2004年05月31日(月) |
世界禁煙デー マリアのエリサベト訪問の祝日 |
5月31日 世界禁煙デー(World No-Tabacco Day) 世界保健機関(WHO)が1989(平成元)年に制定。 国際デーの一つ。
すべての声楽家、合唱人、管楽器奏者の大敵 あらゆる音楽家の活動を阻害 すべての人の健康を破壊する タバコ
タバコ業界と 医療機関にとっては タバコは ドル箱・打ち出の小槌でしゅが
1995年現在 世界の喫煙者は10億1000万人 毎年世界で300万人が喫煙が原因で死亡。 2030年代初頭には喫煙による死亡者が 年間1000万人に達するとWHOは警告。
タバコで寿命を縮めた著名な音楽家は ガブリエル・フォーレ ジャコモ・プッチーニ ドミトリ・ショスタコーヴィチ モーリス・ラヴェル レナード・バーンスタイン 山本直純 その他枚挙にいとまがありません。 あらゆる公共の場面 音楽シーンから タバコを追放し スモーキング・フリーの(タバコない) 世界を実現しませう。
禁煙は愛!
タバコと地雷と核兵器を追放しませう。
5月31日 マリアのエリサベト訪問の祝日 一説には7月2日
有名な受胎告知の後、 マリアは従姉妹のエリサベトのもとを訪れます。 長く子がなかった老女エリサベトも この時なんと妊娠6ヶ月で、 二人はともに喜びあいました。 さらにエリサベトの胎児 のちの洗礼者ヨハネも 祝福して胎内で 踊ったことを聞かされたマリアは、 有名なほめ歌 「マニフィカト」を歌います。 このテキストにもバッハをはじめ たくさんの作曲家が音楽をつけています。 マリアは三ヶ月ほど エリサベトのところにいた と書かれているので、 7月2日は自分の家に帰ってきた と考えられていましゅ。 また、教会暦では 洗礼者ヨハネは 6月24日に生まれたことになっており、 「黄金伝説」には マリアが出産に立ち会った という記述もあるそうでしゅ。
なお、現在のカトリック圏の教会暦では、 前後のつじつまを合わせるため この祝日は5月31日に移されているそうでしゅ。
ということで 今日は マリアのエリサベト訪問の祝日
グローリア アンサンブル&クワイアーでは 2005年
J.S.バッハとジョン・ラッターの マニフィカトを 歌う予定でしゅ。 わーい。 毎回葬式音楽で 暗い練習の日々を送るより おめでたい歌を歌う方が 楽しいに決まってましゅ。
1778年5月30日 フランスの哲学者、劇作家、歴史家 ヴォルテール Voltaire 没、83歳。 本名フランソワ・マリー・アルエ François-Marie Arouet 1694年11月21日生
フランス啓蒙思想の巨人 ライプニッツの楽観論、楽天主義を批判した 短編 "CANDIDE OU L'OPTIMISME" カンディードまたはオプティミズム(楽天主義)1759年を 著しました。
L.A.S.Ponder 昔無学な若い頃 カンディード 吉村正一郎訳 岩波文庫 を読んだ時には 単なる荒唐無稽な話 あるいは波乱万丈の物語としか 認識しておりませなんだ。
2004年5月4日 東京国際フォーラムで ヴォルテール原作 リチャード・ウィルバー (Richard Wilbur) 作詞 スティーヴン・ソンドハイム (Stephen Sondheim) 補作 レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)作曲の ミュージカル「キャンディード」を 宮本亜門演出 デイヴィッド・チャールズ・アベル指揮 キャンディード 中川晃教 恋人クネゴンデ 幸田浩子と鵜木絵里のWキャスト その他、坂元健児、宮本裕子、新納慎也、佐山陽規、 郡愛子、辰巳琢郎など で鑑賞。 一挙にその虜になってしまいました。
ヴォルテールは反権力、反教会の風刺を込め、 バーンスタインは反マッカーシズム (彼は作曲当時 共産主義者の友人がいるという理由で ビザの発給を止められていた。)という 2人の批判精神と楽しい風刺が 縦横に発揮された とっても楽しいエンターテインメントでした。
ほかにキャンディードの ビデオ、DVD入手できれば ゆっくり鑑賞したいでしゅ。
1235(文暦2)年5月27日 小倉百人一首 完成
