたいとは思わないが、やはり飲み屋の近辺のラーメン屋にまともな店はほとんどないと断言する。 まあこれで今年の会社の行事は終わったから、あとは安心していられる。
さて。 懸念していたとおり、「コミック・ガンボ」が休刊となった。この業界での休刊は、ほとんどがそのまま消え去る事を意味するので、復刊は難しいだろう。 もっともこんな雑誌の復刊などどうでもいいが、板橋しゅうほうの「G-Cup」の続きはどうなるのだろう。本はどうするのだろう。この辺はきちんと終わらせるのが出版側の義務である。それでなくとも久々の板橋しゅうほうの連載作品なのだ。なんとかするべきだろう。
先日は親の不注意で子供がショットガンで死亡したが、今度は警官が馬鹿をやっていた。 もっともこういう事件が起こると、似たような記事を流して乗せるので、別に急に増えたという訳ではなく、いつもこういう事が起こっているのをたまたまニュースにしただけである。
今度は石川県穴水町の穴水署3階の会議室で、警官が空撃ちの訓練中に実弾を撃ったと言うのだから、バカもここまで来ると笑ってしまう。 県警警務課によると、巡査長は同日午前10時から、指導員1人と同僚12人で、スクリーンに映された映像を見ながら、実弾を抜いた拳銃で威嚇射撃などを行う訓練をしていたのだという。巡査長は訓練修了後、実弾を装てんしたが、時間が余っていたため、弾を込めたことを忘れたまま、再び練習を始めて実弾発射、訓練用のビニール製スクリーンと黒板を破壊した訳である。 実弾を込めた事を忘れるような奴が「巡査長」である。一体今の警察はどうなっているのだ。
これに対して県警警務部の南信広首席参事官は「決められた基本動作を怠ったためで誠に遺憾。再発防止に万全を期したい」とコメントしたそうだが、こんなのは基本動作ではなく、身体で覚えるものであり、さらに言えばわざわざ覚えるような事ではない。それができないような奴に銃を持たせる事自体が大きな間違いなのである。 だから一般警察官に拳銃所持は無意味だというのだ。実際の銃器による犯罪には対処できないし、せいぜい自殺の時に使うか、あるいは自身の犯罪のために一般人を射殺するしか使い道がないのだから、特別部隊以外の銃器の所持は止めるべきなのである。警官といえどももはやほとんどシロートと変わらないのだから、危険な事この上ない。
そもそも今回の事件にしても、下手をすれば何の関係もない人を「射殺」していたかもしれないのだ。いや、実際には射殺していたが隠している可能性もある。そのくらい今の警察組織は信用できない存在になってしまっている。 その認識がないのだから、警察は一度解体する必要がある。
色々と話題のレッド・ツェッペリンのロンドンでのライヴだが、早速映像をYoutubeで見た訳である。こんなものがあっという間にネットに乗ってしまうのだから恐ろしい世の中になったものだ。 ちなみに日本ではエリカとかいう頭の悪い奴を出す事で話題になり、結局日本中のロック・オヤジ、ロック・オバサンの反感を買いまくっているが。
それはともかく、ジミー・ペイジのテクについてはほぼ予想通りで、まあこんなものだろう。元から酷いと思っていたので、それを考えるとマシかもしれないが、やはり上手いとはいえない。 もちろんその辺の連中に較べれば上手いのかも知れないが、やはり現役のクリムゾンやキース・エマーソンを見てしまうと、どうしても不満しか出てこない。またロバート・プラントも流石に年を感じてしまう。 結局みんな現在のツェッペリンに何を望んでいるのだろう。
そういう意味では、前座の方が見る価値があるように思う。ソフトが出る時に、前座が入っていたら買うかもしれないが、ツェッペリンだけだったらおそらく買わない。 私は現在の姿のツェッペリンに、存在価値をまったく見出せないのだ。
しかしあれほどあったYoutubeの映像がかなり消えているが、このライヴはソフトを出せば売れるのが判っているので、これはまあイタチごっこだろう。
そろそろ年賀状を作らないといけないが、まだいいアイデアが浮かばない。そして喪中の連絡ハガキが来はじめたが、思ったより多いかもしれない。
