どんぐり1号のときどき日記
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2005年05月31日(火) |
GUN-KATAはムリかな |
今朝出かける直前にテレビを見ていたら、今度のバットマンのプロモーションのために、クリスチャン・ベールも来ていたと報道されていて驚いた。
彼は「リベリオン」で華麗なるGUN-KATAを披露し、次の「サランダー」では「帝国の逆襲」を学芸会風に見せるという荒業を見せてくれた、なかなかの芸達者なのである。そんな彼が出ているというだけで、バットマンがGUN-KATAを披露してくれたらいいのに、と妄想してしまう。もし実際にやったら、さぞかしカッコいいアクション・シーンになるだろう。 まあ実際問題としてそれはムリとしても、あのGUN-KATAをこのまま埋もれたままにしておくのは実にもったいない。「リベリオン」の続きではなく、まったく違う世界観でGUN-KATAを披露する映画が作れないものだろうか。私は死ぬまで待ってるぞ。
ところであのGUN-KATAのシーンはどうやって撮影するのだろう。かなりの手間隙がかかっているのは容易に想像ができるが、実際にメイキングがあれば見たいものだ。シネフェックスあたりで取り上げていないのだろうか。
そう言えば「リベリオン」のサントラは、ついに発売されなかった。輸入盤も含めてずいぶんと探したが、結局出ていないようだ。本当に是非とも欲しいのだが、何か問題でもあるのだろうか。 いろいろなジャンルの音楽を作曲しているので、多分アルバムとしては統一感が著しく欠落しそうだが、一曲一曲はかなりいい曲なのである。 特にアクション・シーンで使われた曲は、もう最高にノリがいい。これは「マトリックス」すら凌駕していると断言する。 本当に欲しいなぁ。
最近、ここの日記にヤフーの検索から来る人が増えている。 今まで定期的に来ている人は多分13人なのだが、最近はこれ以上の人が検索で来る事も多い。 例えば「ナチノイ・ダゾール」なんて、書いた本人が忘れている映画で来る人がいたり、「木曜日のリカ」で来る人もいる。検索キーを見ているだけで意外と楽しめたりするのである。 そして検索結果の範囲が広いのか、思わず首をひねるようなキーで来る人もいる。今日は「音楽で表現 愛国心」などという訳の判らないコードも発見された。こうしてみると、ネットの世界は訳が判らない部分も楽しみの一つだと納得してしまう。
日中、ちょっとチャウチャウに電話する。こういう時に携帯は便利だ。 結局彼も、日帰りだが6月11日は参加する事となった。あまりムリせずに楽しんでもらえればいいのだが。とにかくこれで、少なくともプレ・チャウコンは名乗れる。 さっき思いついたのだが、チャウコンの名称使用許可は、チャウチャウ、いわさきさん、私の誰か一人でも許可または参加すれば良いと言う事にしてしまおう。そして3人のうち一人でも賛成なら、反対意見があっても使用は許されるのである。なんて民主的。
まあそれはともかく、徐々に人は集まりつつあるようで、最終的には10人位になるのだろうか。楽しみである。
2005年05月29日(日) |
トレンチコートがないっ! |
月末に向けて仕事は溜まりきっているのだが、今日は行かない。
で、久々に床屋へ行く。 実は今年になってから仙台では初めてなので、とりあえず子どんぐりが行った床屋へ行ってみる。やはり日曜だけあって結構待たされたし、何よりタバコの匂いに困ってしまう。床屋の匂い自体は悪くないのだが、これにタバコが混ざるともうダメである。 最近流行りの「早くて安い床屋」というのは、実は待ち時間がほとんどないため、タバコの匂いがほとんどないという大きな利点があった。これはカット自体の上手下手を越えた利点なのだが、この業界はあまりそういう事は考えていないらしい。タバコの匂いというのは、吸っている時はそう悪くはないが、何かと混ざったりあるいは染み付いたものはもう最低である。燻製状態の奴の匂いなど、もう犯罪であろう。 タバコの煙は確かに発ガン性等で騒がれるが、床屋のような場所では、単純にあの匂いも何とかしてもらわないと困るのである。 やはり違う店も探してみなければならないようだ。
午後は家族で町中へ出る。 薄手のジャケットやトレンチコートが欲しいのだが、これという物が見当たらない。 以前TAKA-Qで裾が短めのトレンチコートを置いていたのだが、現在は見かけなくなってしまった。意外と安くて良かったのだが、ちょっと短めというのが気になって考えていたら消え去ってしまったのである。これは失敗だったようだ。 こうなるとバーバリーを買うしかないのだろうか。以前は着ていたがさすがに30年近く着ていたのでボロボロなってしまい、もったいないが捨ててしまったのである。これはさすがに高いだけあって良く考えられたコートだった。間違いなく軍用としてのトレンチコーチの延長線上にあった優れ物だったのである。 ただし今買おうとしても高くて手が出ない。でもこれを買って、GUN-KATAゴッコをしたいと思った私はおバカであろうか。そうなるとベレッタM92が二挺必要になるが、むしろドルフィンを二挺使用した方が映画に近い描写が可能となる。う〜む。ドルフィン二挺で36,000円かぁ…(論点がずれている?)。
駅へ行くと北海道展をやっていたが、ここで復刻版のバンビのミルクキャラメルとチョコレートキャラメルを売っていたので、つい買ってしまう。先日どんぐり2号が同じ場所でハッカのキャラメルを買ってきたが、やはりこの復刻版を現実に見てしまうと、買わずばなるまいという気になってしまう。なにせ味を覚えていないほどに懐かしいのである(表現が矛盾している?)。 という事でまずミルクの方を食べてみたら、今の味覚で比較しても悪くない味で、時々なら食べてもいいという味である。これなら復刻版の意味があろうというものだ。チョコレートの方は、好みは分かれるだろうが意外とあっさりしていて、そう悪くはない。悪くはないがそれほど食べたくなるような味でもない。ま、そんなものだ。 ちなみにカバヤのミルクキャラメルも売っていたが、これやウインターキャラメルは、別に今食べたいとは思わない程度の物で、あの当時は森永のキャラメルを食べてしまうと、カバヤの物は食べられなくなったものである。少なくともバンビの方は、これらよりはるかにましなのである。
本屋へ寄って、久々に「Cut」を買う。 今回は「世界の映画オタク10万人が選んだ史上最高の映画ベスト100」という特集に興味があったからだ。ただし「10万人の基準」とか「載っているコメントは何を代表するのか」とかいろいろ疑問点はあるが、とにかく少なくとも「映画好き」というレベルを超えた10万人の意見ならそれなりに面白いだろうという予想もあったし、実際、それなりに面白い内容ではあった。 もちろん同意できるものもあればそうでないものもあり、思うに映画批評は、同意できない部分にこそ面白みが内在されているのだと思う。 ちなみに「2001年宇宙の旅」は25位で、私の中ではSFと限定すれば1位だし、オールタイムで考えても5位以内なのだが、映画全体で考えればこんなものだろう。でも「ワイルドバンチ」が86位とは、意外と低かったように思う。
町からの帰りに、中学時代の同級生であるM田が務めているSというケーキ屋に寄る。 ここはアップルパイやシュークリームでそこそこ有名という店らしい(うちの親も知っていた)。とりあえずいくつか買ってから、呼んでもらって少し話をする。 M山がだいぶ前に亡くなっていたとか、あるいはここには書けないような事も少し教えてもらう。まあ人生いろいろある訳だ。いずれ先生が元気なうちにクラス会をやりたいものだ。
