2003年12月30日(火) |
東京観劇旅行・おまけ |
「祭りのあと」の巻
「旅」は終わった。 「キダム」の会場で購入した「サルティンバンコ」のビデオを観た。まあ悪くはないのだが、何だか予定調和的でいまひとつ面白さに欠けるような気がする。「キダム」が良すぎるとも言えるのだが・・・。
さてさて、今年観た演劇・イベントを勝手にランクづけしてみた。1位は「キダム」で決まり。次いで2位がスーパー一座師走歌舞伎「二人吉三恋半鐘」、3位が万有引力公演「奴碑訓」。で、特別賞が、ローリング・ストーンズと大野一雄といったところだ。役者で素晴らしかったのが白石加代子と市村正親。笠井叡からは目が離せない。また、かつて共演したこともある間瀬礼章(スーパー一座)は日々進化を続けているようだ。 もちろん「pHー7」の舞台にも大いに期待している。
既に来年の観劇の予定も詰まっている。2003年は間もなく終わる。いろいろと辛い出来事もあったが、悪いことばかりでもなかった。来年こそはぜひ実り多き年にしたいものだ。 その前に、大晦日から元旦にかけて、私は「宿直」の仕事だ。ということで、今年の日記はここで終了。どなた様もよいお年を!
2003年12月29日(月) |
東京観劇旅行・其の4 |
「キダムは凄い!」の巻
午前中は、ホテルのチェックアウト・タイム(午前10時)ギリギリまでゆっくりして、新宿をブラブラ。昼食後、原宿まで移動して「キダム」を観る。実は、昨年の名古屋公演(と言うか「稲沢公演」)でも一度観ているので、今回は2回目。初回の新鮮さはないものの、次々に繰り出される超人的な技の数々には目を奪われる。神業としか言いようのないことをこともなげにこなしてしまうところがまた凄い。 「両親が忙しくしてかまってくれない少女が、ある日顔のない男と出会ってミステリアスな世界に誘い込まれる」という設定で、ストーリーが展開されている。見た目は「劇団四季」のミュージカルのようでもあるが、その面白さは「四季」など比較の対象ですらない(チケット代は同じような設定なので、「四季」を観るくらいなら、その分余分に「キダム」を観ることをお薦めする)。 「キダム」はぜひ一度生で観ておくべきだと思うよ(ビデオでも観てみたが、やはり生の感動に勝るものはない)。
「キダム」を見終わってからは渋谷まで公園通り、センター街などを散策。年の瀬の渋谷は大いに賑わっていた。新宿の雑踏とはまた雰囲気が違い、「若者の街・渋谷」という色彩を感ずる。
渋谷から井の頭線で下北沢に移動。「ザ・スズナリ」という小劇場で公演中の芝居、阿佐ヶ谷スパイダース『ともだちが来た』を観る(目下売り出し中の小劇場系劇団の芝居も観ておきたいと思ったものだからね)。原作は鈴江俊郎(京都の「劇団八時半」主宰)、演出は中山祐一朗。長塚圭史(父親の長塚京三に雰囲気はよく似ていた)と伊達暁の二人芝居である。どことなく「静かな演劇」をも思わせる芝居で、まあまあ面白くはあったが、私の好みではないな。それに、「キダム」とか「奴碑訓」とか面白いものを観た後だったから尚更霞んでしまった感じだね。
芝居が終わってからは、急いで東京駅へ。夜8時台の新幹線で名古屋に戻る。家に辿り着いたのが夜11時頃。それにしても4日間よく遊んだものだ。 2003年も間もなく終わる・・・。
2003年12月28日(日) |
東京観劇旅行・其の3 |
「寺山は偉大だ」の巻
