新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年07月31日(木) お疲れ様でした!


森の中のサウンドフェスティバル(明治神宮)、お陰様で雨は降らず、野外で演奏する事が出来ました。
 僕の作曲した「海わたる風」が酉の曲として、日中韓のメンバーで楽しく演奏する事が出来て本当に良かった!前半が長引いた為、最後のフィナーレも曲の最後に出演者を呼びこみ、ステージから降りて、観客とメンバーが踊りまくるという予期せぬ出来事に驚くと共に、楽しかったです。

 本番の前、藝術文化財団の久我氏と演奏者を代表してShinchanが明治神宮の御祈祷を受けさせていただきました。身の引き締まる思いと、日本の伝統を思い起こされる厳粛な時間でした。
 応援していただいた方々に心より御礼を申し上げます。



2003年07月22日(火) ドン!と鳴った花火だ〜

今、借りている稽古場は京王多摩川沿いにあります、な!なんと20日に花火大会があったのです、もう人・人で原宿状態で心底驚きました。
 まーここは最高の場所だったのですねー、知らなかった・・・。


花火は何か・・・僕達がやっている舞台芸術に通じるものがあるような気がしました。
 一瞬で消えていく音楽、CDにしようがビデオ撮影しようが、この場所にいないと瞬間の輝き、刹那、は本当には伝わらない、花火の職人さんも命がけで上げているんだな−としみじみ思いました。



2003年07月16日(水) スト?スト?

7月14日はフランス革命記念日、キャト−ヴジュリエと発音して、日本では「パリ祭」と言ってます、毎年この時期にアヴィニョン音楽、演劇祭が開かれます、しかし残念ながら今年は舞台関係者のストで、上演不能となり中止になりました。
 まーフランスではよくある事、飛行機、鉄道、郵便等、ストによりマヒすることしばしば・・・。
1989年 7/13〜7/20、Shinchanは日本音楽集団のメンバーとして、フランス革命200年祭に行きました、200年の記念日だった、警備をしている自動小銃を持った警官がワインをラッパ飲みしていた、車の窓から女の子がお尻を出していた・・り、大変な競走だった、Shinchanは一セーヌ川に佇んでいたっけ?
パリ・シャンゼリゼ劇場公演のあとアヴィニョンにTGVで出発しました。

ここは聖ベネゼ橋は作曲家アドルフ・アダンがオペラ・コミックの中で紹介したフランス民謡”アヴィニョンの橋の上で”で
有名になり世界中に知られている。
 旧法王庁は正しくは教皇庁で、14世紀の70年間ここにローマから移されて法王庁があった。
フランス王フィリップ4世の俗権が教権を凌いだのだ。

アヴィニオンの橋の上で

アヴィニオンの上流に住んでいたベネゼという羊飼いが、1177年、天のお告げで「ローヌ河に橋を架けよ」と聞いた。寺院や市役所に話したが狂人扱いをされ、町中の笑い者になった。群集の一人の僧侶が、からかい半分に10×2メートルの巨石を指差し「これを持ち上げたら神のお告げを信じよう。寺院の助けも借りられる」と言った。
 群集の嘲笑のなかで、ベネゼは祈った後、この石を持ち上げ言った。「この石を橋の礎石にするんだ」
 これを見た群集と僧侶は寺院と役所に駆け込み、奇跡の話をした結果、市民も含めて工事を始めることができた。橋の名は「ベネゼ橋」と名付けられた。
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y passe,  L'on y danse,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y dance tous en rond.

Les messieurs font comm' ca, 
Les dames font comm' ca.
Sur le pont d'Avignon, 
L'on y passe,  L'on y danse,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y dance tous en rond.

Les abbes font comm' ca,  
Les soldats font comm' ca,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y passe,  L'on y danse,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y dance tous en rond.

Les buveurs font comm' ca,  
Les gamins font comm' ca,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y passe,  L'on y danse,
Sur le pont d'Avignon,  
L'on y dance tous en rond.

