「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2005年11月30日(水) 1993(平成5)年 夜行列車「八甲田」廃止

1993(平成5)年11月30日
寝台特急の「出羽」「ゆうづる」と
夜行列車の「八甲田」「津軽」が
この日の運転で廃止となる。

L.A.S.Ponder
夜行寝台急行「八甲田」には
格別の思い出が
ありましゅ。

某年3月後半
一浪後
第1志望の大学に不合格になった
L.A.S.Ponderは
暗い気持ちで
第3志望の弘前大学に
向かったのでした。

雪の残る
弘前で
試験会場の下見をし
宿で夕食を済ませ
受験生の皆さんと
歓談していると
父から突然の電話。

第2志望のJ大学の
繰り上げ合格の話があり
至急帰って来いと。

そこで
L.A.S.Ponder
弘前から
その夜の夜行寝台急行「八甲田」で
半信半疑のまま
東京へ戻ったのでした。

一夜明けて
東北本線を上野へ向かう
「八甲田」の窓から見たものは
J大学の姿でした。



2005年11月28日(月) 1815年 プロデューサー ザロモン没

1815年11月28日
ドイツのヴァイオリニスト、指揮者
ヨハン・ペーター・ザロモン没
 1745年2月2日誕生

この人は晩年ロンドンに定住し
オーケストラの定期演奏会
「ザロモン・コンサート」を
組織しました。

そして
ヨーゼフ・ハイドンを呼び寄せ
ハイドン最後の交響曲
ザロモンセット
交響曲93番〜104番の12曲を
書かせました。

L.A.S.Ponder
最近ハイドンの
交響曲「ロンドン」のCDを
聴きましたが
円熟したハイドンの
作風を堪能しました。

ザロモン・ハイドンの
名コンビで
古典派の交響曲は
一段と
彩を添えることになったのでした。
めでたし、めでたし。



2005年11月27日(日) 1931年 ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演

1931年11月27日
ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演

L.A.S.Ponderこの曲は
1998年5月27日(水) 19:00
東京オペラシティ・コンサートホール
ピアノ:ミシェル・ベロフ
指揮:エサ・ペッカ・サロネン
フィルハーモニア管弦楽団
で聴くことができました。

ベロフ自身
右手の故障に悩んでいたこともある
とのことで
非常な熱演だった
ことを覚えていましゅ。

この曲は戦争で
右手を失ったピアニストのために
作られた曲だったと思いましゅが
右手を奪った戦争への怒りを
叩きつけるような演奏でした。

この日のアンコールは
ラヴェルの「マ・メール・ロア」から
終曲「妖精の園」でしたが
この世のものとは思われぬ
稀有な体験をしました。

演奏に吸い寄せられるように
魂が奪われ
視界が涙で流れ
座席からふわっと
浮遊したかと思うと
スーッとどこまでも
沈んでいくような
錯覚にとらわれました。

終演後もなんだか
ボーっとしてしまって
どのように初台から
栃木まで
帰ったのか
まったく覚えていませんでした。

その後数日間は
生きているのか死んでいるのか
わからないような
状態でした。
 



2005年11月24日(木) 1722年 ドイツのオルガニスト ラインケン没、99歳

1722年11月24日
ドイツのオルガニスト
ヨハン・アダム・ラインケン没、99歳。
 1623年4月26日

この人はJ.S.バッハゆかりの
オルガニストでしゅ。

バッハ16歳の時
リューネブルクの寄宿学校で
学んでいたバッハは
45km離れたハンブルクまで
ラインケンの演奏を聴くために
徒歩旅行をしたのでした。

それほどラインケンの
オルガン演奏は
評判だったのでした。

今となっては
ラインケンが
どのように演奏したのかは
知る由もありませんが
少年バッハに
大きな影響を
与えたことは
間違いありません。

ああ、パイプオルガンの
生演奏が聴きたいでしゅ。

しかしかつて
文化不毛の地と
自嘲した栃木県には
パイプオルガンのある
コンサートホールがありません。

悲しいでしゅ。



2005年11月23日(水) 小嶋潤著 新約聖書名言集

小嶋潤著 
新約聖書名言集
講談社学術文庫
講談社 昭和53年
再読。

初めて読むつもりになっていましたが
最後の方に
ちょっとした書き込みがあり
再読であることが判明。
すっかり忘れていましゅ。

旧約名言集に続き
新約名言の数々。

この本では
格調高い文語訳聖書からの
引用。

まことに厳しい内容。
パリサイ人、律法学者、異教徒に
対する激しい態度。

これでは
ユダヤ教徒、イスラム教徒とは
相容れないでしょう。

これほどにまで
排他的にならなくても
思われましゅ。

宗教的寛容がなくては
現代の民族対立、宗教対立は
和解のしようがないのでは
ないでしょうか?