藤原定家の「明月記」 文暦2年5月27日の項に 親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じ 書写した和歌百首を 嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に 貼ったとの記載あり。
その後 一部入れ替えがあり 現在の百人一首 になったとのことでしゅ。
L.A.S.Ponder 百人一首開眼は 悲惨な高校時代。 古文の授業などほとんど無い 工業高校在学中。 ひょんなことで買い求めた 解説 百人一首 橋本 武(灘高校教諭) 著 1974年 \663 日栄社
これが 一首見開き2ページの解説で 異常なまでに面白く 時代背景やらセックス観まで それまでの百人一首のイメージが 木っ端微塵。 永井明画伯のイラストも 滅茶苦茶シュールで 目から鱗。 たちまち百人一首の世界に のめり込んでしまいました。 実にL.A.S.Ponderの 古文入門は この書に始まるのでした。
1773年5月26日 スイスの作曲家、教育者、出版者 ハンス・ゲオルク・ネーゲリ Hans Georg Nägeli 誕生 1836年12月26日 没
L.A.S.Ponder 子どもの頃習った 大好きな唱歌「白バラのにおう夕べは」 原題”Freut euch des Lebens”「現世を楽しめ」の 作曲者として記憶していましたが あるホームページによると 編曲、出版しただけだそうでしゅ。
でもこの曲を 出版し広めただけで偉いでしゅ。
ドイツ学生歌中の 名曲でもあり 合唱曲としても歌われ 8分の6拍子の優美な旋律は 行進曲として 吹奏楽のレパートリーにも なっていましゅ。
無伴奏混声合唱か男声合唱で 歌ってみたいでしゅ。
1918年5月25日 東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で ベートーベンの交響曲第5番 日本初演
当時はどんな演奏だったのでしょうか。 L.A.S.Ponderお気に入りのこの曲 何枚かCDありましゅが とびっきりの演奏には まだ出会っていません。 CDもいいけれど この曲は 生演奏で聴くほうが いいでしゅ。
1922年5月24日 作曲家 別宮 貞雄(べっく さだお) 東京で誕生 今年82歳
東京大学物理学科を卒業するも 作曲家に転向して成功。 パリ音楽院では ダリウス・ミヨー、オリヴィエ・メシアンに 指示じゃなくて師事。 すごいでしゅ。
ポピュラーな作品は 歌曲「さくら横ちょう」くらいでしゅ。
L.A.S.Ponder 宇都宮合唱団時代 混声合唱のための組曲「山の四季」(1967年)から 何曲か歌ったような気がしましゅ。 無伴奏で 変拍子や2度のぶつかりあいが 新鮮でした。 またどこかで 歌いたいでしゅ。
2004年5月20日 昇天祭 Ascension
今日は復活祭から40日後の木曜日 ということで 昇天祭でしゅ。
イエスが処刑後3日目に 生き返ったのを祝うのが復活祭 その後40日間弟子たちと 地上で布教し 40日目に弟子達の前から 天へ昇っていったことを 祝うのが昇天祭。
今日カトリック松が峰教会で グローリア アンサンブル&クワイアーの 練習がありましたが 派手な行事はなかったようでしゅ。
家の近くのプロテスタント教会も イースターは近所に呼びかけて 大きな集会を持ちましゅが 昇天祭は何もやらないようでしゅ。
もし死んだイエスが生き返ったこと、 40日後に天に昇っていったことが 事実でなかったら キリスト教はどうなってしまうのでしょうか。
悩んでも仕方ないことは抜きにして 今日は バッハの 昇天祭オラトリオ BWV11 その御国に主を讃えよ を フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム。ヴォカーレのCDで聴く。 派手さはないが 明るく華やいだ雰囲気で とってもいい感じでしゅ。 30分という短さも ちょうどいいでしゅ。
2004年05月19日(水) |
ホー・チ・ミン 誕生 |
1890年5月19日 ベトナム民主共和国初代大統領 ホー・チ・ミン Hồ Chí Minh、胡志明 誕生 1969年9月3日 没 フランスから独立を勝ちとり 超大国アメリカ合衆国を相手に ベトナム戦争を 指導しました。
