このホームページ、最近はすっかり私の「道楽日記」と化していますが、もともと道楽者なのだからそれも致し方ありません。それでもってまたまた「観劇旅行」に出ています。いつもと違うのは、表題のとおり「東へ西へ」であります。今日は東京、明日は京都と駆けずり回ります。 では、「東へ西へ」・東京篇の始まり、始まり。
まずは、新宿文化センターにて台湾のダンス・カンパニー、「雲門舞集」(クラウド・ゲイト舞踊団)の「水月」というダンス作品を鑑賞しました。バッハの曲をバックに太極拳や気功などの動きを取り入れた踊りが舞われました。舞台後方に設置された巨大な鏡と3000リットルの水を用い、幻想的な舞台が展開されてました。「東洋の英知」を感じさせる舞台でした。 終演後、新宿のホテルに荷物だけ置いて下北沢の小劇場「スズナリ」に移動しました。
夜7時より「スズナリ」にて燐光群公演「だるまさんがころんだ」を観劇しましたが、これがとてもとても見ごたえのある作品でした。燐光群の作品、坂手洋二の戯曲に絶大の信頼を寄せている私ですが、期待した以上の作品に仕上がっていました。 「イラクへの自衛隊派遣」問題を射程に収めつつ、「地雷」をテーマに物語は展開しました。いわゆる「社会派」の芝居で、扱うテーマは重いものですが、これがエンターテイメントとしても非常に面白い仕上がりになっていました(風刺がとてもよく効いていましたし)。作家自身がこの問題を自分自身の問題として十分に消化し、それを役者陣も見事に演じきっていたという印象を持ちました。 とにかくホン自体も、役者の動きもテンポよく、決して観客を飽きさせることがなかったように思います。暗転中の舞台転換も見事で、そのことも小気味よいテンポを作り出す一因になっていたとも思われました。 最近は、芝居よりもダンスの方が面白く感じられることが多かったのですが、久しぶりにとても質の高い芝居を観たように思われ、「役者の端くれ」としては嬉しかったですね(「総合格闘技」に押され気味のプロレスを愛してやまないプロレスラーの心境に似てるかも?)。 気が早いけど、燐光群の次回作が早く観たいと思いました。
2004年02月27日(金) |
河野義行さんのこと、など |
今日、一連の「オウム真理教事件」の首謀者とされる松本智津夫(麻原彰晃)被告に対し東京地裁より「死刑判決」が出された。まあ、これまでの流れからしてこの判決は予測されるものであったが、依然として「真相」は闇の中に隠れたままという印象が強い。 松本被告に対しては多くの被害者・遺族から「極刑」を望む声が強かったようだが、被害者・遺族が本当に望むことはそんなことではないように思うのだ(だからといって「極刑を望む被害者・遺族の気持ち」がまったくわからないわけではない)。まず、「原状回復」が不可能である以上、被害者・遺族の心の傷が消えることはないだろう。たとえ松本被告が「死刑」に処せられたところで、根本的な問題解決になりはしない。そんなことは被害者・遺族の方々もわかっているに違いない。にもかかわらず、深い悲しみや絶望感が加害者への憎しみをいっそう強めてしまうのだと思う。あまりにやりきれないのだと思う。 ちなみに私は「死刑廃止論者」である。こんなことを言うと、「加害者の人権ばかり言って、被害者の人権をないがしろにするつもりか」などと言われてしまうのだが、私は決してそんなふうには言っていない。そもそも「人権」そのものに「被害者」も「加害者」もない。「人権」は「人権」そのものとして誰の上にも尊重されるべきものなのだ。で、ここからが本題なのだが、被害者・遺族の人権はこれまであまりに軽視されてきた(加害者に対する人権も守られてはいないのだが)。