どんぐり1号のときどき日記
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月末である。 しかし何故かうちの営業は月末月初はヒマのようで、実に不思議な行動ばかりだ。疲れる…。
さて。 ニュースによると、日本と中国の防衛交流の一環(8月の日中防衛相会談で実施が決まり、中国海軍のミサイル駆逐艦が第一陣として、11月29日に東京・晴海埠頭に入港した)として日本に寄港した中国海軍艦艇乗員が予定していた海上自衛隊のイージス艦「きりしま」(7250トン)の視察が、計画を知った在日米軍などからの抗議で中止となったそうだ。当たり前の話だが、米側が防衛機密漏洩の可能性を懸念したため、計画は補給艦視察に変更されたという事である。 もちろんイージス艦の見学は中国側の希望だが、これを許可する日本の防衛関係者は、頭が弱いとしか思えない。イージス艦は日本だけではなくアメリカの最高機密でもある。これを中国に見せるなど愚の骨頂だ。だからアメリカ議会は日本へF-22を輸出する事を絶対に許可しないのである。それが判らないようなボンクラだから、内部の汚職も大規模になるのだ。
ちなみに現段階で日本の仮想敵国は中国である。少なくとも海上が絡むものは、もはやロシアなど大きな障害ではなく、中国こそが危険な存在である。それが判らない防衛トップの連中は、はっきり言えばバカであろう。 シビリアン・コントロールではこういう部分も指摘しないといけないのである。それができない日本にとって、今回のアメリカ側のストップは正しい行動であり、内政干渉などではない日本のためにもなる事である。
しかし日本近海からさらに東京湾へ中国軍の艦船を入れるとは、本当にこれを決定した連中は無能でバカだ。もうこの近辺の海底データを堂々と採取して、中国軍の潜水艦のために使うのだから、今後日本の防衛は難しくなるし、そもそも中国軍は北朝鮮とつながっているので、このデータはそのまま北朝鮮に流れると考えるべきだ。 つまりこれから北朝鮮の艦船は、ますます日本への侵入がたやすくなるという事なのである。
どうして日本はここまで平和ボケしているのだろう。戦争反対を叫ぶのはいいが、中国、韓国、北朝鮮は日本周辺の海域を政治的、軍事的に奪いたくてウズウズしているのだ。その認識だけは持っていないと、非常に危険である。
幾つか調べる事があって、それがマイミクのはかせの過去の日記にあった事を思い出し、順に読んでいった。 しかしはかせと言う人の知識量は膨大だ。もちろん私も色々なジャンルに手を出しているからはかせに勝つ部分も当然あるが、音楽に関しては全く適わない。こういう時に自分の年齢を考えて「年の功はどうした」と叫びたくなってしまうのである。 そしてはかせの文章にコメントをつける人たちも、みな優秀な人たちばかりで、様々なジャンルに関しての知識と分析力が豊富な人が多いのである。類は友を呼ぶのだが、優秀な人には優秀な人材が集うのだと良く判る。 ちなみに博学な人が多いのはもちろんだが、知らない事は知らないときちんと明言する人がいる事で、やはりはかせの周囲の人たちの人格も判るのである。
等という事を考えながらついつい熱中してしまった。人の日記も優秀ならエッセイになりうるのは作家の例を出すまでもないが、やはりプロとアマの違いは、本当に僅かなものだ。多分明確な違いは、コネと持続性の問題だけだろうと思う。
「ストレンジデイズ」1月号を買う。まだ11月だというのに1月号である。 まあそれはともかく、今回も色々と面白い(ただし短い)記事がいくつかあり、それなりに楽しめる。もっとも楽しめる絶対量から考えると、1000円と言うのは少々高いのは事実だが…。
今月はビートルズの「ヘルプ!4人はアイドル」がリマスターされたDVDで出るので(もちろん、リチャード・レスター監督の映画の方だ)、その関係からビートルズの話題も多い。これはこれで自分にとって目新しい事実は載っていないが、10代初期にビートルズとカーペンターズに熱中しただけあって、ついつい読んでしまう。 いずれ「ヘルプ!4人はアイドル」は、ビートルズ映画としては抜きん出た面白さだが、普通に映画としてもレスター監督の手腕が発揮された傑作である。これを楽しめないようでは、多分映画を楽しめるタイプの人間ではないと断言できる。
さて、こんな特集が組まれれば、当然の事ながら映画「イエローサブマリン」の説明も載る訳だが、その中で例によって「ヘイ・ブルドッグ」がカットされていた話について書かれており、この曲が含まれていたのはイギリス公開版だけだと書いてあった。 いつもこの手の文章を読むたびに思うが、これは絶対におかしい。何故なら私が1973年頃に仙台東宝の大画面で見た時には、間違いなく「ヘイ・ブルドッグ」は入っていた。ただし映画館のファンの集いのような形でこの日一回のみの上映だっだか、もちろん字幕付きの正式なものだったし、そもそも私は特にジョージのファンだったので、これは鮮明に覚えているのである。 後年テレビで放映された時は単に時間の関係でカットされただけだと思っていたのだが、LDでソフトを買った時に入っていなかったのには、非常に違和感を覚えたのである。
「日本での公開版はイギリス公開版と違う」と言うのなら、あの時見たヴァージョンは一体なんだったと言う事になるのだが、そういう疑問を持った人は他にいないのだろうか。不思議である。
円谷プロがTYOの傘下になったと発表された。 だがいい加減な経営による業績の悪化は15年以上前から言われてきた事であり、同族会社の弊害を一切無視してきたツケである。高度消費社会となった日本においては当然の結果だ。 そもそも現在の円谷プロはただの版権管理会社であって、特撮のノウハウなどゼロである。製作は円谷であっても実際の製作は全て他の会社が行なってきたので、今さら他の会社に吸収されたからと言って状況が変化する事など何もない。
だが今度作ると言う「ウルトラギャラクシー怪獣バトル」、あのふざけた番組は何なのだ。要は「ウルトラファイト」のリメイクではないか。 そもそも「ウルトラファイト」自体に番組としての存在価値はなく、金に困った円谷プロが怪獣ヌイグルミを使って稼ぐためにでっち上げたものだが、こんなものに期待を寄せる業界というのは、情けないを通り越して呆れ果ててしまう。ミニチュアには金がかかるからできないと言うのなら、作らなければ良いだけの事である。儲けるためには手を抜かなければならないと考える現状では、作る方が間違っているのだ。
特撮と言うのはその辺のドラマと違って、「特撮だと判るシーン」や「特撮だとは気がつかないシーン」を問わず、特撮部分をきちんと作りこまなければならない。そのためにはある程度の予算、スタッフが必要なのは当然である。それが出来ないのなら特撮は捨てて、極力ドラマで見せる作品、つまり良質のSFドラマを作ればそれで良いだけの事である。だが現在の円谷には、その脚本を作る力もないし、センスも消え失せている。 私ははっきり言うが、現在の円谷プロに存在意義は皆無なのだ。
