夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年04月29日(月) すべてを燃やし尽くした

 4月28日。ついに公演最終日を迎えた。
 11時半、内山公園に集合。柔軟体操の後、発声練習。公園のなかで、われわれのいる場所だけが異質だった。「それは痛ましい光景だった。しかも私はそれに加わっていたのだ」なんて、昼の公園で言うべきセリフではないからな。で、公園から軽く走ってアトリエに入る。

 「今日で最後か」なんて考えるとさみしいけど、もう思い切ってやるだけだ。メークを始めると、いつものことながらドンドン濃くなっていく。最終と思うとなおさら濃くなって、金ラメも顔や頭に塗りたくった。何だか俺、劇画チックだよな、メークも演技も。でも、こんなのもアリかなって思う。
  
 昼の公演は、観客20人を切って、ちょっとさみしかった。でも、観に来て下さった方には関係のないこと、われわれの出せるすべてを出し尽くすしかないのだ。
細かい点ではいろいろあったが、パワーを落とすことなく最後まで突っ走った。芝居が進むなか、汗が次々と目に入り、痛かったけどね。

 そして、千秋楽。開場前、外には大勢の人々が集まってきていた。観客50名、アトリエのキャパぎりぎりの動員だ。まずはベランダ芝居からスタート、そのあと楽屋に引っ込む。胸は高なり、極度に緊張してきた。でも、俺、この緊張感が結構好きなんだよ。
 幕前、オープニング、1場と流れていく。1場から2場への転換中、暗転の中を俺は客席通路を突っ切って奥に引っ込まなくちゃいけないんだ。だけど、通路にお客さんがいて簡単には奥に行けない状態。暗いので、実際何が起きているのか、よくはわからないのだが、とにかく人をかき分けて外に出た。ぶつかってしまった人には、どうもすみませんでした。事情が事情なので、どうかご容赦下さい。
 2場が進行するのを奥で聞きながら、3場の登場に備える。「笙子」のセリフをぶったぎるように登場、「おい、ここに魚住、魚住葉介ってやつはいるか」。弾丸のように飛びまわる。滝のように流れる汗をあたりに飛び散らして、最後まで爆走した。
 
 ついに公演すべてが終了した。今回、友人や同僚も大勢観にきてくれた。前回共演した「河童塾」の人たちも。何よりもまずお客さんに感謝、感謝。そして、演出、スタッフ、共演者の皆さんにも。
 打ち上げでは、いつもにましてビールがうまかった。流した汗の分だけ、体はビールを要求してるみたいだった。と、向こうから「詩のボクシング(愛知県大会)」実行委員の桑原さんがやってきて握手を求められた。「なかなかの熱演でしたね。また、『詩のボクシング』にも出てリベンジして下さいよ」などと話しかけられた。
 ここで「詩のボクシング」について簡単に説明しておこう。自作の詩を思い思いの方法で朗読し、それを審査員にジャッジしてもらい、演者同士で勝負を競い合う、というものだ。「書かれた詩」「活字になった詩」ではなく、「声に出して詠まれた詩」「声を通じて多数の人に発信された詩」を、文学の観点やパフォーマンスの観点やいろんな方向から評価するのだ。
 去年、俺も愛知県大会の予選に出たんだが、惜しくも予選落ち。でも、詩人の楠かつのり氏からは「面白かった」と言っていただいた。「ちょっとやりすぎ」とも言われたけどね。
 話は横道にそれたけど、夜はアッという間に更けていったよ。2時くらいに帰宅して、その後はちょっと記憶もおぼろげ。

 4月29日。久しぶりの完全休養日。意外と疲れは感じてない。ってことは、やばいのは明日か。明日からまた3日間はお仕事さ。

 あ〜あ、終わっっちまったんだな。ものすごくさみしいよ。まるで恋人が死んでしまったかのようにね。そう、まだ、信じられないんだ。今もずっと夢を見続けてるような気がしてさ。
 でも、現実に俺はまだ生きているんだ。何も見えない明日に向かって走り続けていこう。



2002年04月27日(土) けがの功名?