それゆえに悲しみや怒りの感情を加害者にぶつける以外にやり場がなかったとも言える。 「事件」が起き「原状回復」が不可能となった時に被害者・遺族にそれ以上の心の傷を負わせないようにすること、そのことの重要性がこれまで見過ごされてきたように思う。例えば「真実」を明らかにすること。例えば「謝罪」。例えば「補償」。その他様々な心のケアがなされることで、多少なりとも心の傷が癒えることがあったならばと思う。その意味では、河野義行さん(松本サリン事件の被害者であり、かつて被疑者でもあった)らが行っている「リカバリー・サポート・センター」の運動に共感を覚える。
ここに、「松本被告判決前に河野義行さんが綴った手記」(2月20日付「中日新聞」朝刊に掲載)がある。松本サリン事件の被害者にして、一時は犯人扱いされた河野さんだが、物事を冷静に見つめ、あたりまえのことをご自身の言葉で語られている。 「世間では死刑が当然との風潮」だが「罪状認否の留保も被告の権利」「被告の有罪が確定するまで彼は無罪が推定されているはず」との至極あたりまえの河野さんの主張に対し、「麻原を憎くないのか」と質されることもあったという。それに対し河野さんは「松本被告や実行犯といわれている人たちに憎しみの感情がわいてこない」と答え、「サリンにて重傷を負ったことよりも、その後の犯人視報道や逮捕への恐怖の方が現実的で、辛いものだった。マスコミや報道を真実と思った人々は、私たち家族を窮地に追い込んだことなど、もう忘れてしまったようだ」と語る。
「世間」が熱くなっている時ほど、冷徹な目を持ち続けたいものである。「北朝鮮バッシング」しかり、「イラク問題」しかり、「オウム」しかり、「鳥インフルエンザ」しかり・・・。 一連の「オウム事件」にしても、すべてを「オウム」に押しつけるのではなく、現代社会に生きる一人ひとりに突きつけられた問題としての視点をも持ち、その正体を突き止める覚悟が求められているようにも思われるのだ。
どうも風邪が治らず、動くのも億劫な休日の今日。それでも、笠井叡さんも出演される「ダンス・オペラ」を観に、知立市文化会館まで行った。 このダンス・オペラ、2部構成になっており、1部は楽器演奏とソプラノ歌手の歌をバックに2人の女性ダンサーによる踊り、2部は楽器演奏と弁士の語りに、笠井叡さん他男性ダンサーの踊り、という構成であった。 1部はそれなりに面白くはあったが(2人のダンサーが伸びやかに踊っていた)、2部が私にはまったくつまらない内容に思われた。笠井さんの持ち味がほとんど生かされていない、他のダンサーが特に素晴らしかったというわけでもなく、ほとんど見せ場もないままに終わってしまったという印象だ。何より笠井さんのダンスを楽しみにしていっただけに、肩すかしを食った感じだった。 もともと風邪で気分が悪かったのが、さらに悪化してしまったような・・・。特に熱が出るわけでもないが、この何とも言えないだるさ、早く治したいところである。
NHK教育テレビで詩人・山之口獏の特集が放送されていた。何でも昨年が獏さんの生誕100周年にあたるとのこと。獏さんの詩からはその貧乏生活が垣間見られるが、その貧乏生活をとても大らかに歌い上げてもいる。窮乏生活のなかでも生まれ故郷・沖縄のことは忘れなかったこと、金子光晴との親交、また今日高田渡や佐渡山豊といったフォーク・シンガーがライブで曲をつけ歌っていること、などが番組の中で取り上げられていた。 実は、私が山之口獏という詩人を知ったきっかけは、高田渡の曲「生活の柄」「鮪に鰯」であった。それらの歌はまさしくフォークソングであり、ブルースであり、ソウル・ミュージックであり、つまりは「民衆のたましい」がこめられた肉声であると私は確信を持ったのだ。長らくそれらの詩が高田渡の詩だと勘違いしていた私だったが、山之口獏の詩であると知って獏さんという人物に強い関心を抱いたものだった。特に「鮪に鰯」という詩は秀逸だ。ごくありきたりの庶民の食卓の話から一挙に「核問題」にまで話が転換してしまうのだから。その転換の見事さはなかなか真似のできるものではない。少し長くなるが、「鮪に鰯」を引用してみるので、その世界をぜひ堪能してほしい。