子どもの頃 ベトナム反戦運動で聴いた 自由ベトナム行進曲 作曲 ドアンクァンハイ 訳詞 関 忠亮 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/jiyuvietnum.html に ♪想いおこせホーチミンの声 南のわかものよ 闘いとれ幸いの国 自由ベトナム兵士! というのが ありました。 子守唄のようで なんだか懐かしいでしゅ。
いつの日か ベトナム戦跡を含めて 観光に行ってみたいでしゅ。
1986年5月18日 アークヒルズ誕生
高層ビルのなかった六本木に そそり立ったビル群。 パイプオルガン付き ワインヤード形式の サントリーホールと 東京全日空ホテル。
アクセスが不便で 渋谷、四谷から 都営バスを 利用してました。
全日空ホテルのロビーで 待ち合わせをし サントリーホールの コンサートを聴き ちょっぴり 贅沢な気分でした。
時々利用した ホテルロビー2階のラウンジも 改装で今はなく ちょっぴり淋しいでしゅ。
アークヒルズクリニックで 雇われ院長をしていた 大学の先輩を 訪ねて行ったこともありました。 サントリーホールの目の前に 毎日勤務しながら コンサートには 行ったこともないという 先輩を 複雑な気持ちで 眺めていました。
六本木ヒルズの オープンで アークヒルズも 静かで使いやすくなるでしょう。 お金があれば 連休にでも 泊りがけで 行ってみたいでしゅ。
2004年05月16日(日) |
ネポムークの聖ヤン・ヨハネの祝祭日 |
5月16日 ボヘミア・チェコ・スロバキアの守護聖人 ネポムークの聖ヤン・ヨハネの祝祭日
1976年12月21日 慶応義塾大学混声合唱団第25回定期演奏会 郵便貯金ホールで聴いた カルダーラ作曲 聖ヨハン・ネポムークの為の荘厳ミサ 指揮 岡田 忠彦 のネポムークのことでしょうか。 どんな曲だったか忘れましたが 曲の途中から 涙うるうるだったことは 憶えていましゅ。
2004年05月15日(土) |
デイヴィッド・マンロウ 没 |
1976年5月15日 リコーダー、古楽奏者 デイヴィッド・マンロウ イギリス、バッキンガム州チェザム・ボイズで没、33歳。 1942年8月12日生まれ
L.A.S.Ponder 学生時代 彼の指揮、 ロンドン古楽コンソートの LPレコードを 栃木県立図書館で借り 衝撃を受けました。
もともと皆川達夫氏の名著 「合唱音楽の歴史」を 読んで ゴシック期の音楽を 聴いてみようと思いたって 県立図書館を尋ねたのでした。
レオニヌス(レオナン)とペロティヌス(ペロタン) という2人の作曲家の作品で 2声と4声のオルガヌム(多声曲)の 録音でした。 ルネサンスとはまるで違う 中世の匂いプンプンの音楽に たびたび陶然となったのでした。 幸いCDにもなっておりましゅ。 いまでも時どき聴いて 中世にタイムスリップしておりましゅ。
1840年5月13日 フランスの小説家 アルフォンス・ドーデ Alphonse Daudet 誕生 1897年12月16日 没
彼の短編小説「アルルの女」は 昔読んだような気がしましゅが あまり印象に残っていません。 小説をもとにした ビゼー作曲の 劇付随音楽「アルルの女」は 編曲の妙もあって 不朽の名作となりました。 純真な青年が アルルの妖婦に 魅入られ 破滅していくストーリー 身につまされましゅ。 うちのカミサンが 妖婦というわけでは 決して、決して ありません。
1845年5月12日 ガブリエル・フォーレ Gabriel Urbain Fauré アリエージュ県パミエで誕生 1924年11月4日 没
2004年6月12日 栃木県合唱祭 栃木市民会館大ホールで グローリア アンサンブル&クワイアーが 「ラシーヌによる雅歌」(ピアノ伴奏)を 歌いましゅ。 2002年 コール・エッコで歌った時は フランス語に対する 理解が不十分だったので 今度はもう少し 勉強して取り組みましゅ。
2004年11月27日 グローリア アンサンブル&クワイアー 演奏会 栃木県総合文化センターメインホールで 「レクィエム」を歌いましゅ。 カップリングは デュリュフレの 「レクィエム」 フォーレのレクィエムは 10数年ぶり3度目の取り組みでしゅ。 以前にもまして 生者のためのミサ曲 という思いで 歌いましゅ。
1948年5月11日 シンガーソングライター 泉谷しげる 誕生 最近は怪優として テレビ、映画で 活躍してましゅ。