そしてオランジュの古代ローマ円形劇場で京都市交響楽団と我が日本音楽集団で三木稔作曲「急の曲」etcを小林研一郎さんの指揮で演奏した。
 小鼓の音は円形劇場の一番上の客席までクリアーに聞こえていた。
ストはフランス名物化している感があり、昨今日本ではみられなくなったデモなどにフランス人気質を感じるのだ、ゴミ集積のストはたまりまへんよ!



2003年07月10日(木) 虎!虎!虎!

脚本Shinchan
キャスト
江戸のすし屋の源さん
大阪の仙さん

仙さん:虎虎虎や!
源さん:んー真珠湾攻撃「我奇襲に成功せり」だな!
仙さん:奇襲なんかしてへんで、でも痛いとこつくなー、真珠湾攻撃も最初はバカ勝ちやったんやなー、なんか心配やなー、でもなー連勝、連勝やもん、こら絶対勝つな、マジック49点灯やで、8月にも優勝やって!
源さん:ゥセー!野球わよ、巨人に決まってんだよ、でもよー、中継ぎ投手がよー、あーあー・・・今年は休憩だな。
仙さん:あんたなー、経済効果ちゅうのん考えたことある?巨人の清原、江藤、ペタジェーニ、工藤の年俸を全部足したらなー、阪神の全員の年俸より高いんやで、
解るかー、日本の経済低迷脱出は虎優勝からやな!なー竹中大臣はんも言うとる。
源さん:ッテヤンデ−、日本の経済は虎頼みかよ、なさけねーよな、てめーもあの歌、歌ってるのかよー、なんだっけ六甲がどうのこうの・・・。
仙さん:正式名称は「阪神タイガースの歌(六甲颪)」。昭和10年、球団誕生当初には既に存在していました。おそらくプロ野球12球団で、最も歴史の古い応援歌で
 歌詞にしたって今では使わないような言葉ばかりやで。

源さん:颪って難しい字だなー、おろしってかー?
仙さん:六甲は海と近いやろ、冬なると日本海からきた寒ーい風が六甲の山の斜面を吹き降ろすんや、それが六甲颪や!タイガースはな、その冷たい風に吹かれて鍛えられるんや!

作詞は佐藤惣之助。明治後期から昭和の戦前にかけて、小説家や詩人として文壇界で活躍。「人生の並木道」や「湖畔の宿」など、「年忘れにっぽんの歌」あたりではまだ歌われるような流行歌の作詞も手掛けていらしてますんや。
源さん:おー「人生の並木道」泣くな妹よ、妹よ泣くな〜だな、でその六甲颪ってーのはどんな歌だっけ?
よーよークリックするんじゃねーぞ!

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 作曲は古関裕而。戦前戦後にかけて、数々の作曲で活躍。「長崎の鐘」などの流行歌のほかにも、「君の名は」「鐘の鳴る丘」などラジオ番組のテーマソングでも有名作品が多数。その他高校野球の行進曲でも有名な「栄冠は君に輝く」や、NHKのスポーツ中継のテーマも、実は古関さんによるもの。ちなみに「鐘のなる丘」も、選抜高校野球の行進曲に使われました。


六甲おろしに颯爽と
蒼天翔ける日輪の
青春の覇気麗しく
輝く我が名ぞ阪神タイガース
オウ、オウ、オウオウ
阪神タイガース
フレ、フレフレフレ


闘志溌剌起つや今
熱血既に敵を衝く
獣王の意気高らかに
無敵の我等ぞ阪神タイガース
オウ、オウ、オウオウ
阪神タイガース
フレ、フレフレフレ


剛腕強打幾千たび
鍛えてここに甲子園
勝利に燃ゆる栄冠は
輝く我等ぞ阪神タイガース
オウ、オウ、オウオウ
阪神タイガース
フレ、フレフレフレ

源さん:頭いてーよ。
仙さん:今年は優勝決まりで、そいでもって日本1や!!どや!!