鮪の刺身が食いたくなったと 人間みたいなことを女房が言った 言われてみるとつい僕も人間めいて 鮪の刺身を夢見かけるのだが 死んでも良ければ勝手に食えと 僕は腹立ちまぎれに女房に言った 女房はプイと横に向いてしまったのだが 女房も亭主もお互い鮪なのであって 地球の上はみんな鮪なのだ 鮪は原爆を憎みまた水爆には脅かされて 腹立ちまぎれに腹立ちまぎれに 腹立ちまぎれに現代を生きているのだ ある日僕は食膳を覗いて ビキニの灰を被っていると言うと 女房は箸を逆さに逆さに持ちかえると 焦げた鰯の焦げた鰯のその頭をこづいて 火鉢の灰だとつぶやいた
今月は「詩のあるくちびる」にも「ぽえ茶」にも出られないので、今夜の「詩の夕べ」には出ておきたかった。職場から急いで千種のオーガニック・レストラン「空色曲玉」へと向かう。まずは雑穀を使った料理と玄米コーヒーを注文し、腹ごしらえ(「スローフード」ですな)。 夕食が済んだところで、いよいよ朗読だ。私は、『イスラエル兵役拒否者からの手紙』のなかの一節を朗読した。「パレスチナ紛争」によってパレスチナ側、イスラエル側の双方に数え切れないほどの犠牲があった。憎悪がさらなる憎悪となって復讐に次ぐ復讐を呼んだ。問題はどんどん複雑になり、今世紀に入ってから特に混迷の度が増している。もちろん複雑な問題は含んでいるが、多くの場合イスラエル軍の蛮行が「イスラム原理主義者」(この言葉自体、イスラエルやアメリカの側から作りだしたレッテルなのだ)による「自爆テロ」などを誘発し、紛争の火種を作りだしてきたと言ってよいだろう。「パレスチナ人を踏みつけるのは私の任務ではない」と自らの良心に従い兵役を拒否した者たちの言葉は、美しい一編の<詩>として私の心に響いてくる。兵役拒否者たちの言葉の美しさを何とか表現できないものかと朗読してみた。 その後、ひととおり朗読がなされたが、どなたの朗読もそれぞれにユニークで面白かった。朗読が一巡したところで、参加者全員による自己紹介があった。私の番がまわってきたところで、こんどは自己紹介を兼ねて私自身の最新作「嵐を呼ぶ女よ!」を朗読。この詩は、女子総合格闘技17戦無敗のしなしさとこ選手に書き送ったものだ。そのまま「飲み会」になだれ込み、格闘技や70年代フォーク、芝居や詩などの話で盛り上がった。 というわけで、満ち足りたひとときを過ごした、今宵の「詩の夕べ」であった。
2004年02月16日(月) |
草間弥生、アラーキー、「中東発ハムレット」etc. |
午前、六本木ヒルズに行った。森ビル52階からの展望は最高だったね。でも、東京の景色を観に行ったわけじゃなくて、美術館に行ったんだ(この森美術館、夜は10時まで開いてるようなので、展望台とあわせてステキなデート・スポットになると思うよ)。で、前衛芸術家・草間弥生の作品展「クサマトリックス」と、無名ゲイジュツ家たちによる実験的作品群を観た。全部観てまわると非常に疲れたが、面白かったよ。 例えば、草間作品のひとつ、「水上の蛍」。真っ暗なミラールームのなかに小さな電球(?)がいくつもいくつもつり下げられて明滅を繰り返している、そのなかを鑑賞者が通り抜ける、というもの。暗闇に浮かぶ多数の蛍、そのなかを漂う私、という感じはした。光が乱反射するなかを進み、出口を探すが、行けども行けども鏡にぶつかり、迷宮に入り込んでしまったかのようだった。これなどは、「作品」のなかに鑑賞者である自分自身が入ってしまうという奇妙な構造になっている。なかば強制的に作品に参加させられてしまうわけで、疲れるには疲れるのだが、新鮮さもあって十分に楽しんだ。