この時買ったメロン・シャンテは、なかなかインパクトのある形と値段で、一個しか買えなかったがやはり美味しい物だった。季節物だという事だが、もう少し安ければ、と思ってしまう。 そしてアップルパイやケーキは、かなり美味しかった。特にアップルパイはリーフパイに近いものがあり、パイ生地自体が美味しいのでリンゴが少なくてもOKだ。本当はもっとリンゴが多い方がいいが、それだとああいう感触にはならないのかもしれない。 なにか集まりがあったら利用できるだろう。
集まりといえば、「歓迎会と称する宴会」は「6月11日の19時から」で決定した。 決定前から参加表明していたまっちゃんに続いて、今日はさっそくいわさきさんが参加表明してくれたのはうれしい。最終的に何人参加になるのか、楽しみである。まあ皆忙しい年齢だから意外とこじんまりとした集まりになるかもしれないが、それはそれでまた楽しいものである。
2005年05月28日(土) |
太陽の寿命はあと50億年 |
天気がいいのに、相変わらずタダ働きの出社である。
以前から見たいと思っている「ヒトラー 最後の12日間」が全国を回っているらしい。どうせ映画館で観られないのだから、さっさとDVDで出して欲しいところである。 しかしヒトラーというのは、いろいろな意味で興味をそそられる素材なのだろう。いつまでたってもいろいろなジャンルで話題になる。それだけ不明な部分も多いという事だし、またナチスという組織はあらゆるジャンルに関係のある事をしていた訳である。なにせオカルトまで真面目に研究していたのだから、そういう部分ではソニーも大して変わらないではないか。 それはともかくとして、この辺で見られるのだろうか。
ところで。 某所で紹介していたニュースによると、2050年には人間の脳が持つ全情報をコンピューターにダウンロード可能になるという。 英国の未来学者で通信大手BT未来研究部門代表のイアン・ピアソン氏は『人の意識をコンピューターにダウンロードすることができるだろう。となれば、人間にとって死はもはや大きな問題ではなくなる。つまり肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る』と語っているという。
でもこれは誤解を招く表現だ。確かに人類社会として知識の蓄積を行う事を考えると人間は不死だと言えるが、それはあくまで第三者から見た場合であり、その本人が不死になるのとは意味が違う。 ただ、本人が不死になると思わせた方が研究費用は集まりやすいだろうから、あえて訂正する必要はないのかもしれない。人の意識が本当にダウンロードできるのかどうか、それ自体には私も興味はある。まあその頃まで生きているとは思えないが。
また同時に『2020年までには「意識」を持ったコンピューターの開発が可能になり、意識のあるコンピューターには感情も生まれると予想した。この応用例として、航空機制御プログラムへの導入を提唱。「墜落を前にしたコンピューター制御プログラムは恐怖を覚え、何としてでも墜落を回避しようと全力を挙げるだろう」と語った』そうである。 ただ、感情とは画一的なものではない。必死に危険を回避しようとする個体が出る反面、「もういいや」と投げ出す固体が出るかもしれない。つまり人間のパイロットが操縦するのと、危険率は変わらない可能性もあるのだ。 そうなると「深く静かに沈没せよ」にある、「AI機能を持たせた対空ミサイルは敵前逃亡する」というネタが冗談ではなくなりそうだが、それはそれで面白いかもしれない。
やっぱり世の中、どんどんSFを追い越しているらしい。 しかし太陽の寿命はあと50億年といわれている。つまり地球の寿命はそれより早く尽きるのである。そうなった時、意識だけになった人類はどこへ行くのか。 そちらの方が興味はあるなぁ。
気がついたら、日記のアクセスがもうすぐ20,000である。早いものだ。わざわざ来てくれている人に感謝、である。
夕方、凄い雨と共に雷。 会社には早い段階で、電力会社から雷の警告がきていた。現代の会社というのは、電気がないと仕事にならないので、それに対する警告であるし、また何かあった時に「だから注意したでしょ」という逃げ道にもなるのだ。 まあそういう事は置くとしても、とにかく久々に凄い雷だった。いつまでも鳴り続けていたので、地震があったのに一瞬気づかなかったくらいだ。 地震、雷とくれば次は火事だが、この雨は火事も消えてしまいそうな勢いだった。
ところで、六本木ヒルズ記念展「世界都市」展で上映された「東京スキャナー」と「東京静脈」は、まだDVDが手に入るらしい。両方で6,150円だが、これは買っておくしかないか。 ちなみに監修は押井守、音楽は川井憲次である。私が買うのも当然であろう。
2005年05月26日(木) |
シュールなストレミング |
まとりさんの5/25の日記で、あのシュールストレミングを取り上げていたのだが、ここで引用していた野尻泡介氏は、以前まこさんたちと同じ事をしていたなぁ。もしかして同じ日?(まこさんのお子さんは、離れた場所にいてさえ泣き出したようだ)。 やはりネットは広大だが、狭いのも確かだ。というか、趣味の世界などでは、どんどんベクトルが同じところへ収束してくるのかもしれない。そういう経験も、考えてみたら結構思い当たる。
今日は町に出たどんぐり2号に頼んで、山田真哉著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を買って来てもらう。 この本は会計学の概略を理解するための入門書なのだが、本当に初心者に概略が判るような内容らしい。 ちなみに前書きにも書いてあるが、「やさしい××」とか「誰でも判る××」等という本が本当に簡単だったためしはない。これはどのジャンルでも同じで、大抵は判りにくいか、初心者にとってもつまらないかのどちらかだ。やはり基礎知識がない人に物を教えるというのは、非常に難しい事なのである。簡単に書いたからといって誰でも理解できる訳ではなく、大概の著者は「簡単」という概念を勘違いしているにすぎない。場合によっては「くどい」だけという事もあるのだ。 物を教える立場の人は、その辺を充分理解してほしいものである。
そして日記を書きながら、久々にジョン・レノンの「ヌートピア宣言」を聴く。 でも現在の生活環境で聴くと、なんだかつまらない。EL&Pやイエスを聴く方がいいかもしれない。あるいはマイク・オールドフィールドを聴くのもいいだろう。すさんだ生活にジョンは似合わないのであった(ちなみにジョンといってもアンダーソンでもなければウェットンでもないぞ)。 でも最後の「ミート・シティ」は良い曲だなぁ。ジョンがロックンローラーだという事がとても良く判る一曲だと思っているのだが、多分一般的な評価は違うのだろう。 少なくともこのアルバムは、「マインド・ゲームス」とこの曲があるだけでもう満足である。
いたはししゅうほう氏の「化虎」は、単行本化が近いらしい。 作者は、あの名作「凱羅」の続きという位置付けで書いているという事だったので、私としては非常に期待している。もっともこの人の作品は近年、ゲーム寄りの展開が多くてちょっと不満ではあるが。 それでもすべての作品を持っているので、出れば買うのは判っている。やはりなんだかんだ言っても楽しみな人なのは変わらない。
ところで。 偶然、次のような文章を見つけてしまった。本当に偶然である。
『「正しい事を理を尽くして語れば、相手が納得する」 これは間違い。啓蒙が成立する前提条件は相互の信頼関係にある。特に教わる方が教える方をある程度以上尊敬していないと絶対に成り立たない。それを無視してどれだけ持論の論証に時間を費やそうが、徒労に終わる。
成り上がり的な弱点。 ・他人にも自分と同じような努力を強要する。 ・かつての自分のような存在を自分の力で啓蒙出来ると信じている。 ・怠惰なエスタブリッシュメント(というほど大層なものではなく、要は勉強してない大卒)に対しては反発する。』
