Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年04月30日(金) Blog

前に取得したきり放置していたMy Profileをちょっといじってみた。画像のアップロードがしやすいようだ。RO関連の話はこちらに載せていくといいかも知れない。そのうち画像が多すぎとかで止められそうな気がするが。

さて、連休は何をするかな…。とりあえず、今日のところは寝るか。

ああ、そうだ。どうでもいいことではあるが、昨日の夜はずいぶん眠かったので、ゲームを早々に切り上げて、9時半頃には寝てしまった。で、起きたのは4時半。そして今が1時半だから、21時間も起きていることになる。

まあ、My ProfileのBlogは思った以上に便利だったので、これからちょくちょく更新していくことにしよう。最近は、WikiやこのエンピツやBlogのように、無料でも優れたサービスが増えて嬉しい限りだ。ただ、それだけに、自分でHTMLを打ってページを作るのがなんだかばかばかしくなってくるのは確かだが。いったいどうするのがいいのだろうか。やはり、情報発信をしたいのも確かだが、自分の手でHTMLを書いてみたいのも確かなので、いろいろと併用するのが一番いいのかも知れない。

とりあえず、GvGレポートには便利そうな気がする。Blogって…。ちなみに、セッションのマスターにも勧めたのだが、採用しなかったらしい。まあ、いろいろ事情はあるのだろうが。とりあえずは自分で使ってみることかな。

あと、ATOKなのだが、漢字変換候補に半角数字を出せることを、今日初めて知った。ということで、早速この日記に使っていたりする。

なんだか、まだ文章を書きたい気分だ…。



2004年04月28日(水) ミーティング終了

書いていたら不正終了した。なんだかやる気が失せるなあ。せめて、保存くらいしてから死んでくれ。

ああ、もう何を書いていたのか忘れてしまった。とりあえず、やることはやったし、金曜日の講義の予習もしたので、これで心置きなく連休に入れる、かも知れない。まだ履修申請や特別研究計画書を書いていないという問題があるが。ああ、彼女にメールを書こうかな…。もう会うことはないだろうが、このまま未来永劫、連絡を取らないのも悲しすぎるから…。未練と言えばそれまでだが、まあ、そういうこともあっていいんじゃないかと。

土曜日から引いていた風邪がまだ治らない。大学に来ているせいだと思うが、困ったものだ。

それにしても、あいかわらず夜になると目が冴える。日が沈むと頭の回転が良くなってくるのだ。これはいったいどうしたことか。日付が変わる頃にピークになる。こちらは分からないでもない。朝食も昼食も、ろくなものを食べていないから。夕食だけは、母に依存しているので実にちゃんとしたものを食べているのだ。

ま、いいや。今日はこんなもんで…。このあとにRO日記でも足そうかな。



2004年04月27日(火) 広がる世界

最近、無駄に時間を過ごすことが多すぎのシークです。こんにちは。聞いてはいましたが、掲示板って病み付きになりますね。サッと読むだけならいいんでしょうけど、こんなものを何時間も見つづけるなんて、どこかおかしいのかもしれません。昔は掲示板のあおり口調が耐えられなかったものですが、最近では何とも思わなくなるどころか、自分でも書き込むようになってしまいました。

攻略サイトにしても掲示板にしても、ラグナロク関連の情報を得ることで、僕の中でラグナロクの世界は広がります。そして、広がれば広がるだけ、他を圧迫するのです。でも、やめられない。それはなぜか?ラグナロク以外の世界に、さほど魅力を感じないからです。今のこの社会の中で生きて行かなければならないから、逃げるわけにはいかない。しかし、積極的にかかわっていこうと思える魅力は感じられない。そう思うのです。まあ、典型的な中毒症状でしょう。考えてみれば、他に楽しみがないなんて悲しい人生です。けど、実生活にすべてをささげるのもまた、悲しい人生ではないかと、僕は思うのです。実生活にすべてをささげれば、その人は成功者と呼ばれることでしょう。しかし、その人には実生活以外に何もないのです。ほかの人がそうであることは否定しません。しかし、自分がそうなることは悲しいことだと思います。

実生活以外の世界にどれだけ楽しみを見出せるか。これが、人間の幅となるのではないかと思います。たった一つの世界を極限まで追求するのも決して悪くありません。しかし、僕はそれが好きではないのです。

ところで、今日の朝日新聞の朝刊だったと思うのですが、「良心に反しても会社に従う」4割超 新入社員意識調査という記事がありました。Webページでの記述では分かりませんが、朝日新聞朝刊には、確か批判的な論調で載っていたはずです。しかし、僕は思うのです。良心というのは、その人個人の価値基準に従った判断であり、会社の指示は会社の価値基準に従った判断です。つまり、良心と言っても世間一般の道徳ではなく、所詮はその人個人の自分ルールに過ぎないわけです。だから、自分が完璧だと思うのなら自分の良心に従えばいいでしょう。しかし、そうでないなら会社の指示に従うべきです。もちろんこれは程度の問題があります。明らかに会社の指示と世間一般の道徳とが食い違っている場合もありえます。例えば、法律に反している場合です。でも、良心と会社の指示のどちらを優先すべきか迫られた場合に、必ずしも法律で明確に規定されていたり、社会常識からその結論が明らかであったりするとは限りません。その場合は、会社の指示に従うべきだと思うのです。自分の信念に間違いがなく、会社という多くの人の利害関係と対立してでも自分の意志を通したいのなら、そうすべきでしょう。しかし、確固たる意志がないのならば、あやふやな自分の良心に従うべきではありません。

この記事には、親睦行事への参加についても言及されています。まず、僕個人としては、親睦行事は好きではありません。親睦を図るという目的には賛同しますが、その手段が好きになれないことが多いのです。この朝日新聞の記事では運動会を例に挙げていますが、そんな風に大掛かりなことをしなければ、親睦を図ることはできないのでしょうか。それよりも疑問に思うことは、酒が入らなければ親睦を図ることができないのか、ということですが…。酒はタバコと同様、人体に有害であることが明らかなのですから、人前で堂々と語ることははばかられるべきです。タバコとは違い、なくなってしまった方がいい、とは思いませんが。現在、喫煙者はずいぶんと肩身の狭い思いをしているようです。酒の扱いも、この程度で十分でしょう。酒を飲むことで社会からある程度詰めたい目で見られるのなら、それで十分です。一方タバコは、麻薬に準じる扱いが必要だと思います。フランスではタバコよりもむしろ大麻の方が普及しているようですが、タバコに対する扱いとしてはその程度が望ましいでしょう。つまり、大麻と同列に論じられる程度ということです。

