2004年01月31日(土) |
中西和久、山田うん、甲野善紀etc. |
今日、東京日帰り観劇旅行を敢行した。
まずは、両国「シアターX(カイ)」にて、中西和久ひとり芝居『をぐり考』を観た。『をぐり考』は中西演ずるところの「説教節三部作」のひとつで、今回は再演だ。「説教節」は、中世以後口伝えに伝わってきた民間伝承の語り物で、「小栗判官」の物語は代表的なもののひとつである。今回の公演では、邦楽の生演奏もあり、舞台に花を添えた。 とにかく「小栗」の物語じたいが面白い。歌舞伎や浄瑠璃でも演じ続けられてきた物語だが、今日にあっても独自の演出で取り組もうとする者は少なくなかった。例えば市川猿之助、例えば横浜ボートシアター・・・。調べてみたら、結成当初のスーパー一座も一度「小栗」をやっているみたいだ。中西の『をぐり考』も悪くはなかったが、それも元々の「小栗」の面白さに起因していると思うよ。この物語の面白さを理解していただくにはかなりの紙数を費やさなくてはならないだろうから、敢えて物語の説明はしないでおくけどね。これは芝居を観るなり、本を読むなりしていただいたほうがよさそうだよ。むかし横浜ボートシアターが上演した『小栗判官照手姫』がもの凄く面白かったんだけど、ね。時代を越えて多くの人々によって語り継がれてきたというところに強みはあるんだろうな。
夕方、三軒茶屋「シアタートラム」にて、山田うん独舞公演『テンテコマイ』を観た。 山田は、7歳の頃から民謡踊り、器械体操、新体操等で活躍していたが、13歳の時に膠原病慢性関節リウマチが発病しリタイア。だが、心身のリハビリのためモダンダンスを始め、それが今日の山田の踊りにつながっていくことになる。どこかぶっきらぼうな、醒めたような表情で踊る山田だが、時々刻々と変化し続け、やがてその独特な世界に引き込まれていく。初めは踊りらしからぬ動き、けだるそうな動きから入り、そこから「運動」とも「踊り」とも「戯れ」ともつかぬ動きになったり、変幻自在に動く。いい具合に力が抜けていて、コケティッシュな部分もありながら、山田の作りだす空気はとぎすまされた感じがする。暗黒舞踏の影響も受けたであろうが、そこに縛られない自由な踊り。とても新奇なイメージだ。当分の間山田うんのダンスから目が離せないゾ。 公演後、古武術の甲野善紀と山田うんの対談があった。いろんな話があったが、甲野の言ったあるひとことが印象に残っている。「昨今、『身体』ということに大きな関心が寄せられてきているが(例えば、総合格闘技の隆盛など)、それは逆に『身体』に対する危機感の表れではないか」と、大体そのような趣旨のことを語っていた。
「のぞみ」でとんぼ返り、帰宅したのは0時近く。明日は、宿直入りだというのに。やれやれ。
仕事が終わってから、名古屋市総合体育館レインボーアイスアリーナに急行。日本アイスホッケーリーグ「王子製紙vs日本製紙クレインズ」の試合観戦をした。現在進行中のフジテレビの連ドラ「プライド」でキムタクや坂口憲二らがアイスホッケー選手を演じている(らしい)ということもあってか、アイスホッケーも多少は注目されているみたいだ。とはいえ、日本でアイスホッケーはマイナーなスポーツだよね。 俺、アイスホッケーを観るのは今回が2回目。最初に観たのが大学時代だから、およそ15年ぶりか。えっ、もうそんなに経ってしまったのか(ちょっとショック!)。 観る機会は少ないけど、俺、アイスホッケー、大好きだよ。あのスピード感といい(F1のレースでも観ているかのよう、とか言いながらF1を観たことはないんだけど)、動きの激しさ(まさに「氷上の格闘技」)といい、たまらないね。でも、あまりに目まぐるしくいので、気をつけないと瞬きしてる間に得点入ったりするんだよね。つまり、目が離せないってこと。 あと、選手同士でエキサイトして乱闘になったりもする。今回も(すぐ収まったけど)3回ほど小競り合いがあったよ。「火事と喧嘩は江戸の華」ってわけでもないだろうにね。 今日の試合、8対4で王子製紙の勝利だったけど、勝敗よりもゲームの面白さで十分楽しめたね。名古屋ではなかなか観る機会は少ないと思うけど、一度ぐらいは観て損はないと思うよ。 とか言ってるうちに冬も過ぎていくのかな? ウィンタースポーツもやってみたいな。と言っても、普通のスキーやスノーボードはあまり興味がないんだ。今いちばんやってみたいのが、山スキー(というか、ここ3年ぐらい関心を寄せているのだが)。あと、わかさぎ釣りとかも冬場だよね。とまあ、冬は冬の楽しみがあるってことなのさ。