さて、例の社会保険庁の税金泥棒たちの尻拭いをしている舛添厚生労働相だが、ついに根を上げたようだ。 記者会見で、該当者不明の約5000万件の年金記録について、1975万件が社会保険庁のコンピューター上で持ち主を探す「名寄せ」作業では持ち主の特定が困難であるとし、すべての記録の持ち主を特定するという政府の公約が実現不可能になったことを正式に認めたのである。 その中でも、同庁の入力ミスなどが原因の945万件は、最終的にも持ち主の確定が出来ない可能性が高く、年金加入者・受給者が支払った保険料が年金に反映されないという事態が避けられない見通しとなった訳である。
例によって与党を叩く事のみで売上を伸ばすしかないマスコミは公約違反だと指摘したが、「選挙戦をやってきた時で、意気込みでなんとしてもやるぞと私も安倍前首相も言った。やり方が悪かった訳ではない」などと述べ、謝罪は拒否したそうである。まあ当然だろう。本来の責任は歴代の社会保険庁の管理者にある。ここまで腐り切っていたのでは、いくら頑張ってもすべて解明するなど不可能だ。元となるデータが存在しないのだから。 むしろ舛添厚生労働相は、ここまで良くやったといってもいいくらいだ。あれだけの強硬姿勢をとらなければ、現段階までの進展すら無理だったろうし、仮に小沢氏率いる民主党が与党勢力になっていたら、多分解明は時間の経過とともに絶望的になった事だろう。民主党に政策実施能力はないからだ。
色々な事情があってマスコミは社会保険庁を叩かず、代わりに与党を叩くのみで結局は国民の事など誰も真剣に考えていないのだ。それは野党たる民主党も同じだ。旧社会党と全く同じ道を歩んでいるが、そもそも社会党も民主党も成立過程や人員構成がまったく同じだから当然だ。 社会党が与党になった時の混乱を思い出せば、民主党が与党になればどうなるか、簡単に想像がつく。民主党は選挙に勝つために主義主張が異なる人間を沢山集めているだけであり、意見がまとまる事などありえない集団なのだ。
もちろん現在の自民党がベストだとは微塵も思ってはいない。だが現状では他の政党がだらしなさ過ぎて、結局現在の与党構成がベターだという事になってしまう。 自民党と公明党による与党など、冷静に考えればこんなに恐ろしいものはないのだが、それに頼らなければ何も進まない現在の日本の政治形態は、かなりおかしいのである。
またまた銃によるバカな事件が起きた。 ネットのニュースによると「9日午後0時20分ごろ、東京都目黒区五本木、医師、立松秀樹さん(39)方から『猟銃が暴発、家族がけがをした』と119番があった。救急隊員らが駆けつけたところ、立松さんの次男直樹ちゃん(2)が右胸を撃たれており、病院に運ばれたが間もなく死亡した。警視庁の調べでは、立松さんが自宅居間でライフル銃の手入れをしていたが、事故当時は別の場所にいたという。立松さんが部屋に戻った直後、銃声が起こり、室内には長男(5)がおり、近くに直樹ちゃんが倒れているのを発見した。立松さんは正式な許可を得て数丁の猟銃を所持しており、同庁が事情を聴いている。」という事である。
このバカ親は、銃に関してドシロートとしか思えないような行動を取ったのである。 つまり自宅で銃の手入れをするのに、実弾を装弾あるいはそばに置いておくのは、言語道断であり知能程度が著しく低い奴だとしか思えない。したがってこの事件(こういうのを事故とは言わない)は、銃の所持者の危険管理能力がゼロ、そういう奴に猟銃所持許可を与えた警察関係者が無能、その二点が原因だという事になる。
そもそもこういうのを「暴発」というのはいい加減止めるべきだ。トリガーを引いたから弾が発射されたのであり、別に銃の機構上の欠陥ではない。あえて言えば、所持していた人間に欠陥があったというだけだろう。 現在の銃は構造的には非常に優秀で、暴発はまず考えられない。そういう時代なのだ。あくまでトリガーを引いたから起きた「射殺事件」なのである。
その上で、こどもを巻き込んだ事件を起こしたこの親は、欠陥人間であると断言する。銃というのは本来生物を殺す道具である。そんな事も想像できずに自分の子供を殺す事件を起こしたのだ。これで色々と銃器に関するバカな規制が始まるだろうから、この欠陥人間の愚かな行為で、世間に迷惑がかかるのだ。