2003年07月08日(火) えーんやらやー


7月といえば、京都の祇園祭でおます、貞観11年(869)年全国に疫病が流行したときに、悪疫退散を祈願したのが始まりとされるんどすえ。以来1100余年町衆の心意気と多大の奉仕によって幾多の戦乱をのりこえて発展しまして、連綿と引き継がれ今日に至ってんのどす。
えーんやらやー


 毎年、7月1日の吉符入りから31日の疫神社夏越祭までの1か月間、様々な 祭事が行われまして。特に16日の宵山、17日の豪華絢爛な山鉾巡行で祭のピークを 迎え内外からの大勢の観衆で賑おております。
祇園囃子の稽古風景 
コンコンチキチン・コンチキチンと聞こえてますと、うちらの胸は騒ぐのどす。

唐子というお囃子をお聞き下さい


もっと詳しく知りたいお方には京の祇園囃子  提供 財団法人 函谷鉾保存会のページに飛んでおくれやす。
http://www.park.org/Japan/Kyoto/lib/haya1-j.htm
Shinchanは思うのでおます、祇園囃子は何故コンチキチンと呼ばれているのか知ってはりますか?それは、物を動かすのには人力では限りがあるため、カネの金属音により超自然の力を引き出すからだ、という。つまり、「金属音はカミとの交信可能な媒体だ」という古代からの認識が、その根底にあるのどす。
 インドネシアでも、ゴング(大型の銅鑼)は神聖化され、その音でカミが降臨すると信じられています。東南アジア全域でゴングによる洗練された音楽文化があり、その一端に祇園囃子を位置づけられると思うのでおます。

★音が聞こえへん!画像がみれへんやないか!と御怒りの方はRealPlayのフリー版(無料でおまっせ)を下記よりダウンロードしてくんなはれ。
http://www.jp.real.com/




2003年07月05日(土) 博多の祭だ!


博多祇園山笠



『博多祝い目出度』
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博多祝い唄
おめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして唄われる。追い山櫛田入りには、一番山笠にだけ許される唄。元唄は、伊勢音頭と言われる。お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰った。全国各地に、同じような歌詞があるが音符がなく、節回しが違ってきた。


1、祝いめでたの 若松様よ 若松様よ
  枝も栄ゆりゃ 葉も茂る
  エーイショーエ エーイショーエ ショウエショウエ
 ア ショーンガネ アレワイサソーエ サーソエーエ ショーンガネ

 2、こちの座敷は 祝いのお座敷 祝いのお座敷
  鶴と亀とが 舞遊ぶ

 3、こちのお庭に お井戸掘れば お井戸掘れば 
  水は若水 金が湧く
  
  

 4、さても見事な 櫛田のぎなん(銀杏) 櫛田のぎなん(銀杏)
  枝も栄ゆりゃ 葉も茂る

 5、旦那大黒 ごりょんさんな恵比寿 ごりょんさんな恵比寿
  でけたその子が 福の神
 (ごりょんさん=博多の商家のおかみさん)

 6、お前百まで わしゃ九十九まで わしゃ九十九まで
  共に白髪の 生えるまで

7月15日 追い山笠 午前4時59分一番山櫛田入り
博多手一本
祭りは集団行事。何かと決まり事も多いし、あいさつも多い。そこで使われるのが、「博多手一本」です。協議がまとまると、「異議ありません。」と手を入れる。後日、異議は唱えないという、暗黙の約束がある。大変重い意味を持った大事な手順です。会合など集まりの締めなどでも必ず。また、もめごとがあった場合でも両成敗となり、手一本を入れ、あと文句を言わない。宴席などでは、博多祝い唄のあと、手一本を入れる。福岡証券取引所でも、大初会、大納会で用いている。関東の”三本締め”よりゆったりしてる。
足を軽く開き、手を肩幅以上広げない。

ヨォー  シャン  シャン

まひとつ  シャン  シャン

祝うて三度

シャン  シャン  シャン

(全員で一礼する)



