本日の感想文。

2006年02月20日(月) 映画【リーグ・オブ・レジェンド】

今イチ評判が良くなかった映画ですが、スカパーで見ました。
いっしょに見ていただんなが、思わず途中で寝た……。(^0^;
うーん、かなりもったいない映画だったと思います。

まず、こういったチームで動くアクション物の鉄則が【仲間同士のチームワーク】だと思うんですよ。
中に裏切り者を設定してしまったことで、最初から最後で疑心暗鬼の展開になっていて、友情を育む間がないです。
あと、招集した主が悪だった……というオチも、印象が薄いから、驚かせてくれない。
アクションへの入りも面白くない。突然敵がどこからともなく現れてしまって緊迫感がない。
ちょっとストーリーがちゃっちいなぁ……という感じです。
とにかくちっとも話に入れないうちに終わっちゃいました。

映像はまぁまぁきれいでした。
でも、きっと見所のノーチラス号などは、ちょっと大げさな感じがします。白くてごちょごちょ飾りがあるのは、私のイメージと違いすぎる。(^0^;
それに、私のイメージでは、ネモ船長はフランス人なのでアラブ系には抵抗がありました。
透明人間はいい味を出していますが、その彼も途中までは本当に消えていてどこにいるのやら? です。
ポイントは、トムとアランの親子風の友情なのですが、それも不完全な感じです。見せ方のテンポが遅いので、映画自体の流れを途切れさせているように思います。

しかしまぁ……。
これだけキャラを揃えてCGも使っていい物揃えて、出来上がりが駄作なのも珍しいのではなかろうか?
期待して見たせいもあるけれど、がっかりさせられてしまいました。



2006年02月15日(水) 【オンライン短編】みにくい姫君のお話

私は、昔から文章書きでも文学少女でもなく、ネットでぽっと出の物書きなのですが、そんなヤツでもある程度は物が書けるようになるさ! と思っています。
……が。(ーー)
長年コツコツ培ってきたんだろうな……と思う人には、絶対敵わないところもあるな、って思うんですよね。
書く事もさることながら、読む事もです。
もう絶対に埋めることのできないレベルの差を感じてしまいます。
ネットには、もう自分と比較するのもおこがましいほどすごい人が何人かいますけれど、ゆりかごさんは、まさにそういう人なんだなぁ……と思います。
以下は、A&Cからの転載です。

***
(洒落さんの)感想が面白かったので、便乗して読みに行きました。
ゆりかごさんの作品には、前にも【鮭缶、あるいはその日ヒロシマで】を読ませていただいて、えらく心を動かされていたのですけれど、今回は別の意味で、やっぱり心を動かされました。
それと、作品によって色々な表情を出せるゆりかごさんの技量にも感服してしまいました。

私は、深く考えず、そっくりそのまま童話として読みました。
そして、何も考える事なく、懐かしい気分になりました。
小さな頃に母に読んでもらったお話や、自分で読んだお話は、みんなこんな感じだったと思います。

童話には残酷なシーンとか勧善懲悪の教え、教訓などが含まれていることが多いです。
私がよくあとがきで目にしたのは、「ラストシーンが残酷なので、子供向きに省いた」というものです。
また、色々な人が解釈をすると、性的な象徴話であったりもするようです。
【本当は怖い……】というたぐいの本もありましたね。
でも、この作品にはほとんど残酷なシーンがなく、悪い虎やら鳥やら出てきて、最後に退治されてしまいますが、それも苦しんで死んでいく描写がありません。
そして魔女も姫も従者も騎士も、みんないい人です。
姫には、悪い心と善き心があって、その悪き心を退治するお話です。
なので、私はこのお話がとても優しいと感じました。
そして、今風だと思いました。

