Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年06月30日(水) 大学のウェブサイト

うちの大学のウェブサイトが変わった。驚いたのは、HTMLソースの検証をした結果、妥当なHTMLと判定されたことだ。前はぐちゃぐちゃだったのに信じられないことだ。どうやら、意識して直したようだ。ただ、その精神まで理解していないということは、レイアウトにテーブルを使っていることから容易に分かる。知っている人にとっては常識だが、HTMLの要素にはそれぞれ意味があって、意味にそった使い方をすることでアクセシビリティを高めている。つまり、さまざまな障害者や携帯電話などの制限されたインタフェースを使う人に対しても、内容が問題なく伝わるようにしているのだ。そのためには、テーブルタグは表に使わなければならない。HTMLにレイアウトに関する要素はないので、レイアウトを行いたければCSSを用いるしかないのだ。

…ここのところ、この話がやたら多いなあ。これしか書くことがないのだろうか。まあ、驚いたってだけで、それ以上、何か言いたいことがあるわけではないのだが。妥当なHTMLの割には重いし…。ちなみに、これはトップページだけで、中のほうに入っていくと、ドキュメントタイプの宣言もしていないHTMLが多く見られる。HTMLには種類がいろいろあって、そのどれを使っているかを明示しなければならないのだ。ちなみに、一般によく使われているのはHTML 4.01 Transitionalというものだ。「過渡期の」という意味のとおり、厳密なHTMLまでのつなぎとして考えられたものだ。その文法規則について記述している文書型定義(DTD)のファイル名がloose.dtdという名前であるところから分かるように、HTML 4.01 TransitionalのHTMLはゆるめの定義になっている。本来ならばHTMLには許されないはずの記述も割と許容されているのだ。しかし、現状ではこのゆるいHTML 4.01 Transitionalすら普及していないのだ。まあ、どうだっていいような気もするのだが。



2004年06月29日(火) 学食

今年から生協に変わった学食。カレーが260円と大変安くなったが、その割にほとんど行っていない。それはなぜなのだろう。

その理由は、結局のところ、味だ。僕は味には相当こだわらない方だから、あまり気にはならない。ただ、この学食の味はなんと言うか特殊だ。まずいという感じではない。「おいしくない」のだ。なぜそう感じるのかは分からないが…。

ほかのものも食べたが、やはりおいしくない。味付けはそれほどひどくないのだが、なんとなくチキンカツがパサパサした食感で食べているとのどが渇くとか、そういう感じがするのだ。あと、スタッフの人の感じがあまりに悪い…。楽しそうなのはいいが、一応客商売なんだからそれなりの対応はしてほしい気がする。



2004年06月28日(月) ぬるぽとは何か

ぬるぽとは何か。まず、概略を説明する。

ぬるぽとは、2ちゃんねる系の掲示板(2ちゃんねる、したらば、etc…)において、唐突に書き込まれるキーワードである。この言葉が使われる状況には、特に脈絡も因果関係もない。だが、ただ一つ、ぬるぽはガッされるという特徴がある。

この言葉、多くの人が意味も分からずに使っている。多くの人にとって、ぬるぽはガッされるものであり、それ以上のことを知る必要はない。確かにそのとおりである。しかし僕は、このぬるぽの意味を知ることになり、またその意味は、僕にとって意外に身近なものであった。

ぬるぽの由来は、NullPointerException日本語版)である。NullPointerExceptionは、Java言語において、オブジェクトが必要な場合にnullを使おうとするとスローされるRuntimeExceptionクラスの下位クラスである。RuntimeExceptionはExceptionクラスに属し、Exceptionクラスのうち、Java仮想マシンの通常の処理でスローすることができる各種の例外のスーパークラスである。ExceptionクラスはJava言語において、実行時例外が起きた場合にスローされるオブジェクトのクラスである。Javaにおいて、実行時例外はExceptionクラスに属するオブジェクトがスローされるものであり、例外処理とはそのオブジェクトをキャッチすることである。ただし、RuntimeExceptionクラスに属する例外はキャッチしなくても構わない。なぜなら、RuntimeExceptionクラスに属する例外はコードのなかのあらゆるところで発生する可能性があり、それをキャッチすることは煩雑だからである。

