Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年05月31日(月) 無為に過ぎる日々

5月もこれで終わり。ああ、定期を更新しなければ。本当にお金がない。まじめにバイトを探さないとなあ。最近、やる気がますますなくなってきて、昼過ぎに研究室に行ったり、昼食と言って抜けたままずっと戻らずにフラフラしてたりするのだが、あまりとやかく言われることはないらしい。そう言うことは早めに気づきたかった…。まあ、とにかくそういうことであれば、少しはバイトをすることもできるだろう。そもそも教授は結果主義という感じだから、毎日毎日研究室にいる必要などないはずなのだ。毎日ちゃんと何かしらの作業をするのならいる価値もあるだろうが、ボーっとしているだけでは意味がない。

それにしても、これほどコミュニケーションを取らずに、人間の生活が成立するとは思ってもみなかった。大学に着いてから帰るまでに、たぶん三つか四つくらいの言葉しか話していない。寂しい生活も、慣れてしまえばどうってことないものだ。つらいとかではなく、とにかく刺激がない。自分で何かをやろうにも、やはり外からの刺激というものは必要になるだろう。



2004年05月28日(金) 人を知るとは

丁寧語は、長い間使ってこなかったせいか、違和感があるのでやめることにする。

人は、他人のことを、どこまで知ることができるのだろうか。こんなことを思いついたきっかけは、妙なことだが、パスワードを考えているときだ。

パスワードは、自分だけが知っていて、他人は知らないということが前提になる。人を知っていると言っても、パスワードが分かることはまずないだろう。

僕の、研究室のPCの今のパスワードは、これまでの僕の人生を変えた人のハンドルネームを、3人並べたものだ。その人のことはプロフィールに書いてあるから省略するとして、果たして、これが他人に分かるだろうか。それぞれの人にとって、ハンドルネームは自分のものなのだから分かるだろう。では、それ以外の人についてはどうだろう。

一人目の中学の先輩と、二人目のメール友達は、僕が紹介したので、お互い知っている。面識はないと思うが…。二人目のメール友達は、その中学の先輩のハンドルネームを知っている。しかし、逆はないだろう。メール友達の方は、数え切れないほどのハンドルネームを時と場合に応じて使い分けている。その中で僕は、先輩の知らないハンドルネームをパスワードに使っているはずだ。

つまり、人のことを知っていると言っても、高が知れているということだ。僕にとってとても重要な人だって、他人から見れば何の価値もない。人のことなんて、本当に何も分からないんだな、と思う。

ふと思ったのだが、弟は3人とも知っている。考えてみれば、僕の知人の中で、この3人を全員知っているのは弟だけだ。なんだかいろいろあるなあ。人間関係も。



2004年05月27日(木) 誉めているのかけなしているのか

最近、ミーティングは適当に乗り切ることばかり考えているなあ。やれやれだ。まあ、1週間じゃプログラムなんて書けないし、仕方がないか。

そこで登場(?)するのが、テスト駆動開発!簡単に言えば、プログラムを書くときに、一番最初にテストから始めるものだ。テストプログラムを書いて、そのテストプログラムがちゃんと動作するように中身を書く、そして、中身をきれいに整える、という順番で開発をする。普通は、中身を書いて、それからテストをして、ちゃんと動作するかどうかを確認するものだ。

この方法の最大の利点は、疑心暗鬼の中で作業を進めなくて済むこと。初めに中身を書いて最後にテストをした場合、テストに失敗すると、最悪の場合、最初からやり直しになってしまう。しかし、初めにテストプログラムを書いて、そのテストをクリアするように中身を書いていけば、中身が書き終われば全部終わったことになる。ただ、初めにテストのプログラムを書いたりとか、余計な手間がかかるわけだが。そして何よりいいのは、完成していなくても成果になること。まだ完成していなくても、ちゃんと動作するプログラムが手元にあるわけだ。ミーティングをいい加減に乗り切るには最適だ。

ところで、インフォシークのトップページから、三十路過ぎ女ほど、健気でかわいい女はいない?というコラムに飛んだ。結論としては、

だから男性の皆様、若い女じゃなくてさ、三十路過ぎ女と結婚してあげてくださいよ!お願いしますよー!

となっている。しかし、これには違和感を感じる。内容を読んでみると、どうにも矛盾しているように感じるのだ。「怖い女」でも「いっしょにいてくつろげない女」でもないと主張しているのだが、この文章を読むと、そういう女性をますます近寄りがたく感じさせるのみだ。擁護をしたいのか、暗に批判をしたいのか、筆者の意図がよくつかめないのだ。擁護に見せかけてけなしているように感じるのだが…。



2004年05月26日(水) 不幸の本質

不安は、不幸だ。不幸にもいろいろあるだろうが、今の僕にとって、不安がもっとも不幸だ。

人間は、やる気になればなんでもできる。その気にさえなれば、できないことなんて何もない。すばらしい。人間には無限の可能性があるんだ!

では、どうするの?僕は、修論を書きたい。それさえできれば卒業できる。意味はないかもしれないが、人生に刻む一つのステップになるだろう。修論のテーマはシミュレータの開発。船長のシミュレーションをするプログラムを書くこと。やる気があれば何でもできる!では、何をするの?どうすれば修論が完成するの?がんばればいいの?がんばるって何をするわけ?毎日毎日研究室に来ていれば、それで論文は完成するわけだ。努力すればいいの?毎日毎日努力さえしていれば、それで論文は完成するわけだ。

そんなわけはない。物事にはどんなことにもやり方というのがあって、それさえ知っていて、それをこなしさえすれば、やる気なんてあろうがなかろうができるのだ。それをできるかどうかはやる気次第、努力次第だろう。しかしね、努力は最全面に来るものではないのだ。すべてを兼ね備えた人間の、最後の一欠片。それがやる気とか根性とかってものだ。

