今年度のお勤めは、今日で終わり。職場を去る人たちとの別れを惜しんだ。それにしても桜がきれいで、いっそう悲しい思いにさせられた。 桜の花は、はかなげでそれゆえに美しく、悲しい。そして、忘れかけてた思い出を運んできたりする。その思い出は、琥珀色に輝いているよ。 満開の桜といえば、鶴舞公園。俺、昔、鶴舞に住んでたんだ。桜の季節には、満開の桜の下で、ギターを奏で、即興で歌ったもんさ。類は友を呼ぶってやつでI君(今は九州の大学で社会調査論を教えている)なんかとよくそんなふうにして遊んだよな。あれからもう10年もたっちまったんだな。鶴舞、俺にとって、あの街は「青春を置き忘れた街」なのさ。 いくつもの季節を過ごし、思い出をいくつも重ねていく。人も、人の世も、日々変わっていく。でも、花は毎年同じように咲き、宇宙は悠久の流れのなかにある。 人間なんてホントちっぽけな存在だよな。でも、俺は、俺が、俺として、俺らしくあるように、精一杯生きていこうと思うんだ。今は今しかないし、今この時を逃したら再び戻ることはない。一回限りのこの瞬間を、しっかりつかまえたいと思う。
2002年03月28日(木) |
曽根君は宮沢和史(THE BOOM)の親友か? |
「曽根君はブームの宮沢和史(ボーカルであり、バンドのリーダーでもある)の親友なの?」 ある人からそんなふうに聞かれたことがある。 皆さんはTHE BOOMというバンドをご存知だろうか。「島唄」「風になりたい」「帰ろうかな」等のヒット曲があるんだけど。彼らは山梨出身であり、そのうち宮沢さんは私の母校(甲府南高校)で、私の1学年上だった。関係としてはそれ以上でも以下でもない。そのことを誇張して他人に語ったこともない。ところが人から人に伝わるうちに話はねじ曲げられ、冒頭の質問を投げかけられるようになった。 向こう(宮沢さん)は恐らく私のことを知るまい。 でも、私のほうでは彼についての記憶がある。彼は、高校の学園祭でギター片手に松山千春の「青春」という歌を歌ったんだ。とにかくうまかった。でも、その彼が数年後メジャー・デビューを果たすことなど、その時は思いもよらなかったな。 もし、彼とあの頃何らかの接点を持てたとしたら、違った人生があったかも知れない。 甲府南高校ってとこは一応進学校ではあったけど、結構音楽好きな連中もいたもんだ。田舎の中学校出身の私からすれば、楽器できるヤツが多かったのには驚いたなあ。私自身は当時フォーク・ギターを持ち始めたばっかりで、何らかの曲が弾ける人間がまぶしく見えたものさ。 学園祭のこと、今でも思い出すけど、私には演劇発表の場でもあり(演劇部に所属してたからね)、音楽表現の機会でもあった。今日は音楽の話をしたいのだが。 クラス対抗で自作自演の音楽を競う合うイベントがあって、私は作詞とボーカルを担当することが多かったよ。あの時のタイトル、覚えてるよ。「白い黄昏」(歌詞を見た女の子に「曽根君、オフコース好きでしょ」って言われた)、「心の旅立ち」(チューリップ「心の旅」のパクリと言えなくもない)、「赤い傘」(後年友人から「ルビーの指輪」のパロディーみたいと指摘された)・・・。今から思い出しても楽しかったな。もちろん、あの頃はあの頃で悩みもあったけどね。 あの時の自分と今の自分との間に落差はあるかもしれないけれど、でもどちらも自分であることに違いない。これから私自身どう変わっていくのか、楽しみでもある。どこかにワクワクした気持ちを持ち続けたいと思う。それをひとことで言えば、夢、ということになるんだろうね。
2002年03月27日(水) |
花のある風景、花のある人生 |
職場近くの桜もほぼ満開状態。だけど、花をゆっくりと眺める余裕はないな。今年もやっぱり「吉野の千本桜」は観られないし(ちなみに俺、歌舞伎の演目で「義経千本桜」好きなんだよ)。 でも、花を観てホッとする瞬間て欲しいよね。俺は今2Kの賃貸アパート(1階)で一人暮らししてるんだけど、ちょっとした庭がついてるんだ。隣人は自分の庭を家庭菜園として利用している。俺も一時期は花壇を作って、花を植えたりしていたんだ。サルビアとかケイトウとかを愛でて喜んだりしてね。でも、だんだんその余裕もなくなってきちゃったよ。 花にもいろいろあるけど、それぞれに美しく、人を酔わせ感動させる不思議な力を備えている。泣きなさ〜い、笑いなさ〜い、いつの日かいつの日か花を咲かそうよ〜。
2002年03月25日(月) |
予定調和も悪くない? |
