2006年04月24日(月) |
買っただけで満足してしまう本 |
それは……語学学習の本。 買っただけで読んだ気になり、勉強した気になる。(^0^; 本当に困り者の私。
あと洋書。 読めないのについつい……。 指輪物語なんて、何年経っても袋小路屋敷から足を踏み出せない。
旅行ガイド。 必要なところしか読まなかったり。 しかも、現地に行ってみると、かゆいところに手が届かなかったり……。 これ、仕方がないよね?(ーー; 私のために書いてくれているわけではないもの。
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久しぶりのオンライン・読書中報告。ただし、思い出したものだけ。 冬木洋子さんの『イルファーラン物語』番外編。 なんだか空から飛び出したように、本編よりもパワーアップしているような? のほほーんのほのぼのーんぶりが。(笑) 葉月理菜さんの『ウツセミノトナリ』そろそろ佳境だな。(^ー^) SFチャレンジトロフィーというものの作品を、今のところ2点。 ……というかこんなところもあるんだなぁ……ということで、自分の守備範囲の狭さに驚いた。 読者からメールをいただいて、その後何度かやり取りして、ついに生息場所を発見! その人の作品も何作か読ませていただきました。長編は中々面白いです。ゆっくり味わって読んでいます。
オン以外。 新聞記者が見たとある企業の栄枯盛衰のお話。徹夜一気読み。 だんなが買ってくる本は、時々開いたところを読むような……。(^0^; シナリオ『県庁の星』面白かった! 映画は見ていないんだけど、出演者がわかっているから、映像が目に浮かぶようでした。 あれま、小説を読んでいませんね。
2006年04月17日(月) |
【映画】エミリー・ローズ |
今更ながら先週の木曜日『お一人様』で見にいきました。 最近の映画のCMって、看板に偽りアリだよなぁ……と、またおもちゃいました。(^0^; これは、悪魔憑きの映画なんかじゃありません。むしろ、テーマは人間の尊厳死に近いんじゃないか? ってのが、私の感想。 下手な小細工の悪魔はいらんかったな。 ちなみに私、泣いちゃいました。(;;)
もうネタばれオッケーだよね……ってことで、バレバレです。
【エクソシスト】を見たのは小学生の頃だったと思います。 悪魔憑きの話ですけれど、かなりグロテスクな映像が話題になっていて、それを見たくて見に行ったと思います。でも、前半は非常に淡々としたお話で、小さい私にはよく理解できず、まだ悪魔が出てこないのか? と、あくびをしながら見ていたものです。 今から思えば、あの映画は悪魔払いがテーマだったのだろうか? それを材料に別のことを描き出したかったのではないだろうか? と思いますが、そこまで探るだけの記憶がありません。 エクソシスト後、ブームになったオカルト物のほうは、明らかによりエンタメ色が強く、恐怖をあおる作品が蔓延したと思います。
で、今回の映画【エミリー・ローズ】も、実話がベースといいながら、恐怖をあおる作品なんだろうと思いつつ、見に行きました。オカルト特番のノリですな。(笑) が……やられました。 確かに恐怖をあおるような効果を駆使しています。 でも、苦言を申せば、これくらいじゃ怖くない。むしろ、こちらのほうはちゃっちいと言えます。 証言をしようとした医師が、突然の事故で死ぬところなど、オーメンの二番煎じでつけたしのようなのがありあり……。 長い廊下を歩いてゆくシーンだって、確かに怖いんですが、今のホラー映画から見たら全然です。 特に弁護士のエリンも恐怖体験をした……という場面は不要だったかも? 時計の三時のモチーフもやや中途半端な使い方だったと思います。 でも、この映画は非常によかった。