今日は、今池・シネマテークで映画2本を観た。
まずは、連句アニメーション『冬の日』。生涯を旅に生きた俳人・松尾芭蕉の連句『冬の日』が国内外のアニメ作家35名の競作によって新たな生命を吹き込まれた。それぞれの作家が前の句を受けながらも独自の解釈と手法によって芭蕉の世界に対峙しているのが、映像のなかからうかがえた。ユニークな試みであったが、とても面白く鑑賞できた。
その後で、ミカ・カウリスマキ監督のドキュメンタリー映画『モロ・ノ・ブラジル』を観た。ブラジル音楽の源流を探る旅のなかで、各地に暮らす人々と出会い、そこに息づいている多種多様な音楽と出会う。情熱に満ちあふれた音楽と、人々のみなぎる生命力。音楽は人々の生活に密着し、時に激しく魂を揺さぶり、時にやさしく心に沁み入ってくる。思わずスクリーンに見入りながら、音楽に身体を揺さぶってしまう私であった。
2004年01月27日(火) |
マイブーム2004冬(その2) |
「女子格闘技家・しなしさとこ」の巻
毎週月曜日の25時58分から26時28分までテレビ愛知(テレビ東京系)で女子格闘技番組「肉力強女」(司会・テリー伊藤)が放送されている。その番組に毎週出演している現役ファイター・しなしさとこ選手に注目しているところだ。 サンボ(ロシア発祥の格闘技)の世界選手権で銅メダルに輝いた実績もあるしなし選手、女子格闘技デビュー以来負けなしの14連勝を飾っており、「PRIDE」への参戦も取りざたされている。軽量級のしなし選手、対戦相手がなかなか見つからないというのが悩みではあるようだ。でもね、彼女のきびきびした動き、ひたむきな闘いぶりはとてもすがすがしく、一遍にファンになってしまったという次第だ。 プロレス&格闘技から目が離せなくなってしまった私、ヒョードル選手(現在「PRIDE」の頂点に君臨している)なんかも好きだけど、女子格闘技界のトップをひた走るしなし選手に大いなる期待を抱いている。
2004年01月26日(月) |
マイブーム2004冬(その1) |
「詩人・塔和子」の巻
マイブームは数々あって、それはもう節操もないくらいに。でも、いいものはいいのだからしょうがない。今年は、マイブームを随時紹介していこうと思うが、今日はその第1弾。詩人の塔和子さんだ。 塔さんは元・ハンセン病患者として瀬戸内海の小さな島にあるハンセン病療養所に入所してられるが、数年前に詩が高く評価され高見順賞を受賞している。残念なことに詩集は書店にはあまり出回っていないようだが、とてもいい詩がたくさんある。ハンセン病療養所に住まう人達のなかには、本当によい詩や俳句・短歌を詠まれる人も少なくない。過酷な状況に身を置いた人にしかできないであろう表現がひしひしと伝わってくるのだ。そのなかで特に塔さんの詩は素晴らしいと思う。 そういえば、先頃塔さんの日々に密着したドキュメンタリー映画が完成し、全国で上映会が開かれているとの話もある。詳しい情報は得ていないが、それもぜひ観てみたいものだ。 今日は、塔さんの詩を1篇だけ紹介するので、味わってみてほしい。題は、「雲」。
意思もなく生まれた ひとひらの形 形である間 形であらねばならない痛み
風にあおられて 流れる意思もなく流れ 出合った雲と手をつなぎ 意志ではなく へだてられてゆく距離
叫ぼうと わめこうと 広い宇宙からは かえってくる声もない