今日は会議(仕事)が意外と早く終わり、8時前には家に着いていた。無意識のうちにテレビをつける。どのチャンネルもバラエティー特番だったりする。やはり今日は疲れているんだろう。テンションが高い番組にはついていけない。こんな時は時代劇がいい。展開が読めてしまうのに、結構感情移入しちゃったりしてね。だからって時代劇なら何でもいいわけじゃない。「水戸黄門」なんか石坂浩二に代わってから見る気がしない(別に、石坂浩二そのものが嫌いなわけじゃないんだ)。配役ってかなりのウェートをしめるよね。「大岡越前」なら加藤剛の顔が浮かんでくるし、「暴れん坊将軍」は松平健だろうって思う。 でさ、時代劇でおすすめなのは、「鬼平犯科帳」じゃないかって思うんだけど。どことなく江戸情緒(フィクションだけど)を感じさせる筋書き、それとエンディング・テーマ(ジプシー・キングスによるフラメンコ・ギターの演奏)もなかなかしぶいからね。 それから、ついでに言えば、平日の朝から昼にかけて(世間の人々が働いてる時に、自分だけが休みで)時代劇の再放送を見るっていうのが、俺にとっては最高なんだ。現実感覚からどんどん遠ざかっていって、ちょっと自堕落かもしれないけどね。「大江戸捜査網」なんかやってた日にゃ、もうこたえられねえ。密命を受けた「隠密同心」は悪と闘う陰の存在、「死して屍拾う者なし」。江戸のハードボイルドってところかねえ。 同じ予定調和でも、「水戸黄門」みたいな偉い人ではなく、日陰の存在ってほうに惹かれるね。 予定調和も時にはいいんだ。でも、予定調和だけじゃ、つまんねえ。虚構も、現実も、ね。
2002年03月23日(土) |
「神の子たち」そして「折り梅」 |
今日は稽古が夕方からあるが、仕事は一日お休み。身体は休むことを要求していたが、気持ちは遊びたかった。結局気持ちのほうが勝った。気になる映画が2つほどあったので、はしごした。今日はその話をしよう。 1本目は、「神の子たち」(四ノ宮浩・監督)というドキュメンタリーだが、「忘れられた子供たち/スカベンジャー」の続編というべき作品であった。マニラのゴミ捨て場に暮らす人々の過酷な現実が丹念に映し出されていた。時に生々しく、時に淡々と。ゴミを拾い集めそれをお金に換えていくより他に生活する術を持たない人々。わが子を学校に通わせたいと思いながらも貧しさ故にそれができないと嘆く親がいる。一方で家族のためにと懸命に働く子供がいる。それでもお金がなくておかずが買えないときには、ごはんに塩をまぶして食べたり、1日1食ですませたりする。あらゆる生活の品々が慢性的に不足していたり、病気の治療もままならない。事故や病気で人も簡単に死んでしまう。そうした死と隣り合わせの生活のなかでも、人々は絶望することなく生き続けていく。たくましく生きる子供たちの笑顔がまぶしかった。 「ロジウラのマタハリ」にて昼食。 午後から2本目、「折り梅」(松井久子・監督)を観る。前作「ユキエ」でアルツハイマー病というテーマに取り組んだ監督が、再度アルツハイマー病をテーマに選び、実話をもとにドラマ化(ちょっと知ったかぶりでっせ)。嫁(原田美枝子)と姑(吉行和子)を軸にさまざまな人間模様が繰り広げられるのだが、ところどころで俺は涙腺が緩みがちだったよ。援助する側にまわる人間の苦労もあろうが、やはり病気の当人がいちばん辛いんだと思う。自分が自分でなくなっていく恐怖におののきながら生きていくことの辛さ。誰からも認められない存在になってますます生きづらくなってしまう、それはあまりに辛い経験ではないか。誰もがそれぞれに歩んできた歴史があり、固有名詞としての存在(「アルツハイマー」「障害者」などと一括りに出来ないもの)がある。「理解し合うこと」「共に生きること」って難しいよね。ところで、タイトルの「折り梅」だが、梅はたとえ枝が折れてもそこから再び芽を出して花を咲かせる力を持っている、人間とてそうではないか、というメッセージが含まれているらしい。 いろいろと考えさせられた2作品であった。
今日はやっぱり仕事が遅くまでかかり、「ディーバ」観にいけなかったよ。非常に残念だ。
で、毎度の事ながら仕事の帰りに俺は本屋に入った。「今日は○日だから○○文庫の発売日だな」「それに○曜日だから、週刊○○も並んでいるはずだ」「そう言やあ、最近音楽関係チェックしてなかったよな」等と一瞬のうちに考えを巡らせて俺は「宝探し」を始めるんだ。 今日は、平積みされている雑誌のなかに「ジョージ・ハリスン追悼特集」をやってるヤツを見つけ、買ってしまった。ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ等(俺の好きなアーティストばっかり)の追悼コメントが載ってるということも大きかったんだけどね。 