午後、新宿のエプサイトというギャラリーで開催中の、写真家アラーキーこと荒木経惟の展覧会「色情花」を覗いた。ペイントされた花が被写体となっているが、この人の写真はどうしてこうもエロティックなんだろうって、いつもながら思わされる。なまなましい花の輝きに、<写真>(「真を写す」)を感じた。 ついでに、その隣のギャラリーでやっていた「小笠原の自然」を映し出した写真展(海中写真が多数あった)も観てきた。
夕方からは、新宿・パークタワーホールにて、クウェートの劇団、スレイマン・アルバッサ−ム・シアターカンパニー公演『アル・ハムレット・サミット』を観た。『ハムレット』をモチーフに、今日のイラク情勢、中東情勢を盛り込んだ作品であり、非常に風刺が効いていた。アラビア語での上演のため字幕を追ったり、舞台上のスクリーンに映し出される映像を追ったり、役者たちの動きを見たりと、忙しくはあったが、非常にテンポもよく、面白い仕上がりとなっていた。伝えられるべきメッセージも観客にしっかりと届いたことだろう。役者の演技、照明・音響(生演奏も含まれていた)・映像などの効果も非常に好感の持てるものだった。演劇に対する真摯な取り組みを感じたが、その背後にまた今日の中東地域が抱える「問題」への姿勢をも感じた。
終演後、東京駅へと急ぎ、最終の名古屋行き新幹線に乗り込んだ。明日からまた仕事だ。スイッチの切り替えをうまくやっていこうと思う。
2004年02月15日(日) |
「ことばの国の音楽」 |
宿直の仕事を終えたその足で上京。 まずは、池袋にある東京芸術劇場・小ホール2で上演の、横浜ボートシアター公演『神だのみ』を観劇。横浜ボートシアターと言えば、数年前にNHK衛星放送で放映された『小栗判官照手姫』がとても素晴らしかった。仮面劇として演じられたその芝居は「アジア的」とも言うべき劇的空間を作り出し、神秘的な舞台を展開していた。だからこそ今回の公演に対する期待は大きく、宿直明けにもかかわらず出かけていったわけだ。 『神だのみ』という今回の公演は、「ハイエナ」「智恵」「歳月」の3編からなるオムニバスであった。結論から先に言えば、これが期待を大きく裏切る出来だった。特に「ハイエナ」に出演の役者はセリフがまるでなっておらず、身体のキレも非常に悪く、素人の芝居を観ているかのようだった(「こちとら、4千円も払っているってえのに、そりゃねえだろ」って、いくら温厚な私でもキレそうになったぜ)。「智恵」は多少マシだったものの、こちらは依然として物語に入り込めないままだ。ピアノやパーカッションの生演奏もついていたけど、肝心の芝居がこれじゃあね。 3編目の「歳月」は、長い歳月を連れ添った老夫婦の話。ふたり芝居だ。これがせめてもの救いであった。それまでの2編とはうって変わって、観ている側も物語にしっかり入り込めた。味わい深い演技で、まさに「歳月」を感じさせる仕上がりとなっていた。良質な「新劇」を観たような印象とでも言ったらよいだろうか。 今後の横浜ボートシアターだが、7月に『小栗判官照手姫』を再演するという。今回の公演を観た後では「観ないほうがいいかも」という思いにもとらわれるが、気を取り直して観てみたいような、複雑な心境だ。
