年度末、人事異動の季節。職場を去る者あれば、残る者あり。私は今回異動なく同じ職場に勤めることになる。職場を去る方々にあいさつをすませ、帰宅。 このところの疲れがドッと出て、からだじゅうがコリコリ。あまりに気持ち悪かったので、全身マッサージを受けに行った。
今日は、ギター・デュオ練習日。相方とカラオケ・ボックスに行き、3時間程練習。帰りにお好み焼き食べて帰ってきた。気分は少年に返って(「バンド活動に夢中な高校生」みたいな)、無条件に楽しい時間を過ごした。
2005年03月24日(木) |
詩「春の祭典」(セリザワケイコ篇) |
菜の花や、月は東に、日は西に
夕暮れ時、 薄明るい光を浴びながら、 優雅に舞い踊る蝶 君は、 どこまでも、どこまでも、蝶を追いかけて、 やがて姿が見えなくなった あまりに夢中になりすぎた君 一体どこへ行ったのか もしや神隠しに遭ったのか
けれど、すべては春の夢 世界は幾重にも折り重なり、 いつまでも眠りから醒めることもなく、 今もなお、 終わることのない夢を見続けている・・・
(解説?) 自分でもわからないうちに、一編の詩ができていた。当初、表題のとおり「春の祭典」(セリザワケイコ篇)として書き始めたにもかかわらず、自分でも思いがけない作品ができてしまった。「どこが『セリザワケイコ篇』ですか?」などと訊くなかれ。春→花→蝶→夢などとセリザワケイコさんのイメージを追いかけているうちに、私自身が「神隠し」に遭ってしまったかのようなのだ。そして、今もセリザワケイコ的迷宮世界をさまよう私なのであった。
毎週水曜日は、「Slow Blues」の「生音クラブ」(ノンジャンル弾き語りデー)。ということで、今夜も楽器を抱えて行って来た。 ブルースの店なので、ブルースの弾き語りが比較的多く、ついでロック、ジャズ、フォークといったところなのだが、今日はエレ・ガット・ギター(エレキのクラシックギター)を持ってきた人がいて、ボサノバを演奏されていた。いろんな方の、いろんなアレンジで演奏を聴く、というのも、この日の楽しみのひとつである。 そうこうしているうちに、私に順番がまわってきた。今回は、「春」をテーマに自作の詩を朗読し、次いでユーミンの「春よ、来い」と中島みゆきの「春なのに」の2曲を演奏。最後に、八代亜紀の「舟歌」を少し味付けして演奏。自分なりに満足して約15分のステージを終了。 その後店に入ってきたお客さんから「夏撃波さんの演奏、終わっちゃったんですか」「夏撃波さんの演奏を目当てにやってきたのに、聴けなかった」などと声をかけられた。これって、いわゆる「追っかけ」ってやつか? 単純な私は、素直に嬉しかった。夏撃波が大ブレークする日は近い!
2005年03月22日(火) |
詩「春の祭典」(我闘姑娘篇) |
昨日に引き続き「春」をテーマに詩を作りました。女子プロレス団体・我闘姑娘所属選手の名(零、春日萌花、なつみ知香、さくらえみ、市井舞、高橋李佳)を盛り込み、彼女たちへの応援メッセージを込めてみたつもりです。
春がやってきた まっさらな大地に 零(零)から始まる大いなる可能性を内に秘め 萌えいずる(萌花)春菜摘み(なつみ) さくら(さくら)の花びら 風に舞い(舞) 静かに時は流れゆく 嵐の前の静けさか 春はすべての始まりか(李佳)
2005年03月21日(月) |
詩「春の祭典」(しなしさとこ篇) |
気がつけば、今日は「春のお彼岸の中日」。ということで、「春」をテーマに詩を作ってみました。女子総合格闘家・しなしさとこさんへの応援メッセージでもあります。
誰よりも早く あなたは春のおとずれを感じている 誰よりも強く あなたは春の息吹を感じている
真冬の厳しさを知るあなたは 冬の寒さのなかで かすかな春の足音に耳をすます
やってくる 来たるべき季節が
あなたはいま 咲きほこるべき瞬間を じっと待っている
2005年03月20日(日) |
「真夜中の弥次さん喜多さん」 |
