最近、感想書きをさぼっているので、読了報告のみ。
ゆめのみなとさん『天空の翼・1章』『風鳴る塔』 葉月理菜さん『ウツセミノトナリ』かなり佳境。 sagittaさん『KAYO』『光』(シナリオ)『かけっこが得意なアリさん』『雨の草原で』 ↑けっこう気に入って読みまくり。(^0^; 旋律さん『人魚』『硝子の靴』 南方南さん『「秘密」〜戦国奇怪草子〜』『11人いる?』『尸虫之闇〜大正ゾンビ・ハンター』『ハウン先生怪異行』 まだ、あったかな? うーん。。。 思い出したら書きます。
とあるブログ小説を読みました。 男の人が作者のようで、しかも自分の経験を綴ったものらしいので、タイトルその他は伏せておきます。
読みにくかったのは確かです。 後ろから読まなくてはならないので、まずは頭を探す事から始めなければなりませんでした。 また、小説というには……ちょっとこなれていない感じもして、物足りなく思いました。 ですが、知らない人の本音の身の上話をきいているような……。 何と言うのでしょう? 事実は小説よりも面白い。 もちろん、脚色もあるでしょうし、自分自身に都合良く書かれているところも、もしくは自嘲的に貶めているところもあるでしょう。 創作意図があまり感じられないにもかかわらず、何とも面白く読み終わる事が出来ました。 特に後半は、かなり書き方もこなれてきたのか、登場人物の人となりがわかるようになってきました。
主人公は……これが作者モデルだとしたら、申し訳ないのですが。 どうしようもない男です。寂しがり屋なのか、甘えっ子なのか、ひっきりなしに女性とつきあい、結婚もし、離婚もします。ネット中毒のような感じで、そこでナンパしまくっては、多くの女性と関係を結んでいきます。 なんちゅうー男だ!(ーー; と思うのですが、憎めないところもあります。 好感が持てたのは、あまり美化していないところでしょうか? 誰にでもつきあって欲しいと声をかける男だ、と、女にからかわれたり、それほどいい男でないから、こうしないと女に不自由する……と思い込んでいたり。 でも、後半に行くに従って、女性に尽くすタイプだということもわかってくる。 つまり、欲しい欲しいだけじゃなく、がんばっているんだよなー彼も……って感じ。こまめでいじらしいくらいです。 女性を蔑まないところも、偉ぶったところがないところも、すんなり読めた要因だと思います。
好きなエピソードは、女グセが悪くて離婚・結婚を繰り返す息子に、母親がマンションを持たせる所。部屋を借りるから落ち着けない。家があれば、落ち着くだろう……という、はい? という意見だが、実にその通りなのかも知れないと思いました。 それは『自分の家』というものが、非常に人間に精神的な落ち着きをもたらすことを知っている人のアドバイスだと思います。 そして、このお話のラストに、何となくこの主人公もこれで落ち着くのかもしれないな……という余韻を持たせている。
私には、こんなつきあいはしたくないし、出来ない。 煩わしいメールに追い回されるくらいなら、お一人様がいいくらいのタイプなので、彼と彼を巡る女性たちの存在が不思議なくらい。 だから、しっかりしろよなーと思いつつも、正直な文面に感動すらおぼえました。 面白い世界を見せてもらったな……と。 それと、時々自分と違う人間が描かれていて嫌になるのは、その人たちが受け入れられないのではなく、描き方が嫌いなんだな……とも思いました。 見かけは違いそうですが、もしかして光源氏タイプの性格なのかも?(^ー^; ほぼ実話だとしたら……これからは幸せになってほしいな、と思ったり。
2006年06月11日(日) |
【出版本】アイヌの碑 |
本日の感想は、萱野 茂さんの【アイヌの碑】です。 エッセイになるのかな?