ただし、親睦を図ることは必要でしょう。一人ではできないことも、多くの人が集まることで可能になります。現在の工業製品のほとんどは、一人では到底作りえないものです。取引関係であれ、対立関係であれ、多くの人が、それぞれ何らかの関係でつながることによって、今の世の中にこれだけいろいろなものがあるのです。その大切な人同士の関係をつちかうことは大事だと思います。手段は簡単です。運動会なんてする必要はありません。なんでもいいから面と向かって話をすればいいのです。何らかのテーマを持った議論でもいいでしょう。話をすることで、その人の人間性が見えてくると思います。話をすること以外の人間性、例えば運動能力であったり、酒に強いとか弱いとかであったりということは、人間関係を構築する上で必要なことではありません。人によっては重要かもしれませんが、必ず知らなければならないことではないはずです。相手の運動能力や酒の強さを知らなければまともに会話をできない人がいるとしたら、僕はその人を好きにはなれないでしょう。

そんなことを書いていて、あちこち見ていたら、明日までに必要な書類を全然作れていません。仕方がないから明日作ることにしますが…。



2004年04月25日(日) ブリトニア3防衛

先週とまったく同じタイトルのような気がするが、きっと気のせいだろう。

日曜日はもう、GvGで決まりだ。それしかしていないし…。すでに死亡寸前になっているハードディスクをどうにかしようと思っていたが、風邪を引いてしまったのでやめることにした。明日はTAの仕事があるが、どうしたものか。無理にでも大学へ行くべきか。とりあえずゆっくり寝ることにしようと思っているが。資料の内容くらいは考えておかないと、火曜日に大変なことになるなあ。水曜日にはミーティングがある。それさえ終われば、ゴールデンウィークだから少しは楽になるんじゃないかと思うが。それと、履修申請の期限が過ぎてしまった。さっさと書いて出さなければ。

で、今回はちゃんと下見をしに行った。結局完全防衛だったので、あまり意味はなかったわけだが。今回防衛をすることになっているブリトニア3も見に行ったのだが、そうしたら塩犬同盟の人たちがいてびっくりした。Saraでは古参の同盟で、もうずいぶん前から上位に君臨していたのだ。案の定、このあと宣戦布告があったそうだ。GvG開始直前とは、ずいぶん遅い宣戦布告だが。

で、始まったのだが、その塩犬は攻めてこなかった。そのあと9時頃になって、Sara板に「ごめんなさい、時間がなくて攻められません」という書き込みがあった。結構いい加減なものだ。

防衛そのものは、序盤、結構しんどいものがあった。初めは優位だったのだが、夢船桜同盟が参戦したあたりから一気に戦況が傾いた。かなり押し込まれて、このままでは落ちるのではないかと思ったのだが、何とか守りきったらしい。いったいいつから、セクハラーズ同盟はこれほどねばり強い防衛をできるようになったのだろう。ちょっと前までなら落とされていたほどの攻めだったと思う。ただ、上位同盟には攻められていないので、まだまだこれで安泰とは言い切れないのだが。

その攻めをしのぎきったのがだいたい9時くらい。そして、そのあとはまったく攻められなかった。四つの地域の中でもっとも人気のあるゲフェンで、これほど暇な防衛をすることになるとは思わなかった。最上位のえびせん同盟はなかなか忙しい防衛をしていたようだが。しかし、セクハラーズもそうだが、すごい名前だ…。塩犬同盟は、構成ギルドの一つにSolty-dogというギルドがあるのが由来のようだが、このSolty-dogって何か意味があるのだろうか。

最後、レース会場のブリトニア5に挑んだが、どうにもならなかった。今日はレースにしては人が少なかったが、それでもIAペコ騎士以外では、ちょっとたどり着くのは厳しいんじゃないかと思う。火斧忘れてたし…。一度エンペリウムという文字が見えたのだが、叩くところまではいかなかった。

ダメだ、眠い。寝よう…。ああ、そうだ。昼間はずっとギルドのページの編集をしていたのだ。ページそのものはどうでもいいのだが、こいつをいじっていて、ずいぶんHTMLとスタイルシートに慣れた。それは良かったんじゃないかと思う。



2004年04月22日(木) 大学の事務職員

僕が通っている大学は、国立大学だから独立行政法人だ。昨年度までは国家機関だった。つまり、職員は去年まで公務員だった。今年はもう、公務員ではなくなっているはずだが、よく分からない。まあ、公務員なのかもしれない。

ところで、この日記を書いている今現在の時間は、14時30分である。あえて説明するまでもないが、昼である。一般に、公務員に限らず、普通の社会人の場合、14時30分には仕事をしていることだろう。僕は今まで、このことを疑ったことはなかった。あえて考える必要もないと思っていた。しかし、それは誤りだった。

…ダメだ、まわりくどい説明も限界だ。単刀直入に書いてしまおう。

帰るんじゃねぇ

何を考えてるんだ、この大学の職員は。明日が奨学金の締め切りだってのに、なんで担当者が14時30分にすでに帰ってるんだ?おかしいだろ。だいたい、奨学金希望者はかなり多いはずなのに、担当者が一人ってどういうことだ?帰ってしまった後、だれも引き継ぎをしてないってどういうことだ?ありえないだろ、マジで。まあ、この時期まで手続きをしてない方も悪いと言えば悪いが、それにしたって帰ることはないだろ、帰ることは!