ビートルズと言えば、カリスマ的存在のジョン・レノンか、天才的メロディーメーカーのポール・マッカートニーがすぐ頭に浮かぶことだろう。ジョージはあくまでも「第三の男」と位置づけられてきた。でも、俺には(ビートルズのなかで)いちばん気になる存在であり続けた。二人の天才にはさまれながらも独自の道を行き、「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」等の名曲を残した。ビートルズ・サウンドにインド音楽のテイストを持ち込んだのもジョージだ。友人のエリック・クラプトン(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと並び称される名ギタリスト)に妻を奪われ、その結果クラプトンの名曲「レイラ」が生まれた、なんていうエピソードの持ち主でもある。親近感を覚えるっていうか、俺はひょっとしてジョージ・ハリスンじゃないだろうかって思っちゃったりするんだよね。ほら、「内気な二枚目」って感じがそっくりでしょ。ねっ、ねっ。 ていうか、大天才じゃなくったってヤツはカッコいいんだよ。ジョージのソロ・アルバムのひとつに「ダークホース」ってのがあるんだけど、ヤツの存在を言い得て妙だと思ったね。俺が追求してるのも「ダークホース」のカッコよさなんだよ、たぶんね。舞台では大化けしてやるぜ。そして、俺にいちばん似合った輝き方で輝いていたいと思う。
2002年03月21日(木) |
「オペラ座の怪人」のように |
仕事が休みだと朝寝坊ができるってのがうれしい。お布団のなかですやすやと眠るのって、すこぶる幸せ。とか言ってるとついつい起きるのが億劫になって、睡魔くんの前に陥落してしまい、気がつきゃ昼になってたりするんだよ。ここんとこ実際の仕事量もさることながら、何かと気疲れしてたから、ほおっておけばいつまでだって寝ていたことだろう。 でも、今日は夕方から稽古。その前に台本でのチェック、ダイレクトメールの発送準備、また仕事絡みでの調べもの等々、やっておきたいことがいくつかあった。そのうちのいくつかはやり残してしまったが、稽古に行かなくちゃってんで出掛けた。
稽古の中で、檻の上にのぼって動いたりもした。ほとんど天井に張り付いた状態で下を眺めると、これはまた新鮮な感じだ。劇場の屋根裏にうごめく謎の存在、まるで「オペラ座の怪人」にでもなった気分さ。 今日は通し稽古もあったが、これまで以上に体が動くようになった気がする。まだまだ全然駄目だけど、でも、勝手に体のほうが動いてくれたところもあって、これまでのなかでは一番気持ちが良かった。もっともっと快感を味わえるようにしていくぜ。 今回コンビを組むしゃおりんとも呼吸がなんとなく合ってきてるし、他のメンバーともこれからもっともっといい流れが出てくるようにしたい。 本番初日まで1ヶ月を切ったことだし、どんどんボルテージを上げていこうと思っている。
「雇われの身はつらいね」なんて愚痴もこぼれてきそうな今日この頃、いろんなことを考える。僕は何のために仕事してるんだろう。僕はいかに生きるべきか、なんてね。考えてみると、僕は常にそんなことで納屋見続けてきたよ。違うだろ、悩み続けてきた、って言ってんだ。妙な変換はよしてくれ。他人から「暗い」と言われれば、きっとそうだろうと思う。なんせ僕、高校時代よく聴いていたのが、オフコース、さだまさし、中島みゆき、ってとこだったからね。 別に「明るいのが悪い」とは思わない。だけど、人間誰しもが持ってるはずの暗さを否定的にとらえるな、とは言いたい。誤解してほしくないんだけど、暗いのと陰険ていうのは違う。暗いだけなら悪くはないが、陰険なのは周囲に害を及ぼすから絶対に許せないと思う。 人は日々何者かに脅かされ、一方で何者かに支えられて生きている。僕も、いろんなものに依存しながら生きているんだ。例えば、演劇であり、音楽であり、酒である。また、本屋で立ち読みすることであり、CDショップや楽器店を見て歩くことであり、意味もなくコンビニに立ち寄ることであり、様々な空想に浸ってみることだったりする。日常と非日常の世界を行き来することで、バランスをとっているんだとも思う。もちろん、人とコミュニケートすることで自分の存在が確かめられたりもする。 都会の雑踏の中で僕は立ち止まる。こんなにも人がおおぜいいるのに、みんな僕のすぐそばをすり抜けていくばかりだ。僕のことを誰も知らないし、僕だってそのなかの誰かを知ってるわけじゃない。僕って何? 僕って存在するんだろうか? その答えは風の中に。風が知ってるはずさ。
2002年03月19日(火) |
音楽で言えば、ドアーズ!? |