世界レベルのテニスの試合になると、対戦する二人の技術と高さとともに、勝負にかける執念、試合会場全体を覆う緊張感といったものが感じられることだろう。 これが下手同士だと同じテニスとは思われない、観ている者にはひどくつまらないものにしか映らないだろう。 同様なことは芝居にも言える。特に、二人芝居は難しい。一人こけたら、どうあがいても修復のしようがないからね。 で、今日観に行った、少年王者館KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」(原作:しりあがり寿、脚本・演出:天野天街)だが、二人芝居のお手本のような出来映えだった。出演の二人、小熊ヒデジと寺十吾の掛け合いは見事なまでに小気味いい。実は、小熊さんの演技は別の劇団の公演で観たことがあるのだが、これほどまでに素晴らしい役者だとは思わなかった(失礼!)。やはり、天野演出が小熊さんのよさを引き出すことに成功したと言うべきか。 まあ、ホン自体も面白い。しりあがり寿・原作の「真夜中の弥次さん喜多さん」は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」をモチーフに書かれた漫画であるが、それに天野天街独特の手法を取り入れながら、完成度の高い舞台が出来上がったように思う。 少年王者館(本体)の公演とはまたひと味違った、もうひとつの天野天街ワールドを大いに楽しむことができた。
2005年03月16日(水) |
叩き語り&ひとりセッション |
今日水曜日は、星ヶ丘「Slow Blues」の「ノンジャンル弾き語りの日」。 今回は、ギターに、ボンゴ、他さまざまな楽器を抱え、出掛けていった。出番待ちの間におおよその準備をととのえつつ、他の出演者の演奏を聴く。このライブハウスのよさは、演奏者と観客が一体となって音楽を心から楽しもうとしている点だ。ここでは、私の演奏も大いに生きる。 で、順番が回ってきてまずは3曲。最初に、「スローなブギにしてくれ」(南佳孝)のボンゴ叩き語り。早い話が、ボンゴだけでリズムをつくりながら歌い上げた。自分でテンションを高め、店内のボルテージも上げていく。 続いて、「SATISFACTION」(ローリング・ストーンズ)もボンゴ弾き語り。ミック・ジャガーに負けじとボーカルにも力が入り、エンジン全開。おかげで、だいぶ酔いがまわった。 3曲目では、「上を向いて歩こう」(坂本九)を披露。夏撃波流アレンジで、ギター、ボンゴ、カズーを用いての演奏。スターダスト・レビューとかゴスペラーズをちょっと意識したボーカルの後、最後はギター(弦楽器)、ボンゴ(打楽器)、カズー(管楽器?)の一人同時演奏、一人セッションで、とどまることを知らぬナチュラル・ハイな演奏。 開場からは「凄いとしか言いようがない」「発想がすばらしい」「アナーキーなステージだよね」などの声が聞かれ、すっかり上機嫌の私。 時間が余って、もう1曲演奏できることになったので、調子に乗って、タンバリンでリズムをとりながら、「テネシーワルツ」を歌い上げた。 これまで本格的な音楽活動はしてこなかったが、今は音楽を心から楽しんでいる感じ。演奏技術は拙いが、音楽は「楽しんだ者勝ち」だと最近は強く実感している。
2005年03月14日(月) |
自分詩「無条件幸福〜敗戦の日に〜」 |
ジュン、 あなたは私の子ども ジュン、 あなたは私の宝物 あなたが生まれた日のことを 今でも覚えている 待望の男の子の誕生に わが家は喜びに包まれた でも それも長くは続かなかった
いつになってもコトバを発することなく 視線も合うことがなく 何かがおかしいと感じていた 意を決して病院の門をくぐる いくつもの病院をまわって 結果は「自閉症」との診断
ジヘイショウ・・・ 私、障害の子を産んでしまったんだわ これからどうすればいいのか 考えは同じところを何度もめぐり あなたを抱え、途方に暮れるばかり
ジュン、 幼い頃のあなたはよく動き回ったものよ 奇声を発するあなたに人々は振り返り 鋭いまなざしをこちらへ向けた 人々の噂する声がめぐりめぐって 私の耳に入ってきた 「あの子の親、どんなしつけをしてるの」 「あの子があんなふうになったのは、 母親の注意が足りなかったせいよ」
忙しく動き回るあなたを追いかける日々 追いかけても追いかけても するりと逃げていくあなた こんな毎日が続いて 私はこのまま年老いていくだけなのか 先行きの見えない生活に 疲れ切っていた私