そして 消える意志もなく 一方的に消される さびしさを ただようもの
2004年01月25日(日) |
テーマは「反戦」&「ハンセン(病)」 |
今日は、詩の朗読会「ぽえ茶」の日。まずは、ハンセン病療養所入所者・塔和子さん(高見順賞受賞詩人)の詩を3篇読む。塔さんの詩って、心の深い部分に自然としみこんでくるような、何度読み返してもその度に新たな感動が湧き起こってくるような、そんな素晴らしい詩なんだよね。いい詩はいっぱいあるけど、そのなかから「苦悩」という詩を紹介しよう。
私のなかで/おまえによらないで産れるものはない/ おまえの土地/おまえの海の中から/ 私の花は咲く/私の明るさは満ちる/ おまえを深くもつことによってのみ私であり/ 周囲の色彩が華やかだ/ 苦悩よ/私の跳躍台よ/ おまえが確かな土地であるほど/私は飛ぶ/ 深い海であるほど/私は浮き上がろうとする/ そしておまえは/ 私がどこまで跳ねても/もどってくる中心/ おお/なれ親しんだ顔/ いつの場合もそんなことをして楽しいかと/ 私の中をのぞく/奧の奧なる声よ/ 私を救うものはただひとつ/おまえであるような/ それでいて/おまえは決して私を安らわせてくれない/ 私の/黒い土地/黒い海
いい詩でしょ。塔さんの詩に、私、かなりはまってるよ。今年は、塔和子ブームを私の周辺から起こしていこうと思ってるんだ。 2巡目は「ちいちゃんのかげおくり」という絵本を朗読。「反戦絵本」と呼ぶべき物語だ。 3巡目では、辺見じゅんさんのノンフィクション作品『戦場から届いた遺書』のなかで紹介されていた特攻隊員の「遺書」を朗読した後、即興で「永遠のさようなら」という詩を詠んだ。
今日の「ぽえ茶」、いつもの参加者の他に、高校の現代文の先生がいらして「国語」の授業さながらの詩の朗読をされた。なかなか新鮮で面白かった。
2004年01月22日(木) |
手話狂言、『仮名手本ハムレット』etc. |
今日はまず国立能楽堂へ出掛けた。日本ろう者劇団による手話狂言を観に行った。黒柳徹子さん(「トット基金」からろう者劇団に助成金が出されている)のお話の後、3つの狂言が上演された。舞台上では、ろう者の役者が手話でセリフを表現しながら、狂言の所作をこなしていた。吹き替えの音声も流れるので、手話がわからない人にも楽しめる。つまりは、「バリアフリー狂言」だね。新鮮な感覚で面白く観ることができた。狂言の動きや表情など、もうちょっと研究が必要では、と感じさせる部分もあったが、十分に鑑賞にたえうるだけの表現はなされていたように思う。また、劇団代表の米内山明宏さんが病気のため出演できなかったのは残念だったが、代役の女性は堂々とした演技でその重責を全うした。 ところで、国内外にはろう者劇団(あるいは、ろう者による表現活動)が数多く存在し、言語的少数者であるろう者たちが独自の文化を樹立しようという動きが少しずつ立ち上がってきているようでもある。手話落語なんてのもあるみたいだね。 そう言えば、数年前に観た「デフ・パペット・シアターひとみ」(神奈川・ろう者による人形劇団)による「猿の王」(横浜ボートシアターの遠藤琢郎さんが確か演出されていた)の名古屋公演は、仮面劇と人形劇、ガムランのコラボレーションが見事だったな。「障害者」による表現活動にも注文すべきものは少なくないってことかな。
その後、国立能楽堂前の美術工芸品のお店で「能楽ジャーナル」という雑誌を購入し、ひとり上機嫌になりながら、池袋へと向かう。池袋は私にとっては馴染みの薄い街だったが、夕方に東京芸術劇場中ホールで上演される芝居(木山事務所公演『仮名手本ハムレット』)が始まるまでの時間、街をブラブラ。立教大学キャンパス内を蔦の絡まるレンガ造りの校舎を見遣りながら散策したり・・・。