午前、渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」へ「棟方志功」展を観に行く。青森が生んだ天才と言えば、太宰治、寺山修司、高橋竹山などがあげられるが、棟方も青森出身の天才「板画」家(棟方は自らを「板極道」と呼んだ)と言うべきだろう。極度の近眼というハンディキャップを持ちながらも、それを微塵も感じさせない作品群。大胆かつ奔放なエネルギーがあふれんばかりの棟方の作品群だが、青森のねぶた絵に通ずるものを感ずる。その一方で、繊細さも感じられ、代表作「釈迦十大弟子」等の作品は深い精神性に彩られている。また、棟方の作品には、「書」を取り入れた板画も多い。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を盛り込んだ「不来方板画柵」は、賢治の詩世界と棟方の板画世界とが絶妙なバランスで表現された作品だ。 ほんの短い時間ではあったが、棟方の板画世界に浸ることができた。
渋谷から電車で「新国立劇場・中劇場」へと向かう。一昨日「小劇場」で桃花村舞踊公演を観たばかりだというのに、再び同じ場所に戻ってきてしまった。午後2時開演の万有引力公演「奴碑訓」(寺山修司原作)を観るために、30分前に会場に到着するようにした。開場が1時50分頃だったので、少し待たされたけどね。 開場とともに客席に入ると、舞台上ではすでに寺山ワールドが展開されている。2時過ぎから2時間弱の上演だったが、とても面白かったね。まずは、原作のよさは言うまでもない。それから様々な仕掛けと演出の妙。特に「暗闇」と「火(照明のひとつとしての)」の使い方が見事だった。役者も絶妙なタイミングでよく動いていたよ。 私は一人で勝手に「キダム」の「アングラ版」などと評しているが、サーカスというよりはいかがわしい「見世物」を見せられているかのような、イケナイものを覗き込んでしまったみたいな(後ろめたい思いの一方で言いしれぬ快感を覚えるみたいな)印象を持った。 とにかく面白かったわけだが、この面白さってのは寺山によるところが大きいのではないかとの感想も持った。唐十郎の「状況劇場」を引き継ぐのが「唐組」「新宿梁山泊」だとすれば、寺山の「天井桟敷」を引き継ぐ劇団は「万有引力」ということになろう。その意味でも「万有引力」には大きな期待を抱いている。次回以降観る時にも本当に面白いものを見せてもらえるよう念願したい。
さて、そこから新宿まで出て臨海副都心線で「国際展示場駅」まで移動。ディファ有明で開催される「SAEKI祭り」(格闘技団体「DEEP」によるプロレス・イベント)を観に行く。今回は大阪プロレスのスペル・デルフィンとえべっさんが参戦し大会を大いに盛り上げた。また、しなしさとこ選手(2000年サンボ世界選手権銅メダリスト。「スマックガール」という女子総合格闘技の場でも活躍していた)がきびきびした動きで観客を魅了していた。その他のカードもなかなか見応えがあって面白かった。観客動員数はざっと400程度と見たが、イベントの面白さは大晦日の3大格闘技イベントに劣らなかったのではなかろうか。
この3日間、本当に楽しい「旅」を続けているが、さすがに疲れてきている。しっかりと疲れは取り去っておかなくては。明日は明日で楽しんで、でも明日中には名古屋に戻るゾ〜。
2003年12月27日(土) |
東京観劇旅行・其の2 |
「バ・ク・ハ・ツだ〜!」の巻
新宿で一夜を過ごした私、ホテルを出て朝の歌舞伎町を通り抜けていく。この街は、あくびを押し殺しながら気怠そうな表情を浮かべているかのようだ。そんな澱んだ空気も決してキライじゃないんだな。 午前中、川崎市岡本太郎美術館へと向かう。現在ここでは「肉体のシュルレアリスムス 舞踏家土方巽抄」という展覧会が行われている。常設展の岡本太郎作品にせよ、暗黒舞踏の創始者・土方巽にせよ、強烈な個性とともに大きな衝撃となって私たちに迫ってくる。枠に収まりきらない奔放なエネルギーが震えるような感動をもたらす。生前岡本太郎が言ったように、芸術は爆発だ!