ちなみにいくらこういう銃の規制をしようとも、暴力団が野放しなのでまったく意味はない。また警察も規制をしたという安心感から、銃の犯罪を軽く見てしまう。 つまり、規制をしても銃の事件や犯罪は、絶対に減らないのである。
なんだか久々に町に出る。お歳暮の下見と立ち読みである。
最初にロック関係の雑誌を色々と見ていたら、ニュー・トロルスの「コンチェルト・グロッソ3」のCDとDVDが出るという宣伝を見てしまった。先日のOB-CONでまこさんからそろそろ出るらしいという話は聞いていたので、注意はしていたのだが、結局雑誌からの情報の方がネットより早かったという事になってしまった。
内容は昨年の来日ライヴかと思ったら母国イタリアでのライヴだそうだが、セットリストは同じく「コンチェルト・グロッソ」の1〜3フル・ヴァージョンなので、むしろ母国の方が演奏のクオリティは高そうな気がする。まあ日本国内のライヴはことごとくブートが出るという現状では、イタリアでのライヴを出す方が正解だろう。 ただし国内盤はマーキーなので当然のように高い。それでもパート2から30年以上待たされたのだし、今さら文句は言うまい。それより彼らが現役トップで活躍している事に敬意を表したい。 ちなみに「コンチェルト・グロッソ」は、パート3の製作という話を初めて聞いてから、待ちに待った30年である。正直なところ本当に出るとは思っていなかったので、内容うんぬん以前に素直にうれしい(どの世界でもパート3に傑作はないのが不安要因だが…)。ただしこのニュースを見てしまったので、今日は何も買わずに色々と見て歩くだけにしようと決めたのだった。貧乏人だ…。 という訳で、DVDについては密林の方が安いので、帰宅後すぐに密林ボタンをポチッと押してしまったのだった。
しかしイタリアというのは不思議な国で、もしかしたらロック界とクラシック界の隔たりがほとんどない、稀有な国かもしれない。 なにせクラシックのコンサート・マスターや指揮者などがロック出身者だったりするのだ。もちろん大学で音楽を専攻したような連中が普通にロックに進む国だからできるのだが(総じてヨーロッパはそういう傾向がある)、そのつながりでロックにオーケストラを連れてくるのは、比較的簡単なのである。
そして「渋松対談」も立ち読み。 今回は当然のようにツェッペリンの復活ライヴといわれるものの事についてだが、流石に渋谷は熱烈なツェッペリン・ファンだけあって、今回のライヴをひどく心配している。これは解散後のジミー・ペイジをずっと追っていれば当然頷ける。 そんな中でBBCは「心配するな、多分練習はしている」というコメントを出したというが、さすがモンティ・パイソンを出した放送局だ。 いずれ私は特に見たいとは思わない。ただのノスタルジーに浸るなら、それなりにテクニックを磨いてもらう必要があるからだ。少なくともイエスやキース・エマーソンを見習うべきなのだ。そういう意味では、前座の方が楽しみなのだ、このライヴは。
この後、書店を出て色々と見て歩くとつい欲しくなるものがあって、物欲との壮絶な戦いを繰り広げてしまうのだった。ふぅ。
今日も粗仕事。 しかし休みでしかも急ぎの仕事がないのに会社に来る奴というのも困ったものだ。こちらは仕事をしているのだから邪魔なのである。かと思えば家で仕事をしているがパソコンがフリーズした、なんて電話をかけてくる奴までいる。 仕事をするのは勝手だが、邪魔はして欲しくないものだ。
帰宅後ネットで調べ物をしていたら、バンコの「最後の晩餐」が世界初CD化だという宣伝を見た。はて、LPはもとよりCDも持ってるのに変だと思ったら、英語ヴァージョンなのだそうだ。 つまり私が持っているのはイタリア語ヴァージョンなので、英語ヴァージョンとしては世界初なのである。まあいいけど。 こうなると問題は、買うかどうかである。