去る11月19日
歌ったマニフィカートの歌詞も
当然
取り上げられており
改めて
認識を深めました。

著者は
「新約聖書」27篇は、
人類2000年の歴史を指導してきた
最高原理の一つである。
と言っていましゅが
それはあまりにも
西洋キリスト教世界に
偏った考え方のような
気もしましゅ。



2005年11月21日(月) 1852年 スペインの作曲家、ギタリスト タルレガ誕生

1852年11月21日
スペインの作曲家、ギタリスト
フランシスコ・タルレガ
Eixea Francisco Tarrega 誕生
 1909年没

この人はなんといっても
ギターの名曲
「アルハンブラ(宮殿)の思い出」でしゅ。

トレモロ奏法を駆使し
ギター曲の限界を拡げました。

ギターを習った人なら誰でも
この名曲を弾きたいと思うものでしゅ。

L.A.S.Ponderも
当然そう思いましたが
トレモロどころか
アルペジオさえ
あやふやな初心者レベルで
挫折していましゅ。

まだギターを
捨てたわけではないので
ひょっとしたら
またいつか
手にすることも
あるでしょう。



2005年11月20日(日) 1940(昭和15)年 詩人 小熊秀雄 没、40歳

1940(昭和15)年11月20日
プロレタリア詩人 小熊秀雄(おぐまひでお) 
東京豊島区のアパートで
肺結核のため没、40歳。
 1901年9月9日誕生

L.A.S.Ponder
大学入学後
合唱部に入り
1年の時に
最も早く歌ったのが
小熊秀雄作詩、林光作曲の
「蹄鉄屋の歌」でした。

『蹄鉄屋の歌』

泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だろうか。
若い馬よ、
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたいながら、
――辛捧しておくれ、
   すぐその鉄は冷えて
   お前の足のものになるだろう、
   お前の爪の鎧になろだろう、
   お前はもうどんな茨の上でも
   石ころ路でも
   どんどん駆け廻れるだろうと――、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
ああ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ
私の歌はぞんざいだろう、
私の歌は甘くないだろう、
お前の苦痛に答えるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがった瞬間の煙のようにも、
私の歌は
灰色に立ちあがる歌だ。
強くなってくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い焔を
君の四つ足は受取れ、
そして君は、けわしい岩山を
その強い足をもって砕いてのぼれ
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。

混声合唱曲「蹄鉄屋の歌」は
この詩の一部に作曲されたものでしゅが
プロレタリア詩人
小熊秀雄の精神を
遺憾なく伝えていましゅ。

特に最後の
「うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ」の
ハーモニーにしびれました。



2005年11月19日(土) 2005年 グローリア アンサンブル&クワイアーvol.13

2005年11月19日18時30分
グローリア アンサンブル&クワイアーvol.13
聖母マリアが歌う神への賛歌
栃木県総合文化センター
メインホール
に合唱で参加しましゅ。

第1ステージ
J.S.バッハ名曲集で
主よ人の望みの喜びよ

第2ステージ
J.S.バッハ作曲
マニフィカート ニ長調 

第3ステージ
ジョン・ラッター作曲
マニフィカート

去年の
フォーレ、デュリュフレ
レクィエムに比べ
なんて明るい曲でしょう。
歌っていて楽しくなりましゅ。

ソプラノ独唱
バッハ・コレギウム・ジャパンの
藤崎美苗さんはじめ
なかなかの独唱陣も
すばらしいでしゅ。

栃木県初演であろう
ラッターのマニフィカート
傑作でしゅ。
ひょっとしたら
後世に残る
名作かもしれません。

現代作曲家
ラッターの最高傑作でしゅ。

さあ出かけましゅ。



2005年11月17日(木) DVD 椿姫 1937年ジョージ・キューカー監督

DVD 椿姫 Camille
ジョージ・キューカー監督
グレタ・ガルボ
ロバート・テイラー主演
1937年
CLASSIC MOVIES COLECTION
鑑賞