 それは、27日昼の公演、オープニングから1場への転換中(暗転での)に起こった。舞台内の柱に激突。顔面を強打し、目のすぐ下を切って出血の惨事。暗転明けに所定の場所に着いたものの、痛いのと流血とで気が気でなかった。でも、1場を何とかしのいで、2場への転換中に客席奥に去る。鏡に映る自分の顔は痛々しかった。血はにじんではきていたが、何とか止まりかけてもいた。起きてしまったものは仕方がない。これもプラスに考えることにした。幸いというべきか、今回の私の役柄はチンピラ。傷痕が特殊メークに見えなくもない。凄みを増したであろう顔で3場に突入、最後までとにかく突っ走った。
 27日夜公演の出来は、自分ではそれまでの8回のなかでのベスト・プレーだと感じた。とにかく気持ちよかった。このまま千秋楽に突入だ。けがには十分注意を払いながら、明日もまた熱い芝居を見せてやるぜ。今公演をまだ観てない人は絶対に見逃さないように。それじゃ、劇場で待ってるぜ。
 



2002年04月26日(金) ハートに火をつけて

 今日は午前中で仕事を終え、その足で自宅近くの「クイック整体」へ向かう。体をほぐしたあと自宅に戻ってからは、心をほぐすために音楽を聴く。元ちとせの曲を聴いてると癒されてきたが、思わず眠ってしまいそうになる。テンションをあげようと思い、ドアーズの曲に切り替える。「ハートに火をつけて」等の曲を聴き、曽根攻から九条英一にスイッチを入れ替える。出がけに頭髪をセットし、金ラメもつけた。気持ちを盛り上げて稽古場に向かう。
 後半初日、楽しんではいるものの、前半初日とはまた違った緊張感があった。開場前のベランダ芝居があって、少し遅れての開場。やはりお客さんが入ると、力も入り、緊張も高まってくる。幕前、オープニング、1場と続き、2場の前に客席奥に引っ込む。「舞台の袖」で3場の登場に備える。
 何だかんだ言っても、3場は俺が芝居のテンポを作って全体をリードしていかなくてはならない。芝居全体のテンポをリードしていく役回りは、前回公演(河童塾との合同公演)ではなかった経験だ。3場の登場では、緊張のあまり声が喉に張り付きそうになったが、渾身の力をふりしぼってその場を何とか乗り切った。

 今日は、私の知り合いが多数観に来てくれた。暗転で場面がガラッと変わるのが驚きだったそうだ。それを聞いて、俺は心のなかでガッツポーズをする。
 それからまたこんな感想もあった。「曽根さん、普段とはガラッと変わるね」「曽根さんを怒らすとかなり恐いかもしれないね」・・・。普段の俺は、ごく真面目な、どちらかと言えば温厚な人間、と周りからは思われていることだろう。それ自体誤りではないが、俺もいろんな面を持ち合わせている。だからって普段の俺がいきなり九条みたいなチンピラになったりはしないが。いろんな人格になりきれる、それが芝居というものなのだ。
 さまざまに変身しながら、俺は舞台で輝き続けていく。
 



2002年04月25日(木) ゴールデン・ウィーク以降

 世間はそろそろゴールデン・ウィーク。なかには10連休なんていう人もいるみたいだけど、俺の職場はこの時期カレンダー通りの休みだ。今のところ、遠出の計画はない。
 明日から3日間は公演後半。悔いることのないよう、1回1回を大事にしていきたい。ボルテージを最大に、いや無限大にまで高めて、圧倒的な存在感を示したい。

 公演が終了して翌29日は、きっと1日中寝て過ごすことになるだろう。30日、1日、2日は、通常の仕事の日だが、やるべきことはすべて終えて、4連休を迎えよう。
 3日からはそうだな、久しぶりに乗馬クラブにでも行こうかな。映画も観に行きてえよな。それから芝居も、今度は観る側で楽しみたい。
 気になる公演がいくつかある。まず、ゴールデン・ウィーク中では、クセックACTの「人生は夢」がある。これは絶対観に行こうと思っている。観ればきっと俺のなかのラテンの血が騒ぐことだろう。利賀演劇フェスティバルにも行きたいところだが、今回はパスしよう。
 連休後には、「ジャブジャブサーキット」「B級遊撃隊」「てんぷくプロ」「翔航群」「プロジェクト・ナビ」「燐光群」等がある。「柄本明・大久保鷹二人芝居」も気になるし、京劇も観に行きてえなあ。全部行ったら、金なくなっちゃうから何かはあきらめるだろうけど。でも、俺たちの公演後には、とにかく遊びまくりたい。
 公演前にはあまり弾けないでいたギターその他の楽器でも遊んだり、CD聞いたり、遊ぶ材料には事欠かない俺でもある。
 そう言やあ、俺、作家も目指すんだったな。