まずは、映像が美しい。 最初のシーン。牧場のような場所の鉄線に血が滴っている。 怖い……というよりも、どこか幻想的で美しいと感じました。 そして、それがクライマックスの感動へと繋がる伏線になっていて、後に私を泣かせてくれました。 次に、オカルトなんか信じない、豪腕弁護士ぶりを披露するエリン。この徹底ぶりと、徐々に不安に苛まれてゆくところが、オカルト的恐怖というよりももっとリアル。 仕事であれば、たとえ殺人犯でも無実になるようにする、それがプロの仕事。だが、その殺人犯が無実になったおかげで、新たな被害者が生まれた。 実は、そういった葛藤のほうが、完璧豪腕弁護士には精神的に痛い。 狂信的とも言えるほどキリストを信じるカトリックの家族。そして、エミリー自身も。 この映画の大半は、法廷にある。 エミリーの死因が、満足な医療を受けさせないで悪魔払いをした神父にあるのか、それとも彼女に憑いた悪魔にあるのか……。 この映画は、悪魔の存在が裁判で争われたかのようであるけれど、実はそうではない。 結局、弁護士エリンは不可知論者であり、恐怖体験もしてはいるけれど、その立場を変えてはいない。 最終的に裁判で敗訴したのは【悪魔の存在を認められない】からだろう。でも、同時に極めて勝訴に近い結果になったのは、エミリーに対する神父の慈愛にあるだろうと思う。 その根底には【悪魔の存在を否定できない】という事実がある。
ここで勘違いしてはいけない。 【祈りで病が治る】というエセ宗教に乗ってはならない。 むしろ、神父が無罪になってしまったら、このようなことが横行してとんでもないことになってしまうのでは? などと、私は心配してしまった。 かつて【定説】という言葉を唱えていた宗教指導者がいたけれど「はい?」と思われる話でも、完全否定するのは難しい。 「もうすこしで生き返るところだったのに、邪魔をされた」 と言われたらバカバカしいのだけれど、奇跡というもの自体がありえないことが起きることをいうのだから、何とも言えなくなる。一種の詭弁とでもいおうか。
この映画のケースは、まったく医学を無視していない。無視していたら、単なる狂信者である。 限りなく勝訴に近い結末を迎えたのは、その事実を証明したからである。 そして、一番大事なのは、本当にエミリーが悪魔に憑かれていたか、どうか? ではない。 原因不明でどんどん悪くなっていく状況、食事が出来なくなる事態。 あらゆる医学的治療も、エミリーの苦しみを和らげることは出来なかった。 この苦しみを乗り越えるために、エミリーは信仰を求めた。 それが一番大事なことだったのではないだろうか? 私が、この映画を見て【尊厳死】に近いテーマだ……と感じたのは、まさにその部分なのです。
最後の手段、悪魔払いさえも失敗して、エミリーは絶望します。 その時に見た夢が、最初のシーンとオーバーラップする。 彼女はそこでマリア様と出会い、悪魔がずっとエミリーに取り憑いたままなのは、彼らがそこにいる運命で変えられないのだ、と言われます。 逃れられない苦しみほど辛いことがあるでしょうか? エミリーは何も悪い事はしていない。むしろ、神様を信仰して生きてきた。 そのような少女が、なんと悪魔に憑かれて死ぬ運命だとは。 マリア様はエミリーに言います。 あなたは、世の中に悪魔の存在を伝えるために選ばれた、でも、もしも苦しいのならば、私とともにその場を去る事も出来ると。 エミリーは、その言葉を聞いて「ここに留まります」と言う。 エミリーの体に聖痕が表れる。それは、キリストと同じ傷。 でも、本当にそのような奇跡は起きたのか? 実際は検事が言うように、夢遊病のように彷徨ったエミリーが牧場の鉄線を握りしめたため、掌に穴があいてしまったのだろう。 しかし、その行為すら、神が聖痕を現すために導いた結果とも言えなくはない。 悪魔の姿もマリア様の姿も、映画には登場しない。もともといないかも知れないのだ。
ただ、エミリーは神様を信じた。 そして、自分が生まれてきて死んでゆく理由を知って、死んでいった。 これは、やはり魂の救いだとは言えないだろうか?