2004年04月21日(水) 価値のあるもの

自分にとって、僕にとって価値のあるものとはなんだろう。いったいどうすればいいのだろう。正しいのは何なのだろう。人格の根本をつかさどるはずの、価値判断が最近、あいまいだ。

いろいろな物事があって、それぞれは、いろんな人にとって価値のあるものだったり、なかったりする。道端の花をこの上もなくいとおしく思う人もいれば、それを踏み潰すのが快感だと感じる人もいる。それはそれぞれの価値判断であって、誰が正しいと決められる問題ではない。道端の花は、放っておけば毒を撒き散らす毒草かも知れない。そうでなくても、花粉を撒き散らして花粉症を引き起こす原因になるかもしれない。誰が正しいかなんて、分からないのだ。後になっても分からないことが、そのときそのときで分かるはずもない。

では、僕にとって正しいこととはなんだろう。正しいことって何だ?価値のあることとは何か?世の中には多くの人がいて、その多くの人が、それぞれに判断をして生活をしているのだろう。では、僕は?何かをするためには、目標とか目的とか言われるものが必要だろう。でも、それには自分にとって価値のあるものを知らなければならない。自分にとって価値のあるものだからこそ、時間を費やして、苦労をして、成し遂げるだけの価値があると信じられるのだ。それだけの意欲を得られるのだ。

僕にとって、それだけの価値のあることなんて何もない。社会に出て、いつまでも平社員のままじゃ嫌だと言う人がいる。けど、僕は最低限のスタンダードさえ満たしていれば、あとはどうだっていい。不満がなければ、満足する必要はない。そもそも、どうすれば満足できるのかなんて分からない。最高なんて求めちゃいない。僕が求めるのは、自分にとってのスタンダードだ。その場、その場でスタンダードを満たした生活さえしていれば、それ以上、何かがほしいだなんて思わない。他に価値あるものがほしいとも思わない。

僕は何をすべきなのか。自分でしたいことなんて何もない。けど、22歳にもなって他人から与えられることだって、もうほとんどない。僕は今でも多くのものをもらいつづけているけど、すべきことなんて与えられるものじゃない。

だから、何かを見つけるために、そして、何かを見つけたら、それを成し遂げるだけの最低限の力を身につけるために、大学に残ろうと思った。大学では、知識と時間が欲しかった。視野を広げるための、そしてそれ以上に、刺激をもらえるだけの知識が欲しかった。そしてそれ以上に、最低限の力を身につけるために、より具体的で実践的な力…僕の場合は、PCのスキルってやつを身につけるための時間が欲しかった。しかし、大学院にはその両方がなかった。

大学院は、学ぶ場ではなかった。教育のための機関としては、僕から見れば落第だ。大学院は、建て前はどうだか知らんが、本音を言えば教育のための機関ではないのだと感じている。大学院は、研究のための機関だ。大学院を組織するあらゆる人間は、教育ではなく研究のために存在している。研究の過程で教育の効果も得られるのだとしている。建て前から言えば、論文は学習の成果を示すもののはずだ。それを、入学直後から準備するなんておかしいではないか。大学院で十分に知識を身につけた上で、その知識をもとに論文を書くのが、卒業の基準としての論文のあり方だろう。なのに、論文は大学院の2年間を費やして書くことになっている。これは矛盾だと、僕は感じている。大学院で知識は得られない。大学院で得られるのは研究のための環境だ。知識が得たければ、自分で得るしかない。研究を本来の目的としない僕が進むべき道ではなかったのだ。

今の大学院にも、僕にとって価値あるものはない。自分の研究にも、価値なんて感じない。船長のシミュレーションをするシミュレータなんて作ったところで、誰が使うものか。使ったとしたって、そこから得られるものにどれほどの価値があろうか。使った人が満足をし、価値あるものが得られたと考えても、その結果が世の中に認められるだろうか。そして…、世の中に認められたとして、そのことに価値なんてあるのか。もし世の中のすべての人が価値あるものと認めたとしても、僕にとって価値あるものとなりうるのだろうか。

自分に価値を見出すことができず、世の中にあるものにも価値を感じることができない。価値を感じるとすれば、それは人だけだ。だから僕は、多くの判断を人によって行ってきた。自らの世界を築き、多くの物事を自らの世界の中で位置付け、感覚的にあるいは論理的に評価できる人を、僕は知っている。その姿があまりに見事だったために、僕はその後を追ってしまったのだ。過程なんてほしくもなかった。必要だったのは、ただ修士という結果だけだった。修士という学位に魅力を感じたわけではない。あこがれる人と同じ立場に行きたかったのだ。強く自分を信じて、それを力強く語る姿が、僕にはたとえようもなくまぶしく見えた。だから、近づきたかった。僕は、自分の考えを強く語るなんて、興味も関心もないのに。ただ、その姿にあこがれただけで、自分の進む道を選んでしまった。それしか、僕にとっての価値はなかったからだ。

社会的に上の地位なんて興味はない。多くの人を従えたり、多くの人に尊敬されたりすることなんて興味はない。そうだ、僕はオウム真理教の信者に近いかもしれない。強い自分の意志をもたないから、なにか強く光り輝くものがあると、それに惹かれるのだ。そして、意味も考えもなく、近づいていくのだ。なぜならその時点で、僕にとって他の選択肢など、意味を持たないからだ。強い意志の元、しっかりした道を描いているのなら、光り輝く存在なんて意味はない。でも、それ以外に何もないのなら、取りうる選択肢など、他には何もないのだ。

一つのものには、人によってとらえ方がある。それは、それぞれの人によって異なるものだ。違いを許容して生きなければならないが、その中のひとつとして、自分のとらえ方を持たなければならない。それがない僕は、世の中を今まで無難に渡ってこられた。確固たる自分の世界なんてないから、他人の世界に合わせて、いくらでも妥協することができた、いや、できるのだ。プライドなんてない。アイデンティティもない。自分だけの何かなんてない。

最近、ネットワーク上の自分は、浅見光彦という架空の人物を真似しているのだと気づいた。ご存知だろうか?内田康夫という作家の小説に登場する登場人物だ。主人公なので、要するに「かっこいい」わけだ。これを現実に真似するのはとても無理だが、ネットワーク上なら文字だけだし、一言一言に考える余裕があるから何とかなってしまう。家にはこの内田康夫という人の推理小説が100冊以上あって、それぞれを5回以上は読んでいる。それほど好きだったわけではない。