 今後の人生が開かれるためにも、今公演を実り多きものにしていきたい。



2002年04月24日(水) 「・・・宇宙の果て・・・」をもう一度

 今公演前半が終了し、月曜・火曜と稽古はお休み。ゆっくりできたのはうれしかったが、芝居のことは気になった。今日の稽古が待ち遠しかった。明後日からの後半戦、どんどん調子に乗っていくぜ。

 稽古がなかった昨日は、前回公演(河童塾との合同公演)「僕らは宇宙の果てを見た」のビデオ鑑賞を自宅にて行った(一人で見た)。ビデオに映る自分の姿を見て気恥ずかしく思った。白日の下にさらされた自分の姿のなかにアラはいくらでも見つけられそうであった。それでも、後半のある部分では我ながら演技が光ってると感じられたところもあった。あれから俺はうまくなったのだろうか。自分ではよくわからないことも多いが、本番の舞台を経験することにより俺自身の演技は底上げされていってるように思う。
 それにしても懐かしいよな。思い出は後から後からわき出てくる。たまたま本屋(今池のウニタ書店)でみつけた「新人募集」のチラシ。そこには「芝居は舞台で覚える主義」「あなたのキャラクターで思う存分輝いて下さい」などと書かれていた。何だか自分に合いそうな気がして、問い合わせをし、稽古場を訪れた。秋公演の顔合わせが行われる直前のことであった。オーディション代わりの創作一人芝居なんかもやったっけ。すぐにキャスティングがあり、連日の稽古が始まった。苦しいことが多かったはずなのに、今となっては心はずむような思い出ばかりだ。今回の公演も、振り返った時にすごく楽しかったと感じられるようにしていきたい。そして、お客さんを終始圧倒していく熱い芝居を見せていこうと思う。



2002年04月22日(月) 裏切り

 今だから言えること。俺、今公演の稽古、ものすごく辛かったんだ。そんなこと、演出や共演者、あるいはスタッフの方々にはバレバレだろうけど。
 でも、皆さんのおかげで本番を迎えることができました。本番になって、俺、楽しくてしょうがないんだ。実際本番になってすごく変わったし。きっと周りは驚いているんじゃないだろうか。別に欺いていたんじゃない。稽古では無意識のうちに躊躇してたんだと思う。結果として周囲を裏切り、自分自身をも裏切る形(いい意味で)になったのではなかろうか。これからまだまだ後半戦も控えている。どんどん周りを、そして自分自身を裏切っていきたい。
 裏切るということでは、もう一点。今回、俺はぐいぐい押していく芝居ということで通してきた。ある意味でテンションの高さでしか勝負していないとでも言おうか。そのことを評して菱田さんが確かこんなふうに言った。「ああいう芝居はpH-7では許されるが、『ジャブジャブサーキット』などでは許されないだろうな」。俺、実は『ジャブジャブ』の芝居も結構好きだったりするんだ。いつかはしっとりした芝居もやってみたい、なんてことを考えていたりもする。今はあまり深く考えずに、ある意味で一つの方向でしか演じていない、とは思う。でも、その点においても今後俺は周囲を裏切っていきたいと思っている。「曽根って不器用だとばかり思ってたけど、意外とあんな芝居もできるんだ」なんてことを、いつか菱田さんに言わせてみたい。
 まあ、とにかく後半の5ステージを見応えのあるものにしていきたい。

 ところで、「しゃおりんの日記」の最新ページ読んだけど、おいおい、何だよ、あれは。「曽根さんは疲れるとため息しかつかなくなる」って。「アザラシ、てめえ、余計なこと言うなっつったろ〜」。