上のパラグラフを読んでいただければ分かると思うが、僕の文章の下手さ加減を差し引いても、理解するのは難しいのではなかろうか。NullPointerExceptionを理解するためには、Java言語の基本的な文法、オブジェクト指向、Javaの例外処理の仕組みと、そのうちの実行時例外の扱い方を知る必要がある。

だが、ぬるぽを扱う多くの人は、それらを知らない。また、知る必要はない。とにかく、ぬるぽはガッされるものなのだ。

このぬるぽについてまとめられた資料がある。HTMLでは比較的面倒な段組を使ってていねいにまとめられている。一読の価値があるのではなかろうか。ここで注目すべきは最後の章である。題して「世界に広がるぬるぽ」とある。もともとNullPointerExceptionはJava言語における一つのクラスであり、Javaの普及を考えればすでに世界に広がっていると考えられなくもないが、「ぬるぽ」という言葉が地上波のテレビ放送に乗って流れたという点が大きな意義を持つ。

ぬるぽは今やあらゆる2ちゃんねる型掲示板に広がり、ぬるぽと言えば、ガッされると多くの人に認知され、なおかつ地上波に乗って世界に広がった。にも関わらず、このぬるぽには何の意味もない。地上波に乗って流れた「ぬるぽ」も、プレートを掲げた人の意図は「ネタ」であった。そう、ぬるぽに意味などないのである。

たまにはこういう意味のない日記もいいな…。2ちゃんねるに縁のないあなたも、どこでも好きな場所でいいから「ぬるぽ」と書き込んでみるといい。おそらくはガッされるであろう。ちなみに、初めてのぬるぽは2002年の6月20日のことであるらしいから、それから実に2年が経過していることになる。2年のときを経て、この意味のない言葉はこれだけの普及を成し遂げたのだ。

余談ではあるが、本来意味も脈絡もないこのぬるぽだが、その言葉の持つイメージや、ぬるぽ(^^)という顔文字の使われ方から、挑発の意図をもって書き込まれる場合も多い。つまり、荒らしである。その点にも注意が必要である。

さらに余談だが、先ほどのぬるぽについてまとめられた資料の2章に、ぬるぽの元である「NullPointerException」とは、Javaの仮想マシン内で発生する例外のひとつ、 ポインターの参照先の変数がNullだったときに発生する例外のことという説明がある。僕の説明なんぞよりよっぽど分かりやすいことは置いといて、この文章の一部に着目していただきたい。この文章には「ポインター」という記述がある。Java言語の入門書などには、「Javaにはポインターはない」と記されている場合が多い。事実、公式にはJavaにポインターという概念は存在しない。しかし、実際にはこのようにポインターという言葉が使われるのだ。入門書だけを信用してはならないという一例である。Javaのオブジェクト変数はすべて参照型だから、ポインタということになる。Javaでオブジェクトを使うということは、実際はポインタを使っているということになるのだ。



2004年06月27日(日) テッサ先生の補習授業

テッサ先生の補習授業なるものを見てみた。要約すると、「日本の平和は幻想」ってところだろうか。かなりの右寄り思想だが、ちょっと納得させられてしまった。僕は、もともとかなりの左寄りの人間のはずなのだが。ちなみに、いきなりコテコテの漫画っぽいイラストと逆卍が出てくるので、そういうのが好みでない方は見ない方がいいかも知れない。

で、何が言いたいのかと言えば、すっかり自分の考えを失ったなあ、ということ。昔は、ちょっとくらい説得力のある文章や意見があっても、自分の信念が変わりそうだとか思うことはなかったのだが。ま、自分の信念に関わりないことについては、コロコロ変わっていたが。まあ、結局そうなんだよな〜。物事は話し合いで解決するのが一番だし、それが正しいし建設的だと思うのだが、暴力でぶちのめせばそっちが勝つんだよなあ。世の中を勝ち負けで見る人間がいなくならない限り、物事は勝った方が正しいということで進むだろう。勝てば楽しいし、負けた人間をあざ笑うのはもっと楽しいから仕方ないのだろう。とは言え、僕はそんな風に、勝ち組になって負けた人間をあざ笑うつもりなどないから、いずれ負け組になって人生終わるのだろう。

