実家に向かう前に、書いています。 本当に今年も終わりですね。 皆さん、よいお年を!
2003年12月30日(火) |
【秘密日記】旅行のお話 |
2月にパリに出かけることになりました。……っていうのは、先日書いたな。 今回は、全部自分で手配することになったので、けっこう大変。
まず、インターネットで格安チケットを探したのだが、直行便となるとないみたいなので、JALの悟空35で行くことにした。 まぁ、正統な手段だし、マイルもたまるってことで。……って、使えたためしはないが。 パリまで91000円プラス税。関空利用のほうが高いけれど、リムジン代と前泊不要で安上がりと思ったが、成田のほうがいいということで、変更。 その際、JALに電話したら、ネットでの予約がめちゃくちゃであったことが判明。わ、私のやることって、大丈夫なのか?
次にホテル。 これもネットで調べてメールしたけれど、年末で忙しいのか、返事がこないので、違うホテルも探してみる。 ヤフーの掲示板で、人気ありそうなホテルを探し、そのホテルのHPにアクセス。 英語に自信がないので、翻訳ページを利用したら……うわおう! なんで、USを「我々に」ではなく「アメリカ合衆国に」と訳すかな? あと、ストリートを示すフランス語のRUは、「後悔する」と訳してくれた。 やはり、信じるのは自分と辞書だけです。(^−^; しかし、フランスの公式なサイトの英語版などを翻訳ページで見ると、多少のおかしなところはあるけれど、ほぼ日本語になっている。 翻訳ページは、お堅い文章は得意らしい。 リュクサンブール公園の近くにしようと思ったら、翻訳すると「ルクセンブルク」と出た。英語読みすると、リュクサンブールはルクセンブルクだったのか……。 目からウロコである。 ダンナの勤め先から近いとなると、5区・6区・13区あたりとなる。 そのあたりの雰囲気をしりたいので、このあたりのホテルを探した。
さて、ネットで送ったホテルからの返事は、「日本語、無理ならば英語で」と書いたばかりに、英語で戻ってきた。 ちんぷんかんぷんである。 どうやら、カード番号などをファックスで送らなければならないようだ。 ……っていうのは、ちょいと不安だけど、どうやら向こうのホテルでは当たり前のことらしい。 2日前キャンセルで、クレジットカードに請求が行くというわけだ。 とりあえず、じっくり読んでから送ることにする。 こんなこと、あんなこと、自分でやっていたほうが、度胸がつくってもんですよね。
部屋探しがメインなはずなのに、もうすでに気分は観光になっている。 いや、来年があるんだから、今回は雰囲気を味わって、うまくしたら部屋を見つけてこなければならないのよ。 使命に燃えて、ネットで物件を当たってみる。 いや、高いの何の……(^^; それでいて、築100年とか200年とか? さらに水道管のトラブルはつきものらしいときたもんだ。 かつて、日本の住宅を「うさぎ小屋」と言った人々の中で「ハムスター小屋」には住みたくはないけれど……。 いえいえ、お城みたいなところもあるんですよ。本当に……めちゃ高いだけで。 まぁ、頑張ってさがしてきます。
2月にパリに一度行くことにしました。(^−^) パリに渡る前に、退職金がなくなってしまいそう……。 (ダンナのためでもあるんだから、ダンナ出してくれないかなぁ?)
職場の後輩をそそのかして付き添ってもらうことにしましたが、彼女は海外初めて。私は手配旅行初めて。 パックのほうが安いのでそちらを利用すれば楽なのですが、今までの経験上、直行便でないと辛いし、ホテルは牢獄みたいなので、ヤダ! (−−; パリに住んだら、もうプチホテルには泊まれないのだわ! と思い、プチホテルを探すことにしました。 交通費をケチりたいので、リムジン代と前泊料金を節約するために、関空を利用……と思っていたら「朝、8時の飛行機は辛い。夜に行こう」ということに。 私の関空嫌いを知って気を使ってくれたのかな? (・・?
考えてみると、1月は東京に行かねばならないし、2月はパリ、そして4月は向こうに住むことになっているのですから、忙しいです。 で、フランス語の勉強は……一度だけテレビ講座を見ました。(^0^; ダメだ、こりゃ……。
2003年12月24日(水) |
クリスマスプレゼント? |
なぜかヘラルドから封書が届いていた。 最近の私ときたら、ひたすら銀行通いで忙しく、すぐに開けずに投げておいた。
金もないのに、退職金やら財形の解約やらで各銀行を回るわけだが、休日もあったうえ、師走なので混んでいて、今日なんか滑り込みしたよ。 で、書類に不備あって引き出しできず……(^−^; このようにして、貴重な日々は過ぎてゆくんですよ。
で、ヘラルドからの封書であるが、なんと!!! クリスマスプレゼントだわさ。 「授かり物だ!」と叫びたい。 どうやら、前売り券を買った時に応募した「LOTRファンの集い」に当たったらしい。 ただし、場所は東京だから交通費は自分持ち。(^^; これは、東京で遊ぶ計画を立てねばいけません。が……ハワイ帰りで貧乏だ。 あんなに送った試写会に当たらなかったのに、まさか当たるとは! 正直半分忘れていましたよ。
皆さん、ご存知でしょうけれど、フセインが捕まりましたね。 ハワイで見たCNNニュースで知ったわけですが、英語があまりわからないために、一生懸命画像で情報を入手しました。
姉は「何かくさいなぁ……」 といっていました。 というのも、その前日までは、ブッシュが石油関連会社で不正に儲けていた(英語がわからんから想像)ニュースが、トップ・ニュースだったのです。 で、朝から晩までブッシュ大統領の情けない釈明会見の様子が繰り返されていたのですよ。 で、一夜明けると今度は……。もう石油会社のニュースのNの字もありません。 姉曰く、捕まっていたフセインを、いいタイミングまで隠していたのでは? と。 そういえば、何となく怪しい感じがしますね。 日本に帰ってきてから、どこかのコメンテーターが 「フセイン逮捕のニュースは、何か情報操作の感がぬぐえないが、もしも沿うならば、もっと大統領選挙が近づいてから公表するのでは?」 と言っていました。 石油会社の火事は広がらないうちに消化? とも思えなくはない。(^−^;