2002年04月21日(日) 何事もなかったかのように

 4月公演の前半が終了し、ホッとひと息。いい感じで後半につなげそうだ。
 家路につく私の前にラーメン屋のだしの匂いがしてきて、誘われるかのように暖簾をくぐった。店内に入ってみると見知った人間は一人もおらず、ましてや「もしや曽根攻さんではないですか?」などと言って近寄ってくる者もいない(いるわけねえだろ)。日常に戻れば全く無名の人間だ(別に、演劇の世界で有名、と言いたいわけではないが)。明日になれば、職場の日々の仕事に追われることになる。
 でも、これでいいのだ。日常と非日常の世界を行き来しながら、バランスがとれればそれでよい。夢幻のごとく通り過ぎていく時間のなかで、私は自分さえ知り得なかった自分というものに出会うことになるのだ。何事もなかったかのように時は儚く過ぎ去っていく。
 考えてみれば、人生にしたところで、永遠の時間の流れのなかでは夢幻であり、とるに足らないものであろう。それでも、私は一瞬一瞬をかけがえのない時間ととらえ、輝いていきたいと思う。



2002年04月20日(土) 嵐を呼ぶ男

 公演初日は何とかなったものの、自分としてはガチガチだったし、反省点は多かった。でも、初日が明けて、ホッとできたことはよかった。
 で、今日は公演2日目。しかも2回公演だ。とにかく最初からボルテージを上げて飛ばしていくつもりだった。昼公演では、後先考えずに飛ばしまくった。終わってみると息も絶え絶え、でもすごく気持ちよかった。菱田さんからは駄目出しもあったけど、それは課題として肯定的に受け止めることができた。
 昼公演直後は体もきつかったけど、1時間ほど間をおいて疲労回復。しゃおりんに「もうため息はつかない」と宣言し、臨戦態勢に入った。夜公演も絶対にテンションを下げたくはなかった。夜公演では、余分な力が抜けてよかったと感じた。テンションも下がってはいなかったと思うのだが、どうだろうか。

 今日は、昼・夜ともに知り合いが見に来ていた。あらかじめ予約してくれた人の他に、当日精算券を渡しておいた人が見に来てくれた。私の職場(福祉施設)にボランティアで来てた人だったが、本当に見に来てくれるとは思っていなかったので非常にうれしかった。しかもプレゼント(クッキー)付きで。あ、誤解なきよう言っておきますが、プレゼントとかさ、あまり気を遣っていただかなくても、公演を見に来ていただけるだけで十分ですからね。まあ、気が向いたら花束など持ってきてくだされば・・・。
 私の知り合いは皆、異口同音に「普段の曽根さんとは全然違いますね」と言っていた。そりゃそうだろ、九条みたいなやつが福祉施設の職員だったらホントに困っちゃうからな。日常との落差があればあっただけ楽しいってこともあるね。
 
 さてさて、明日もまた2回公演だ。明日の公演よりも私ゃ、明後日の職場への出勤のほうが心配だ(果たして疲れを残さず出勤できるのか)。だからと言って決して手を抜くことはない。明日もまた、アトリエに嵐を呼ぶぜ!
 



2002年04月19日(金) ゴングは打ち鳴らされた

 闘いは、始まった。公演初日は無事終了。明日の昼までしばしの休憩だ。
 ボクシングの試合で言えば、1ラウンド終了。コーナーで丸いすに腰掛けながらセコンドの指示にうなずいている、ってところか。
 セコンド(?)の菱田氏が言う。「お前、今日テンション高いな」「2ラウンド以降息切れしないようにな」。俺はほくそ笑み、心の中でつぶやいた。「な〜に、心配には及ばねえ」「2ラウンドは猛烈なラッシュをかけて、泡ふかせてやるのさ」。
 1ラウンドで感覚はつかまえたから、どんどん調子に乗っていくぜ。判定勝ちなんてケチなことは言わねえで、KO勝ちを狙っていこうじゃねえか。完膚無きまでに打ちのめしてやるのさ。
 すぐに第2ラウンドのゴングが打ち鳴らされるだろう。その前に、ラウンド・ガールよ、出て来やがれ〜。



2002年04月18日(木) 燃え尽きるまで

 明日は、公演初日。
 とにかく今の自分が出せるだけのものを出し切って勝負するよりしょうがない。明日は半日休みを取ったことだし、気分を盛り上げて万全な態勢で小屋入りしよう。もうここまできたら、演ずることが快感と感じられるようにするだけだ。緊迫したボクシングの試合のように、10ステージを完全燃焼して見応えのある舞台にしていきたい。
 「明日」がもう「今日」に変わろうとしている・・・。