いやあ、身近でサンプルを見ているようだ。 私も「話せば判る」というのは幻想だと思っているタイプの人間なので、上の文章は妙に受けてしまったのである。話して判るのは同じ文化のバックグラウンドを持っているとか、思考回路が似ているとか、とにかく同じようなレベルの人間でないと、話は絶対に通じない。
しかしこんな文章をたまたまネットで見つけるとは、偶然とは思えないなぁ。
まとめなければならないデータがあるのだが、そろそろ目が限界である。という訳で23を過ぎて退散したのであった。
ところでお偉いさんが得意先からゴディバのチョコをもらってきたが、ゴディバの名前を私より若い人が知らないというのもどういうものだろう。食べた事がなくとも、名前くらいは知っていてもいいと思うのだが。それでいてすぐに飛びついて「うまいかどうか判らん」というのも、ブタに真珠である。 この場合、猫に小判では猫に対して失礼だろう。
仙台駅前の「アイエ書店」が、6月で閉店するという。 まあ丸善とジュンク堂が駅前に来てしまったら、これはもう勝ち目がないのは判る。でもここは高校の頃に、早川の銀背が残っていたので随分と利用したものだ。つまり小さいながら意外と思い入れのある書店である。 消えると言えば「お茶の池田」も一番町から撤退するという。ここは初売りの名物だったお茶箱を出している事で有名だったので、風物詩が消える事を意味する。かなり残念がる声が聞こえているが、時代は変わりつつあるという訳だ。
ちなみにアーケード街や一番町を歩いて、昔と一番変わったと感じるのは「とにかくうるさくなった」という事につきる。宣伝や店の売り込みの騒音が凄いのである。今までは正月などうるさくて当たり前の時ばかり歩いていたので気にしなかったが、いつもうるさいのだとようやく気づいたのである。 やはり地方都市なのだから、それなりに静寂感があってもいいと思う。わざわざうるさくする必要などないだろうに。 あちこち移り住んだ経験上から断言するが、若者にのみ媚びている地域は確実に廃れる。それはブームに振り回される事を意味するからだ。やはりトラディショナルな部分を軽視してはいけないのである。 とは言え、流れとして結局はどんどん変わっていくから、ほんとうにまごついてしまう事も多い。
結局いろいろな店がなくなっていったが、その中で一番驚いた&悲しかったのは、一番町のMGCである。ああいう店が繁華街の真中にあったなんて、今となっては信じられない事だ(ちなみに藤崎の向かいにあったのである)。 あの店があったから、昔の仙台にもスタイリッシュな部分があったと断言してもいい。とにかく昔のモデルガン・ショップというのは、ちょっと大人の雰囲気を漂わせていたものである。
2005年05月23日(月) |
ウイラードとウィラード |
早く帰れという事で22時過ぎに帰宅。でも仕事がたくさん残っているのだが…。
昨日買った映画秘宝を読む。 スターウォーズに関する考察は、自分の意見を読んでいるようで、あまり新鮮味がない。でもこういう意見をある程度メジャー(?)な雑誌で公表する事も必要だろう。
新作の宣伝コーナーでは、DVDの「日本万国博」が欲しいところだ。 あと「ウィラード」の2003年版リメイクが出るが、これは欲しい。 実はオリジナルの「ウイラード」は劇場公開時に見ていて、意外と好きなのである。ブルース・ディビソンは気弱な主人公を好演していたし、殺されるアーネスド・ボーグナインも実に嫌な演技をしていた。そしてあの大量のねずみもすべて実物で、実に不気味であった。 ちなみにこの時の同時上映は、マクリーン原作の「八点鐘が鳴る時」で、若き日のアンソニー・ホプキンスが主演である。全然印象に残らなかったけど。彼は「ジャガーノート」の脇役の方が余程印象に残る演技をしている。 まあそれは余談だが、今回の「ウィラード」は主人公の年齢も上がり、多分病める社会を象徴しているのだろうと思うと、ますます買う気になってしまう。
今日、会社でちょっと驚いた事。 この会社ではかなりの人が、北朝鮮が核実験に成功すれば、すぐに核ミサイルが配備されると思っているようだ。核兵器で一番難しいのは、核の小型化であり、いくら核実験に成功してもミサイルに積むサイズまでスケールダウンするのは非常に困難なのである。 そもそも第二次大戦時のアメリカが開発した原爆、リトルボーイとファットマンは、直径だけで2メートル以上あり、当時これを積んで飛べる爆撃機はB-29しかなかったのである。いくら北朝鮮の科学者が必死になったところで、ミサイルへ搭載できるサイズの核など、そう簡単に作れるはずもない。 現実に北朝鮮の核というのは、パワー・ゲームの手の一つでしかなく、飛ばせるかどうかはまったく問題ではないのである。要はアメリカを自分のステージに引きずり下ろすための手段であり、そういう意味では厄介な事おびただしいのも事実だ。 困った国である。
2005年05月22日(日) |
ジャイアントロボ、復刻 |
子どんぐりのカバンや卓球グッズを買いに出かける。 しかし気がついたらスポーツ専門店が軒並み消えていた。以前あった場所に行くと全然違う店になっているのである。あちこち探し回ったが、結局は無駄に時間を浪費してしまった。やはり仕事が忙し過ぎると本当に生活に支障をきたしてしまうのだ。 こうして午前中は何も買えずに終わってしまったが、そんな中でどんぐり2号は、何やら怪しい買い物をして来た。
午後は町中に出て、なんとか用件を済ませ、ついでにジュンク堂に寄る。 カメラ雑誌はなぜか「アサヒカメラ」「カメラマン」「デジタルキャパ」しかなく、ちょっと不便である。とりあえず「アサヒカメラ」でニコンのD50とD70sの評価を確認する。
結局ニコンD50はEOS Kiss デジタルNの対抗馬であり、D70sはD70の改良版であったが、特にD70sはマイナーチェンジである。ちなみに価格はボディのみで10万前後らしい。 とにかく性能だけで言ったら、実はEOS Kiss デジタルNで充分なのだが(問題になるのは耐久性だけだ)、残念ながらKissシリーズは私の手には小さすぎる。小さすぎてホールド感が悪いのである。これは実に残念な事だ。カメラ選びは最終的に「しっくり手に馴染むかどうか」がかなり重要で、だから私はEOSシリーズが好きだったのだが。 いずれデジタルに移行するとしたら、現在使用しているレンズは総入れ替えしなければならない。過去のレンズ資産が使えるというのは、文字通りメーカーの宣伝文句でしかなく、使えるには使えるが、デジタルの性能を100%生かす事は困難なのが実情だ。デジタルというのはそういうもので、そもそも光の入射角や必要な光量が全然違っているのだから、フィルムというアナログ資産とは設計からしてまったく異なるのである。
そして振り向くと「映画秘宝」があった。今月は早めに入手できた訳である。しかし今回もなかなか恥ずかしい表紙であるが、いかにも「映画秘宝」だから許せるか…。
そしてマンガのところを覗いたら、なんと横山光輝氏の「ジャイアントロボ」が、講談社から上下巻として復刻されていたではないか。ハードカバーだけど…。やはり彼が亡くなった時、復刻されるのではないかと思っていたが、予想通りの展開であった。 今まで横山氏が復刻を頑なに拒んでいたのは、「前半が小沢さとる氏による代筆であり、横山作品ではない」という理由からで、確かに今回読んでみると絵柄が違うのが判る。もちろん両者の絵柄を知っている人にすればまったく違うと判るが、普通の人には区別できないような気はする。 だがこの辺の事情が、今回同時に出た「資料編」にも書かれていないようだ。まだ全部読んでいないので確実ではないが、やはり亡くなった今、あえて書く必要もないと判断されたのだろうか。 いずれにせよ、ようやく完全な形で読めるのは喜ばしい。実はテレビ版よりもマンガ版の方が好きなのである。 ただしこの本が出たのは3月であり、今まで全然気づかなかったのだ。問題だなぁ。