洒落さんのように文章を味わっても、童心に帰って読んでも、楽しめるお話だと思います。
読んで心地のいいお話でした。

***

感想の流れから、自分の解釈をたくさん書かないほうがいいかな? と思って、「優しい」と書きました。そして、今風と書きました。
童話は子供達に悪い人は痛い目にあっていい人は幸せになるといった、教訓を含めることが多いです。だから、悪者は徹底的に悪として描かれ、善人は多少のふらつきはあってもよく描かれます。
このお話は、今までの童話のパターンを踏襲しながらも、善と悪をたった一人のお姫様の中に入れたところが、斬新で今風だと感じました。
お姫様は醜いです。でも、見ようによっては美しくも見える。
人には、きれいなところと醜いところがあって、それで一人の人間として存在する。
が、醜くて悪いところは断ち切り、いかに美しく善き存在でいられるか? が、大事なんだと私は思います。
たとえば、指輪物語のサルマンやボロミア、デネソールのように、指輪の力に翻弄される者も、はじめから悪ではありません。
このお話は、童話でありながら、悪者を退治するのではなく、悪者を救うお話なのです。
今まで退治されるばかりの悪に負けた弱い人間は、もう一度やる直せる機会をあたえられたかのようです。
だから、私は、このお話がとても優しい慈愛に満ちたお話だと感じました。
そして、とても今風だと……今の倫理観に根ざしたものだと思ったのです。

子供がいたら、ぜひ読んで聞かせたい素敵な童話です。(^ー^)



2006年02月09日(木) 【シナリオ】忘却の川

先日、シナリオのことをうんたら書いたら、シナリオもいいんだよー! と、メールをいただいてしまいました。
で、シナリオで書かれた作品を読んでみました。
作者は、前に【エーデムリング物語】の誤字脱字指摘&感想をくださったセイさんです。
(しばらくサイト自体の更新が途絶えているので、もしかしたら忙しいのかも?)

【忘却の川】は、ラジオ用のシナリオをして書かれたものということで、ナレーション文が入っていて、シナリオ慣れしていない私でも抵抗なく読む事ができました。
……というか、なりきって朗読してしまいました。(笑)
放送時間が5分ということで、素人の私の朗読で2、3分というところでしょうか?
短いお話なのですが、非常に緊迫した引き締まったお話です。

幻想的で、少し和風で古風な雰囲気と、転に置かれている回想部分の今風の対比。
主人公は23歳という事ですが、時代の流れからはやや遅れている古風な女性。一途でシャイな人のようです。
23歳でばあさん扱い……っていうのもすごいというか、君はつきあう人を間違えたぞ! というか、まるで陸に上がってしまった人魚姫のよう。

このお話で一番印象に残ったのは
「命で償える罪などありません」という台詞です。
お話には関係ないのですが、幼女誘拐殺人事件などの公判のもようとかニュースで聞いていると、死刑になっても物足りないくらいの憤りを感じるではないですか? サリン事件などでもそうです。
犯してしまった罪を償うということは、ただ死ねばいいという単純なものではないな、と感じます。

生と死の間には、東西問わず川があることが多いようです。
川を挟んであちらとこちらは、たった少しの距離なのに大きな隔たりを感じるものなのですね。




2006年02月08日(水) 【映画】風の谷のナウシカ

前にも感想を書いた事があるような気がするので、別観点から。

久しぶりに見て、またまた泣いてしまいました。
年を重ねるごとに涙もろくなってきているようで、恥ずかしいくらいです。
私が一番泣く箇所は、ナウシカの子供の時の回想シーン。
なぜなのか、さっぱりわかりません。(^ー^;
虫と人は共存できない……って大人に言われるその瞬間に、どっと悲しくなるんですよね。
幼年期のトラウマ?