そうこうしているうちに開場時間となり、会場へと向かう。『仮名手本ハムレット』、名の通り『仮名手本忠臣蔵』と『ハムレット』という和洋の「仇討ち」の物語をモチーフとした作品である。明治期の東京の芝居小屋を舞台に、本邦初演の翻訳劇『ハムレット』の上演を前に戸惑う役者達、歌舞伎調の演技のクセが抜けず、ドタバタが続く・・・。 発想自体は面白いのだが、役者が何度も噛んでたりして、それでだいぶ白けちゃったな。間もちょっと悪い感じだったし(新劇の役者にありがちな間の悪さといったらいいのかな)。まあ、ホンの面白さ(と言ってもホンにも多少不満な点はあるのだが)で多少は救われていたのかな。
劇場を出ると寒空。急いで新宿の宿泊先に戻る。明日の朝早く出発して、昼からは仕事(遅番)だ。我ながらよくやるよな〜。遊ぶ時は徹底的に遊び、でも仕事はちょっとユーウツかな。でも、しょうがない。仕事して、次、また遊びまくるぜ。
2004年01月21日(水) |
「田中一村展」、新作能『不知火』(予告編)etc. |
宿直明けの今日、首都圏へ向けて出発。水俣病をモチーフとした新作能『不知火』(石牟礼道子・原作)の「予告編」とでも呼ぶべきイベント、そして日本ろう者劇団による手話狂言、等を観るためだ。
午後、まずは新幹線で横浜へ。現在横浜そごう美術館でおこなわれている「田中一村展」を観に行った。「日本のゴーギャン」などとも称される一村は、中央画壇に背を向け、自らの才能のみを信じ、ひたすら絵を描いた。1958年、50歳の時に奄美に移住し、生命力に満ちあふれた亜熱帯の自然をいきいきと描ききった。 その一村、奄美に移住後、ハンセン病療養所・奄美和光園を頻繁に訪れ、一時期はその官舎に住み、小笠原登医師との共同生活の日々を送ったという。その当時、国策として「らい予防法」によるハンセン病患者の隔離が当然のように行われていた時代に、小笠原は患者の隔離に反対し続け、独自の医療を展開していた。「変わり者」と呼ばれながらも自らの信念を貫こうとする姿勢は、一村と小笠原とに共通しており、二人は意気投合したらしい。出会いとは本当に不思議なものだなあ。 自らの信念を貫くことは、いつの時代においても困難を伴うものだと思う。彼らが生きている間には決して正当な評価がなされなかったであろうが、今日になって再評価されてきている二人である。彼らの生きざまから学ぶべき点は多い。
横浜を後にして、「川崎・水俣展」会場へ。 「水俣病」はチッソ水俣工場からの排水に含まれていた有機水銀を原因とし、人間に対する深刻な健康被害、環境破壊を招いた。そればかりか、チッソの「企業城下町」にあって「被害者」はいわれなき差別に苦しめられ、地域の人々の絆は断ち切られた。長い年月「被害者」に対する救済はないままに放置され、身体的、精神的、経済的にも苦境に置かれた。そして今、国の責任は認められないままに安易な「最終解決」によって幕引きがはかられている。そんな「悲劇」が進行する一方で、屈することなく力強く生きている「被害者」の生きざまに深い感動を覚えずにはいられない。今でも漁に出てられる杉本栄子さん、「被害者」でありながら自らの「加害者性」を見つめ続ける緒方正人さん(『チッソは私であった』などの著書がある)、有機栽培の甘夏を生産する人々・・・、他にも素晴らしい人々がたくさんいる。「水俣」は私たちに多くのことを教えてくれている。歴史に学ぶ謙虚な気持ちを忘れないでいたいものである。
「水俣展」の展示会場を後にして、川崎能楽堂に向かう。「水俣展」のイベントとして行われる「新作能『不知火』謡とお話の夕べ」に参加。まずは、立教大学教授・栗原彬さん(『証言水俣病』その他著書多数)と『不知火』制作者・土屋恵一郎さん(能の評論など多数)による「新作能『不知火』制作のいきさつ」などのお話を伺う。昨年の東京公演のビデオを観た後、観世流シテ方・梅若六郎さんが登場して謡を披露。「能の見方」を知るにはいい機会となったが、やっぱり能の衣装をつけた生の舞台を観たいものだと思った。 今年の8月、『不知火』水俣公演が「野外劇」として行われる予定だという。万障繰り合わせて何とか観に行きたいものだ。