川崎から急ぎ、東京は有楽町まで戻る。昼食を掻き込み、日生劇場に入る。蜷川幸雄・演出、市村正親・主演のシェークスピア劇『リチャード三世』を観るためだ。助演女優の一部が滑舌が悪く芝居のリズムを壊しているように感じられたが、蜷川演出は客を飽きさせることがなかった(客席通路から役者が登場したり、舞台中央に櫓を組んで空間を立体的にうまく使っていたり、随所に工夫は見られた)。 それより何より市村の好演が光っていた。市村演ずるリチャード三世は歌舞伎の悪役みたいな色気を感じさせ、とても格好良かった。それに、観客との距離を測りながら、決してツボをはずすところがなかった。やっぱり一流の役者は違うね。 シェークスピア作品が優れていることは改めて言うまでもないが、その権力闘争の描き方は秀逸。つまりは、人間に対する洞察力が鋭いってことでもあるんだな。 王族にありながら「かたわ」(片足をひきずる、つまりは軽度の身障者ってことだね)でもあるリチャードは、王位継承者を次々に殺害し、ついには自らが王位に就く。しかし、最後には戦いに敗れ、死を迎える。おおよそのストーリーはそんなところだが、リチャードは単に悪役として描かれているばかりではない。例えば、身障者でもあったリチャードに対する周囲のまなざしということにも、シェークスピアの目は行き届いていたようだ。
劇場をあとにして、私は電車で渋谷に移動。映画『サロメ』を観る。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は日本でもよく演じられる作品だと思うが、2004年春に、アイーダ・ゴメスの新作フラメンコ・バレエとして東京、大阪で上演される。フラメンコ上演に先駆けて映画版『サロメ』が上映されたというわけだ。映画に関しては、悪くはないが、さほど面白くもなかった。
映画終了時刻が夜の7時過ぎ。遊び人の私にとって、夜はまだまだこれから。山手線で新宿まで移動と思いきや、「山手線内での人身事故」のため原宿駅で足止めを食う。後の予定に間に合わないと判断し、電車を降り、タクシーで新宿・歌舞伎町へ急行。「ロフト・プラスワン」というライブハウスで行われる「キャットファイト」を観に行く。「キャットファイト」は「ふつう」の女性同士の戦いだが、プロレスとは似て非なるもの。エッチなシーンも少なからずあり、ショー的要素が強い(行ったことないけど、ゲイバーの雰囲気にちょっと近いかも?)。「ロフト・プラスワン」は、歌舞伎町「コマ劇場」の向かいにあるビルの地下2階、なんか場末の雰囲気というのか、見世物小屋に迷い込んでしまったかのような印象を持ったね。途中、マメ山田という俳優兼マジシャン(小人症でもあるのだが。蜷川演出の『身毒丸』などにも出演していたんだね)の手品も観ることができて、二重の喜びだった。 ショーが終わった後、まっすぐホテルに戻って、ひとっ風呂浴びる。あとはもう寝るだけ。明日もまた予定が詰まっているぜ。
2003年12月26日(金) |
東京観劇旅行・其の1 |
「美輪明宏さんに会ったゾー!」の巻
今日から5連休。心待ちにしていた東京観劇旅行(第1弾)を決行。昼過ぎに名古屋を出、新幹線で東京へ。 3時過ぎに東京着。その足で両国の江戸東京博物館に向かう。現在ここでは「平賀源内」展が行われている。源内と言えばエレキテルで有名だが、科学者・エンジニア・博物学者・文士エトセトラ、とにかく活躍の範囲は広く、まさに江戸のマルチタレントだったわけだ。その一方で鉱山開発等にも手を染め、結局は失敗に終わるということもあった。この展示会では、エレキテルの体験コーナーなんていうのもあって面白かった。常設展のほうも、江戸と明治以降の東京を体験的に見て回れる趣向となっており、なかなかに楽しかった。