さて。
実は、我がだんなは宮崎アニメが嫌いなのです。
何となく見ているところをみると、いちもく置いてはいるけれど、どうも生理的に受け入れられないところがあるらしいのです。
ラピュタはそれほどでもないのですが、ナウシカは
「良くできていると思うけれど、子供っぽい」
と、毛嫌いします。
私には、ちっともその感覚がわかりません。
おそらく、最後の奇跡的なシーンがそう思わせるのか? と思うけれど。

「どこが嫌なの?」
「キャラが両手を上げてくるくる回りながら喜びを表すところ」
でも、それって実写だと「おかあさんといっしょ」かも知れないけれど、アニメ・デフォルメの定番表現じゃ……。
「女の子が好みじゃない」
かわいいじゃない? なぜかね?
この調子なので、私がテレビを見ながら泣いていると、
「へん」
とか言う。(ーー;

本当に不思議な事に、だんなと私の好みは天と地ほどの差があります。
きっと若い頃なら、いちいち好きな事にケチ付けられて気分を害して大げんか……という展開だと思うのですが、大人なので気にしない。(笑)
むしろ、面白く感じてしまいます。

ブログなどを回っていると、宮崎アニメを子供の頃は好きだったけれど、今はそれほどでもない……などという人がいます。
となると、子供っぽい……まではいかなくても、大人にはそれほど響かないということもあうのだろうか? 言っておきますが、私は大人よ。(^^)
で、ふっと思ったのが最初に見た年齢。
私は、おそらく20代だったと思うんですよ。30代で見ても40代で見ても、私なら【ナウシカ】で感動すると思うのだけど、そうじゃない人もいるのかも?
10代で感動した作品が40代の心をも動かすか? と言ったら、そうでもない。
さらに、我がだんなは「自分が好きじゃないのに人気があると「へ」と思う」タチなので、私が感動するから余計にケチをつけるのではなかろうか? などと思います。

敵を恐れる心・憎しみ・武器からは、破壊しか生まれない。
映画のナウシカは、確かに奇跡のお話でもありますが、真実を語っているとも思います。
この映画に感動した人も、ナウシカのように生きる事は難しいです。不可能に近いです。
でも、やはり腐海を焼かないと、僕らは生きていけない……と、誰もが思うし、思ってしまっても当然だと思います。
だからこそ、立ち向かうナウシカの姿が英雄と重なるのです。

ナウシカは、戦う色々な理由を背負ってしまった大人たちに、心を許せばわかりあえるはずだ、と訴えます。ある意味、純真な子供心なのかも知れません。
……そんなに甘くはないよな……と思う大人がいても、確かに……かも?
なんだか、ジョン・レノンのイマジンを思い出すのですが、ナウシカも理想の思想なんですよね。
「君は僕を夢想家だといって笑うかもしれない。でも、誰もが同じように夢見れば夢は現実になる」
っていうパワーのある作品だと感じます。

とある人が
「昔感動して読んだアンデルセンの本を読み返したのだけど、当時ほど感動できなくて愕然とした」
と言いました。
感動には、年齢が大きく作用するものだと思います。
ウルトラマンおたくのサラリーマンが、30歳になって初めてウルトラマンに出会った時、はたしてそれくらいのめり込んでいるか? 私にはわからない。
ヒーローに憧れる時代に出会ったから、永遠のヒーローなのではないだろうか?
だんなはスターウォーズが大好きなのだけど、それは20年前の若かりし頃に出会ったからではなかろうか? しかも彼は旧3部作のほうが好きである。(^ー^;

などと考えると、今後もナウシカは何度も再放映されて、常に新しい若い世代に引き継がれて欲しいと思ったりするのでした。
本当に、素晴しい名作です!



2006年02月05日(日) 【オンライン中編】傍らのミス=フォーチュン

ブシィ=ナスカさんは、おそらく私の3倍速で活動されているヒトなのではないか? と常々思います。
シリアスもコメディもそつなくこなし、しかもイラストもお上手ときている。
うらやましいにもほどがある。
でもって、そのコミカルなセンスを見ていると、能の回転も私の10倍速くらいありそうで、お会いしたことはないけれど、私が「はじめまして」と言う間に、氏名年齢生年月日住所はたまたどこが一番美味しいラーメン屋かまで説明が終わっているような気がします。(^ー^;
(あくまでも勝手な想像なのですよ↑)
そんな人から、毒吐き辛口感想を求められると、きっと、これでごちそうさま!
しばし、冬眠に入ろうかな?