2002年04月17日(水) 待ったなし

 今月中にある程度区切りをつけなければならない仕事がある。それと同時並行的に4月公演もあるというのに。それらをうまくさばいていかなくてはならない。幸い仕事のほうは自分一人がうまくペース配分していけばよい類のものである。それでも期限が切られているのは辛い。とはいえ、期限が切られているからこそ仕事になるのだとも思う。
 仕事も、公演も、待ったなしだ。この難局をどう乗り切るかが問題だ。
 ぜひとも、ゴールデン・ウィークを明るい気持ちで迎えたいものである。



2002年04月14日(日) 芝居を楽しむ余裕

 公演初日まで5日というところまで来た。
 正直に言えば、今回の公演に向けた稽古はほとんど苦しいことの連続であった。何もかもがうまくいっていないと感じていたし、そのことに関してどうしてよいのかもわからない有り様であった。考えれば考えるほど悪循環に陥っていくようでもあった。
 それが昨日くらいから何かが吹っ切れたかのように楽になった。たぶん技術が向上した等ということではないのだろう。芝居を楽しもうという意識が自然に出てきた感じなんだ。 
 今でも駄目出しはあるし、自分でもよくないと感じる場面はある。でも、本番に照準を合わせて、よい流れをつくっていきたいと思っている。本番までの残り少ない稽古、そして本番を実のあるものにしていきたい。



2002年04月13日(土) 曽根攻的小宇宙の構築を

 社会福祉の仕事を選んだ段階で、俺は「役者になる」という選択肢をはずしたつもりでいた。実際20代の間は仕事に追われ、「役者」をやろうなどと考えも及ばなかった。現在の職場に移ってから(約2年前)、何とかやりくりしながらでも芝居をするための条件はととのった。芝居の稽古をやってると正直言ってしんどいことがほとんどだ。でも、なぜだろう、やめられないんだな。今後の人生の中で何が起こるかは予想もできないが、いかなる状況に置かれても「役者修行」は続けたいと思う。
 菱田さんにはよく「曽根って真面目そうでいて結構変だよな」などと言われるが、その「変」というのはきっと誉め言葉だろうと勝手に解釈している。
 そうだな、「大根役者」ならぬ「ニンニク役者」を目指そうかな。嫌いな人にとってニンニク臭さってのはたまらなく嫌だろうけど、ニンニクによって料理に深みができたりして、あれがたまらなく好きって人も多いはず。きわめてニンニク的な自己主張をしてみようと思っている。

 それから俺、今度の公演済んだら作家の道も志していきたいと考えている。曽根攻的小宇宙を、外の世界に向けて発信していきたいのだ。
 いくつもの自分が、俺の中に存在し、時々刻々とその形を変えていく。昨日も今日も何も変わらないようでいて、実は一瞬一瞬違った自分を生きているのだ。
 俺にはまだまだ夢がある。夢は果てしないが、一つひとつ実現に向けて歩き出していこう。
  



2002年04月12日(金) サーカス

 今日、職場の行事の一環で「木下サーカス」(於:ナゴヤ球場)を見に行った。サーカスって、あの幻想的な空間とか非日常的な時間の流れとか、何かワクワクさせられるよね。
 例えば、大がかりなマジック・ショー。大きな透明な箱のなかに美女が入り、布が被せられる。次の瞬間、布を取り去ると箱のなかにはトラが現れる。え〜っ、どんな仕掛けになってるんだ。考えている間もなく、舞台は転換していく。今度は、空中から吊られた二本のロープを女性二人がつたってある程度の高さまで上っていく。と、片足をロープに巻き付け、宙づりになりながらくるくると旋回を始める。お〜っ、すげえ。思わず口をあんぐりと開けてしまう。
 目の前で展開される世界を見ながら、私は空想をどんどんふくらませていく。例えば、こんな芝居があったら面白えだろうなあ、なんてね。オープニング、暗転明けで(檻に囲まれた)舞台上にライオンが登場、咆吼を残して舞台奥に消えていく。とともに、象にのって役者が舞台に入ってくる。物語が展開してしばらくすると、轟音を立てて、球状の檻の中をオートバイが暴走する。そのボルテージのまま、クライマックスへと突き進む。いよいよラストは空中ブランコだ。観客の興奮が最高潮に達したところで暗転。暗転明けとともに満場割れんばかりの拍手、そして、スタンディング・オーべーション。観客は帰ろうともしない。興奮は冷めるどころか、高まる一方だ。劇場全体(この場合、テント公演か野外公演だろうな)が異様な空気に包まれる。なんてね、私たちの舞台も、お客さんの気持ちを思いっきり揺さぶるようなものにしたい。
 公演初日まで1週間。もう後戻りはできない。悔いることのないように、あらんかぎりの力を出し尽くしたいと思っている。