シミュレータプログラムを書けばいい。では、何を書くの?Javaで書けばいいのか。Javaってどう書くの?Javaって何?どんな機能があるの?利点は何?欠点は?処理速度が遅い?それってシミュレーションに向いてないんじゃないの?シミュレーションって計算機資源がたくさん必要なんじゃないの?GUI?それじゃますますJavaなんて向いてないんじゃないの?船長のシミュレーションをするのはいいけど、船長って何?シミュレーションをするならモデル化をするよね。モデル化ってどうやるの?どうすれば正当なモデルと言えるの?それは本当にまともなモデルなの?そもそもどんなことを再現するの?精度は?細かい方がいい?それじゃマウスクリックのインタフェースなんて使う意味がないんじゃないの?数値で入力?そんなのいちいち数値で入れてられるの?船長のモデルはいいとして、船舶のモデルはどうするの?一次近似の操縦運動方程式を使うの?方程式の解法は?ルンゲクッタ法でいいの?オイラー法で十分?そもそも船長と船舶と、どうやって時間のつじつまを合わせるの?マルチスレッド?そうだな、マルチスレッドだろうな。それじゃ再現性がないじゃないか。しかし、本来別個のものを扱うのだから、マルチスレッドが一番じゃないのか?そもそも、シミュレーションできるような代物なのか、船長ってのは?それはモデル化の正当性と同じ議論なのか?問題の本質はなんだ?なぜシミュレータなんて作るんだ?船長モデルの妥当性を調べるため?どうやって評価するの?それ以前にどうやって動作の検証をするの?検証と評価は違うだろう。何が違うのか?だいたい、こんなのほかにやってる人がいるんじゃないのか?こんなことやって、何かの価値があるのか?書くのはいいけど、結果としてできあがったものが実用に堪えなかったらどうするのさ?それを修論として胸を張って出すのか?だいたい、学費払っていないだろう。奨学金をもらえなかったらどうするつもりだ?授業料免除なんて、親の年収が1000万越えてる人間に認められるもんじゃないぞ。親は学費なんて出すつもりはないと言ってるなんて、そんな細かい事情が認められるわけはないだろう?いまや、独立行政法人化で、国立大学にカネなんてないんだ。だから、いまだに僕の机のスピーカは電源が取れなくて、音が鳴らないんじゃないか。どうするんだ?連絡の取れない先輩に、なんとか連絡を取らなきゃいけないじゃないか。どうやって連絡を取るんだ?メールも電話も反応がないんだぞ。だいたい、アルバイトしなくていいのか?奨学金がもらえなかったら退学だろうが、お前はよ。そうだ。だいたい明日ミーティングだろ?日記なんて書いてる場合なのか?こんな調子で本当に論文なんて書けると思ってるのか?そもそも、論文ってなんだ?何をもって論文って言うんだ?必要な調査なんてしてないぞ。なんせ、海事に関する知識なんてまったくないんだからな。プログラミングのスキルだって高が知れている。こんなものじゃ世の中やって行けないよ。どうするつもりなんだ?研究の目的はなんだ?シミュレータの開発を目的としていいのか?そんなもの、何のために開発するんだ?船長モデルの評価なんて必要なのか?評価がしたいのなら、僕なんかが作らなくたって、評価がしたい人がシミュレーションプログラムを書くだろう?

疑問はまだまだある。考えれば考えるだけ、クエスチョンマークは頭の中に浮かんでくる。問題発見能力という意味で言えば、すばらしいのかもしれない。ただ、そんなことはどうでもいい。問題は、どうやって解決するのか、だ。がんばるのか?がんばれば解決するのか?努力さえすればなんでもできるのか?知らなかったことが分かるようになるのか?どうやって?何をすれば?どこへ行けば?精神論は最後の決め手だが、最初からそれでは、何も解決しないよ。

重要なのは目的と、そのための手段。最後に、手段を実行に移すための行動力だ。だが、手段をうまく選べば、行動力なんて必須のものじゃない。やる気なんぞなくても、簡単なことならできるんだ。重要なのは、そこだろう。確かに、目的を見定め、事の本質を考えるのは大事だろう。でも、世の中腐るほどの人がいて、それぞれがそれぞれのことをやってるんだから、とりあえず何かすれば、それでいいじゃないか。それを、どうやるか、だよ。

目的が定まらないのも不安だが、方法が分からないのがもっとも不安だ。目的なんて、方向を決めるだけでも何とかなる。でも、自分が一歩一歩進んでいくための手段を知らなければ、毎日をどうやって過ごせばいいのかなんて、考えることもできないじゃないか。それは苦しみではないのか?それこそが不幸ではないのだろうか。



2004年05月25日(火) これから眠くなる

眠い眠いと言うに決まっているのだから、早めに寝ないと…。

特に書くべきことはなかったのでしょうか。金曜日と月曜日は、研究室にいないでフラフラと出歩いていたのですが、今日はとりあえず研究室にいました。まあ、まともに作業なんてしていませんが。あさってはミーティングなので、明日は何かしないといけないでしょうね。こんな調子じゃ、とてもゆっくり考えるなんてできませんね。まあ、来週は生産技術研究所の見学だとかでミーティングは休みなので、じっくり考えてみようと思います。少しはゆっくりプログラムも書けるでしょう。

睡眠時間、6時間では足りないのかも知れません…。



2004年05月24日(月) 腕立て伏せ

2年くらい前まで、卒論なんてやつのせいで帰るのが遅くなる前までは、僕は、毎日腕立て伏せをやっていました。僕は元々からだが強い方ではないし、顔色も青白い典型的なインドアタイプなのですが、だからこそ、少しでも体を動かそうと思ったのです。中学2年の頃からずっと続けている腕立て伏せが、密かに自分の中では誇りでした。しかし、それも卒論まで。卒論に追われるようになってから、まったくやらなくなってしまいました。時間的な余裕よりも、精神的な余裕がなくなったことの方が大きいですね。毎日がつまらなくて、絶望的になってしまいましたから。その理由はいろいろありますが、やはり、刺激を受けなくなったことが一番大きなことでしょうか。講義を受けたり、友達と話したり、たまには彼女と話す機会があったりして、3年生の頃まではいろいろと刺激があったものです。時間がたてば忘れると思いましたが、時が経てば経つほど、彼女のことは理想化されて、脳裏をよぎります。きっと、本当の彼女が僕の頭の中の彼女の姿を知ったら、私はそんなんじゃないと言って怒るのでしょうね。僕の中の彼女は、よく知らない人と知っている人に対する態度の差がとても大きい。知らない人には丁寧に応対するのに、知っている人には遠慮なく愚痴を言ったり文句を言ったりしている。誰よりも努力家で、でもそれは、自分の弱さを知っているからで…。優秀でそつがないけど、決して天才ではない人。自分が不器用であることを知っていて、必死にそれを隠そうとしている。心のどこかに壁を作っていて、壁の横から顔をのぞかせることがあっても、決して壁を越えて近づいては来ない人。思いは募り、昇華して、…そしてきっと、すでに違う形に変わっています。

腕がとても重く感じます。昔は100回くらいは腕立て伏せができたのに、今は60回でもこんな調子です。きっと、明日かあさってには筋肉痛で苦しむことでしょう。

幸せとは何でしょう。満足できるとはどういうことなのでしょう。彼女に思いをはせるだけで満ち足りた気分になれる僕は、頭はよくないけど幸せな人間なのでしょう。考えていてふと思ったことは、幸せというのは、その日一日を、胸を張って、主張できることなのではないかということです。僕も前までは、毎日のできごとを日記に記していました。他の人から見れば下らない生活でも、僕にとってはきっと、充実した毎日だったのでしょう。そしてそれは、文章には現れない、人との交流にその実体があったのだと思います。僕は小さな頃から今まで、ずっと友人に恵まれてきました。だからこそ、幸せと言い切れる生活を送ってこられたのだと思います。…今は、違います。友人がいなくなってしまったわけではありませんが、日常的に会う機会は、もはやありません。会おうと思えば会えますが、それは、毎日、ごく当たり前のように顔を合わせる生活とは違うものです。

だからこそ、今の生活に慣れてきても空虚な感じを受けるのだと思います。そして、人との交流を重視した、ラグナロクというゲームに心を奪われるのだとも思います。ゲームとして見れば決して良いものではないのにも関わらず、です。表面的には確かに優れたソフトウェアなのですが、ゲームとしてのバランス調整があまりに稚拙すぎます。しかし、もはやそんなものはどうでもいい。むしろ、そういうバランスに対する議論をすることがまた、人との交流を生み出しているとも言えるのです。