さて、博物館を後にして、新宿御苑近くのビジネスホテルへと向かう。大学時代を東京で過ごした私だったが、月日は流れて15年。その間地下鉄の路線も増えて再開発されたりもして(新宿の都庁ビルだとか、お台場だとか)様変わりしたものよのう。 で、新宿御苑駅より宿に向かう途中、美輪明宏さんにバッタリ会ったのさ。あの通りの派手ないでたちで、私のすぐそばを通り抜ける。「美輪さんですよね」「私、ファンなんです」と話しかけたい衝動に駆られながら、ただただ行き過ぎるのを見送る私だった。でも、いいんだ。美輪さんを見かけたということだけでも、すごく得した気分だったからね(今回、美輪さんの舞台を観に来たわけじゃないんだけどね)。
ホテルには荷物だけ置いて、「新国立劇場・小劇場」へと向かう。桃花村(田中みん主宰)舞踊公演「人さらい」の上演だ。農耕民族的な身体の動き、とても土着的な匂い、アジアを感じさせるパフォーマンスが演じられた。面白いとは思ったが、私自身の嗜好とは若干ずれる気がした。その一方で、田中の踊りには何かしら惹きつけられるものを感じ、彼のソロを観てみたいとも思った。
公演を見終わってからは、トボトボと20〜30分かけてホテルまで歩く。夜の西新宿、周囲を高層ビルに取り囲まれ、まるで巨大な舞台セットの中で壮大な野外劇を演じているかのような錯覚に陥る。 東口に抜け、私はわざわざ歌舞伎町のなかを通っていく。この澱んだ空気、猥雑な雰囲気、少し疲れるけどキライじゃないんだよね。 すっかり遊びモードの私。都会を旅するってのは、癒される旅というのとは違うよね。日常と地続きの非日常。ちょっと疲れるけど、とても刺激的で、少しア・ブ・ナ・イ。でも、旅はまだまだ始まったばかり。いい夢見ながら、明日を待つとしよう。
2003年12月25日(木) |
クリスマス・イブそしてカウントダウン |
24日から25日にかけて、そして31日から元旦にかけて、私は宿直の仕事だ。でも、その代わりに、明日から30日までと、2日から6日まではたっぷりと休めるぜ。その間、実家(山梨)に里帰りもするが、ついでに東京まで足を伸ばして羽を伸ばすつもりだ。 桃花村(田中みん主宰)舞踊公演『ひとさらい』を手始めに、蜷川幸雄演出・市村正親主演によるシェークスピア劇『リチャード三世』、万有引力公演『奴碑訓』などを観劇。合間に、格闘技を観たり、首都圏の美術館などをまわる予定だ。そして、3日には待望の中島みゆきの『夜会』を観に行くんだ。詳細は、いずれまたリポートしよう(たぶん次の更新は今月29日か30日になると思います)。 それにしても、2003年は瞬く間に過ぎ去ったね。「またひとつ年をとるのか」とか「やり残したことばかりだ」などと思いつつ、「まあ、人生楽しくやりましょうよ」とも思う年の暮れである。
スーパー一座の師走歌舞伎公演「二人吉三恋半鐘(ににんきちざこいのはんしょう)」を観に行った。物語は、八百屋お七と小堀吉三郎、湯島のおかんと湯灌場吉三を軸に展開。休憩を挟んで三時間ほどの上演であったが、テンポよく決して見飽きることはなかった。とても面白く見応えのある舞台であった。 なかでも、おかんと吉三の悪役ぶりには色気が感じられ、非常に格好良くもあった。また、義太夫に合わせてお七が人形振りで動くシーンがあったが、「人形遣い」役の役者の動きとうまく連動して、まるで文楽の人形を見ているかのような錯覚にとらわれた(あれは相当な高等テクニックだと思う)。若手の台頭もめざましく、芝居全体がエネルギーに満ちあふれていた。 今年数多くの芝居を観てきたが、今日のスーパー一座の舞台は私のなかでは1位、2位を争うくらいの仕上がりであった。
2003年12月22日(月) |
今宵、ヌードの殿堂へ |
日中は部屋の片付け。少し片付いたけど、まだまだ先は長いね。要らなくなった本が沢山出てきたので、本を引き取ってもらおうと重い荷物抱えて鶴舞の古本屋に駆け込むが、「ほとんど買い取れない」とにべもない返答。しょうがなく、大須の「ブックオフ」で安く買い取ってもらう。それでも1,600円ほどにはなった。でも、そこからまた古本を2冊買っちまった。その後「吉野家」で夕食をすませ、自転車で家路を急ぐが、鶴舞劇場の前を通りかかり、はずみで入場してしまった。 ストリップ小屋に入るのはまったく初めて。狭い小屋にお客は皆男性ばかり。まあ、ストリップというものが世の男性の性欲のはけぐちのひとつと考えられているわけで、女性には敷居が高かろう。