フセインショックで、帰りの飛行機は行きにもまして厳重でした。 行きも、私はベルトのバックルのせいでボディ・チェックを3回も受ける羽目になりました。 国内線で1回、国際線ではなんと2回もです。 で、帰りはというと……涙もののひどさです。(;;) ひっかかるベルトは外していたのでひっかかりませんでしたが、預ける荷物の鍵はすべてあけて置くようにの指示。何のための鍵だぁ? しかも、物がなくなっても検閲にひっかかったとのアナウンスはなし……とのこと。 ちなみに、私はハワイで買ったインスタントカメラがなくなっていました。 うぐぐ……とった写真、どうしてくれる! (−−+ さらに、手荷物検査は靴まで脱げ! とのこと。 いつも靴で歩いているところを、パタパタ裸足で歩くわけですよ。まるで収容所に入れられるみたいだ。 さらに私は、バックの中を全部開けさせられ、酒の一本一本まで開けさせられる羽目に……。どうもボトルと液体が怪しがられるらしい。 私は別に怒ってはいなかったのですが、どうも目付きがきつめで話し掛けにくい風情があるせいもあり、検査官の人がたいそう恐縮しておりました。 おかげで買った酒のボトルを落としそうになり、ひやりとさせられました。 お土産などもすべて開けられてしまうようです。
皆さん、海外に旅行に行く時は、少し覚悟が必要ですよ。
2003年12月20日(土) |
ハワイの馬ショック! |
翌日(16日)は、馬乗りに行ってきました。 とはいえ、体験乗馬程度なのですが。
まぁ、びっくりしたのは馬がおとなしいこと。 信じられません。 普通は、馬の後ろにいってはいけないなどの注意があるべきところなのですが、この馬たち、てんで平気みたい。 (^−^; 何で? いつもお互いにべったりくっついているし、もう全然人になれていてグレている馬はいません。 私にとっては、衝撃的でした。 ウエスタンのクラはものすごく乗りにくいや……。 てんでおとなしくて暴れそうな感じではないのですが、どういうわけか、後ろの女性がキャーキャーいっていて、気になりました。 どうも、今までの乗馬体験からいうと、悲鳴をあげる人がいると、おとなしかった馬までも暴れ出すってこともあり、どうも用心してしまいます。
あと、初体験は射撃ですか……。 正直いって、怖かったです。 ヤッキョウが飛んで手にあたり、熱かったです。 当たっているのか、当たっていないのか、てんでわかりませんでした。 ピストルはかなり重くて、それでいて反動が大きく、狙ったとおりにはいきませんでした。 戦争にいっても役に立ちそうにありません。
姉の希望でプライベートビーチなるところに行ってきましたが、カに刺されました。 (;;) 私たちと韓国から旅行に来た女の子と三人だけでした。 泥が流れ込んでくる海岸のようで、やや透明度が低くかったのですが、ちゃんと魚が泳いでいました。 シュノーケルは楽しいです。 ただ、私は子供の頃、溺れたことがあるので、海は怖いです。 足が着かないところにはいけません。
ハワイのオチですが、私はなんと! ホテルのセフティボックスに免許を忘れました。 なんで免許なんか持って行ったの? と聞くなかれ……。 万が一、パスポートを無くした場合、すばやく身分を証明するものが必要と思ったのですよ。 どうやら見つかったようですが、退職にともなう手続きの際、とても大変でした。
ハワイの感想ですが、一言でいうと、ハワイの海は温泉みたいだな、ってことです。 家族で遊びに行くにはいいみたいですが、買い物はそれほど安くもない気がしますし、特に海外っぽい感じもしない。 リピーターが多いところですが、私としては、何度も行きたいところでもない。 今度は、行くとしたらオアフ以外の島に行きたいなぁ……と思いました。
実は、今回一番楽しかったのは、これかもしれない! 夜釣り。
姉のオススメのショッピングセンター「ヒロハッティ」に行って、夕方からのスタート。 午前中は、マラソンの記録をもらいに行ったり、ナイキのバーゲン(また並んだ)に行ったりで、バタバタした。 人ごみ・並ぶのはもううんざり。買い物はいいや……って感じだったが、ヒロハッティは郊外にあって、それほど混んでいない上に、アロハなど着るものが充実している。縫製もよくて、日本に帰っても夏に充分着ることができそうだ。 アラモアナに行った日も、アラモアナよりはその向こうのワールドショッピングセンターのほうに時間を費やした。 地ビールもそこで飲んだ。(今回の旅行で外食したのは、わずか3回だった) ノンビリしたいのに、ビーチもショッピングセンターも混みまくっていて、本当に疲れる。 ショッピングセンターよりも、公園でわいわい遊ぶほうが楽しかった。そこは、姉と一致していた。
しかし、夜釣りについては明暗すっかり別れました。 迎えの車は、私たちが一番最初。次に乗り込んできたのは、大学卒業旅行という若者5人組男ばかりだった。(か、かわゆい!) 彼らは体育会系らしい。甲子園に出た人もいたらしい。野球部なのか? 他にも新婚らしいカップルや、男一人女ふたりの不思議なお友達など、メンバーは20人くらいか? 係りの女性は犬連れ。 船に乗り込むと、事細かな注意を受ける。私は釣りの経験があるけれど、ない人もたくさんいた。 一番の問題は船酔いだろう。姉は薬を持ってきていたが、間違って子供用を買ってしまったらしく、子ども3錠のところ、私1錠、姉2錠で妥協した。 それがまずかった。
船の上からのサンセットは美しく、姉は夢中になってはしゃいでいた。 舳先へ行ってタイタニックの気分を味わっていたようだが、私は波が怖い人間なので、船の真中あたりで日が沈むのを見つめていた。 船の上での豪快な炭焼きのバーベキュー。鳥もウインナ―もごはんも美味しかったが、いかにも消化に悪そうなので、私は控えめにしていた。 酔うことがどんなにイヤーなことかわかっていたので、かなり気をつけていたのだ。 今から思えば、子どもの頃、姉が車に酔い、私のスカートの上に吐いた苦い思い出からしても、少し何か言うべきだったかも知れない。 魚を釣り始めて5分もしないうちに、姉がおとなしくなった。
私は体育会系イケメンと竿を並べて、彼らの酔い止めがわりと思われる陽気な歌を聴いていた。 隣の人とお祭り(糸が絡み合う)しながらも、一匹目ゲット! わーい! 釣れ始めると楽しくなるものだ。ハワイの夜景と星を見ながら、魚を待った。 やがて、そこはもう魚がいないということで、場所を移動。 かなり揺れたが、私はすっかりカリビアンー! パイレーツの気分。 海を見ると、魚の群れが並んで泳いでいるのが見えた。 トビウオか? それとも単にアジのジャンプ? とにかく、私の大好きな光物が跳ねている。
餌はイカ塩辛のちょん掛け。 揺れているからなかなか付けられない。一番酔いそうになるのは、この時。すばやくつける。 魚♪ 魚♪ 美味しい魚♪ と思いながら、一気にそこまで錘を落とす。 姉がやってきて、船から身を乗り出し、吐き出した。 撒餌……と思って背中をさすってやる。持っていたペットボトルを渡して水を飲ませる。 吐くときに水分がなくなると、胃液で喉が痛くなるし、吐く物がなくなるほど辛いことはない。それは、私の長年の経験。ただし、乗り物酔いではなく、酒酔いね。