以下、A&Bから、またまた抜粋です。
大いなるネタばれなので、それを覚悟して読んでください。

***
キャラクターの個性が光るコミカルでちょっぴり切ないファンタジー。
ブシィ=ナスカさんの作品は何作か読ませていただいているのですが、この手のものは本当にうまい! というか、独特で楽しいです。
どちらかというと、個人的にはシリアスなほうが好みですけれどね。
テンポがあって読みやすく、また、こういうセンスはたまらなく好きです。
一人称ですが、主人公が弁護士であるせいか、くだけちった笑いではないのです。
『笑い』には、頭わるそうな笑いもありますが、こちらは頭いさそうな笑いです。
(頭わるそうな笑い……と書きましたが、それは書いた人が頭悪いという意味ではありません。わかるとおもいますが、念のため)

>「おれ近いうちそっち行くねんけど泊めてあと住所教えてよろしく」
> 句読点を打たない人間は嫌いだ。

一発で笑いました。
主人公の一史だけでも充分に楽しいキャラです。
九段への態度なども、並大抵の主人公でないことがわかります。

時々、ゲームや漫画などが出てきます。
知らなければ知っている人ほどに笑えないところはあるのですが、しらけるほどではありません。
かなりポピュラーなもので押えられていて、ゲーム名を知らなくても充分に理解できるからです。

個人的に、一番好きなのは『病院』のシーンです。
普通、九段のようなキャラは、病院で診察されて正体を明かされるのを嫌がるものです。それが、この手の定石かな? と思っていました。
が、彼女はCTスキャンという科学のメスを受ける。そして、その結果が……。
いや、ここはいくらネタばれでも伏せておきます。
でも、ここで大受けしたことだけは告白します。

この辺りを読んでいると、昔子供の頃に読んだ『長靴下のピッピ』を思い出しました。
強烈な個性と強さ・独特の話術で、あたりを大騒動にしてゆくピッピと九段の姿が重なっていました。
大きく違うのは、ピッピは変わった子であるけれど謎はなく、九段はどうやら人間ではなく、しかも謎がある……ということです。
この謎解きが、話の中心であることは誰から見ても明らかです。
謎解きと一史の秘密は後半に持ち越されます。
で、ここから辛口になっていきます。


読んでいて、明らかに前半と後半では、話が違うと思いました。
まず、テンポが違うと感じました。
前半はひたすら明るく軽く、後半はコミカルな面を残しつつも、ゆったりとした流れになっています。
一から八までに行った場所・起きた事件などに比べると、それ以降は会話や心情を語るシーンが増えて、動きが減ったような感じがします。
九で一気に解明された謎を説明するのに躍起になっているような印象があります。
ひたすら謎の説明に終始しし、その隙間にお話を進めている感じです。

キャラクターのイメージが違います。
たまに一史らしいセンスを見せるものの、前半の強烈な個性は薄れて、別人のようにすら感じます。
九段のほうは相変わらずですが、秘密を知って以降は悲劇的なヒロイン色が強くなり、前半で笑ったのは何だったのだろう? という気持ちにさえなります。
また、謎が解けてから九段の最期までは実にあっけなく、一史が九段を守るためにもっと何かどたばたがあってもいいのでは? と思いました。

このギャップが面白いと思う人もいるかも知れませんが、私が読んだ印象では、後半が前半を殺し、前半が後半を殺していると思います。

まず、前半で『謎解きの結果が悲劇的である』という伏線が弱く、読者はただひたすら愉快な気分にさせられています。
私は『長靴のピッピ』気分です。だから、この結末には、ピッピが死んでお話が終わったような、感動よりも、「そんな……」気分が、どこかについて回ります。
そして、あまりにも一史が『謎』にこだわっていない、もしくは、謎解きのチャンスを読者にあたえていないかな? とも思います。
前半も終盤に来ると、少し謎を引っ張られたような、答えの前にコマーシャルが3回も入ったような気分になり、ピッピ気分でいるべきか、この謎を探るほうに集中するべきか、悩んできました。
謎を思えば、コミカルなやり取りも答えが引き出せそうにないので、少し疲れてしまいます。
難しいことを考えずに楽しもうとしても、やはり謎が気になります。
一史自身の謎も含まれているので、なぞなぞだらけが前半なのです。