ちなみにリメイクすると、著作権所有者にリメイク料が入る。だから最近はリメイクが多いのではないだろうか。それで業界内部で金を回して皆が儲かろうとしている、ただのマッチポンプのような気がして仕方がないのである。技術もスタッフもいない円谷プロが簡単に金儲けが出来てしまうのも問題だろう。 そして今度の「椿三十郎」や「隠し砦の三悪人」は、リメイク料だけで邦画が作れるほどだと言う。とんでもない話だが、それがビジネスと言うものなのだろう。バカでもシロートでも、うまく立ち回れば簡単に儲かる世界なのだ。
昨日で仙台市天文台が閉館となった。後は民間へ委託して郊外へ移転する。 大昔に一度しか行った事はないが、町中から科学館も天文台も消えてしまうのは寂しいものがあるのは確かであろう。やはり子供たちが気軽に行けるような場所にないから、科学に対する啓蒙もしにくくなるというものだ。
ただ天文台の場合は、周囲の灯りが明るくなりすぎたと言う問題があるから仕方がないとしても、科学館は以前あった場所の近く、つまり中心部に作るべきだったのだ。合併問題で仙台市は旧泉市の顔色を伺っていたのは判るが、地下鉄だけで充分だろう。 こういう物はどこからでも平等な中心部に作るべきものなのである。そうしないと子供たちが気軽に行けないのだ。本来なら駅の近くという配置ができるのが地方都市のいいところなのに、それをやらなかった仙台市は情けないとしかいいようがない。子供の視点が完璧に欠けていたのだ。
結局あまりに泉市へ配慮しすぎたのである。それが現在の、駅を中心として廃れてきた姿を招いたのである。 もし仮に「当時はそんなのは判らなかった」という奴がいたら、それは知能程度がきわめて低いと言わざるを得ない。真剣に物事を分析して考えれば、誰でも結果は判る程度の事なのである。 経済なんて、そんなものなのだ。
2007年11月25日(日) |
フィルム・システムの余命 |
特に何をしたという訳でもないのに、三連休などあっという間である。 思うのは、平日は何をするにも時間が足りないという事だ。夜に本を読んでいると、あっという間に2時を過ぎるが、たまにならともかく平日にいつもこんな事をするのは少し苦しい。
それはともかく、先日買った「カメラマン」を読んでいたら「12月20日をもって『コダクローム』の現像受け付けは終了する」と書いてあった。 以前何度か使った事があり、確かに良いプリントが欲しい時の選択肢の一つになるだけの品質だった。フィルム撮影という事自体は贅沢を言わなければフジカラーが当分は大丈夫だし海外のメーカーの物もあるが、ハイレヴェルの現像の幅が狭くなるというのは残念である。いくらアマチュアでも、毎回その辺のオートプリンター任せの店に出すと言う訳には行かないのである。 これで日本におけるフィルムというシステムの崩壊は間近になったと実感してしまう。
そもそも、企業の論理からすればいずれフィルムの単価が大幅に上昇するのは目に見えている。それ以前に、現像所の縮小は現実に進んでいるし、フィルムの入手経路も少なくなっている。こんな状況の中では、写真を撮る側として近いうちに嫌でもデジタル一眼にシフトしなければならなくなるのは当然だ。日本の企業は、ある方向に動き始めると本当に早いし徹底しているのだから。 例えばジャンルは違うがソニーのDVDシステムは、ブルー・レイを推し進めるために現行のDVDプレイヤーの生産を終了した。はっきり言えば旧システムの切り捨てである。事前のアナウンス期間も短かったし、救済策もない。だがこれが現在の日本の企業の代表的な姿だと言える。
カメラの世界はここまで急ではないし、キャノン、ニコンという二大勢力があるとは言え、コニカ・ミリルタをソニーが吸収してしまった現在、今後のカメラ界にソニーの考え方が及ぼす影響は皆無ではないと考えるべきだろう。なにせここ3年ほどでフィルム・カメラの新作はニコンしか出していないのだから、全てデジタルにシフトするのは時間の問題なのである。
だが恐ろしい事に、2年前のデジタル・カメラがもう廃盤になっていたりするのが、デジタル機器の問題点なのではある。この販売サイクルの短期化はなんとかして欲しいものだ。 結局これが、戦後日本の経済成長を進めてきた連中の作った、最終的な日本の姿であり、ヨーロッパの考え方は見事なまでに駆逐されてしまったという事である。戦勝国アメリカと全く同じ社会になったと言う事だ。
昨日の本から。 ほぼ同じ時期に出るのに、雑誌の号数は一ヶ月のずれがあると言うのも不思議なものだ。という訳で「映画秘宝1月号」と「カメラマン12月号」を買う。 例によって「映画秘宝1月号」は数ページが楽しめればそれで良いという感じなのだが、やはり月刊の限界が見え隠れしてしまう。もっとも他誌ではほとんどオフレコという情報も載るので、まあ買う事で継続させる価値はある、といえるかもしれない。 「カメラマン12月号」は今年のカメラの総決算で、ある程度は辛口なのでインプレッションは参考になる。ただカメラ雑誌なのに面白みのある写真が今月は全然載っていないのはどうなのかという気もするが、まあインプレッションがメインだから仕方がないのかもしれない。 同類他誌と比較しても、かなり参考になる意見が多いのは確かなのだ。
そしてようやく「真・女立喰師列伝 公式解説書」も入手。しかし高い本だ。 この映画は現在、東京でしか見られないので、結局地方の人間はソフトを買わざるを得ないのである(もちろん押井ファンは、という意味でだが)。いつも思うが、どうして押井作品の劇場公開はこれほどまでに少ないのだろう。「イノセンス」の時に前作は動員が少ないと鈴木プロデューサーは騒いでいたが、彼も地方という概念が念頭にないのだろう。 という訳で、いつもながらソフトの発売発表を待つ日々が続くのだった。
意外な一冊が「G-Cup」1巻で、なんと板橋しゅうほうの新作だ。 いつの間にこんなものが連載されていたのだ、と思ったらコミック・ガンボ(「2007年1月に創刊された、世界初の無料週刊漫画誌」だそうである。当然首都圏を中心に配布しており、実に地方都市をなめきった雑誌である)に連載されていた物をまとめたものだそうだ。知らない訳である。 久々の新刊だが、絵柄は「セブンブリッジ」の頃から基本的にはそう変わっておらず一安心だ。というか「セブンブリッジの野球版」と言えば雰囲気は判るかもしれない。ただし古参のファンには問題ないが、初めて読む若い奴にはこの展開はついていけないような気がする。「SFファンのお約束」のように「しゅうほうファンのお約束」が存在するからである。 相変わらずシリアスと笑いが同居する作風で、私はそこそこ楽しめる作品に仕上がっており2巻が楽しみだが、雑誌の廃刊を心配してしまうし、それ以上に打ち切りにならなければよいのだが、と心底思ってしまう。世界初の方式が大成功するような布陣とはとても思えないのである。 そして彼の作品はデビュー作の「ペイルココーン」からすべてリアルタイムで買っており、今までの作品がどう扱われてきたのかを知っているので不安なのである。さらに私の好みは基本的に世間からずれているという認識もあって、なおさら不安なのである。 無事に完結させて欲しいものだ(ところで、去年ネット上で連載していたという「化虎」はどうなったのだろう)。