買うといえば、近所の模型屋に「66式メーサー殺獣光線車」のリモコン・ヴァージョンが置いてある。割り引きしていて20,000円オーヴァーの価格だ。欲しいが流石に手が出ない。 恒例の正月の安売りで30%引きで売らないだろうか。つまりそれまで売れ残っていれはいいのだが…。
会社の忘年会である。 早めに行ってセッティングしたのだが、機械の性能なのか下見の時よりかなり暗く、これでは後ろの方は見えない。会場側にクレームをつけるが、部屋の電気を消せば明るくなるとか、時間が経てばもう少し明るくなるなどの逃げ口上ばかりである。 そんなのは下見の時に確認しているのだから、部屋の明るさは問題ではないし、機械が違うのなら変えればいいのに、のらりくらりと訳の判らない事ばかり言う。機械の事が判らないなら機械の責任者を呼べばいいのだ。こちらの方が知識は遥かに上なのだから。 結局、スタッフの頭が悪いのだろう、このウェルサンピアというところは。
それでもやらなければならないので開始したが、当初思ったよりはいい感じの反応だった。かなり燃えた人もいるし、チームとしてそれなりに盛り上がっていた。 さて、気になる結果である。結論から言えば、かなり正解率は高かった。さすがに1チーム10人による団体戦にしただけの事はある。ただし5チームのうち1チームは完全に酔っ払いモードで、ほとんど不参加状態だったが…。
2001年宇宙の旅…全チーム正解。さすがメジャーである。 トップガン…同じく全チーム正解。 ターミネーター2…3チーム正解。 ゴーストバスターズ…2チーム正解 マトリックス…全チーム正解。ただしここからは4チームのみになった。 となりのトトロ…全チーム正解 機動警察パトレイバー2…正解チームなし。ただし見ていた人は5人くらいいたが、思い出せなかったとの事。 ちなみに全てのチームの解答は「アキラ」だった。これはこれで意外だ。 ガメラ2 レギオン襲来…正解チームなし。全員予想通り「ゴジラ」だった。 スター・ウォーズ…2チーム正解 椿三十郎…3チーム正解。やはりリメイクのおかげらしい。 ゴジラ…1チーム正解。他は全く判らなかったとの事。 スタートレック…2チーム正解。ちょっと意外。 デスペラード…正解者なし。ただし映像は一番受けた。 日本沈没…正解者なし。最近リメイクされたといったら1人正解者が出た。 ブリット…1チーム正解。 フェイス/オフ…正解チームなし。ただし「見た事があるが題名が出ない」という人多数。 サンダ対ガイラ…正解チームなし。ただしガイラという怪獣名を知っている人が1名いたので正解とする(どうしてそれで正解が出ないのだろう)。
こんな感じで、意外とそれなりに正解が出るものだ。 老若問わず「題名が出ない」という人が多く、また勝手な勘違いも多いが(「ゴジラ」や「アキラ」)、この辺が一般人の特徴なのかもしれない。
そして肝心の忘年会の料理は、これまた酷いものである。 飲み放題とか言いながら、ワインや焼酎はすぐになくなり、ビールと日本酒のみ。その上料理が貧相で不味い。何とか食べられたのは「うどん」である。 私が親睦会なら、絶対に二度と使わない会場である。
2007年12月06日(木) |
新作はいつリリース? |
とりあえず忘年会用ビデオ・クイズとして17問完成。応急なのでこんなものだろう。 だが、作っているとどんどんいいアイデアが浮かんでくるのだが、それをやるには一から作り直して再構成しなければならなくなる。今の時点でそれは流石にムリである。 通して見ると、初心者向けには60秒以上流した方が良さそうな気がするのは、色々と演出がしやすくなるからだ。まあいずれなるようになるのがビデオ・クイズである。
で、リストなどを作りながら久々にマイク・オールドフィールドの「アマロック」を聞く。 しかしこのCD、文字通り1曲しか入っていない。最近の「チューブラー・ベルズ・シリーズ」のようなサブ・タイトルすらないのだ。60分1曲勝負のインストゥルメンタルである。 ファンの間では賛否両論のアルバムだが、私は素直につまらない作品だと言っておく。聞き込めばオマドーン2のように聴こえるという声もあるが、本当に良い音楽は聞き込まなくてもすぐに素晴らしさが判るものだ。だから評論は後からついてくるのである。特に彼の音楽はそういう傾向があるので、最初にアルバムを通して聞いた時の印象は非常に大切なのだ。