実生活で失ってしまった、もっとも大事な心の欠片。人と交わること、人を知ること、人を尊敬すること、人に好かれること、人に興味を持たれること。多くの人にとって、もっとも大事と言えるこんなことを、インターネットのゲームで補っている今の状態は、異常なのかも知れません。しかし、単なる受け売りではありますが、人は、そして僕は、好むと好まざるとに関わらず、与えられた環境の中で選び取っていかなければならないのです。それがすべてであり、他にはありません。現代の環境はとても選択肢が多いために無限のように感じますが、現実的な選択は、それほど多くはないのです。そして、自分の選んだ道は最善であると信じること、あるいは信じられること。それが幸せの、一つの形なのではないかと思うのです。

僕は今まで、何の迷いもなく進んできました。自分は幸せであり、自分の選んだ道に間違いはないと確信していました。しかし今、僕はとまどっています。明らかに道を間違ってしまっている。心を保つすべはあるものの、自分を前に進めるものは何もない。今をしのぐことはできても、未来を形作ることはできない。自分なりに生きていくために必要な、具体的で形のあるもの。形がなくても、確実に頼れるもの。お金や、もの、世の中で信頼を受けるに足る技術、経験。今、この時に手に入れているはずのものを、僕は何一つ手に入れていません。そして、手に入れられる見通しもまったくありません。

もう、ただ腕立て伏せをして満足するだけでは済まなくなっているのです。意味もなく体を鍛えるのではない。生きていくための目的を決め、手段を選び、そのための力を手に入れなければならないのです。すでにレールは外されて、僕は迷走しています。知ってはいたけど考えていなかった。そんな現実に今、向き合う必要があります。けれど、今の僕にそんな余裕はない。こぼれ落ちて崩れそうになる心の隙間を必死になって埋めているのに、一体何を考えればいいのか。難しいことではない。知っているから分かっている。僕は、決して難しい状況になど置かれていない。僕より困難な立場にいる人なんていくらでもいる。けど僕は、僕のなすべきことが、選ぶべき選択が分からない。今、するべきことをするだけ。大学院生なのだから、論文を書けばいいこと。本当にそれでいいのか?

もう、何も分かりません。当分の間は、1人で現実をさまよいながら、虚構の空間で多くの仲間に囲まれる生活が続くのでしょう。その間に僕は、僕なりの世界を構築して、その中に自分と現実の世界を位置づけなければなりません。現実の裏打ちがない人間など、決して認められることはないのですから。



2004年05月22日(土) 集中力減退

どうやら、寝過ぎると集中力がとぎれるようです。これを書いているのは日曜日なのですが、日曜日は7時間睡眠で、12時の今でもそこそこ目が冴えています。しかし、土曜日は10時間くらい寝ていたら、日が沈むまでまったく目が冴えてきませんでした。あと、2度寝は良くありませんね。



2004年05月20日(木) 生活の落ち着き

眠い…。毎日更新しようと決意したのはいいのですが、眠いです。

最近、ようやく生活が落ち着いてきた、と言うか、リズムができてきた感じがします。学部の頃から1年以上、なんだか落ち着かない生活をしていたようです。

それと同時に、少しだけ視野が広くなった…と言うより、極端に狭まっていた視野が、ちょっとだけ元に戻りつつあるようです。今まで気づかなかったことに、気づくようになりました。町の風景とか、そんな些細なことですが。何も必死になる必要なんてないのに、なぜか必死になっていたようです。研究室にこもっていても、こういうことには本当に気づきませんね。足を動かすと良いようです。血液の循環が良くなって、脳に酸素が行き渡るのでしょうか。

そうすると、なんだかボーっとすることが少なくなりました。割と、いろいろなことを考えるようになってきたのです。少なくとも、丸一日、何も考えずに過ごすよりはいいのではないでしょうか。なんでもいいから考えるということは、それだけ、物事に対する価値基準がはっきりしてくるということではないでしょうか。それがいずれは僕という人間を形作っていくわけですから、やはり、あれこれ考えてみるというのは重要なんだろうな、と思います。ただ、普通は高校生くらいの頃に、そういうことをやっていそうなものですが。



2004年05月19日(水) プログラム

現在10時。こんな時間まで大学にいたのは久しぶりです。今から帰るのは本気でうんざりします…。

何をしていたのかと言えば、教授のプログラムのJavaへの移植。これが非常に難しい。前にも何度か書いたのですが、そもそもどういう意図のコードなのかさっぱり分からない部分が多すぎるのです。結局、実行結果にずれがあるまま、終わらせることにしました。もう、いちいち原因を探っていられないので。50行ほどのコードを10行くらいにまとめたりした部分は、きっと見落としがあるに違いありません。でも、面倒だからもういいのです…。

明日は、9時半に大学に来なければなりません。逆算すると、7時半には家を出なければならないことになります。ということは、起きるのは7時。6時間睡眠を確保するとすると、1時に寝なければなりません。で、現在10時。この日記を書いたりあれこれやっていて10時15分になったとすると、家に帰るのが11時45分。1時間あまりで夕食を取って、風呂に入って、その他もろもろを済ませなければなりません。…無理でしょうね。風呂なんて、入らなくてもいいか。背に腹は替えられない。

でもまあ、やっていてつくづく、僕はプログラムを書くのが好きなのだと思いました。こんな時間までやっていても、疲れや空腹こそ感じるものの、つらいとは感じませんから…。やはり、コンピュータに関わる仕事をしたいと思いました。



2004年05月18日(火) 何がきついのか?

ROについては、上のメニューにあるRO Blogに書いています。よろしければごらんください。…たいしたことは書いていませんが。ROと言えば、今回のマイグレーションプランで移住することになったのですが、どうも移住先の方が人数が多そうな予感がします。移住率は全体の28%とのことですが、まったく接続していない人というのがかなりいそうなので…。実際、僕の弟もそうですし。マイグレの前に、弟のキャラから全部装備をはがして回収させてもらいました。ゲームを始めたばかりの初心者に、あんまりいい装備をあげるものではないですね。自分で集める楽しさがなくなってしまいます。まあ、いい装備と言っても、日頃しゃべってばかりでお金稼ぎなんてしていないので、+4ワイズゴーグルとか+5トリプルシュルードグラディウス程度ですが。…ご存知の方は分かるかと思いますが、グラディウスのほうはかなりの趣味装備です。高いグラディウスにゴキCを挿すなんて…と思われるんでしょうが、僕はゴキが好きなので。ラグナロクと言えばゴキ、ゴキと言えばラグナロク。ゴキをペットにできないことが、ROの最大の失敗だと思います。まあ、BOT放置もそれ以上に大きな問題ですが。

ところで昨日の夜、布団の中でふと思ったのですが、なぜ今の生活がきついと感じるのだろうと考えていて、思い当たったことがあります。今の僕の生活は、7時から8時くらいに起きて、朝食をとって大学へ行って、18時くらいには大学を出て、20時から20時半程度に帰るという生活です。帰るのが若干遅いですが、それほど厳しい生活とも思えません。ではなぜか。それは、やりたいことがあるからなのだと気が付きました。まあ、ラグナロクなんですが。学部の頃は特にそういうことがなかったので、きついとも思わなかったわけです。大学へ来る以外に特にやることがないのなら、長時間大学にいることもさほど苦にはならないでしょう。しかし、今は大学以外でやりたいことがいろいろとあるのです。ラグナロク以外にも、プログラムの勉強をしたりとかHTMLとかXMLとか、あれこれとあるわけなんですが…。もしそうだとすると、この状況は社会人になれば打破できると考えていましたが、そういうわけには行かなくなるかも知れません。困ったことです。