2002年04月10日(水) 俺は今怪我するわけにはいかない

 今日は職場でちょっとヒヤッとする出来事があった。施設利用者のIさんらととも少し重たい荷物を運んでいた。Iさんがあまりに重たそうにコンテナをかかえていたので「おろしていいよ」と声かけした。すると、支えきれなかったのだろう、荷物がいっぱい詰まったコンテナが私の足元まで飛んできた。あと数センチずれていたら、私の足を直撃していたであろう。
 本番まであと10日を切った今、私は絶対に怪我するわけにはいかないのだ。

 そう言えば「ぴあ中部版」の最新号に我々の公演の情宣写真載ったね。思わず同僚に見せびらかした。新規の職員にも見せたんだけど、彼らは、写真に写る私と目の前の私とを見比べて、驚いたようにこう言うんだ。これホントに曽根さんですか、カッコいいじゃないですか。写真のほうがカッコよくて別人みたい、って言うんだよ。う〜ん、確かに職場では疲れた顔してるもんな、きっと。
 前回の公演(河童塾との合同公演)を観に来てくれた同僚のひとりは、「曽根さんを見には行きたいけど、内容が恐そうだから一人では行けない」「だから何人かを誘って行く」とのこと。チケット販売も大詰めだ。
 とにかく無事に初日を迎えられ、公演が成功裡に終わってくれたら、と思っている。

 役者修行、作家志願(この意味はいずれまた)。 



2002年04月08日(月) 「チケット代が飲み代に化けた」の巻

 今日、仕事が終わった後、昔の同僚に突然の電話を入れた。早い話が「公演のチケット、買ってよ」という用件だったわけだが、「夕飯でも一緒にしようか」って話になった。地下鉄の平針駅で待ち合わせて結局飲み屋に行った。アルコール抜きで済むはずもなかったのだ。前売チケット2枚分、しめて3600円の売り上げであったが、それはそのまま飲み代に消えた。

 そういえば、昨夜も稽古の後で飲みに行ったんだっけな。菱田さんからは「お前は変だけど、味はあるし、もっと自信持ってやれ」と励まされもした。俺、好きだから芝居やってるわけだけど、うまくいかない時など非常にしんどくなって気持ちがどんどん下降していってしまいそうになる。でも、役者仲間や演出、スタッフの皆さんに助けられながら、今日までやってこられたのだとも思う。
 本番までのカウントダウンが始まろうとしている。観客の皆さんには、俺達の出しうるベストの状態を芝居にのせてお見せしたいと思う。



2002年04月06日(土) 君は、障害者プロレスを知っているか

 今日は、「障害者」をめぐる関係について言及しようと思う。
 数年前、乙武洋匡君の『五体不満足』という本がベストセラーになった。乙武君個人についてはきっとさわやかな青年だろうと想像するのだが、あの本については批判すべき点が多いと考えている。早い話が、あの本からは「障害者の今日おかれた状況」というものが見えてこない。まるで「障害者差別」など解決済みの問題であるかのような書かれ方がされている。現実に対する分析力、想像力に乏しく、物書きとしては失格だとすら思う。
 北島行徳氏の『無敵のハンディキャップ』(文春文庫)を読んでみれば、『五体不満足』がいかに薄っぺらな内容であるかが理解されるであろう。北島氏(健常者レスラー・アンチテーゼ北島)とは若干面識もあるのだが(彼らの名古屋興行のプロデュースをしたので)、障害者プロレス団体「ドッグレックス」(もともとは普通のボランティア団体だった)を旗揚げし、予定調和的な福祉の世界に常になぐり込みをかけている人物である。「ドッグレックス」では当初障害者同士の試合が組まれていたが、やがて「障害者対健常者」の試合も組み入れられるようになった。リング上でむき出しの体がぶつかり合う。健常者レスラーは障害者レスラーに対しても手加減はしない(ルールのうえでハンディを持たせるような工夫はなされているが)。そこでは目を覆わんばかりの容赦ない攻撃も見られる。それを見ている自分自身に居心地の悪さを覚えたりもする。いま目の前で起こっていることを傍観するだけの自分。リング上の光景が現実世界と二重写しになる。北島氏は著書のなかで、障害者レスラーたちの日常の姿についても語っている。それぞれが苦悩しながら現実の生活を送っている。例えば、障害ゆえに職業選択の幅が狭まったり、恋愛や結婚に悩み、日々の生活のなかであまりに多くの不安を抱え込んでしまう。依然として「障害者差別」は幅を利かせているのだ。
 「障害者プロレス」について話は尽きないが、レスラーたちがリング上で懸命に闘う姿は非常に感動的である。単にお涙頂戴ではない、素直に感動を呼び起こすだけの力が感じられるのだ。鑑賞にたえうるだけのなにかがそこにあるのだ。
 私たちの公演に関しても、観客の側に何かしら感動をもたらすことができたら、この上なき幸福である。