ところで「遊星仮面」が復刻されていた。 いや、復刻と言う表現は正しくない。あれだけ古いのに初単行本化なのである。私は小学校の頃読んでいたが、当時としても比較的真面目に描かれていた漫画だった。本当は欲しいのだが、全3冊で各1800円と言うのは高すぎる…。
今日入荷になったオリンパスのE-3に触ってみた。 実はキャノンEOS 40DのライバルになりうるのはこのE-3だと思っていたのである(ニコンは高いカメラはいいが、安いカメラはちょっと…)。 このカメラは20万円以下の機種の中では唯一の防塵防滴仕様であり、ボディの剛性も素晴らしく、つまり野外での撮影を考えた場合、そのアドバンテージは非常に高い。もちろん他社の後発ゆえ基本性能はもちろんの事、視野率100%の光学ファインダー、二軸可動の液晶ファインダーなど、様々な改善点が盛り込まれている。 今までの発表データから不安だったのは映像素子の「フォーサーズ」という規格だけだったが、カメラ雑誌を見る限り、これが大きな欠点にはなっていないようだ。 と言う訳で、今日の今日まで「買うなら40DかE-3だろう」と考えていたのである。
そして実際に触ってみる。持った感じはなかなか良い。40Dより少しだけ軽い感じでホールド感に問題はない。 そしてシャッターボタンを押してピントを合わせる。??? 何かおかしい。シャッターを切る。違和感が明確になる。
つまりこのシャッターボタンは異様に軽い、いや、軽すぎるのだ。ストロークが短くて軽い、銃器で言うところのヘア・トリガーなのである(正式にはトリガー・プルが軽いという)。 私はEOS650の発売とともに20年間EOSシリーズを使い続けてきた。当然シャッターを切る感覚は完全にEOSのものになっているが、最初から私にとって快適だったのである。だからE-3のシャッターを切る感覚は、少なくとも私にとっては実戦で使えないと囁くものがあるのだ。
だが恐らくデジタルカメラだからこそ、このヘア・トリガーは使えるのかもしれない。 銀塩のフィルムだと、ムダ玉を撮らないために、半押しからシャッターを切る直前でストップをかける事が時々ある。静物で何かが気に入らない時などがそうだ。 それが現在の高速処理ができるデジタル一眼なら、わざわざ止めずに撮ってしまえると考えれば、このシャッター・ボタンの設定は正解なのかもしれない。 気に入らなければ消せばいいから、どんどん撮れる。これ自体は技術の勝利である。特に現場カメラマンには必須の機能であると言える。だが写真を撮るという「趣味」のレヴェルでは悩むという事も愉しみなのである。
こう考える事自体が、私も古い人間になってしまっているという事なのかもしれないが…。
雪が降っている。それでもいまだにタイヤを替えていない連中のなんと多い事か。 しかし軒並み「思わぬ大雪」などと言うニュースになっているが、少なくとも数日前から雪の降る予兆はあったし、そもそも猛暑の後の冬は大雪と言うのは定説だ。あまりに自然に対する認識が低すぎると感じる。 ちなみに私はとっくに換えてある。雪が降ってからあせるのは嫌いなのだ。なにせ面倒くさがりだから。
ちょっと気になって調べていた映画版の「ミッドナイト・イーグル」は、色々な意見を元に推察する限り、端的に言って「考証が全くダメな『アルマゲドン』」のようで、これなら見に行く必要はなさそうだ。 私は「アルマゲドン」を見て感動するような奴の意見は、少なくとも映画に関しては全く信用しない。あれは泣く余地すらない、ただの駄作である。だがこの「ミッドナイト・イーグル」はその悪い部分全て見習った作品であるらしい。 まあその方が一般的な普段映画を見ない連中は見に行くのだろうから、プロデューサー的にはOKという事か。
ところで、ぶんか社の文庫サイズ版ワイルド7シリーズに「続・新ワイルド7」がある。これになんと「魔都ベガスを撃て」が収録されているのだと知ったのは最近である。今まで何故か未収録のままだった186ページの作品である。 という訳で入手したのだが、やはりこの時期のワイルド7としては面白い。もちろん少年キング連載時のオリジナル・ワイルド7には負けるが、少なくとも「魔都ベガスを撃て」はチームとして全員が活躍している。この時期はどうしても飛葉というキャラクターが強すぎて、チームを描けずにいたのだが、それがいくらか良くなった作品である。 それが何故単行本に未収録だったのかは不明だが、やはりストレートにテロを扱ったせいなのかもしれない。まあ収録された今となってはそんな事はどうでもいい。とりあえずこれでワイルド7はすべて揃ったのだから。
「PLUTO」の5巻(オマケを読むと、ほとんど大友である)を買ったが、映画秘宝はまだなかった。最近は入荷が遅い。 しかし「PLUTO」はこうして見ると、構成が原作に忠実だ。少なくとも展開はそのままだ。それでいて先が読めないように工夫してあって、やはり面白いのは確かだ。この先どう持っていく気なのか、とても楽しみな作品である。
ところで、昨年「AICヒロインコレクション」なるトレーディング・フィギュアが出ていたのだが、その中に「イクサー1」が入っていたのだと言う。これは全然知らなかった。 ちょっと驚いて(イクサー1と言う単語に私が反応しない訳はないのだ)調べてみると、そう悪くはない出来なのだが定価で840円というのは高い。しかも他の4種類は全然知らないキャラクターであるばかりか、魅力が微塵も感じられないものばかりである(シークレットは時祭イヴというのも、脈絡がなくて笑ってしまう)。もちろんブラインド・ボックスなのでこれだけを入手と言うのは難しいあたり、端的に言って商品として魅力がない。
やはりアニメというのは、セールス・ポイントを絞り込むのが難しい商品である。それをわきまえないと失敗するのだが、判っていない連中が多すぎる。 私は自分の好きなキャラと売れ筋のキャラが違うと言う認識はあるし、その境目も判っているつもりだ。少なくとも売る側はそういう勉強をしなければならないだろう。
ちなみにこの商品をネットで調べていたら、海洋堂ミュージアムにはボーメ氏製作のイクサー1が飾ってあるのも知った。機会があったら見たいものである。
しかし全然知らなかったが、もしかしたら「イクサー1」はかなりマイナーなのか?