後半です。
この結末・謎は、本当はかなり私のツボ設定でした。
でも、前半のノリで行くと、話に入りきれませんでした。
一史は九段を犬飼から助けるどころか
「ああ、バキューンとやってくれ」
とでもいいそうです。
死についてナーヴァスな一面を見せてはいますが、玄関でうずくまっている九段を足蹴にして出て行く男でもあるので、ピンときません。
突如、「ココは当然救うでしょう」という王道に戻ったような気がします。
理由は『忘れてしまった過去』ですが、それを知るのも後なので、一史も普通の人になっちゃった……って感じがするのです。
あ、ここでいう普通の人というのは、普通の人の『正論』に対抗して弱気を助ける普通のヒーローってことです。
また、前半の軽快感が死んでしまっているのも、後半が生きないところです。
十二の後半。このあたりは、もしもシリアスなお話の中にあったとしたら、ものすごく惹き付けられる部分だと思います。
でも、一史が切々と語れば語るほど、逆に裏切られたような虚しさを感じます。

あと、時々空欄があるのは、わざとなのかな?
『殺す』という言葉を伏せているのかと……。
私のPCは、太文字を痩せたままにしたり、フレームを消したりするので、もしかしたら特殊文字が消えているのかな? とも思い、一応確認。

ブシィ=ナスカさんの『コミカル』と『シリアス』な両面を充分に味わう事のできる作品だったと思います。
でも、おそらく『コミカル』ならコミカル、『シリアス』ならシリアスにまとめたほうが、もっと面白くなったかな? と思ったお話でした。

*追記*

感想を書き終えて、しばらくこんな流れのお話って他にあるかな? などと考えておりました。
で、思い浮かんだのは………。

『はくしょん大魔王』(^0^;
全体を通してコメディだったけれど、最後の最後で涙の最終回でした。
どこが違うんだろ、うーん。はくしょん大魔王が3話で終わったような感じ?
『ドラえもん』だって、コメディですけれど、ときに泣ける感動ものもあるしな。
『サリーちゃん』だって最後は魔法の国に帰る悲しい終わりだし。

コミカルなお話に悲劇的要素があってはいけない……ということではないですよね。
どこに焦点があるのか? って事なのかもしれません。
両面を持っているのって、かなり難しいのかも?
どっちかにしてよー! という気分でしたが、果敢に挑戦するのも面白い??



2006年02月03日(金) 感想を書いた感想を書いて感想を考えた

えーと……【ホントノユウキ】という作品も、A&Cで募集して感想を書きました。
……どうもこのテーマは感想が書きにくいです。(^ー^;
【死】というものを扱うものを読むと、どうしても私はナーヴァスになっちゃうから。
おそらくそういう人は多いのではなかろうか? とも思います。
この作品を読んで思うところはありました。でも、非常に言葉にしにくかったです。
で、結局散々あーでもない、こーでもないと長々書きまくったあげく、かなり短く削って感想としました。
ここには、その感想は載せません。
その後、ぼちらぼちらと考えたことを書きます。

大事な人が亡くなった時に希望を感じる人はいるだろうか? いないと思います。
いや、大事な人だけではなく、たとえ飼っている金魚の金ちゃんが死んでも希望に繋がらない。
おかあさんに、「金ちゃんはこれで青空で泳げるようになったんだよ」とか「姫ちゃんにかわいがられてシアワセだったって」とかいわれて、うん、じゃあよかったんだ! とは思えない。
だから、子供の死に希望を語る結末は、かなり無理がある。
大事な人が死んだ時にあるのは、絶望と後悔――死に希望は語れないだろう。

……と思ったのだけど。まぁ、それはうんちくですね。(^0^;

もしも死に希望は語れない、としたら、私の2004/08/24に書いた【鮭缶、あるいはその日ヒロシマで】の感想は何なのだ? と言われてしまいます。(笑)