それはまあ、いいとして、昼間に運航システム設計工学という講義を受けてきました。もともとは、「大学院生は研究をするべきで、講義で負担をかけるべきではない」という方針の先生なのでかなり楽な講義のはずなのですが、受講者が二人しかいない上、もう一人が中国人で、日本語よりも英語のほうが得意でした。ということで、19ページの英語の論文を渡された上に、講義まですべて英語で行われました。2年ほど英語には触れていなかったので、ひどく苦労しました。困ったものです。英語での講義も困りますが、それで苦労する自分にも困ったものです。まあ、教官の英語の発音がひどく悪かったために、何とか分かったのですが。発音が悪いということは、日本語訛りということですし。それにしても、予習をしておいて良かったとつくづく思いました。あらかじめ単語を調べておかなかったら、何を言っているのか全然分からなかったに違いありません。逆に言えば、ほとんど論文に出てくる単語のみで説明をする先生はさすがかもしれません。単に英語のボキャブラリーが乏しいだけかもしれませんが、やたらと知らない単語を連発されるよりも100倍いいです。ついでに言えば、その論文も、英語なんてまともに分からないはずの僕でも読めるように書いてありました。論文と言うと小難しいイメージがありますが、これがあるべき姿なのだと感じました。

それから、先週の木曜日の学会アルバイトのアルバイト代をもらいました。いきなり5000円を素で渡されて、その場で領収書を書いておしまいです。せめて封筒くらいには入っているだろうと思ったら、それもありませんでした。と言うか、銀行振込だと思っていたのですが…。国立大学と言っても、いい加減なものです。もっとも、お金をもらえるのなら早い方がいいし、銀行に振り込まれても引き出すのが面倒なので、これでよかったのかもしれません。所持金が2000円しかありませんでしたし。

丁寧語で書くと、小学生の作文のような印象を受けるのはなぜでしょうか。



2004年05月17日(月) 書類提出

ようやく懸案だった履修申請を出した。締め切りは4月23日。我ながらひどいものだ。そして、明日は運航システム設計工学の講義がある。英語で19ページの資料を読んでおかなければならない。3ページほど読んだが、やはり英語はわけが分からない。果たして読めるのだろうか。そして、そんなことをしていて木曜日のミーティングは大丈夫なのだろうか。毎週毎週、もっと早めにやっておけばよかったと思うが、毎週毎週、やっていない。やれやれ、である。

情報リテラシーのTAをやっているのだが、なんだか1年生の態度があまりにひどいように見えて仕方がない。僕はまだ22歳だが、最近の若い者は…と思ってしまう。昼間に英語の教官に呼ばれてPCの設定をしたりしたのだが、そのときも、地べたに座り込んでいる学生がいた。その教官が「俺が学長だったらあんなやつ蹴り出してやる。外から人が来たとき、恥ずかしくてしょうがない。」と言っていた。蹴り出すことはないかもしれないが、僕も同じ気分だ。

もっとも、うちの大学の場合、半分くらいが船乗り候補生だ。ということは、船に乗ってくるということだ。船の上では、規律の重要性は陸地とは比較にならない。危険性がまるで違うからだ。規律を守らないことが命に直結する世界だから、おそらく、少しは叩きなおされて帰ってくることだろう。まあ、最近の人は筋金入りだからなかなか直らないかもしれないが…。僕も、毎度毎度ミーティングの資料がいい加減なのに、早めにやろうと思えない…。

ところで、「難しくない日記を書いてくれ」と言われた。こう言われる場合、原因は二通り考えられる。書いてあることが難しい場合と、難しいことを書いていないのに、書き方が下手だから分からない場合だ。僕の場合、明らかに日記の内容は難しくない。自分の考えを書いていることもあるが、日頃あったことを書いてるだけの場合が多いし…。ってことはつまり、文章がわけ分からんのじゃないのかと…。いや、分かってたさ。分かってたけど…。どうしようかな。はっきり言って他人に読ませるために書いている日記じゃないから、分からなくてもいいんだよな〜。とは言え、それではせっかく読みに来てくれた人に対してあまりに失礼だから、少しは考えようかな…。だいたい、自分であとで読み返したときにわけが分からなくなるかも知れないしなあ。とりあえず、明日から丁寧語を使うことにしよう。…でも、明日になる前に。

いつも読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。今日だけしか読んでいない人も、ありがとうございます。今後は、少しは改善しようかと思い始めたので、よろしくお願いします。



2004年05月16日(日) IRC

IRCはInternet Relay Chatの略だ。なぜこれを唐突に紹介したのかと言えば、ちょっとラグナロクで使おうと思ったからだ。またゲームの話か…と自分でも思うが、土日はそれしかしていないのだから仕方がない。

よく理解していないので詳細は他のウェブサイトに当たってもらうとして、簡単に言えば、IRCとはチャットのことだ。ただ、一般に知られているチャットとは違って、専用ソフトと専用サーバを使う点が異なる。この点から、ブラウザを使うチャットと比べてアクセスしやすい利点がある。もっとも、システムとしてはウェブのチャットとIRCはまるで別物だが、結果としてできることは大差ない。ちょっと使いやすいだけだ。…うーん、そもそも根本から間違っている気がするぞ。

IRCサーバはどっかの暇人…ではなくて、高潔な志を持った有志によって無料で提供されている。ということで、使う方はIRCクライアントだけを準備すればいい。

なんだか面倒になってきたな。まあ、IRCクライアントにはCHOCOALimeChatがあるから、好きなものをダウンロードすればいい。使い方は、僕が書くよりも、そのクライアントの説明書や、ウェブサイトを参照した方がいいだろう。…投げやりだな。とにかく、ダウンロードしてインストールして、適当に設定すれば使える。ちなみに、IRCには複数のサーバがあるが、同じグループに属するIRCサーバであれば、どこにつないでもチャットができるようになっているらしい。事実上、メインのIRCのグループは一つしかないはずなので、クライアントソフトの方で選択できる設定を選んでおけば間違いはあるまい。もっとも、デフォルトのポートは混み合うようだが、そんなことは僕の知ったことではない。僕自身はポート番号を変えて使っているが、別に変えなくたって使えないことはない。サーバに負荷がかかるので、変えたほうがいいのだろうが。

投げやりな説明はこのくらいにして、そもそもこのIRCを使おうと思った動機は、サーバダウンが起きたことである。ちなみに、ラグナロクオンライン公式ページを参照してもらえれば分かるのだが、僕が所属するSara以外のサーバも立て続けにダウンしている。相変わらずひどい運営体制だ。ベータテストならともかく、お金を取って運営しているとは思えない惨状だ。まあ、ゲームそのものはそれでもやりたいと思えるくらい楽しいのだが、それにしたってひどいものだ。サーバがダウンしてしまうと、一緒にゲームをしている人たちと連絡が取れなくなる。メッセンジャーはあるが、メンバー全員と連絡を取るには、1対1を基本とするメッセンジャーではつらい。一応、僕のギルドのサイトにはチャットを置いているが、Javaアプレットを使ったもので、重くて使いづらい。わざわざこのページを出してそこから行くのも面倒だ。こんな理由で、IRCを使おうと思ったのだ。