ところで彼の新作「Music Of The Spheres」はいつリリースされるのだろう。一度延期になって、結局は来年発売になったようだが、どんな理由なのか気にはなってしまう。 そして「オマドーン」のリメイクはあるのかどうか、それも含めて注目してしまうのだった。
忘年会は明後日なのに、ここにきて演出の変更があるという。 もちろん私が納得できる事なら別に構わないし協力も簡単だが、どうも「クイズは公平ではない」という意見が出たらしい。ヴァカですか。全員が均等に答えを出して景品を均等に得られるようにするべきだとは、いったいどういう意味なのだ。これではまるで共産主義の考え方だろう。
どうも彼らは平等という意味を勘違いしているし、クイズという物の性格を理解していない。物を知っている事がアドバンテージになる、それが民主主義であり資本社会なのである。 本来は「全員が均等に楽しめる」と考えるべきだ。だから途中は不平等でも全然構わない。終わって差がついていても、全員がそれなりに楽しめたと思えればそれでいいのである。
そもそもこの時点で方針を変えようとする事自体がおかしいし、ここでダメ出しが出たところでどうしようもないではないか。時間は貴重であり、イヴェント運営をギリギリででっち上げるためにはそれなりに経験値が必要なのである。 それが彼らには皆無だから仕方なく手伝っているのであり、そういう自覚がないのでは、いつまで経ってもつまらない企画しか出来ないのだ。
2007年12月04日(火) |
フライング・プラットホーム再び |
米インディアナ州アンダーソンのAir Buoyant社が、体重をかけた方向に飛ぶ「VertiPod」を発表した。どうも空飛ぶセグウェイという位置付けらしい。 実際にデモで操縦したピート・ビター(Pete Bitar)氏は「XADS(Xtreme Alternative Defense Systems)」の創業者なのだそうだ。つまりレイセオンなどと同じ軍需産業の関係会社になる。もっとも彼らの開発した「スタンストライク」は、まだ軍に対して有効性を示せずにいるのだが。
それはともかく「VertiPod」は、プロペラがボトムについていて、操縦士はそのプロペラの周囲に構築したプラットフォームに立って操縦し、地上1.5〜4.6メートルの高さを最高時速64.3kmで飛ぶように作られているとの事で、これはつまり「フライング・プラットホーム」そのものではないか。
そして実際に飛行する原理はグラウンド・エフェクトになるというから、少なくとも軍や警察にとっては全く実用性がない機械になる。地面が平らでないと、簡単に滑り始めるからだ。これはエア・カーが実用化されないのと同じなのである。 つまり「週末仕事で組み立て可能な装備一式揃えて価格1万ドル」では、一般市場でも売れるかどうか甚だ疑問なのだ。
操縦システムとしてはなかなか良いところをついているが、やはりフライング・プラットホームは失敗作だと証明されているのだから、もっと違う発想が必要になるだろう。
夜に実家でビデオクイズを作る。 とりあえず10問。昨日も書いたとおり、この会社の人は元々映画の知識はゼロに等しく、しかも見た内容は覚えていないと言う見事なまでに一般人ばかりである。しかも生まれた時にはスター・ウォーズの公開は終わっており、ほとんど見た事がないという若い連中も多い。つまり私の常識は非常識でしかないのである。
今回私は親睦会のメンバーではないので、クイズの作成のみを頼まれたのだが、今度の金曜日に行なわれるのに、クイズの形式、グループ分け、商品、配点方法などが全然決まっていない。そんな状況で作ってみたら、これが想像していたとおり、つまらないのである。結局誰もが知っていそうなシーンは、自分にとって平凡でしかないのだろう。 やはりもっと趣味に走った問題にして自分の個性を出さないとダメだし、それ以前に演出という問題があるのだ。事前に構成や演出をある程度決めないと、忘年会という席ではどうにもならなくなる。