俺の友人で、かつての同僚でもあるNさんに電話を入れ、お互いの近況を話しつつ、チケットの売り込み。「Sさん(共通の友人)も誘ってみて、また予約入れるね」ってさ。電話での話はまだ続く。
「実は、曽根さんにもお願いがあるんだけど」 「何?」 「実は、うちの娘(名鶴ひとみステージングダンスに所属)、6月公演でノルマ 60枚だって言うのよ」 「名鶴ひとみさんて、タカラヅカ出身じゃなかったっけ? 確かジャズダンスだ よね」 「そう。ザ・コンボイの一人が振り付けしたりしてるんだけど」 「観に行くよ」 「でもね、ちょっと高いの。1枚5000円だからね」 「まあ、他にも当たれるだけは当たってみるから。チラシ出来たら送ってよ」
てなわけで、もし興味を持たれた方は、曽根までどうぞ。 Nさんとは昔同じ職場で働いた関係で、とてもお世話になったし、ご迷惑もおかけした。なんだかんだ言って10年来の友人だね。彼女とは10才くらい離れてるけど、一緒にライブハウスとか行ったりして、音楽の話なんかでも話題がよく合った。ローリング・ストーンズの大ファンでもある彼女だが、その彼女に「pH-7」の芝居を説明する際に、「音楽で言えば、ドアーズって感じかな」という言葉が思わず口をついて出た。ドアーズの音楽って知ってるかい? 好き嫌いがはっきりしそうな音楽なんだな、ドアーズって。 人々は社会生活を円滑に過ごしていくために、自らの欲望とか衝動を無意識のうちに抑圧して、意識にのぼってこないようにしているんだよね。別の言い方をすれば、仮面をつけて素顔を人前にさらさないようにしてるってわけさ。そうした人間の意識下を照らし出すドアーズの世界って、変態チックだけど、どんどんボルテージが上がっていくような仕掛けがあるんだよね。一時期は俺もドアーズに無茶苦茶はまったんだ。「pH-7」の芝居とドアーズの音楽に共通するものを俺は感ずるんだが、皆さんはどう思うだろうか。 とにかく、一度観てみてちょ。
中島みゆきの名曲「春なのに」が頭のなかでリフレインしている。 3月は別れの季節、職場を去る人もいれば、人事異動で職場を移っていく人もいる。俺は今、悲しい気分だ。だって、あの人の、そしてまたあの人の、すすり泣きが聞こえてきそうで。なんだかこっちまで辛くなっちまうよ。今、職場の人に「芝居、観に来て〜」なんて、とても言えた雰囲気じゃねえんだ。 俺は今回こそ異動の対象ではなかったようだが、来年あたり非常にあやしいとにらんでいる。もしそうなったら、事実上役者を続けていくことはできなくなるよな(辞表を提出するという選択肢もなくはないけど、あくまでもそれは最後の手段だからね)。だから、いつも次の公演が最後のつもりで、全力を投入していこうと思う。
2002年03月17日(日) |
スポットライトを浴びる、その日のために |
今日の稽古では、あらためて自分のなかで問題点が明らかになってきたように思う。これまでは流れを追うことで精一杯なところが多かったのだが、今まで意識せずきたことを今日の稽古の中で意識化することができ、よかったと思う。「pH-7」OBの木全さんにもいろいろと指摘していただいた。問題は、それをいかに形にするか、という点だが。 本番まで約1ヶ月というところまできた。気を引き締めて、最後の最後まで踏ん張っていこう。そして、1ヶ月後には舞台の上で輝いていたい、と思う。
2002年03月16日(土) |
曽根くんて、トム・クルーズ!? |
酒の席での話である。かつての同僚がその友人に私のことを紹介する際こんなふうに言った。 「曽根くんて、トム・クルーズなんだよ」
トム・クルーズのファンの皆さん、ブーイングは無しで、最後まで話を聞いてほしい。皆さんは『レインマン』という映画をご存知だろうか。ダスティー・ホフマン演ずる自閉症の兄と弟(トム・クルーズ)が徐々に心を通わせていく過程を描いた作品である(あの映画では、トム・クルーズもよかったけど、ダスティー・ホフマンがとてもよかった)。もうおわかりかな? 俺の兄貴は自閉症なんだ。まあ、それが今の俺の職業選択(福祉関係)に結びついているとも言えるのだが・・・。 それなりにこだわりがあって今の仕事に就いてはいるのだが、日々のルーティン・ワークに追われ、自分の思いとはどこかずれていっているように感ずるんだ。ついでに言えば、今俺が身を置く「福祉業界」というものに対して、居心地の悪さも覚えてしまう。 おそらく俺がライフワークのひとつと考えているのは「福祉」ということではなく、「障害をもつ者、もたない者の共生」であり、「反差別」ということであろう。そこには、微妙なニュアンスの違いがあるんだけど。ちょっとマニアックな話かな?