2002年04月05日(金) もっと勢いを!

 今日の午前中、たまたま仕事で一人配達に出掛けた(車で)。片道およそ1時間、往復で2時間程の行程だ。ラッキー! こんな時ほど芝居の練習にうってつけな状況はない。車内では誰に気兼ねすることなく、セリフを口にしてみる。当然感情も込みで。仕事に何ら支障をきたすことなく芝居の練習が出来て、ものすごく得した気分だ。
 
 午後は職場内での勤務。今日わが職場にいらしたボランティアさんに対して「公演のご案内」をおこなった。私が芝居をやってることについては意外な印象を持たれることが多いようだ。「すごいですね」「そんな一面もあったんですね」などのコメントを聞きながら、心では「そんなこたあいいんだ。とにかくチケット買ってくれ」って思ってる。でも、気がいいばっかりの私は、つくり笑顔で「ふむふむ、よかったら見に来てくださいよ」などと話している.

 稽古でも今まで以上にテンポよくなったように感じられた。
 あと2週間、いい仕上がりにしていくぜ。もっともっと突き抜けるような芝居をつくっていきたい。



2002年04月04日(木) 隣は何をする人ぞ

 引越のシーズンだ。103号室にも新たな住人がやってきたようだ。
 私は、現在「清和荘」というアパート(まるでどこかの老人ホームみたいなネーミングだ)の105号室に住んでいる。106号室に住むおばさま(隣人)は決して悪い方ではないのだが、時折彼女に驚かされることがある。例えば、深夜の12時にだね、ベランダ越しに話しかけてくることがある。「お兄ちゃん、畑(家庭菜園)でとれたんだけど、きゅうり食べるかね」ってな内容だから、TPOさえわきまえていただければ評価は全然違ったものになるはずなのだが。さすがに深夜にいきなりはびっくりする(あの方のなかには「いきなり」という意識は恐らくないのだろうな)。とは言っても、そんなのは可愛いもんだと思えてしまう。
 今の住居に越して来る前は、庄内通のほうの安アパートの2階に住んでいたんだけど、住人は結構くせ者揃いだった。一方の隣人はアル中男A(後で詳しく)、もう一方がシャブ中男(「シャブ中」は、私が入居した時にはすでに服役中であった。結局一度も会ったことはない)ときたもんだ。それに、Aのお隣は「暴走族」だというではないか。その他、1階には、水商売風の女性にヒモ男がくっついて同棲なんかしちゃって。それと、絶滅寸前の「トキ美容室」てな感じの美容院(ここのおばさんもきつそうな感じだった)があったよ。
 Aと言えば、酒癖がわるかったよな。安アパートなので隣の部屋から聞こえる声、すごく響くんだ。週に1,2回、酔っぱらったAの声を聞くのがたまらなく嫌だった。気になって夜眠れやしないし。真夏なんかお互いに網戸の状態にしてあるから余計に声が聞こえてくる。「バカ野郎、暑いなあ」なんて言われたってどうしようもねえだろ。別に私に対して言ってるつもりはないだろうけど、気にならない方がおかしいだろ。そういえば、Aのヤツ、アパートの階段(酔っぱらいにはきつく急な階段だ)を登り詰めたまではいいが、力尽きて私の部屋の真ん前で眠りについてしまったこともあった。
 Aのことではホント話が尽きないが、もう一点。ある朝なんか、Aの部屋から聞こえてくる目覚まし時計が10分以上鳴りやまないので(結構早い時間帯でセットされていた)Aの部屋のドアをノックした。すると中からAの声が返ってきた。「うるせえ」だとさ。「バカ野郎、てめえ。元はと言えば、てめえが目覚ましをいつまでも消さねえのが悪いんだろ」「ブッ殺すぞ」などと声に出さないまでも、普段は温厚な私めだって我慢ならねえって話さ。
 アパートを探すのに、家賃や間取りはチェックできても、「どんな隣人が住んでいるか」などといったデータはまずない。その点は運任せだ。隣人しだいで生活が楽しくもなり、きつくなったりもするのにね。
 住居選びにせよ、仕事選びにせよ、私たちは人生のあらゆる局面で何かを選び取る行動に出る。だが、選んでいるようでいて、実は選べない事柄のほうが多い気がする。人間関係においては特にね。まあ、それが人生ってものなのかもしれない。
偶然の産物ってやつさ。と同時に偶然から出発して必然を生み出すってこともある。人生、何があるかわからない。でも、それだからこそ、楽しいわけでもある。