日本ではヘンな騒がれ方をしているし、欧米でも一体どういう位置付けで見に行く人が多いのか、どうもよく判らないツェッペリンの再結成ライヴであるが、私は「現在のツェッペリンとしての彼ら」に興味は全然ない。現役としては完全に終わってしまっているし、何か新しい事をしようとしているようにも見えないからだ。
だがこのライヴ、実は前座がとんでもなく凄いと判明した。もうこれは前座だけでも見たいものである。というか、現状では前座の方が凄いと言える。 当初はRick Wakeman、Keith Emerson、Simon Kirke(元Bad Company)、Chris Squire、Allan Whiteというメンバーでアナウンスされていたのだが、その後Rick Wakemanは不参加という事になってしまった。それでもこのメンバーでの前座なら、ツェッペリン本家よりも見たいものである。 やはりミュージシャンたるもの、常に最前線にいなければ錆び付いてしまうのは当然だ。あまりに裕福になってしまうと、そういう事は忘れてしまうのかもしれない。
こうして考えるとイタリアのグループは凄い。ロックと言えどもきちんと音楽と捉えているためなのか、1970年代のグループでもいまだに現役でパワフルなプレイを見せてくれる連中はザラにいる。しかも音楽性も高いままだ。 キング・レコードが1970年代後半になってユーロ・ロック・シリーズを展開してくれたのは、非常に良いタイミングだったし、彼らはまた熱心に良い仕事をしてくれた。現在もイタリアやフランス、ドイツのグループが第一線でプレイできる一端は極東の島国が展開したユーロ・ロックのムーヴメントであると断言できる。この仕事で発掘された数々の名盤がなければ、ここまでイタリアのロックが常識になる事はなかっただろうし、当時の連中が来日するなどありえなかっただろう。
もっとも、還暦過ぎてロックをしている連中がいるなんて、1970年代には絶対に考えられない事だったのは確かである。時代は変わったと言うべきなのか…。
初雪だそうだ。おかげで今季、コートを着て出社するのも3日目になる。 しかしこれでもノーマル・タイヤで走る連中が多いのには驚くが、あわててタイヤ交換にスタンドやクルマ屋に駆け込む連中と言うのも、なかなか理解し難いものがある。個人で行けばどうせ2時間とか待たされるのだから(こういうのは会社の車が優先なのは当然だ)、自分でやった方がはるかに早いだろうに。 まあ、雪道でどんなに苦労してでも、タイヤ交換は楽をしたいという、その思考回路が私にはまったく理解できないのだが、実はそういう思考回路なのが車社会には多いのである。不思議なものだ。
不思議と言えば、イタリアでは17日、動物愛護団体が主体となって「黒猫の日」のイベントが開かれたのだという。「黒猫は悪魔の手先」などとされていたこの国では、「黒猫は縁起が悪い」と信じている市民によって黒猫の殺害が横行し、昨年1年間に推定6万匹の黒猫が殺害されたというのだから恐ろしい。 宗教や迷信は簡単に命を粗末に扱うようになるのは間違いないが、それが今でも続いているというあたりに、人間の愚かさを感じる。
その点日本ではかつて「黒猫は縁起が良いもの」だった。少なくとも戦後20年くらいまではそうだったのだが、やはり敗戦国の悲しさ、アメリカの、というよりキリスト教の愚かな考えが定着するまでそう時間はかからなかったのである。恐らく今世論調査をすれば、9割以上は縁起が悪いという答えを出すだろう。
元々日本は、異形を忌み嫌いつつも、大切にするという他の国にはないアンビバレンツな思考の社会だった。だから異形の生き物は恐れつつも敬うと言う事で無駄な殺生をせずに社会のバランスを取ってきた、非常に優れたものだったのである。 だが一神教の宗教ではそれができない、良いか悪いかのデジタルな思考しかできない社会になってしまう。だから当時は珍しかった黒猫は排除されるのである。
一神教を信じる連中は、日本人は無宗教だというが、それは大きな間違いだ。「八百万の神」という概念は、全てのものには等しく命が宿るから粗末にしてはならないと言う、キリスト教が求めてきつつもいまだに手に入れられない「究極の愛の姿」である。それは世界に誇っても良い宗教であり、考え方だったのだ。 もちろんそれも力が正義と言う武家社会の元、どんどん廃れていったのだが…。
民主党の小沢一郎代表は18日のフジテレビ番組で、新テロ対策特別措置法案への対応に絡み「ブッシュ米大統領のアフガニスタン、イラク政策は誤りだったと米国でさえ言われている。日本だけ忠実に協力したから、協力しないからといって、日米関係に影響はない」と述べ、インド洋での給油活動をやめても支障はないとの考えを強調したそうだ。
彼らがわざとか本当に知らないのかは不明だが、「インド洋での給油活動」と「イラク戦争」は別物なのである。 確かにイラクへの侵攻はアメリカ主導のテロに対する報復だと言うのは間違いないが、インド洋での給油活動は世界中がテロをなくそうとしている中での活動であり、世界中が同意の上での活動なのである。別にアメリカが中心なのではない。 だからこの活動を止めるのは世界中を敵にするのと同じ事だという事が日本人は判っていないようだ。中止はテロを支援すると国が宣言したと判断されるからである。
いくら与党への攻撃が大切な新聞や野党であっても、事実を捻じ曲げた報道は卑怯だ。これでは日本の国益に反する事をしているだけである。 私はこの一点だけでも、民主党は日本のためにならないと言わざるを得ない。世界情勢を甘く見てはならないのだ。
2007年11月17日(土) |
「戦え!!イクサー1」届く |
会社の親睦会から忘年会用ビデオクイズの依頼が来た。実はOB-CON用に会社の人から8mmビデオカメラを借りたのだが、この人が親睦会のスタッフだったのだ。 まあどういう物か今日見せる事になっているが、はたしてどうなる事やら。ちなみにここの支店の人は映画の素養はゼロである。こんな人たちの集まりも珍しい。多分やるとしたら初心者向けに作り直さなければならないだろう。
という訳で(どういう訳だ?)密林から「戦え!!イクサー1」のDVDが届いてしまった。 本当は「編集盤」だけでも結構満足できるのだが、それでもあえて買ったのには「サウンド」という理由がある。 編集盤で気に入らないのはただ一箇所、イクサー1の最初の格闘時のBGMが差し替えられている所だ。そもそも差し替えたのは編集時の長さの問題だとは思うが、ここだけはオリジナルのBGM「ヌグゥエンデルツェ」でなければ、私としてはどうしても納得できない。サウンドによる迫力が段違いなのだ。 だから以前からオリジナルのACT1が欲しかったのだが、DVD版はオリジナルのACT1〜3、編集盤、メイキングという全ての映像が入っていると判ったので、買ってしまったという訳だ。実は3990円という価格も魅力だった事は確かである。
結局映画において、「音楽と効果音」という「サウンド」は非常に重要な要素だ。試しに音を全て消して映画を見れば、いかに「サウンド」という物の効果が絶大か判るはずだ。トーキーが発明されてからの映画は、「映像」だけでは成立し得ないものなのである。 つまり「映像」だけではなく「サウンド」で納得するためにこのDVDを買ったといえる訳で、言い換えれば「サウンド」というのは、重要な販売ツールに成り得るものなのだ。これだけDVDが普及して、映画が丸々一本CDより安く変えるのに、いまだにサントラが売れるのは何故なのか、業界は真剣に考えて欲しいものである。
ちなみに買ってから判ったが、映像がリマスターされており、とんでもなく綺麗になっていたのには驚いてしまった。解説を読むと、本当に真面目にリマスター作業をしたようだ。意外と日本では、アニメ界の作業の方が丁寧だったりする。
2007年11月16日(金) |
GIRLSCHOOLの映像 |