その後も大物こそいなかったが、私は20cmから30cmくらいのタイの仲間を4匹釣って大興奮。 また、隣のイケメンたちが蟹を見つけて大騒ぎ。いえ、一番騒いでいたのは、ガイドの女性。 蟹はよほど珍しいのでしょうか? 彼女はまるで仕事を忘れたかのようなはしゃぎようで、網を持ってきましたが、結局は取り逃がしたようです。
姉も、ここで吐いて帰るだけならもったいない……と言い出し、根性で釣りを再開。 私が、上げろ! といっているのに、重いもん、疲れるもん、具合悪いもん、と言いながら、リールを巻き上げました。 すると! あれま、本当に釣れていました。 にんまり微笑んで記念撮影。 その後、また再び吐きまくっていました。
しかし、さすがの姉。 帰るときには、吐くものがなくなったのか、復活! おなかがすいたと言い出す始末。焼きあがった魚をぱくぱく食べていました。 よく見ると、女性で元気に釣りまくっていたのは私だけで、あとは皆さん吐きまくり。姉のように復活もせず、魚を食べられなかった人もいたようです。 一人で4匹釣れたのは私だけのようで、頑張ったのに坊主だった人もいたようです。 というのも、私はかなり興奮していて、しかも船酔い防止のためにあまり動かなかったので、周りの状況が見えていませんでした。 「あなたが一番!」とか言われて、すっかり得意満面。
帰りがけ、「またこよう!」というと、姉が 「うん、またくるといいよ。ただし、私は誘わないでね」 そしてひたすら空腹を訴えました。 「もう、何もおなかに残っていないわ」 でも、さすがにちゃっかりの姉、出来上がった写真には、釣り上げた魚と得意満面なツーショット。 これを見て、げろげろ吐きまくっていたと思う人はいないにちがいない。(^^;
すでに5時間経過。 そりゃあ、体調が悪いっていっていたから、こんなものだろうよ……と、思っていたところ、後ろからちょんちょんする人が……。 なんと、姉がケロリとして立っている。 「あれーーーー? レースはどうしたのさ!」 「もうとっくにゴールしちゃった」
どうやら、姉が近くを通った時、私は別のことに気をとられていたらしい。 というのも、目の前でランナーの老人が倒れたからなのだ。 ふらふらと走りつづけていて、後ろに引かれていくようだった。 かつてのオリンピックで、女性ランナーがなったと同じ症状。体がまったく思うように動かないのだろう。酔っ払ったような、危ない足取り。 あと、数百メートルでゴールだというのに、ちょっと危険な状態だ。 沿道の人は応援したが、私の目の前をくるくるとふらついた後、反対側の沿道までつつつ……と移動。そこで警備していた人が走りよって、レースを止めてしまった。 なかなかこない救急車に、私はやきもきしていた。 そこを姉は走りさってしまったらしい。 「私もゆっくり走って、30人くらいに抜かれたんだけれどねぇ」 はいはい、私が悪うございましたよ。(−−; 本当、私は何のためにハワイに来たんでしょうねぇ? 姉のタイムは、4時間30分30秒という非常にわかりやすい時間だった。
ゴールしたあと、姉はシャワーを浴び、すっきりしていた。その後、私を探したらしい。 体が痛いというと、歩くの辛かった? 運動不足だからだよ! という。 違うってば! 3時間も片足で立ちつづけて、身を乗り出してカメラを構えていたら、体が凝るのはあたりまえでしょ! あう……その努力は報われなかった。(−−;
姉はマッサージに並び(また並ぶの?)フィニッシャーズTシャツを受け取った。 その後、近くの浜辺で昼寝して部屋に帰った。 私は再び海の中を歩いて帰り、姉は砂地を嫌がって街中を歩いて帰った。
姉は、とてもマラソンを走ったとは思えない元気ぶりだった。 私は疲れ果てましたが……。
だいたいハワイでの目的は達したので、あとは遊びまくり。 気が楽になりました。
2003年12月17日(水) |
ハワイで待つこと3時間。。。 |
どうにかスタートの幕が見えてきた頃、 「ウォーク参加の皆さん、準備はいいですか? では、スタートです」 と、声が聞こえてきた。 あ、今スタートなのか? と思ったが、やはり歩きには迫力がなかった。
書き忘れていたが、スタートの前にはゲストなども来ていて、コメントをくれることになっている。去年はイチローだったらしいが、今年はハリウッド・スターで黄色い歓声があがった。が、見えないんだよね。どこにいるのかもわからない。 パールハーバー主演の人だったらしいが、コメントも聞こえなかった。
私は暗い中黙々と歩きつづけた。 誰かにお願いして写真をとってもらえばよかったのだが、自分の世界に埋没して、ただひたすらに歩いているのが心地よかった。 あとで、なぜか走っている姉のほうが、レースの途中色々な写真をとってもらっていて、何でそうなるの? って感じだった。 沿道の人にお願いするらしいのだが、私たち歩き組の時間には、沿道の人もまばらになっていた。 が、不思議なのは、歩き組の中に白いゼッケンのマラソン参加者もたくさんいたことだ。中には、沿道でくつろいでいる人までいる。 タイム・オーバー失格がないので、初めから歩きとおすつもりなのだろう。 でも、走っている人も見ると、ちょいと先の長い道のりを考えると、かわいそうにも思えてくる。 白ゼッケンの人には「頑張って!」と声をかけた。
アロハタワーのあたりを過ぎると、少しハワイとは違った、いや、昔のハワイともいうべき街並みがあった。細い路地と小さなお店。石でできた建物が続く。 アーリーアメリカンな街並みなのかもしれない。 途中、「ビールまであと○キロ!」という表示があり、思わず笑った。 あらゆるところがクリスマスのイルミネーションできれいだった。まだまだあたりは暗い。でも、日が昇ったら猛烈に暑くなるのでは? と、私は不安になった。 あまり汗かきではないが、かなりハイペースで気持ちよく歩いているせいか、しこし汗ばむ。 スピードアップして歩く。歩き始めてちょうど1時間で5キロ地点を過ぎた。
面白かったのは、給水所。 ランナーが過ぎたあとは、片付けモードなのだろう。あっちこっちでテーブルごとひっくり返してコップの水を捨てている。 カメラを片手に、ペットボトルを片手に、調子よく歩いていた私だが、ここは散らばった紙コップと水のせいで、すべって危ない。ランナーならば、足元に注意しなければならないだろう。 カラになったボトルに水を入れ、水を飲みながらまた歩く。
ワイキキについた時は、すでに明るかった。が、まださわやかな朝というところで、歩くのが辛いことはない。 近くを歩いていた白ゼッケンの白人女性が、鼻歌を歌っている。クリスマスソングだ。沿道からの応援に手を振って答えた意外は、楽しそうに鼻歌を歌いつづけていた。 車椅子押しての女性もいた。日本人、もしくは現地日系人か? 車椅子の人はかなり自由が利かない人らしく、やせ細っていた。 押し役の人も、それほど鍛えている感じではないが、白ゼッケンである。頑張ってほしい。このあと、マラソンならば起伏のあるところも通らなければならない。 足がない人も仮装で参加。海賊に化けるとは、自分の障害をうまく利用したというところか? ただ、松葉杖はかなり大変だと思う。 平和と書かれた帽子をかぶっている人、地域ののぼりを背負って歩く人、浴衣の人、様々だった。