20代の頃は、仕事(というか「障害者運動」というか)にどっぷり浸かっていてプライベートな時間なんて、あまりなかった。それ一筋だったし、そのことに特に疑問もなかった。でも、そればかりじゃなくって、もっと俺にはいろんな面があるはずだっていつしか思うようになったんだ。 一度は固まりつつあった自分を壊したくなったのかもしれない。人は知らず知らずのうちに、社会のあらゆる役割(例えば、夫、父、中間管理職、といった)を担わされ、それらに自分を合わせるように演じているのではないか。でも、そこに代替不可能な自分というものは存在するのだろうか。 かけがえのない自分が存在するとしたら、それは一体何なんだ。その答えは自分で探すしかないだろう。もしかすると、答えなんてないのかしれない。 これから俺はどこに辿り着くのだろう。わからないことだらけさ。でも、それゆえに人生は楽しいとも言えるのだ。
2002年03月15日(金) |
スーパー一座の稽古場にお邪魔した |
今日は仕事を早めに切り上げて、大須の「スーパー一座」稽古場へと向かった。私の古巣だ。今は夏のオペラ公演に向けての稽古が始まっているという。「pH-7」の4月公演の宣伝も兼ねてご挨拶に出掛けた次第だが、役者では知った顔があまりいないではないか。20人ほどの人々の間に、主宰・演出の岩田さん、座長の原さん、振付・ダンス指導の古川さん等の顔を見つけ、少しホッとする。スーパー一座在籍中、ダンスが苦手な私は、古川さんにはだいぶ指導していただいた。あの時の稽古はきつかったけど、公演後古川さんからお褒めの言葉をいただいて、私はすごく感激したんだよな。「pH-7」に所属していることを古川さんにお話しすると、菱田さんのことをご存知だと言う(そんならなおのこと観に来てくださいよ)。 しばらくすると、「スーパー一座」の人気役者・間瀬さんや水谷さんがやってきた。キャリアは彼らのほうが上だが、私とほぼ同年代だ。フィールドは違っても、お互いに舞台で輝いていたいものだ。 稽古もちょっと観させていただいたが、「pH-7」の芝居とはやはり色彩が違う。でも、「濃厚な演劇空間」「実験的な舞台」という点では共通する、と私は思う。私は、どっちも好きだよ。 スーパー一座の皆さん、お邪魔しました。夏公演、楽しみにしてますからね。その前に私たちの公演にもぜひ来て下さい。よろしくお願いします。 お客さんなくして芝居は成立しません。決して損はさせません。どなたさまも、ぜひ私たちの舞台をご覧下さい。
テレビ・新聞等で連日「鈴木宗男の疑惑問題」が報道されている。確かに奴は悪いし、議員辞職すべきとも思う。だが、奴を追及するだけじゃ、根本的には何も変わらないんだよね。だって事の本質はもっと別にあるわけだから。だいたい「機密費問題」はどうなったんだよ。もっと悪い奴が他にもいるのに、そいつらは相変わらずのうのうと生きてるんだ。 ついでに言えば、「鈴木宗男」的人間はこの世の中には吐いて捨てるほど棲息してるよ。自分より強い人間にはヘコヘコするくせに弱い相手には威張り散らす奴、自分に甘いくせして他人には厳しいうえに嫌味な奴、陰険な性格ゆえに周りから嫌われているのに悪いことは全て他人のせいにする奴、カッコつけてるのに強欲な奴、あまりに自分本位ゆえに自分のことがまるでわかっていない奴、他人の痛みがわからない奴・・・。こんなふうに列挙しながら、俺は鈴木宗男ではない、ある人物のことを思い浮かべているんだよね。でも、あなたの身近にもそんな奴がいるだろ。よく「ハイエナみたいな」って形容があるけど、あいつらのツラ眺めたら、ハイエナに失礼だよってつくづく思うよ。 ごめんよ、だいぶストレスがたまっているみたいだ。でも、俺、やつあたりはしないから。 仕事も忙しくて(気持ちの上でも忙しくしてしまっているのかも)、なかなか早く稽古に向かえない。今日は夜8時くらいに到着、はじめのシーンから少しずつ練習。久しぶりの稽古とあって不安でもあったが、やってるうちに余計なことは考えずに集中できたように思う。あっという間に稽古が終わってしまったように感じた。いつもは疲れを感ずるが、今日それはない。気持ちの上でも楽だ。逆に大丈夫かなと思ったりもするけど・・・。 あ、それからチケットを販売する時間がなかなかとれなくて困っている。どなたか、チケット買って下さい。1800円、決して損はさせません。と宣言します。なにとぞご購入のほどを。