終演後、下北沢の「ラ・カーニャ」というお店に移動。友部正人プロデュース『ことばの国の音楽』(ミュージシャンと詩人によるポエトリー・リーディング)というライブを観た。出演は、友部正人、宮沢和史(ザ・ブーム)、谷川俊太郎、他。谷川さんはさすがにうまかったし、友部さんと宮沢さんのコラボレーションというのも贅沢だったし、他の出演者もそれぞれにユニークで、とても楽しいひとときを過ごした。 ことばが音楽であるような、音楽がことばであるような、そんなステキな詩的な表現が展開されていたように感じた。 そう言えば、下北沢の駅までの道すがら、柄本明とすれ違ったぞ(あれは、柄本明に間違いない)。心地よい気分のまま、新宿のビジネスホテルに向かった。
午前、銀座・ニコンサロンに、小林伸一郎写真展を観に行った。「廃墟」の写真を撮り続ける小林だが、今回の写真展では「軍艦島」が取り上げられていた。「廃墟」という場所が放つ不思議な空気が、写真からも感じられた。
午後、アートスフィアで上演の『狂風記』を観に行った。石川淳の長編小説(原作は読んだことはないけど、石川淳『焼け跡のイエス』は面白かったよ)が市原悦子主演で舞台にかけられるという。そこに、「大駱駝艦」(「暗黒舞踏」の)や「花組芝居」(「ネオ歌舞伎」の)の役者も絡むとあって期待はふくらむ。それでもって、私の席は「特別舞台席」、つまり「舞台上」にあり、役者はすぐそこに見える。ただ、後ろ向きの角度で見ることが多いのだけれど。 この芝居、やや難解で、市原を観に来たとおぼしき年輩の方々には評判がよくなかったようだ。わたしは、そこそこ面白く観られたけどね。「大駱駝艦」や「花組芝居」の役者が加わったことで芝居の幅が広がったことは確かだし、市原も好演していたと思う。というか、市原は舞台でこそ輝く役者ではないかと感じたね。ただ、石川淳の世界が十分に表現されたとは言い難いように思われたね。
終演後は東京駅へと向かい、おにぎり等を買い、「のぞみ」に乗り込んだ。明日からまた日常に戻っていくが、満ち足りた気持ちで名古屋に戻ることができた。今回の観劇旅行での何よりの収穫は、H・アール・カオスのステージを観ることができたこと、かな。それと、女子格闘技のしなしさとこ選手の闘いぶりには「アート」を感じたね。 旅は終わった・・・。けれども、次の旅をまた思い描いてしまう私であった。
2004年02月08日(日) |
「KASANE」、女子格闘技etc. |
午後2時から下北沢・本多劇場で上演の、THEガジラ公演『KASANE』(鐘下辰男・作・演出)を観た。鶴屋南北の「かさね」をモチーフとした作品、そして若松武(かつて「天井桟敷」の役者でもあった)が出演するとのことで、ぜひ観てみたいと思っていた。 民間伝承としての「累(かさね)伝説」とそれに題材をとった南北の『かさね』、そのいずれにおいても語られることのなかった隠された真実があったのではないか。鐘下は『KASANE』のなかでそう問いかけ、日本の村落共同体の、日本社会の体質を追及しようとした。そこに「差別」や「戦争責任」などの問題も浮き彫りにされる。面白くはあったのだが、やや理屈っぽさが鼻につく感じがあってあと一工夫ほしいところだった。
終演後、急いで「ディファ有明」へと向かう。そこでは、女子格闘技イベント「ラブ・インパクト」が旗揚げ興行を行っている。 午後5時すぎに「ディファ」に到着、すでに「第3試合」まで進んでいた。 「第4試合」の「フルコンタクト空手マッチ」から観戦する。17歳の女子高生ファイター・小林由佳選手が松川敬子選手を判定で破った。勝利がコールされると、小林選手は試合中の真剣なまなざしとはうって変わって、あどけない表情に満面の笑みを浮かべた。 「第5試合」、セミ・ファイナルは、女子プロレスのAKINO選手と、2003年スマックガール・ミドル級チャンピオンの菊川夏子選手の一戦。