それから、この文章でいろいろと説明されているが、ほとんどの人は、こんなことを考えている暇などないし、ましてや行動する暇などないだろう。僕も、学部3年の頃はそういうこともやろうと思えばできたかも知れないが、今はもう、そんなことをしている場合ではなくなってしまった。まあ、意思次第なのかも知れないが。教授にしかられることさえ気にしなければ、なんてことはないのか。いったいなぜ、そんな細かいことが気になってしまうのだろう。やれやれだ。物事の価値観と優先順位が狂っているのを感じてしまう。



2004年06月26日(土) 休みと厨の増加

学校の休みと厨の増加には、相関関係がある。学校が休みに入ると厨が増えるのだ。そして、これは休みに入ると、多くの児童、生徒、学生の生活パターンが変わるために、周囲の迷惑を顧みない厨行為を行うという因果関係が主張されることもある。

実際に、多くの掲示板では、春厨などと言われる人が多く存在する。ラグナロクにおいても、休みに入ると、ディスプレイの向こうには人格を持った人が存在しているという、簡単な事実を認識できていない人が多く発生する。そして現実にも、休みが終わる頃に僕はかつあげされたことがある。そのときも僕は、警察官の人に「暖かくなると変なのが湧くんだ」と言われた。人間がちょっとした気候の変化でおかしくなったりするものなのかと思ったが、後に掲示板に触れて、人間ならばおかしいが、厨ならばそのような単純な条件反射で動いてもおかしくはないと思った。暖かくなると頭におかしなものが湧いて、おかしなことをするようになるのだ。事実はどうだか知らないが、そう考えれば納得できることがあまりに多い。

つまりは、学校という枠組みから外れると、途端に常識的な行動をできない厨が、世の中に大量発生しているのだ。これは最近の傾向というよりも、人間という生物の持つ特徴だろう。厨と言ったって実際は100人に一人程度で引きこもりよりも少ないくらいだろう(ひきこもりはクラスに一人の割合、つまり40人に一人程度と言われている)が、それでも迷惑行為というのは世にさまざまな悪影響を及ぼすものだ。そういう頭のおかしな連中が、休みになると増加するということを知っておくのは、損にはならないだろう。

特に僕の住んでいる地域には、そういう子どもが多い。そのために、たった一箇所の繁華街に、交番が三つも四つもあるのだ。正確な数は知らないが、僕の行動範囲は偏っているので、実際にはもっとあるに違いない。さらに、警察署もすぐ近くにある。厨は社会の悪なのだ。深夜の11時ごろに駅のあたりに行くと、排気管を故障させたおかしなバイクが蛇行運転をしているのが見られる。頭に変なものが湧いている証拠である。



2004年06月21日(月) またまた久しぶり

一体いつから書いていないのだろう。前回が6月16日だから、5日か。たいしたことないと言えばたいしたことないのだが、それでも毎日書いていた頃と比べると…。なぜか知らないが、とにかくテンションが上がらない。一体何が変わったのだろう。今になってみると、2時間も3時間もかけて8000字の制限限界まで書いていたのが信じられなくなってくる。

ところで、奨学金の審査の結果が出た。なんと、第一種に通ってしまった。条件は、「大学等並びに大学院における成績が特に優れ、将来、研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を備えて活動することができると認められる者」である。別に成績が特に優れているわけでもないし、高度の能力を備えて活動することなんてとてもできないと思うのだが…。まあ、自分にとっては好都合のことだからいいと言えばいいのだが、それにしても疑問だ。まあ、おそらくは過去の奨学金の利用と年収から、こういう結果になったのだと思うが。なんせ、僕の去年の年収はわずか14万円だ。単にまじめにバイトをしていなかっただけなのだが。もしそれが原因だとしたら、精度に問題があると言うしかないと思う。まじめにバイトをしているやつほど損をするのでは報われない。まあ、まじめにバイトをすることと学業とは、対立することなのかもしれないが。これで、僕は卒業した時点で200万円以上の借金を背負うことが、宿命付けられたわけだ。一ヶ月あたり12000円程度を、14年間に渡って返し続ける必要があるわけだ。まあ、もらった奨学金はなるべく使わずに残しておくのが最善の策だろう。ただ、メガネの度がまったく合っていないので、買う必要があるのだが…。困ったものだ。あと、節約しようと思って安い理容室へ行ったらとんでもない髪型にされてしまった。外見は気にしないほうだが、さすがに前髪がきれいにそろっているというのはひどすぎる。