私の勤め先は、平針にある。自宅から歩いて10分、御器所(自宅からの最寄駅)から地下鉄に揺られて15分、そこでバスに乗り換えて10分程、終点から歩いて5分、乗り継ぎにかかる時間を計算に入れると所要時間50分弱。朝は名古屋の中心から遠ざかっていくので、地下鉄ではまず座れるし、自然は増えていく一方なので、精神衛生上もそう悪くはない。 でも、仕事場に入るや、あまり余裕はない。昼休みも実質仕事しているようなもの。このところは仕事も遅くまでかかり、気がつけば夜8時を回っていたりする。 ここで私は「やばい」と思う。稽古に行くのが遅くなる、もちろんそれもある。だが、それ以上にバスの本数がめっきり少なくなるという問題がある。1本逃すと寒空に20分待ちなんてこともある。タッチの差で乗り遅れたことも少なくない。そんなとき、寒さを凌ぐために次のバス停まで歩いたりもするんだ。悲しいほどに星がきれいだったりする。 今月いっぱいは仕事も忙しそうだけど、芝居の方も何とか形にしていきたいものである。
今日は稽古そのものはなく、アトリエの片づけと、大道具さんのお手伝いをしたわけですが。 「みちかず組」(大道具さん)の皆様、本当にいつもいつもありがとうございます。今日という今日は、心の底からそう思いました。私たち役者はちょっとお手伝いしただけでしたが。作業中はみんな黙々とやっていましたね。かく言う私も、いつ終わるとも知れぬヤスリがけ作業をしつつ、時折肩をもみほぐしたり、目頭を押さえて目の疲れを癒しておりました。途中用事があって早く帰りましたけど。 大道具さんの日頃のご苦労に報いるべく、よい芝居を作っていかなくてはなりませんね。もちろん自分自身のためにも、よい芝居にしていきます。
今日はとても暗い話になりそうだ、とはじめに断っておく。
ここ1,2年、40代、50代の友人・知人の訃報に接する機会が増えてきた。 もう長いこと会っていなかった人の死を知らされても、にわかには信じがたく、でもあらためて事実を確認して、大きな衝撃を受けたりする。あの人とはもう生きてこの世で会うことはないのかと思うと、悲しいという以上に呆然として体の力が抜けてしまいそうになる。 20代の頃、同年代の身近な人の死を経験した際、悲しい思いはあっても、その人の死を自分に引きつけて考えたことはなかった。決して天寿を全うしたとは言えぬ人の死に接して、身も心も揺さぶられる経験はここ1,2年のことである。 30代半ば、私は自らにしのびよる「老いの影」「死の影」を時折強く意識する。そして、いつにもまして寡黙になる。死は絶対だ。決して抗うことのできない その現実を前にして、私は思わず立ちすくむ。 私自身、いつ死んだとて不思議はないのだ。今ここにいる自分自身を確かめながら生きていくよりしょうがない。やはり死ぬまでは何が何でも生き続けなくてはいけないのだ。それがきっと天命というものだろう。
お利口、ではなく、「檻」考。4月公演「檻と盆栽」にちなんで、「檻」というものの持つ哲学的意味について考察してみた。 今から10年ほど前、俺が夜間の福祉専門学校に通ってた頃のこと。昼間にはいろいろバイトしたけど、ある時期、俺は警備員というのか、工事現場で交通整理みたいなことをやっていたんだ。とにかく日銭が稼げる仕事ということでやってたわけだけど、俺が派遣された現場はかなりヒマだった。朝8時から夕方5時までの拘束時間のうち、実働時間はおよそ20分。こう聞くと楽でいい、と思うかも知れない。確かに、肉体的にさほどきついわけではない。「だらしない格好はするな」と言われているから座って休んでるわけにはいかないけど、それでも現場作業を思えば、あんなものは肉体労働のうちには入らないだろう。 でもね、精神的にはちょっと辛い。8時間中の7時間以上は、何の仕事もせず、しかし持ち場を離れられない時間である。毎日、7時間超のゆるやかな監禁状態に置かれることによって、俺は7〜8千円の日当を手にするというわけだ。俺は、毎日約7時間の空白を埋めるために、様々な思考に走った。その多くはつまらない考えであったと思う。 そんな経験のなかで俺は思った。人は皆、生まれながらにして見えない檻に囲まれ、そこから決して逃れることのできない存在ではないか、と。だからこそ、自由に憧れ、夢に羽ばたこうとするのではないか。そして、いつしか夢破れ、いくつもの傷を負いながら、それでも生き続けていこうとするのだ。生きるってことは悲しいことだ。でも、それゆえにお互いを慈しみあえるのかも知れない。そしてまた、 悲しみの数だけ余分に喜びの意味を知る。辛さを知るからこそ、幸せをかみしめることができるのだ。