「性の商品化」批判という難問も立ちはだかっている。フェミニストたちの主張にはうなずける部分もあるが、すべてが納得できるということばかりではない。 確かに、ストリップを観に行く男性は、女性のハダカを見たいがために小屋まで足を運ぶのだろう。でも、ストリップの鑑賞のしかたというのは幾通りもあって、単に女性のハダカを見るというだけでなく、そのプロセスがいかに踊られ演じられるかということ、あるいはそれに対する観客(その多くは男性)の反応や劇場全体の雰囲気を感じるというのも面白い。踊り子によって個性もあって、つたない踊りながらアイドル路線で売り出しているとおぼしき女性もいれば、踊り自体に面白さを覚えた女性もいた。 踊り子は、舞台と舞台から客席にせり出した回り舞台とで踊り、コスチュームを脱ぎ、観客の前に生身のハダカをさらけ出す。生身のハダカとそれに注がれる視線とがその場の空気を濃密にし、音響と照明がさらに効果を高める役割を果たす。 むかしむかしアメノウズメが天の岩戸の前でエロティックな踊りを踊ったのが日本最古のストリップとも言われ、それが演劇あるいは芸能の起源とも言われている。そんなことを思いながらも、ステージで踊る踊り子を新鮮な思いでみつめていた。
宿直明けの今日、眠気と疲れを引きずりつつも、「ぽえ茶」(詩の朗読会)に出掛けた。今回は、自分で勝手に「反戦」というテーマをひっさげて、ギター片手に乗り込んだ。参加者が少なかったので、4回発表の機会が与えられ、8編の「詩」を「朗読」した。 1巡目は、ザ・ブームの「空想の戦場」「帽子の行方」の2曲を、ギター演奏しながら、歌った。 2巡目では、ボブ・ディランの「風に吹かれて」。まず日本語訳の朗読、その後ギター演奏とともに歌った。 3巡目は、最初に「凱旋」(先日イラクで起きた日本人外交官殺害事件をモチーフとした、夏撃波自作の詩)を朗読、その後でギターとカズーの伴奏をつけながらブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザU.S.A.」の日本語訳を朗読した。 4巡目では、山下達郎の「クリスマス・イブ」から発想を得た、これまた「クリスマス・イブ(夏撃波版)」(達郎オリジナルとは全く別物の詩となった)という反戦詩の朗読と、おまけに寺山修司の「力石徹よ」という「詩」の朗読を行った。 というわけで、今年最後の「朗読会」を心ゆくまで楽しんだ。
2003年12月19日(金) |
何だって俺、踊ってるんだ? |
菱田さんに渡したいものがあり、「pHー7地下劇場」に行ったのだが、気がつけば、菱田さんの振付でダンスをしていた(実際には、動きについていくのに精一杯で「ダンス」と呼べる代物ではなかったのだが)。でも、声を出したり、身体を動かしたりするのは、とても気持ちいい。おかげで、後のビールがとてもうまかった。
2003年12月17日(水) |
韓国アングラ演劇の夜 |
ソウル(韓国)から名古屋(千種文化小劇場)に「劇団チャンパ」がやってきた。今回の上演作品は、ハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』。セリフを最小限に絞り込み、韓国の独特の歴史・文化を盛り込みながら、身体表現を前面に押し出す演出が見られた。暗黒舞踏を思わせる動きも随所に見られ、面白く鑑賞できた。「劇団pHー7」の舞台ともどことなく通ずるものを感じていた。 外国の劇団を観るのも、これはこれで面白く、知らず知らずのうちに文化交流になっているようにも思われた。
2003年12月16日(火) |
やっと重い腰を上げた |
年の瀬だからいうわけではないけど、部屋の片付けを始めた。今の所に越してから、いろんなものをため込んでしまったんだな。とりあえず、散らかし放題だった本やCDを収納したりして・・・。まだまだ先は長いけど、千里の道も一歩から。年明けにかけて、部屋の模様替えもする予定。年明けとともに、夏撃波の「秘密結社暗黒武闘派」空想空間を開設するぜ!