それから、アクセス解析を外すことにした。もともと、彼女に見られたら困るという理由でつけていたものだが、今さら見られたって困ることはないし、第一、そんなことはあり得ないだろう。それにもまして気になったのが、このアクセスカウンタ、妙に重いということ…。重いこと自体は仕方ないと思うのだが、読み込み終わるまでページ本体が表示されないのは困るのだ。



2004年06月20日(日) 好戦的な人

世の中は、一体どのような人の意志で動いていくのだろうか。すべての人の意思を平均しているのだろうか。いや、そうではないだろう。

世の中には多くの人がいて、そのほとんどの人は争い事が嫌いだろう。争い事が何も生まないことは、考えれば分かることだし、経験的にも知られている。しかし、それでも争い事はなくならないし、人類の歴史から戦争の文字が消えたことはない。それはなぜなのだろう。

それは、争いごとを嫌う人と争いごとを好む人がいた場合、争いごとを好む人の意見が通ってしまうからではないかと、思った。争いごとを嫌う人は、無理をして自分の意見を通そうとは思わないはずだ。結果として声の大きい人の意見が通り、全体として争い事を好む人が望む方向へ流れるのではないだろうか。

だから、世の中はなるようになる、と考えるのは間違っている。少数の強い意見を言える人の意志に、その他大勢の人が従うことになるのだ。そして、人の意見を排除してまで自分の意志を通そうとする人は、多かれ少なかれ好戦的であり、勝つことが好きだろう。勝つことが好きな人の周りは、その人に負けた人がたくさん現れることだろう。争いごとを好まない人が無理に勝つ必要はないが、争いごとを好む人に勝たせないようにする必要はある。そうしなければ、本来失わずに済んだ多くのものを失うことになりかねないからだ。誰もが多くを望まないのなら、みんなある程度幸せに暮らすことができるのかもしれない。しかし、幸か不幸か人間はそうではない。だから、限度を越えた欲望は止めなければならないのだ。とは言え、そのために自分まで欲望に駆られて、その限度を越えた欲望と争う必要はないが。資本主義の考え方のように、とにかくできる限りお金をもうけるなんてことを考える必要はないだろう。必要なだけを確保していけばよく、その必要なだけを確保できなくなるような障害があった場合には、それを止めればいいのではないか。

今の世の中は、少数の好戦的な人が平穏を乱しているのではないか。そう思う。



2004年06月19日(土) 気分

ここのところ、ずっと気分が盛り上がらない。これはもしかしたら、何か精神的な病気のたぐいではないのか、と思って少し調べてみた。こういうものに該当するのはうつ病、全般性不安障害(GAD)、社会不安障害(SAD)、慢性疲労症候群などがあるらしい。だが、どうやら僕は、そういうものに該当するわけではないようだ。気分が沈んでいることは多いがゲームをやっていれば楽しいし、最近いろんなことに興味をもてなくなったが、それでもゲームなんかのページはかなり見るし…。まあ、若干傾向はあるが、病気と言える段階ではないようだ。そもそも、僕の性格はうつ病になりやすい性格とは対極だから、おそらく問題はないだろう。まあ、今後もある程度注意するに越したことはないだろうが。

やっぱり、大きいのは人と話さなくなったことだろうか。人と話すとなると、相手が言ったことに対して数秒で返事をしなければならないために、どうしたって頭を働かせることになる。それに、話をするときには相手の話だけではなく、相手の姿を見たり、周囲の状況を見たり、いろいろなことをやっている。こういう刺激が普段の生活からなくなっているのは、非常に大きな問題と言えるだろう。インターネットのチャットや掲示板などもコミュニケーションの手段としては優れているが、こういう秒単位の高速のやり取りには適さない。PCというインタフェースを通すことで、コミュニケーションそのものの速度は低下するのだ。やはり、人間同士、面と向かって話をするのが、コミュニケーションとしては究極だ。脳神経を直結するようなシステムでも開発されない限り、これ以上のコミュニケーション手段はあり得ないのではなかろうか。現在存在する、直接の会話以外のあらゆるコミュニケーション手段は、直接の会話の欠点を補完するものに他ならないだろう。やっぱり面と向かって話をするのが一番だ。