で、「檻と盆栽」公演初日まで40日ほどとなった今。気持ちをどんどん乗せて 素晴らしい舞台にしていきたい。「檻」のむこう側にあなたは何を見るだろうか。
2002年03月07日(木) |
およげ、たいやきくん |
まいにち、まいにち、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ〜。
ってね、思わず口をついて出てしまいそうになる。仕事などで(仕事そのものと言うより、それに付随すること)ストレスを感ずることって、いろいろあるよね。 でも、生活の糧を得るために(やりがいとか自己実現ということもあるけど)そう簡単に仕事って辞められない。そこんとこで、みんなジレンマを感じているんだろうね、きっと。「およげ、たいやきくん」からは、そんな人々のつぶやき、ため息がイメージされる。と同時に、どんどん惨めになってしまいそうな自分自身を投影しながら歌い込むことによって、逆に失いかけた自己のエネルギーを取り戻すきっかけをこの歌は与えてくれるのだ。 私は、この歌の後半部分にある、次の一節が好きだ。
やっぱり僕はたいやきさ、少し焦げあるたいやきさ
たいやきはあくまでもたいやきであり、いつも鮫に追っかけ回されたりして、優雅な生活とは無縁である。でも、たいやきとしてこの世に生を受けた以上はたいやきとしての人生を全うしようとする「仏教的諦念」のようなものを、私はその一節に感ずるのだ。 それは、中島みゆきの名曲「かもめはかもめ」にも若干通ずるのではないか。 また、明治期の詩人・北原白秋の次なる詩も思い起こされる。
薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。
それぞれに浮世の辛さはありましょうが、そのなかでも自分らしくあるってことが大切なんでしょうね。他人と比較してどうとかじゃなくてね。 とまあ、日毎にいろいろと思うことはありますが、私には幸いにも夢中になれるものがある。稽古場では職場でのことはきれいさっぱり忘れているんだ。ホント、 不思議だ。 今日のところは、これまで。じゃあ、おやすみ。
2002年03月06日(水) |
ギター・テクはジミ・へンばり? |
仕事は適当なところでキリつけて(やり出せばホントにキリがない)、家に帰りついたのが8時ちょい過ぎか。今日はなぜだか、家路を急ぐ俺の頭に「ギター弾きてえ」という願望だけが渦巻いていた。 風呂を沸かしながら、まずはエレキギターに手が伸びた。ジミ・ヘンドリックスよろしく(?)、ノイズを立てながらギターをかき鳴らす。アストル・ピアソラ作曲の「リベルタンゴ」(ヨーヨー・マによるチェロ演奏で有名)を弾いてみる。調子が乗ってきたところで、近所迷惑も一応考え(?)、今度はアコースティック・ギターで「リベルタンゴ」を弾き、オフコース・井上陽水・村下孝蔵などの曲もおさらいした。9時をだいぶ過ぎたところで今日は打ち止め。今になって、中島みゆきやユーミンの曲が浮かんでくる。アンプを通さずエレキで弾いてみようかと一瞬思うが、これもキリがないので諦めた。 明日は稽古もあることだし、今から台本に目を通すとしよう。
最近、朝起きるのが辛い。でも、それは俺だけじゃないみたい。職場の他の人もそれぞれに(仕事上でもプライベートでも)悩みは尽きないようだ。 夕方の残業時間、俺は呻吟しながら、ある書類を作成していた。思わずため息が出たその刹那、俺の正面に座る同僚も同時にため息をついた。互いに顔を見合わせ、微笑する。 「あんたもか」 「お互い、大変だよな」 言葉は交わさずとも、そこには暖かな連帯感が感じられた。そうさ、たとえトップが認めなくても俺はあんたのこと、ちゃんと見ているからな。元気出そうぜ。 仕事はそう簡単には終わらないが、ある程度でケリをつけて、稽古場に向かう。 稽古場には8時くらいに到着。第4場を中心に練習。個人的にはまだまだだけど、それでも自信のひとかけらは少しつかんだような気がした。よし、ここから調子に乗っていくぜ。 稽古場からの帰り、本屋に寄って、コンビニ寄って、その後は夜風に吹かれながら、九条(俺の役名)のセリフが思わず口をついて出たりして・・・。帰宅後は風呂沸かしながら、「ニュース23」を見る。 よし、早いとこ寝よう。明日もまた忙しい一日になりそうだ。
2002年03月04日(月) |