**引用**
でも、ひとつ希望があると思いました。
人はどんなに悲惨な悲しみを受けても、嘆き悲しんでは死に至らないということです。
第三者からみて、無駄で虚しい哀れをさそうような夢や希望であっても、辛いときにこそ希望をもとうとするものなのだな、と。
**引用**

希望のニュアンスがかなり違うのですけれど、死を通して人間の力を感じております。私。
悲惨な状況で希望を見いだす私は、ひどい人間です。(笑)
悲劇や悲惨な話が好まれるのは、実は焼き畑にも似た死と再生の疑似体験なのかも知れない。
これを長々語ると、とてもエセ哲学的なお話になっちゃいそうです。なので、略。

結局、希望がいいかわるいか? なんて言葉選びで、ふさわしいかふさわしくないか、なんて定義はないわけで。
作品に共感できるか、できないか、……なのかな?
何でそう思ったの? と言う事を説明するのは、簡単なことじゃない。
思うのは一瞬で、頭で考えているわけではないのだろうな。
でも、そこをどうにかうんちくうんちく考えることが、感想を書く事なのかな? などと思ったり。

なんだか、感想を書くってことは、作者の頭の中よりも自分の頭の中をのぞくみたいだな……。
などと支離滅裂なことを思って締めくくりにします。なんじゃ、こりゃ?



2006年02月02日(木) 【オンライン掌編】そして私は旅をする

今年の正月、実家に帰って父と話していたら、とある本の話になりました。
「ほら、おまえは文章が書けないから、買ってやった本があっただろう? 少しは読んでみているのか?」
ドキ! 読んでいません。
今からは信じられませんが、ほんの数年前までは、確かに私は文章とは縁のない生活をしていました。まっとうに手紙も書けない私に、父が「社会人として恥ずかしい」などと言って、現代文章作法なる本をくれたのでした。
でも、その時は全然自分が物を書く人間ではないと思っていたし、父が思うほど文章を書くような職場でもなかったので、その本の存在は忘れ去っていました。

で、帰ってきてからちらちら読んでいます。(^ー^;
そこに、上手に書けているけれど物足りない作品というのが例文としてありました。
私は充分に面白かったのだけど、批評する側からすると、選びようがない作品だというキツい評価です。(まぁ、この本自体古いので、今はどうなんでしょう?)
で、A&Cでハルヤさんからこの作品の感想をお願いされた時、ふっと思い出したのが「上手に書けているけれど選びようがない」という評価の言葉でした。
選ぶわけではないので、充分にいい作品だと思います。でも、あえて物足りなさを書いてみました。
A&Cからの一部抜粋です。

***

現代生活の閉塞感。どこが悪いというわけではないけれど、どこか物足りなさを感じる日々。そこから脱却を計ろうとする女性のお話です。

>だから、私も旅にでる。今と言う時間から、あしたに向けて一歩ずつ。

が、結びとなっています。
ところが、私ときたら、次のページをクリックしようとしていました。
これでこのお話が完結したとは、すぐに思えなかったのです。
テーマは、非常に多くの人に共感を得られるものだと思いますし、文章力もあります。よく書けている作品だと思います。
それだけに、充分なインパクトがないのは、もったいない気がします。

まず、一番弱いと感じたのは、「だから、私も旅にでる」です。
何が、だから、なのか? ってところです。
主人公は、ただお友達に温泉に誘われただけで、偶然に「飛んでいる祖母」の思い出を見つけただけで、祖母の絵を見ただけです。
今ひとつ、彼女が今から旅立とうとする決意に結びつくものが弱い気がします。
それがきっかけで旅立って、何かを経験して、何かを経て、初めて話になる気がします。
そもそも、祖母の生き様をちらりと鑑みるだけでは、人間生き方は変わりません。
それで変われるならば、誰もそんなに悩んでいないはずです。
「自分も、少しは見習ってみようかな?」程度の気持ちにはなるでしょうが、明日の希望になるほど、強い想いだとは思えないのです。
だから、私はつい、まだ先があるに違いないと思ってしまいました。