Youtubeを見ていたら、GIRLSCHOOLのカヴァーする「20th Century Boy」が見つかった。なかなかカッコイイ。 意外とマーク・ボランのキーは高いのだが、GIRLSCHOOLは声域の狭さをアレンジでうまくカヴァーしているようで、そつなくこなしているという感じだ。流石に1970年代の女性ロック・ユニットだけあって、今の目で見てもかなり上手いといえる。迫力はなかなかのものだ。
ちなみに知らなかったが、彼女達はモーターヘッドと一緒に(MOTORSCHOOLというユニット名)「PLEASE DON'T TOUCH」という曲を出している。こちらもストレートにハード・ロックしていて面白いのだが、実は元々GIRLSCHOOLの曲なのだそうだ。大人の事情が色々とあったらしい。
しかしいくつか関連記事を見ていたら、リーダーでリードギター&ヴォーカルのKelly Johnsonは、2007年7月15日にロンドン市内の病院なくなったそうである。 Youtubeには比較的最近のインタビューもあったので、ちょっと意外だった。
来年8月に退役する南極観測船「しらせ」の後継船の名前が、同じ「しらせ」に決まったそうである。 どういう訳でまったく同じ艦名が、しかも続けて付けられるのか、あまりにもおかしいと思いにニュースを読んでみた。結果は白瀬中尉の出身地である秋田県にかほ市(旧金浦町)の組織票だと判明した。
そもそも公募では「しらせ」以外の名前を募集して、18878票中「ゆきはら」が768件でトップだったのに、にかほ市民から「できれば『しらせ』にしてほしい」との手紙が700通も寄せられたことを考慮したとかで、「ゆきはら」の応募すべてを「しらせ」への応募とみなし、「しらせ」単独での応募も加えると1010票になると「判断」したそうである。結果、2位の「やまと」の659表も大きく上回った言うのだが、これは明らかにおかしい。公募の意味を全くなさない、不正だと言ってもいい。 初めから「しらせ」以外は考えていなかったと言う証拠だ。そして普通同じ名前を付けるなら「二世」と付けるのが常識なのに、それすらも無視している。 もう組織票としても、もっともヘタなやり方だ。呆れるしかない。こういう決定をした「南極地域観測統合推進本部」というのは頭の悪い、独裁組織と言う訳で、どこかの国と同じである。 後継鑑は来年4月に進水式が行われ、2009年11月に初の南極観測に向かうそうだが、もうどうでも良くなってしまう。上の組織が腐っているようでは、南極観測の目的が曖昧になるからだ。 そもそも現「しらせ」も老朽化で退艦する事が決まっていたのに、新造船の話すらまとめられなかった位だ。もう日本は南極を調査する資格などないのかもしれない。
2007年11月14日(水) |
「戦え!!イクサー1」は面白い |
どうも少々風邪ぎみのようだ。困ったものである。
無事にOB-CONも終わってもう二週間も経つ。 この時のビデオクイズ作成時、ついつい最後まで見てしまう作品がいくつかあった。面白いので話題にしたかったのだが、クイズにしてしまった以上、終わるまで出せなかった。
そんな中の一つが「戦え!!イクサー1」である。 1985年当時は高くて映像は買えなかったが、サントラは全て買ったし、編集盤LDだけは確保したほどに好きである。何故そんなに好きなのかというと、SF・怪奇・エロ・グロ・美少女の戦闘・東映特撮・巨大ロボット・東宝超兵器のオマージュ等など、とにかく当時のイロモノをすべて詰め込んで、それでいて破綻していないという本当に稀有な例だからである。 もちろん映像も当時としては非常に丁寧で、ディロスθがイクサーロボの攻撃でビルを破壊しながら滑っていくシーンなど、当時としては画期的な映像であり、これだけでも見る価値はあったといえる。
そしてもっともこのシリーズでウケたのは、地球防衛軍側のスーパーメカである富士壱號、富士弐號、FJ-IIIだ。作画に手間隙かけ、渡辺宙明の重厚な音楽で颯爽と登場、したかと思った瞬間撃破されてしまうという、信じられないヤラレメカなのである。 もちろんベースは海底軍艦、マイティ号、メーサー車などで、それなりに興奮させておいて一瞬で爆破である。 もちろん当初は、クトゥルフのメカの戦闘力が並外れて凄まじいという事を比較する演出のはずだったのだが、2巻3巻と続くにつれ、いかにあっさりやられるかが観客側の楽しみになってしまったのである。
いずれ今見てもこの作品は充分通用する。「うる星やつら2」等と同じで、製作側が本気で作った作品は20年以上経っても鑑賞に耐えるのである。
という訳で、アマゾンでDVDを頼んでしまった。オリジナルのACT1〜3、編集盤、メイキングという全ての映像が入っていて3990円だ。買って損はないと断言する。
ダビンチで、石川賢の事が4ページに渡って書かれていた。一周忌という事か。 彼の実力は永井豪をとうの昔に追い抜いていたのだが、世間一般ではどうしても永井豪のアシスト的な見方しかされていなかったらしく、要は世間は彼をあまり認めていなかったという事だ。 だから出す作品はほとんど打ち切りのような感じで最後まで描き切る事が少なかったのが哀れだ。彼の作品の特徴が判っていれば、多少長めのスパンで捉えないといけないと判るのだが…。
とにかく亡くなるのは早すぎた。せめてゲッターロボをあと一本描いて、ゲッターエンペラーの目指すところを示してくれれば良かったのだが。このまではゲッターの進化が、宇宙の進化を促すものなのかそれともイデオンのように宇宙のリセットなのか、その辺が全く判らないままなのだ。 個人的にはゲッターは正義ではなく、理由は不明だが宇宙を滅ぼす方向で進化しているように捉えていたのだが。 いずれマンガ界にとっては、みず谷なおき以来の大きな損失だったと言える。せめてあと10年、頑張っていて欲しかった作家だ。
そう言えば去年はマクベインも亡くなって、心の張りだった「87分署」シリーズも途中で終わる結果になってしまった。これから面白くなるという展開になった矢先だったのに、こちらも本当に残念だった。
ニュースで「EMIミュージック・ジャパンはザ・ビートルズの名盤8タイトルを10月31日から1カ月間の期間限定で、特別価格で販売している。1枚1850円。2枚組は2700円。ビートルズの名盤が値引きされるのは初のケース。」というのを見て、 2枚組みがあるという事は当然「ホワイト・アルバム」もあるのだと思い、対象商品を調べてみたら、これががっかりだった。
「ザ・ビートルズ 1962〜1966(赤盤)」 「ザ・ビートルズ 1967〜1970(青盤)」 「パスト・マスターズ VOL.1」 「パスト・マスターズ VOL.2」 「ザ・ビートルズ アンソロジー1」 「ザ・ビートルズ アンソロジー2」 「ザ・ビートルズ アンソロジー3」 「ザ・ビートルズ ライヴ!! アット・ザ・BBC」
どこにビートルズの名盤があるのだろう。「ビートルズのアルバム」など1枚もなく、すべて解散後の、いわゆる編集盤でしかない。EMIは東芝から離れたはずなのに、相変わらずふざけているのか。 もう充分にビートルズで儲けているのだから、老人の給与や退職金に使うのではなく、いい加減オリジナル・アルバムの価格を下げるべきだろう。それをやらないのは人類への冒涜だ。
今回もどうせ編集盤なら「オールディーズ」があればそれだけで許したかもしれないが、あるのはただのセールスを意識した物だけだ。そもそも私は赤盤青盤も、アルバムとしての価値はまったく認めていない。こんなので4枚も浪費するなら、オリジナルを4枚買った方が絶対にいい。
ビートルズは曲ではなく、アルバム単位で語るものなのだ。アルバム毎に歴史を作っていった稀有なグループであり、それをベスト盤で聞くなどもったいない事おびただしい。 とりあえずオリジナル盤を全て聞いた上で、自分のベスト盤を作るというのが正しいビートルズの遊び方なのではないか、という気がしてしまうのである(もっともこう考える事は、保守的であるという事も充分承知しているのだが…)。