ところで、授業料免除の申請手続きをしてきた。不備があったのでその辺は何とかするとして、どうやら通らないらしい。さすがに、親父の給料が1000万を超えるようじゃ無理か…。親父は学費なんぞ出さない、って言っているのだが、どうやら大学には通用しそうにない。



2004年04月19日(月) 死へのカウントダウン

ハードディスクは、今のところはとりあえず動いている。危機的状況には変わりがないし、脈絡もなく突然落ちたりするようになったが、おそらくもうしばらくは動いてくれるだろう。僕のPCには電源の問題があって、一度電源を切るとなかなか起動してくれないのだが、そんなことを言っている場合ではない。1秒でも長くハードディスクを休ませる必要がある。だから、仕方なく電源を切って出かけてきた。

今日は、午前中に住民票と課税証明書をもらってから大学へ来た。時間がかかると思っていたら、出張所ですぐにもらうことができた。お役所仕事なんて言われ方をするが、特に問題はないものだ。なんだかんだで良くなっているのかもしれない。お役所は嫉妬の対象になるからなのか、非難されることも多いような気がするが。やはり、就職するなら公務員が一番だろうか。わざわざ大学院を出て公務員なんて、と言われることがあったが、僕は、大学院を出るからこそ、公務員なのだと思う。たとえキャリアでなかったとしても、間違いなく多くの人にかかわる仕事だ。それに、今までは誰でもできる仕事だったかもしれないが、今後、世の中の変化につれて、そうは言っていられなくなるだろう。民間に遅れはとるとしても、いずれ、キャリア以外にも大学院卒が必要とされることになるはずだ。もっとも、そんなところまでスキルを要求するようになったら、世の中終わりだと思うが。なんでそんな職にまで、あれやこれやと要求されなければならないのか。何か他人にできないことができなければ、人間として認められず、職に就くこともできないと言うのか。自分で大学院卒で公務員、なんて言っておきながら言うのも変だが、ひどい世の中になってきたものだ。

今日は、情報リテラシーのTAをやった。アルファベットを使うとかっこいいが、ようはお手伝いってやつだ。自給1000円と聞いたが、本当にそれだけの価値のある仕事かどうかは別として、それなりに大変ではあった。とにかく、1時間半、ずっと立ちつづけるだけでもつらい。しかも、その間、質問されたりすることがなければ、何もできない。とにかく何もしないのが一番つらい。あとは、情報リテラシーの話の内容にもイライラさせられる。まさか、大学生に対して、本気で「マウスの左のボタンを押すことを、クリックと言います。」なんて話をするとは思わなかった。これが今の日本の現実なのか…。大変なことだ。

ところで話は完全に飛ぶが、いまさらになって気づくのも変ではあるが、研究室という環境は、教育には適さないと思う。だいたい何かを学ぶ場合には、教材があって、それに対して何らかのテーマがあるものだと思う。自分でテーマを探して、資料は自分で探して…となると、これはもう、仕事だ。大学院は、教育機関なのではなくて、研究の機関と考えた方がよさそうだ。教育と研究をしているのではない。ただ、研究だけをしているのだ。あるいは、比重が研究に大きく偏っているのだ。教材やテーマを与えられなければ…なんてのは受動的な印象を受けるかもしれないが、この点は時間がかかるし、それに、教材やテーマを探すこと自体は、実務能力を身に付けるということにはなっても、決して教育的な効果はない。探すことで身につく知識なんてないからだ。探したものを学習することで、初めて何かが身につく。

まあ、ともかく、僕は大学院に研究をしにきたわけじゃない。ここまで来たらあきらめるってのも手ではあるが、僕にだって一応人生設計って野がある。この後は分からないが、まだあきらめるべきではあるまい。研究をしに来たのではないのだから、研究はサラッと流して、いかに自分のための時間を確保するのかが大事だ。現在はミーティングの資料を作るのに必死で自分の時間を確保できていない状態だが、研究は研究として、いかに自分の勉強をしていくかが大事だ。大学院が教育機関としてふさわしいものを提供していないことに気づいたのだから、自分自身で学び取っていくしかあるまい。大学院に僕の求めるものはない。だから、自分で探していくしかないのだ。



2004年04月18日(日) ブリトニア3防衛

日曜日はラグナロクネタですな。どうせそれしかやらないし。

書くなら早めに書けよって感じですが、すでに火曜日です。記憶もかなり飛んでます。今、午前中に何をやったか思い出そうとしていますが、もはやさっぱり覚えていません。本来なら砦の下見をしたり、作戦を確認したりすべきですが、SESSIONSの作戦は全然見ていませんでした。自分の方のギルドばかり…。やる気がない、わけではないんですけどね。どうもSESSIONSは、接続が悪くなってきて、接続が悪いからつながなくなって、そこからさらに接続が悪くなって…という悪循環に陥っているように感じます。僕がマスターを勤めているギルドは、1年以上前からほとんど同じメンバーで構成されています。最近、古いメンバーが一人旅立ってしまって悲しい限りなのですが。で、そういう感覚で見ると、1週間単位でどんどんメンバーの入れ替わるギルドは不思議な感じがします。…これ、板に晒されたりしたら消去だな。まあ、戦力的には向上しつづけているのですが。全然レベルの上がっていない、自分の立場がなくなってきています。もともとHF一発芸で加入したのですが、増やそうと思えばいくらでも優秀なBSを増やせる現状。プリなら十分戦力になるとは思うのですが、いかんせんギルドマスターなので他のギルドには入れない。3人目のセージは、職自体がネタと化している現状。現在のセクハラーズ同盟で、いない2次職はセージだけです。他は、新2次職も含めて一通りそろっております。

ちなみに今回から、頭装備をワイズゴーグルからワイズキャップに変更しました。弟がROを始めたもんで、プレゼントしたのです。…高いよ、おい。正直、甘やかしすぎたかもしれません。それにともなって、低いDEFがいっそう低く…。溶接マスクか、せめてオペラ仮面を用意したいところです。