今日は宿直明け。家に帰ってまずはお昼寝。 夕方に目覚め、自転車で東別院方面のホームセンターに買い物に出掛けた(部屋の片付けにあたって必要なものがあったので、ね)。で、帰り道、荒畑あたりで小さな楽器店を見つけたぜ。ギター、バンジョー、マンドリンが並ぶなか、私の他にお客さんはなく、自然に店長さんと話すことになる。店長さんはブルーグラスがお好きのようで、楽しそうに、それはそれはいい表情でお話しになっていた。素晴らしいことだと思う。私も少しいい気分でそのまま家に帰った。
今宵、大須のライブハウス・OYSで「バンドvs詩人」というイベントが開かれた。詩人仲間からのインフォメーションでその情報を得、会場に足を運んだ。 イベント自体は悪くはなかったのだけれど、不満な点もいくつかあった。ひとつは、ないものねだりだとは思うが、詩人とバンドがコラボレートしてほしかった。めいめいが一切絡むことなく発表していた感じだったからね。もうひとつ、これが実は一番の不満な点なのだが、参加バンドの多くが<詩>とか<言葉>というものをあまりに軽視している(本人達には自覚はないかも知れないが)という点である。まあ、そんなのは今回の参加バンドに限らず、日本のミュージックシーンにおいてはさほど珍しい現象ではない。むしろ、<言葉>をも含めた<音楽>と真剣に格闘しているアーティストのほうが珍しいと言うべきであろう。 日本には数えきれないほどのバンド(プロ・アマを問わず)が存在している。名古屋・栄あたりでやってる演奏を聴く機会はあるけど、「これはいい」と思えるようなバンドはあまりないね。多くの場合、演奏技術はそこそこあるものだから、逆に「歌詞」が邪魔くさくてしょうがない、加えてボーカルが下手(「楽器演奏だけで勝負しなよ」と余計なおせっかいを焼きたくなっちまう)というパターンだね。 少なくとも「歌詞」で自分たちの価値を落とすような愚にもつかぬことだけはやめてくれ、と詩人の端くれとしてバンド関係者に伝えたい。 そう言えば、OYSというライブハウス、ステージと客席とが一体感を持ちやすい感じで、なかなかいい雰囲気を持った場所だと思ったよ。
「バンドvs詩人」に向かう少し前、私は名古屋市美術館にいて、素晴らしい芸術作品と対面していた。いま「フリーダ・カーロとその時代」展が開催されている。フリーダ・カーロをはじめとするメキシコのシュルレアリストたちの作品は、鮮やかな色彩に彩られ、生命力が満ちあふれ、幻想的な美をたたえている。現実と非現実がないまぜになったような不思議な光景が描き出され、観る者を神秘的な世界に誘っていく。言い表しがたい感動にうち震えた私であった。期間中にもう一度ぜひ観に行こうとさえ思った。 実は、私、この展覧会を観るにあたって、お金を一切払っていない。と言っても、決して不正を働いたわけではない。美術館の入口で見知らぬおばさまに呼び止められ、「チケット(招待券)1枚余ってますから、よろしかったら使って下さい」と手渡されたのだった。とても得した気分だったな。あっ、実際に得してたね。 この展覧会、本当にいいからさ、ぜひ観に行くことをおすすめするよ(今月21日まで開催)。
2003年12月08日(月) |
(WAR IS OVER) |
今日は、23年前ジョン・レノンが凶弾に倒れた日(古くは、日米開戦の日でもあるが)。街角ではクリスマス・ソングが流れるこの時期、ジョン・レノンの「Happy Xmas(War is over)」(「Imagine」と同じく反戦メッセージがこめられた名曲)も定番のひとつになっている。ジョンは、この歌のなかで、「戦争は終わる みんなの力で 戦争は終わる 今すぐ」と歌っている。
先日、イラクで日本人外交官2人が殺害される、痛ましい事件が起きてしまった。2人の無念さ、遺族の悲しみは想像するにあまりある。だが、この間の政府の対応などを見ていると、2人を「国家の英雄」として美化し、2人の死をこの際最大限に利用しようと目論んでいるようにしか見えない。2人の外交官は小泉政権の失政(「ブッシュの戦争」に荷担した)の被害者であると、私は認識している。