ある晩 あなたの枕元にひざまずいて 私はあなたの首に手を押し当てていた パッと目を覚ましたあなた 二つの瞳が私をまっすぐに見た 両の目から放たれる透明な光 その時、私の頬を涙が伝った
あなたには何の罪もないのに 本当はあなたがいちばん苦しんでいるはずなのに ジュン、ごめんなさいね 本当に悪いお母さんね あなたはキョトンとして いつまでも私をみつめていた 随分前のことなのに 昨日のことのように記憶がよみがえってくるの
そういえば 昨日もあなたの夢を見たの あなたが幼かった頃のように 追いかけて追いかけて 私はやっとあなたをつかまえるの そして私はこう言ったわ 「ジュン、あなたにはかなわないわ。 母さん、もう無条件降伏よ」 ジュンがそれに答えてこう言うの 「そうか、実は僕もね、ムジョーケンコーフクなんだ。 僕、母さんの子どもでよかったよ。 だって、だって、すごくハッピーだから」
人生は闘いの日々 私の一生は玉砕につぐ玉砕 それこそ負け戦に違いない でも、でも、 それでもいいのだ 私は、あなたという天からの授かりものを得て 無条件に、無条件に幸福なのだから
<解説> 私の兄は「自閉症」という障害を持っている。これまでそのことを取り上げた詩はごく限られていた。今回発表した新作は、障害者の親の立場を想像しながら書いた作品だ。自分のこととか家族のことについては、あふれる思いにコトバが追いつかず、なかなかうまく書ききれないものだ。けれども、今後はそうした自分のルーツにかかわる事柄について、しっかりと表現していきたいと考えている。
2005年03月13日(日) |
詩人・セリザワケイコ |
「鳥Bird in K.D.Japon」から一夜明けた。 今日は本来休みであったが、急ぎで片付けるべき仕事ができたため、泣く泣く職場へ。私が仕事している間、セリザワケイコ様ご一行は明治村に遊びに行っているんだよな。うらやましいゼ。 それでも、思いのほか早く仕事が片付いた。みおよしきさん(接待係)に連絡をとり、彼らと夕方名古屋駅で落ち合うことになった。 で夕方、名古屋駅のみやげもの売場で買い物途中のセリザワケイコを発見。その後、数人で夕食をともにする。昨夜は詩人・セリザワケイコの大いなる才能に触れることができたが、今日はセリザワケイコの別の一面を窺い知ることができた(詳しくはいずれまた?)。束の間だったが、楽しいひとときを過ごすことができた。 セリザワケイコ様ご一行を新幹線改札口まで見送った後、残った男3人(みおさん、テッちゃん、夏撃波)で居酒屋へ。セリザワケイコを肴に遅くまで呑んだ。男3人、色気はないが、昨日のイベントは夢のようだった、ってな話で盛り上がったわけよ。
2005年03月12日(土) |
鳥 Bird in K.D.Japon |
みおよしきさん(岐阜・詩人)主催による朗読イベント「鳥 Bird in K.D.Japon」当日がやってきた。
私は朝から落ち着かず、何か忘れていやしないかと心配ばかりしていた。家で最終チェックをし、午後4時に会場入り。今日の出演者・スタッフが三々五々集まってくるなか、順次リハが進行する。 待ち時間の間、セリザワケイコさん(今回の特別ゲスト)と歓談。「夏撃波さんて、やっぱり変な人ですね」との、ありがたいお言葉を頂戴した。そういうセリザワさんだって相当だと思うけどな。そう言えば、今回、セリザワさんの詩を「夏撃波バージョン」で「朗読」するのだが、リハでご本人にも聴いていただいた。どうやら、喜んでいただけた模様。
何だかんだ言ってるうちに、6時30分開場。 そして、7時すぎにスタート。まずは、10名の方によるオープンマイク(飛び入りの朗読)。私は、いつになく緊張しており、オープンマイクも聴いているようで、あまり耳には入ってこない。 8時すぎにオープンマイクは終了し、後半戦スタート。トップバッターは、「東海のニューぽえ姫」・加久裕子さん。しっとりと詩を読み上げた。 続いて、鈴木陽一レモンさん。ベーシスト、ラッパーなどの顔も持つ男。彼はさすがに場慣れしており、MCも滑らか。観客を自らの世界に引き込んでいたように思う。 それから、若原光彦さん。鈴木陽一レモンさんの「押しの芸」に対して、若原さんは「引きの芸」。知らず知らずのうちに若原ワールドに引き込まれている。ステージを経るごとにステップアップしているのが手に取るようにわかる。