それで防衛なのですが、相変わらず、最前線ではまったく戦況がつかめませんでした。SESSIONSマスターの「守れるぞ!」という言葉にとても勇気付けられましたが、それよりも、混戦の中で戦況を把握できる判断力に驚きます。やはりマスターともなると違うものです。

だいたいの流れは他でも分かると思います。初めに攻めてこられたのは夢船桜同盟さん。ちなみに、葵桜・紅桜は知人の移転候補先になっています。この知人、僕にとってはちょっとしたカリスマで、僕の大きな意思決定は基本的にこの人についていく形になっています。もともと僕はLokiにいたのですが、この人についてChaosに移動。この人がSaraに移動するのにともなって僕も移動。それに、僕がマスターを勤めているギルドは、もともとこの人の知人で構成されています。つまり、ちょっと大げさに言えば、僕は仲間から鯖まで、すべてこの人に世話してもらったとも言えます。ちなみに、これだけでは終わらず、僕がGvGに参戦するきっかけとなったのもこの人。と言うか、そうでもなければ中途半端なステータスでは、なかなかGvGに参加しているギルドには入れるものではありません。セクハラーズ同盟では、GvG特化職に固執しない方針を打ち出していますが。Saraという鯖、そこでの仲間、さらには中堅から上位に属する同盟への参加まで、すべてこの人の世話になっているわけです。この人がいなければ、今の僕のROはありえなかったと言えるでしょう。ということで、この人が本気で葵桜、あるいは紅桜へ加入することを考えるならば、僕も考えざるを得ません。もっとも、帰れと言われるかもしれませんが…。よほど余裕のある同盟でないと、入れてもらえない程度のステータス、装備、レベルだったりします。別キャラがマスターを持っているくらいなので、接続もあまりよくないですし。

まあ、参加するかどうかはともかく、この日は敵でした。うまい攻め、なのかどうか僕には分かりませんが、こちらが防衛を固めている範囲には入ってこないように、うまく距離を取って戦っていました。それに合わせてこちらも前に出て戦っていましたが、本来は配置を離れるな、という指示が出ていたわけで、それが良いのかどうかは微妙なところだと思います。ともかく、序盤でやや軽かったこともあってか、この夢船桜同盟の攻撃は、しのぎきることに成功します。

しばらく時間を置いたあと、次に攻めてきたのはハレンチ同盟。先々週くらいまで最強と言われていた同盟です。ハレンチ同盟の人たちとは個人的に話をしたことがあるのですが、そもそもこの同盟、セクハラーズ同盟とは根本的に方針が違います。自分たちでできる範囲でがんばろうってのがセクハラーズ同盟の方針なのですが、ハレンチ同盟は1からGvG特化職を作って最善の軍団を構成することを目指していたようです。ただ、僕から見た限りでは、夢船桜同盟さんほど攻めに巧妙さを感じませんでした。ところが、落城。前線で苦戦しているかどうかと、実際落とされるかどうかはあまり関係がないのですね。実際、WP防衛を担当していた頃は、僕たちがWPを完全に制圧しているにもかかわらず落城する、という事態が何回かありました。

それから砦を取り返して、30分ほどしたらメドレー同盟さんが攻めてこられました。が、どうもあまりやる気がなかったようで…。聞いたところによると、回復アイテムも使っていなかったそうです。恐怖の攻め手最強同盟とは思えないほど淡白な攻めのあと、さっさと退却していきました。…それでも、僕は殺されましたが。デコピンでぶっ飛ぶ漫画みたいな風景を連想しました。

全体を通しての感想は、スタンしたな、ということ。とにかくもう、スタンしまくっていました。ダンサーのスクリームでピヨピヨ…と。全体の半分以上スタンしていたのではないでしょうか。対して、こちらのHFは効いたのかどうか。聞いた、と思いたいところですが。最大の問題は、SPが切れたときに戦力が大きくダウンすることです。HFがなければ殴るしかないわけですが、STR51+10では、どんな武器を持っても高が知れています。ということで、モルボルアックスを使うわけですが、ただでさえSTRが低い上に、そんなATKの低い斧を使ったのでは、まともなダメージを期待することはできません。PvPで試してみたら、30とか出ていて笑いました。これでどうやってHPが4桁、5桁の相手を倒すのかと。



2004年04月16日(金) Cドライブ死亡

一年少々使ってきたハードディスクだが、早くもCドライブが死亡してしまった。異音を発しているし、いよいよ危ないか…。ちなみに、死亡したというのは、具体的には、Cドライブのプロパティを見たら、容量が0バイトと表示されていた状態だ。これで死んだと言いきれるかどうかは分からないが、正常でないことは、たぶん間違いないと思う。

授業料を自分で払うことになって、正直言ってお金の余裕はないのだが、自宅にPCがないのでは困る。だから、ハードディスクは買わなければなるまい。ちなみに、Deskstarを勧められたので、これを買おうと思っている。リンクを張ろうと思ったら、CGIか何かを使っているようで、リンクが張れない。

最近、PCの調子が悪いのはハードディスクのせいではないかと思い始めた。あらゆるパーツを疑っていたが、ハードディスクだけは疑っていなかったのだ。なぜなら、新品のリテールを購入したからだ。ただ、今は知らないが、この当時のBUFFARO(スペル違う?)の製品には、いろいろと問題があったそうだ。実は中身が富士通のハードディスクで、その富士通のハードディスクに問題があったとか。

重要なデータは、ほとんどFドライブに入っている。Eドライブはシステム関係のデータだが、最近OSを入れ直したばかりなので、ここが死んでも致命的な問題にはならない。とにかく、Fドライブが生き残らなければならない。果たして、もってくれるのだろうか。本当は今日購入する予定だったのだが、友人に相談しようと思ったら、今日は都合が悪いからまた今度にしようと言われたのだ。それまで、頼むから耐えてくれ、ハードディスクよ。最悪、起動しなくなってもいい。せめて、データだけでも残していてくれ。そんなことを言うくらいならバックアップを取ればいいじゃないかって気もするが。