ゴールしたのは、スタートからちょうど二時間。 まずまず楽しかったのではないだろうか? 苦しくもなかったし。 運動していない私でも、歩きとおせる距離だった。 でも、少しはばてているので甘いものが食べたかった。JTBのブースでアイスキャンディを配っていたのでいただく。 もしかしたら、JTBツアーの人専用だったのかも知れないが、まぁいいか? 姉と打ち合わせしていた場所で、姉のゴールを待つことになった。 混んでいるので、陣取ったらもう動けない。 私がキャンディを食べている間に、優勝者はゴールしたらしい。日本人とのことだった。 私が見始めた時、ちょうど日本人女性が前を通り過ぎた。2時間半とちょっとくらいだろうか? 彼女で写真のためし撮り。 私が同伴したのは、ここで姉の写真をとるためである。 彼女の要望は、表情がわかるくらいにアップで、とのことだった。 カメラアングルにはうるさいので、失敗は許されない。5時間くらいといっていたから、まだ三時間近くもあるというのに、私はカメラを構えつづけた。
びっくりしたのは、義足のランナー。 かなり有名な人らしい。完全に右足(だったかな?)がなく、薄い金属製の義足で走っているが、フォームがきれいで義足だなんて気がつかない人が多いのではないだろうか? 剥き出しの金属を見せ付けられたとしても。 彼は、おそらく三時間を切るタイムでゴールしたのではなかろうか? ランナーとして一流なんだろう。なかなか鍛えた体つきもかっこよく、ちょいと惚れる。 それから、意外にも老人が健闘していること。 昔とったキネヅカってやつなんだろうか? 顔は明らかにシワシワなんだけれどねぇ。 仮装ランナーも早いこと。 チュチュ来た女の子とか、ハワイ原住民とか、サンタクロースとか……暑くないのか? (−−; うーん、でも写真をとる身としては、姉にもせめて頭のうえに東京タワーくらい乗せてもらいたかった。
まず隣にいたのは、どこかのスポーツクラブ系うるさい日本人。 私より若そうな鍛えるの大好きねーさんだが、うるさいし、わがままそうで、うんざり。 私を散々邪魔者にして、ぶつかっても謝りもしない。追い出そうとして意地悪しているのか? あんた! って感じだったが、さすがにスポーツ会系。 目的の人たちはさっさとゴールしたらしく、そのうちいなくなった。 次は、陸上部らしき高校生。先輩のために、学校ののぼりを持っているのだが、これがけっこう邪魔! 私が睨んでいるのに気がついたのか、小さな声で「ごめんなさい」といって、風になびく旗を押さえつけていた。 かわいそうだけど、私もハワイまで来た使命があるからね。 反対隣には子どもふたりをつれたお母さん。 お父さんが参加しているらしい。ビデオを構えているから、きたら場所を譲ってあげようと思っていたのだが、あまりうちとける感じではなくて「けっこうです」と言われてしまった。 子どもが幕に寄りかかったために幕が外れてしまい、がみがみと叱っていたが、それは子どものせいではなく、私が寄りかかったせいなのだよ。お母さん。 新たに隣に来たのは、アメリにそっくりな女の子。 妖精さんの帽子が、ちょっとだけ邪魔。それに気がついたたしく、英語で「邪魔でしょ? ごめんなさい」と言ってきたので、つい「そんなことはないわ」といってしまった。 彼女が一番話しやすくて、時々会話をした。
そのうち、家族連れのお父さんが元気いっぱいに走ってきた。 かなりのハイテンションに、家族の前で写真取りまくり。子どもを連れてゴールすると言い出し、妻に冷たい目で見られる。 しかし、彼は実行しようとして小さなほうの娘を抱き上げようと頑張る。それを見て、隣のアメリが手助けした。 そのとたん、子どもは泣き出してしまい、お父さんはあきらめるしかなかった。 やはり、子どもには外国人は怖かったのか? アメリはそれを気にせずに、ひたすらニコニコしていた。 やがてアメリの彼らしき人もくる。 アメリを見つけて手を広げて駆け寄ってくると、ぶっちょりキスしていった。 「彼、かっこいいねえ!」と言うとアメリは、笑った。 その後、アメリの友達も何人かいたらしく、アメリはしばらくそこにいた。 キスする人は彼だけだったから、やはり本命は彼? だったのだろうか?
待つこと三時間。思えば、待たされてばかりのハワイ。 私の体は凝ってきましたよ。本当に……。
2003年12月16日(火) |
ハワイでランラン♪ いえ、歩きました。 |
マラソンの前日、初めて姉は練習しました。 朝早くおきて、ランニングしたようです。朝日がきれいで感動的だったから、さっさとおきて堪能したら? といいますが、それは余計なお世話。 私は朝焼けよりも寝ていたいです。
とはいえ、私も練習しましたよ。歩く練習。(^^; 前にも書きましたように、私はヒールのある靴ばかり履いているので、アキレス腱が固まっていて、伸びないのです。で、ペタンコの靴を履くと足の裏側がつって、筋肉痛を起こします。 でも、まさかヒールで歩くわけにも行かないだろう……てなことで、裸足でのんびりと海岸線を行ったりきたり。 姉は、何かを踏んで怪我をしたら困るというわけで、海には入りませんでした。
そこで発見したのは、街頭のたいまつに火をつけるお兄さん。 裸に白いフンドシ一丁で、聖火ランナーのごとくに走ります。もう一人、同じ格好であとをついて走る人がいて、彼のほうはほら貝を吹き鳴らします。 そして、西の方から東に向かって街頭に火をつけて走り去ります。 こりゃ、面白い! そう思ってカメラ(でもPDAですが)を構えていると、シャッターチャンスに……。 「あの、すみませんが、日本人の方ですか?」 と、話しかける怪しげな若者。 「はい、何か?」 といいつつ、あ。。。。私のシャッターチャンスが、走り去ってしまった! たぶん、言葉は冷たくはなかったと思うけれど、すごーーーい迷惑そうな顔をしたんだと思う。 「いえ、ごめんなさい。現地の人かな? と、思いまして、道を聞きたかっただけなんです」 と、その男性。日本人を装っているが、どうも片言の日本語。 だいたい、いかにも観光客です! って全身主張している私の、どこが現地人に見えるんだ? ふん、どうせナンパしようと思って話しかけたところ、思ったよりもばあさんだったし、睨まれたんであわてたんでしょ? と、思いつつ、私はフンドシ青年たちを追いかけて走り出したけれど。 もちろん、普段から鍛えている彼らに対し、にわかランナーの私が追いつくはずはない。 ちぇ!