博多では山笠に夢中になる人のことを「のぼせんもん」(のぼせ者)といいますが
まー踊るアホーに見るアホ−という祭共通の風景でしょう。

大阪の浪速三本じめ、関東の三本じめ、そして博多手一本とその比較は大変面白い。



2003年07月04日(金) 社会福祉法人視覚障害者支援総合センター

筑波大学付属盲学校の教え子のYさんが社会福祉法人視覚障害者支援総合センターに進みました。

社会福祉法人視覚障害者支援総合センター
http://www.siencenter.or.jp/
 彼女は単独でイタリアにオペラの勉強に行った(おそらく単独では初めて)ガッツのある女性です。沖縄出身で、エキゾチックな雰囲気を持った素適な人です。ホームページも作成しています。
Yさんのサイト
http://yomitanzan.com/
 
目が見えないというハンディーはプロの音楽家を目指すことは、並大抵の事ではないのです、楽譜やスコア−を点字で表すと、たった4小節が2ページにもなります、その点字化をしている方々もボランティアなのです。本当に頭が下がる思いです。

 何時もお世話になっている盲学校の吉澤先生は日記にこのように書かれていますので。引用させていただきます。

* ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 引用開始 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。
・・・そんな中、昨日久しぶりに杉並の「視覚障害者支援総合センター」に出かけた。
高橋実理事長は、音楽を勉強する視覚障害者を援助するシステムを作りたいが、なかなか高い目標とレベルを持つ者が少なくなっている。と言うお話をされた。
指導者としても頭の痛いことであるが、志に添うようにこちらも頑張らなくてはと思った。・・・
。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 引用終了 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。 * ゚ ・ 。

どうぞ吉澤先生のサイトから日記を読んで見て下さい。
http://members.jcom.home.ne.jp/wj2m-nrmt/

Shinchanも何かの縁で彼、彼女達と出会った訳だから、音楽の多様性、普遍性を少しでも伝えていく事が出来ればいいなーと思っています。
 そして筑波大学付属盲学校の音楽科の生徒はそんなに多くないので寺子屋の雰囲気で授業しています。楽しいですよ。
 本来、邦楽科の生徒がいてもおかしくないのですが、0なのです、ピアノ、ヴァイオリン、声楽専攻の生徒さんに和太鼓を打ってもらっていますが、皆嬉々として叩いています。
 僕は独自に右脳的奏法というやりかたで彼等と接しています、この概念はShinchanが幼少の頃の音楽へのアプローチを覚えているからなのです、〜するべきだとか〜なくてはならない・・・などという事のない概念なのです。
 例えて言えば、2歳時未満のあかちゃんにバチを持たせて、ミルクのカンカンを4、5個ならべて叩かすと、彼等のその奏法は自然の法則に乗っ取って天才的です、物事が解ってくるに従って、その才能は何所かに置き忘れてしまいます、これは僕が経験したことなのです、だから彼等に太鼓を教える時はガキンチョに戻っているのだと思います。
 傍から見ていると、おそらくハチャメチャなのでしょう、
 まーそのなわけで楽しくやっています。



2003年07月03日(木) 大阪天神祭”船渡御”やで!

阪神タイガースもトップ独走やし、今年の大阪天神祭は7月25日やけど、明治神宮の野外コンサートのリハーサルとぶつかるのでいけまへん。
 残念!!







ほな、浪速三本じめやで!
『打〜ちましょ』
    チョン、チョン
  『も一つせ〜』
    チョン、チョン
  『祝うぉて三度』
    チョチョンがチョン
 これはね、船がすれ違うたびに打たれるんです、まーそれと天神のあの太鼓、でかいコンチキというより、専門的には双盤(歌舞伎で使うでっかいコンチキ)とあのドンカラドンカラ鳴ってる太鼓、そして踊ってるねーちゃんにーちゃん、あの手を丸くしてるのは龍の玉やそうな・・・ふーん・・・でもガラ悪いよなー、阪神タイガースがトップ独走やから、今年の船渡御は、ひょっとしたら怪我人が出るかもしれへんね、ほんまよーやるわ!


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