2004年06月18日(金) 長崎小学生殺害事件

この事件に関して、詳しいことは何も知らないし、調べるつもりもない。そういう人間が受けた印象について、書こうかと思う。

この事件は、背景にインターネットが絡んでいることが大きな問題とされた。と言うよりも、インターネットが絡んでいることで、事件がよりおもしろくなったと言うべきかも知れない。極めて不謹慎な考え方だと思うが、現状としてそういう考え方があることは否めないと思う。そして、今回もまた、インターネットに対して批判的な意見が多く出された。

ただ、今回感じたのは、その批判が若干まともになってきていることだ。前までは、事件を起こした人がインターネットを使っていたから、インターネットが悪いというような論調だった。ちょっと考えれば分かるように、インターネットを使っている多くの人は、普通に社会生活をしている。それに、インターネットを使っていない人の中にも、問題を起こす人はいる。たまたま容疑者がインターネットを使っているからと言って、それが因果関係を示すものではないのだ。今回の事件では、こういう論理的な誤りは、少なくともなくなったと思うのだ。

ただし、それでもまだ論理が欠落している意見は多い。特にチャットに関して、欠点だけを挙げて、だから悪いのだとしているものが多く見られた。それを受けて、「高校生まではPCを使わせたくない」なんて意見は極論に過ぎない。教育にPCが絡んできているのは、現在の社会状況を考えれば必然だ。紙と鉛筆同様に、手段としてコンピュータを使いこなせる必要があるのだ。それとチャットの問題点は切り分けて考えるべきだ。

チャットで相手の顔が見えないのは当たり前で、感情が伝わりにくいのもやむを得ないことだ。それはコミュニケーション手段としての、チャットの限界だ。それが嫌なら直接会って話せばいい。だいたい、この事件の加害者と被害者は、直接会う機会も多かったし、感情を伝えるために顔文字をうまく使っていたと言う。僕はそれなりにPCに慣れているつもりではいるが、そういう感情表現の技術に関しては、とても現在の小学生にはかなわない。そもそも、PCに対する見方が違うのだ。僕はあくまでも電子計算機という考えから脱し切れていないが、小学生の感覚では、すでに携帯電話などと同じ、コミュニケーションのツールなのだ。だから、データとしてどうのこうのと言うことよりも、とにかく自分の意思が伝わることを最優先に考える。半角カナはまずいとか言っていては、なかなかそういう発想にはならないものだ。

いつになったら、こういう問題に関して冷静な議論ができるようになるのだろう、と思う。おそらくは、現状のマスコミの形態が続く限り、ずっと冷静な議論など期待できないのだろうな…。なぜなら、そんな議論はほとんどの人にとっておもしろくはないからだ。



2004年06月16日(水) モチベーションと日記

生活のやる気と日記が比例する気がする…。生活のモチベーションが高ければ日記を書こうという気にもなるが、そうでなければ日記を書くことすら面倒でやっていられない。

その間に、書きたいことはずいぶんたまってしまった。ただ、思いついたときはすごく大事なことのような気がしていても、後になってみれば、なんて事のないことばかりだ。と言うよりも、いろいろテーマを挙げて、そのテーマを元にどういうことを書きたかったのか、すっかり忘れてしまっている。

ところで、このエンピツでラグナロク関連のことを書いている人の日記は、わざわざ検索で拾い出して読ませてもらっているのだが、どれもなかなかおもしろい。簡単に書いているようだが、自分に書けないことから推測するに、おもしろい文章を書くということはそれだけ難しいのだろう。僕に人並みの文章力がない、とも言えるのだが。最近印象的なのは、ゴキブリとスパナとアイアンドライバー。どこがゲームの話なのかと思われるかもしれないが、これも立派なゲームの話だ。しかし、下水に生息するゴキブリなんて、リアルすぎてとてもゲームとは思えない。ちなみに、下水に生息するゴキブリが大好きだとか言うと、変人扱いされる。ゲームのモンスターなんだから好きになったっていいじゃないかと思うのだが。さらに言うと、僕は10人ほどのギルドというグループのマスターをしているのだが、そのギルドの拠点も下水前に置いている。これは、僕の趣味と言うだけではなく、首都が近く(首都の地下水道らしい)、道具屋やカプラ(という名前の便利屋)さんもいるためだ。この道具屋とカプラさんが移動せずに両方使える場所は、ラグナロク全体で2ヶ所しかない。それが下水前とフェイヨンなのだが、フェイヨンの方は道具屋とカプラさんの距離が遠く、その両者の間にある中央通路のど真ん中を占有しなければならないために、拠点には適さない。道具屋とカプラさんが隣接しているのは、世界中でただ1ヶ所、下水前だけなのだ。ジュノーあたりにもあったような気もするが、あんな辺境の地では、交通の便が悪すぎて仕方があるまい。そして、多くの人たちは、ゴキブリは嫌いでも便利なのは好きなので、下水周辺には結構な数の人がいる。人でない連中も出没する。そういうやつは闇ポタで飛ばしてやったりするのだが。ちなみに、これは確かマナー違反になるはずなので、よいこのみんなはまねをしないようにしよう。そんなわけで混んできたので、移転を考えたりもしている。マイグレ前は移転していたのだが…。難しいところだ。人が多い方がにぎやかで楽しいってのもあるし。