2004年04月06日(火) 入学式

その日に書こうと思っていたのに、ミーティングの準備に終われて二日も経ってしまった。

で、また対外ネットワークがダウン。最近多いなあ。営利企業だったらすでに見放されていそうだ。

それで入学式だった。朝、ギリギリに行ったら本当にぎりぎりに着いた。場所は大井町だったのだが、新宿からりんかい線直通の埼京線が出ていなかったらアウトだった。ちなみにこのりんかい線、経営はかなり危ないらしい。それなりに客が乗っているのに減価償却費がつらいって、それは計画からして間違っていたのではないだろうか。

入学式の会場は、品川区のきゅりあんとかいうホールだった。品川区立総合区民会館、らしい。このホール、入り口が設計ミスとしか思えなかった。収容人数は1000人程度らしいのだが、そこまで行くのに、15人程度しか乗れないエレベータが2基しかなかったのだ。僕は遅れて行ったので巻き込まれなかったが、それまでは大混雑だったらしい。まあ、お役所仕事なんてのはそんなものだろうか。

会場に着いたら着いたで、一般客の席が全然足りず、中に入れなかった。それだけなら仕方がないと言えば済むのかもしれないが、なんと、逆に新入生の席はガラガラだったのだ。結構いい加減なものだ。仕方なく、一般の人を新入生の席に座らせていた。ちなみに大学院生は学部生の後ろの方だった。なんだか後ろに追いやられたような気分になった。実際、入学式の式辞などの内容も学部生が中心で、若干追いやられた印象を受けた。まあ、数が少ないのだから仕方がないが。それに、学部生より重要度が低いイベントではある。

入学式の中身で気になったのは、国歌だ。卒業式のときは国歌演奏があったのだが、入学式ではなかった。これは言ったいどうしたことなのだろう。事情はよく分からないが、ここまでの手際の悪さを考え、あえて僕はこう言いたい。きっと、これは国家を入れるのを忘れてしまったのだと。高校までだったら責任者が処分されてしまうところだ。歌を歌わないと処分だなんて、日本は怖い国だ。

学長の話は、卒業式と大差なかった。友人は、「卒業式と同じ話じゃないか。」なんて言っていたが、こんな短期間に主張が変わってしまう方がよほど困る。学生に言いたいことなんて、1週間や2週間では、それほど変わらないはずだ。ちょっと気になった点がいくつか…。メモを取っていたのは、まじめに聞いていたと言うべきか、話も聞かずに日記のネタを取っておいたのか…。それで、大学生になったら、遊ぶのではなくて勉強してほしいと言っていた。これはまあ、もっともなことだ。だが、その一方で、特性や個性を持った人になってほしいとも言っていた。これは少々矛盾がある。勉強と言うのは、世の中にある既知のものを学ぶことだ。それだけでは、特性や個性などは期待できないのではないだろうか。ほかの人が見ないものを見て、ほかの人がしないことをして、初めて特性や個性というものが得られるのではないだろうか。それから、図書館でさまざまな本を読んで、知識を身につけてほしいと言っていた。で、文芸作品をいろいろ読んでほしいと言っていた。しかし、大学に文芸作品なんてほとんどない。大学生にもなって、日本の著名な作家の本すら読んでいないことに気づいて、いろいろ読んでみようと思ったことがあるのだが、全然置いていなかった。日本文芸全集みたいなシリーズ本があるくらいだった。統合なんてしたものだから、僕がいる方のキャンパスについてはほとんど事情を知らないのではないかと思ってしまった。それから気になったことが、大学でできた友達は、将来きっと役に立つ、と言っていたこと。社会での人脈だったらともかく、大学の友達に向かって役に立つとか立たないとか、そういう考え方はしたくないと思った。しかし、これは実際に社会人として、大学生の頃の友人が役に立ったから言っているのだろう。…ああ、なんだかボーっとする。研究室のミーティングが終わって、難題が片付いたからだろうか。少し集中していかないといけないな。

というわけで、少し散歩してきた。そしたら次の講義のある時間が過ぎてしまった。まあ、いいだろう。もともとあまり興味のない講義だし。それで、他に気になったことが、僕が所属している専攻の扱いについて。学長の話を聞いていた限りでは何とも思わなかったのだが、そのあとの来賓挨拶などを聞いても、僕が所属している専攻についての話が全然なかった。基本的に海についてやっている大学なのだが、僕が所属しているのはロジスティクスという、あまり関係のなさそうなことを扱っている専攻なのだ。ちなみにロジスティクスとは何か、と言い出すときわめて難しいことになる。logisticsと言うと、一般的には兵站学を指す。まあ、今の社会一般では、僕らが所属しているロジスティクスを指すかもしれないが、とにかく辞書には兵站学と載っている。戦線に配置された兵士に、どう補給物資を運ぶか、などをテーマとした学問だ。ここから、流通分野を中心に、製品をどう輸送するか、なんてことを考えるのがロジスティクスだったりするのだが…。とにかく、そのロジスティクスの話がまったくなく、海の話ばかりだった。では、何のためにこの学科や専攻があるのだろう。そこでふと思ったことが、もしや、彼らは手段と目的を取り違えているのではないだろうかということ。大学の機関紙に、このロジスティクスの主任に当たる先生の意見が載っていたのだが、そこには「輸出入の大半が海上輸送に依存している…」と言ったくだりがあった。実際にロジスティクスを研究している先生方は別として、そうでない人たちは、海のためにこの分野を設けたのではないかと考えてしまうのだ。そもそもこの大学にロジスティクスがあるのは、海運の活路を見出すためではないのかと考えてしまうわけだ。さらに言えば、本来はロジスティクスにおいて手段のひとつにしか過ぎないはずの海運なのだが、その海運を活かすために、ロジスティクスという専攻を作ったのではないかと思うのだ。そうであれば創設の動機が説明できるが、これでは本末転倒だ。

あとはまあ、新入生代表の動きにメリハリがなくて姿勢が悪かったことが気になった。それから、副学長の話で「あらゆる活動に積極的に参加してほしい」という話があったが、そんなにいろいろやっていたら、どれも中途半端になるだけではないかと思った。大学というのは、どちらかと言えば一つのことを徹底的に突き詰める場所のはずだ。