アレクサンドル・小デュマ原作の
映画化

うーん
これが伝説の名女優
グレタ・ガルボでしゅか。
なるほど
端正な面持ちでしゅ。

原作の小説を読んだのは
若い頃で
ヒロイン、マルグリット・ゴーチェの
苦悩に涙したような思い出が。

映画は原作の雰囲気を
よく伝えていましゅ。

小説ではわからない
パリの社交界の描写が
秀逸でしゅ。

このような古い名画が
500円DVDで
入手できる
いい時代になったものでしゅ。



2005年11月16日(水) 名尾耕作著 旧約聖書名言集

名尾耕作著 
旧約聖書名言集
講談社学術文庫511
講談社 昭和55年
読了

西洋の文化は
ヘレニズムと
ヘブライズムが
基礎になっていることは
言うまでもないでしゅ。

そこで
ギリシア神話と
旧約聖書ということに。

膨大な旧約聖書
詩篇や伝道の書、
創世記の一部など
つまみ食いの経験は
あるものの
通読したことはありません。

いやあおもしろいでしゅ。
といっては
罰が当たりそうでしゅが。

特に詩篇、箴言、雅歌などは
美しいでしゅ。

”なまけ者は、手を皿に差し入れても
それを口にもっていこうとはしない。”
             箴言19ノ24

旧約聖書の通読は
長期入院か
刑務所にでも入ったら
などと考えているうちに
鬼籍に入って
しまいましゅね。



2005年11月14日(月) 1778年 ハンガリーの作曲家 フンメル誕生

1778年11月14日
ハンガリー出身の作曲家
ヨハン・ネーポムク・フンメル
Hummel Johan Nepomuka 誕生
 1837年10月17日 没

モーツァルト、クレメンティ、
アルブレヒツベルガー、ハイドン、
サリエリといった
錚々たる面々に師事。

L.A.S.Ponder
最近フンメルのミサ曲集のCDを
2枚購入。
明るい曲想
軽快なテンポ感
なかなかいいでしゅ。

古典派の音楽史の中に
埋もれさせるには
惜しいでしゅ。

歌ってみたい作曲家の
ひとりでしゅ。



2005年11月13日(日) 山田宗睦著 ギリシア神話

2005年
山田宗睦著 
ギリシア神話
カラーブックス511
保育社 昭和55年
読了

西洋文明は
ヘレニズム(ギリシア文明)と
ヘブライニズム(ユダヤ、キリスト教)
ということで
読み始めました。

予備知識の乏しい中
全能の神ゼウスの活躍は
目覚しい限りでしゅ。

それにしても
あまたの女神、
人間界の女性と
契っては子を作る
ゼウス
なんとも言えません。

ギリシア神話
エーゲ海を巡る
地理、歴史と
切り離せないこと
なるほどなるほどでしゅ。



2005年11月12日(土) 2005年 映画 ヴェニスの商人

2005年
映画 ヴェニスの商人
マイケル・ラドフォード 監督・脚本
アル・パチーノ シャイロック
ジェレミー・アイアンズ アントーニオ
ジョセフ・ファインズ バッサーニオ
リン・コリンズ ポーシャ
ウィリアム・シェークスピア 原作
をMOVIX宇都宮で鑑賞。

16世紀末ヴェニスという
原作に忠実な舞台背景で
充分風景を楽しめました。

そして見ものは
アル・パチーノ演ずる
ユダヤ人高利貸しシャイロック。
憎々しげな演技が真に迫り
最後は悲劇的結末へ。

果たしてこれは
喜劇なのでしょうか。
シャイロックから見れば
これは悲劇そのものでしゅ。

もちろん箱選び
指輪取り上げと
喜劇的要素もたっぷり
楽しめましゅ。

シェイクスピアを
現代に置き換えて
上演する
映画や演劇も
いいでしゅが
やはり
違和感なく楽しめるのは
シェイクスピアが
設定した時代背景でしょう。

ジョスリン・プークの
音楽も素晴らしい。



2005年11月10日(木) 2005年 ゲオルク・バゼリッツ展

2005年
ゲオルク・バゼリッツ展
 〜絵画の凱歌〜 
会場:栃木県立美術館
会期:2005年10月23日〜12月18日
鑑賞

1938年ドイツで生まれた
バゼリッツの版画作品群

第一印象は「なんだこれは?」
よくわかりましぇん。

強烈な印象はありましゅが
意味不明でしゅ。

大量の版画作品
何でこれが
絵画の凱歌なのか
わかりません。

何かを訴えているのは
わかりましゅが
それが何なのか
わかりません。

バゼリッツの作品が
現代芸術であることは
わかりましゅが
これが
美しい芸術〜ボザール〜という意味で
美術かどうか
わかりません。

美術作品を鑑賞して
慰め、癒やし、充実感を
得るのが
美術鑑賞だとしたら
これは
美術鑑賞では
ありましぇん。

まだしも併設の
ヨーゼフ・ボイスと愉快な仲間たち
 〜私はウィークエンドなんて知らない〜 
のほうが
まだ楽しめました。

年々予算を削られる
栃木県立美術館の
苦闘を象徴するかのような
展覧会で
ありました。

L.A.S.Ponderは
このような
作品を観るために
栃木県立美術館友の会に
入会したのでは
ありましぇん。

もっと
心地よい
展覧会を
期待しましゅ!!