午後にチュウジさん宅でKCとともに、OB-CONのアルバムをまとめる件について打ち合わせ。 やはり5年後に見た時に感動できるようなものであれば充分だ。その時にシステムがどう変わるか判らないから、普及している平凡なシステムで作った方が良いだろう。 しかし写真を見ているとなかなか面白い。途中で冨木さんの結婚式の写真を見たが、これだけでも本当に楽しくなってしまった。
帰宅してニュースを見ていたら、なかなか面白いものが挙がっていた。 『9日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙は、大相撲の時津風部屋の序ノ口力士、斉藤俊氏(当時17歳)の急死を巡り、愛知県警が当初、司法解剖をせず、病死とした問題を取り上げ、「日本の警察は悪を直視していない」と日本の検視制度を厳しく批判する記事を1面などに載せた。 記事は、「斉藤さんの遺体に多数の傷があり、足にはたばこの火の焼け跡まであったのに、愛知県警はなぜか心疾患と判断した」と指摘。さらに、同県警が昨年扱った変死体のうち、検視官による検視が行われたのは6.3%で、全国でも11.2%に過ぎないとした。 検視率が低い理由として、同紙は、〈1〉日本の警察は管轄内の殺人などの比率が上がるのを嫌がり、病死や自殺として処理しようとする傾向がある〈2〉被害者の遺族も体が切り刻まれるのを嫌がる――などと指摘。「日本の検視制度は第2次大戦後に米国が導入したが、十分に機能していない」と総括している。』
以上だが、例によってアメリカから指摘されるとは、しかも政治に関係ない一つの事件をここまで言われたのだから日本の警察は本当に情けない。だから不要だと言われるのだ。 以前日記に書いたとおり、被害者の親である遺体のシロウトが明確におかしいと思ったのに、プロであるはずの警察側が病死で片づけようとしたのだから、もう警察が加害者とグルだとしか思えない。だから「日本の警察は悪を直視していない」と言われるのだ。見逃す事で悪を助長しているのだから、タチが悪いのである。
ようやく日本も国際社会で重要な地位を築きかけてきた矢先、国内の治安について無能扱いされては、いらなく信用をなくする。中国や北朝鮮、あるいは韓国をアメリカが今ひとつ信用していないのは、警察機構が充分に働いていないからだ。少なくとも第二次大戦後に自分たちが日本の警察を整えてきたと考えていたからこそ、アメリカは日本をある程度信用してきたのである。 それがここにきて崩れてきたという事で、日本人はもっとこの事態を重く見るべきなのに、せいぜいがバカ芸能レポーターが騒いだ程度だ。本当に情けない。
そして鉄腕バーディ17巻目を買ったのだった。
2007年11月10日(土) |
何故ダミー・カート仕様 |
某ノダヤでモデルガンの新作情報を見ていたら、マルシンのブローニングM1910が出ると書いてあった。 久々だと思って良く見ると、これがなんとエクセレントHWでダミー・カートリッジ仕様との事だが、何故今になってダミー・カート仕様なのだろう。 これについて思わず店員に確認したら、どうもこのモデルはバレルがすぐに割れてしまい現在でもその原因が不明らしく、困ったメーカー側が苦肉の策としてダミー・カート仕様にしたのではないかという事だった(単にプラの配合の問題という気もするが)。 私の持っている物は元から発火、エジェクトの調子が良くないのであまり発火していなかったが、とりあえずパーツ取りの予備としてキットをもう一つ持っているので、まずは一安心という事になってしまった。
でも写真を撮るという事を考えると、意外とダミー・カート仕様というのは良いかもしれない。今までは小型モデルというと、ブローニングM1910、ベレッタM84、ワルサーPPKあたりを撮影に使っていたが、小柄な女性が持つと細身のM1910が意外と似合うのである。やはりPPKはドイツ製だけあって、小さいくせにサイズ以上にごつい感じがしてしまうのだ。 実際の護身用ならM1910は絶対に使えないが、見栄えという点では写真向きである。ただし撮影してみると判るが、シチュエーションがかなり限られてしまうのもM1910というものの欠点ではあったのだが…。
という訳で、購入はどうしたものだろうかと悩んでしまうのだった。 やはり表面の処理がどの程度なのか、それが確認できないとちょっと手は出せないが、なんとなく買えてしまいそうな価格設定だけに余計悩んでしまうのだ(貧乏だから悩むのか…)。
2007年11月09日(金) |
いずれも質は問わない |
大騒ぎになった自民と民主の大連立を持ちかけたのは、読売のナベツネかもしれないと、鳩山クンが言ったようだ。だが驚いた事に彼自身もナベツネから話を持ちかけられたというから、本来ならばその時点で彼の真意、具体的内容などを詰めておくべきだったのだ。それが本当の政治家というものだ。 そうすれば小沢氏が話を出した時に、具体的な理由を出して彼を納得させるだけの否定理由が出せたはずであり、世間を騒がせる結果にはならなかっただろう。 つまり鳩山クンにとっては全然青天の霹靂ではなかった訳で、単なる職務怠慢である。
その民主党の活躍のおかげで、今回の国会は何一つ決まらないまま会期を終えようとしていたが、結局35日間の会期延長となった。それは確かに何も国会で決まらないのでは政治家の意味が皆無になるし、そもそも社会生活に支障が出る。 だがこの会期延長のおかげで、議員には一日いくらという、言ってみれば残業手当のようなものがつく。多分一人あたり200万位だろうか。つまり税金が無駄に使われるのである。 野党はそういう事もきちんと考えて欲しいものだ。反対のための反対ばかりか身内でバカをやっている間に、税金は無駄になる、世界からは相手にされない、という何もかもを浪費しているだけだ。
ところで。 パチンコのせいでアクエリオンのオープニング・ソングがヒットしているようだが、あれは本当に菅野よう子作品なのだろうか。いつもの雰囲気とあまりにも違うのだが、ここまで違うとアレンジャーとシンガーが単にヘタなだけなのかもしれないと思いつく。あまりにも違和感がありすぎる出来なのだ。 それでもヒットしてしまうあたり、今の世の中は「作品の質」はまったく問わないという事なのだろう。
マイミクの方から教えてもらったのだが、「ランドリーリング」なる物が売られているらしい。 なんでも洗濯機にこれを入れて使うと、洗剤不要で衣類の汚れが落ちるというシロモノだ。だが本来洗濯機なら洗剤を入れなくともそれなりに汚れは落ちるのは証明済みで、かつて洗剤不要の洗濯機が実際に売られていた事もある。どういう圧力があったか容易に判る理由で、後発機は存在しないが…。
それはともかく「ランドリーリング」なるものがどういう機能を持っているのか全然知らなかったので、とりあえず販売元をちょっとのぞいたら…、「組織水」??? なんでも「リング内の組織水から水の構造を変化」させるとか書いているが、この表現自体が明らかにトンデモ系だ。だいたいあんなリングだけで水の構造を変化させるのは、事実上不可能だろう。 科学的に比較するなら、水だけで洗った結果と比較しないといけないが、そういうデータはないようだ。それは水で洗ったデータと同じでは売れないからだと容易に想像できる。 そもそもこの手の物体を入れて洗濯機を回せば、物理的に汚れはある程度落ちるのは当然なので、あえてニセ科学を導入する必要などない。だがそれではセールスポイントに欠けるのかもしれない。
しかし健康機具は、少なくとも害を与える心配がない、それこそ無害なものなら「病は気から」という感じで、本人の気持ち次第で健康になるケースも皆無ではないだろう。 だがこういう純粋に物理的な結果を出すものでは、嘘は許されない。人の意思で結果が左右されるものではないからだ。 しかもこれは「環境破壊を少しでも食い止めたい」という善意につけこんだ悪質な商品だ。これで一万円もするのだから呆れてしまう。
ま、EM菌と違って環境破壊をする恐れはないのが救いか。ニセ科学商品で無害なのも珍しい?