>人に夢と書いて、儚いと言う。

これは素敵な言葉だと思います。
でも、その祖母の生き様がたった一枚の若かりし頃の習作の絵に凝縮されているだけなので、非常に表面的で薄く感じてしまう。繰り返しがくどくなる。
この言葉を活かすならば、
>実際は長い間をかけて儚いものを追いかけ、掴まえたのだ。
という過程が描かれなければなりません。

個人的には、この作品を長編にすると面白いだろうと思います。
このお話が、主人公が祖母の足跡をたどる旅をして、彼女の生き方を直に感じて、最後に「私も、旅に出よう」となれば、説得力あるお話になると思います。
激動の時代を日本画家として生き、パリにも渡った女性……その人生を振り返るうちに、読者も千雪とともに、明日の夢を見ることが出来そうな気がします。
日本画家という職種も魅力的で雰囲気ありますし。

が、短編でこのエピソードを活かすのならば、一人称にして、エッセイ風にしてみてはどうか? と思います。
最近、某所で似たようなお話を読みました。
祖母の血が流れているのだから、私もがんばれるはずだ……っていうようなお話でした。
で、私は、今書いたようなことを思い、こりゃダメだ、と思ったのですが、その作品はなんと賞をとってしまった! あれ、私の評価の方が、こりゃダメです。
――ということで、私はこの作品にもその作品にも物足りなさを感じましたが、他の人は違うかもしれません。評価はほんと、人それぞれよ。(余談・笑)
実は、賞を取ったという某所の作品を、私は小説だと思わず、エッセイだと思ったのですよ。小説として読めば、だからどうなのさ、と思うのですが、エッセイとして読めば、確かに面白いものがありました。
ハルヤさんの作品も、エッセイまでいかなくても、一人称が向いていそうな気がします。
もっと千雪の心の変化をストレートに描けるし、読者にも共感を得られると思います。

おそらく「説教くさい」とハルヤさん自身が思ったのも、結でどうにか読者を説得しようという強引さを自覚したからではないでしょうか?
そのために、どうにか千雪を納得させよう、人生悟ってもらおうと、どこか無理強いしているような気がします。
「だから、がんばるんだよ」と訴えるのですが「だから、なんで?」と、空回りしているように思えます。
小説は、時にはっきりとした結末をほしがる気がしますけれど、その時感じた想いを率直に描くのも大切かな? と思います。
どうにか自分を奮い立たせることは、若い時はもちろん、幾つになっても難しいことで、私自身もどうにかしたいな、と思うことがあります。逆に「もう年だしな……」とあきらめが先に立つことも多いですしね。
人間、それほど簡単に悟れるはずがない。千雪を物わかりのいい大人にする必要はないと思います。
強引に結論を出さず、率直に迷いは迷いのまま残しておいて、等身大のままの結末を目指してみてはいかがでしょうか?
きっと、多くの人に共感を得られると思います。

***

補足です。
ここに出てきた某所の作品というのは、こちらでも感想を書いたヤフー文学賞特別賞の【キヨコの成分】です。祖母の生き様を振り返って、明日への希望にしようとするところが似ています。
話によると、ハルヤさんも作品を投稿しようと思っていたらしいのですが、納得いく出来ではなくて取りやめたそうです。
ばーさんの強烈さでは受賞作のほうがすごいのですが、主人公の日常のけだるさはむしろハルヤさんの作品のほうが描けているかな? と思います。

今よりも女性の権利や自由がなかった時代に、けっこう強烈な女性が生きていました。逆に抑圧されているところが多いから、こういった女性が際立つのかもしれません。
生きる道の選択肢が自由に選べる時代に生きている主人公・千雪は、逆にどうやって生きていけばいいのか、わからなくなっています。
祖母の生き様を胸に、旅立っていこうとする千雪。
自分探しの旅は、むしろ自由人の贅沢な旅なのかも?(^ー^)


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