我ながら脈絡のない文章だなあ…。書いた直後に読み返しても意味不明だったものが、あとから見るとなんとなく分かる、ということもあるのだが、さすがに今回は、それはあるまい。

おっ、エラーでぶっ飛んだかと思っていたら、なぜか残っていた。よかったよかった。Operaにはそんな機能もあるのか。もっとも、エラーから復帰できるよりも、エラーにならないでほしいものだが。



2004年06月11日(金) 気づけば10日

気づいたら10日も放置していた。書きたいことはいろいろあったのに…。最近、また日記を書きたいと思えるようになってきた。ボーっとしているよりはいいことなんじゃないかと思う。しかし、1日に複数のことを書きたいこともあるから、そういう意味ではブログの方が良さそうな気がしてたり…。コメントをつける機能もあるし。

まあ、書きたいことはいろいろあるが、とりあえず講義へ行くことにする…。

講義は「安全」についての話だった。安全とは何か。安全なんて存在しないのではないか、ということだ。事故を起こさないようにしたいのなら、安全にする、という発想ではなく、事故の原因をなくす、という発想でなければならない。安全とは二値論理であり、結果論だ。事故が起こらなかったから安全だった、とは言えるが、まだ動いてもいない状態で、これから先のことを安全であるかどうかなんて言えないからだ。未来には何が起こるか分からない。巨大隕石が落ちてきて人類が滅亡するかもしれない。未来に関して言えば、安全なんてあり得ないのだ。そうではなく、事故の原因となる事柄、危険性について考えるべきだ。そう考えれば、隕石の危険性など問題にならないという結論が容易に出る。問題が起こらなければいい、という考え方ではなく、このような問題がこの程度起こりうるから、その防止のためにこのような手立てが必要であり、もし起こってしまった場合はこのような手立てが必要だ。と言うように考えるべきなのだ。隕石が降ってくるという問題はほとんど起こりえない。防止することはおそらく不可能である。起こってしまった場合、大災害となるので地震に順ずる対策が有効であろう。なんて考えればいいのではないか。とまあ、僕の意見も混じってしまっているが、こんなような話だった。

なんだか眠い…。昨日、徹夜だったしなあ。早起きできないから徹夜だったのだが、さすがに徹夜のあと、日付が変わるまで起きているとつらかった。



2004年06月01日(火) Winny

ああ、サボってしまった。講義もあったのに。五月病ペースのまま6月に突入した感じだ。とりあえず、PCに向かう前にノートに向かって、自分のやるべきことをのんびり考えるべきなのだろう。最近、いろいろなことをあくせくやりすぎだ。落ち着いて物事を考える時間がほとんどない気がする。電車の中では、何もしない方がいいのかも知れない。

ところで最近、Winnyの事件が大騒ぎになっている。Peer to Peer型の通信ソフトだ。サーバを介することなくデータのやりとりができる画期的なソフトで、この開発者は、それを一ヶ月で作ってみせたのだ。しかし、それが著作権法違反幇助に問われ、京都府警に逮捕されてしまったのだ。その容疑が強引だっただけでなく、京都府警に不祥事が多い(Winnyが不祥事の原因になっているものもあった)ために、何かと話題になっている。

が、この事件そのものはどうでもいい。思ったことは、こういうことに対して、僕が強い感情を持たなくなったと言うことだ。ちょっと前までは、何かあるたびに、日記に無駄とも思えるくらいいろいろと書いていた。それが、最近はいちいち論評する気がしなくなってしまっているのだ。議論するということをおっくうに感じる。なぜなのだろう。


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