あの飲酒運転殺害事件の経過である。言っておくが、これは事故ではなく殺人事件である。 ニュースによれば『福岡市東区の「海の中道大橋」で昨年8月に起きた3児死亡事故で、幼児3人を死亡させたなどとして危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)罪に問われた元市職員、今林大(ふとし)被告(23)の論告求刑公判が6日、福岡地裁(川口宰護裁判長)であった。検察側は「結果は他に類を見ないほど悲惨で深刻。法が許す限りの最高刑で臨むほかない」と両罪を併合した法定上限の懲役25年を求刑した。』との事だ。
もっと色々と詳しい事が書かれているが、それは割愛する。 本来、裁判は感情的になってはいけないが、このケースに関しては被告がスケープ・ゴートになっても仕方がない、というかあえてスケープ・ゴートにするべきだろう。 被告の事故後の行為は、ひき逃げ、証拠隠滅ととにかく悪質である。さらに裁判でひたすら刑責を逃れようとする態度の弁護団、これで量刑が軽くては、飲酒運転など減りはしない。そもそも飲酒運転は死刑を適用しても良いほどの悪質な行為なのだ。それが全然判っていない被告と弁護士のいい加減さ。もはや裁判にすらなっていない。 だから彼にはスケープ・ゴートになってもらう必要がある。それが彼の犯した罪に対する償いなのだ。それでこそ死んだ子供たちも、少しはうかばれる。
買ってから何度も「OFFICIAL BOOTLEG DARK SIDE OF THE MOON」を聞いている。あのドリーム・シアターのやつだ。 もっとも主に聞いているのはボーナストラックの2枚目の方で、想像以上に「Echoes」「One Of These Days」「Sheep」の出来が良いのである。原曲が名曲なのでストレートにカヴァーすれば良い曲になるのは当然なのだが、それでもプロともなれば多少のアレンジは当然ある。それも含めてこのカヴァーは面白くなっている。
冷静に考えると、もしかして「Echoes」は新しく解釈して演奏する方が面白くなるタイプの曲なのかもしれない。こうなると近々出るデイブ・ギルモアの「Echoes」も聞いてみたくなるではないか。フロイド時代のただのコピーであれば全く面白みは無いが、彼のアレンジが入れば、もしかしたら面白くなるかもしれない。
しかし昔はカヴァー曲というのは好きではなかったのだが、プレイヤーがそれなりのテクニックを持っているとカヴァーもそれなりに面白くなるという事に気付いてからは、むしろ積極的に聞くようになってしまった。 ただしリスナーがカヴァーばかり聞くのは良くない事で、それは充分判っているのだが、それでも時々聞いてしまう。結局カヴァーするのはほぼ名曲に限られるから、聞いていても飽きないからなのだろう。
ところで先日テレビでやった「バイオハザード2」などを見た訳だ。何故かというと、以前Youtubeで見た時に、当然字幕などないので意味が判らないところがあったからだ。 今回のテレビでいくつかは判ったが、ほとんどは英語が判らなくとも別に支障はないという程度のものだった。そして一番不思議だった、ラストでディスプレイを見ていた監視員が血を出して死ぬシーンなのだが、結局テレビで見た限りは謎のままで、これでは本当に字幕などなくても何の問題もない映画だった訳である。 やはり1970年代の映画は偉大だったという事だ。
とあるドラッグストアで「中型バイクメモリアル」があったので一つ買ってみる。今回は欲しかった「Z400FXのレッド」だったので、「RZ350のブラック」(本当はホワイトが欲しかった)と並べておく予定だ。
土日で買った本について。 「ゲロゲロプースカ」と「ジャンゴ(下)」はどちらもしりあがり寿の本である。 前者は連作短篇集で1890円もするが、各短篇ごとに紙の色と質が違う。この装丁があまりに面倒なために再版はしないらしいが、元々ファン以外には売れない内容だろう。「方舟」のような私小説的路線だからだ。 でもこれは相変わらず面白い内容になっている。この変な題名に騙されてはいけない。見かけによらずかなりシビアな内容なのである。 だが装丁の凄さも特筆に価するのも確かだ。その紙質の違いもあるが、なにせ話は表紙から始まって本当に裏表紙で終わっているという、丸々一冊での作品となっているのだ。少し高いが、本好きなら買って損はないだろう。
後者は映画のコミック版だが、下巻連載の途中で映画が公開されているので、その辺から映画を完全に無視した展開にするというメタ漫画となっている点が凄い。これまたいかにもしりあがり的展開である。 そして独自のストーリーになってからの方が、やはり面白いのである。しりあがり寿というマンガ家に原作物は似合わないのかもしれない。
知らなかったが「ワイルド7」の新たな文庫ヴァージョンが出ていた。 未掲載だった口絵などが載るらしく、更に揃えろという事なのだろうか(4ヴァージョン目になってしまう)。とりあえず1冊目は買ったが、多分全部買う事になるだろう。困ったものだ。
ついでなので文庫版「真ゲッターロボ」も買う。 結局このシリーズは、オリジナルが出版社も本のサイズも違うので、この文庫版で揃えれば綺麗に収まるところが魅力的だ。 いずれこのシリーズは「真ゲッターロボ」がターニングポイントである。はたしてゲッターの存在が宇宙全体の進化という点から、善なるものなのか、はたまた邪悪なものなのか、それが見え始めたのである。 そしてアークの後、せめてあと一作あればその方向性がきちんと見えたかもしれないのに、本当に惜しい。
民主党の小沢党首が辞意を表明したそうだ。 自民との連立を提案して民主党内を混乱させた責任を取るという事だが、本当は民主のバカ連中と一緒にやるのが嫌になっただけではないのだろうか。
小沢氏は古いタイプの自民党政治そのままの手法を続けているが、決してバカではない。彼の連立の持ちかけの経緯を見ると、彼の狙いはかなり見えてくる。彼は衆院の絶対多数の確保を狙っていたのだ。
だが問題なのは、彼の考えを肝心の民主党がまったく理解できていないという事だ。外部から見れば非常に判りやすい展開なのだが、政治的には決して頭が良いとはいえない民主党トップには難しすぎた話なのかもしれない。小沢氏得意の豪腕をもってしても、流石にバカを説得するのは難しいだろう。そもそも民主党は考え方が違う人間の集団なので、まとめる事はほぼ不可能なのである。
ああ見えて小沢という人は真面目に政治に取り組んでいる。その方向や是非はともかく、政治家であろうとしてはいたのだが、彼の最大の誤算は、民主党がただの烏合の衆だったという事だ。これでは彼としてもどうしようもなかっただろう。 本当に政界を引退するのか、自民党に入り込むのか、これからの彼の動きが注目される。
ちょっと町中へ本を買いに出る。ただし肝心の欲しい本が見つからないのは毎度の事だが。 そんな中で久々に「ビートレッグ」を買う。今月はイタリアン/ユーロ・ロック特集だからだ。やはりこの手の特集は、それなりにマニアな人が書いてあれば、意見の相違はともかく面白いのである。
そしてなんとなくHMVや新星堂に行き、買ったのは3枚。 「ノー・パルコ〜30周年記念コンサート」バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ 「オカルト宣言」ブルー・オイスター・カルト 「OFFICIAL BOOTLEG DARK SIDE OF THE MOON」ドリーム・シアター
「ノー・パルコ」は、いわゆるバンコの30周年記念ライヴである。しかし彼らもいい加減年なのだが、パワーが衰えていないのは流石だ。演奏が非常に丁寧で、この辺はロックをきちんと音楽と捉えているからだろう。 そんなバンコは聞いていてやはり楽しい。特にライヴとなるとなおさらだ。
そして驚いたのだが、まさか今頃になってブルー・オイスター・カルトが、しかも紙ジャケ・リマスターで国内盤となって出るとは思わなかった。日本のメジャー・シーンではほとんど忘れ去られているというのに。 実は「暗黒の狂宴」や「タロットの呪い」も欲しかったが、特に前者はDVDまで付いて4,410円という値段で、これでは少々金が足りない。今回はジャケットがメッサーシュミットMe262のイラストという魅力的な事もあり、「オカルト宣言」を買ったのだ。 しかし彼らのアルバムが一体いつ出ていたのかと思いアマゾンで見たところ、2007年6月20日と書いてあるのだが、これはおかしい。店頭にあれば私が絶対に見逃すはずはないのだ。もしかして今まで店頭に置いていなかったのか?