マラソンのスタート時間は、午前5時。 アラモアナまでのかなりの距離を、ウォーミングアップを兼ねて歩いてゆく。 早く寝たはずの姉が起きてこず、しまいには「あと30分したら起こして」といったきり、ふたたび熟睡。 何だかんだいっても、かなり役に立つ連れ合いだっただろうと、恩を売りつける。
まだ星の見えるくらい中、ぞろぞろと歩く人の群れは、正直いって不気味。でも、その不気味な存在の中に、我々も食い込まれる。 ウォークの受付とかあるのかな? などと思っていたが、そんなものは何もない。 というか、あったらスタートなんてできないだろう。それくらい長蛇の列だ。 いらない持ち物(今まで着ていたTシャツやカッパなど)は、道沿いにしててゆくから、ばばっちい。 あとでボランティアが拾って、Tシャツなどは寄付されるそうだが、本当だろうか? かなり着古したものばかりだぞ? スタート地点にはたくさんののぼりがある。 それをもって歩く人もいれば、応援のためののぼりだったり……だ。 パックツアーで来た人たちは、旅行会社が至れり尽くせりの応援をしてくれる。時に目立ったのは、AVAのツアーだろうか? スタートは何キロもの列になるので、マラソンの持ちタイムを目安に場所を自分で定めることになる。 姉は、4時間を切るタイムを持っているが、今回は自信がないとのことで5時間ラインに並んだ。でも正式なタイムはスタート地点を通過してからの計測になるから、どこからスタートしてもかまわないようだ。 とはいえ、スタート地点まで何百mも走ることは、やはり不利だろう。 が……。スタートを知らせる花火が上がっても、誰もスタートしない。 あれれ? と思っているうちに、みんな少しづつ前に移動。気がつかないうちに走り出しているらしい。 感動のスタート! なんていうものではなく、なんだかはじまったらしいですよ? って感じです。 で、私のウォークの方も似たような感じで、ぞろぞろ歩き出し、私もそれに従って歩き出しました。
ゼッケンの交換やら、ルアウの申し込みやら、マラソン大会前は落ち着かない。 姉は、サイン会の受け付け表を忘れてきて、憧れの選手からのサインをもらい損ねるし、どこもかしこも人ごみで並んでばかり。 どうも、今回のハワイはめぐりが悪く、入国審査から並んでばかり。思えば日本をでる前から、待たされてばかりだったような気がする。
何が並んだかといえば、一番はルアウだろう。 ルアウは、私はよくわからないのだが、マラソンの前夜祭みたいなもので、パーティらしい。 「ジェイク島袋」というハワイ出身のウクレレ奏者のコンサートがあり、姉は楽しみにしていた。 「ほら、元気はつらつのコマーシャルに出ていたでしょ?」 と、言われても、最近テレビも見ていないから、よくわからない。
呑気にアラモアナでチョコレートを買い込んでいて、時間に遅れてしまった。 が、驚いたのは長蛇の列。どうも果てがわからない。入場するのに、何キロも並んでしまった。 そこで気がついたのは、姉と私の違い。 姉は、いつもはスタスタ歩いているが、常にそのペースを変えない。私は、いつもはのんべんだらりんと歩いているが、いざという時は走るのだ。 たとえば信号。変わりかけたら私は走る。姉は止まってもかまわないらしく、歩いたまま。 今回も、少しでも前に並びたい一心から、私は走った。その結果、姉よりも10mは前に並ぶことができたと思う。もちろん、呑気に歩いてくる姉を横入りさせてあげたが。
それだけの人が入ったら、バイキング形式の食べ物をとるのも至難の業だ。 もっと至難だったのは、ビールだ。なんせ一人一杯しかくれないのだから。ただし、これも時間が進むにつれて帰る人が増え、最後は並ばなかったのだが。 ここで気がついたのは、バドワイザーはまずい! ってことだ。 昔、輸入ビールが少なかった頃は、バドっておしゃれなビールだと思っていたのだが。 話は脱線します。 ホテルでは、もっぱらクアーズにして、帰りの飛行機の中は、スーパードライにしましたよ。最近、発泡酒三昧なので、心置きなく飲めるスーパードライに感激。なのに姉はサッポロ黒ラベルだった。好みが違う。
コンサートは、ポップスやストリートダンスのような、ハワイらしからぬものから、本当のハワイアン・ダンスまで様々。 そして、だいぶ人も減ってきて夜もふけたころ、お目当ての島袋が出てきた。 が……。突然の雨。 すぐに止むから、という司会者の言葉も空しく、バタバタと傘を広げる日本人たち。本当に日本人が多い。しかも、英語がまったくわからないらしいときている。 雨は小雨が降ったり止んだりで、その後コンサートが終わるまで続くが、濡れて困るほどではなく、気持ちのよい程度の雨だった。 それでも雨合羽が配られた。ちゃっかり2つももらっちゃった。ポンチョになっていて、旅行の時にいいかもしれない。 しかし、そんなことをするのは日本人だけだろう……と思っていたら、姉は見ていた。前の白人男性50歳くらいの人が、一人で6個もゲットしていたところを。 海外に出て「日本人ってはずかしい!」と思っている皆さん、認識を変えましょう。 恥ずかしいのは日本人だからではありません。その人それぞれなんですよ。
島袋のコンサートは、ウクレレという楽器に対する認識を大いに変えるような、いいコンサートでした。 サンタナばりの切ない旋律でエレキ・ウクレレというのでしょうか? さすがにギターほどは泣きませんが、やや明るめの泣きって感じです。 でも、雨が降ったりで、だんだん人が減ってくる状態のコンサートって、ちょいとかわいそう。 残っていた人はノリノリでアンコールもありましたが、何万人もいた人々が、最後は千人くらいだったでしょうか? それでも姉は大興奮して、ルンルンしていました。 ホテルまでの道のりを、疲れ知らずで歩いて帰りました。