1ラウンド51秒、AKINO選手の右ストレートが菊川選手にヒットし、KO勝利。総合格闘技って、ホントあっけなく終わってしまうんだよな。 さてさて、本日のメイン・イベントは、サンボ世界選手権銅メダル、総合格闘技負けなしの14連勝中という実績を持つしなしさとこ選手に、永易加代選手が挑む。1ラウンド3分17秒、しなし選手が腕ひしぎ逆十字固めを決め、永易選手を破る。これで連勝を15にまで伸ばしたわけだ。 その後、しなし選手の祝勝会場になだれ込み、ほろ酔い気分で新宿のビジネスホテルに戻っていった。 まだまだ発展途上の女子格闘技だが、しなし選手らの活躍とともに、どんどん盛り上がってくることを期待したい。
2004年02月07日(土) |
ピンク・フロイド・バレエ、H・アール・カオスetc. |
宿直明けの今日、ちょっとだけ自宅に寄ってから、東京へと出発した。またしても、東京観劇旅行だ。
まず、今日の1本目は、NHKホールにて3時開演の『ピンク・フロイド・バレエ』だ。ピンク・フロイドの音楽(一時期俺もピンク・フロイドにはまった)に乗せてのバレエの上演、ローラン・プティの振付で牧阿佐美バレエ団がステージを展開する。草刈民代、上野水香といった日本を代表するバレリーナも出演するということで、期待が高まる。 実際はどうか。確かに技術的なレベルの高さは感じたのだが、何か物足りなかった。ピンク・フロイドの音楽に拮抗するだけのバレエが観られなかった気がする。ローラン・プティの振付があまり好みではないということなのかもしれないけど。でも、群舞の振付は面白く感じられたし、公演のなかで群舞(『吹けよ風、呼べよ嵐』)はなかなか迫力があった。まあ、逆に言えば、ソリストの踊りはあまり印象に残らなかったわけで、それじゃまずいよね。俗っぽいことを言ってしまうと、チケット代1万3千円はちと高い気がした。
さて、公演後夕食を済ませて、世田谷パブリックシアターへと向かう。そこでH・アール・カオス公演『人工楽園』を観る。コンテンポラリー・ダンスの公演だね。 これがとにかく凄かった。面白いを通り越して、俺には<衝撃>だったね。 ダンス・テクニックの高さといい、力強く烈しい動きといい、官能性あふれる美的センスといい、奥深い物語性を感じさせる構成力・演出力といい、とにかく圧倒されっぱなしの70分だった。「他の追随を許さない」という言葉がふと頭に浮かんだ。H・アール・カオスのステージ、ぜひ体験してみてほしい(またしても俗っぽいことを言ってしまうが、チケット7千円がとても安く感じられた)。 こんなステージを観てしまうと、もう生半可な芝居やダンスは観られないよな。余韻に浸りながら、新宿・歌舞伎町のビジネスホテルへと向かった。
2004年02月05日(木) |
パリ・ルーヴル美術館の秘密 |
今池・シネマテークにて、映画『パリ・ルーヴル美術館の秘密』を観た。 所蔵点数約35万点、常設展示されているものだけでも約3万6千点という「美の迷宮」ルーヴル美術館。華やかな展覧会は多くのスタッフの仕事によって支えられている。美術館において主役は美術作品、スタッフは黒子に徹する。その仕事の多くはハードな肉体労働だ。そうしたスタッフの仕事があって初めて美術作品が私たちの目に触れることになるのだ。 まあ、演劇にしてみても、裏方の存在なくしては成立しないよね。表面には現れてこない裏方の人々の息遣いに触れてみることで、また違ったものが見えてくる。 美術館の「裏側」にカメラが入り、そこでの「現実」を切り取ってみせる。この映画は、とても貴重なドキュメンタリー作品となった。
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