2005年11月07日(月) 1980年 シャンソン歌手 越路吹雪 没、56歳

1980年11月7日
シャンソン歌手 越路吹雪
胃がんのため没、56歳。
 1924年2月18日誕生

今では胃がんは
早期発見早期治療で
致死率は低くなっていましゅが
当時は胃がんで死ぬのは
普通のことでした。
それにしても
56歳という若さ
気の毒でしゅ。

ビデオで観る限り
彼女の歌唱には
人を強烈に惹きつける
何かがありましゅ。

1曲だけを取り上げるのは
難しいでしゅが
「サントワマミー」が
代表曲のひとつであることに
異論はありませんでしゅ。

失恋の歌なのに
べたべたしてなくて
何度聴いても
自分の失恋を
甘く切なく
思い出して
遠い昔に
舞い戻ってしまいましゅ。

これも岩谷時子の
訳詞(作詞)なんでしょうけれど
元の意味は
どうゆう歌なのでしょうか。
なんだか気になってきました。



2005年11月06日(日) 1339年 後村上天皇即位 

1339年11月6日 延元4年10月5日
義良(のりよし)親王が即位して
後村上天皇となる。
南朝第2代、皇統譜第97代

きくたびにおどろかされてねぬる夜の
夢をはかなみふる時雨かな
            新葉和歌集423

時雨の音を聞くたびに夢を破られ、
目覚めてはまた寝入ってみる夢
その余りのはかなさに、
私の袖にも時雨のように涙を注ぐことだ。

本歌は在原業平
ねぬる夜の夢をはかなみ
まどろめばいやはかなにもなりまさるかな
                古今集

南北朝時代
北朝に押されがちな
南朝方の後村上天皇は
准勅撰和歌集である
新葉集に
苦衷を述べる和歌を中心に
百首残した。

700年の時空を越えて
後村上帝の
胸の想いが
痛切に
身に沁みましゅ。





2005年11月05日(土) 菅野則子著 江戸の村医者

菅野則子著 
江戸の村医者
本田覚庵・定年父子の日記にみる
新日本出版社 2003年
読了

父の勧めで
何の気なしに
読み始める。

明治維新前後の
三多摩で医師・名主・戸長を勤めた
親子の日誌から書き起こし
維新前後の
庶民史を綴る。

特に子の定年が
明治政府の戸長を辞し
自由民権運動にのめりこみ
やがて放浪の旅に出る。

うーん
わかりましゅ。
L.A.S.Ponderも
鬱陶しい世事から遠ざかり
放浪のたびに
出たいでしゅ。



2005年11月03日(木) 1920(大正9)年 栃木県佐野高女生が同盟休校

1920(大正9)年11月3日
栃木県佐野高等女学校生が同盟休校に入る。

そうだったんでしゅか。

わが憧れの
栃木県立佐野女子高等学校に
そんな歴史があったなんて
トンと知りませんでした。

どんな経緯があって
同盟休校にいたったのでしょうか。
興味深いことでしゅ。

考えてみると
佐野女子高のOGには
なかなか個性の強い人が
多いのもうなずけましゅ。

♪緑濃き学び舎の
英知の瞳
集う窓よ
幸多き
佐野女子高
・・・

佐野女子高校歌
OGの皆さんと
一緒に歌いたいでしゅ。




2005年11月02日(水) 2005年 長谷川沼田居展in足利市立美術館

2005年
生誕100年オマージュ
長谷川沼田居展
会場 足利市立美術館
会期 2005年10月1日〜11月13日

たまたま午前中時間が空いたので鑑賞。

長谷川沼田居(しょうでんきょ)1905〜1983は
足利出身の画家。

2003年心眼の画家長谷川沼田居展in足利美術館も
観ているのでしゅが
異様に迫るかきつばたやひまわりの
作品群にもう一度会いたくて
足利市立美術館へ。

両眼摘出後も
カミサンの手助けで
作品を作り続けたという
沼田居の恐ろしいまでの
情熱を感じたくて
会場を徘徊。

やっぱりすごいでしゅ。
特に数多く描いたひまわりは
その花がこちらを凝視する
目のようで怖いでしゅ。

まるで日本のゴッホのようでしゅ。

写実から抽象までさまざまな
変容をみせるかきつばたも異様でしゅ。

今回の展覧会では
沼田居の作品に衝撃を受けたという
4人の現代画家
岡田真宏、貝野澤章、黒須信雄、橋本倫の
オマージュ作品も
観るものを
鷲づかみにするようで
怖かったでしゅ。

足利市立美術館は
時々こういった
すごい展覧会を企画するので
目が離せませんでしゅ。


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