そしてジュンク堂を出る時に、なんとpooh君に会ってしまった。滅多に会えない人とこんな所で会おうとは。
さて、少しはゆっくりとCD探しをしたいのだが、全然ヒマがない。いいのか、こんな生活で。
いい天気なのだが、会社に行く。本当は休みのはずなのに、休めないというのは問題であろう。 そして来週の水曜までにある事をやらなければならなくなったが、物理的に不可能である。常識で考えれば判るはずだが、一日は24時間しかないのである。どうも頭が悪いんじゃないだろうか。
そんな午後は少し抜け出して、子どんぐりの授業参観である。 しかしこの学校は、かなり問題かもしれない。先生が学校出たてで経験値ゼロなうえに、生徒が皆やかましい。授業中でも平気で騒いでいる。他のクラスから聞こえてくる騒音を聞くと、学校内はどこも似たようなものらしく、子どんぐりが呆れていたのも良く判る。やはり隣の学校にするべきだったかもしれないと反省してしまう。 さらに問題なのは、授業の内容を聞いていると、恐ろしくレベルが低いように感じてしまうのだ。これではまるで小学校の授業である。本当にこんなのでいいのか? 子どんぐりの将来が著しく心配になってしまったではないか。
なんだか嫌な事ばかり増えていく。
そして20日なので、カメラ雑誌数種と映画秘宝が出ているはずだが、相変わらず本屋に行く時間はない。 早いところカメラ雑誌は立ち読みをしたいのだが…。
忙しいというより、上司の指示が悪すぎるなぁ。時間の無駄も著しい。そんな訳で、帰宅は2時過ぎであった。
新聞で知ったが、岡部冬彦氏が16日に亡くなったそうだ。 一般的には「アッちゃん」や「ベビー・ギャング」で知られた人だし、「きかんしゃやえもん」の作者である。 この「アッちゃん」なんかはリアル・タイムで読んでいたが、「きかんしゃやえもん」の作者だったとは知らなかった。迂闊である。まあ当時は、トーマスもどきと考えていたので、全然興味はなかったので仕方がない。やはりこの人のは「アッちゃん」が好きである。
でも一般的でない人には、軍事評論家の岡部いさく氏(岡部ださくというPNも持っている)の父であるとか、漫画家のおかべりか氏の父親だとか、イラストレイターの水玉螢之丞氏の父親だとか言う方が判りやすいかもしれない(蛇足的説明だ)。 凄い家族だが、この四人とも、それぞれが素晴らしい作品を作り出しているところが凄いのである。普通これだけ揃うと一人くらいは平凡な作品しか作れない人がいるものだが、ここは全員が印象に残る仕事をしている。 やはりいい父親だったのだろう。
ところでいさく氏は軍事評論家として、良くフジテレビに出ていた。まあこういう評論家がテレビに呼ばれる事というのもそう多くはないと思うのだが、普段は何をしているのだろう。 NHK御用達の江畑謙介氏ほどになれば(奥さんも軍事に興味があり、手伝いをしているらしい)、その著書だけでも膨大な数になるし、講演会もそれなりに開催されてなんとか食べていけるだろう。あるいは「航空ジャーナル」編集長だった中村浩美氏のように、突然料理研究家という肩書きでテレビに出たりする人もいるだろう。 そんな中いさく氏は、ほとんどこれだけで生活しているのではないだろうか。もしそうならなかなか大したものだと感心してしまう。
しかしここ数ヶ月はあまりに忙しくて、新聞を読む暇すらない時もあったが、これでは訃報なんかもかなり見落としていた可能性がある。これはなかなかゆゆしき事態である事だよなぁ。
今日は会社のT君と電話で少々話をする。ちょっとだけシビアな内容。 あとは仕事についてあまりに私的な部分やバカバカしい事は恥ずかしくてかけないのだが、そういう事も多少話せる。そして話をするだけで意外と精神的に楽になる部分もあって、意外と助かるのである。 まあ周囲に人が多いと出来ないが。
そして仕事は大量にたまっているのだが、夜になりさっさと帰れと言われたので、さっさと帰る。仕事が溜まるだけだが、やはり寝不足には勝てない。
という訳で、ギリギリ間に合った「トリビアの泉」を久々に見る。しかししばらく見ないうちにレベルの低下に拍車がかかっていたのは、ほぼ予想通りだ。本当に2本くらい笑えるネタがあれば万々歳というところだろう。
最近は、YAHOOの検索でここの日記を訪れている人が増えたが、ここ一ヶ月位はどうも2003年の日記にヒットしている物が多いような感じだ。 試しに9月あたりを読んでみると、自分の文章なのに意外と面白かったりする。今年になってからのものと比べると、別人のような内容で、やはり生活が荒れると人間もダメになるといういい証拠なのかもしれない(ほんとか?)。やはり忙しすぎると情報が減り、その情報についていろいろ考えて分析するといういう事をしなくなるのだろう。 これは本気でヤバイ状況になりつつあるなぁ…。
午後は本当に眠かったのであった。
最近は、掲示板にS巻が書いてくれるようになった。旧来の友人と繋がりを持てているというのは、本当にいいものだ。 また、時々まとりさんが書き込んでくれるのもうれしい。私も時々まとりさんの掲示板に書き込んでいるが、最近は時間がないのが残念である。 本来なら疎遠になっていてもおかしくない条件の友人や、普通なら多分知り合う事もない方々と知り合えるというのは、本当にネットの楽しさである。
もちろん出会い系などのような無差別爆撃とは無縁である。やはり趣味という絆があれば自然と人は集まるもので、そういう繋がりは長く続く事が多いのだ。 こういう繋がりがあるから、なんとか頑張っていけるという事もある。いくら近くに友人がいても、平日の夜中に会うわけにも行かない訳で、そういう時にネットというのはうまく機能していると思える。
しかし今日は眠いなぁ…。
今日も忙しい。
忙しいのはいいのだが、帰宅は2時であった。はっきり言って上司は時間の使い方がヘタすぎる。少なくとも2時間は無駄にしているぞ。そんな訳で寝たのは4時近くであった。 しかし黙っていたら、徹夜したんじゃないだろうか。多分これは、ほぼ間違いないと思う。 まったくなんだかなぁ、である
所用でKCと会う。
用事が片付いて、14時頃から一家揃って町へ出る。 この時ようやく書店で桑田次郎の「ミュータント伝」を購入。ついでに単行本未収録作品が入っているという事なので「ウルトラセブン」の上中巻を買う。下巻は一峰大二なので、とりあえず不要である。我ながら薄情である事だよなぁ。でもあまり好きな絵ではないので、これは仕方がない。 しかし「ウルトラセブン」も昔の本で持っているのだが、未収録部分があればつい買ってしまうというのも、本当にカモネギ世代である。 ちなみにこの未収録作品は「闇に光る目」と「ノンマルトの使者」で、原稿がないためか雑誌からのコピーと思われる画質になっているが、これはこれで仕方がない。むしろ読めないよりははるかに良いのだから、原稿がないものもいろいろと復刻して欲しいものである。 そして「たおせ! アイアンロックス」は1973年の幼児向け雑誌に載ったものなので、ストーリーは仕方がないとしても絵がだめである。これだけは載っていてもあまり意味はないが、まあ「ついで」という事なのだと割り切ろう。
この復刻を行っているマンガショップシリーズは、かなり良いところを突いてくるが、今回「ターゲット」も復刻されている。ただこの作品はかなり暗いので、いまひとつこのシリーズには似合わないように感じる。 まあオリジナルを持っているので、なんとでも言えるのだが、やはり先に出すべき作品がもっと他にあるだろうと思ってしまう。