2004年05月15日(土) 今日も

今日もまったりゲームしてましたとさ。ふーむ、最近休みはそればっかりだなあ。客観的に振り返ろうにも、これではどうしようもないかも知れない。

そう言えば、知人から電話がかかってきた。ようやくインターネットにつなげられる環境を手に入れたはずなので、電話をかけてくるのはおかしかったのだが…。案の定、また問題が起きたらしい。PCのブートセクタに変なツールを仕込まれていたようだ。まったく、困ったものだ。

うーん、それくらいだろうか。なんだか朝と夜の、時間の流れが違うような気がする。あいかわらず夜にならないと目が覚めない。なぜだろう…。とりあえず、日記を書いて頭をひねっていれば、少しは目が覚めるだろう。と言っても、書くことなんてないか。



2004年05月14日(金) パラグラフ

今日から、かばんを持たずに大学へ行くことにした。ノートや筆記用具は、大学に置きっぱなしにしてしまえばいい。電車の中でやるゲームなんてのがあるが、そんなのはポケットの中にでも入れておけば十分だ。

やらなきゃいけないことは、履修申請に教授の印鑑をもらうこと。これは月曜日じゃないと都合が悪いと言われたので、月曜日にすればいいだろう。それから、18日の講義のために、英語の論文を読んでおくこと。そんなことを言われてもまったく分からないが、これも月曜日までには何とかしておくしかないだろう。それから、教授のプログラムをJavaで書くこと。長さはたいしたことはないのだが、読みにくいプログラムだから、まったく同じ動作をさせるのが大変なのだ。まあ、これも何とかするしかないだろう。あとは年金とかかな。

ところで、ウェブサイトをフラフラと見ていたら、ライティングに関するページにぶち当たった。おもしろいと思ってブックマークに入れていたのだが、しばらく見ていなかった。ライティングには、そこまで興味はない。確かに、分かりやすい文章を書ければ何かと良いのだろうが、それを日記で実践しようとは思えないし。この日記は、上に挙げたライティングに関するページでやってはいけないこととして書いてある、「思いついたことをそのまま書く」ということを続けて書いている。それが一番楽だからだ。わざわざ論点をはっきりさせて、文章を再構築しようとは思えない。

それではなぜ見ていたのかということだが、それはHTMLにとって、パラグラフは重要だからだ。基本的に、HTMLでテキストを記述する場合は、パラグラフのタグ<p>を用いる。なぜそういうことになっているのか、パラグラフの必要性とは何かが、ここで見るとよく分かる。まあ、せっかく<p>タグを使っているのなら、意識してみたって悪くないだろう、とそういうことだ。

一つのパラグラフでは、一つのトピックについて述べなければならないそうだ。そして、パラグラフの始めに総論を書き、そこから展開していく形が理想的なのだそうだ。もっともこれは、実務の文章の場合だが。小説などの場合、はじめに結論がきてしまって、そのあとにひたすら説明が続いたら、つまらないことこの上ない。

まあ、今後、意識してみるのもいいかな…。結局のところ、HTMLのパラグラフなんていくら言ってみたところで、スタイルの変更くらいにしか寄与していないわけだが…。文章を自動解析するなんてほとんど行われてないし。



2004年05月13日(木) 日本航海学会

ちょっと手伝ってきた。で、感想。なんかショボかった。大学院生の発表が一番良くて、年齢が上がるにしたがってだんだんショボくなっていく感じだった。なんなんだろうな〜?ちなみに、自分のところの教授も発表をしていたが、それはさすがという感じだった。まあ、締め切り間近で適当にまとめた感じは否めなかったが、そういうものなのだろう。

呼び出されたのは朝の8時20分、しかし、ついたのは8時半。もはや、生活の緊張感0ですな。で、あわてふためいて会場に行った。やることは2種類。時計係と、マイク係だ。どっちも卒論の時にやったことなのだが、時計は時間を計ってベルを鳴らし、マイクは、質疑応答の時にマイクと質問記録用紙を渡す係だ。ただ、卒論の時のベルは電動で、スイッチを押すとそれだけで鳴ってくれたのだが、今回のベルは手動で、勢いよく押すとなかのおもりが跳ね上がるという構造だったようで、ちょっと困った。いろいろ発表はあったのだが、ノートを忘れたりしたこともあって、特に記憶には残らなかった。ただ、ショボかったということが、逆に自信…と言うか、見通しの明るさになった。この程度でもいいなら俺にだってできる、という感じだ。

出された昼食はおいしかった。しかし、こんなところにお金を使うならバイト代がもっとほしかった。朝の8時から夜の8時まで、12時間拘束されて5000円ってどういうことなのだろう。

で、発表が終わったあとの懇親会。僕には何が楽しいのかよく分からなかったが、先生方は、これが楽しみで来ているという人もいるそうだ。で、例のごとく、わざわざ大学に寿司屋が来ていたりして、無駄に豪華。寿司屋を呼んでおきながら寄付金が減って予算が足りないって、皮肉なのだろうか。食事も、無駄に高いものがたくさんあった。確かにおいしかったのだが、これだけのものになると、恐らく一人あたりの会費は5000円は超えるだろう。酒もやたらと多かったし、3人も人が派遣されていたので、もっと多かったかも知れない。それなら、もっとバイト代を出してほしかった…。まあ、普段話す機会がない他の大学院生と話せたのは良かったのだが。自分と同じマスターコースの人だと思っていたら、ドクターだと言われてびっくりした。同じ研究室の中国人の人が、自分勝手でなかなか論文を書かず、仕方がないから代筆したと言っていた。中国人と言うと優秀だというイメージがあったが、世の中いろいろな人がいるわけで、必ずしもそうとは限らないようだ。ちなみに、高専生もそうなのだが、大学にいる中国人が優秀である場合が多いのは、中国人が日本人より優れているということではないと思う。単に、優秀な人しか日本に来ないということなのだと思う。いや、もちろん、絶対に優秀であるとは言い切れないわけだが。

ところで、RO関連はMy ProfileのBlogに書くことにした。SS載せやすいし。



2004年05月12日(水) 履修申請

4月締め切りの履修申請をようやく書き終わった。まだ教授と助教授の印鑑をもらっていないのだが。やれやれ。

自分は、自分のことをどれだけ知っているんだろう。自分が冷静であること、落ち着いていること、そんなこと、分かる人間がいるんだろうか。僕は、先週がゴールデンウィークで、今週が学会のため、2週続けて研究の資料をまとめる必要がなかった。そして、履修申請の特別研究計画書を書こうとして、ようやく自分の研究を客観的に見ることができた。これまで、ほかの人から自分の研究がどう見えるかなんて、考えても分からなかったのだ。しかし、しばらく考えを離していたおかげで、ようやく見えるようになった。やはり、毎週のように研究の成果を発表するなんて間違っているんだ。順調に進んでいればいいのかもしれないが、やがては周りが見えなくなってくる。自分には分かっていても、他の誰にも分からないものを作り出す。