北海道に住んでいるのですが、アイヌについて詳しいわけではありません。
祖父母の代、親の代あたりでは、アイヌや朝鮮から連れてこられた人々に対して、あからさまに差別があったと感じます。 子供心に、なぜ? と聞いても、祖母は明確な答えを持ちませんでしたが……。 親の代あたりの人は、差別によって態度を硬化させた人たちを見ているので、やはり自分たちの親と同じように「だからこの人たちは……」という目になってしまったかな、と思います。 私の代になれば、もうほとんど意識はありません。 今、差別が無くなった……というのではなく、民族そのものがわからなくなってきて、ああ、この人はアイヌなんだな、などと思うことがないからです。
こころなしか、昔に比べて【アイヌ】という言葉も聞かなくなったように思います。 アイヌの人々自身、差別的に使われたことをよしと思わず、和人(本州方面からきた日本人)も差別用語として使わなくなったためでしょうか? 子供の頃は【コロポックルの冒険】というアニメがあったり、ごく普通にアイヌのお話も民話のひとつとしてあったような気がするのですが……。 大きな蕗の葉を傘代わりにして、コロポックルみたいだね、なんて笑った子供時代。今、コロポックルを知っている子供がいるのかな? などと思います。 わずか100年と少しで、貴重な文化が無くなろうとしている……。
社会が平和で差別なく……とするならば、愛国心やら民族意識やらなど、ないほうがいいのかもしれません。 あなたは和人、あなたはアイヌ、なんて線引きをしない、さらに世代が重なっていけば、自分がアイヌであることも知らない子供たちが……いや、もう知らない人たちがいるでしょう。 線を設けるから差別も生じる。そのほうがずっと平和なのかもしれません。 でも、そうやってひとつの文化が滅んでゆくのは大きな損失でもあると思います。
差別という繊細な問題があるので、無頓着な和人である私にはなかなかアイヌのことは語りにくいです。 でも、この本の著者が、最初、研究者を追い出すような状態から徐々に観光の仕事に携わるようになったり、アイヌ文化を継承しようと考えるようになったり……という過程にあるように、このままだとあと50年もしないうちに、アイヌの伝統は潰えるでしょう。
特に、アイヌ語について。 アイヌ語は、文字を持ちません。しかし、その代わりに見事な語り部は敬われるという、独特の伝承の技術があります。 ところが、文書は保存されますが、声は中々保存できない。なので、アイヌの人でもアイヌ語が話せなくなっているのです。 言葉が失われてゆくというのは、本当に虚しいものがあります。日本語にしても同じであり、考えさせれます。 とくに「先に死んだほうが幸せだ」という部分では、ちょっと涙が出てきました。 生活が辛いから先に死んだほうが幸せ……という話なのかと思っていました。が、読むと違うんですよ。 もう、自分たちの言葉を話せる人が少なくなってきて、アイヌ式の葬式をあげられなくなっている。 老人が3人集まって、先に死ねば残りの人たちにアイヌの方法で送ってもらえるけれど、最後に残ってしまったものは誰も送り出す人がいない……って話なのです。 これってものすごく寂しいなぁ……と思い、泣けてきました。
長々思いついたことを書いてきましたが、この本自体は差別の問題を訴えるものではなく、むしろ北海道の生活風景や作者自身の心の移り変わり、考え方の変化など、一人の人間が歩んできた道を見るようなエッセイです。
作者の萱野 茂さんは、その後アイヌ初の国会議員になったことで有名になりました。 ですが、これだけの苦しい生活を乗り越えて生きてきただけではなく、素晴しい文化人であることに驚嘆します。 どこにも苦学した様子は描かれていませんし、小学校までしかいっていず、しかも不登校。子供の頃から働き詰めの生活です。仕事も転々とします。 家族を支えるために働き続けた兄二人が、20代の若さで夭折していることからも、生きているだけで大変な様子がうかがえます。 ずっと恵まれている自分の不勉強さに……あたたたた……。
2006年06月10日(土) |
映画【パニックルーム】 |
テレビで見ました。 こ、恐かった……。 お決まりパターンのひとつだと思うんですが、とてもよくできていたと思います。 恐いし、迫力あったし……。 実は、この映画。封切りの時にLOTRと重なっていたので、予告編は死ぬほど見せられていたんです。 その時は、こういう映画は恐いだけで嫌……と思ったのですが。 確かに恐いだけの映画といえばそうかも知れませんが、ものすごく綿密に考えられていて、最後までハラハラドキドキしました。 人間、悪人にもいろいろなタイプがあるものだな、とも思ったり。 おすすめです。 こういう演出が小説の中でもできるといいなぁ。。。
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