なかなかあなどれない男だ。 で、いよいよ私の出番。 まず初めに、セリザワケイコさんの「水族館」という詩を思いっきり夏撃波色に染めて「朗読」。マジックホース、特大レインスティック、ボンゴ、ギターなどの楽器を駆使して、セリザワ・ワールドと夏撃波ワールドの「融合」(?)を試みた。反応はまずまずか。 続いて、自分詩「無条件幸福〜敗戦の日に〜」を静かに朗読。「自閉症」の兄と母の関係をモチーフに書いた作品だが、自分のルーツにかかわる詩はなかなかに難しい。 3つ目の「朗読」は、「現代能楽詩『隅田川』」。能の『隅田川』をモチーフに、「東京大空襲」を絡ませた作品。「21世紀の琵琶法師」を意識しつつ、能や歌舞伎の手法も取り入れながらの「詩的表現」である。 最後は歌を歌って終わろうと思っていたのだが、今回は「映画予告編」風ポエム+スタンダード・ナンバー『テネシーワルツ』で締めた。友人Yさんにタンバリン演奏でサポートをお願いし、『テネシーワルツ』を歌い上げた。 反省点は多いが、ひとまずは終わってホッとした。
休憩をはさんで、本日最後の出演者・セリザワケイコさんが登場。この1年で「詩のボクシング」全国大会準優勝、国民大会優勝と、めざましい躍進を果たした彼女。その声の良さを指摘する声は多い。朗読にせよ、アカペラ曲にせよ、彼女の美しい声は観客の心に響いてくる。けれども、彼女は声だけの人ではなかった。 彼女の詩にはご家族のことを詠ったものが多いが、切なる思いがこめられた詩そのものに力があると感じられた。その詩が、彼女の肉声を通して観客の胸に深く沁み入っていくのだと思った。私は、すっかり彼女のファンになってしまったようなのだ。特に、『金星蝕』という詩がよかった。
セリザワさんのステージが終わって、これで散会と思いきや、その後出演者を囲んでの「座談会」。 出演者への「質疑応答」がしばらくあった後、突如司会者(みおよしきさん)から出演者に向けて「リレー式即興詩を作るように」とのアナウンス。ステージ上で出演者一同騒然となるが、間を措かずにみおさんが「鳥」をテーマに詩を詠み出す。続けて、鈴木陽一レモンさん→加久裕子さん→夏撃波→若原光彦さん→セリザワケイコさんの順に、詩をリレー。ちょっと心臓には悪かったが、これはこれでなかなか面白かった。 最後に、みおさんがご自身の詩を朗読されて、終了。そのまま、打ち上げになだれ込む。午後1時過ぎまで過ごすが、その場を立ち去りがたい。最高に楽しい夜だった。
2005年03月11日(金) |
秘密練習 in カラオケボックス |
12日の「鳥 Bird in K.D.Japon」に備えて、金山駅近くのカラオケボックスにて秘密練習を行った。「詩の朗読」であっても、私の場合はたいてい楽器演奏が付いてくる。心おきなく音を出してしっかり練習するのに、カラオケボックスは最適なのだ。 本番では、4つの「詩的表現」を行うが、そのうちの一つを友人Yさんにサポートしていただくようお願いしていた(タンバリンの演奏を依頼)。で、本番前日に初めての音合わせ。練習は意外にすんなりと進み、余った時間でカラオケを楽しんできた。 本番が待ち遠しくなった。
2005年03月10日(木) |
現代能楽詩「隅田川」 |
(謡) 雲霞、あと遠山に越えなして、あと遠山に越えなして、 幾関々の道すがら、国々過ぎて行くほどに、 ここぞ名におふ隅田川、 渡りに早く着きにけり、渡りに早く着きにけり。
川べりの道にたたずむ ひとりの老女 未だ帰らぬ息子を待ちわび 来る日も来る日も 同じ道をやってくる
春のうららの隅田川 霞たなびくその先に果てなく続く荒野 累々たる屍体の山が築かれている むくろの前にひざまずき 老女はかすかにほほえんだ
「わが息子よ、やっと巡り会えたね」 と、いとおしむように、いとおしむように語りかけた
と思いきや、 世界は時空を越え そこに幻の都が浮かび上がる 飛来する爆撃機の前に 砂の城は脆くも崩れ去った 本土決戦、一億火の玉、 街は焦土と化した
夢かうつつか、うつつか夢か、 人の記憶は薄れゆく
川は今日も静かな流れをたたえている・・・