そう言えば今日、KCやおがにゃんと話していた時に出たのだが、我々の年代はいわゆる団塊世代と団塊ジュニアの中間にいて、様々なこだわりを持ち、また物を作る楽しさを知り、そしてマニアックという世代である。したがって物が売れないと言われる現在、パイは多くないが、確実に売れる部数が予測できる、マニア向けターゲットそのものなのである。 結局一般消費は一般人がキーだが、その前段階でいい物とそうでない物の情報を市場に提供しているのは、実は我々の世代なのではないだろうか。
もちろんこの世代が全員そうだという訳ではない。ただ比率として異様に多いというだけの事だ。だからこの世代でも、そういうマニアックな部分がダメな人は、本当に全然ダメである。でも日本を引っ張っている様々なマニアは、明らかにこの世代までであるという仮説は、あながち間違っているとは思えない。 要は各世代が抱くセンスの問題なのである。
朝早くから会社である。出かける時息が白く、なんだか久々に寒い朝であった。
とりあえず朝一の仕事を片づけて、病院に行く。 実はここ2ヶ月ほど、どうも右目の感覚がおかしいので、万が一を考えて医者に行く事にしたのである。白内障とかだと困るし、何ともなければ、それにこした事はない。 色々な検査をして、結果としては特に問題はないという事で一安心である。別に会社の事は一言も言っていないのに、疲れが溜まるとこうなるケースもあるといわれ、なんだか納得。 でもなんだかんだで3時間近くかかって、5,000円近く取られてしまったぞ。
ところで待合室で待っていた時、3歳くらいの子供と母親が会話をしていたが、子供がいきなり「おちゃかな」と言い出した。もちろん「おさかな」の事である。 はて、どこにそんな絵があったっけと子供の指差す方を見ると、「眼病ではれ上がったまぶたの裏」の写真があって、その形は確かにシャケの切り身…。 笑うところだったではないか。
それから会社に戻ったのだが、夕方になって携帯にS巻から電話。本当に久々である。なんでも母親が倒れたので、金沢八景の方に引っ越す事になったとか。 相変わらずバイクに乗っているようで、限定解除してリッターカーにするか、250でガンガン飛ばすか悩んでいるというところが相変わらずである(あれ、結婚するとかしないとかいう話はどうなったんだろう)。
次のクリムゾン来日時には、やはり会わなければならないな。ちなみに前回会ったのは、前々回のクリムゾンが来日した時だから、そろそろ10年か? この時S巻は、たまたま大学時代の友人と会ったので当時の八戸の家に電話をかけてきたのだが、ライヴで池袋にいると聞いてホテルで合流したのだった。なんという偶然。
しかし今日の電話で、大学時代からの友人であるS(東京在住)が3年程前に脳梗塞で倒れ、現在も体と言葉に後遺症が残っているという話を聞いた。これには流石に驚いた。 やはり言語が不自由になったためか、親しい友人とも全然会っていないのだという。あのA養寺が言っているくらいだから、本当に引きこもった状態なのだろう。これはまいったなぁ。人と会いたくないという状態でこちらから押しかける訳にも行かないし…。 彼には大学時代から就職して3年位まで、色々とお世話になったのである。趣味関係の思考という点ではまさに師匠的存在でもあった。だから引きこもってなど欲しくないのだが、気持ちは判るだけになおさらつらいものがある。
そして会社から帰ってきたのは22時であった…。
今日は13日の金曜日である。だからどうしたという感じだが、「伊奈かっぺい」は…(以下省略)。
帰宅すると、まとりさんからのいただき物が届いていた。なかなか嬉しい物なので、本当に感謝である。 やはり趣味や思考が似ていると思われる人からもらう物というのは、本当に嬉しい。今までも色々な人から色々な物をもらったが、やはり義理でない物はうれしいものばかりなのである。 もちろん義理で送らなければならないケースもあり、それはそれでいいものなのだが、友人関係からのウケを狙った物などは本当に楽しくなるし、送った本人が好きなだけという物でもそうそう外れはないものである で、何をいただいたかは秘密だ(いや、別に怪しい物ではないのだが)。
そういう意味で、もらってばかりの私が一番義理を欠いているなぁ。
2005年05月12日(木) |
やっぱりホーリー・グレイル? |
明日は13日の金曜日である。だからどうしたという感じだが、「伊奈かっぺい」は相変わらずこの日にライヴをやっているのだろうか、と思ってしまうのであった。
会社でプリンターのトラブルがあり、某大手メインフレーマーであるメーカーに電話した。 電話が繋がると、最初はテープの案内でボタン操作をするよう指示があるのだが、この時ボタン操作の人は「1」を押し、声の操作の人は「2」と言うよう指示される。 だが、この案内では「2」が「に」ではなく「ニッ」なのである。「ニッ」と言うのは、やはりモンティ・パイソンを意識しているのではないだろうか、と勘ぐってしまう。つまりホーリー・グレイルに出てくる「ニの国」の話で、「ニッ」というと「ぐわぁ、それを言うな」と悶えてしまうのである。思わずやりそうになったが、それではただのバカである。 でも「ニッ」というと、電話の向こうでオペレーターが苦しんでいたりして…。
今日は子どんぐりが野外学習から帰ってきた。まだ親しい友人は出来ていないが、それなりに楽しかったらしい。 そして壊れてもいいからとデジカメを持たせたのだが、これが見事に風景ばかり撮っている。とりあえず記念という事で見ていたが、ついつい「頭上の余白は敵だ」とか「逆光は勝利」とか「ピーカン不許可」とか言ってしまう。特に頭上の余白が多いのは何故なのだろう。 ちなみに私の経験上からも断言するが、屋外でポートレートを取る時は「逆光は勝利」なのである。順光だと汚い影が出来たり、まぶしくて表情が悪くなる。逆光でストロボを多用した方が、簡単できれいに仕上がるものだ。 同じ理由で「ピーカン不許可」ともなる訳で、それなりのレンズとフィルムを使っていれば、光の加減はどうとでもなるものなのだ。
夜にKCから電話。ペンディングの一つを解決する方向で動く事にした。携帯電話も、あればあるなりに便利なものだ。
2005年05月11日(水) |
シャドー・モービル予約 |
今日は精神的に疲れる仕事ばかりだった。時間は取られるのだが成果はたいした事がないので、あまりやりがいはない。
という事で、会社の近くにある模型屋に行き「シャドー・モービル・コントロール車」を頼んでくる。本当はノーマルと二種類欲しいのだが、一台10,000円では、やはり躊躇われる。そしてここには、いまだスペース1999の「レスキュー・イーグル」がある。欲しいんだけどなぁ…。
ところでこの日記は、検索エンジンから来た人がどういうキーで来たかを調べられる機能がある(ただし、人については限定できない)。 これがなかなか面白く、こんなキーでよく引っかかるな、とかこんなの書いてたっけ、とか新たな発見があったりする。 今日もYAHOOから「マーシャンズ・ウォーマシン」のキーで来た人がいるのだが、検索結果は7件、そのうち私の書いたのが3件、知り合いが1件と、実に狭い世界を形成してしまっていた。
ネットは広大だが、狭くもあるのだ。
10日というのも忙しい日ではあるが、息抜きがまったく出来ない状態というのは、なかなかつらいものがある。
さて、住所変更案内のハガキが、続々と帰ってくる。もう10枚は突破したが、つまり結構みんな住所を変えているという事だ。今年の年賀状は、喪中という事で遠慮したのだが、そのためにデータの更新ができないまま一年以上が経ち、住所不明となったのだろう。やっぱり年賀状って大事なんだなぁ。
そしてメールで返事をくれる人もいて、これもうれしいのであった。 問題なのは、それらのメールに返事を出す余裕があまりないという事だ。でも日記はしっかり書いているというのも、問題ではあるかな。