ハワイでは「ロミロミ」というマッサージがあるようです。 で、ハワイに着いてから体調不良の姉と私は、このマッサージなるものを受けてみました。
ちょいと怪しげなホテルの一階で、初めての人ならは入っていくのに勇気がいりそうなところでした。 が、姉はスタスタ……。私も恐る恐る着いてゆく。 予約の時間を過ぎてもマッサージ師が来ていないとのことで、20分ほど待たされました。 オーナーの人は人のよさそうな人で、たどたどしい日本語で、 「自分のうちだとおもってくつろいで。水もあるし本もあるしボールもあるから」 うーん。。。大の大人がボール遊び? (^^; ちょいとそれは……。
姉も私も幼児体型で、ABCマートでビールを買う時に、 「パスポートか何か、年齢証明できるものある?」 と聞かれたくらい。顔を見れば、わかるだろう? って感じで、納得してもらいましたが。 花と咲かずに、蕾ババァになったような姉妹です。
マッサージは、少し薄暗くてお香の匂いがする部屋でします。 天井に布などがゆったりと貼ってあり、まるでインド? まではいかなくても、 アジアっぽい。 「全部脱いで」 と、男の人に言われた時、姉はとても焦っておりました。 「げー」とか「ぎゃー」とか叫んでいました。 「そんな……ダンナには、こんなこんなこと、いえない!」 ……おいおい。。。(^^; 「もちろん、私が出て行ってからです」 と、オーナーの人も苦笑気味。
私は、マッサージなどはほとんど受けたことがなく、たぶん敏感なほうだと思います。かなり痛かったところもありますが、気持ちよかったです。 腕や肘などを使って、こするようなマッサージをするのですが、ハッカのようにスーっとするオイルを使っているので、とてもリラックスできました。 臀部に疲労がたまっている姉は、横で「ギャーギャー」騒いでいて、ちょいとうるさかったです。 最後に、カサカサと手のひらをこすり合わせる音がして、その手を顔の上にかざされました。何だか、ほんわりと温かい感触が広がりました。 姉に言わせれば、気を送ってもらった! とのことで、そのためにすっかり調子がよくなったとのこと。本当か? 私は、気功なるものはあまり信じていないんですが、姉は大マジメです。 精神力ではないかもしれませんが、確かに静電気みたいなものが生じて、何らかの効果はあるような気がしますが。
お値段は、1時間60ドル+チップ。日本円で10,000円をちょっと切るくらいでしょうか? そのおかげで、体調不良で本当に走れるのか? って感じの姉が、すっかり元気になったので、よかったです。 私も、ハワイにいったらまた受けたいな。飛行機の中で疲れをためてしまった人、ぜひ、まずはマッサージで体調を整えましょうね。
朝食はなしのホテルだが、その日は朝食があるという。 だから、がんばって起きて26階のラウンジにいったのに鍵がかかっていて入れない。 ロビーまでおりて聞いてみると、今日は会議があったので9時半からだという。 なんじゃいそりゃ? と思ったが、とりあえずただということで待っていってみる。 すると、日本人は一人もいなく、しかも軽食がテーブルにあるだけ。満席で誰かが立つのを持たなければならないが、観光案内のオリエンテーリングをしているので、誰も立つ人はいない。 オレンジ・ジュースとクッキーを一個食べて退散。
姉が行きたいショッピングセンターがあるというので、そこで色々買出しした。 映画館もあるが、LOTRはやっていない。残念ながら、私たちが帰国する日が封切りなのだ。ショックであるけれど、映画のためにもう1泊なんて姉にはいえない。 だいたいもともと17日帰国予定が飛行機がなかったので、18日になったのだし。 おなかがすいていたので、ついたとたんに『カリフォルニアキッチン』というピザ屋さんで食事。 姉が頼んだサラダはハーフサイズだったが、とてもハーフとは思えないサイズで、結局テイクアウトすることになった。
スーパーでパンを買おうとしたら、かびていた。こちらはこんなのもヘッチャラだ。姉が気持ち悪がったので、朝食はパンではなくクラッカーにすることにした。 ブルーチーズや生ハム、バナナ、パパイヤなどを買い込む。 水も買ったけれど、後でABCマートで同じ値段で売っていたので姉はショックを受けていた。 彼女は自分が得をしないと気がすまないたちで、かなり綿密にお買い物情報を仕入れるタイプ。私のように面倒だから、少し高くてもいいや……ってことはない。 とはいえ、ハワイの無料情報誌「アロハ・ストリート」をわざわざお金をかけて取り寄せるくらいだから、金を節約……というよりも、そういうことに労力を使うのが趣味なのだ。
ハワイに着く。 もうすでに時間の感覚がなくなっているが、日付変更線を越えたので、着いたのは11日の9時ということらしい。 だが、シャトルバスが全然こない。待つこと20分。 さすがにコートなど、手に持っているだけでも暑い。が、風が強くて暑すぎることはない。 温かいというべきか……。 やっとターミナルに着いたと思ったら、入国審査は長蛇の列。 すべて日本人だ。そりゃそうだ。関空で飛行機3杯分人を運んできたのだから。 それに、成田からの便だってあるだろうし……。 入国審査が終わって荷物をとりにいったら、すでに次の便の荷物が回っていて、我々他、同じ便の荷物は置き去りにされていた。 普通は、ターンテーブルの前でイライラ待つものなんだけれどね。こんなの初めて。 てんこもりの荷物の中から自分たちの荷物を掘り出し、さて出発!