昨日は、僕の尊敬する人からの電話を取り逃がしてしまった。でも、今日の昼に電話をかけたら、ちゃんと話をすることができた。これまでインターネットがあったために、電話で直接会話することはほとんどなかった。しかし、今はその人の家にインターネットの環境がない。だから、電話をかけてきてくれるのだ。そう、その人の影響で僕は、深く考えもせずに大学院に進学なんてしてしまったのだ。僕は、将来のビジョンが見えていないわけではない。もちろん、はっきり見えているわけでもないが、自分の進むべき道についてはある程度決まっている。優れた人材になりたいわけでも、エリートになりたいわけでもない。ごく普通に、おだやかに過ごしていければそれでいい。多くを望むつもりなんてないのだ。それならば、大学院になんて来るべきではなかった。ただ、その人に対する憧れだけで、その人と同じ道を歩んでしまったのだ。得られたのは、膨大な出費を引き換えにした、制約された自由。時間的な余裕はあるが、常に成果を迫られ制約されつづけている。それも、僕一人で、だ。社会ならば、成果が出なければただではすまない。だから、常に自分ひとりに責任がかかりつづけることはないだろう。まともに向かい合うつもりなんてないんだから、軽く受け流せる柔軟な心がほしい…。



2004年05月11日(火) 理由のない閉塞感

少しでもいい。わずかでも書いていこうと思う。とは言え、書くことなんてないのだが。休日はまだそれなりにゲームのこととか書けるのだが、平日ではさすがの僕も、それほど長時間ゲームをやっているわけではないからなぁ。それにしても、日常生活でネタがなさ過ぎるし、完全にゲームの日記に衣替えしようかな…。検索していくつか読ませてもらったのだが、どれを見ても結構おもしろいんだよなあ。

最近、自分が前に進んでいないことを痛感する。日記を書くと、そんな自分に向き合わざるを得ない。だから、書かなくなってしまったのかも知れない。毎日日記を更新していた頃は、毎日何か考えたことや、書き記しておきたいことがあった。駅から自宅までの2キロ程度の道のりでは、考え事で頭がいっぱいになって、考えたことが七つも八つもあって、どれもこれもこぼさないようにと、抱え込むように家に戻ったものだ。それなのに今は、思考停止したまま2キロの道のりを走ってる。昔は、止めようと思っても、止めどなく考えがあふれてきた。なのに今は、まったく何も考えない時間が多すぎる。同じ大学なのに、研究室に配属されるか否か、ただそれだけでこれほど変わってしまうものなのか。

何もかも、やる気がしない。4月で締め切りの履修申請も、未だに出していない。奨学金も、もらえなければ大学を辞めるしかないというのに、ギリギリだった。ゲームの考察ですら、書く気がしない。昔、自分が作ったページを見て、これが本当に自分のしたことなのかと疑問に思ってしまう。わずか半年前の僕には、まだ創作意欲ってものが残っていたんだ。

能力的には衰えていない。HTMLの関連ウェブサイトには目を通しているし、それなりの知識もあるはずだ。やろうと思えばできるだけの知識はあるはず。実際、先輩に頼まれて編集したときは、特に問題なんてなかった。

まあ、いいや。とりあえずこの日記をつけるようにしよう。なんでもいいから、毎日こなしていけば少しは自信になるだろう。それに、毎日自分の生活を振り返っていれば、この理由のない閉塞感を打開する決め手になるかも知れない。



2004年05月09日(日) Gungnir祭り

あまり身構えずに、ちょっとずつでいいから書いていくことが大事かな、と最近思い始めた。

昨日、先輩の家に行ってずっと喋っていた。バーチャルリアリティ何とか展ってやつの説明会に行く予定だったのだが、リネージュ2の計算式の検証をずっとやっていたら時間がなくなってしまった。結局、あきらめてその検証の作業を続け、そのまま21時くらいまでやっていた。

と言うことで、本来土曜日にやるつもりだったハードディスクのセッティングを日曜日にやることになった。が、午前中にちょっとラグナロクに接続してみたらADに誘われて、そのまま午前中はADで狩っていた。初めて悪魔のヘアバンドが出るところを見た。僕の取り分は500k。貧乏人の僕にとっては十分すぎる額だ。これで所持金は4.4Mになった。レイドの入手も近いだろうか。

午後になって、PCをあけてみたらすさまじい状況だった。そこら中が埃だらけ。覚悟して掃除機を用意していたが、予想を遙かに越えていた。特にCPUファンがひどく、ファンとヒートシンクの間に埃がぎっしりとつまっていた。これでよく今まで動いていたものだと感心してしまった。で、ハードディスクをセットしたのはいいのだが、ジャンパピンが足りない。仕方がないのでそのまま動かしてみたが、やはり認識してくれない。あれこれ試したがダメだったので、昨日の先輩に電話してみた。が、留守だった。ということでさらに友達に電話してみたら、CD-RWドライブのジャンパピンを使うといいのではないか、との話だった。半信半疑だったが、試してみたらそれでうまく動作してくれた。どうやら、ハードディスクはおおむねデフォルトでマスターになるようになっており、CD-RWドライブはデフォルトでスレーブになるのが普通らしい。

それでOSを入れたりしていたのだが、途中で面倒になってやめてしまった。どういうことになっているのかよく分からないが、スレーブに入れておいた古い方のハードディスクから、問題なくWindowsを起動できたためだ。とりあえず新しいWindowsを用意したことだし、古いWindowsが死んでから準備したって遅くはないだろう。とりあえず最低限のドライバは入れたし…。

で、適当にラグナロクで話していて、夕食を食べてGvGに参戦。この日は祭になるということで、その祭りに関与しないセクハラーズにはどんな影響があるのかと思っていたが…。

まず、最初の30分くらいは暇だった。ゲフェ2の下の方にある狭い通路をぎっしり埋め尽くすという戦術を使ったのだが、そもそもそこまで人が来なかった。どうもみんなが前の方に出て行ってしまっていたが。だが、21時から夢船桜同盟が来襲…。と思いきや、SSを見ると葵桜と紅桜しかいない。単独行動だったのだろうか。とにかく、その時点でやや苦戦気味だったものの、何とかくい止めていた。しかし、そこにMoebiusが参戦。さすがにSara屈指の攻め手ギルドのMoebiusだ。これには抗しきれず、戦線が崩壊…する前に僕が死んでしまった。そして戻った頃には、防衛ラインを完全に突破され、Moebiusと葵桜・紅桜の双方に、後衛まで攻め込まれていた。それでもしばらくがんばっていたが、10分かからないうちに陥落してしまった。取ったのは確か紅桜だったはずだ。そして取り返しに向かったのだが、ここでセクハラーズは、いつものように全員集合するまで砦前で待機していた。これが裏目に出て、速攻をかけたMoebiusにあっさり取られてしまった。次はこちらも速攻をかけたのだが、今度はMoebiusが放棄。Moebiusに取られた段階で葵桜と紅桜もあきらめていたようで、結局無人の砦でエンペ遅延作戦を採ることになった。