関係ないが、今回の朝日新聞主催の手塚治虫文化賞は「PLUTO(プルートウ)」が受賞した。言わずとしれた浦沢直樹氏の作品だが、なんと彼は「MONSTER」に続き二度目の受賞なのだそうだ。たいしたものである。 今回の「PLUTO(プルートウ)」なら受賞は当然だと思ってしまうし、まああまり異論は出ないストレートな作品だと言える。読んでいて、本当に展開が楽しみになってしまうのだ。
しかし浦沢氏は、ロックも趣味というか、自身もライヴをやっているのだという。なんだか親しみを持ってしまうではいか。レコードを大事にしているというあたりもポイントが高い。ちなみに45歳なのだそうだ。 「PLUTO(プルートウ)」を読んでいて、同じ視線、同じ思考を感じのは、趣味と年齢が近いという事なのかもしれない。 いずれ、これからどこへ向かうのか、楽しみである。
愛読しているまとりさんの「徒然落書日記」によると、先日のタモリ倶楽部のテーマが「ジョン・ケージ」だったのだという。 という事で例の「4分33秒」もちゃんと演奏したという事だ。これは見たかったなぁ。日記ではこの番組での演出の仕方などを丁寧に記述していて、見られなかった事をとても後悔するばかりである。
この「4分33秒」のような曲(?)は、それを演奏(?)する人はともかく、それを演出する側の人によって面白さは全然違うと思うのである。あまりマジメに捉えられても、それは違うだろうという気になってしまうから、この曲に関しては、「曲を聴く」というスタンスではなく、「その雰囲気を批評する」のが正しい「4分33秒」だと思う。 そういう意味で、タモリ倶楽部でやったのは正解だろう。この番組の「そら耳アワー」を見ても判るが、彼等のスタンスは、過剰な演出は避け、自然に喜んだり批判したりという、対象から一歩引いたように見せかけて実は対処にベッタリの愛情を注いでみたりと、実に楽しい演出なのである。そして自分の得意ジャンルに引っ張り込んで批評しようとする、往年のSFファンのような姿勢が実に心地よいのである。
しかし元々の「4分33秒」はピアノ曲という事になっているのだが、これに2番もあるというのは全然知らなかった。なんと「トロンボーンのための4分33秒」なのだそうだ。こうなると「本当なのか?」と疑問符が出たり「19へぇ〜」なんてのが出てくるが、やはり本来の主旨から言うと「オーケストラのための4分33秒」の方が、色々な雑音が聞けて楽しそうな気がする。
本当にこのタモリ倶楽部は見たかったなぁ。
子どんぐりの要望で、ベニーランドなる地元の遊園地へ行く(ネットで詳細は判るが、いちいち音楽が鳴るのはちょっと…)。 実は幼稚園くらいの時に一度行っているのだが、あまり記憶に残っていないようで、規模も過大評価しているふしがある。という訳で、現実と直視させるべく、愛宕橋の方から登って行ったのであった(実はこのルートから登るのは、初めてだったりする)。 ジェットコースターや観覧車などに乗り、アーチェリーをやったりで、なんだかんだと2,000円分の乗り物券はあっという間に消えてしまう。とは言っても、2時間もすれば一通り制覇してしまう程度の規模なので、彼にはちょうど良かったのかもしれない。 日曜の割には意外と空いており、多分連休最後という事で皆休んでいるのだろう。
退散したのが少し早かったので、駅ビル内を歩き回る。 この時、ちょうど撮り終わったフィルムを現像に出したのだが、出来上がった写真を見ると、私のイメージする写真とは程遠い色彩である。 安く現像できるネガ・フィルムの最大の問題は、現像する人の技術の差、機械の設定で、まったく違う写真に仕上がる事だ。やはりここまで自分の好みと違う感じに上がってしまうと、一眼レフのデジカメを買った方が良さそうな気がする。まともに撮っていれば、少なくとも自分の好みと大幅に違う仕上がりにはならないものなのだ。フィルムの現像は、ある程度信頼できる店を見つけられないと、悲惨なのである。 ただしこの場合の信頼できるという意味は、常に仕上がりのパラメーターが一定の店という意味であり、絶対にきれいだという意味とは違う。仕上がりが常に一定なら、あとはこちらで注文をつけられるし、自分のPCに取り込んで加工するのも、比較的楽なのである。 そういう意味でデジタル・カメラというものは、極めてポジ・フィルム的な性格なのだと言えるのではないだろうか。
現像を待つ間、本屋に寄っていたのだが、ここで吾妻ひでおの「失踪日記」を買う。 絵柄については、全盛期と極端に違わず一安心であった。内容もすべて実話という事で、本来なら悲惨な話になりかねないのだが、実にうまく笑いに昇華している。この辺は昔取った杵柄だろうか。だが笑いという見せ方をしていても、やはりアル中治療は壮絶だ。 しかしラストが「あと2ヶ月かァ…」で終わっていたのだが、カバーの著者略歴を見たら最後に「入院後半のエピソードは続編にて」と書いてある。つまり続きが出るのは当初から決まっていた事だった訳である。まあいいか。
夕方、KCから電話が来ていろいろ話す。仕事に関してはお互い似たような状況ではある。そして仕事以外でもいくつかペンディングがあるが、まあとりあえず動いてみるしかないという状況か。 夜は夜でいわさきさんからも電話が来て、チャウコンをどうするかという話も出る。本当は6月にやりたいところだが、私の日程がはっきりしないので、多分秋という事になるだろう。でも早くやりたいなぁ。
さて、今回携帯電話を購入した時の値段は1台1,980円だったのだが、今日どんぐり2号がヨドバシで確認したところによると1台で14,000円だったとの事で、最新型というのはあながちウソではなかったという訳だ。ちょっとだけ得した気分になる小市民なのであった。
そして帰宅してから食欲のない子どんぐりであった。体力のない奴だ。
2005年05月07日(土) |
ケータイって、本当は携帯電話 |
昨日、転居の案内を出したのだが、今日の夜最初にかけてきたのはチャウチャウだった。 残念ながら20時はまだ仕事中だったので、早々に切ってしまったが、まあありがたい事ではある。でも朝にはKCから、土曜と日曜のどちらにかけたらいいのか、問い合わせのメールが来ていたので、土曜だと言えばKCが第一号になったであろう(しかし自分で書いていたが、電話をかけるのにメールで確認するのはなんだか変である)。
ただ着信した番号をどうやって記憶させるのか、まだ全然判らない。結局電話をかけるという基本的な事しかできないのである。当面はそれで足りるけど。
しかしこうしてみると、世間一般の人は良くあんなにケータイの機能を覚えているものだと感心する。私の場合、どうもケータイのマニュアルを見て機能を覚えようという意欲がわかないのだ。たかがケータイなんだから、もう少しシンプルでいいではないかと軟弱になってしまうのである。 要は、ケータイに依存する割合が高いか低いかの違いなのだろう。
とにかくなんでもいいから使いまくれば、電池の寿命は2年というメーカー・スペックの通りになる訳で、その時バッテリー・パックを買うよりは買い換えた方が安いという本末転倒な事態になるのは明らかだ。こうして消費社会の手先的行為をしなければならなくなるのであった。 やっぱり10年は使えるケータイが欲しいものだ。
でもケータイって、本来は携帯だから携帯電話と言わなければならないのだが、現在の日本で携帯が電話以外の物を指す事はほとんどないと言える。これも日本語の変貌の一つなのだろう。
かなりの人が休んでいるが、それでも会社は動く。 そもそも組織というのはそういうものでないと困るのである。各個人は歯車だが、その歯車が欠けても動かなければ、組織としての意味はまったくない。そういう意味で、この会社に組織はないと断言する。