川崎を後にした私は、新宿へ向かう。何も新宿である必然性はないのだが、なぜか好きなんだな、新宿が。予約しておいた安宿に向かう途中、歌舞伎町、ゴールデン街、花園神社等を通り抜けていく(わざわざそこを通る必要もないのだけど)。 本日宿泊のビジネスホテル、1泊5400円と安いのだが、0時30分という門限があって、部屋にバスはない。その代わり大浴場が0時30分まで入れる。まあ、少しでも安く上げるためだ。贅沢は言ってられないし、これで十分だ。2月にもまた芝居を観るため上京する。このこと自体が私にとっては贅沢な楽しみというものだと思う。
2004年01月18日(日) |
ジプシー・ミュージックの宵 |
今夜、今池のライブ・スペース「源」で「しげとくま」(ジプシー・ミュージックのユニット)の演奏を聴く。「源」はライブハウスというより「普通のおうち」(実際に「普通のおうち」)で、ライブもどことなくホームパーティーのような雰囲気があった。ステージと客席との距離は他のライブハウスではありえない近さで、とてもぜいたくな空間だ。しげ(ギター)とくま(バイオリン)の演奏は心浮き立つような調べで、思わず口元が緩んでしまった。 バイオリン、あんなふうに弾けたらいいよな。俺も、ギターがもうちょっとうまかったらな〜。ライブに行く度にそんなふうに思ったりする。俺自身は、音楽の趣味も多岐にわたり、あちこちに首を突っ込むものだから、どうも何かひとつのことを極めるってことがないみたいな気がする。でも、何事においても俺は「一流」を目指そうとは思わなくなった。あえて言うなら「超二流主義」とでも言おうか、自分は自分で<個>をしっかり持って存在したいという願いはある。 思えば、名もなき民衆のなかから生まれた音楽(ジプシー・ミュージックもそうだ)が琴線に触れることもあれば、「詠み人知らず」の詩歌に深い感動を味わうことだってあるんだよね。俺、ジャンルにはこだわらないけど、その音楽が生きている(あるいは、生きていた)人間の息づかい(魂=ソウル、と言い換えてもよい)を感じさせるかどうかにはこだわるんだ。世に言うソウル・ミュージックが必ずしもソウルフルとは限らない。俺は、いつしか「俺にとってのソウル・ミュージック」を自分の心のうちでリストアップするようになった。「俺にとってのソウル・ミュージック」はどことなく詩的だったり、あるいは劇的だったりする。
2004年01月17日(土) |
自衛隊のイラク派遣に思う |
16日、イラクに派遣される陸上自衛隊先遣隊が出発した。「ブッシュの戦争」を後押しする小泉首相らは「売国奴」じゃないのか、右翼の方々! 自衛隊派遣がイラク民衆に感謝されることはなく、現地に派遣される自衛隊員に犠牲が出る可能性も低くはない。そのことを日本のトップはどう考えているのか。大体、イラク戦争自体、「大義」も何もないことは明白ではないか。 イラク開戦後、アメリカ兵の死者は計500名を超えたという。ブッシュが、大義なき戦争で多くの米兵を犬死に追いやったのだ。だが、もっと問題にすべきは、米兵の何倍ものイラク民衆が虫けらのように殺されていったという事実であろう。そんなイラクの地に何の思想もなく自衛隊が出て行くことが、現地の人々にいかなる思いを抱かせることになるのか。想像力の欠如した小泉をはじめとしてこの国のトップに期待など持っていないが、現状を追認しがちなこの国の国民性は何とかならないものか。
「最年少の芥川賞」ということで、綿矢りささん(19歳)と金原ひとみさん(20歳)の受賞が話題になっている。二人の作品を読んでいないので、『文藝春秋』次回号で受賞2作品を読むとしよう。
14日夜、私の職場である福祉施設からの緊急連絡網での連絡が入る。電話を取り同僚の声を耳にした瞬間、私は事態を把握した。3日前に入所者Kさんが救急車で運ばれ、危険な状態にあったからだ。Kさんが亡くなられた。33歳という若さでこの世を去られるとは。「危篤状態」と聞いても希望観測的に楽観視していた私は、Kさんの訃報に接して、最初は驚き、その後じわじわと悲しみが湧いてきた。 今夜、通夜に参列し、Kさんのお顔も見させていただいた。Kさんは神々しい光に満ちていた。今はただご冥福を祈るのみだ。