「OFFICIAL BOOTLEG DARK SIDE OF THE MOON」はDVDで持っているのだが、なんとCD盤はボーナス・トラックが1枚付いた2枚組で、「Echoes」「One Of These Days」「Sheep」が入っている。これはもう買うしかない。 しかしこれを聞くと「狂気」の完コピではなく「アニマルズ」あるいは「炎」をやって欲しかった気がする。
この時バンコの「壷」のLP(ファーストの完全復刻盤だ)も見かけだが、一応オリジナルジャケ仕様のCDは持っているし、そもそも4,800円ではちょっと(かなり)手が出ない。欲しいのではあるが…。 なおこういう物オリジナルをLPプレイヤーで聞かなければ意味がない。カセットへのダビングでも良いが、少なくともCDとは別物と考えるべきだろう。この辺の感覚は若い世代には理解できないのかもしれないが、いずれCDとLPでは音は別物と捉えていた方が良い。 ただしエンジニアその他で音が全然違ってくるあたりが厄介ではあるが…。
会社で使用中のノート・パソコンが壊れた。プロジェクターに接続すると画像が壊れるのだが、それ以外は何ともないので、出力関係のボードが壊れているとしか思えなかった。 という訳で、初めてDELLのカストマー・サポートに電話する。元々ここはゲートウェイが日本から撤退してからサポートの処理能力が格段に進歩し、顧客満足度でもほぼトップを占めているという話は聞いている。 だが今までいくつかの他社サポートに電話して、まともだと思った事は一度もない。要は相手のレヴェルに合わせるという事が出来ないのだ。常に自分が中心の考え方でサポートしているので、判る部分と余計なお世話というのが同居しているのである。そしてそもそも役に立った事がない。
という訳であまり期待せずに10時位に電話したところ、実に素晴らしい対応で驚いてしまった。 まず話す内容が判りやすい。何がどうおかしいかからいくつかの仮説を立ててまず簡単な部分を潰していく。その上で修理が本当に必要かどうか確認する。この時感心したのは、説明が非常に丁寧で判りやすいのだが、その内容に無駄が感じられないのだ。だからイライラする事がない。これは簡単そうに見えてかなり高度なテクニックだ。 そして機械の立ち上げも含めて15分ほどのやりとりの後、パーツ交換という事になり、修理部門から折り返し電話するという事で一旦切って待つ事30分、かかってきた電話の内容は「12時半にはパーツを届ける事が可能で、その30分後くらいには交換のエンジニアが行ける」というものだった。 これはとんでもなく早い対応だ。私も周囲も、とにかく驚いてしまったのである。
そして予定通りパーツもエンジニアも到着。流石にパーツ交換はマザーボート交換という処置だったらしく、2時間近くかかったが、15時にはすべて終了。もうこちらとしては機械のトラブルで怒るよりも、「こんな素早い対応で助かりました」としか言えない。本当に感心してしまったのだ。
これだけテキパキとした処理を見せ付けられると、個人で買うPCもDELLで良いかも知れないと思ってしまう。元々パソコン関係のトラブルは、小さなものなら自分でなんとかなるが、大きなトラブルではサポートの能力が重要なのである。 そろそろうちも次の機械を考えなければならないのだが(ウイルスバスターはついにWin2000のサポートを止めたのだ)、OSをXPにするかVISTAにするかで迷っている。VISTAだと基本性能を少し高めに設定しなければならないからそれなりに金がかかるし、そもそもVISTAは全くの未知の世界だ。 こうなると、サポートがしっかりしているというのは魅力的なのである。
そういう意味でDELLのサポートというのは、実にうまく宣伝も兼ねていると言えるだろう。各メーカーももっと見習うべき部分だ。
「レディオヘッド」の新作『In Rainbows』が出たのだが、EMIとの契約が切れた今回はネット配信先行となる。 もちろん今時ネット配信如きで驚きはしないが、なんとこのダウンロード版アルバムは「up to you」、つまり代金は購入者が決める「付け値」システムなのだそうだ。これはかなり画期的な事件で、よほど自信がなければ絶対に出来ない事である。
ただ聞く前に自分で価格を決めると言うのは難しい。価値観とは「自分にとっていいアルバム」だったかどうかが重要なので、当然の事ながら聞く前では評価が不可能だからだ。 例えばビートルズの「レット・イット・ビー」を初めて聞く時に、一体どんな値段が付けられるだろうか。それまでの流れなら、期待を込めて今までと同じレヴェルの価格をつけるかもしれない。しかしこのアルバムは曲単体で見た場合、一曲一曲は確かに良い曲が多いのだが、アルバムとして聞くと非常に散漫であり、ビートルズとしては失敗作だといわざるを得ない。実際に初めて聞いた時はかなりがっかりしたものだ。 「アビイ・ロード」なら2500円でも妥当だと思うが、「レット・イット・ビー」では1000円でも高いといわざるを得ない。ビートルズというユニットを考えるとそれが私の評価となる。
当然そんな事は「レディオヘッド」側も良く判っているだろうからこそ、自信があると公言しているのである。私も彼らのアルバムはそれなりに好きなので、今までの流れからすれば悪いアルバムではないと思われるが、当然聞くまで評価は出来ない。 だから現時点では価格をつけられないのだ。
だがここで消費社会のオチこぼれとなる下層階級の日本国民としては、色々なアルバムを聞きたいのだが懐が寂しいという現実にぶち当たる。だからどんなアルバムであってもなるべく安く買いたいと思うのも事実だ。 傑作であっても500円と付けたくなってしまうのは貧乏人の悲しさである…。
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