ここしばらくはヒマがあれば荷物の整理をしているのだが、結構物を捨てているにも係わらず、全然減っていないように感じる。特に本は、捨てる時の重量がかなりあるのに、全然減った感じがしない。不思議なものだ。 反対にプラモは、軽い割に場所を取っているが、始末するとあっという間に減った感じがする。ただし捨てられるプラモなどそうそうないが。
そもそも初めから愛着が持てるモデルしか買わないのだから、それを捨てるなど考えられないのである。捨てる物は、パーツ取りのために買ったものくらいだ(それが半端な量ではないところが、お笑いではある)。 しかし整理していると、「おおっ、こんな物を持っていたのかぁ」なんてのも発掘される。思い出すのもあれば「こんなのいつ買ったっけ?」というのもある。 基本的に、気に入ったプラモは複数買う。あるいはスペース1999のイーグルのように、10個単位で持っている物もある。この辺は編隊で並べたいという願望があるからだが、普通は改造する事を念頭に複数買っていたのである。 もっとも、ここまで増えると死ぬまでかかってもすべて作る事は不可能なので、そろそろ売る事を考えた方がいいのかもしれない。でも愛着があるから売れないのだが…。例えば目の前にルナ・キャリアとルナ・宇宙艇のガレキがあるが、こんなの絶対売る気にはならないよなぁ。
そしてプラモがある一定量を越えると、その資料を集める事に重点が移り、いわゆる「未完成病」になってしまう事が多いらしい。謎の部分を調べて資料を買う行為というのは、実に楽しいのである。 そして洋書というのは、そのマニアックなまでに細部にこだわる物が多く、例え英語が読めなくとも、洋書屋を漁るのは本当に楽しい行為だったのである。 私は幸か不幸か、「スター・ウォーズ」と「エイリアン」の資料をリアルタイムで買えたという、ある種のパラダイスを経験している。こんなのを経験してしまうと、資料を探すための行動がメインになってしまおうというものだ。
全国的にこどもの日、らしい。 子どんぐりは人ごみが嫌いなので、結局どこかに行くというのも没となってしまった。まあ別にいいけど。代わりといってはなんだが、野外学習用の水筒を買いに行く。なんてつまらない休みなのだろう。
そして携帯の操作は相変わらず良く判らない。とりあえず着信音を消してバイブ・モードにしておく。会社の電話は19時で留守電になるので、必要になるのはそれからだからだ。こうして余計な金がかかるのであった。
そろそろ本気で引越しの案内を出さなければならないが、筆まめを利用しようとしたら、フォントのサイズが変えられない。???? 結局、時間もないので案内文はワードで作るという外道な事をしてしまった。とりあえず友人用、知人用、親戚用と三種類作ったが、まあ内容はほとんど一緒で、大きな違いは携帯の番号を書いてあるかどうかくらいだ。 夜になって中央局までハガキを買いに行き、印刷を始める。だがどうもプリンターの挙動が怪しく、妙にミス・フィードする。やはり安いタイプは、ハガキに弱いのかもしれない。困ったものだ。 それでもなんとか22時前には140枚の印刷が終わる。なかなか疲れる作業だったが、一安心である。
その作成の合い間に、久々にシカゴの1〜3を聴く。 やはりシカゴでまともなのは5枚目までだ。以後はあまり聴く価値がない。そして実は、自分なりに1〜5までのベスト盤を作れば、それが最強のシカゴのアルバムになると私は思っている。 やはりオフィシャルでは、1971年の来日記念限定盤として作られたベスト盤が最強のアルバムであろう。今聴いても素晴らしい選曲である。やはりベスト盤とはこういう物を言うのだ。
しかし最近の自分の日記は、読み返してもつまらないのが多くなった。これは非常にまずい傾向だ。書きたい事をうまく書けなくなっているのである。 やはりほとんど一日中会社にいる事が良くないのは判っている。どう対策を立てるか…、なかなか難しいのだなぁ。
なんと押井監督作「めざめの方舟」のDVDは、愛知万博会場で限定販売されているのだそうだ。販売価格\2,000円とは安いが、行けないので悔しいぞ。 でも夏にはスペシャル版DVDとサントラCDが出るらしいから、とりあえずは待っている事にしよう。また散財の予感…。
関係ないが、3日の午後4時半ごろ、静岡県警のヘリコプターが静岡市清水区草薙の2階建てアパートの軒下をかすめて墜落したそうだ。ヘリは連休の渋滞状況を監視中だったというから、まさに逆効果である。まあ草薙のあたりといえば私も大学在学中にバイクで良く通ったあたりなので、なんだか懐かしい。 だがこのニュースが気になったのは、ただのノスタルジーではない。墜落したヘリの名前が「ふじ1号」だという点でウケてしまったのである。こんな名前を付けたら落ちるのも当然だと思うのは、アニメの「イクサー1」をリアルタイムで見ていたせいなのだ。
とにかくこのシリーズ、全3巻だったが都度「富士壱号」「富士弐号」「富士参号」というかなり力の入ったメカが出てきて、毎回その豪華なBGM、壮大な演出で期待させておいてあっという間にやられてしまう、つまり壮大に金をかけたやられメカだったのである。最後のFJ3なんて、格納庫から出る前にやられてしまい、ファンは実に楽しませてもらったものだ。 そんないきさつがあったので、やはり「ふじ1号」じゃあ落ちるよなぁ、と変に納得してしまった訳であった。不謹慎な奴…。
さて、今日も朝は会社に行くが、全然やる気がしないうえに他の仕事を押し付けられそうだったので、10時過ぎに帰宅してしまった(もちろん朝の、である)。 その足で実家に行き、本とプラモを少し整理し、LPとLDの移動を行う。少しは広くなったかな。 午後は小どんぐりを連れて外出しようとしたが、あまり出たくないようなので、電気屋へ必要な物の買出し、その後携帯電話を買うべく、近くのショップへ行く。実に非建設的な一日である。
肝心の携帯だが、当初はウィルコムのPHSが家族間通話が無料だという事で候補に入れていた。しかし話を聞くと、ヴォーダフォンも7月から家族間の無料通話を始めるのだという。月額300円の別料金が必要ではあるが、PHSより携帯の方がエリアは広いし、料金も実は安い。いろいろ悩んだが結局これを2台購入する。購入といっても新規なので2台で\3,960である。ちなみにテレビが見られるしFMも聴ける、デジカメもついているというモデルで、私にとっては明らかに過剰装備ではあるが、携帯自体は今後必要になるので仕方がない。
でもマニュアルを読むのが大変だ。全部マスターするなど不可能だろうな。
2005年05月03日(火) |
しりあがり氏の短編集 |
今日も朝から夜まで粗仕事。昼で終わるつもりだったのに20時を過ぎてしまう。 しかし上司が関係してくるとどうしてこんなに時間がかかるのだろう。表計算ソフトがあるのに、わざわざ電卓で計算して紙に書いて検証する。結果として何度も同じ計算を繰り返す…。イライラ。
さて、そんな日だがしりあがり寿の「のっぴょぴょ〜」を買った。 これは彼の自選短編集であり、「流星課長」はどのヴァージョンが載っているのか興味があって買ったのだった(この作品は絶対に入っていると確信していた)。まあ予想通りだが、1984年の少年サンデー掲載版だった。やはりこれが一番面白いとは思っていたので、納得してしまう。彼の作ったキャラの中でマリリン伝次郎はベストのキャラだと思う。自分のネット上のハンドルネームは初めからこれを名乗るべきだったと反省しているくらいだ。
今、改めてこの作品を読むと、最後の『「マリリン伝次郎はもう「花の星クズ」を歌わないんだよ」「だがなぜかここに新曲がある」』のくだりは相変わらず素晴らしいと思う。過去に決別してもなお新たな物を作ろうとする、これは感動的ですらある。 サラリーマンとグラム・ロックと白戸三平を、見事なまでに融合させしまったこの作品は、彼の中でもベストだろう。ちなみにマリリン伝次郎のような人は、発表当時は少なかったが、現在はかなり見かけるようになった。そういう意味でも時代を先取りしていたと言ってもいいだろう。