<解説> 60年前の今日(3月10日)は、「東京大空襲」があり、10万人もの人々が亡くなられた日だそうな。この現代能楽詩「隅田川」は、能の「隅田川」を下敷きにしつつ、「東京大空襲」をイメージしながら作った作品である。 昨年夏、隅田川の川べりで行われた詩の朗読イベントに飛び入り参加した際、直前に作ったものだが、その後何度か発表を繰り返してきた。私にとっては、非常に思い入れのある作品である。
2005年03月09日(水) |
「詩のあるからだ」へ |
今夜は、八事「POPCORN」にて「詩のあるからだ」(朗読会)の開催日。『ますだおかだの「漫才詩」』という本と、自作の詩「棘はずっと刺さったまんまだ」の原稿を持って出掛けた。第一部では参加者がそれぞれ好きなように朗読を行い、第二部で「読み比べスラム」が行われた。 終了後には、12日の「鳥Bird in K.D.Japon」についての打ち合わせ。いよいよ本番が迫り、緊張感が増してきた。「まあ、どうにかなるさ」と思ってはいるが・・・。
ソウル・ミュージックの歴史にその名を深く刻まれたレイ・チャールズ(昨年亡くなられた)。そのレイ・チャールズの生涯が描かれた劇映画「Ray」を観てきた。 私は、社会的にも成功し名声を築いた後のレイ・チャールズしか知らない。今日の地位を得るまでのレイの挫折や葛藤というものを知らずにきた。美しいメロディーを切々と歌い上げるレイの歌声の素晴らしさはあらためて言うまでもない。その高い才能は誰もが認めるところだろう。レイがあまりに偉大であったためか、私は、彼が盲人であること、黒人であることをも意識せずにきた。けれども、レイだって、障害者差別、人種差別の現実と無関係に生きてこられたわけではなかった。 大衆受けもするレイの音楽は、ともすると甘ったるく感じられることもあった。ソウルフルであることは間違いないが、その音楽から「反骨」をイメージすることはほとんどなかった。でも、レイは行く手に立ちはだかる現実の壁にぶつかり、常に格闘してきたに違いない。レイの歌声が深く私たちの心に沁み入ってくるのは、そのせいかもしれない。 レイにはそうした力強い生きざまとともに、女性問題を抱え、麻薬中毒にも陥る、という弱い一面もあったようだ。そうした一面も、映画のなかで描かれている。弱さも含めてとても魅力的なレイが描かれた映画であったと思う。
2005年03月04日(金) |
映画「またの日の知華」 & 舘野泉 |
「さようならCP」(72年)、「極私的エロス・恋歌1974」(74年)、「ゆきゆきて、神軍」(87年)、「全身小説家」(94年)・・・。寡作ながらクオリティーの高いドキュメンタリー映画、衝撃的な問題作を発表し続けてきた原一男監督。その原監督が初めて取り組んだ劇映画が「またの日の知華」である。 一人の女性を4人の女優が演ずるという試みは、原監督ならではの発想。60年安保、70年安保、浅間山荘事件、三菱重工ビル爆破事件など、社会的大事件をも絡ませながら、時代を生きた一人の女性を見事に描き切った作品と言えよう。とても刺激的で濃厚な匂いを感じさせる原監督の映画世界に、私は思わず引き込まれた。
話は変わるが、今夜「たけしの誰でもピカソ」というテレビ番組で取り上げられた内容がなかなかよかった。ギタリスト・押尾コータローの超絶技法、浪曲師・国本武春のパフォーマンスもよかったが、左手だけでピアノを演奏するという舘野泉のことがとても印象に残った。数年前コンサート終了直後に脳溢血で倒れ、右手に麻痺が残ってしまった舘野だったが、左手だけで演奏できる曲があることを知り、見事にカムバック。現在も精力的に演奏活動を続けているという。人間が内に秘めている力強さというものに圧倒される思いだった。
水曜夜は、星ヶ丘「Slow Blues」の「生音クラブ」。今日も、バックパッカー・ギター他を持参して、いざ弾き語り&セッションへ。弾き語りタイムでは、まず井上陽水「東へ西へ」を夏撃波バージョン(「現代劇」風→「能楽」風→ラップ調→ オーソドックスな歌い方、と歌い分け)で軽くかまし、次にさだまさしの「飛梅」で今の季節を歌い、最後は日本語ブルース、憂歌団「嫌んなった」で締めた。 どんなに疲れていても、「Slow Blues」で歌えば、気分は最高だゼ。
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