2004年01月12日(月) |
みゆきワールドについて語らう |
14日に中島みゆき「夜会」を観に行くという友人と夕食を共にする。3日、初日の舞台を観た際に買ったプログラムを差し上げ、音楽の話などで盛り上がった。その友人、ローリング・ストーンズのファンでもあり、結構話が合うんだよね。もちろんその人間性もいいのだが、趣味が合うということでも親しくさせていただいている。とりとめのない会話をしながらも、楽しい時間を過ごして帰ってきた。
今池のキノシタホールで映画『フリーダ』を観る。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの波乱に満ちた生涯が描かれた映画となれば、きっと重々しいストーリー展開になるものと予想していた。そんな予想に反して、鮮やかな色彩、テンポよい展開、遊び心いっぱいの映像に身を乗り出すように見入った。フリーダ・カーロの絵と同様に、大胆な切り口で、多様な手法を駆使した見事な映像表現だったと思う。
2004年01月09日(金) |
演劇とダンスのあいだ |
今年初めて「pHー7地下劇場」に足を運ぶ。そこでは、4月に上演の舞踏劇に向けての顔合わせが行われていた。出演予定者による「ひとり舞踏」も観ることができたが、それぞれに面白かった。この舞踏劇、一体どんな仕上がりになることやら、今から楽しみである。 最近、ダンス公演を観る機会も増えてきた。ダンスとひとくちに言っても、いろんなタイプの踊りがあるよね。「暗黒舞踏」ひとつとって見ても、演ずる者によって印象はだいぶ異なってくる。なかには、芝居にきわめて近いものもあって、「これも踊りなの?」などと思うものまである。そう言えば、以前太田省吾が演出していた沈黙劇(『水の駅』など)なんていうのもあったけど、あれも広い意味での「踊り」と言えるのかもね。でもね、「芝居」か「踊り」かということよりも、それが「表現」として面白いか否かという点が最も重要なことであると思う。 実は俺、来月も、牧阿佐美バレエ団『ピンク・フロイド・バレエ』(草刈民代、上野水香らが出演)、H・アール・カオス『人工楽園』といったダンス公演を東京まで観に行く予定だ。連休がうまく取れれば、他にも演劇を観てくるつもりなのだが。 明日から、世間は3連休。だけど、俺は明日から宿直勤務。まあ、他人様が仕事の時に休めることもあるからいいんだけど。それにしてもまた寒くなってきているので、風邪などひかないようにしようっと。
仕事を終えてから、東山公園「club BL」に「傷SP〜前衛音楽と身体行為の夕べ〜」というイベントを観に行った。途中で帰ってしまったのでよくはわからないが、「前衛音楽」と「身体行為」のコラボレーションということではなく、2部構成でそれぞれ勝手にどうぞってことだったみたい。 前半の「身体行為」だけ観て帰ってきた。ニパフ(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル)に参加したりしている愛知県内の人々の「パフォーマンス」を観るが、これが私には非常につまらないものに映った。たぶん演劇的な観点から観るべきものではないのだろう。どちらかと言えば「現代美術」に近いというふうに解釈したのだが。でも、それにしても、彼らのしていることが「アート」だというふうには到底思えないのだった(全部が全部ダメだとは言わないが)。「アート」どころか「宴会芸」以下だぞ。無料だといえ、「表現」として他人に見せる以上は「表現」たりえるものにある程度は仕上げてほしいと思ったね。と、「無料の客」は言う。