デビュー作で 最高傑作 72年の名曲「春夏秋冬」 ♪人のためによかれと思い 西から東へかけずりまわる やっと見つけた優しさは いともたやすくしなびた
なんかじーんときましゅ。
1931年5月10日 作曲家、指揮者 外山雄三 誕生
5月3日に聴いた 東京六大学合唱連盟定期演奏会で 指揮した合唱指揮者外山浩爾と 外山雄三が兄弟であることを 初めて知りました。
もう20年近くも前になりましゅが 大阪城ホールで 外山雄三作曲指揮 カンタータ「永遠(とわ)のみどり」 オケ忘却 立川市民会館で 外山雄三作曲指揮 交響曲「風雪」 外山雄三指揮 外山雄三・林光作曲 交響曲「五月(ごがつ)の歌」 東京シティフィル を歌ったことを 思い出しましゅ。 一部では 「いけずの外山」などと 悪口を言われていましゅが 本当は音楽に対して 真剣なだけだと思いましゅ。
1984年5月9日 歌手 平原綾香 東京に誕生 グスタフ・ホルストの組曲「惑星」の ジュピターからのメロディに 歌詞をつけて 歌った「Jupiter」が 大ヒット、 L.A.S.Ponderもしびれました。 「愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない 」 という吉元由美の歌詞も涙ものでしゅ。 父がサックス奏者 祖父がトランペット奏者 本人は洗足音楽大学ジャズ科に在籍 というジャズの家系。 しばらく聴いていなかった ホルストの「惑星」 冨田勲のシンセサイザー盤も 含めて聴きなおしてみたいでしゅ。 確か終曲「海王星」は 女声合唱がフェイドアウトしながら 太陽系のはるかかなたへ 消えていくような曲だったような・・・
1903年5月8日 ゴーギャン Gauguin,Eugene Henri Paul マルキーズ諸島で心臓発作のため没、54歳。 1848年6月7日生 タヒチに渡って 印象的な絵の数々を残してくれました。 十代前半の現地の少女を 愛人にするなど 夢のような生活に入りましたが 終生しあわせには なれなかったようでしゅ。 5月2日 損保ジャパン東郷青児美術館で ゴーギャンの 「アリスカンの並木路、アルル」を 観てきました。
1949年5月6日 作曲家 橋本国彦 没 1904年9月14日誕生 「川」という合唱曲も作ったはず 聴いたことがあるはずでしゅが 思い出せません。 西条八十作詞の歌曲「お菓子と娘」は 合唱曲にも編曲されてましゅが 歌いたいとは思いません。 深尾須磨子作詞の歌曲「斑猫」は ソプラノのリサイタルで昔 聴いたことがありましゅ。 「はんみょうでーす」という 低音のフレーズだけが 妙に耳に残っていましゅ。
2004年05月05日(水) |
サッコ・ヴァンゼッティ事件 |
1920年5月5日 強盗殺人事件の容疑者として イタリア移民のサッコ(29)とヴァンゼッティ(32)逮捕
アメリカ史上最悪の冤罪事件の始まりでしゅ。 無政府主義者の ニコラ・サッコと バルトロメオ・ヴァンゼッティが 強盗殺人事件の犯人に仕立て上げられ、 死刑に処されてしまうという事件でしゅ。
この事件を映画化したのが 「死刑台のメロディ」」(1971)です。 彼らがイタリア移民の無政府主義者であり 徴兵忌避をしたことがあるということから差別して 犯人に仕立て上げてしまうのでしゅ。 1921年には死刑が宣告されてしまいましゅ。 これは自由主義者達の 再審請願運動を呼び起こし アメリカのみならず ヨーロッパ各都市での請願運動が始まりましゅ。 アインシュタインやムッソリーニまで 助命嘆願にサインしたのでしゅが ついに処刑されてしまいましゅ。
世界史の教科書に載っているぐらい有名な事件でしゅ。 二人は全くの無実で 死刑執行の1927年から50年経った 1977年にやっと 州法務局が無罪の確認と名誉回復をしていましゅ。
L.A.S.Ponder 映画は未見でしゅが 映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ 渾身の音楽と 主題歌を歌った ジョーン・バエズの名唱で はっきり記憶していましゅ。 実は昔TBSラジオでやっていた 「百万人の英語」という番組で この主題歌を学習したのでした。
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