それから、イラクへの「自衛隊派遣」問題について。「イラクは危険だから行くべきではない」という「慎重派」の論調(それに対する「推進派」のごまかしも含めて)には少し違和感を覚えてしまうのだ。いや「危険・安全」の論議はもちろんあっていいのだが、その前に「イラク復興」ということに対する思想とか姿勢の部分を第一に問題にすべきではないかと思うのだ。 「支援」を行う際に最も必要とされるべきは、「支援される側」の心情に想像力を働かせるということではなかろうか。そして「支援される側」が本当に必要としているのは何かということを突き詰めて考えたうえで、「支援」の方法・手順等についても最適なものを選択し「支援」を行うべきではないか。つまりは、それが「誰のための支援」なのか、常に出発点に戻るべきなのだ。 その点から言えば、いま小泉首相が推し進めようとしている「自衛隊派遣」が、イラク民衆への「支援」などではなく、「イラク支援」に名を借りたブッシュ、アメリカへの「支援」でしかないのは明白であろう。イラク民衆の目線に立った「支援」という発想から論議を積み重ねた結果が「自衛隊派遣」という結論に結びついたとでもいうのなら、小泉首相はそれを国民にしっかり説明すればいい。まあ、説明できないからごまかすのだろうけどね。反対する側にしたって、論点がずれているんだよ。 結論的に言ってしまえば、「自衛隊派遣」はイラク民衆にとっても日本国民にとってもマイナスの結果しかもたらさないということだ。そして、悲しいかな、犠牲になるのは、為政者などではなく、名もなき人々だ。これ以上、犠牲を増やさないためにも、他の「支援」のあり方を模索すべきなのだ。
またまた京都までダンス公演を観に行っちゃった。今日は、麿赤児(まろ・あかじ)率いる大駱駝艦の公演だ。先月同じ劇場(京都芸術劇場)で観た笠井さんのダンス・ソロとは(同じ舞踏とは言っても)印象が違ったね。笠井さんの場合、もちろん演出されてはいるのだが、彼のダンス自体に魅了されるところが大きいと感じられる。一方、大駱駝艦は個々人の踊りそのものというよりは集団全体が醸し出す雰囲気に圧倒されるとでもいうのだろうか、演出力によって質の高い舞台になっているという印象を持った。麿さんの踊りにしても、踊りそのものというよりは彼の 際立った個性に圧倒されるという感じ(麿さんからは、「ダンサー」というよりは突出した「役者」という印象を強く受けた)。どことなく「pHー7」の美意識とも通ずるような感じを持ったね。 せっかく京都まで行くのならということで、観劇前に京都観光を少し。今回は、三十三間堂(千一体の千手観音像が一堂に並んでいるのは壮観だね)とか詩仙堂(枯山水の庭園は時の流れを忘れさせてくれる)とかを観てまわった。 日帰りとはいえ、よい休日を過ごすことができた。
2003年12月03日(水) |
イラクに始まり、イラクに終わるのか? |
2003年も暮れようとしている。今年は、イラク問題に始まり、イラク問題に終わる1年だったとも言えそうだ(もちろん、紛争地帯はイラクだけではないのだが)。幾千万もの反戦の声を無視してブッシュが始めた戦争を小泉は支持したけれども、いったいどこまでついていくつもりなのか。過った方向に進もうとしているアメリカにブレーキをかけるということも、友好国たる日本の役割のはずではないのか。それなのに現状は、混迷するイラク情勢に対して、思考停止・判断停止に陥っているとしか思えない。 ブッシュも小泉も「テロとの闘い」などと口にするが、「ブッシュの戦争」のどこを探しても大義などない。むしろブッシュや小泉の言う「テロリスト」の側にこそ大義があるのでは、とすら思えてくる。 戦争はいつ終わるとも知れず、死者は増えていくばかり。今日も戦争による犠牲を目のあたりにして悲嘆に暮れる人々がいることであろう。ブッシュや小泉らにはこの責任をとってほしいものだが、戦争を止められるのは彼らなどではなく、反戦市民の声でしかないように思う。
先日、熊本のホテルがハンセン病の元患者に対して宿泊拒否していた事実が報じられていたが、またしても徳島県市場町の宿泊施設が盲導犬同伴の宿泊拒否していた事実が明るみに出た。「差別」ということをあまりにわかりやすい形で表している2つのケースだ。人権感覚の希薄さにはただただ呆れるばかりだが、こんなことは氷山の一角にすぎないのかもしれない。差別というものはなかなかに手強いからね。
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