4日に山梨に帰省したが、もう今日は名古屋に舞い戻ってきた。明日から仕事だからしかたがない。 山梨では、お雑煮、手打ちそば、きんとん、黒豆、きんぴらごぼう・・・、そんな料理の数々を堪能した。というか食べ過ぎた。もともと胃が弱くできている俺、明日から仕事という事情も相俟って、胃がもたれ、身体がだるい。やれやれ。 20歳くらいまでは、俺、故郷・山梨のことが好きだったんだ(今は愛憎相半ば、ってところか)。大学時代、東京から甲府に帰る電車(「特急あずさ」は滅多に使わず、鈍行で帰ったものだ)の窓から一面に広がる葡萄畑(勝沼周辺)を目のあたりにして感慨に浸ったものさ。懐かしいよな、あの頃。 そういえば、昔、山梨に私を訪ねてきた友人を案内して、勝沼の高台からあたりの景色を眺めたっけ。遠くに八ヶ岳や南アルプス、眼下には葡萄畑が広がっていた。そんな風景に感動したのか、友人は言い放った。「凄〜い、一面のワイン畑だ」と。俺も当時は相当の呑んべえだったけど、そんな言い間違いはしなかったぜ。今でも、葡萄畑を目にすると、あの時の友人の言葉を思い出さずにはいられない俺だった。
寄席という場所に一度行ってみたいと思っていたが、新宿末広亭に行って来たぜ。いまどきの「お笑い」というのにはあまり興味はないが(とか言いつつ「爆笑問題」が好きだったりするんだけどね)、「落語」にはちょっと興味があって、生で観たかったんだよね。で、これが面白かった。なんか寄席全体の空気(舞台と客席との「間」も含めて)ということもあるとは思うんだけど、お腹の底から笑えたんだ。桂米丸、ヨネスケ、春風亭昇太から無名の落語家・漫談家、手品師の北見マキといった面々がわずかな持ち時間のなかで目一杯の芸を披露してくれた。芸能生活80年という玉川スミさん(三味線漫談家)も自慢のノドを披露した。 「芸の力」ということをちょっと考えたね。「芸」がある人っていうのはつまりは「間」がいいんだよね。「間」などというものは日本的な感性のようでもありながら、実は普遍的なもののようにも思えるんだよね(とは言っても、「話芸」となると「言語の壁」は大きいとも思うんだけど)。「間」なんていうものは決してマニュアル化できないものだろうし、それだけ奧が深いんだと思うよ。だからこそ奥義を究めることができたら素晴らしいだろうね。清々しい気分で、末広亭をあとにしたよ。
で、新宿から鈍行を乗り継いで甲府まで行き、父の迎えで郷里に帰った。
東京・渋谷「Bunkamuraシアターコクーン」まで中島みゆき「夜会VOL.13〜24時着0時発」を観に行く。ドラマ仕立てのコンサートとでも言うべき「夜会」だが、今回は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をモチーフに構成されたようである。共演の三代目魚武濱田成夫(詩人)が雰囲気を壊していたようにも感じられたが(「お前も詩人なら『詩情』というものを意識しろよな」と言ってやりたかった)、みゆきさんの歌はとってもよかった。彼女の歌自体がドラマチックであり、情景が浮かんでくるようでもあったからね。 立見で2時間ほどだったが、私には短く感じられた。もっともっと「みゆきワールド」に浸っていたかった。いつか彼女のコンサートに行ってみたいものだと思った。
新しい年だ(実感が湧かないな)。 宿直明けの今日、仕事から帰ってまずは一睡。何だかもったいない気もしたが、とにかく寝ておきたかった。夕方近くに起きて、昨日録画しておいた「イノキボンバイエ」や「PRIDE」を観る。それと、実家から送ってくれた餅をほおばる。部屋の片付けもやりたかったが、やる気が起こらず、またまた先延ばし。 3日にはまた東京に行き(中島みゆきの「夜会」を観に)、その足で山梨に帰省する。名古屋に戻ってくると翌日からまた仕事か〜。まあ、あまり悲観的に考えずに、楽しく時間を過ごすとしよう。 それにしても、何とも締まりのない元旦であった。
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