この前の日曜日、高校の同窓会の打合せに参加してきた。 高校は、旧制中学だったころの卒業生からの全ての年度の卒業生 で構成される大きな同窓会という組織がある。 その中で、各地方に住んでいる卒業生から構成される同窓会とい うものもあり、わたしは東京同窓会の一員である。 毎年、東京同窓会というイベントがあり、主幹事と副幹事の学年 が企画運営する。 今年は、わたし達の年度が主幹事なので、東京同窓会までの間に いろいろと打合せをしている。 わたしは、打合せが土曜日の午後が多いということもあり、透析 と重なるので参加できずにいたが、たまたま今回は日曜日に打合 せがあったので、参加できた。
懐かしい顔ぶれは、変わらない人は変わらないもので、会場の場 所がよくわからずにメールしたら、迎えに出てくれた人が、一目 でその人とわかる人だった。 何人か、変わらないなあと思う人がいるものだ。 わたし達が副幹事だったときは、我孫子に住んでおり、夫婦二人 の身軽な立場だった。 あれからの近況報告をと言われ、出産、透析、発達障害などなど 報告した。 息子の写真も見せたりして、あの時は存在しなかった子どもが、 こんなに大きくなるんだから、年取るわけだなという話になった。
みんな、ちゃんとしてるなあと思った。 わたしだって、人間としてちゃんとしてるわけだが、社会的にも ちゃんとした人たちなんだなと、改めて実感した。 ちゃんとって、曖昧な表現だが、社会貢献とか、社会的立場とか かな。 この人に任せておけば大丈夫なんだなと安心できる人が多いのだ と思った。 50代も後半になれば、そういうものなんだなと。
3月はなぜか、バタバタするばかりだった。 月に一度の更新もできないとは、情けないばかりだ。
新学期になり、息子は中2になった。 支援級には、4人の新入生が加わった。 今日は身体測定と学生証用の写真撮影がある。 春休みに行きそびれていた眼科と散髪には、一昨日行ってきた。 今年度から、息子は交流を増やす方向で、本人とも相談し頑張る ことになった。 昨年よりは騒がしくなさそうなメンバーだと、クラスメイトのこ とをそう見ているらしい。
今週の朝のニュースの中の特集で、発達障害の子どもたちの偏食 について語られていた。 彼らの偏食は、好き嫌いというレベルとは違う。 感覚過敏の影響を受けていて、歯触りや、口の中の感触、匂いな どに、われわれとは異なる過敏さを持っているためのものである ケースが多い。
感覚というものは、自分はこう感じるが他人はどうなのかとあま り比較したりしないと思う。 ついつい、子どもも自分と同じ感じ方をしているものと思い込む。 「どうして食べられないの?」と問いかけて答えを求めがちだが、 子ども自身が自分の感じ方しか知らないわけだから、「えっ?」 ということになる。 おかあさんはこんなとげとげした物を口に入れて平気なのかと、 思うことすらできないかもしれない、 当然、その感覚を説明することもできず、ただただ食べられない と泣きわめくことになるし、強制されて吐き出してしまうことも あるのだ。 発達障害に対して、コミュニケーションの苦手な子という説明は よくなされるが、感覚過敏のことをとりあげるようになったんだ なと、少し感心している。
うちの息子のような場合、他人とのつきあい方や物事の段取りは 何度も繰り返すことによって、その対応方法をテクニックとして 身につけていく。 しかしながら、こと感覚過敏に関しては、どうしてやることもで きないので、せめて他人に対してうまく説明できるようになれれ ばと、サポートするのみだ。
世の中のみんな、どう感じているのかは言い合わないものだ。
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