このシーンを補うように、弁護士のエリンが熱弁を振るう。 そこにも、悪魔や神の存在を肯定する言葉はない。 幻想的な映像イメージと強い訴え。 これだけストレートにテーマを打ち出しているのに、なぜ、この映画がオカルト・ホラーとして宣伝されたのか、本当に不思議なところである。
私が、泣けていた理由は、エミリーがかわいそうだから……だけではない。 世の中には、救いようのない苦しみの中で生きている人たちもいる。 私は、常に前向きに物事を考えるようにして、苦難に負けないように、自分からくじけてしまわないように心がけている。 でも、それは、まだまだ幸せで、やれば出来るよ……どうにかなるよ、という希望があるからだ。 もしも、何も希望が見いだせない状態になったら? 難病に冒され、体の自由もなく、心も別のものに乗っ取られ、徐々に自分でないものになっていったら? その状態で生きていく楽しみを見いだせ、世のため人のための尽くせ、などと思えないだろう。 エミリーは、まさにそういう人の代表のように思う。 何一つ悪くない。何も原因はない。 なのにエミリーは悪魔に憑かれて死ぬ運命に陥り、自分ではどうともする事が出来ない。 夢も希望も一気に失われた。 「なぜ?」というエミリーの疑問にこらえられたのは、医師ではない。神だった。
もしも健康に生き続ける事が出来ても、人間はいつか衰えてぼろぼろになって死ぬ。 死は誰にでも訪れる最も平等な出来事だ。 その運命は免れない。
私は多分、神様を信じていない。 悪魔の存在も信じていないだろう。 でも、最後の救いは、人々が神と呼ぶものだと思う。 なぜ? に答える【悟り】だ。
2006年04月04日(火) |
SF企画感想群(^ー^)2 |
麻生新奈さんの【宇宙人(スペーシアン)になりたかった】
宇宙で一度死んだ経験がある少年と、チャレンジャー事故で亡くなったエリソン飛行士の心の出会いのお話。 チャレンジャーの事故は、たしか中継か何かで見ていたかして、「はぁ?」っと思ったのをおぼえています。 それからしばらくの後、アナウンサーの事故を伝える声が響きました。 それくらい、あっけなく爆発してしまい、何が起こったのか、誰もすぐには把握できなかったような状態だったと記憶しています。 宇宙空間ではなく、何と打ち上げの失敗という悲惨な事故で亡くなってしまったのは、本当に無念だったかと思います。 振り返れば、宇宙開発は今までも多くの事故で犠牲者を出し、また、アポロ13号のような危機的な状態もあり、で、けして夢だけでワクワクドキドキできるものではなかったです。 それでもやはり、私たちは宇宙に憧れてしまいます。 いつか、宇宙で当然のように暮らしているのでは? などと考えて夢を膨らませます。 それは、たとえ宇宙空間に人が住むようになったとしても、さらに先を目指すように、同じなのかも知れませんね。
不思議なことに、宇宙の理が解明されればされるほど、世界は奇想天外な発想になっていくような気がします。(笑) この作品の中で「魂」(サイキ)の存在は、超ヒモ理論と結びつけられていて、幻想どころか科学的。 いや、もう科学が幻想的な世界になっちゃうのか? 我々が把握できない次元があと6もあるとしたら、それで科学的に説明されれば、そりゃあ幻想的だと思います。 本来のSFの楽しみのひとつは、科学的に説明ができちゃいそうな幻想世界の構築かも知れないですね。
で、前置きが長くなりました。感想……というか、思いのまま。
猫型ロボットである僕(カトゥルス)の口調は、やはり16歳の少年らしさを残している。でも、淡々と自分の手の中で死んだ少女のことを語る。 しかし、実は強烈なトラウマとなって、僕を縛り付けていた。 *引用* エミリーのきれいな透明宇宙服は爆発で損傷し、僕のノーマルタイプは穴は開かなかったがヒーターが壊れた。 エミリは数秒で真空に殺され、 大人たちがボクらを発見したとき、ボクはエミリの体を抱きしめたまま、闇のなかで凍死していた。 *引用終わり* たったこれだけの表現だけど、僕にとって死んでゆく時間がどれほど過酷だったのかは、充分に察しがつく。むしろ、簡潔な一人称だからこそ、受けた傷の大きさがわかるというものだ。 宇宙は、どんなに慣れても安全な世界ではない。さらに進んでいけば、さらに危険が伴う。 僕は、16歳の少年だ。なのに、なぜ、猫型ロボットの姿を選んだのだろう? それは、死はもう怖くないけれど、誰かが手の中で死んでゆくのは怖いという、ひとつの逃げではなかったのだろうか? と思う。 僕とエミリは、宇宙の果てに夢を見ていた。そこにあった事故やら死は、ただ冒険をますますはらはらドキドキにするための、手段にしか過ぎなかったのではないだろうか? そして、実際に死んだ時。僕は夢のほうを捨てて、死を乗り越えたのかな? と思う。 エリソンとの共鳴が、僕という少年に、「宇宙の夢」の素晴しさを教え、犠牲を乗り越えてさらに生きることを思い出させてくれたのだろうか? 僕が人間に戻るのは、宇宙人になる夢のためだ。それを未来へ繋ぐため。 悲惨な事故を描いた作品でありながら、希望の繋がる結末だったと感じます。
で、微辛なところを。 とても読み応えある作品ですが、チャレンジャーの事故と未来の宇宙に生きる少年を結びつけるのに、若干、強引さを感じました。 おそらく、お題を入れなければいけないので引っ張られているところと、かなり進んだ未来世界と現実世界で起きた事故という温度差が、こなれていないのだと思います。 二つの世界が、この作品の特徴であり、面白さでもあるのですが……。 あとがきを読んで、チャレンジャー事故について書きたいという強い気持ちがあったとのこと。 思いっきり一本柱の重々しい作品を、ちょっと期待したくもなってしまい、辛いところを入れておきます。(^ー^)
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あ、レスに無理っす、と言われてしもうた。。。 でも確かに一本柱で重々しくしたら、SFではなくてノンフィクションになってしまうか?