結局21時から2時間ほどかけたが、やはり満足度は低い。ESIFCON用に作ろうとする時のカタルシスは微塵も感じられず、やはり「ビデオクイズは、選ばれし者の遊び」なのかもしれないと思ってみたりする。 もっとも、ここまで一般人相手にビデオクイズをする事も滅多にないので、彼らの反応自体には興味があるのだが。
昨日の余韻で、なんとなくボーッとしていた日曜である。
それでも午後には実家に行き、会社の忘年会用ビデオクイズのソフトを選ぶ。ただし会社の連中は映画については無知なのに、親睦会メンバーの方針が決まっていないので(私はただの部外者だ)、なかなか厄介である。明日あたりに少し作ってみる予定だが。
この時ついでに「キャプテン・ハーロック」全5巻を読む。 まだこの頃の松本零士作品は、ある程度SF味もあってなかなか面白い。最近描いていた「まほろば」や「ヤマト」に較べると、雲泥の差がある。やはりこの手の松本作品からSF的ストーリーが薄れると、本当につまらなくなる。ただ男尊女卑な部分は、今となってはやはり時代錯誤的で辛いと感じるが、それ以外は今でも充分通用する内容だ。 ちなみにこの頃は、人類が他の異星人などの介入で進化したという考え方がかなりメジャーになっていた時代で、こういう話はうまく作るとかなり面白いものになるのだ。もっとも書く方はもちろん、読む方にもそれなりの知性が要求されるので、やはり読む人を選んでしまうのである。
やはりマンガでも小説でも、ダラダラと何も考えずに読めてしまうものはつまらない。どんな些細な事であっても考えながら読ませるようでなければ、存在価値は皆無だろう。
今日も今日とて忙しい。 月末月初が忙しいのだが、土曜が第一営業日となるようなパターンでは、休んでいる連中もいて、確認作業ができず何かと厄介なのである。結局トップに営業出身者しかいない現状では売る事しか考えられず、まともに会社の運営など考えられるような頭脳は皆無だ。
夜は鶴田家でOB-CONの打ち上げだが、そういう訳で20時頃の到着となる。 参加者はチュウジさん、鶴田さん、小原さん(鶴田氏の先輩だそうである)、青さん、岩崎さん、KC、623ちゃん、チャウチャウ、私、そしてあっと驚くさぐわ氏だ。よく考えれば(考えなくても)かなり凄いメンバーではある。
小原さんは色々なアニメ、特撮のDVDを持参しており、結構真面目に見てしまう。 自分では絶対に買う事はないだろう「月面兎兵器ミーナ」は、なんというかスタッフがひたすら遊んでいると言うのが良く判る。バックのポスターに「ダレ展」というのがあって、ダリの「柔らかい時計」のように気に引っかかっている人間が描かれているのには、全員が「これは見たいぞ」と笑ってしまった。 メインのストーリーは別にどうという事はないが、とにかくそういう作品だ。
「キューティーハニー THE LIVE」も自分では絶対に買う事はないタイプの作品だ。 ハニーは「原 幹恵」という人のキャラクターそのままらしく、見ていてうざったい。少なくとも近くにいて欲しくないタイプだ。そして何故か「なぎら健壱」が出ているのだが、やはりこの人にシリアスな演技は、下手ではないのだが似合わない。 いずれ誰かから借りない限り全話を見る事はないだろう。
「ULTRAMAN」はあの板野一郎氏がフライング・シーケンス・ディレクターとして参加したあれである。航空自衛隊版「トップガン」的内容は、平凡だがウルトラマンという作品でなければ良い作品だろう。 しかし板野サーカスは単体ではあまり意味がない。ウルトラマン単体での飛行だけでは面白さは少ないのである。やはりこれは「マクロスプラス」の方にこそ、彼の本領が発揮されていると言えるのかもしれない。
等と皆でワイワイ言いながら、その他にも色々と見て楽しんだのだった。 そしてKCを引き取りにおがにゃんが来たが、その時に子猫のちび太を連れてきた。ちび太というからにはオデンを食べるのかと思ったが、そんな事はないようだ。みんな素直に可愛がっているのが微笑ましい。 そんな宴会の夜だった。
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