オホーツクの流氷が見た〜い |
仕事などでモーレツに忙しい時なんかに俺は無性に遊びたい衝動に駆られるんだ。どうせ行けっこないのに海外旅行の情報誌とか買っちゃったり、アウトドア雑誌見ながら雪原をスノーシュー履いて歩きてえなんて思ったりしてね。 去年の今頃、土日はさんで2泊3日で北海道に行ったんだ。とにかく流氷が見てみたくて完全防寒で出掛けたんだよ。ところが、悪天候に見まわれて流氷は見れず仕舞だったわけさ。 その旅行じゃ、俺にとってはありがたくねえことがもうひとつあった。「霧の摩周湖」って知ってるかい。あの湖にはひとつジンクスがあって、何でも摩周湖を初めて見た時に霧がかかってなかったらその人は婚期が3年遅れるらしい。俺の場合は、そりゃ〜鮮やかな湖が見れたよな。ま、そんなの、気にしねえけど・・・。 あの旅行でよかったのは、雪見の露天風呂に入れたことかな。浮世の辛さも忘れて極楽気分だったよ。 今年は諦めるよりしょうがないけど、いつか流氷とオーロラは絶対に見るゾ〜。
2002年03月03日(日) |
サザエさんのエンディング・テーマはもの悲しい? |
今日、初めての通し稽古があったのだが、自分の駄目さ加減を完膚無きまでに思い知らされた感じだ。この先の見えないトンネルを一日も早く抜け出したい。そのためのきっかけを何とかしてつかみたい。 家に帰ってくると、今度は明日からの仕事のことも気になりだした。月曜の朝はもちろん憂鬱だが、日曜の夜ってのもねえ。まるで死刑囚が執行の日を待つかのような心境だったりする(ちょっと大げさか?)。 わかってくれるかい。そうさ、サザエさんのエンディング・テーマの先には、わずかに残された休息の時間と、それに続くヘビーな日常があるってこと。仕事が嫌というのとはちょっと違うんだ。繰り返される日常のなかへ再び戻っていくことになぜか痛みを覚えるんだ。 でも、生きていくためにはしょうがないのさ。そのこともわかっているつもりだ。このまま眠れなくなると、夜は途轍もなく長い。だから一刻も早く寝るのがいちばんだ。昔からよく言うだろう。良い子は早く寝ましょうって。子守歌を聴きながら、ゆっくり安らかな眠りに就くんだよ。じゃあな。
2002年03月01日(金) |
ひとり酒場で飲む酒は |
仕事が終わって時計を見ると8時ちょっと前。疲れ気味ではあったが、何だか真っ直ぐ帰宅する気になれず、御器所(自宅からの最寄駅)を過ぎて大須に直行。とある飲み屋に入る。黒ずんだ柱や梁、木のぬくもりが感じられる店内は、ほの暗い明かりに、BGMにはビリー・ホリディの哀しげな歌声が流れていた。私にとっては 人知れずほっとできる「隠れ家」のような店で、ここには一人か、もしくは気心の知れた仲間と来るようにしていた。 ところが、久しぶりに(数カ月ぶりに)行ってみるとスタッフが代わっていた。地酒(冷酒)と料理を頼んだのだが、料理がなかなか出てこない。3品頼んだうちの1品が出てくるのに20分ほど待った(厄介そうなメニューは頼んでいないはずだ)。別に店内が混んでいるわけではない(私の他に4人のお客)。そんなに飲むつもりはなかったのに、料理を待ちながら数杯おかわりした(断っておくが、私は決して酒豪などではないし、ましてや酒乱ではない)。それでも間が持たず、店の隅にあったギターをとって爪弾いてみたりした。この店に来てギターを手にするのはいつものことだが、ギターで遊びながらも、頭の中では「料理まだかよ」って思ってる。 で、やっと注文したもの全てが揃ったので、そそくさと食べて店を出た。次に向かったのは「吉野家」だった。腹が満たされなかったのだ。こんなことってあるのかよ。他は何も変わらず、スタッフが代わっただけなのに。前のマスターの、人のよさそうな顔が浮かんでくる。いい人だったなあ。 店によっては、一人で入るとやたらに声をかけてくる所もある。店側にすれば気を遣っているんだろうけど、こっちとしては適度にほおっておいてほしかったりする場合が多い。なんせ内向的な性格なもんで。その点、あのお店の前のマスターはよかった。それに店の雰囲気もよかったから、お気に入りだったのに・・・。酒の量としてはあれで十分だったのに、家に帰ってきて飲み直してしまったじゃないか。 と、恨み言が出るのも、それだけストレスためこんでいるんでしょうかね。とにかく早いとこ寝よう、寝よう。お休み〜。
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