2006年04月03日(月) |
SF企画(^ー^)感想群 |
ふだんあんまり読まないSFなのですが、参加しました。 参加して思ったのは、SFっぽくなくていい……というお話だったのですが、ちょこっと場違いなお話を出してしまったかな? ってことです。(^ー^; きっと、これからアップする予定の【星を見る人】のほうがSFっぽかったと思います。
たくさんあるのでさらっと。
*** アヴダビさんの【エーテルに心も知らず黒髪の――】 ああ、SFってこういうかんじなのかぁ……。という出だし。 生体ロケットといいつつ、私の頭の中では、ロケットという思い込みのせいで、途中まで完璧な無機質な機械でした。古いんですが……マグマ大使か? という感じでした。 が、途中から、妙に柔らかな感覚になってきました。 ぐにょぐにょ、ぷるるん……っていう感じですね。 私の頭の中では、マグマ大使が人間を通り越してマシュマロ坊やに変わっちゃったです。 SFという何となく硬質なイメージを、ここまで見事に手触りを変えてくれるのは、何とも不思議で、面白かったです。 ちなみに、私イメージのエーテルの海の泳ぎ方は……何となく平泳ぎです。
カモネギさんの【生き残った二人】 SFといえば! 思いつくのが人類滅亡後の世界を描いたもの……っていうのが、3つ目か4つ目くらいに思い浮かぶのですが……。 こ、こういうオチですか? 大受けでした。 視点を変えれば、確かに二人はがんばったビジネスマン、しかも、死してなお、クローンならぬ自分のウツシを宣伝に使っているわけですから、ますます納得です。 ソフトな風刺が効いていて、SSとしても面白いです。
紫堂來瑠さんの【少年と猫と海の思い出】 ロボット型猫は変わらないけれど、人間は大人になります。 ロボット工学者の卵という主人公にとって、ソルターは大事な友であり、かつ貴重な未来からの技術提供を担っているのでもあって、これ以降がますますSFチックな展開に発展しそうな気配がすます。 タイムスリップの謎も埋め込まれていますし。 この作品は、純粋に猫ロボットと少年の友情が優しいタッチで描かれていて、硬質な展開をあえて書かず、フェイド・アウトして余韻を残しています。 SF好きな皆さんなら、「そして――」以降を楽しく空想できそうですね。
ハルヤさんの【SORA-Seed of Fortune-】 どうも、再生と繰り返しの物語には弱いです。(笑) (好きってことです) クローンのことを考えると、なぜ、人間はクローンで増えるような進化をしなかったのか? と考える事があります。 子供を産むのもいいですが、植物の挿し木みたいに簡単に子孫を増やせたら? などと、とんでもないことを思ったり……。(笑) そこに、クローン技術の発展と人類の未来がどうかかわってくるのか? があるような気もします。 両親が最終的に種を残した事。 これこそが、再生の第一歩なのかも知れません。
裏乃さんの【そこは美しい世界だった】 何だかSFなのに、昔の神話を聞かせられているような気分になります。 美しい世界の調和は、実に微妙なバランスで成り立っていて、どこかが崩れると消滅するしかないんでしょうかね。 おそらく、愛やら恋やら独占欲やら、何もなければ、ただ美しい世界を維持するためだけの駒のように、彼らは生き延びることができたでしょうに。 自分のしっぽを飲み込んで、最後は自分を全部飲み込んだ蛇のような……。 衝撃的なお話でした。
続きます。
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