そこに攻めてきたのは、Gungnir祭の最初の対象となったV3を、見事守りきったPANDA-Zの人たち。と、あと、いくつかギルドのエンブレムが見えた。全部で三つほどだったから、セクハラーズの規模ならばまあ、守れる程度という感じではあった。れぞれが同盟だったら危なかったと思うが、あとで聞いたところでは遊びに来ただけらしい。…それにしては苦戦した気もするが。攻め手が同盟を組んでいないということは、当然のことながら、強力な範囲スキルはすべて使えない。特に、攻撃側、防衛側ともに必須のスクリームを使えなかったのは痛かったに違いない。

結局、思惑通りにセクハラーズはエンペ遅延作戦を成功させ、終了5分前にエンペリウムを破壊。エンペ部屋に立てこもったところで攻城戦時間終了となった。毎回のように思うが、攻め手が途中であきらめてくれたから確保できているが、これが最後まで攻められたらどうなったか分からないに違いない。

で、今回は、祭の影響なのか非常に重かった。旧鯖では10秒、20秒のラグが存在すると聞いていたが、まさにそんな感じだった。しかし、これは祭の影響と言うよりも、祭の邪魔をするために大量の枝を使った人がいたのが原因らしい。せっかくお金を稼いで、そんなことに使うなんてばかばかしいと思うのだが…。

ところで、このGvGのちょっと前、ギルメンが青箱を軽く開けたら兜が出た。鑑定してみたらバフォ帽だった。…青箱からバフォ帽って出るのね。それ一つだけで、今まで2年近くラグナロクをやっている僕が、今まで一度も見たこともないような額を手にできるアイテムだ。



2004年05月07日(金) 『男と女の・・・』

まずはじめに。このタイトルは、引用のそのまた引用だ。

ことの始まりはぺっぱーさんの2002年9月14日の日記だ。で、これに僕が文句を言って、そしてまたぺっぱーさんがそれについて意見を書いてくれた。いや〜、このときは、自分の日記を参照されたことなんて初めてだったものだから感動したものだ。それにしても、ぺっぱーさんの日記の中に引用されてみるとつくづく思うが、僕の文章は本当に硬い…。

ということなので、ぺっぱーさんの日記からここへ来た方は参考にしてみてください。今はそうでもないのですが、当時はやたらと長い文章を書いていたので、全部読むと疲れると思います。一応IDをつけたので、すぐ参照できると思います。…ヘボいブラウザを使っていなければ。Opera 7.23といかいうマイナーなブラウザでしか動作確認をしていませんが、たぶん大丈夫でしょう。しかし、ぺっぱーさんが日記を書かれたのは5月1日で、5月7日の今日まで気づかないとは、僕もなかなか変わったものだ。昔は毎日日記を書いて、マイエンピツもいつもチェックしていたのに。

ただ、前に書いたときと比べて、僕もずいぶん変わった気がする。ぺっぱーさん流に言えば、女性に近づいたと言うべきだろうか。あるいは、単に目的意識が希薄になったと言うべきかもしれない。前は意味もなく店をフラフラしているなんて、疲れるだけで僕にとって何の意味もなかった。しかし、最近はあまりそう感じなくなった。前ほど疲れを感じなくなってきたのだ。ただこれは、前は目に映るものに関していちいち情報処理していたのに対して、今は漫然と見過ごしているからこういうことになるのかもしれないが。なんというか、日記を書いていても、前は次々といろいろなことが思いついたものだが、最近ではそういうことがほとんどない。思考力の低下をはっきりと感じる。

ということで、ぺっぱーさんの古い日記から引用されてもらってネタにしてみようと思う。

男は「一度にひとつづつ!」しかできない

これはそのとおり。知人に、授業を聞きながらノートを取り、宿題のレポートをやって、なおかつ小説を読んですべて理解できるという女性がいるが、僕にはこれが超人的な能力に思える。授業を聞くこととノートを取ることすら同時にはできない。ノートを取っている間、先生の話は基本的に聞こえていない。

男は単刀直入

僕はそうでもない。結論の前にえんえんとしゃべりつづけることが多く、そのために結論を忘れてしまうことも珍しくない。この日記の場合は、何か言いたい結論があった場合、最初に書いてしまうことにしているが。でないと、書いているうちに欲求不満になってしまうからだ。ああ、それが単刀直入ということだろうか。ただ、これは一つ目のことと関わりがあるように思う。つまり、一度に一つずつのことしかできないから、余計なことをやっていると、肝心なことを忘れてしまうのだ。だから、いきなり重要なことを言いたくなるのだと思う。

男は間違えるのが大嫌い

これが僕には理解できない。確かに、友人・知人にはそういう男の人が非常に多い。そういう意味で、男にこういう特徴があることは否定しない。しかし、僕自身の場合、そんなことは決してない。このページも正確なHTMLを使うように心がけてはいるが、今利用しているこのリスト構造だって、間違っているのを知っていて、わざと簡略形(終了タグの省略)を使っている。面倒だからだ。ただ、この場合も、「面倒だ」という理由で、僕自身の中で正当化できているからいいのかもしれない。そういう意味では、間違えるのが大嫌いというよりも、自分の価値観に従わないのが大嫌いと言うべきかも知れない。妥協が嫌いなのだ。ちなみに僕は、物事が穏当に進むのであれば、かなりの妥協をする…はずだ。

男はストレスで黙る

ストレスがあったら余計なエネルギーを使いたくないと思うのは自然ではないだろうか。ただし、これはストレスにまじめに向き合おうとする人の場合で、ストレスから逃げたいとか忘れたいとかいう人の場合はしゃべるかもしれない。女性の場合はどうなのだろう。ストレスの内容そのものをしゃべることですっきりする人がいるかもしれない。男がそれをしないのは、おそらくプライドの問題ではないだろうか。自分がストレス状態にあるということを悟られるのが嫌なのだろう。

男は地図を回さない

これは前にも書いたとおりだ。回すと分からなくなるから回さないのだ。ちなみに、またゲームの話になるが、ラグナロクでは画面の右上に、自分の現在位置を示すミニマップが出る。これは常に北を上にしていて、自分の進行方向やカメラの向きによって変わることはない。僕はそれが使いやすいと思うのだが、女性はどうなのだろうか。今度聞いてみることにしよう。…と言っても、ネットゲームなので、女性キャラの中身が本当に女性なのかどうか、よく分からないのだが。

男にとってセックスとメイクラブは別物

さっぱり分かりません。以上。ではあまりにもいい加減なので何か書くとすると…。セックスは欲望の象徴で、メイクラブは理性の象徴で、それぞれはまったく違うんだ、と考える人が多いのかなぁ、と思ったりする。女性にとってはメイクラブも欲望の象徴なのかなぁ、なんて。…苦手だなあ。女性にとっては、相手のことで頭がいっぱいになって、理性も何もかもすっ飛んで夢の中で過ごすことが大事なのかな、と思う。男性にとっては、キスをするとか相手にどこまで触れるかとか、実際にしたことが大事で、心の中でどう思っているか、ってことは、女性ほど重要ではないのかもしれない。あとは、自分たちが世の中でどう位置付けられるかってことが大事なのかもしれない。誰から見ても幸せなカップルであることが重要なのかな、と。悪くいえば冷たくて、よく言えば理性的なんじゃないかなあ、と思ったりする。ただ、これって自分には当てはまらないからなんとも。