また「エレキな春」からもいくつか載っていたが、やはりこのあたりの作品が私も一番好きである。 そもそも彼のファンになったのもサンデーで「流星課長」を読んだのがきっかけで、その後短編集「エレキな春」で完全に彼のファンになってしまったのである(ちなみに現時点で彼の作品は多分すべて持っているはずだ)。そういう意味で思い入れは強いが、やはり彼の傑作はこのあたりだろう。 なお、ここ5年ほどでは「方舟」が私の中では一番面白かった。
世の中は連休らしいが、めちゃくちゃ忙しい。 やはりこれはマジメに仕事を考えた方がいいかもしれない。子供の事を考えると、ここで菅田のようになる訳にはいかないのだ。それが彼の遺言の一つだと思う。
さて、昨夜はウェットンとダウンズの「アイコン」を聴いた訳である。 間違いなく「ロック・オブ・フェイス」の延長線上にある作品であり、ウェットンの作った曲とジェフの作った曲に大きな違いがないのは、やはりアレンジの妙とエンジニアの腕なのだろうか。全体に淡々と曲が流れていくように感じる。それでも時々、イエスの「90125」を聴いているような錯覚に陥るのは不思議である(別に不思議でもなんでもないか)。 ただ、一曲でいいからハードな曲も欲しかったと思うのは身勝手かもしれないが、この構成ではライヴであまり体力を必要としない、いかにも現在の彼等向けの曲層だと思うのは考えすぎだろうか。 彼等も若くはないのだ。体力は落ちているだろうし、テクニックも肉体の限界がある以上、どうしても衰えてくる。さらにいつも昔の曲をやるだけでは面白くない。そういう様々な思いが交錯して、現在のようなアルバムができる、と考えるのは穿ちすぎか。
そして一曲だけアニー・ハズラムが参加しているが、残念ながら声の質は多少落ちている。もちろんうまいにはうまいのだが、やはり黄金期を知っている身としては、どうしても脳内で比較してしまう。 それでもこのアルバムに引っ張り出してきた事は、賞賛に値すると言っていい。こういうのがカンタベリー系と言われる繋がりなのである。
いずれにせよ音楽であるからには、オーディエンスが楽しめれば、それはそれでいいのである。 とは言っても、オーディエンスが何を求めているのかで、全然違ったものになるのは当然で、例えばクリムゾンのようにいつも新しい事をやっても、かなりの人に最後に喜ばれるのは「レッド」であり「太陽と戦慄」であるというのでは、やはりオーディエンスの質を問われる事となる。 ミュージシャンがプログレッシヴであれば、我々もそれを理解しなければならないのである。
朝の9時頃、いきなり宅配便で1/114のサンダーバード2号が届く。 もしかしてハダリ・ボックスより大きいのでは、と期待(?)していたのだが、意外なほどに箱は小さい。一瞬本当に1/144なのかと疑うほどだ。ハダリでとんでもない目にあっていた人なら今回はかなり注意していたと思うが(両方買った人がどれだけいるのだろう)、まあさすがはタカラである。今回の2号の箱は、1/200のモデルのそれより小さいのではないだろうか。 タカラのように一般流通を多用するメーカーならコンパクトな梱包は必須なのであり、あえて言ってしまえば、トラックにどれだけ積めるかで単価が変わってくる。したがってメーカーとしては小さければ小さいほど良いのであって、その最たるものがティッシュ・ペーパーの箱のサイズの遍歴なのは誰でも判るだろう。あれは単価を下げるのと単位置き場あたりに大量に置くための工夫であって、消費者の事を考えた訳ではないのである。
それはともかく開けてみると、両翼を外した状態で入っており、セットするとやはりでかい。 今回の最大のウリである「伸縮脚の電動可動」という世界初のギミックは、単三電池二本で駆動するのだが、いや驚いた。確かにきちんと動いて、コンテナもスムーズに外れるのだ。 もちろん欠点はいくつかある。最大の欠点は「うるさい」という事だろうか。また多分コンテナを効率良く外すためのガイドだと思うが、これがカタカタ動くのも気にはなる。しかしこういう欠点を補って余りある、素晴らしい「おもちゃ」である。 以前購入した1/144のR/Cジェット・モグラをコンテナにセットすれば、なんと2号がコンテナを外してからモグラが発進し、地中に潜ってからガントリーに帰還、さらにコンテナへ戻り(ドアはさすがに手動となるが)、コンテナをしまいこむまでが一気に出来るのである。世界初のとんでもないギミックのオンパレードで、これは究極のおもちゃと言っていい。 両方あわせて、定価では約20,000円だがそれだけの価値はある(ちなみに私は両方で14,000円で済んでいる)。多分ここまでやろうと考えるのは日本とイギリスくらいの物だろうが、いかんせんイギリスではそこまでやる根性はない。趣味に関して日本は、良くも悪くもマニアックな国なのである。
町に出たついでに、山田正紀の「ロシアン・ルーレット」と「ストレンジ・デイズ6月号」を買う。 関係ないが、現在は「ロシアン・ルーレット」という言葉の意味を知らない人も多いらしく、「トカレフでロシアン・ルーレットをやる」と平気で言う人もいるらしい。セミ・オートマチックでどうやるのか是非教えてもらいたいものだ。 なんて考えていたら、ふと思いついた。 そもそもトカレフとは、安全装置に関しては世界でもっとも危険な銃だというのは常識である。とにかく弾を込めていたら、いつ暴発してもおかしくないと言われていた銃で、これのどこがガヴァメントのコピーなのか、少なくとも私にはまったく理解できない代物である。 という銃なので、数人で5メートル程の円陣を作り、チャンバーに装弾したら、円陣の真中に落ちるように投げ上げるのである。これは怖いぞ。多分ほぼ確実に暴発するだろうから、あとは神のみぞ知る、である。 ちなみに最近の銃ではこれをやっても暴発する危険性はほぼ0に近いので、まさに「トカレフ・ルーレット」である。
夕方「ストレンジ・デイズ6月号」を見ていたら、なんとジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズのコンビによる新作「アイコン」が出たと載っていた。レビューを読む限り、エイジアというよりはウェットンの前作「ロック・オブ・フェイス」の系列らしく、さらになんとアニー・ハズラムがゲストとして参加しているというのである。 これで全体の構成はほぼ想像がつくが、やはり稀代のメロディ・メーカーであり衰えていなければまだまだ素晴らしいヴォーカリストのウェットンの新作なのだ。やはり買うしかないので、もう18時だったがあわててタワーレコードまで行く。やはり毎日遅くまで会社にいると、重要な情報すら落としている事になる。
この時、以前から気になっていた「レコードCD・トリヴィア大百科」という本を立ち読みする。この手のブームに乗った本というのは、大概つまらないものなのだが、この本は全然違っていた。むしろ題名で損をしていると思うほどマニアックである。 という訳で両方を買ってきたのであった。
さて、「アイコン」はどんな出来になっているのだろうか。彼は9月に来日する予定もあるとかで、どうせ行けないのだが、ブートは出るだろうから欲しいものだ。 来日と言えば、ジェスロ・タルも5/11と5/12のキグがある。多分最後の来日となるだろうから見たいのだが…。今のところ5/12はまだ空いているらしいのがなんとも悔しいのであった。
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