入学式のあとは、場所を移して新入生向けのオリエンテーションがあった。しかし、これがまたひどく手際が悪かった。ただ、そういう機会でもないとなかなか友達と話す機会なんてないので、たまにはそういうのもいいかな、と思えた。それにしても、学生証交付の話を15分ほどして、そのあと45分も待機なんてひどすぎるとは思ったが。学生証の交付だけで1時間もかかるなんて、本気で思っていたのだろうか。

肝心の話の内容だが、大学院で必要な卒業単位は30単位らしい。聞いてはいたが、本当に少ない…。まあ、卒業単位だけではなく、卒業試験というのもあるらしいが。ただ、こちらについてはあまり聞かないので、それほど難しくはないのかもしれない。ちなみに、修論を書くだけで12単位もらえるので、実際に必要な単位は18単位だ。大学院の講義、演習、実験はすべて2単位なので、9つの講義を取ればいいわけだ。さらに噂によると、演習科目は何もしなくても単位をもらえるという話だ。なんともいい加減なことだが。

そんなものかな…。他にも奨学金の話がいい加減だったり、いろいろあったが面倒になってきた。



2004年04月02日(金) お食事会

今日は、新しい技官の方の歓迎会も兼ねて、研究室でお食事会があった。もう一度言う。研究室でお食事会があった。いやいや、ちょっと待てよ。普通、研究室でそんなことやらんだろ。何かが間違ってないかい?場所は、普段研究室のミーティングをしている部屋、当然ながら、空気は凍りついたまま溶ける気配がない。あれほどの寒い空気は、初めて体験したかもしれない。本当に盛り上がらなかった…。まあ、主催者がいなかったし。

朝は、かなり早めに着ていた。そのお食事会のときに、ついでにプログラムを完成させておいて、なおかつ輪講のときに出た宿題をやっておけと言われていたのだ。そして、どっちも終わっていなくて、そして、どちらも終わりそうになかった。朝方急いでやってみたが、終わらないものは終わらない。そして、10時15分ごろに弁当が到着。8人分で17500円程度。た、たたた、たたたたた…高いッ!なんだ、この弁当は!立て替えられるかと聞かれたが、僕の所持金は50円玉が1枚、10円玉が5枚、5円玉が1枚、1円玉が6枚の、計101円だった。弁当が高いとか安いとか以前に、いくらなんでも少なすぎなのだが。ちなみに、高い弁当なのに、お吸い物が魔法瓶に入っていた。なんか安っぽい気がするのは僕だけか?ちなみにこのお吸い物、もう一度登場する。要チェックである。うう、頭痛がする。ここのところずっと睡眠不足だったからなあ…。おとといの夜、この季節なのに羽毛布団と毛布を重ねて寝てしまい、当然のごとく暑苦しくて目が覚め、そのまま寝ずにいたりしたからなあ。なんだかんだでこのときは4時間程度しか寝なかった。それ以外の日も、今週はずっと5時間程度しか寝ていない。

で、弁当の代金を払うために助教授を呼んだ。そして、助教授に頼まれて緑茶を買いに行った。しかし、冷たい緑茶がなかったので十六茶を購入。リンクには、特に意味はない。だが、その十六茶も6本買ったところで売り切れてしまい、仕方なく別のペットボトルのお茶を買った。うちの大学に、十六茶を飲みたくて仕方のない人がいたら、悪いことをしたかもしれない。このとき、コンビにでもらった袋を持っていった。何でも捨てずに取っておくものだ。なんの役に立つか分からない。ただし、このおかげで僕の机の上はなかなかに汚い状況なのだが。いい加減、机の中の、前の人が使っていた資料とか捨てたほうがいいような気もするが。

そして、11時になり、教授以外の全員がそろった。そう、主催者のはずの、肝心の教授が会議でいなかったのだ。さあ、大変だ。助教授はそんな場を仕切れるほどの人材ではない。幹事タイプではないのだ。ただでさえ盛り上がりにくい研究室。僕だって場を盛り上げるようなタイプではないし、そういうのは好きでもない。学部の二人は得意なのかもしれないが、その場で一番下の二人が話題を振るのも難しいだろう。社会人修士の先輩は、来たときから瀕死だった。と言うか、そんな体調でよく来たな、という感じだ。ゲストの新しい技官の人だって当然、話題を振るようなことができない。だから結局、普段船に乗っていて研究室にいない技官の人が、話題を振っていた。それでもかなり空気はつらいものがあったが。いきなり船って何の話だ?と思うかもしれないが、僕はそういう大学にいるのだ。大学については、この日記のどっかに書いてあるだろうから、暇な人は探してみるといいかもしれない。まあ、この日記は3年ほど書きつづけているからがんばって。昔の日記は今よりもずっと長い。探すのは大変だと思う。木を隠すには森の中だよなあ、ほんと。

で、その硬直した雰囲気の中、助教授が突然、自己紹介をしようと言い出した。そして、最初に僕に振られた。緊迫の一瞬!凍りついた場の中、僕は慌てて立ち上がった。緊張はピークに達し、思考回路はショート寸前!(古) 今すぐ会いたい!(誰に?) 僕は、わけの分からない状態のまま立ち上がった。そのとき、カタンと何かが倒れる音がした。滴る雫、飛び散る水滴。…いったい、何があった?僕は、一瞬で理解した。立ち上がった瞬間に、お吸い物に手を引っ掛けて倒したのだ。…ああああ、小学生か、俺は!あ、そう言えば、そのときお吸い物を拭いた雑巾、洗ってないや。あはっ、あはははっ…。まあ、後でいいだろ。