姉が銀行でお金を下ろしたいというので、インフォメーションでATMの場所を聞いたらはるか彼方を紹介された。 荷物を引っ張って、はるか彼方まで移動するもない。(−−; 英語はかなり話せる姉だが、ATM=カードでお金を引き出す機械だったらしい。 もちろん手数料が取られるからあきらめる。 日本で両替してきた私がワイキキに着くまで金を貸すこととなった。 しかし、運良くそこがワイキキ行きのバス乗り場の近くだったので、歩いた距離もよしとしよう。
ホテルは【インペリアル】といって、ややマイナーなホテルかもしれない。 用意してくれた部屋がうるさそうだと文句を言って、別の部屋にしてもらおうとする姉。言葉が話せると、こういうところで押せるから便利だな。でもたぶん、姉の場合は英語が話せなくてもやるに違いない。 部屋には台所があり、火はないけれどレンジがある。そのうえ、小さな炊飯器まで貸してくれるので、ごはんが炊ける。一階にはABCマートがあるので、本当に便利。ビーチからも近い。 スィートルームで部屋も広めなので、2家族泊まっても大丈夫。 ちょいと便利かもしれない。 海外では食費がバカにならないし、あたり外れが多いので、時間がもったいない時はかえって自分で作ったほうが便利だ。 その日はごはんを炊いてレトルトカレーにした。
そういえば、ハワイは日本人が多い。 でも、日本人っぽい現地人も多い。3世・4世が多いのだ。 彼らのたいていは、もう日本語は話せない。でも、日本風の名前を持っている。 姉の名前を見て、ホテルの人が「妹と同じ名前だ」と言っていました。 でも、その名前の意味はわからなかったようです。
姉に誘われるがままに、ハワイへ行ってきました。 えっと……本日は実は19日ですが、日々をさかのぼって日記にしたいと思います。
日程は11日から18日までの6泊8日の旅です。 目的は、姉のホノルルマラソン(14日)応援のため。
退職などでばたばたしていたので、なんとなくハワイに行く実感がなく、前の日の晩になってからの用意。 ドタバタで睡眠時間なし。アレがない、これがない……でめちゃくちゃです。 私って、どうしてこうなんだろう? と思いつつ、まぁいいかぁ。だって、睡眠不足のほうが飛行機の中で熟睡できるじゃん! 持ち物は本当に少なかったです。 パジャマ代わりのTシャツ2枚・スパッツ1枚・外出用Tシャツ2枚・スカート一枚・キャミソール1枚・羽織り物1枚。靴下や下着も少なめにしたつもりだけど、滞在型だったので洗濯もできたから、もっと少なくても良かった。 ジーンズとタンクトップ、その上に綿セーターを着て出かけたけれど、この綿セーターが役立った。 ハワイとはいえ、夜は寒くて羽織り物1枚じゃ足りなかったから。 ジーンズ1本とパーカーを買って着ていました。思えば滞在型だから時間があるなら、服は現地調達でも充分かもしれない。
12時48分のJRで待ち合わせ。姉は手稲から、私は新札幌から乗り合わせた。 ホノルル行きは混んでいて、関空発しか取れなかった。しかも、関空で5時間待ちときたもんだ。 面倒くさがりの私は、旅行といえばパックだけど、姉はパック嫌いでいつも自分で手配している。今回はたまったマイレージでの旅行というわけでちゃっかりしている。 私はしっかり料金を取られているわけだが、姉がご馳走してくれたりけっこう世話を焼いてくれたり、しかもまっさらなワリカンでもなかったので、まあ得したかもしれない。 姉が予約した後に臨時便が出たらしく、なんと関空からは15分おきにホノルル行きが三本もあった。 しかも、我々の便は小さなDC10で、他はリゾッチャのジャンボで、姉は 「ビンゴを楽しみにしていたのに!」と悔しがっていた。
空港は、どうみてもホノルルマラソン参加組だと思われる人々で一杯。 コナミ・スポーツの人や、高校の陸上部らしき一団、一般人様々。 成田も千歳もそんな人で埋まったのだろうと思うと、なんだか気持ちが悪い。 ホノルルマラソンって、もしかして日本人ばっかりなのではないだろうか? などと思ってしまう。実際、やはり日本からの参加が多いようだ。 私は知らなかったのだけど、ホノルルマラソンは時間制限がないので何時間かかってゴールしてもよいらしく、かなりの素人も出るらしい。
関空での時間つぶしは、姉と映画の話などで盛り上がった。 あと、米を炊いてカレーや魚の缶詰を食べることにしていたので、千枚漬けなどを買ったりもした。 こういったら関西の方に悪いけれど、何となく関空って人がたくさんいてもさびしい気がする。天井のつくりのせいだろうか? それとも慣れないから? 関西らしさが感じないからかな? なんとなくピンとこない。
ジーンズのベルトがひっかかって、飛行機に乗るまでに2度もボディチェックを受ける。 やはりテロが心配だから厳重だ。ちょいと飛行機に乗ってから、これが最後のフライトになんてならないよな……と、珍しく不安になった。 が、飛んでしまえば仕方がない。後は寝るだけだ。前日寝ていないのに、眠れない。セーターを帽子代わりにしてすっぽりかぶる。 実は、私は飛行機に乗る時、いつもマスクをするのだが、今回は忘れてしまった。 大判のハンカチを顔に巻くこともあるのだが、こちらも忘れた。 だから綿のセーターをかぶっていたわけわけだけど、これが今までの中で一番よかった。たぶん見栄えは一番ヘンかも知れないけれど、大判ハンカチマスクとの差は五十歩百歩といったところ。効果は雲泥の差だった。 効果って……顔の乾燥を防ぎ、鼻の乾きを減らす効果。けっこう大事です。 そういえば、今回は姉アドバイスに従って、搭乗前に洗顔しました。 飛行機の中って狭いうえに混むから、ゆっくりと歯も磨けないですよね。そういう手もあったのかと感心。 でも、さすがに素顔は恥ずかしい年齢だなぁ。(−−)
今日で会社を本当に辞めます。 社員証他、返しに行かなければならないのに、すごい吹雪で気が重い。 (;;)でも、考えてみれば、雨の日も風の日も、こんな吹雪でも出社していたんだよね。 われながらすごいぜ、私。偉いぜ、社会人。 当然だったことが、辛く感じるようになったって、本当に堕落しているなぁ。 気合を入れて、シャワーを浴び、出かけてきますわ!
まずはお詫びです。
えっと、最近更新を怠っている連載のほうなのですが、プチプチしてくれる人がいて、見捨てられているわけじゃないぞ! と、元気100倍になっております。 (^^)ありがとうございます! にもかかわらず、更新がまだできておりません。 申し訳ございません!!!