2002年04月02日(火) 毎年この時期には・・・

 この時期になると、俺はエヌ・エイチ・ケーの外国語講座を、何かやろうかなって必ず思うんだけど、これまでのところモノになったためしがない。単に三日坊主と言ってしまえばそれまでだが、ちょっと言い訳させてほしい(ホントに言い訳でしかない)。
 まず、英語。「世界共通語」的地位を手中に入れようとしているこの言語。俺って結構あまのじゃくなんで、それだけでもかなり気にいらねえんだ。じゃあ、他はどうかって言うと、スペインもフランスも植民地を拡大していく中でその言語が伝播していったわけで、その過程では先住民の言語も文化も破壊されていったわけだ。人々の誇りを踏みにじる形で広められた言語、という歴史的側面はどうしてもある。ロシアにしろ、中国にしろ領土を拡大していく過程で他民族を蹂躙していったことに違いはない。もっと言えば、日本語だって方言(豊かな生活言語)を軽視した結果、地域固有の文化を失わせた歴史を負ってやしないだろうか。そんなこと(余計なことかもしれないが)を思うと、外国語を覚えようという気持ちは萎えていきそうだ。
 関係性のあり方によっては、例えばいわゆる共通語よりも方言のほうがコミュニケーションをとるのに適した場合も多いであろう。その地域、あるいはその生活に根ざした言語があり、文化がある。もちろん、他の文化と交わるなかで、相互に活性化し、そこに新たな文化がもたらされることもあろう。詰まるところ、個々人の関係性の一点に収斂されるのではなかろうか。
 俺、こんなふうに話しながら、実は演劇に関係することしゃべってるつもりなんだ。わかるかな。
 まあいいさ、じゃあな。おやすみ。
 



2002年04月01日(月) 花ふぶき舞う道を

 もう4月になってしまったんだね。今日からバスのダイヤも改まったんだけど、本数が減ってるよ。特に朝が不便になった。平針駅から職場へと向かう朝8時台も14分を逃すと30分までないという状況だ。俺、今まで21分のバスに乗って行ってたのに。今までより10分近く前に家を出ないといけないなんて、あんまりだよ。ただでさえ低血圧の俺は、起きてからエンジンがかかり始めるまでにだいぶ時間が必要だというのに。
 
 それにしても今日日中の天気は最高だった。ちょっと汗ばむくらいだったけど。
今日は勤め先(知的障害者施設)の行事で花見に出掛けたんだ。施設利用者と職員の総勢40名での大移動とあって、ただボーッとすごしているわけにはいかないのが残念だったけどね。でも、春の日ざしを浴びながら桜舞い散るなかを歩くのって最高な気分さ。月並みだけど、桜の散りぎわの美しさにちょっと感動したよ。でもさ、そういう日本人的な心情ってともすると危ういよね(一歩間違ったら「神風特攻隊」を無批判に賛美することになっちゃうからね、と思わず政治的・思想的発言をしちまったぜ)。
 日本人的には桜になんらかの意味を持たせようとするのだが、そんな人の世の流れとは関係なく桜は毎年花を咲かせ、そして散ってゆく。俺は桜ふぶきを一身に受けながら、夢のような世界にいざなわれてゆく。明日にはもう存在しないであろう一瞬の美しさに陶酔するのさ。
 俺も、舞台で狂い咲きしちゃおうかな。へっへっへっへっへ。


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夏撃波 [MAIL]