結局、話がまったく盛り上がらずに、お食事会は40分で終了した。教授が1時間後に来るとか言っていたから、僕はかなりゆっくり食べていたのだが、30分くらいでみんな食べてしまっていて驚いた。みんな、教授を待つつもりなんてなかったのね…。ちなみに、食べたのはうなぎの弁当だが、別にたいしたことはなかった。僕は本物のうな重なんて食べたことがないが、とりあえずその僕の舌に言わせれば、スーパーのうなぎと変わらない。焼き肉にしておけばよかったとか思う。ちなみに弁当は、うなぎが2、焼き肉が3、刺身が3という絶妙な数である。このうち、後から来る教授に刺身は残せないという複雑な状況の中、僕は自分の弁当を選ばなければならなかった。さあ、あなたならこの状況をどう解くだろうか?あまりに複雑すぎて、あの時間では最適解を導き出せないのではなかろうか。他のものも、料亭の味とか書いてあったが、たいしたことはなかった。まずいとは思わなかったが。まあ、もともと僕は冷めたものが好きではないのだが…。とりあえず、おかずに対してご飯が少なすぎた。先にご飯を全部食べてしまったですよ。味付け濃いんだもん…。

その後、教授が来たのだが、話の進展はなく…。結局、プログラムの話も輪講の宿題の話も、自動的に次回に流れたらしい。とりあえず助かった…。これで少しはじっくり準備できるな。と言っても、4月8日だし、入学式や健康診断もあるから、あまりのんびりはしていられないのだが…。後少しで講義が始まって、日常的にみんなと会えるようになるな〜。まあ、研究室にも後輩や技官の人が来たから、それはそれでいいのだが。



2004年04月01日(木) 狭まる世界

僕の世界は今、確実に狭まっている。

と、ここまで書いたところで教授と助教授と、それから新しい技官の人がやってきた。前の技官の人は、ある日突然やめてしまったのだ。それからしばらく、その人あてに謎の電話がかかってきていた。今もって謎である。

教授から、その新しい技官の人の紹介を受けた。で、鍵の場所などの説明をして、しばらくあれこれ話した後、学長のお話とかいうことでどこかへ行ってしまった。で、僕は教授から、冷蔵庫の電源を確保して、それから掃除するようにと言われたので、しょうがないから冷蔵庫の掃除をしていた。

冷蔵庫の場所を変えてしまったので、前の場所から新しい場所へ、電源を移さなければならなかった。だから、床をこじ開けて移そうとしたのだが、なんと、床に穴が開けてあって、電源はその穴を通してあった。しかし、どう見てもコンセント部分がその穴を通るようには見えない。これは手品か?と思ったが、何の事はない。床のふちの部分の金具を外せばよかったのだ。写真を載せれば一目瞭然なのだが、僕のPHSにはカメラがついていないし、デジタルカメラは弟が、弟の彼女の家に置きっぱなしだ。かれこれ一ヶ月になる。いい加減回収してきてほしいものだ。

ということで、ドライバーを引っ張り出してきて、その金具を外して、コンセントを床下に入れて、また金具を取り付けて、床を元に戻した。そのまま床下を通して引っ張ればいけるかと思ったが、他のケーブルとこんがらがってしまってダメだった。仕方がないので、こんがらがった場所でまた床を開けて、ゆっくり引っ張っていった。これだから古い部屋は困る…。新しい部屋なら、こんな面倒なことをしなくても、どこからでも電源が取れるのに。まあ、言っても仕方のないことだ。

続いて、また冷蔵庫の近くの床を開けた。ここにはドライバーなどの道具箱が置いてあったので、それをずらした。さらにホワイトボードも置いていたので、それもずらした。道具箱は重い上に床の金具に引っかかってしまって、なかなか動かせなかった。電源タップを引っ張り出して床を閉めると、冷蔵庫のコンセントの先を床下におとしていることに気づいた。仕方がないので、また床を開けてコンセントの先を取り出した。そして、冷蔵庫と電子レンジのコンセントを電源タップにつないだ。

こうやって書いてみると、簡単なことでも文章で表現するのはとても難しいことが分かる。おそらく、この文章では、僕が何をしたのか半分以上伝わっていないに違いない。たった今したことを書いているに過ぎないにもかかわらず、だ。それに、ものの名前を知らないことに気づく。コンセントの先って言っているが、あの電源タップに挿す部分はなんて言うんだ?普段ならここでインターネットが登場するわけだが、今日は予告なしにネットワークが死んでいる。やれやれである。きっと、ネットワークが復活する頃には、こんなことは忘れているに違いない。

毎日毎日、この調子だ。ずっと研究室で過ごしている。他の研究室はいろいろあるようだが、少なくとも僕の場合、研究室に住み着くことになるだろう。ここで、最初に言ったことにたどり着く。すなわち、世界が狭まっていくのだ。世の中は広いのに、ずっとここで同じことをして過ごす。確かにそれも必要なことなのかもしれないが、少なくとも世の中の趨勢からは離れていくに違いない。それに、研究室にはかなり遅くまでいることになる。少なくとも、学部学生だった頃とは比べようもないだろう。

これは僕だけではない。社会人にも言えることだろう。本来、もっとも世の中の動きに敏感であるべき社会人が、自分の世界、あるいは自分の周辺の世界に閉じこもってしまうのだ。たとえば、世の中全体の動きに大きな影響を与えるものとして、テレビが挙げられる。テレビの影響力は大きい。テレビは本来、世の中の動きを映し出すものだろう。世の中のさまざまなものを、映像というきわめて具体的、かつ印象的な形で映し出す。だが、この具体性が逆に、テレビが世の中を移すのではなく、世の中がテレビによって動くということもあると思う。社会人になると、それだけ大きな力を持つテレビを、見る時間がなくなってくる。もちろんテレビ以外にも、世の動きを知る手段はあるだろう。しかし、いずれの手段にしろ、ある程度の時間を要するものだ。社会人にはその時間がない。

世の中の動きを作り出す中心になっている人物ほど、時間がなく、世の中の全体を見ることができないのではないか。これでは、望ましい方向へ進むことなどできないのではないか。不安に思う。まあ、他のみんながどうあっても、はっきり言ってどうでもいいことだ。問題は、これが僕自身にも当てはまるということだ。世の中全体の動きなんぞ、さしあたりはどうでもいい。しかし、僕自身がこれから先、どうすべきなのか、考えるための判断材料が、今の生活からは得られない。あまりに世の中と乖離しすぎていて、世の中にいろいろある世界からどう自分の道を選び取るべきなのか分からないのだ。少なくとも、3年生の頃まではこんなことはなかった。大学院など行かずに、このときに選んでおくべきだったのだ。


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