全体として思うことは、本来こういう問題は、性別の差よりも個人差が大きく出るはずだ。女のように考える男がいたっていいし、その逆があったっていい。それがほとんどないのは、やはり社会的な問題なのかな、と思う。男だからこうだ、女だからこうだ、というよりも、世の中全体としてこんなのが男だ、こんなのが女だって決められていて、それにみんなが合わせてるんじゃないかと。

ところで、ぺっぱーさん流男性の典型的行動をひっくり返して書くとこうなる。

「買い物に行きたいと思うんだけど」と言われて、「じゃあ、一緒についていくよ。どこに行くの?」と言う。ドライブに行って道を間違えると「間違えちゃったよ、どう行けばいいかな?」と彼女に聞く。…これってなんか、ちょっと情けない男じゃないかと思ったりするのだが。まあ、もっとも、情けないとか言いながら、全部僕に当てはまるんだけどね!(やけ気味)

こういうことって、相手に不信感を持たないうちに、理解し合わなきゃいけないんじゃないかな、と思う。理解していないと、相手のことがわからなくなって、不信感を抱いてしまうんじゃないかと思う。「なんであいつはあんなに買い物が好きなんだ?俺にはさっぱり分からん。」と。たとえ男にとって分からなくたって、女ってのはそういうもんだと知っておかなければならないだろう。逆もまたしかり。「なんであいつは新聞を読むと食事の手が止まるの?」と言ったって、そういうもんなんだから仕方がない。ちなみに、これは本人が意識しない問題だ。僕も、まったく同じように食事をしているつもりなのに、普通に食べると10分で食べ終わるものが、新聞を読みながらだと30分かかったりする。おそらく、横から見たら食べたり止まったりを繰り返しているのだと思う。僕自身にそういう感覚はないのだが。おそらく、「手が止まってるよ。」と言われなければ気づかないだろう。

物事の本質を探ること。「なぜ?どうして?」を考えること。科学において重要だと言われていることだが、むしろ、日常生活にこそ大事なことなのかもしれない。科学の世界では、つじつまさえ合っていれば、意外とこの点は通り過ぎることが多い。分かりやすい例ではファジィ理論が挙げられる。

ファジィ理論というのは、人間のあいまいな感覚を数値的に表現しようとするものだ。その方法は、メンバーシップファンクションという数式を構築することだ。その結果、「日本人の心地よいという感覚は、Aというメンバーシップファンクションで表現できる。」という結論が得られる。メンバーシップファンクションは境界を表す。この値が小さければ、「あまり心地よくない」ことを表し、値が大きければ「かなり心地よい」ことを表す。デジタル的に「ここまでが心地よい、ここから先は心地よくない」と割り切らないのだ。

で、ファジィ理論がどうして「なぜ?どうして?」を考えていないと言えるのか、だが、それは、メンバーシップファンクションの成立過程に問題がある。実は、メンバーシップファンクションはデータから構築されるものであって、「心地よい」という感覚と特に関わりがないのだ。「なぜ心地よいのか?」という疑問ではなく、「この湿度、温度、気流では、多くの人が心地よいと感じる」ということから数式を構築する。なぜその湿度、温度、気流が良いのかということは考えない。データから「この点はあまり心地よくない湿度、温度、気流である」、「この点はかなり心地よい湿度、温度、気流である」と決定し、それぞれの点を結ぶなどの方法でメンバーシップファンクションを決定する。データとして出た結果を結んだだけで、「心地よい」という感覚とは関連がない。

しかし、それでもいいのだ。なぜなら、それで多くの人が心地よいと感じる温度、湿度、気流が分かるからだ。なぜその湿度、温度、気流が良いかということは分かっていない。しかし、結果は分かる。重要なのは結果だ。科学において過程は重要だが、本質ではない。結論こそが本質である。過程は、絶対に必要なものではないのだ。もちろん、異論はあるだろうが。

科学の世界でどうあれ、日常生活で相手の心情を思いやることは必要だ。相手のことを考えず、自分の道を貫くのもいいだろう。ただし、僕はそうなりたくはないと思うし、友達になってほしいとも思わない。もしかしたら、相手は自分にとって理不尽なことを言っているかもしれない。けど、そこで考えなくてはいけない。「なぜ、こんな(自分にとって)おかしいことを言っているんだ?これにはなにか理由があるのではないか。」と。相手にストレスがたまっているのかもしれない、自分の方が間違っているのかもしれない、誤解があるのかもしれない、相手や自分に精神的な異常があるのかもしれない、価値観に相違があるのかもしれない…。考えるべきことは無数にある。人はそれぞれ、自分の価値観に従って物事を判断しているのだと、僕は思う。価値観が違えば、おのずとその結果も異なってくるものだ。



2004年05月01日(土) 脊髄反射

ディスカッションをしているテレビ番組を見た。イラクの人質事件の話だった。つくづく、この人たちは人の話を聞かないな、と思った。まあ、テレビなんてパフォーマンスが目的で、本当に充実した議論をしたいとは思っていないのかも知れないが。人の話を聞かないのではそもそも議論が成立しうるわけはないのだが、外面的にそれより気になったことは、話の切り返し方だ。人の話の直後に、自分の意見を言う。あるいは、人の話を遮って自分の意見を言う。これは、人の話を聞いていないのと同時に、その人の話を受けて、とっさに頭に浮かんだことをただパッと言っているのだ。矛盾点など整理する暇などないだろう。掲示板をよく読む人は、これをなんと言うか知っているだろう。これは、脊髄反射と言うのだ。相手の言葉に対して、なんら考えることをせずに反射的に言い返す。これでは、充実した議論以前に、そもそも聞く人に対して意味が伝わらない。掲示板ではそんな脊髄反射は馬鹿にされるだけだが、テレビのいい年をした大人は、それを当然のように受け入れている。だいたい、興奮して議論をするというのはいかがなものか。

まあ、弟が見ていなければ、自分では絶対に見ない番組なのだが。と言うよりも、自分でテレビを見るとしたら、最近はニュースくらいだ。ボーっとテレビを見るなんてそんな無駄なことはしない、などという偉そうなことを言うつもりはない。現に、ゲームをやりまくっているのだから、テレビをボーっと眺めているのとたいした違いはない。では、なぜ見ないのかと言えば、それはきわめて単純な原因だ。テレビを見ていても、ちっとも楽しくないからだ。映し出すもののレベルがいちいち低すぎる。考えた形跡のないものが多すぎる。映像処理や演出の技術は、その裏側がどうなっているのか想像もできないほどにすばらしいものだが、その内容は、技術とは裏腹に乏しい。

ちょっと遅いが、日記タイトルを変更してみた。そのうちラグナロク日記とかに変わるのかな…。

で、土曜日なのに大学に来ながら追記。ハードディスクを買うのに付き合ってもらおうと思ったのだが、そしたらPCのセットアップを手伝ってくれというから、セットアップをしながら日記を書いているのだ。Inter LinkというPCを使わせてもらっている。Librettoと同じくかなり小型のものだ。昔はこのサイズのキーボードは得意だったが、最近はデスクトップに慣れてしまったせいなのか、それほどいいとも思えなくなってしまった。


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