にもかかわらず、私はあさってから旅に出ます。(^^; 帰ってくるのは18日です。 たるんだ身体をハードに動かして、少し脳の活性化を図りたいと思います。 ということで、しばらくBBSやメールのお返事ができません。 しかし、自由に語り合ってきてくださってけっこうです。
皆さんお元気で----!!!! このご時勢だ、死なずに帰ってこれますように。。
2003年12月08日(月) |
学生時代の友人は…… |
今日はお友達のうちに遊びにいきました。(^^)
人間立場が変わると考え方も生き方も変わってきます。 だから、今、親友だと思っている人がてんでそうは思わなくなっちゃう時代も繰りことがあります。 でも、やっぱり学生時代の友達って、腹をわって話せるというか、一緒にいて気楽なものです。(^^)
学生時代、ぐうたらしながら「彼氏ほしー」とかいいあっていた友人も、すでに二人の子持。 子育てとパート、趣味のトール・ペインティングを楽しんでいます。 子どもがいると、生活や趣味が子どもに合ってきてしまうようで、学生時代に書いていた絵よりもメルヘンチックな絵柄に、初めのうちは驚いたりもしました。 しかし、さりげない絵をサラサラと何にでも書いてしまうような自由な発想は当時のままで、やっぱり彼女らしいや……。 ダンナ様が工作得意ということもあり、手作りのテーブルや棚、ベンチなどがあり、壁には彼女がペインティングしたサインや時計が架っていて、温かい感じがします。 実用的なものをつくるのも、彼女っぽいというか……。 http://cbtt.hp.infoseek.co.jp/index.html(こんな感じのものつくっています)
学生時代は一緒にマンガを書いていた仲ですが、今はほとんど共通点はないんです。 でも、私が小説を趣味にして、彼女が絵を趣味として、当時がまったく消えてしまったわけでもない。 生き方も趣味も表現方法もてんで交わらなくなったかもしれないけれど、それはそれで、また刺激的。 互いに夢を追いかけられるのは、また幸せなことだとつくづく思ったのでありました。
2003年12月07日(日) |
【執筆ネタ】連載終了 |
【巫女姫の仕え人】の短期連載を終えました。 毎日更新は【狩人の時節】以来ですが、たったの七話だったので大変ではありませんでした。書き終えていたし……。
実は、問題はこのあとです。(^−^; 【漆黒のジュエル】と続編の間の時間の経過……。年表を作って計算していたにもかかわらず、どうもマス読み違いで年齢が合わなくなっている。 最初の計算。 【陽が沈む時】で、サリサは103歳といっている。赤沙地決闘の時は104歳秋。 【漆黒のジュエル】では117歳。(ジュエル6歳の時)つまり、13年たっている。 エーデム3−2、3−3で出てくる主人公、ファセラとイリスは、この時12歳設定。年表を作った甲斐があったというものだ。 が。 記述をまとめると、ジュエルは【血塗られた5年】という戦国の時代の翌年の冬に生れていることになっている。サリサ110歳の冬なのだ。 ……となると、エリザとの関係を育む時間がないじゃん! (^0^; どこで計算間違えたんだろう? ラブラブ1年、幽閉されて5年、ジュエルが生れるまで1年、山を降りて6年……。計13年。ぴったり! と思ってしまったのだ。 ……出会いまでの1年が足りません。(−−; エリザの幽閉期間を実質4年にするか(5年目に解放)ラブラブ期間を短くするか、ただ今頭を悩ませております。(^−^;
2003年12月06日(土) |
疲れてきたかも(−−; |
なんだか最近、いい放題し放題に疲れてきたかもしれません。 まぁ、おとなしくしていて、私の場合はちょうどいいんですけれどね。
余計なことを言って棘棘しても仕方がないよなぁ……。 言うことがその人のためにならないこともあるしなぁ……。 言って自分が消耗するならば、おとなしくしていたほうがいいに越したことはありません。
人間には、何でもプラスにできる人とマイナスにしかできない人がいる。 それを見極めるのも人間の素養なのだとは思うのだけど、見極められない時は、マイナスの人に合わせると、無難に乗り越えることができるんだよね。
などなど考えて、少しパワーが充電しきるまで、少しおとなしくしておくことにします。 (^^;
携帯サイト《ブック・イン・ポケット》がオープンして、作品を載せてもらいました。(^^) ちょいとうれしいです。
そこで、ちょいと宣伝用にページを作ってみました。 もしも面白そうだと思ったら、読んでみてください……といっても、AUの人しか読めないんです。(;;) ごめんなさい。
きました! 朝からずうううーーーと見て、夜になってしまいました。 さすがに四枚組です。(^−^; 詳しくは、《本日の感想》で述べているので内容は触れませんが、メイキングのほうもかなり苦労して作った感じがして、かつ、映画版はかなり無理したのがひしひし……。 特にアルウェンは、やはりぎりぎりまでキャラクターが定まらなかったようですね。 ヘルムで戦うかどうか。戦わなくて大正解です。 戦っていたら、あの、名場面「追補編」のシーンがなくなっていたのですよ。 それに、女であるから守りに徹するはめに追いやられたエオウィンとのバランスがとれなくなりますしね。 日本語吹替え版も見なければならないし、コメンタリーも聞かなきゃならないし、大変です。
2003年12月02日(火) |
【執筆ネタ】ふたたび書けない病…… |
ということで、ここしばらく書こうとしてPCに向かい、気がはいらず、今まで書き溜めていたもののページを作ってみたり、設定集を作ってみたり、なにやらかにやら、しています。 長編も読む気が起きず、読みかけをすっ飛ばして、あっと読めるような短編を読んだりして、費やされた気力の充実を待つ! って感じです。
えっと、77777ヒット記念の作品リクエストがきまして、ほんの少しだけご紹介します。 【エーデムリング物語・陽が沈む時】番外編。 セルディとレサ、それとリューマの仲間たちのお話になりそうです。 この時期・このメンバーの番外編としては【白百合のごとく清らかに】がありますが、けっこう切ない系だったので、今度は少し楽しいものにしたいな……などと。 でも、出てくるキャラがセルディだから、ちょいと厳しいかも?
書けない病をこの一作で打破し、疾風のペンを取り戻すぞ!
2003年12月01日(月) |
【秘密日記】ふらんすに |
今まで地下鉄を利用することが多かったのですが、料金が安いので、仕事をやめてからはJRを多用しています。 いつもは札幌までノンストップの快速エアポートを利用するのですが、時々鈍行も利用します。 で、札幌駅の手前に苗穂駅という駅があるんですが、そこで面白い看板を発見。
ふらんすにいきたいとおもえども ふらんすはとおし せめて新しい背広にて 旅にでよう 苗穂駅から (うろおぼえです)
なんとなくほのぼの…… いつからこの看板あるんでしょうかね? ふらんすという国が、なんだか夢の国のような感じがします。 たしかにフランスは遠いのですが、今は新しい背広を我慢したらいける時代になりました。 調べてみると、10万を切る格安パックがもう出ているんですね。 (今だから……かも知れませんが) そのせいか、ネットで調べてみると、ふらりと出かけていってパリに住んでいる若者もけっこう多いみたいです。
部屋を探すのは大変みたいです。 私のような半年間というのは、けっこう大変。日本でもそうだけど、普通一年契約だそうです。 高めになるけれど、短期で借りて粘るしかないかも? うーん。。。
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